研鑽資料no.19(2019年7月)

8月に向けての学び

はじめに

責任者:

7月の学びでは、「薬毒」についての認識を深めさせていただきました。

今回は、総ての病原である「薬毒」を含む「三毒」について学ばせていただきます。

御教え『三毒』

「天国の福音」昭和22(1947)年2月5日発行

あらゆる病原は然毒、尿毒、薬毒の三毒によるという事は既に説いた通りであるが、これらを一層詳しく述べてみよう。まず然毒とは何ぞや、これは薬毒の遺伝ともいうべきものであって、薬毒が何代かの人体を経てついに変化し一種の毒素となったものである。従って日本においても歴史はそれを物語っている。

すなわち天然痘は千三百年以前欽明天皇時代以後から発生したという事になっている。それは欽明天皇十三年に仏教が渡来し、間もなく初めて各地に疫病が発生したので、時の執権者は、仏教渡来によって日本の神々の御怒りになったためであるとなし、仏教を禁じたが、疫病は更に減退しないので、仏教に関係はないとして再び許されたという事である。私の考察によれば、仏教渡来より余程以前に漢薬が渡来したためであろう。もちろん疫病とは天然痘である

医学においては種々の病原として遺伝黴毒を挙げている。ドイツにおいても万病黴毒説をとなえる一派があるとの事である。しかし私はこの遺伝黴毒こそは然毒の誤りであると想像するのである。何となれば遺伝黴毒保有者といわれる患者が、その父母もその祖父母も、黴毒罹患の実証がない者がすくなからずある事である。

次に尿毒とは、腎臓の機能的活動の鈍化による余剰尿を言うのである。それはいかなる訳かというと、元来医学においてもとなえるごとく腎臓機能は尿の処置 とホルモンの生産である。すなわち飲食物中の不必要分が糞尿となって排泄せられる場合、さきに述べたごとく異物は全部が排泄不能であるから、それが腎臓内部より外部へ滲透し、その付近に累積固結するその固結が腎臓を圧迫する結果萎縮腎となり余剰尿を生じ漸次脊柱の両側より肩部へかけて溜積固結する。それが背や肩の凝りである。次いで延髄部、淋巴腺、耳下腺、扁桃腺部等に移行する。故に歯槽膿漏は、これら尿毒が歯齦(しぎん)より排泄せられんとするための病気であるから、この病気は尿が腐敗して口中から排泄さるる訳である。この原因を知るにおいて、その不潔なるに顰蹙(ひんしゅく)するであろう。かくのごとく尿毒は万病の原因になるといってもよいのである。

次に薬毒はさきに説いたから略すが、ただ薬毒の表われ方について述べる必要があろう。それは薬毒による苦痛は発熱、痛苦、掻痒苦、下痢、嘔吐、麻痺、不 快感等が重なるものである発熱は実験上薬毒多量者程はなはだしいのであるから、生来無薬用者はほとんど発熱は無いといっても差支えない位である。また薬毒痛は洋薬は鋭痛が多く、針刺型、錐揉型、稲妻型等で、漢薬は殆んど鈍痛である。掻痒苦は洋薬に多く特にカルシウム注射は必ず蕁麻疹の原因となるから注意 すべきである。

以上説いたごとき三毒の区別を知る方法がある。それは固結部を指頭で圧診する場合、然毒は無痛、尿毒は軽痛、薬毒は強痛であるから、熟練によって見分ける事はさまで困難ではないのである。

責任者:

前回は『薬毒の種々相』という御教えから、薬剤がどのような影響を体に及ぼすのかを学ばせていただきましたが、ここでは総ての病原である『三毒(然毒、尿毒、薬毒)』と『薬毒の表われ方』を御教えいただきました。

そして、次の御教えでは、この『三毒』について詳しく御説明いただいております。

 

御教え「医学試稿(全文へ)」未発表、昭和14(1939)年より抜粋:

『天然痘と種痘』

種痘の効果は、天然痘に罹らないという事は知らぬものはない程明かである。しかしこれに稽(かんが)うべきは、天然痘に罹らないという事は、天然痘の毒素が解消したという事ではない。チフス菌があっても発病しない人が往々あるのと同じ訳である。

人間は生れながらにして、先天的に有している遺伝毒とでもいう毒素を持っている。それは天然痘、麻疹、百日咳等で、これらは誰もよく知っている所である。そうして、これらの毒素がある時期に至り、浄化作用が起って体外へ排泄されんとする、それが発病である。しかるに、種痘はその毒素の排泄を停止させるのである。つまり、その毒素の浄化作用を弱らせるのである。言い換えれば、陽性毒素を陰性毒素にする事である。決して種痘によって毒素そのものが消滅したのではない。陰性となって体内に滞溜する事となったのである。従って、この陰性天然痘毒素は、人体にいかなる作用といかなる影響を与える事になるか、次の項に詳述する事にする。

責任者:

ここでの重要なポイントを併記致します。

○天然痘に罹らないという事は、天然痘の毒素が解消したという事ではない。

○人間は生れながらにして、先天的に有している遺伝毒とでもいう毒素(天然痘、麻疹、百日咳等)を持っている。

○発病とは、これらの毒素がある時期に至り、浄化作用が起って体外へ排泄されようとすることを指す。

○種痘は、天然痘の毒素の排泄を停止させ、その毒素の浄化作用を弱らせる(陽性毒素を陰性毒素にする事)のである。

○種痘によって毒素そのものが消滅したのではなく、陰性(陰性天然痘毒素)となって体内に滞溜する事となったのである。

『病原としての天然痘毒素』

陰性化されたる天然痘毒素は、いかなる作用をなすやというに、人体内のいずれかに浄化作用によって集溜するのである。その集溜する個所は、感冒の項に述べたる通りの個所にて、感冒の浄化作用停止が回を累(かさ)ねる結果、肺結核となるのであるから、近来の結核の増加は、感冒を防止する事により、感冒は陰性化天然痘毒素であり、それは又、種痘の為であるから、結核増加の根本的原因は、種痘という事になるのである

この毒素は独り結核のみではない。あらゆる病原となるのであって、例えば、結核と同じく、激増しつつある腺病質の虚弱児といえども、右の結核と同様の経路にて、感冒防止が原因である。又近眼の激増もこの毒素であって、これを説明してみる事にする。

近眼は、子供が小学校へ入学してから発病するものであるのはどういう訳かというと、急に頭脳を働かせるので、しかも、机に向い頭を下げつつ勉強する為、後頭部の下辺、延髄付近にこの毒素が溜結するのである。近視眼者の右の部を診査すれば必ずそうなっている。しかるに、視力の活動は一定のエネルギー即ち血液を消耗するのであるが、その眼に供給する血管が右の部に近き為、溜結の圧迫によって圧縮され、血液の供給が不足する為に視力が減殺され、遠方を視得るだけが不足するのである。医学の方で近眼の瞳は楕円形であるから治らぬというが、それは結果であって原因ではないのである。

その他、あらゆる病原となるのであるが、この毒素の外に、薬毒、尿毒――等も説明をし、この三毒による病原を詳しく説明する事にする。

責任者:

ここでの重要なポイント。

○陰性化されたる天然痘毒素は、人体内のどこかに浄化作用によって集溜する。

※集溜凝結する局所は、特に神経を働かせる個所、(頸部の周囲、及び頭部、両肩部等を主なるものとし、肋骨、骨盤、腎臓、股間リンパ腺(特に右が八、九十パーセント)稀には、胸部を中心とする腹部、肩胛骨、横隔膜の下辺等)である。

○種痘によって、陰性(陰性天然痘毒素)となって体内に滞溜しているのが感冒であるのに、感冒の浄化作用停止を繰り返す結果、肺結核となる(結核増加の根本的原因は、種痘である)。

○腺病質の虚弱児も、上記の結核と同様の経路にて、感冒防止が原因である。

○近眼の激増もこの((陰性天然痘毒素)毒素である。

『薬剤の毒(一)』

天然痘毒素の外に薬剤の毒、すなわち薬毒という毒素が、いかに恐るべきものであるかを説明してみよう。

古今東西を問わず、病気に対する薬物療法は、人類にいかに根強く浸潤したであろうか。病気に罹れば薬を服(の)むという事は、腹が減れば飯を食うという事程、それは常識となっている。しかるに驚くべし、薬物は〃病気を治癒する力〃は全然なく、反って病気を作る即ち病原となる――という、恐るべき毒素であるという事を、私は発見したのである。到底信じ得べからざる大問題であるが、しかし、真理は飽く迄真理であって、いかんとも為し難き事である。

昔有名なる漢方医の言に、「元来薬という物は世の中にない。皆毒である。病気の時薬を服むのは、毒を以て毒を制するのである」と言った事を私は何かの本でみた事がある。実に至言なりというべしである。又、毒薬変じて薬となる――という諺(ことわざ)もある。なるほど痛みに堪えられぬ時、モルヒネを注射すれば、立所に痛みは去るのである。これは痛む神経がモヒの毒で一時的麻痺するからである。これは医学でも判っているのである。

私は、最初の方で病気の原因は、浄化作用であり、浄化作用は苦痛が伴う――その苦痛が病気であると説いてある。即ち人間は誰しも苦痛は厭だ、早く免れたいと思うのは判り切った話である。その場合、苦痛を除るには、二つの方法しかない。一つは完全に除る――という事、それは排泄さるべき毒素を、全部排泄さして後へ残さない事である。今一つの方法は、一時的苦痛から遁(のが)れる事である。それは、苦痛の起る以前の状態に還元さす事である。それは、浄化作用を停止し、浄化作用の起らない時の状態にする事である。ところが、前者の完全排泄は自然治癒法であるから時がかかり、であるから、早く苦痛から逃れたい――という事が、今日迄の薬物療法は固より、あらゆる療法を生み出したのである。又、今日迄の医学では、右の原理も分らなかったのである。

責任者:

ここでの重要なポイント。

○メシヤ様は、「薬物は〃病気を治癒する力〃は全然なく、反って病気を作る即ち病原となる――という、恐るべき毒素である」という事(真理)を発見されたのである。

○病気の原因は、浄化作用であり、浄化作用は苦痛が伴うということ。その苦痛を除る方法としては、完全に除る(排泄さるべき毒素を、全部排泄さして後へ残さない)方法と、一時的に苦痛から遁(のが)れる(浄化作用を停止し、浄化作用の起らない時の状態にする)この2つの方法があるのだということ。

○「早く苦痛から逃れたい」という事が、今日迄の薬物療法は固より、あらゆる療法を生み出したのだということ。

『薬剤の毒(二)』

人間が病気に罹るとする。熱が出る。痛み、不快、咳、痰などが出る。薬を服むと軽くなる。ちょうど、薬によって病気が治るようにみえる。しかし、度々言った通り、早く苦痛から逃れたい――という事が、今日迄の薬物療法は固より、あらゆる療法を生み出した。ところが、それだけなら未だいいが、その服んだ毒はどうなるであろうか、それが問題なのである。

ここで説明をしておくが、人体には毒素を嚥下(えんか)すると、解毒又は排毒作用が行われるようになっている。しかし、毒といってもほとんどが食物の毒である。であるから、人体内には、食物だけの解毒作用の力はあるが、それ以外の毒素の即時解毒作用の力はないのである。であるから、食物以外である所の薬毒の解毒作用は全部行われないので、ある程度体内に集溜する。それは矢張り天然痘毒素の場合とひとしく、神経の集注個所である。故に、こういう理屈になる。陰性天然痘毒素の溜結が浄化排除作用が起った時、それを止めて新しき薬毒を加える――それが薬物療法の結果である。従って、今度は二元的毒素となって溜結する。それの浄化作用が起る。故に、第一次浄化作用より、第二次浄化作用の方が毒素の加増によって悪性なのは勿論である。故に、第二次浄化作用即ち再発の場合は初発より押並べて悪性であるのは、この理に由るのである。右の理由によって、第三次、第四次も起り得るのである。

責任者:

ここでの重要なポイント。

○「早く苦痛から逃れたい」という事で薬を服み苦痛が軽くなるが、その服んだ毒はどうなるのかが問題である。

○人体内には、食物だけの解毒作用の力はあるが、それ以外の毒素の即時解毒作用の力はないので、薬毒(食物以外)の解毒作用は全部行われないので、ある程度体内(神経の集注個所)に集溜する。

○第一次浄化作用より、第二次浄化作用の方が毒素の加増(苦痛から逃れる為に服薬するので)によって悪性であり第三次、第四次浄化作用も起り得るということ。

『尿毒』

独逸(ドイツ)の医界の泰斗○○氏の説によれば、「万病は尿酸が原因である」という。この尿酸というのはここにいう〃尿毒〃の事であろう。陰性天然痘毒素が神経集注個所へ溜結し易いという事は、度々述べた通りであるが、人間の作業上腰部に力を入れる関係上、腎臓部に溜結するのである。これはゴルフ愛好者に特に多いのにみても瞭かである。この溜結が腎臓を圧迫する為に、腎臓が萎縮するのである。従って、その萎縮の程度によって、例えば完全腎臓は十の尿を処置し得らるるのが、萎縮腎臓は、その萎縮の程度、例えば、九の尿を処置するとすれば、一の尿は体内に滞溜するという訳で、その余剰尿〃一〃が即ち尿毒である。この尿毒も二元毒素と同じく、神経集注個所へ溜結するが、この毒素は特に位置の関係上、腎臓部、腹部、股間リンパ腺、腹膜、肩部(肩の凝り)、頸部等へ集溜し勝ちである。但し、左右いずれか萎縮する方が、尿毒の滞溜が多いのである。但だこの尿毒は、天然痘毒素には限りあり、薬毒も使用するだけのものなるが、尿毒においては、二六時中間断なく製出するものなる故、この点特に始末が悪いのであるこの尿毒と併せて、大体三毒がすべての病原となるのである。

責任者:

ここでの重要なポイント。

○人間が作業をするときに腰部に力を入れる関係上、陰性天然痘毒素が腎臓部(神経集注個所)に溜結し、腎臓を圧迫する為に、腎臓が萎縮するのだということ。

○萎縮腎臓は、その萎縮の程度により、例えば、九の尿を処置するとすれば、一の尿(余剰尿)は体内に滞溜し、その余剰尿が尿毒である。

○尿毒は特に位置の関係上、腎臓部、腹部、股間リンパ腺、腹膜、肩部(肩の凝り)、頸部等へ集溜し勝ち(但し、左右いずれか萎縮する方が、尿毒の滞溜が多い)だということ。

○尿毒は「天然痘毒素」と「薬毒」と比べてみても、二六時中間断なく製出するものなので特に始末が悪いのだということ。

○「尿毒」と「天然痘毒素」、「薬毒」併せた「三毒」がすべての病原となる。

『三毒』

天然痘毒素、薬毒、尿毒の三毒は、病原であるという事は、大体説いたつもりであるが、これらの毒素の性質作用等に就て述べてみよう。然毒は、遺伝性であるから古いのである。この三毒共、その浄化作用の場合、古い程痛苦が軽く、新しい程その反対である。従って、然毒に因る痛苦は比較的緩和であって、尿毒による痛苦は然毒よりも大体強いのである。しかし、薬毒においては、その痛苦が前二者に比して断然強いのである。しかし、薬毒においては、漢薬と洋薬とは異なるのである。例えば、漢薬は鈍痛苦であって範囲は洪(ひろ)く、洋薬は激痛苦であって局部的である。しかしいずれも、服薬に因る痛苦は、ある程度に止まるものであるが、注射に因る痛苦に至っては、その激烈なる言語に絶するものすらあり、これらは、当事者の恒(つね)に見聞する所と思うのである。そうして、この痛苦とはいかなる原理かというに、浄化作用とそれの停止作用との衝突の表われであるから、最も激しい痛苦という事は、最も浄化作用の旺盛なる身体へ、最も強力なる毒素によって停止せんとする大衝突であるという訳である。この理に由って痛苦の激しいのが、老人でなく青壮年に多いのである。故に、この理がはっきり呑込む事が出来れば、病気で死ぬという訳も判るのである。即ち、浄化作用停止による苦痛の為の衰弱が主なる死の原因であるという事である。

責任者:

ここでの重要なポイント。

○三毒共、その浄化作用の場合、古い程痛苦が軽く、新しい程重い。

○三毒の性質作用としては、「然毒」は、遺伝性であるから古く、その痛苦は比較的緩和であり、「尿毒」による痛苦は然毒よりも大体強く、「薬毒」においては、その痛苦が前二者と比べると断然強く、漢薬と洋薬とは異なる。

○漢薬は鈍痛苦であって範囲は洪(ひろ)く、洋薬は激痛苦であって局部的である。

○服薬に因る痛苦は、ある程度に止まるものであるが、注射に因る痛苦に至っては、その激烈なる言語に絶するものすらあるということ。

○痛苦とは、浄化作用とそれの停止作用との衝突の表われである。

○浄化作用停止による苦痛の為の衰弱が、主なる死の原因であるという事。

責任者:

ここからは、毒素排泄作用についてメシヤ講座・特選集より御教示いただきます。

 

「メシヤ講座・特選集」no.88(平成20年5月分)より抜粋:

(前文割愛)

アトピー性皮膚炎と毒素排泄作用

楳木先生:

(前文割愛)

そんな中で、今回は埼玉県のS.Hさんが写真を提供してくださいました。まずその写真を見ていただきましょう。

Sさんのお孫さんのアトピー性皮膚炎の写真です。上は最も悪く見える時(ピーク時)のものではないそうですが、症状がよく判ります。下は全快した後の写真です。利発な姿が微笑ましく、健康状態がよく判ります。

Sさんのご長男が写真を添付してメール送信してくださったのですが、「薬を使わないでアトピーが治ることは、奇蹟でもなんでもないということと、薬が最悪なものであるということを強調するために使っていただけたら幸いに思います。」という添え書きをいただきました。もっともな内容です。

「アトピー」とは、もともとラテン語で「奇妙なアレルギーの病気」といった意味合いを持つ言葉だそうですが、川島眞氏(東京女子医科大学皮膚科教授)は、渡辺淳一氏との対談(週刊現代・2008/5/24)で次のような発言をしています。

「私が医者になった昭和50年代は、アトピー性皮膚炎はたいした病気ではなかったんですよ。子供がアトピーになっても、小学校の高学年か中学生になる頃には、大体みんな治っていく。診察に連れてきたお母さんに、“お子さんはアトピー性皮膚炎ですね”と言っても、“これ、アトピーって言うんですか?”と全然関心がないくらいで。」

この発言内容と佐藤さんの文面を併記しますと、実は同じ意味のことを述べていることがお解かりいただけると思います。かつては、医者から見ても「みんな治っていく」ものだったのです。それは、毒素排泄作用であるので、毒素排泄期間が終了すれば、自然に治るのです。それが何故、今日では治りにくいもののように捉えられてしまっているのでしょうか。

それは、このように語る川島教授もステロイドを推奨している一人ですので、現代においてはすぐに治療と称して薬を使ってしまいます。これが大きな原因です。と言うのも、本来の毒素排泄作用を止めてしまい、結果的に治りにくくしているのです。また、皮膚に出る症状を薬で押さえ込んでも、喘息によって毒素排泄作用を起こす方も多いようです。

薬の使用の結果は、前回のHさんの報告で「当時娘は重症で三種類の塗り薬と、かゆみ止めの漢方薬を病院で処方されていましてが、薬を塗れば一時的にはきれいになりますが、しばらくすると湿疹が出てしまい、一向に回復の兆しが見えず不安な毎日を過ごしていたのです。」と書かれていた通りです。

ですから、薬を止めることで治り始め、浄霊をいただくことで毒素排泄を促進させるので、結果的に早く治るのです。ただ、この場合でも、食生活の改善に努めるほか、本人の一日の入浴回数を増やすことと、家屋の一日の清掃回数を増やすことを心掛けねばなりません。」

責任者:

ここでのポイントと御教示。

○「アトピー」とは、もともとラテン語で「奇妙なアレルギーの病気」といった意味合いを持つ言葉。

○かつてアトピーは、医者から見ても「みんな治っていく(毒素排泄作用であるので、毒素排泄期間が終了すれば、自然に治る)」ものだった。

○現代においては、すぐに治療と称して薬を使ってしまう(本来の毒素排泄作用を止めてしまう)ので、これが治りにくくしている大きな原因である。

○皮膚に出る症状を薬で押さえ込んでも、喘息によって毒素排泄作用を起こす方も多い。

○アトピーは、薬を止めることで治り始め、浄霊をいただくことで毒素排泄を促進させるので、結果的に早く治るが、その他、食生活の改善に努め、本人の一日の入浴回数を増やすこと、家屋の一日の清掃回数を増やすことを心掛けるようにするということ。

浄化作用の意味がよく判る写真

楳木先生:

また、Sさんはご次男の瘭疽の写真も提供してくださいました。下の写真がそれです。高校一年生の時の写真で、一週間で完治したそうです。この写真では腫れた部分の緑色が鮮やかに見て取れ、判り易いのでお借りした次第です。

この写真は、Hさんが述べた「一週間も下痢が続いたり、緑色の便や漢方薬の臭いのする便も出ましたが、浄霊をいただき始めて3ヶ月過ぎた頃から身体に出ていた膿が徐々にきれいになっていき約一年後には完全にきれいにしていただきました。」ということに共通する写真です。

私も高校三年生時に瘭疽を患いまして、右手親指が倍以上に腫れましたが、残念ながら写真はありません。それ故に、大変貴重な写真に思えてなりません。私は、当時の先達から「結核予防の浄化で有難い」との指導を受け、「母親が結核の闘病生活で薬漬けになった後の子供だけに有難いことなんだ」と考え、痛みに耐えました。

血膿が出始めた際に、指先を浄霊しても大して出ないのに首筋を浄霊するとドッドッと出た時の感触は今でも鮮明に覚えております。浄化作用とは何と有難いものなのか、浄化作用は神様の愛の証なのだ、と心底思った瞬間でした

Sさんのご次男は私よりも遥かに保有毒素が少ないために、指先に排泄毒素を集中させることができて一週間という短期間で浄化終了という御守護をいただかれたのだと推察できます。

浄化終了という言葉をどうか認識していただきたく願います

と申しますのは、Sさんのご長男の書簡で「薬を使わないで、アトピーが治ることは、奇蹟でもなんでもない」という内容は、「浄化作用が終了すれば症状が治るのは当り前」ということなのです。そしてまた、これは御教えにより真理を知ったからこそ言えることなのです。

そして更に、浄霊をいただくことにより浄化作用の期間を短縮していただけるのです。しかも、浄化作用の原理を知ると、安心して症状を見守ることができるのです。」

責任者:

ここでのポイントと御教示。

○瘭疽は、有り難い結核予防の浄化である。

○浄化作用とは有難い神様の愛の証である。

○「浄化終了」という言葉を認識するということ。

○御教えにより真理を知ったからこそ「浄化作用が終了すれば症状が治るのは当り前」だと言えるし、浄霊をいただくことにより浄化作用の期間を短縮していただける。

○浄化作用の原理を知ると、安心して症状を見守ることができるということ。

 

以下のメシヤ講座で前回お知らせした「浄霊法講座」頒布の趣旨についてのご説明をいただいておりますので抜粋させていただきました。

「メシヤ講座・特選集」no.80(平成19年9月分)より抜粋:

浄霊の概念

楳木先生:

(前文割愛)

今月はメシヤ講座参加者に「浄霊法講座」を頒布しますが、頒布の趣旨について次のように記述させていただきました。

「メシヤ様の御名を唱えて授かる浄霊力は、すでに急所を論じなくとも良い程に強化されています。しかし、浄霊の原理や神律、思想を探求し体得する過程においては、急所を知ることも大切なことです。また、日常生活で私達を取り巻く化学物質の影響を受けて生じる身体の異変に対して考察する原点としても重要な意味をもちます。成長過程で染み付いた精神の癖を変容させ修正を加える場合にも拠り所になります。(以下略)」

浄霊力が強化されていることを活用するために、認識を新たにしていただきたいことは「私達の肉体はどういうものか」ということです。約38億年前に地球に生命が宿って進化を遂げ、最後に出現したものが人間です。ですから、人間は地球上の生命の全てを包含した、言わば総合的な存在だということです。

 

以前、蜂に刺されてショックを起こす原因を、「蜂の毒を人間も有しているが純度と量によって起こす」ということで説明したことがあります。そこにヒントがあります。例えば、蜂の毒を有しながらも普段は存在せず、必要時に精製して分泌しつつ活動を続けているのが人間の肉体なのです。

かつて日の丸弁当というものがありました。ご飯の中に梅干が一つ入っているだけの弁当です。これは現代の栄養学では欠陥弁当ですが、その弁当を食べて肉体労働を続けた時代がありました。その時代の人々の手で現代の繁栄の礎が築かれました。

栄養学的には不十分であっても、ご飯だけでも、それを食することによって肉体は必要な化学物質を作り出しているのです。肝臓が主として担っております。解毒作用と共に必要な化学物質の精製を行っているので、肝臓が化学工場と言われる所以です

こうしたことから分るように、人間の肉体は全ての生命の総合体のようなものなので、健全であればどのような異変に対してもオールマイティに対応できるのです。

先程の「純度」ということでは、薬毒のうち、洋薬は純度が低く漢方は純度が高い、という見方ができます。洋薬は許認可を受けるために一回の摂取における人体への影響を考慮しています。漢方は何しろ「煎じる」という言葉があるほどです。

これが毒素の排泄に多大な影響を与えることは御教えにある通りです。洋薬の方が痛みは伴いますが、排泄され易いのです。漢方の方は鈍痛を伴い、排泄には時間が掛かるのです

また、幾度か胎児が辿る生命誌について触れてきましたので、そのことを思い出していただきたいと思います。

卵が受精と共に細胞分裂を重ね、やがて水中動物から陸上動物へと形を変えてまいります。その劇的な変化(血液を造る場所が変わる)の時に「悪阻(つわり)」が起き、胎児を安らかにするために母体を安静にさせる、しかもそのことにより妊娠を自覚させる、という極めて巧妙な仕組みがあることもお話しました。

因みに、流産した場合『五ヶ月を過ぎていたら祀ってやらねばならない』という御教えの裏付は、その時期にほぼ人間の形になるということにも繋がっています。

そして、未熟児で誕生した場合に、保育器で育てると視力に障害が起きる可能性があると懸念されています。これは、かつては保育器に問題があると解釈されていましたが、そうではなく、臨月を迎える最終段階で視神経が行き届くので胎児でいた方が条件が良いからなのです。

こうしたことを見つめてゆくと、先程の「人間は生命の進化の最後に誕生したものである以上、総合的な存在である」ということが再認識できるのではないでしょうか。

ですから、浄霊をいただくと、全ての生命の総合体としての働きができるようになります。そのことを先ず認識していただきたいのです。

また、浄霊はあらゆる因縁を解消する絶対力でもあります。今月(9月)は思いもよらぬ浄霊の奇蹟の報告がありました。極めてプライベートな内容なので、何れ時期が来たら体験記にまとめていただけると思いますが、深刻だった因縁の解消を許された方がいらっしゃいます。

既成概念で浄霊力を捉えたままでは絶対力を弱めてしまいます。メシヤ様のご神格の再認識が重要であると共に、既成概念から脱した浄霊観を持つことが求められます

 

 

編集後記

責任者:

だれもが当たり前のように種痘を接種していた昭和の時代に生まれた私は、メシヤ様の御教えに出会うまで種痘の害も知らず生活していました。

今回の学びの中で特に考えさせられる部分がありました。『種痘の効果は、天然痘に罹らないという事は知らぬものはない程明かである。しかしこれに稽(かんが)うべきは、天然痘に罹らないという事は、天然痘の毒素が解消したという事ではない。』という部分です。しかもその種痘によって、陰性(陰性天然痘毒素)となって体内に滞溜しているのが感冒であるのに、感冒の浄化作用停止を繰り返す結果、肺結核となる(結核増加の根本的原因は、種痘である)ということですし、腺病質の虚弱児も、感冒防止が原因であり、近眼の激増もこの((陰性天然痘毒素)毒素なんですよね。知らずに接種させられていたわけですから…、驚愕いたしました。しっかりと浄霊をいただきつつ過ごさせていただかねばならないなあと強く感じた次第です。

それから、もうお盆に入っている地域もあることと思いますが、研鑽資料no.1(2018年8月分)にお盆について纏めてありますので、そちらを参照して慰霊にお勤めいただきたく思います。

どうぞ宜しく、お願い致します。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

 

メシヤ講座・特選集no.88(平成20年5月分)

メシヤ講座・特選集no.80(平成19年9月分)

 

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