「炭鉱崩落もご守護」

御陰話 福岡県M.Y. (昭和二七年三月一日)

偉大なる明主様の御神徳により日々奇蹟の御守護を頂き、感謝感激で胸がつまる思いでございます。人生の意義の深遠なる事を悟らせて頂き、教線の拡張に微力を捧げさせて頂いて居ります。

私の御世話させて頂いて居る信者さんのお蔭話の二、三を謹んで御報告させて頂きます。

昭和二六年の暮の事でありますが、夜のお参り済ました処に、一年前に入信されたSさんと言う信者が来られましたので御用を伺いますと「只今御礼参りに来ました」と言って礼拝後、「今思い出しても胸がどきどきする」と顔を紅潮させ「炭坑の地下五〇〇〇尺の中で間一髪で命を救って頂いた」と、次の話をされました。「私の作業箇所は天井も緩み、亀裂もあって非常に危険な所ですが、そこにマツ岩(氷山を逆にした様に黒岩が天井にくっついて予告なしにコッポリ落ちて来る)が一寸のぞいて居たが、先山(経験者)が他所へ行ったので後向(経験の浅い人)二人でマイトをかける準備をして居ったのです。高さ三尺位のマツ岩の下へ私がかがんで這入り、炭を掻き出して居たが、どうも足場が悪いので何の気なしに岩の下から這い出して立つと同時にサッと顔先に風を起して牛の様な岩がドドォーと落ちて来ました。あっと思った瞬間何と言ったらよいか、只茫然自失、ぼんやりと他人事の様に眺めて居た様ですが、現実のこの出来事をはっきり意識した頃、胸がドキドキと鳴り始めたんですよ。その時瞬時こう思いました。『こんなに遅い神経では、とても人間の力ではこの危難を逃れる事は出来ない、鳴呼神様のお救いだ御守護だ」と気がつき思わず「明主様有難うございました』一人は岩の端に片足を敷かれ、引出そうともがいて居るのです。手伝って出してやりましたが、彼は病院で一〇日間休業との診断との事でした。真下の私が無傷で、側の者が怪我をするなんて全く不思議ですね。ほんの二、三秒で私はスルメの様になって今頃こんなにしてお話も出来ないのだがなあ」と言って身振いして居られました。

この話を聞く私も何となく動悸を覚え「大光明如来様は地下五〇〇〇尺の曲りくねった暗黒坑道まで御手を差伸べられ、お救い下さるのですね」と言って、この偉大なる御守護を語り合いました。それから二、三日経って又来られ「坑内の炭車がカーブで何時も脱線するので調べても異常はない。そこで物は試しと申訳ない事ですが炭車に御浄霊させて頂くと、なんと不思議ではありませんか、炭を満載した炭車がするすると順調に進む、これは有難いと毎日やらして頂いたので能率は上り、みんな喜んで居りました。何時も五、六回は脱線するのでナグレ(最低賃金)の日が多かったのですから喜ぶのも当然です。私が昨日一日休んだので六回も脱線し、枠足をたおし、大ナグレとこぼして居りました。今日はお蔭で脱線もなく御力の有難さをつぶさに知らせて頂きました。なお今日はもう一つ面白い事があります」と言って、次の様に述懐するのです。「マイトをかけるので私達は待避して食事をして待って居たが爆発音が何時まで経っても問えません。普通一〇分か二〇分で済むのに何して居るんだ、寝ているんじゃないかと皆で冗談を言い乍ら私一人で様子を見に行きました。現場では「変だなあどうしても鳴らんのだ」と言って爆発器を三つも取替えたりマイト線を点検したり汗びっしょりになってやって居るのです。私も手伝って電通試験をやったが電気はちゃんと来るので私まで変だと思いましたが、ふと御浄霊の事を思い出し、「一寸私にまじないをさせて見なさい」と、爆発器と線を御浄霊させて頂き、「さあやってみなさい」と内心気にかかったが待避して合図しますと間もなくゴォーと地軸をゆるがす爆破音が問えました。私は嬉しくて堪らないので同僚達に話しても信じて呉れないので、先生に聞いて貰いに来ました」とさも嬉しそうに話されました。

その後一八日の月並祭の後でこのお蔭話の発表をして頂き、丁度奇蹟と世の中には偶然という事はないというお話の後だったので参拝者の皆さんも特に感動されて聞いて居られました。嬉しさをつつみきれず、乱文乍ら右謹んで御報告させて頂きます。

明主様の偉大なる御守護の下に救世の大業に参加させて頂く光栄を肝に銘じ、益々奮闘致したい念願でございます。明主様誠に有難うございました。