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10-1、眼科

(1)目の浄霊に関連して

「御教え集」21号、昭和28(1953)年5月15日発行

それから、ついでに話しますが、目が悪いのは、左と右の延髄の真中の後頭部の所ですから、目の悪い人はそこを中心にやればいいです。これは実にはっきりしてます。目の急所は後頭部のちょっと下の所に必ず固まりがあります。そういう人は目が悪いのです。近眼もそうです。それから右の目の場合は左に固まりがあります。これは交換神経が頭を中心に交叉してますから、逆になるわけです。

「御教え集」24号、昭和28(1953)年8月15日発行

近眼、トラホームという目の病気は、後頭部に必ず固まりがありますから、これを溶かせば盲目でも必ず見えるようになります。茲に固っているのはやっぱり肩から来ます。茲に固まりがあって、こういうように肩から来ます。そういうように固っている人で、目の見えない人は随分あります。そういう人はまず目の後、と言った処で中心がありますから、その交錯した中心の固まりをとれば必ず見えて来ます。ただそれを溶かすには相当かかります。これは出来るだけ力を抜いて中心を狙ってやると、幾分ずつ溶けて来るから見えて来ます。だから盲目を治すのも別に難かしいことはありません。

「御教え集」32号、昭和29(1954)年4月15日発行

二重橋事件で目が見えなくなった山田けい子という十一になる子供に関し、写真なども出して、大変な医学の功名のように報じてますが、あれは何でもないのです。どうも医学だと屁みたいなことでも大変なことなように有難がるし、こっちの方のどんな素晴しいことでもテンデ見向きもしないという馬鹿馬鹿しい世の中です。あれは、頭を打ったので内出血して、出血が目の裏に固ったものです。ですからウッチャラかしておくと、一、二年たつと膿になり、目脂になって出てしまうのです。浄霊なら訳はないです。医学ではそれが出来ないから脳に穴をあけて血の固まりを取り出したというのだから、別に大した理由はないので簡単なものです。清水健太郎という博士で、その方の権威としてあるのですが、これは最初やったのはポルトガルのモニーという教授です。それが最初脳に穴をあけて、そういう手術をしたのですが、それを日本で真似をしたわけです。つまり今の文明――(大体科学ですが)というものは、ごく幼稚なものなのです。

「御教え集」32号、昭和29(1954)年4月15日発行

あれは頭を打ったので内出血になって、その血が視神経の側に固ったわけです。だからこれはウッチャラかしておけば、膿になって、一年か精々二年ぐらいの間に目ヤニになって出てしまって、それですっかり治るのです。眼球は別になんでもないのです。ただそれだけのものです。それを脳や頭蓋骨に穴をあけて出血の固まりを取ったのですが、そんな手数をかける必要は何もないのです。浄霊なら上から出血を溶かしてしまいますから、これはずっと早く、一週間か十日で治ってしまうものです。ウッチャラかしておいても、子供だから早いので一年とみればよいです。

「御教え集」32号、昭和29(1954)年4月15日発行

それで手術ですから、消毒薬を沢山使いましたから、その悩みが今に出ます。それは、頭に消毒薬が染みて、それが毒になって、今に必ず頭痛があります。

 

(2)眼球注射について

「御教え集」6号、昭和27(1952)年2月25日発行

「眼球注射」というのは悪いんですよ。目の玉に直接入れるのは悪いんですからね。

眼球注射と言うものは、段々目ヤニになって出ますからね。その代り何年か経って出るんですがね。

 

(3)星眼の原因について

(御教え)

「私の長女(三十六歳)は十歳の時耳が悪くなり、二十一歳の頃中耳炎に罹り切開手術を受け、その後耳がだんだんに遠くなりました。そして二十三歳で嫁ぎ間もなく男子を死産致しました。三十歳の頃左の眼に星が入りあらゆる医者に診て貰いましたが、一向に良くならず、遂に右の眼も同様に見えなくなり、日夜不安の日を送っておりましたが、九月頃より段々と視力も減退してまいりました。御伺い申し上げます。」

『左の眼に星が入る――浄化星とは眼に「おでき」が出来るのである。それを治療したために止められて、もう一方の眼から出ようとするので両眼見えなくなっている。それで見えなくなったのは薬毒の浄化で、元の(発病時)薬毒がとれた事を示しているのである。』

(御教え)

「未入信の婦人、眼の浄化(星眼)を戴きました。背に赤い二、三十の斑点が出来ておりました。一回の御浄霊でその斑点はなくなりましたが、黒眼が半分以上白くなって段々見えなくなりました。御伺い申し上げます。」

『大抵霊的ではありません。眼の白くなったのは薬により段々拡がり、ある程度拡がると後で目脂等により出ます。眼病は人の目をくらます等のことをすると罪穢が溜るのですが、浄化を起すのです。』

 

(4)薮睨みの霊的、体的な原因

(御教え)

「薮睨みは霊的でしょうか。また幼児の間なら全快致しましょうか。」

『これは治ります。霊的と体的と両方ありますよ。霊的の場合は眩しくて正視出来ないんですね。眩しいというのは地獄にいた時の苦しみが未だ眼に残っているんです。前世において人の目をくらますとか、ごまかすとか、あるいは盲だったとかね。それがまだすっかり浄化されないうちに、この世に生まれて来たんですね。それから体的にはね、眼の筋が吊れているんですよ。毒の固まりがその筋を圧迫しているんです。ですから浄霊によってどちらも治りますよ。』

 

(5)乱視の原因について

(御教え)

「四十一歳の男子。二十五歳の頃から軽度の乱視になり段々度が進みます。乱視の原因、浄霊個所を御教示下さい。」

『乱視は茲ですよ。この延髄の所に固まりがあって、それが眼を圧迫して――人によって毒が動揺することがあるんですが、そのために血の流通が妨げられて、眼に行く血の量がむらになるんですから、ここの延髄の所をとれば何でもなく治りますよ。』

 

(6)数年前から視力が鈍り始め、現在全く見えなくなってしまった老人

(御教え)

「六十七歳の男子。数年前より視力が鈍り始め、今では全く見えなくなっております。朝、眼の覚めた時には掌の筋まで見えるのですが、すぐにボーッとなって全く見えなくなります。治るもので御座いましょうか。」

『この人の眼は綺麗でしょう? これはね、眼の裏に毒が段々溜ったんですよ。簡単に治るものですがね。眼薬をつけているでしょうから一寸時間がかかるけれど治るには治ります。大体頭をよくやるんですね。殊にこういう所をね。(御手で天帝、眉毛の上、脳天、後頭部を御示しになられる)目ヤニは出てるんでしょう? 出てれば治りますよ。御浄霊もよく奥へ通るような気持でやるんですね。』

 

(7)眩暈の原因について

(御教え)

「私は作業中眼が眩み、暫く横になっていると治ります。何故でしょうか。」

『これは首の廻りに毒があるんですね。特に右側の延髄がひどいから、そこをよく御浄霊すれば治りますよ。それから額に毒がある人はこれがまた「目まい」の原因になることがあります。これは額に手を当ててみれば熱があるから判ります。ここが冷たくなれば大丈夫です。』

 

(8)目薬を用いて、眼を悪くした人

「御教え集」2号、昭和26(1951)年10月25日発行

「私は昭和二十年十二月入信させて戴きました。入信前には胃が悪く胃散その他の薬を飲みました。八年前には子宮が悪く、医者に十日ばかり通い注射もしました。十二、三年前に目薬をよく致しました。入信後は年に四、五回胃痙攣の浄化を戴き、痔の出血の浄化を一年位戴きました。今年の二月頃より目の浄化を戴き、症状は両上瞼に次々と目バチコが出まして、下瞼は腫れて眼球は赤くなっております。片方は殆んど目が開かない状態にあります。現在毎日御浄霊を戴いておりますが、今だに目の浄化が続き、近頃は体も痩せて来ました。御浄霊の個所御垂示賜わりたく御願い申し上げます。」

『胃が悪いのは医者のためです。それから子宮が悪く注射した――これも祟ってます。目薬――目の悪いのはこのためです。胃痙攣と言うのは胃散が残っているんです。つまり眼病と言うんですね。目は一体に長くかかりますがね。痩せて来たのは、微熱があるからです。胃の薬は背中に固ってますからね。背中を浄霊すれば良い。痩せたんだから、食欲も減ったわけですね。背中の浄霊と――目薬を入れて、人間は仰けになって寝るからね。そこで薬がこっち(後頭部)に固まる。ですから、目の後を浄霊する。これは目もチャンと治ります。目ヤニが出ないかね。目ヤニが出れば良いです。』

 

(9)幼年時貧目と診断され、平常は近眼で黒眼に雲がかかり、目星が出たり物が二つに見えたりする娘

「地上天国」17号、昭和25年10月15日発行

「本年二十一歳になります女の信者。幼年の頃より目が悪く医師の診断を受けました処、貧目と言われ。十八年間種々の治療を致しましたが遂に治らず、本人の目は平常は近眼で黒眼に雲がかかり、物が二つに見えることもあります。時々目星のようなものが出来たり曇りがひどくかかって見えなくなったり致します。このような時には目脂が多量に出て堪え難い程の痛みが御座います。入信後一カ年半程御浄霊を戴いておりますが、同じ状態を続けております。」

『この目は頭脳内及び首肩の毒素が浄化作用によって、目に集中するのであるから、頭脳を第一に浄霊すれば必ず治る。目脂及び痛みがあるのは治る作用である。但し薬毒を沢山入れてあるから相当長くかかる。目脂、涙、痛み等は全部薬毒の排泄のためである。』

 

(10)生後毒下しを用い、下痢が止まると同時に眼が悪くなり、その後手術をした青年

「御教え集」8号、昭和27(1952)年4月20日発行

「二十六年十月入信の二十一歳の青年。生まれて二カ月目に頭にオデキが出来、毒下しを飲みましたところ、一カ年程下痢が続き、止まると同時に目が悪くなり、お大師様に御伺い致しますと、胎毒と衰弱のためで膿底翳との事で御座いました。五歳、六歳、七歳の時に両眼共手術を致しました。現在遠くの大きな物は見えますが、近くの小さい物は見えません。御浄霊はどこを致しましたら宜しいでしょうか。」

『底翳と言うのは、みんな膿なんだからね。毒下しだね。この毒が――下痢と言うのは、その毒下しの毒ですね。余程強いものですね。これが止まると同時に――と言うんだから、毒が目に来たんですね。その時分本を読むか、何か目を使ったんです。これは作った病気だ。大した手術じゃないんですよ。これも無論良くなるんですがね。これは治らないことはないですね。気長にやれば治りますよ。大した手術してないからね。浄霊は、一番肝腎なのは、後頭部の真中ですね。目はここが元なんですからね。これは何の目でもそうですね。近眼でも乱視でもね。後頭部から下った真中の所ですね。ここが、一寸丸位の所が目の一番の急所なんです。あとは、目の外からやって、ここ(後頭部)と――それが急所ですからね。あとは頸の廻り、肩と――無論固まりがありますからそこを浄霊する。それで治りますよ。』

 

(11)打撲した眼が、医療の結果失明状態になった中年の男

「御教え集」6号、昭和27(1952)年2月25日発行

「四十三歳の男子。六歳の頃右眼に打撲傷をし、約一カ年翳んでおりましたことが御座います。二十六年十一月二十五日夜籾摺の時、俄かに目が翳み、目薬をさしても思わしくなく、町の眼科医の診察では視神経と言われ、二、三日通い、はっきりしないので岡崎市立病院へ行き、左眼黒底翳、右眼白底翳と言われ、十日程通い、毎日両眼に眼球注射しましたが、何の変化もなく、名古屋大学病院で診断の結果、網膜炎と言われ、入院を奨められ、岡崎市立病院へ入院し、毎日眼球注射及び油薬を腕、胸、股に摺込みました。手術して牛の脳を股に入れよと言われましたが、手術直前に御道を知り、早速退院致しました。この時は両眼に三十四本の眼球注射をうち、両眼共に失明状態となり、十二月に妻と共に入信させて戴き、御浄霊を戴くようになってより、寝汗が出、気分も大変軽くなりました。両眼には余り変化がありませんが、多少充血し、一間程近づけば、黒くボーッと見え、言葉を聞いて、人と思う位の状態で御座います。」

「今後いかように進ませて戴きましたら宜しいでしょうか。また御浄霊の個所を御教えの程御願い申し上げます。」

『視神経障害とか、視神経麻痺とか言うんですがね。視神経と言うのは――病名じゃないですね。網膜炎の底翳は大変な間違いですね。網膜炎は眼球の外面ですからね。底翳と言うのは、裏面ですからね。医者の診断はそんなものです。分らないと言えば良いんですが、分らないと言うと値打が下ると思うんですね。あれが困る。要するに不正直なんですね。人間の命を預かる者が正直でないと言うのはなはだ困るんですね。』

『股に摺り込み――これは水銀軟膏ですね。黴毒の疑いがある。これも、別に難かしいのじゃないんですよ。これは、最初打撲症を受けましてね。この時内出血してあった、それが固まったんです。そこで、一旦見えるに差支えなかったんですね。それが、浄化が起って内出血が溶けて、眼の裏に溜った訳ですね。それで見えなくなった。こんなのは、放ったらかして置けば、もう治っているんですよ。お医者に行って、一生懸命に悪くして貰ったんですね。悪くされたんですね。』

『ですから、これは底翳には違いないです――裏に溜っているんだからね。併し、普通の底翳とは違う。内出血が溶けたものですからね。だからこれは、放って置けば段々出て来て、目ヤニになって治ったんですが、良い塩梅にお医者さんに悪くされたんですね。眼球注射と言うのは悪いんですよ。大体、常識で考えても分るんですよ。目の玉に直接入れるのは悪いんですからね。ですから、目の玉に注射して、治るのは一人もありませんよ。実に、医学と言う代物は困ったものです。』

『それから油と言う―― 水銀なんかをこするが、これは大したことはないが、勿論、良くはないですね。気長にやれば治りますが、眼球注射と言うものは、段々目ヤニになって出ますからね。その代り何年か経って出るんですがね。こういうのは、僅かずつ治って来ます。黒くボーッと見えると言うのは、幾らか効き目があったんですね。気長に、今言ったようにやると、段々少しずつでも見えると、希望が出て来ますからね。まあー結構でしたけれどもね。』

 

(12)眼がかすみ、底翳と診断された老婆

(御教え)

「六十九歳の女。昭和二十一年頃から眼がかすみ始め、医師は底翳と申し、暫く前より御浄霊をしておりますが未だ別に変りはありません。いかがでしょうか。」

『目薬ってのは固めますからね。一滴さしても固まるんです。この道の信者以外なら先ず普通目薬を使いますからね。眼の固った奴はなかなか溶けないんです。医学では目玉をくり抜いて裏をはがしてからまた入れて、医学の驚異的進歩って言いますがね。』

『御浄霊は前からでなしに後から眼を狙っやることが大切です。そして眼ヤニや涙が出だしたらしめたもんですよ。それから眼の上が肝腎ですね。毒素は眼の後、延髄の所から前に来て眉毛の上に出て、それから眼に下るんですからね。眼の上は肝腎です。やってみて眼の上が触って熱くなればしめたもんです。』

 

(13)白内障(白底翳)の老人

(御教え)

「私の父ですが、本年七十五歳、昭和二十三年一月に軽い脳溢血を、本年二月持病の心臓の浄化を尊いおかげにて、日々元気にさせて戴き有難く感謝致しておりました。処が五月末頃より眼がかすむと言い始めましてだんだんと見えなくなり、現在では人の顔もはっきりと見えなくなってしまいました。瞳は大きくなり、白いように思われます。朝夕御浄霊をさせて戴いてますが、痛みはなく、変化は、五日ばかり以前よりカスミが出て参りました。前に眼を患ったことはないと申してます。いかように御浄霊致しましたら宜しゅう御座いましょうか。また霊的な関係がありましょうか。右御伺いさせて戴きます。」

『さあ、霊的がないこともないけれどもね。頸筋のここ(延髄から頸部淋巴腺にかけて)に固まりがあるんです。それが溶けて頭へ来て、これ(前頭部)から眼に下るんですよ。白内障ですね。白内障ってのは、黒眼に膿が溜まるんです。その元はこっち(延髄付近)ですからね。この辺をよく浄霊するといいんです。治らないことはないけれど割と長くかかりますね。少しでも涙や目脂が出れば、それだけずつ減って行くんですからね。まあ気長にやるんですね。するといくらかずつよくなる訳です。』

 

(14)次第に視力が弱り、青底翳と診断された人

「地上天国 44号、昭和28(1953)年1月25日発行

「昭和二十三年七月、神経痛を色々と御守護戴き入信さして戴いた者で御座いますが、二十七年五月頃より左眼が次第に不明となり、八月頃には右眼も薄く見える程度になって参りました。家人にも知らさず支部に参り、時々御浄霊御願いしてましたが、十一月三日頃物につまずき主人にも話したところ(主人共四名入信)一応医師の診察を奨められ、そのままに医診を受けました。医師は、血液検査の結果「青底翳」で視力〇・二と言われましたが、そのまま御浄霊を御願い致しております。最近では一間離れましても人の顔さえ判然と致しません。御浄霊は眼の後及び後頭部、延髄を主とし一日支部にて二回帰宅後家人にも御浄霊して戴き、その都度涙のように二、三滴は出ますが目脂までは出ません。私はサフラン、中将湯の飲薬も相当やり、又死産の時手術し、腎盂炎で出血多量のため母体保護のためと申し、人工流産させたことがあります。なお今日にても月経がある程の毒血の持主であります。」

「御浄霊戴いておりましてこのように見えなくなって参りましたのは、内部の毒血が浄化して参り、外部に出て来るための一時的失明で、今後も続けて参りました時、必ず治るもので御座いましょうか。浄霊者は力をぬくことに留意致しておりますが、他に原因が御座いましょうか。御伺い申し上げます。」

『この人は後頭部から延髄付近にかけて固まりがあるから、それを溶かせば必ず治る。併し大分性質の悪い薬毒のため、溶けにくいから気長にやりなさい。いずれは涙か目脂が出るようになれば、少しずつよくなっていく。』

 

(15)青底翳の手術後、視力が衰えた青年

「御教え集」3号、昭和26(1951)年11月25日発行

「二十六歳の青年、九月二十五日に入信。十二歳の時から近視でしたが、二十五年十月終り頃から両眼が少し翳みかけました。二十六年一月医師にかかり、診察の結果「青底翳」とのこと、一月二十四日に手術を受けた結果、全然視力が衰え、現在では右眼の左下の所がキラキラ光って、物を見るのに苦痛で、字なども読めません。また後頭部も常に痛んでおります。浄霊の個所は眼球を直接させて戴いて宜しいでしょうか。またどこをさせて戴きますと宜しいでしょうか。またこれは長引きますのでしょうか。」

『手術を受けたら視力がありそうなものですがね。どういう手術をしたのですか。普通は眼球を抜いて裏の膿を取るんですがね。』

「眼の膿を取ったので御座います。一時見えましたが、直ぐ見えなくなりました。」

『直ぐに膿が溜ったんだ。これは治りますよ。眼の裏に溜まる毒を溶かして溜まらないようにすれば良いんです。やっぱり後頭部――眼の裏ですね。そこをやって ――毒と言うのは、後の方から頸筋を通って前頭部から下って来るんです(頭の上を通り)どこに一番毒があるかと言うと、一番熱い所があるからそこを多くやる。眼と言うのは、前から奥の方を狙ってやるんですね。結構ですよ。気長にやれば、きっと治りますよ。別に難かしいところはない。これは最初近眼だったんでしょう。』

「左様で御座います」

『近眼だから後頭部に毒がある人だね。毒ですね。』

「一度位の手術では治り方に差支えありませんでしょうか。」

『手術にもよるんですよ。眼の裏の膿を取るのは別に差支えない。これは取っても直ぐ溜るんです。お医者さんは実に単純なんです。そこだけの膿を取れば良いと思うが、後続部隊があるからね。この考え方だけでも、実に単純な――馬鹿々々しいものですよ。ですから、盲腸を取った人がやっぱり後で盲腸が痛む人がありますよ。と言うのは、盲腸にくせが溜るくせがつくんです。ですから、後で盲腸部に溜るんですね。それですから、医学の方では、少し位「そこひ」で見えなくなっても、もっと見えなくなるまで打擲らかして置いてくれ。と言います。こう言うのがあります。六十位の時に診て貰った処が、もっと溜り切った処で手術した方が良いと言うんです。というのは、あと溜る率が少ないんですね。それで十年位経ってから行った処が、あなたは年を取り過ぎていて手術は無理だ、と言ったそうです。実際、悲喜劇ですね。』

 

16、トラホームにかかり、医療の結果視力を弱らせた母娘

「地上天国」40号、昭和27年9月25日発行

「(一)愚妻(五十四歳)事三十六歳頃眼病(トラホーム)にかかり、約十年間程色々と医療薬物を用い、ただ今では左眼が失明しております。その間肺炎、心臓脚気等を病みました。(二)三女は五年程前より母と同じような眼病にて、右眼が段々と悪化して、今では薄く見えるのみです。御浄霊は家族または協力者方にも御願い致しております。いかが致しましたら宜しいか御教示御願い申し上げます。」

『右御家内の眼は、薬毒のため失明したのであるから、気長に浄霊すれば必ず治る。急所は後頭部下方に固まりがあるから、そこを浄霊すればいい、次女の腸結核は誤まれる医療のため、三女の眼は母親の遺伝と薬毒故、これも気長に浄霊すれば必ず治る。』

 

17、三歳の頃、底翳になった少年

「光」20号、昭和24(1949)年7月30日発行

「本年(昭和二十四年)十六歳の男子。三歳の頃から「黒ぞこひ」になったと申しております。右は先天的でしょうか。もし先天的なればいかなる因縁で御座いましょうか。」

『三歳だとすれば先天性とも言える。とにかく浄霊をして見ることである。本当の「そこひ」なら治る。ただ薬が多く入っていると手間どる。』

 

18、盲の病理及び正面だけとか、横だけしか見えない人について

(御教え)

「正面五寸程にいきますと見えなくなりますのは――。」

『瞳の中に毒があるんです。目の玉の前か後にあるんです。目はここ(後頭部)ですよ。真中の所ね。すべてそうです。盲は茲に毒があるから、これを取ればどんな盲でも見えて来る。それから正面だけ見えて横の見えない人があるし、横が見えて正面が見えない人もあるし、それは目の玉の毒によってそうなるんだからね。』

 

19、脳膜炎のあと、眼を正面に向けると、正面の下から微かに物の形が見える程度の子供

「御教え集」3号、昭和26(1951)年11月25日発行

「十三歳の男子。二十六年一月から脳膜炎の浄化を戴き、ずっと浄霊をさせて戴いております。現在は手の疥癬の浄化を戴いております。頭は普通のようですが、眼を正面に向けると何も見えず、正面の下側から微かに物の形が見える程度です。目仏が、普通の倍位大きくなっております。別に曇りの症状は見えません。続けて浄霊させて戴きますと治るものでしょうか。眼を直接しても宜しいでしょうか。どこをさせて戴きますと宜しいでしょうか。」

『無論眼も直接しなければならないがね。眼を直接浄霊して、奥の方に通るようにする。それから、裏の方に脳膜炎の毒が――下側から微かに――だから、下の方でなく、上の方に毒が残っている訳ですね。そして固っているんだから、気長にやれば治ります。眼を直接浄霊しても良いし、大体後頭部ですね。眼と後頭部ですね。頭全体になるが、そうすると良い。』

 

20、メチールによる失明の原因

「御垂示録」12号、昭和27(1952)年8月25日発行

「六年前にメチールで盲になった者の御浄霊の急所はどこで御座いましょうか。」

『目をやれば良い。メチールで、最初に目が見えなくなるが、打擲らかして置けば良いのです。メチールの毒が目の上に固っているので、打擲らかして置けば溶けて出てしまうのが、目薬をさしたりするので固ってしまうのです。目の後と目をやればきっと治ります。だからああいった中毒症のものは必ず治るものです。死んではしようがないが、生命あるものは必ず治るものです。それを医者に行って目薬をさしたら駄目です。』

 

21、網膜剥離手術をうけ、失明した婦人

「地上天国 44号、昭和28(1953)年1月25日発行

「信者(四十四歳、職業助産婦)昭和二十五年七月入信、七歳頃「はやり目」にて医療を受けましたところ、右眼に星が出来、次第に近眼となり、十三歳頃より眼鏡を掛け、段々度が進み、三十七歳頃非常に眼が痛みましたので医師の診察を受けましたところ、「網膜剥離」と言われ手術致しました。その後間もなく右眼は失明し、なお黒目が左に片寄ってしまい、二十七年頃より左眼の視力が急に衰弱、明暗の判る程度となり、八、九月頃頭痛と共に全身浄化を戴き、その頃は御浄霊致しますと急に見えたり致しましたが、十一月初め頃より一向に変化なく、ただ今では殆んど失明状態となりました。両眼共外見は失明しているようには見えません。なお御浄霊致しますと眼球がグルグルと廻り、パチッパチッと音がします。最近金色または青色の角の生えた龍のような物が昼夜の別なく、また瞼を開けても閉じても見え、安眠出来ず頭が痺れたように感じると申します。」

『これは最初痛んだ時放っておけば眼脂が出て治るものを医師にかかったため、手術をしたり、その薬毒のためとで、言わば医学の被害者である。併し色々変化があるのは非常によいので、気長に浄霊すれば治る筈だが、ただどういう手術か分らないから、手術によっては全部治るかどうかは分らないが、不自由ないまでには治る筈である。』

 

22、脳膜炎のあと失明した幼児

(御教え)

「生後十カ月の幼児。生まれて間もなく高熱を出し体が硬直し、約八日間一度も乳を飲まなかった事があります。以後体は普通に発育しましたが視力が全然なく笑う事もしません。(御浄霊により眼は綺麗にはなって来ております。以前の高熱は恐らく脳膜炎かと存ぜられます。)御救いを戴けましょうか。」

『これは治るでしょう。やはり脳膜炎ですね。気長にやれば治りますよ。頭に触ると熱い所がある筈です。それが毒の固まりですから、それが溶ければ治ります。赤ん坊は殊に治りが早いですからね。』

 

23、種痘後失明した幼児

(御教え)

「生後七カ月の女児。生まれました時、目に白い雲がかかっておりましたが、種痘後目がつぶれ赤い寒天のような物が出ました。驚いて医師に診せましたところ、目の玉をぬくより外方法がないと言われ、御浄霊をお願いに参りました。御浄霊一週間で赤い寒天様の物は出なくなり、白い雲は薄くなりました。その後十五日になりますが、別段変化が御座いません。果して治るもので御座いましょうか。お伺い申し上げます。」

『治るでしょう。種痘の薬毒が目に来たのでしょう。』

 

24、ジフテリヤ注射の後、失明した幼児

(御教え)

「本年満二歳の子供で御座いますが、昭和二十三年十月種痘並びにジフテリヤの注射を致しまして、一カ月後より全身水疱瘡様のものが出来、注射にて一時止まりましたが、その後再三吹出ものが出来、医療を施しておりましたところ、昭和二十四年十二月二十五日右眼失明に気付き、医師の診察を受けましたところ、一名猫目と言うソコヒとの診断、手術以外の療法はないとのことにて、八方医師の診察を受けましたが、同様で御座いました。昭和二十五年一月十日より御浄霊を戴き、その後目玉が金色より白色に変化、最近はその白さもうすく時々黒色が見えるようになっておりましたところ、急に二十五年十二月三十日頃より左眼も失明致しました。左眼球には一見異常ないようです。いかなるためで御座いましょうか。」

『ジフテリヤの注射は非常に毒が多い。失明も多分そのためでしょう。治るには治るが長くかかる。後頭部をよく浄霊しなさい。大きくなるまでには治るから心配いらない。』

 

25、眼が次第に見えなくなり、急に危篤状態となった後、失明し、頭髪が抜け変り、夢で赤蛇を見た婦人

「御教え集」8号、昭和27(1952)年4月20日発行

「二十八歳の女。頭痛や頸、肩が凝り、顔は常に赤く、怒り易い性格で御座います。昭和二十五年十月頃より、苦痛もなく眼が次第に見えなくなり、二十三日急に発熱し、耳下腺、延髄、後頭部が非常に苦しく、首が自然に前後に振れ、頭の中がゴンゴン音がして、話声は聞き取れず、脈搏は欠滞し危篤状態で御座いました。その後は眼は赤く腫れ上り、涙が多量に出るようになり、幾日か続きました。御守護戴き熱は下りましたが、両眼は失明致しました。十二月六日髪を手入れしておりますと、一本残らず、抜けてしまいました。その後一カ月間は一日三、四回着物を着替える程度の発汗があり、下熱致しましてより、白い毛が生えて参り、御浄霊を戴きまして次第に黒髪に変り、元通りにさせて戴きました。眼は瞳孔が白くなっており視力は全く御座いませんが、黒い水玉のごときものが上ったり下ったり致しております。後頭部は重苦しく、御浄霊を戴きますと、眼が痛み涙が出て参ります。また時々下痢も致します。御浄霊の個所御垂示御願い申し上げます。」

『黒髪に――これは良いな。これは毒ですよ。薬毒が頭に固っているんです。それで毛が抜けて――その毒が固っているんですから、これは治りますよ。黒い水玉――これは目の悪い人は必ずそういうことはある。後頭部――頸と頭ですね。涙――こう言うのは必ず治りますよ。それで、目でも白くなっている目がありますがね。ああいうのは、きっと治るものです。あれは膿が固っているんだからね。だから安心して根気よく浄霊をやりなさい。浄霊の急所は頭だからね。頭の中にうんと毒があるんです。それから頚、肩ですね。その辺もありますからね。それを浄霊して、それで良いです。二十八の婦人ですね。早く――急いで治さないと、結婚も出来ないことになっちゃう。』

 

23、飲酒後、頭、肩に激痛があり、眼球が化膿したようになって視力のなくなった人

(御教え)

「二月頃より左の眼がかすむようになりました。四月初め三日間飲酒致しました処、急に頭肩に激痛を覚えまして、眼球が化膿したようになり、全然視力がなくなりました。御浄霊を続けて戴いておりますが、現在では頭肩の激痛は止まりましたが、視力の方は全然なく、わずかに明暗が分る状態が半月程続いております。一日も早く御守護戴きたく、御浄霊の急所を御教えの程御願い申し上げます。」

『これは治ります。なんでもない、頭の毒血が溶けて眼へ出ようとしている。急所は目と頭と、肩、眼は普通より長くかかるから気長にやる。そのうちに目ヤニが出てよくなるんだから気長にやる事。』

 

27、妊娠中、下熱注射により失明、眼前に影像の見える婦人

(御教え)

「本年二十九歳の婦人。八年前妊娠中発熱のため下熱注射を一本致しましたところ失明し、昨年九月入信当時は本人の眼前に、真黒い顔の影像が現われては消えして、半年間位続き、その後段々影像は白い顔となりましたが、目の廻りだけは真黒で御座います。その後目の周囲まで白く変りましたが、片方の目は星が入っているように見え、現在ではその片眼だけが時に現われ暫くすると青い糸のようなものが現われると、その片眼も消えてなくなって行きます。未だ本人の眼は変化は御座いませんが、眼に映る影像はいかなるもので御座いましょうか。また御浄霊によりこの失明をよくして戴けましょうか。御伺い申し上げます。」

『これは薬毒です。治ります。眼は毒がよく固まり時間がかかる。影像は目が見えなくなったので、見えるようになったのでしょう。』

 

28、右眼を手術して失明、左眼は強度の近眼の男児

「御教え集」5号、昭和27(1952)年1月15日発行

「五歳の男子。生まれつき両眼大きく、医師より「生長するに従って視力が減退する」と言われ、生後八カ月の時、右眼を手術致し、その後右眼は全然視力なく、黒玉が白くなっております。左眼は相当に大きく出ており、視力は強度の近眼位で御座います。御浄霊の個所を御教示下さいませ。」

『大きくというのは、どういうように大きいのかな――目が大きいということはないんだから、瞼が大きいのかな。黒玉が白く――これは、お医者が拵えたんだからね。手術しなければ、なんでもないんだがね。手術した後白くなっていると言うのは、かなり薬毒が――消毒薬ですね。消毒薬が溜って、それが固って白くしたんだから――これは治りますがね。これは眼に――眼球の裏の方に毒があるんですよ。それが圧迫しているんです。押されているんですね。気長にやれば治ります。溶けて来ますからね。元はこっち(延髄)ですからね。それをよく溶かしていくと、目ヤニになって出ますから。それで段々治っていきます。ただ、色んなことをやっただけ治りが悪いんですね。今まで、何にもしてなかったらなんでもないんですがね。未だ五歳だから――年が行かないから――治り良いから、今言ったように気長にやれば良いです。浄霊は目の奥の方と、こっち(延髄)ですからそれを狙ってやれば治ります。それから、頚の廻りにも、毒の固まりがありますから、そこを良く探してやれば良いですね。よく、人が良いと言うことは残らずやったと言うことは、お蔭話に書いてありますがね。人が、良いと言ったことは、アベコベなんだからね。』

 

29、眼病であらゆる療法をして、失明一歩前になった中年の男

「御教え集」1号、昭和26(1951)年9月20日発行

「藤枝安治(五十歳)と申す信者、眼病にてあらゆる療法を施して失明の一歩前に御縁があって本教に入信いたしました。とてもひどい目で御座いましたが、御浄霊後一週間で白目と黒目がやや区別がつくようになりました。左の目の黒玉の上は無数の星にて瞳も解らず、白玉が上に黒玉が中へ離れたようになっておりました。右の目は全くラムネの玉のように飛び出して黒玉の上は筋子(食用の鮭の子)をのせたようになっておりました。左の目だけでもお救い願えればと毎日御浄霊を二カ月許り続けさして戴きましたが、本人の申出で一カ月許り御浄霊を休みました処が、また御願いすると申しますので隔日位に御浄霊を続けました。段々と目ヤニと涙が出るようになり、半年許り後には星もなくなりやや見えて参りました。」

「その中、藤枝氏の長男も入信するように話が出来ておりましたが延び延びになっている中に、商売上で詐欺にあい「夫婦共入信しているのに詐欺にあうとは」と不平を申しますのでお話をいたしましたら、自己の曇りである事を理解したらしい様子でした。最近長女が入信いたしました(長男は未だで御座います)その長男が去る八月七日突然に熱が出て苦しみ、九日に御浄霊をさして戴きました。御浄霊後三十分程いたしますと余計に熱が高くなりました。冷さないようによく注意と説明をして帰りました。翌十日は私事都合で行けませんでしたから代りの者に御浄霊に伺わしました。その時の状態は右の目が腫れ上り結膜が眼玉より離れたように見え、目をつむるとその膜がしわになってまぶたの間に出て来ます。頭は割れるように痛み延髄がはっておりました。善言讃詞を奏げさして戴き御浄霊さして戴きましたが、頭の痛みは薄らぐ様子もなかったようです。」

「十一日早朝私事伺いまして、祝詞を奏上させて戴き御浄霊を続け、御霊紙を少し戴かせまして、一時間許り御浄霊を続けましたが、(前頭部、頚筋、後頭部、肩を重に御浄霊さして戴きました)目が痛い、頭が痛いと申し、熱は下る様子もありません。その中、両手が固くこわばり、一貫目程のものが腹の上に乗っているようだと申しますので、何か霊の作用と思いまして、祝詞と善言讃詞を奏げさして戴き、御讃歌(三尊の彌陀)も捧げさして戴き、五分程御浄霊さして戴く中に楽になりました。そうした事を二回繰返しまして、その日は一旦帰り翌十二日早朝伺って御浄霊をさして戴きましたが、熱は殆ど下りません。その時家の人が「猫の目と同じだ」と申しましたので、その理由を聞きましたところ、迷い猫が来たので半月許り飼っておりました、(主人は反対でした)そこにはケニーと呼ぶ犬がおり、その猫がケニーのために右の目を傷つけられ、ふさがっていたとの事ですその猫を長男が可哀想だけれどと云いながらどこかの別荘で飼って貰えと捨てたそうです。その他にも以前ケニーが二匹の猫を咬殺したそうです。その死体はどうなったか分らないと申します。」

「猫を捨てた翌日から気の弱い長男は突然発病したのであります。こんな事を聞きましたので、台所の隅へ無縁さんに飯と水をお供えするように、また、捨てた猫にあやまり、殺された猫を祭ってあげるように致しました。(右藤枝氏は御神体は未だ御奉斎さして戴いておりません)」

「十三日早朝より御浄霊に行きましたが熱は下らず、食事は一切受けつけません。余り本人が苦しみますので万一を思い医者に見せましたところ、医者は不思議想に見て首をひねっておりました。それでも何か注射をして帰って行きました。」

「私は気が気でなく中教会へ走り、会長先生にお話をいたし、中教会の大光明如来様に特にお願をして戴きました。会長先生は今日は手が離せないが、明日(十四日)早朝一度行ってあげようと申されました。そして、これから私に行くように申されましたので、急ぎ行きましたところこの世を去っておりました。丁度会長先生と共に中教会の大光明如来様にお願いしていた頃に死去したらしいです。」

「以上の様な事情で御座いますが、1、私のとりました方法にどこ処か間違った点は御座居ませんでしようか。2、先祖あるいは猫の因縁で御座いましようか。3、なお、主人もまだまだ長くかかるので御座いましようか。4、長男の死亡で大分家の人が曇つておりますが、この際よく説明してあげて、得心すれば御神体の御奉斎を勧めてもよいもので御座いましようか。何卒御教示の程御願い申上げます。」

『これは、眼病にてあらゆる療法を施したからいけなかつた。何んにもしなかつたら治っていた。失明の一歩手前まで色んな療法でやったんですね。みんな薬毒ですよ。目がひどくなると瞳がはずれますからね。後から押されるんです。薬毒を入れると、薬毒が染み込んで頭に行き、それが溶けて目に来て、後に行き、それが押して出ようとする。玉を押して来れば良いが、そうではない。無論玉もそうですが、クルリと廻って瞳を押して来る。私もそんな人をやった事があるが、瞳がぶら下って来て落ちますよ。目が膿で一杯です。浄霊していると、その中に瞳が段々ひっ込んで元通りになる。目の玉がはずれるなんて想像がつかなかったですね。その軽いものですね。白玉が上に黒玉が中へ離れるんです。これは毒が沢山そこに固まった状態ですね。ですからこれは気長に浄霊して、段々目ヤニが沢山出て来ますがね。そうすると治ります。必ず治るんです。これは最初は一寸したのですそれが薬で作ったんですね。実に恐ろしい。半年許り後には星もなくなり――こう云う具合に治って来るんです。詐欺――これは入信が後れたためにこうなったんですね。併し詐欺にあったと云う事は浄化ですからね。物質の浄化で本当は結構なんです。この人は、未だ曇りがあるために、ある程度取れなかつたら信仰に入れない。そこで祖霊が詐欺にあわせて物質に損害をあわせて、曇りを取ろうとした。だから、本当云えば結構なんです。色々損したりするのは霊的に云うとそう云う意味ですからね。それが判ればむしろ感謝したい位のものです。』

『八月七日突然に熱が出て苦しみ――余計に熱が高くなりました――これは、浄霊者の霊的関係ですね。霊力が弱いと熱が出て、強いと出た熱は下る。弱いとここまで(山形の頂上迄をお示しになる)で、熱を下げる力がない。強いとここまで(山形の頂上を通り下までお示しになる)下げる。ですから力を入れるとこうなります。力を入れない――そうすると熱が非常に冷め易い。目が痛い、頭が痛い――ここ(頚部)をやらなければ。』

『やっぱり猫も関係ありますね。猫が関係あっても、こつちが面白半分で猫を殺してないなら――それ程でなければ、恨みと云うのは一時的なものです。やはり、これは毒が沢山あるんです。薬毒がね。その中、両手が固くこわばり――これは、きっと猫が来たんですね。犬は縛って置けば良いんだ。鎖でつないだ方が良いですね。これはやっぱり猫の霊ですね。』

『この世を去っておりました――ははあ、注射にやられたんだな。』

『それから、やっぱりこう云う家は光明如来様を早く奉斎しなければいけないんですが、そうかと云って無理にしてはいけないし。こう云うのは難かしいです。メグリが多いから、それだけ恵みを戴けないんですね。これは別に死ぬ状態ではない。注射のためでしようね。昔と違って今は浄化が強いから――逆効果が強いから――先には何ともなかったのが、今日は非常に危険な状態になるんですね。こう云うのはあんまり無理に勧めないで、先方が聞きたいようなら話をしてやる。後は出来るだけ、「栄光」や「地上天国」を読ませるようにする。「栄光」一部でも、すっかり読めば、大抵の人は良くなる。そうして急らず気長にやった方が良いですね。それで、こう云う不幸があった後には幾らか迷いが出てますから。そこで、本人に霊界から、そう云った――祖先やなんかが働いた挙句――そう云ったメグリがあって――邪魔があつたと云う結果になった。だから先方が快よく話を聞くようならしてやって、そうして一日も早く光明如来様をお祭りさせる。そう云うような迷いがあったり、色々具合が悪いようだったら御神書を読ませる。そうして後は神様にお任せしておく。』

 

30、眼球を打撲し充血、それを手術した後、頭痛が激しくなった子供

「御教え集」8号、昭和27(1952)年4月20日発行

「五歳の子供。昭和二十六年四月、右眼球を打撲し、黒瞳全部が真赤に充血、四カ月間の医療、二回の手術で見離され、同年九月より御浄霊を戴き、最近頭痛が激しく、眼は腫上り食事は気儘にパン、お菓子の程度のみで御座います。原因及び御浄霊の個所を御垂示御願い申し上げます。」

 

『見離され――これが困るんですね。これは打擲らかして置けば、綺麗に治ったんです。内出血したんですが、放って置けば二、三年で治ったんです。これで、治らないようにしたんです。見離されるようにしたんです。自分でして見離したんです。お医者さんも悪気があったんじゃないが――治そうとしてやったんだがね。最近――これは結構だ。原因は今言った通りですね。浄霊は眼です。それで医者が手術したりする時に、特に手術する時には消毒薬を使いますから、その消毒薬が頭に来て、その浄化で頭が痛むんです。結構ですよ。そんなに腫れて痛むんですから、今に眼から膿が出ますから、そうすると、チャンと治ります。もう一息です。ですから、浄霊の個所は眼です。それから前頭部ですね。これは医学による被害者だからね。だから、原因は医療――こう思っていれば良いですね。』

 

31、アブに眼の縁をさされ、慢性脈絡膜炎と診断された娘

「御教え集」3号、昭和26(1951)年11月25日発行

「本年(昭和二十六年)二十歳の女。三年程前アブに眼の縁をさされ、五、六時間殆んど失明状態でしたが、放任しているうちに段々良くなり、一週間後の視力は、左眼で直線の物を見ると曲って見え、小さな黒点がいつも眼の前をチラチラしております。発病一週間後と三年間経た現在と殆んど変りありません。但し時々見にくくなったり、またはっきり見える時も御座いました。発病十五日後医者に行き、点眼薬を二、三日施した位で医療は加えておりません。今年(二十六年)八月頃に至り、若干眼に痛みを感じ、隅々充血したり見にくくなったりしたため、眼科専門病院へ行き診察を受けた結果、慢性脈絡膜炎と診断され、放任して置いても、手当をしても失明の虞れありと言われたそうであります。この原因はアブの毒のためで御座いましょうか。」

『これは何でもないですよ。これはアブに刺された時内出血したのが、外に出きらないで、目の中に入って固まるんです。殆んど変りがないと言うのは、固ってしまったんですね。二、三日目薬をやったので余計固めたんですね。八月頃に至り――と言うのは、固ったものが外に出ようとして、それで痛んだ。充血したと言うのは、毒血が溶けて出ようとして、白目の方まで溶けたものが、拡ったんです。慢性脈絡膜炎――これは出鱈目です。失明のおそれ――随分悪いこと言いますね。失明なんて絶対ありはしない。そんなことで失明しては堪らない。アブに刺された位で失明なんて、常識で考えてもないです。うっちゃらかして置くと良い。アブの毒じゃない。内出血です。必ず治ります。浄霊すれば、血の固まりが溶けて出ますから何でもない。折角出かかったのを医者に行って――点眼薬なんかやったからです。そう長くかかりせん。失明なんて絶対にないから、安心してやれば良い。医者は分らないんだからね。良い加減な自己判断でやるんだから困るんですね。』

 

32、眼のまわりが黒くなる婦人

「御垂示録」11号、昭和27(1952)年7月15日発行

「三十九歳の婦人で御座いますが、春から夏にかけて両眼の廻りが黒くなりますが、どういう訳で御座いましょうか。」

『よくありますよ。それは毒血があるんです。』

「御浄霊はどこを――。」

『やっぱりそこの所をやれば良い。』

「目の廻りと延髄で――。」

『それは黒い所だけで良いのです。それだけの毒血がそこに寄って来るんです。』

 

33、眼の先に豆粒のような黒い玉が見える中年の男

「御垂示録」19号、昭和28(1953)年4月15日発行

「四十一歳の男。約十年前に入信しており、その前に蓄膿で手術し、その前より目の先に小さい豆粒のような玉が両方に一つずつ黒い玉になって見えており、お道にはいり三年ほど続いておりましたが、最近は二、三寸くらいの蛇になって見えるそうで御座います。手術の時の強い注射などの関係で現在鼻茸が出ております。これは霊的で御座いましょうか。」

『目の見え方によります。目の玉にちょっと斑点のような物があって、それで始終見える場合は、目の玉は何ともなくて、ただ単純に――。』

「目の玉には何にもありませんようです。」

『併しそれは分りません。両方の目ですね。おそらく両方の目の奥です。手術をした時に薬毒が両方の目の奥に固っているのです。蛇ははっきりしていないのでしょう。蛇といっても決って見えるものではありません。いろいろに変化します。』

 

34、目の玉に、イボ様のものが出来て痛む人

「御教え集」2号、昭和26(1951)年10月25日発行

「昭和二十三年九月頃より目が悪く、それより御浄霊を戴いておりますが、目の玉に「イボ」ようなものが出来て時々痛みます。御浄霊は毎日戴いておりますが、未だ良く目が見えません。いかにしたら宜しいものでしょうか。」

『目が悪いと言うのは、良いんですがね。これは最初医者にかかったんですか。薬が入れてあると治りが悪いのですがね。それでなければ目なんか必ず治る病気ですがね。時々痛いと言うのは結構ですね。これはここ(延髄)と前頭部と後頭部ですね。そうすると治る筈ですがね。薬が入っていても治りますがね。目ばかりやっているんじゃないですか。目が悪くても、目ばかりやっていては治りません。前頭部、後頭部――元は茲ですからね。ここをやると良い。病気と言うのは、現われた所は舞台ですから、楽屋の所をやると良い。楽屋に気をつけて見つけるんです。不断から教えてあるからそれを守ってやる。』

 

35、眼薬を用いていた処、瞼附近及び睫が白くなってきた人

「御教え集」3号、昭和26(1951)年11月25日発行

「未入信者(二十六歳)で御座いますが、二十六年一月頃より両眼共結膜炎となり、眼科医にかかり、目薬を毎日やっておりました処、四月頃になって両眼瞼附近が共に少しずつ白色(一見白ナマズ様な色)を帯びて来ると共に、睫も次第に白くなって参り、現在はそれが益々拡って参り、未婚者で御座いますので非常に心配し医療を受けてから九カ月にして、はじめて御浄霊させて戴きました。第一回目で、涙様になって少し浄化して参りました。本人の眼の後、肩腎臓部等には相当固結があります。薬毒だけによるもので御座いましょうか。また相当時日を要するもので御座いましょうか。」

『薬毒だけですね。外に何もありません。最初の結膜炎と言うのは打擲らかして置くと、治るに定っている。頭の毒が目から出ようとして目が赤くなる。血目と言うんですね。それが目ヤニになって出て治っちゃう。それを態々治らないようにお医者さんにして貰った。』

『白ナマズと言うのは、薬が睫に滲み込んでなったんですから、薬毒が無くなるに従って元のように黒くなります。心配ありません。涙と目ヤニが出るのは結構ですから、出る度に喜んで良いですね。相当時日はかかるけれども、長くはありません。原因は結膜炎の時に頭の毒が来た――薬で止めてその薬毒が来ただけだから、やっているうちに両方とも治ります。完全に治りますから、何でもありません。でも良かったですね。知らないと、どんな盲になったか分らない。』

 

36、眼が痛み、物が二重に見える老婆

(御教え)

「六十一歳の未入信の婦人。本年七月十六日午後九時頃より、左眼が痛み始め翌朝より物が二重に見え出し約一カ月病院に通いました。十月十八日より御浄霊を戴きに来られ、最近では痛みはなくしていただきましたが、二重に見えるのが変り御座いません。二十五年前トラホーム、逆さまつげで四年間苦しみ手術をしたそうです。御浄霊により二重に見えるのがよくして戴けますでしょうか。」

『治りますよ。痛みは昔使った薬毒。毒の浄化で瞳孔が開き加減で二重に見える。後頭部をよく浄霊する。』

 

37、逆睫の原因 

(御教え)

「逆睫毛は抜いても抜いても生えるのはなぜでしょうか。」

『逆睫毛は先祖が神仏に無礼をした罪、自分が前世で神仏に無礼をした罪の結果です。眼は日月即ち神を現しています。信仰を続け、浄霊をすれば軈て癒えます。』

(御教え)

「親子で逆睫毛(さかまつげ)の人がありますが、これは御浄霊で治りましょうか。」

『これは前の世の罪で、神様に御無礼したんですね。目は神ですからね。だから毛が目を突くんですよ。その罪のためですね。浄霊すると治りますよ。』

 

38、一重瞼と二重瞼に就いて

(御教え)

「一重瞼と二重瞼はいかなる関係があるので御座いましょうか、御伺い申し上げます。」

『関係はない。瞼の堅いのと軟らかいの相違である。』

 

 

10-2、耳科

(1)耳鳴及び耳の聞えの悪い原因

「御教え集」21号、昭和28(1953)年5月15日発行

それから耳鳴はみんな知っているでしょうが、延髄をやればきっと良くなります。耳の方は目とは違って、右の方なら右の方で良いのです。耳鳴の人は随分ありますが、耳鳴を治すのは訳ありません。延髄の固まりさえ取れば必ず治ります。

「御教え集」24号、昭和28(1953)年8月15日発行

耳では、耳鳴というのは多いですが、耳鳴はここ(延髄、頸部)に必ず固まりがあります。それから中耳炎をやった人で聞えが悪いというのは耳下腺です。これが中耳炎の筋ですから、こういう所に固まりが残ってますから、それを溶かせばよいのです。

(御教え)

「老人になるに従って耳が遠くなるのはやはり毒素のためでしょうか。」

『薬毒の固結ですよ。毒素はいつも言うように使う所に寄るんです。耳を余計に使う人、声を発する人なんかはどうしても耳に毒素が固まるんですよ。ベートーベンが耳が聞こえなくなったっていうのはそういう訳なんですね。丁度そういう職業の人が、そういう所が悪くなるっていうのは皮肉のようですが、仕方がないですね。』

 

(2)中耳炎後、両耳聞えなくなった娘

(御教え)

「二十八歳の娘。十年程前に中耳炎と眼を患い、その頃より両耳共聞えなくなりましたが、鼓膜さえ異状なければ聞えるようになりましょうか。」

『治りますね。中耳炎の時に中耳に膿が固ったんですよ。耳が聞えるっていうのは、鼓膜からの振動が中にある水に響いて、それが聴神経に感じるんで聞えるんですが、その水の所に膿が固ってるんですからね。浄霊すればそれが溶けますから、それで聞えるようになるんです。』

 

(3)耳鳴の為、O氏管通風及び鼻茸の手術をし、その後しばしば脳貧血の発作で倒れ、日々頭重、眩暈で苦しんでいる人

「御教え集」4号、昭和26(1951)年12月15日発行

「昭和十九年何となく講習(教修)を受けましたものの、生来の無信仰者で、御守様をおかけ致さずおりますうち、昭和二十四年二月風邪に罹り、咳が一週間程続き、突然左の耳がジーンと鳴り出し、耳鼻科医師の言によれば、O氏管の入口並びに深部に、数箇の鼻茸が出来ているのが原因と診断され、病名は「急性中耳加答児」とつけられました。早速鼻茸は手術により除去し、O氏管通風を行いましたものの耳鳴は一向止まず、次第に耳が塞がった感が強くなり頭が重くなり始めましたので、各所の専門医の治療を受けましたが効果なく、病名もマチマチにて、最近での専門医の意見によれば「内耳の一部が硬化症ならん」とて、治療法は適当な方法なしとのことで、耳は過去三年間鳴り続け、塞がった感じと頭重が続いており、二十五年暮より二十六年春にかけて頭重も激しくなり、心臓部に刺戟性の痛みを感じ、時としては歩行も困難になるようになりました。内科医の言によれば「内耳硬化が脳神経を刺戟して生じた一種の神経性の心臓疾患で、一時的のもので時期が来れば治るだろう」とて、二十六年初夏頃までに葡萄糖、ビタミンの注射を約三十本位致しましたところ、耳鳴、頭重は治りませんが、胸部の痛みは治りました。折から熱心な本教信者の奨めで、御浄霊を戴く気持ちになり、七月上旬より教会に通い始めましたが、耳鳴は大した変化も見られぬうちに、八月上旬自宅において、脳貧血症状を起し倒れましたので、爾後出張浄霊を戴くことになり約一カ月、九月中旬まで戴きましたが、その間三度大きな脳貧血発作で倒れ、苦しみました。(気分が悪くなり頭重と共に頭がクラクラとし目が廻り倒れてしまいます。)日々頭重と眩暈が絶えず起りそうな不安に迫られながら、九月中旬まで続きました。一時御浄霊を休んでおりましたところ、十月上旬またまた大きな発作で倒れ、医者の診断によれば「原因は耳であるから、耳が治れば頭重及び眩暈も治るが、耳は治るかどうか判らぬ。神経衰弱を治すために転地でもしたら良くなるだろう」とまことに心細い答にて、転地をするにも日々の頭重と眩暈の発作に、身体を動かすことも恐ろしくて、それも出来ず、再度御浄霊を戴くことになりましたが、その後は倒れるような大きな発作は起りませんが、それでも始終頭重と耳鳴とがあり、眩暈が起るのではないかと言う恐怖感があり、胸も時々痛み、足もズキズキ痛み、時折り背中数個所に痛みを感じ、気分の良い時は、一日僅かの時間です。併し御浄霊を戴きますと楽にして戴けます。耳は聞えなくなっても、頭重と眩暈さえ取れてくれたらと願っております。原因は単なる薬毒の浄化作用で御座いましょうか。なお、概往症と致しましては、約二十五年前胃痙攣で苦しみ、モルヒネ注射十本程いたしました。また約二十年前脳溢血症状で倒れ、氷冷二カ月後、軽度の中風症状のため、指圧、鍼灸、電気、光線等あらゆる民間療法をやり、大した効果なきまま仕事を休み、いつの間にか良くなりました。右延髄部に二回腫物が出来ましたが、切開手術で治しました。慢性胃腸病のため、消化剤は沢山服用致しました。」

『耳鳴は一向に止まらず――ああ、見当が違っているからですね。これは医者の手術が拵えたものですね。時期が来ると治るだろう――というのは、お医者のない国みたいだね。お医者は何のためにあるのかね。これは、何でもない病気なんですがね。O氏管通風――これは悪いんですよ。O氏管通風というのは、鼻の穴に管を入れるがね。耳鳴は見当違いです。延髄です。態々病気をつくっちゃった。鼻茸を手術で除去――除去したのは差支えないが、その時消毒薬を使うから、これが原因となる。その時打擲らかして置けば治ったが、態々一層輪をかけて作ったんですね。もっと作ったら命が無くなってます。オデキが二度出来たと言うのは、ここ(延髄)に固っている。頭重と言うのは、消毒薬中毒が頭に滲みて重くなったんだからね。内耳硬化――こんなものは出鱈目だね。胸が痛いのは、肋間神経が少しある。今まで飲んだ薬がすっかり固っているんです。これは浄霊をやれば治ります。鼻茸――O氏管――これは大したことはない。脳貧血――こういう人は、後頭部にあって、咽喉にあります。毒の固まりがね。併し、普通の脳貧血でなく、咽喉の浄化熱が起ると、この熱が前頭部に来て眩暈が起ります。咽喉と延髄、だからこれをすっかり浄霊すれば治りますよ。何でもない。転地をしたら――よく転地と言うことを言いますが、あれは滑稽なんです。転地とか空気の良い所とか、色んな所に行きますが、そういう所は病気はないようだが、やっぱりそういう所にも、病気がありますよ。まあ、一生懸命に神様にお縋りして浄霊して貰うんです。それから、御神書――神様の本を、出来るだけ読みなさい。そうすると請合ってすっかり治ります。延髄部に二回――切開手術――この時の消毒薬が滲みてますからね。これが大変な原因になっています。それから、霊的関係は全然ありませんからね。その懸念は要りません。』

 

(4)生後間もなく多量の血が下り、その後中耳炎となり、なお、火傷、アデノイド手術等を行った智能の低い少年

「御教え集」8号、昭和27(1952)年4月20日発行

「十一歳の男児。智能低く小学一年程度で御座いますが、運動方面は同年齢の子供と変った処は御座いません。生後三日目頃より多量の血が下り、止血注射五、六本うち三日程で治りました。三歳頃中耳炎となり、高熱は出ませんが耳垂れが出、耳鼻科にかかりました。それより毎年風邪を引く度に耳が痛み、その都度耳鼻科にかかり手当を続けて参りました。咳が激しく六神丸を服用致しました。入学前に転倒し、後頭部、右延髄部に火傷を受け、塗薬で治癒致しました。二十五年九月アデノイド手術を受け、現在蓄膿症の気味で御座います。」

『馬鹿なものですよ――血止めと言って、少し位――多少だって出るのは結構ですがね。古血だからね。それを止めるなんて間違っているね。耳が痛く――これも耳鼻科で中耳炎を止めて膿を固まらせちゃったから―― 残しちゃったから、それで耳が痛くなるんですね。これは中耳炎にチョイチョイかかり、この薬毒が頭に行って、それで頭の働きが悪いんですね。六神丸なんて毒が強いですからね。火傷の塗薬――これも悪いな。そう言った薬毒ですね。それが頭に行ってますから、気長にやれば普通になりますよ。これは耳と頭ですね。これを主にして浄霊する。』

 

(5)生後一年半位より耳垂れが出続きで、智能的にも遅れている女児

「御教え集」2号、昭和26(1951)年10月25日発行

「八歳の女子。母体不健全なために医師より妊娠中絶をするように言われましたが、御浄霊を戴き無事安産致しました。生後一年半程致しました時、種痘を受け、翌日より両耳に御浄化戴き、耳だれが出、その後出なくなった時もありますが、今日まで殆んど出続きの状態です。現在左の耳は全く聞えません。また智能的にも二年位遅れているように思いますが、体育(鉄棒等)は他の同年生徒よりずば抜けて勝れ、大人を吃驚させる程で御座います。右浄化は全く体的のもので御座いましょうか。」

『膿が出ると言うのは非常に結構です。何年間出ても非常に結構です。それだけあるんだからね。やはり薬毒ですからね。薬毒の他に――種痘もですね。何しろ出続きと言うのは結構ですね。左の耳は以前からですか。種痘を打ってからですか。』

「段々聞えなくなりました。」

『種痘前は。』

「両親も良く分らなかったそうです」

『併し、種痘で耳がこうなるということはないね。やはり、前から相当聞えなかったんですね。聞えないと言うのは、膿が固っているんです。集って固まるんです。だから、聞えない方を浄霊するんです。淋巴腺の方からやった方がいいですね。淋巴腺には肩の方から来て、それは腎臓の方から来ている。とにかく、淋巴腺が一番肝腎だね。それから肩ですね。耳ばかりやっていても効果はない。淋巴腺から肩へとやる。人によっては腎臓から来るものあるし、中途から来るのもある。そうして気長にやれば治ります。膿が出ることを恐れてはいけない。喜ばなければね。』

 

(6)中耳炎を患い、現在両耳が聞えない様子の女の子

「御教え集」3号、昭和26(1951)年11月25日発行

「昭和二十三年十月七日、長女出生後間もなく母親は乳脚気との診断を受け、母子共に約一カ月位ビタミン注射をやり、その時子供は音声の出ぬ程の重態になりましたが、注射後十日位で平常の状態になりました。その後中耳炎、等を患いました。二十六年三月頃、子供の両耳が聞えないことを知りましたので、医診を受けましたところ、親族結婚だからと言うことで、聾唖学校へ行きなさいと言われましたが、その後も近所の医者に行き、五日位ビタミン注射をうちましたが、何の変化もなく現在に至っておりましたところ、七月より御道へ入らせて戴き、御浄霊を戴き、現在は私と妻とで御浄霊を致し、時々先生よりも戴いております。ただ今も「ウマウマ」とだけはハッキリ申せますが、他のことは言いたそうに致しますが、じれてしまいます。常に風邪気味にて発熱、喀痰があり、耳下腺顎下に固結があります。右は先天的あるいは、後天的なもので御座いましょうか。」

『固まりがあるんですね。それから、耳の病気は延髄が多いですよ。耳だから、耳筋が原因だろうと思うが、そうでなく延髄です。延髄をやると、良く治りますよ。親の毒素が茲に固っている。ビタミンも幾らか扶助している。咽喉に毒が来た。大したことはないですね。これは治りますよ。三つだから、三つで「ウマウマ」言えば大丈夫です。ですから、今言う延髄と、淋巴腺の所に固まりがある。それですね。こういう時に少しも力を入れてはいけませんよ。全然力を抜くと、こういう所は良くなります。』

 

10-3、鼻科

(1)鼻の悪い人の浄霊個所

「御教え集」21号、昭和28(1953)年5月15日発行

それから鼻の悪い人は後頭部から一帯にずっと下まで毒の固まりがあります。丁度鼻の裏になるわけです。だからそこを浄霊すればいいのです。

 

2)鼻と延髄及び小脳との関係について(ガス中毒)

「地上天国」12号、昭和25年1月20日発行

小脳及び延髄部と鼻は非常に関係があるので、その証拠にはガス中毒は鼻からガスが入って延髄部へ入り、小脳へ侵入すると眠くなり、人事不省となって甚だしいのは死んでしまう。

 

(3)鼻の附近に非常な激痛があり、口中、鼻の下より顎一面に膿汁が出ている人

「御教え集」8号、昭和27(1952)年4月20日発行

「二十歳の女子。口中、鼻腔、鼻の下より顎一面(以前は頸部淋巴腺、耳下腺より)に膿汁が十分間に盃に一杯位出ます。鼻の付近に非常な激痛を伴ないますが、御浄霊戴きますと少し楽になります。一時は身動きも出来ず、食事も五日間程出来ませんでしたが、今は食事も出来、痛まない時には縁先に出られるようになりました。」

『これは、その膿汁が出る近所ですね。そこをやれば良いんです。膿汁の出ている所と痛む所――これは簡単に分りますね。それから鼻、顎は額――前頭部ですね。それが溶けて鼻に来る場合と、後頭部から延髄にかけてが、こっちに来る場合と、これ(額)が溶けて来る場合とあるから、その三個所を調べてやれば良いんですがね。』

 

(4)蓄膿症から癌になる徴候があると、死の宣告を受けた人

「御教え集」3号、昭和26(1951)年11月25日発行

「信者七十歳の男子。以前蓄膿を患ったことが御座いましたところ、二十六年三月頃より血膿が出まして、四月頃より体もだるく、六月中旬診て貰いましたところ大分悪くなっている故私の手には負えないから、一応他で診察を受けろとのことに、他の医師に診て貰いました。やはり同じことを言ってましたが、そこへ一週間ばかり通い、洗っておりますうちに段々悪くなり、癌になる徴候があり、療法なしと言われ、七月中旬頃より段々痛みを感じて参りました。八月中旬より九月中旬にかけ、肉の断片のようなもの十片ばかり鼻から出ました。その後はそういうものは出ません。ただ血膿が始終出ております。今は鼻に近き頬は痛みが薄らいで参りましたが、耳寄りの方が二個所腫れ上り、痛みを強く感じております。小さい穴があき、少しばかりの膿が二、三日出ましたが直ぐ塞がり、現在は別に腫れ上っておりません。耳の方も何の事もなく痛んでおります。これが現在の状態で御座います。九月下旬頃口中左奥が腫れ、口を嗽ぐ時三、四回腫れた先から黒色の血が少しずつ出ましたが、今はそれも出ません。医師は余命二カ月と言っておりますが、癌で御座いましょうか。」

『癌でも何でもありませんよ。余命二カ月なんて、全然嘘です。お医者にかかったらこの通りかも知れませんがね。お医者にかからなければ――こんなことで命を無くしては堪らないです。こんな所に癌が出来るものではない。第一十片ばかり出たと言うのは、癌の膿の固まりなんです。これは治ります。こんな良い浄化で、出るんだから――血膿が出たりするんだから良いです。浄霊していれば必ず治ります。浄霊なら何でもないです。この位のことで人間が死んだら堪りません。神様はこんなようには拵えてないんだからね。』

 

(5)鼻血が一升から二升も出る

「御教え集」4号、昭和26(1951)年12月15日発行

「十一歳の男子。鼻出血が縁で入信致し、当時は毎日のように鼻血が出ておりましたが、御浄霊の当日から出なくなり、その後約二カ月後に、二時間にわたり出血を見、爾後は半年に一回位ずつ一、二時間出ます。二十六年に入ってから三回出まして、毎日一升ないし二升の出血(胃液と共に)を見るので御座いますが、出る際は右と左とか定っておらず、出血の前兆とでも申しますか、必ず一週間位前から鼻づまりが致し、出血が終る時は足先まで痺れると止まります。なお先月より、今まで鼻血の出なかった祖母(八十三歳)も三回鼻血を見ました。祖母の方は左の鼻から出ます(右は出ません)。本月三日から、毎日三十分ないし一時間にわたって出ます。二人共鼻血の色は普通の血の色で御座います。孫の方は止血後二、三時間青冷めております。一日経つと全快致します。この原因と御浄霊個所御垂示の程御願い申し上げます。」

『どういうふうに出て来るんですか。』

「仰けに寝ておりますと、咽喉に入っていくようで御座いますが、それがまた出て参ります。」

『鼻血に毒があるんだね。薬毒の古い奴です。これは良いです。これがないと脳膜炎になります。これは鼻から出ない分だけ――鼻から出切らないで、下にいって足先まで流れていくんですね。右は出ません――今に右からも出ますよ。変調はありません。少ないからだね。この血は、頭の中にある。前頭部ですね。出るだけ出れば治ってしまいますから、これは大変結構ですよ。おばあさんも、やはり浄化が起って溶けて来たんだから、これも結構です。寿命が伸びますからね。』

 

(6)生まれつき嗅覚のない霊的、体的な原因

「地上天国」14号、昭和25(1950)年3月20日発行

「五二歳の男(信者)生まれつき嗅覚がないそうですが霊的の原因でしょうか。」

『霊的と体的と、二種ある。霊的の場合は、鳥の霊の憑依で、これは治癒に長くかかる。浄霊は鼻柱を中心に前頭部である。体的原因としては、後方首筋の両側特に延髄付近に毒結ある場合と、中には鼻柱両側に蓄膿のあるためとである。』

 

(7)蓄膿症が治って以来、鼻の通りが悪く、嗅覚のない人

「地上天国」12号、昭和25(1950)年1月20日発行

「三十一歳の女。蓄膿症で四、五年前一度治りましたが、それ以来鼻の通りが悪く、鼻汁も出なくなり、今では臭いも嗅ぐことが出来ません。浄霊により治りましょうか。」

『これは治る。右のごとく治ったといっても本当に治ったのではない。固ったにすぎぬ。そのためそのような症状があるのである。普通蓄膿症は鼻柱の両側に毒が溜る。そしてこの膿は延髄部の膿で、それが鼻から出るべく集溜するのであるから、延髄部を浄霊すると鼻が通り治る。無嗅覚も延髄を浄霊すると治る。』

 

(8)鼾が大きい人

「御教え集」2号、昭和26(1951)年10月25日発行

「約三十五年位前に蓄膿の手術を致しました。その後十五年位後にまた悪くなり、このお道を教えられ入信し全快させて戴きましたが、何としても鼾が大きく、他人様に御迷惑をかけており、自分では少しも分らないので、気の付けようもなく困っております。どこが悪いので御座いましょうか。御浄霊はどこを致しましたら宜しゅう御座いましょうか。」

『つまり咽喉と鼻の間から――鼻の奥に未だ固まりがあるんです。そしてアデノイド――咽喉と鼻の間、そこが腫れて、口の方に洩れていく訳ですね。それが咽喉の声帯に息がいって、それが鼾になる。鼾と言うのは咽喉と鼻の間ですね。だから、そこを目掛けて浄霊すれば治ってしまう。段々治って来ます。蓄膿の奴が未だ残っているんです。』

 

 

10-4、咽喉科

(1)咽喉の悪い点で心得て置くべき事

「御教え集」23号、昭和28(1953)年7月15日発行

それから咽喉が悪く、咳や何かが出ると、咽頭結核とか言いますが、これも見当違いです。ただ、咽喉が悪くても、ジフテリヤは咽喉そのものが悪いのです。これだけ心得ていれば良いです。

(2)食事中に舌を噛んだ傷が拡って、痛みが治らない人

(御教え)

「未入信の五十五歳の男子。食事中舌を噛みましたところ、その傷が御浄霊をしても少しも良くならず益々傷が拡がり、かみ切った個所は肉が足りなくなっており、痛んでおります。御浄霊致しましても治りませんのは、いかなる訳で御座いましょうか。お伺い致します。なお、薬毒は相当量入っております。」

『妻君がやるのでしょう。霊力が足りないのでしょう。舌に毒がよって来るのです。舌の薬毒は、毒を呑んだ時、舌より泌み込んだのです。気長にやれば治ります。霊力の強い人なら早く治ります。』

 

(3)舌の先がダラダラして痛みを感ずる人

「御垂示録」10号、昭和27(1952)年6月15日発行

「二十六年夏、舌に小さいものが出来、御浄霊で治りましたが、二十七年になり鼻茸のようなものが出来、咽喉の下の方にも出来ております。先の方もダラダラしており、食欲がなくなりましたが、御浄霊戴き食欲も出て参りましたが、時々痛みを感じております。十数年前に麻酔をしております。薬毒で御座いましょうか。舌癌ではないかと思いましたが。」

『薬毒ですよ。なんでもないですよ。気長にやればすっかり治りますよ。その代り長くかかりますよ。医者に行けば舌癌だと言いますよ。』

 

(4)舌に碁盤の目のような「クビレ」が出来ている人

(御教え)

「舌が碁盤の目のように「クビレ」が出来ておりますが、別に痛みは致しません。ただ気持が悪いので、医者の診察を受けたところ、原因不明だそうです。本人は何とか治るものならと一生懸命です。いかなる原因によるものでしょうか。御伺い申し上げます。」

『薬を飲むために、舌に滲み込んだもので、薬毒です。』

 

(5)口中のオデキのため、痛苦、痺れ、悪臭のヌラで食事が摂れず、衰弱してゆく老人

「御教え集」7号、昭和27(1952)年3月20日発行

「六十六歳の男子。昭和二十五年十二月頃より口中に痛みを感じ、血液検査の結果ワッセルマン氏及び沈降の強陽性の反応が現われ、二十六年七月までに六〇六号十本、ぺニシリン二十二本をうちましたが、極度の苦痛のため、流動食さえ咽喉を通らなくなり、体は衰弱し、夜も苦痛のために眠れず、医師はこれ以上の注射は不可能であるとて、レントゲンに八回かかりましたが、衰弱は加わるばかりで、遂に舌癌と言われ、その後も苦痛を紛らすために、強度の睡眠剤を相当量服用致しました。その後お道の話を聞き、早速御浄霊を戴き、徐々に快方に向い、九月頃は痛みも取れ、家族と同じ食事を摂るようになり、自転車にて教会にも行けるようになりました。早速入信させて戴きまして、その直後より再び悪化し、現在口中は、左側頬内部と舌の一部が爛れ、外部には左側耳下に固結があります。顎は痺れ頭の左側、肩も左側が凝り、眼の縁が爛れております。食欲はありますが充分食べられず、辛うじて流動食に近い物を摂っており、体は痩せ衰えております。口から特有の悪臭あるヌラを止めどもなく出し、呂律(ろれつ)が廻りません。御浄霊は教会から来て戴き、家にでも致しておりますが、最近はあまり変化が御座いません。右御垂示の程御願い申し上げます。」

『沈降の強陽性──血沈じゃないかな。レントゲン八回──これは医者に病気を拵えられたんですね。実際、災難ですね。これは医学の被害者ですよ。この人の状態は──これは薬毒ですね。で左が──ここら(左顔半面)一杯薬毒が寄って来たんです。ですから、それが段々腫れて行って、どこかに穴があいて出ますから、それで治るんですよ。だから別に難かしい病気じゃないです。浄霊は誰がしてるんですか。』

「教会の先生と、家でも戴いております。」

『薬毒ですよ。痛みは結構ですね。赤い所はないですか。』

「中は赤くなっておりますが、外はありません」

『口はあきませんか。』

「時々あき、膿が出ております。」

『結構です。癌じゃありませんよ。普通のオデキです。浄霊する人の霊力が弱いんだな。霊力が強いと、段々溶けて出ていきます。霊力が強いと、痛みはないんですよ。霊力を強くするには、力を入れないことですよ。力を出来るだけ抜く程霊力は強くなります。未だ、浄霊する人に力が入るんじゃないかな。アベコベなんだからね。力を入れると霊力が弱くなる。それから舌とか口の中の色んなオデキですね。あれは薬を飲むでしょう。薬を飲む度に粘膜からしみるんです。それが溜ってオデキになるんですね。私なんか、奥の方が痛いんです。喋り方が変でしょう。これは、昔薬を飲んだ時分──四十年前ですね──飲んだ薬が粘膜にしみ込んだのが、時々茲に出て来て痛むんです。そんなに薬は恐ろしいものです。だから、口の中の全部のオデキは、そう言うふうに思って決して間違いない。』

 

(6)頚部淋巴腺の手術を行い、舌癌の手術、レントゲンを行い、耳下腺、顎下腺に腫脹が出来て、口中が火傷のように痛む人

「御教え集」4号、昭和26(1951)年12月15日発行

「昭和二十三、四年と二回右頚部淋巴腺が腫れ、二度手術を受けました。処が二十五年舌癌との事でまた手術をし、その後十四回程レントゲンをかけましたが、また首が腫れ、二十六年二月と七月前後五回にわたり手術を致しました。度々手術を致しても思わしくなく困っておりましたところ、知人からお道のお話をお聞きし、二十六年七月私と二人入信し浄霊を戴きまして今日に至っております。八月からまた、耳下腺及び顎下腺大小四個腫れて参り首が締めつけられるような圧迫感を覚えます。手術の折、右唾液腺を切除したとのことで、夜分など、口の中が火傷した時のようにヒリヒリ致します。今のところ身体の苦痛は余り御座いません。御蔭様で御浄霊を戴きましてよりは、食物の味が判るようになって参りました。続けて御浄霊を戴いておりますれば、御救い戴けますで御座いましょうか。子供四人の内長男三男は耳が聞えません。深い因縁に因ることと存じますが、御教えの程御願い申し上げます。」

『これ(顎部淋巴腺)だ。茲に消毒薬が滲み込んで、下にいった。まるで、悪くするように悪くするようにやっているんですよ。これも犠牲者ですね。淋巴腺が腫れても、打擲らかして置けば、良い工合に腫れて出て良くなるんですがね。いつも言う通り、ここを手術したらもうそれで寄らなくなる。お隣りに腫れて来る。舌癌の時の手術──さっき言った通り、ここ(顎部淋巴腺)のが下に滲みていってと言うのです。レントゲンで固まらない程浄化が強かったのだから良かったですね。前後五回──これは何回でもやります。五回どころか、十回でもなる。また腫れて来てますからね。これは大丈夫です。治ります。それだけのものです。医者が薬で作ったんだから、浄霊していれば──薬がなくなればそれで治って来ます。せっかく拵えた病気を、こっちが取ってあげる。それから、耳が聞えないのは、大抵ここ(頚部淋巴腺)に固まりがある。茲に腫れる血統があるんだな。ここを取ると全部治るかどうか分らないが大抵治りますよ。それから延髄ですね。』

 

(7)医師に咽喉癌と言われた老人

「御垂示録」10号、昭和27(1952)年6月15日発行

「二十七年一月御伺いし御守護戴きました者で御座います。医師に咽喉癌と言われました。耳の下に小豆大の穴が開き鼻、咽喉、耳と三方に抜けております。」

『穴が開くと言うのは、膿でもあったんですか。』

「最近一週間に五回一合程出ております」

『そうすれば、それは塞がって来ますがね。』

「毎日その穴に膿が溜っております。」

『それは結構です。熱は──。』

「二週間程前にありましたが、大分取れております。」

『そうすれば流動物を摂ればいい。』

「そう致しております。」

『幾つですか。』

「六十歳で御座います。」

『薬毒ですよ。ですから、その人はもう少し経ったら肉が上って塞がりますよ。つまり塞がらないのは、未だ毒があるからで、毒が取れれば塞がります。』

「チフスで頭を冷したそうで御座います」

『無論それは頭の毒です。』

 

(8)咽喉が圧迫され、物忘れ勝ちの人

「御教え集」1号、昭和26(1951)年9月20日発行

「私は十二年前胃が悪く薬を飲み、または温泉に行き一日数十回入浴した時、突然腹の左右より神経痛のごとく急に咽喉に昇り、そのためか咽喉が急に圧迫され呼吸が止まるような感じで、医師に神経痛の注射をして貰い余程良くなって家に帰りました。なお、アンマに咽喉の真中に鍼をして貰ったら、また先のごとく悪くなり、その後各医師に診療を受け、六〇六号をうって貰い、格別に良くもならず病名を与えず、常に咽喉が圧迫され熱食を口に入れる事を好まず、二十四年の五月から御浄霊を戴き二十五年五月に入信し、ただ今は余程良くなりましたが未だ咽喉が圧迫し物忘れ勝ちです。今後の御浄霊の個所を謹んで御伺い申し上げます。」

『病名を与えず──よくあるね。病名が分らない。せめて病名だけを戴きたいと言う人があります。病名を貰っても、しようがないですよ。病名を貰うと治るかと言うと、治ることとは関係がありませんよ。あれは、治らないから、せめて病名だけでも知りたいと言うのですね。最近の新聞に癌の原因を発見するとか、発見するのに進歩したとか書いてあるが、よしんば、発見されてもしようがない。病人は、原因を発見されるために来ているんじゃなくて、治して貰いたいためですからね。医学では原因を発見してから治すと言うが、吾々の方から言うと馬鹿々々しいんですが、こういう浄霊を知らないとしたら仕方がないですね。心臓の手術とか色んなことを言っているが、可哀想なくらいですね。咽喉が圧迫し──というのは咽喉の廻りに毒が溜って、そうして固まるんです。この毒が──頭の毒ですね──溶けて肺に行くから、咽喉にもいく。これが多いのです。多分この人もそうでしょう。だから頭から延髄付近ですね。治ります。大したことはない。物忘れ勝ち──と言うのが、頭に毒のある人なんですね。これは頭です。』

 

(9)生まれつき口が利けない赤児 

「御垂示録」1号、昭和26(1951)年 9月15日発行

「生後一年七カ月になりますが全然口がきけず、飛行機の音には指さします。また御讃歌は分るようです。」

『育つに従ってよくなる。生まれつき信仰があるようだから結構です。時期を見て御神体を祭りなさい。』

 

(10)大きな音は聞こえるが、ものを言わない子供

「御教え集」1号、昭和26(1951)年9月20日発行

「四手(して)大造(一年八カ月)生れつき音痴にて、大きな音は時々聞えるようでございますが物を言いません。延髄及耳下腺が腫れあがっております。父親は馬車引の親方ですが霊的でございましようか。御浄霊の個所を御教示下さいませ。」

『四手大造と言うのは名前が悪い。人間の名前には「大」の字を、決してつけちやいけない。「大」の字は一番位が高い名前です。一人と書くからね。国としては天皇になり、神様としては一番最高になる。だから良過ぎるんです。ですから「大」の字をつけると必ず悪くなる。延髄及耳下腺が――これは霊的の場合もあります。前の世で、ここ(頚部)が腫れるんです。ここ(頚部)を打つて死んだ。それが、まだ霊界で治らないんですが、どっちみち、ここ(頚部)を浄霊すれば治ります。おまけに赤ん坊だから治りが悪いです。ここを妨げるので、物が言えないし、こう言うのは完全には溶かされないが、ある程度は治りますね。』

『早速、名前を変えるんですね。「大」の字でない名前ならいいです。これは「シテ」と読むんですか。四つの手か――獣なら四つの足だが――他の名前ならいいですね。普通の名前にね。』

 

(11)喀血後に発声不能となった人

「御教え集」2号、昭和26(1951)年10月25日発行

「四十六歳の男子。二十三年秋、風邪から咽喉部を痛め、医診では右肺に空洞二個所あるとのことで、別段自覚症状もなく食欲も普通でしたが、二十六年五月喀血し、六月上旬に少し無理をしたためか、青黄色の非常に濃い痰を吐くようになり、発声不能と不眠症にもなってきました。七月上旬より御浄霊を戴いているのですが、当時脈拍は早い上に微弱で、熱は大変低う御座いましたが、衰弱は余りありませんでした。御浄霊は本人の妻が早速入信し、近所の熱心な信者と致しており、専門教師よりは一週間に一、二回位受けております。現在は御蔭様にて腹痛も下痢も快癒し、庭の散歩や家族との談笑にも疲れを覚えません。殆んど菜食とし食欲も御座いますが、発声は出来ません。更に八月二十五日頃より御浄化を戴き、九度ばかりに発熱し、寝汗も出、喀痰は多量に吐き、尿は色の濃いのが沢山出ております。背面の特に左半身に毒素多いためか、仰向いて寝ることが出来なくなりました。本人が御浄霊を受けるまでに用いました薬剤は葡萄糖、カルシウム、ヴィタミンの混合剤二十本位、エフエドリンを約半年服用しております。なお本人は十一年前炭坑内にて落盤に会い、頭、肩特に胸部と腰椎を強打され、右下肋骨四本骨折しており、現在も腰椎部には隅に鈍痛があります。この打撲と現在の病気と関係が御座いましょうか。また発声不能であっても喉の痛みは初めからないのだそうで御座いますが、軽症の故でありましょうか。なお病人は身体に比し、顔は一見死人のごとく、肉の落ちた面貌ですが、大体顔は生まれつき痩せている由であります。今日まで六十数回の御浄霊にも顔には余り変化は御座いません。」

『こう言う生まれつきの人はありますがね。痩せていて顔色が悪く、そういうのは本当じゃないですね。そういう人は患い始めると割合ひどくなり易いですね。今の症状と言うのは、あんまりはっきりしていないですね。声が出ないと言うだけのようですね。あとは疲労位ですね。落盤で打ったと言うが、そういうものがあとに残るものではない。そういうものは順調に治るものですからね。つまり、どこかに故障があれば薬ですよ。エフェドリンを半年飲んだ。カルシウム、葡萄糖──これですよ。この毒がうんとありますからね。それから発声不能は何かの薬が喉に出て来る。それで、この薬がとれるに従って治りますからね。余程頑固な薬だと見えますね。なんでも、病気は薬だと思えば間違いない。併し、どうもそう思わないようですね。やっぱり薬を信じている迷信が、そうさせるんです。私が色々書くんだが、どうも徹底的にはね。』

 

(12)サ行の発音が出来ない子供

「御垂示録」12号、昭和27(1952)年8月25日発行

「九歳の男。頭脳は普通で薬毒もなく病気もしておりませんが、サ行の発音が出ません。どういう関係で御座いましょうか。」

『よくあります。舌の関係です。ここ(頸部淋巴腺)のどこかに固まりがあります。サ行に動かないのです。』

 

(13) 音痴について

「御垂示録」1号、昭和26(1951)年9月15日発行

「よく子供で音痴がありますが霊的でしょうか。音痴とか調子はずれなのは──。」

『桁が違うんですね。幾つです。』

「小学校五、六年位です。」

『大人でもありますね。つまり出そうと言う音声──出そうと言う瓣ですね。──喉ですね。それが普通よりか、厚いとか薄いとか──食違いですね。それから、その神経の方に意志通りに行くべきところに、故障がある。思い通りにそれがいかない。──伝わらないというそんな原因です。浄霊すれば治りますよ。』

 

(14)下顎にグリグリが出来、切開後悪化し、眼が悪くなり、涙嚢を除去、耳や顔面にカサ蓋が出来て、下瞼が引きつける人

(御教え)

「昭和十四年頃より湿性肋膜炎及び湿性腹膜炎にて、各々一カ年程患いましたが、医師にかかり全治致しました。その後十八年頃より下顎に拇指大位のグリグリが出来段々大きくなり医師は化膿性淋巴腺炎と診断致し、その後化膿の様子にて切開致しましたが、化膿不十分で少量のキミズや血が出たのみで御座いました。それ以後毎日病院に通いましたが、下顎全体がタダレたようになり、耳の後方にグリグリが出来たりして潰れては、カサ蓋が出来痛みますので医師と手を切り、二年ばかり自然に放置しました。当時左眼が悪くなり、眼頭の所に針で突いたような穴があき絶えず涙が流れ出し、軍医は結核性涙嚢炎と申し、下顎の方は淋巴腺炎と診断致しました。数日を経て両眼の中間より左眼によった所に豆粒大のものがポッとふくれ上り、工合が悪く、手術致し涙嚢を除去致しましたところ、手術の結果骨膜となり削骨致しました。以後毎日洗眼塗薬致し淋巴腺の方と両方にて太陽灯及びレントゲン治療を行っておりましたが、両方共に益々悪化致し右頬下瞼下顎等がタダレて痛みますので、医師と手を切り自宅にて自然放置致しましたが現在では鼻孔鼻、左頬、下瞼、鼻耳等の後にカサ蓋が出来ておりますが痛みません。多少カユミはありますが見たところ全体にかなり赤味を帯びております。下瞼は引きつけて動きません。二十二年十二月頃より疥癬にて五カ月位休み、二十四年二月熱海に参詣以来右眼に御浄化を戴き、激痛を伴ない眼を風に当てると痛み涙が出て開いている事が出来ず、現在失明致しております。御浄霊を戴いておりますがカサ蓋が取れては出て同じ事を繰返しております。」

『ホッタラかして置けば治るのに医者にかかって──あごのグリグリだけですんだわけです。膿が十分集まらぬうち切ったから他に出てしまおうとして下顎全体に──また止められ耳下腺へ抜け、耳へ出ようとした。また眼にも行った。涙嚢を切ったので毒は集まる所を失い内攻し骨膜に行った。レントゲン=固める。わざわざ病気を作ったようなものです。十年位かかると思って下さい。』