「稲荷の執着取れ、清水が湧く」

御陰話 長崎県H.E. (昭和二六年三月三日)

明主様日々御守護戴きまして有難うございます。私は栄光第一一八号に「稲荷信仰一五年の泥沼から救われて」とのおかげ話を御発表戴きました者でございます。

以前家の中に舵って居りました稲荷を一時裏の空地の端の方に祀っておりましたが、いろいろとお話を伺って居ります間に、次第に稲荷に対する執着がとれて参りましたので御処分いただき、その空地に花を植えましたが、裏に出ます度に何か変に物淋しい気持になって参りますので、教会の先生にお尋ね申しました処「それではよく御浄霊を戴き、又空地も御浄霊さして戴いたらよいでしょう」と申されました。その日から早速空地を御浄霊さして戴いておりました。その内に何だかそこいらが湿っぽくなって参りました。併し今までその様な気配もありませんでしたので別に気にもとめていませんでしたが、次第にその湿りが強くなり、水が出始めたのではないかと思われる程になりました。何だか不思議な気持で少し掘ってみますと、何と驚くではございませんか。この家に住みましてから一六年間、少しの水気すら無かった所から、こんこんと澄みきった美しい水が湧き出て参ったのでございます。

私の村は炭坑地帯で、地下を坑道が通って居ります。その為に水気が減じ、炭坑開発以来井戸水は殆んどなくなり、水田は水が涸れて耕作が困難になりました為に、畠に切替えているのでございます。その上又今年は大旱越で、今まで出ていた井戸水さえ干上るというその折も折、今まで全然水気の無かった所から、冷たい泉が湧出るとは、何という大きな奇蹟を戴いた事でございましょう。全く夢にも思わぬ有難いお蔭を戴きました。本当に有難うございました。

近所の方もいろいろと話合っておられましたが、「結局どんなに考えても理屈が分らぬ。全く信仰のお蔭だ、不思議な事だ」と申しておられます。その後もずっと毎朝五時半頃から九時、一〇時頃まで、桶で五、六荷程、丁度時間給水の様に出して戴きますので、近所の人々とも分け合って、皆さん方に非常に喜んで戴いておりましたが、二日間雨が降り、雨が降れば家の中も一ぱいになる程水が出て困りはしないか、と思って居りましたら、ビタリと止ってしまって一滴も出ません。「これは益々おかしい、どうしてだろう」と主人と話合ってみました。そうして、これはお蔭の戴きっ放しで何等御恵みにお報い奉ることがなかったからであるうと、気付かせていただきましたので、丁度その時Yさん方に出張教修においで下さった先生に、御守護御礼をお願いに参りました。そこで先生に書いて戴いて御神前にお供えし、明主様に御詫びと御礼と御願をさしていただき帰宅致しました。

帰ってみまして再び吃驚致しました。出掛けてから帰るまで一〇分、長くとも二〇分は経っておりません。それに時刻は午後四時なのでございますが、井戸に満水してこぼれているではございませんか。今までに午前と時刻のきまっていた事を思い、有難いとお礼申し上げるの外、何とも形容の言葉もなく、早速飛ぶ様にして御報告に行かせていただき、今までの不心得を深くお詫びさしていただきました。全く申訳ない次第でございます。

それから調子よく出して戴きますので、少し欲を出しまして水の出る間井戸の側につきっきりに居るのも大変だ、と思い、少し大きく穴を拡げました。水の出口には全然関係ない様にして掘り、セメントで縁を塗ったのでございますが、愈々仕上ってみますと再び水の出が悪くなりました。何という不可思議な事でございましょう。これが想念の狂いと申すものでございましょうか、ここでも又一つ教えていただきました。

お蔭様で今日では又毎日勢よく綺麗な水をいただいております。明主様寔に有難うございました。

これより少し前の事でございました。家の上手の畠に草をとりに上りました。そのとき足を一寸辷らせ、ハッと思った途端に手をつきましたが、その時全身にこたえる様な痛みを感じ、見ますと手頸の骨が「く」の字に曲っており、見る見る内に大きく腫れ上って参ります。その痛い事は言語に絶する程で、冷汗が流れ、気が遠くなり、吐気さえ催します。心の中でお詫び申し上げ乍ら、大急ぎで家に帰り、主人に御浄霊をお願いしました。痛みは次第にうすれて参りましたが、手頸は曲つた侭丸腫れしておりました。自分で引張って伸す勇気はなく、以前「折れた骨は整骨して御浄霊いただいてもよい」という事をお伺いした様に思いましたので、接ぐだけならよかろうと骨つぎに行きました。「どうぞ唯骨を接ぐ丈にして薬を塗らないで呉れます様に」とお念じしつつ接骨医の所に参りました。接骨医は手頸を直して「Hさんは手をこうすれば(浄霊の事)よいというから薬は塗らなくとも良いだろう」といかにもひやかした様に言いました。私は内心ホッと致し「はい結構です」と言って帰り、早速御礼申し上げて御浄霊をいただきました。翌日はまだ幾分腫れては居りましたが痛みはございませんでしたので、洗濯を致しました。絞ります時一寸痛みを感じる位で別に何ともなくさせていただくことが出来ました。一週間せぬうちに仕事には全然差支えなくなしていただき、二週間目には全く腫れもひき、元の様にしていただきました。本当に有難いことでございます。若い者であれば骨も早く接がるけれども、年を取ると中々一月もそれ以上もかかると申しますのに、嘘みたいに早く治して戴き、近所の方々も驚いておられます。寔に有難うございます。

ひどい骨折も僅かの日数で完全に治していただき、一六年も水気のない所からは素晴しいつめたい清水まで御恵み賜わり、数々の御守護に何と御礼の申し上げ様もございません。明主様難に有難うございました。数ならぬ身ながら、この有難い御教えを一人でも多く、早くお取次さして頂きたいと思いまして、つとめさしていただいて居ります。何卒御用の一端にでも御使い賜わります様よろしく御願い申し上げます。