研鑽資料no. 32(2020年2月)

2月の学び

はじめに

責任者:

前回は私達が節分、立春祭を迎えるにあたっての姿勢づくりをするための資料を纏めさせていただきました。その資料を繰り返し読む中で〝節分祭に奏上する神言(大祓祝詞)は、私達一人一人が、その大意(資料「『神言』の手引き」へ)を理解した上で奏上させて頂くことがとても大切なのだ”ということを覚らせていただきました。皆様は、どの様に捉えられておられるのでしょうか。

さて今回は、節分、立春祭後の私達の過ごし方を「『景仰』を如何様に拝読するか」より探ってゆこうと思います。

 

「メシヤ講座・特選集no.74(平成19年3月分)」より抜粋:

(前文割愛)

「景仰」を如何様に拝読するか(11

『起きたらまっさきに私に挨拶を』の項

≪本文≫

昭和二十五年ごろ、私はまだ「おひかり」をいただいておらず、ある会社に通っていましたが、土曜日から箱根へ行って、明主様(メシヤ様)の所へ一晩泊めていただくことがよくありました。

そして翌日、つい寝坊してしまい、洗顔もそこそこに出て行きますと、明主様(メシヤ様)はもう日光殿のご講話を終わられ、ブラブラと帰って行かれるところだったということが、何度もありました。

そういうとき、明主様(メシヤ様)は、『ねぼけまなこでもいい。起きたらまっさきに私に挨拶すればいい』とおっしゃいました。

いまとなっては全く恥ずかしい思い出ですが、明主様(メシヤ様)は一度もいやな顔をされませんでした。

あるとき、「若いのに寝坊して申しわけありません」とお詫びしましたら、明主様(メシヤ様)は、『なにを言ってるんだ。きみより私の方が若いよ。私の方が若いから早く起きるんだ。きみは年をとっているから寝坊するんだ』と笑って言われたことがありました。(親族)

≪解説≫

楳木先生:

この文章は、『特別扱いはいやだ(全文へ)』と『挨拶は何度でもよい(全文へ)』の項に挟まれる構成で編集されています。両項も併せて拝読すると、メシヤ様が挨拶についてどの様にご指示されたかを窺い知ることができます。側近者には側近者のように、信者には信者のように、未信者には未信者のように挨拶について説かれています。そして、メシヤ様への挨拶が朝夕拝の原点なのです。

御前にメシヤ様がご鎮座されていると拝すれば、自ずと御神前の佇まいや自分の姿勢、祝詞の発声が整ってまいります。しかもそれは、信仰の深まりと共に変わってまいります。

例えば、御教えでは挨拶する場合の方向について述べられている項があります。『大抵の人は部屋へ入りお辞儀をする場合でもほとんど的外れである。壁へ向かってするもの、障子へ向うもの、庭へ向うもの等、実に千差万別である(『日本人と精神病』全文へ)

メシヤ様は、そうしたことを絶えず注視されていましたので、私達も御神前の三宝の位置や向きというものに気を配ってゆかねばならないことになります。また、お花の位置もバランスよく置かれているのか、ということも大事になってきます。このように心掛ければ心掛けるほど、奥行きを伴ってまいります。

しかし、『ねぼけまなこでもいい。起きたらまっさきに私に挨拶すればいい』とおっしゃっています。メシヤ様はそれぞれの差を十二分に汲んでくださる、ということです。しかも『一度もいやな顔をされませんでした』とあります。

メシヤ様の御姿に求道心を掻き立てられます。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記いたします。

〇朝夕拝の原点はメシヤ様への挨拶なのだということ。

〇信仰の深まりと共に、御神前の佇まいや自分の姿勢、祝詞の発声が自ずと整い(奥行きを伴い)変わってくるのだということ。

 

「メシヤ講座・特選集no.74(平成19年3月分)」より抜粋つづき:

会話の原点

楳木先生:

これは、さらには「挨拶が会話の原点である」という意味合いを再確認するべき、事例でもあります。

とかく家庭で会話が成り立たない、などという話題が多く聞かれますが、会話の原点は挨拶なのです。ですから、まず挨拶をする、ということを心掛けることが、家庭生活や職場、学校でも最重要課題なのです。例え忙しくて時間が取れなくとも、挨拶だけは交わしなさい、という実践徳目でもあります

地域では、どなたとも挨拶を交わしているような場所では治安が維持される、とよく言われます。挨拶は大きな働きを持っているのです。

また、「街角では先に挨拶をした方が勝ちだ」とよく言われます。後で挨拶する場合は、一言添えなければならないからです。円滑な人間関係を築くために、そのように躾けられてきました。

その一面が、この文章にはユーモアたっぷりに綴られています。

言葉を練る

私達は挨拶というものを足掛かりに日常の言葉の使い方を考えさせられます。メシヤ様は『信者たるもの、常に魂を磨き、言葉を練り、上魂の人間たることを心掛けるべきである(『言霊の偉力』全文へ)。』と、信者の課題を御教え下さっていますが、言葉を練る原点が挨拶であるのです。

その上に「嘘をつかない(『我を去れ』全文へ)」という厳然たる姿勢が求められます。

そして『罵詈怒号のような声を聞いたり、愚痴や泣き言を聞かされたりすることが何よりも辛いのである。又一つ事を繰返し聞かれる事も随分辛い。どこ迄も平和的、幸福的で、これが私の本性である』とも述べられています。

ご承知のように『私というもの(全文へ)』という御教えです。この最後には『私の最大目標である地上天国とは、この私の心が共通し拡大されることと思っている』とあります。日々の課題とさせていただいたならば、きっと地上天国への道は開かれてまいります。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記いたします。

〇私たちは「挨拶が会話の原点である」という意味合いを再確認し、常に挨拶をする(円滑な人間関係を築くためにも)、ということを心掛けることが、最重要課題でありそれが信仰者としての実践徳目なのだということ。

〇「挨拶」というものを足掛かりに、日常の言葉の使い方を考えさせられるので、言葉を練るということの原点が挨拶であり、更に「嘘をつかない」という厳然たる姿勢をメシヤ様から私達は求められているのだということ。

〇以上のことを、私たちが日々の課題として実践したならば、必ず地上天国への道は開かれてゆくのだということ。

 

編集後記

責任者:

メシヤ様、ご先祖様、家族への挨拶から毎日が始まりますが、毎日のことなのでついつい心が疎かになりがちです。今回「挨拶が会話の原点である」ということを学ばせていただきました。メシヤ様が御教え下さっている『信者たるもの、常に魂を磨き、言葉を練り、上魂の人間たることを心掛けるべきである』という課題に立ち返り、2月の課題として過ごさせていただこうと思います。

有難うございました。

 

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座・特選集no.74(平成19年3月分)

 

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