「車に轢かれるも無傷」

御陰話 福岡県I.M. (昭和二七年五月二五日)

私は病弱の妻を御救い戴きましたのが動機で入信させて戴き、只今では御守護のもとに仕合せな日々を過させて戴いて居ります者でございます。入信以来、戴きました数々の御守護の中から、その一端を謹んで明主様に御礼御報告申し上げさして頂きます。

四月一日正午頃、N町営業所に自転車にて出勤の途中の出来事でございます。S町裏のカーブを横切っておりました時に、ほんの瞬間・・・・どうして轢かれたのか分りませんが、ふと気が付きました時は米軍乗用車の下敷になって居りました。当然、轢死しているものと思って人々が騒然と車の周囲をとり巻いておりました。驚いて駈けつけた四、五人の人達が自動車の下から私と自転車を引張り出して下さいました。自転車のペダルは曲り、腕時計が三つに割れて散乱致して居ります。又、一〇間程先には靴が吹き飛んでおり、眼鏡も飛ばされておりました。人に助けられて起されまして、はじめて私の身体には何の痛みも傷も無い事を知りました。この時の有難さは何にたとえ様もなく、ただただ「明主様有難うございます」と御礼申し上げるばかりでございました。この理屈では割り切れない大奇蹟を現実に見て、周囲の人々も只唖然として言葉もありませんでした。その時通訳の人が「車にお乗んなさい、病院に行きましょう」と言われますのを逃げる様に振り切ってすぐ教会にお参りさせて戴きました。

若しあの時に、明主様の御救いがなかったならば、私の生命はすでに無いものと思います時に、この御救いの御力の偉大さをしみじみと分らせて戴きました。教会にお参り致し明主様の御写真の大前に額ずきますと、入信以来賜わりました限りなき御神恩の万分の一にもお報いさして戴く事も、報ゆる事なく過して参りました今日までの御無礼をも咎め給わず、大慈大悲の御放しを戴きまして只々申訳ないばかりでございます。併しながら今日を期して新しく生まれ変らせて頂き、どうぞ明主様の病貧争絶無の地上天国御建設の御用に少しでも御使い頂けます様伏して御願い申し上げます。明主様有難うございました。