「トラック横転も御守護」

御蔭話 福井県K.H. (昭和二七年三月一〇日)

明主様謹みて御報告申し上げます。

入信以来数限りなく戴きました御利益の内主なるものを一つ御報告申し上げさせて頂きます。

私は昭和一七年満州に渡り満鉄に入社致しまして一九年の春、一カ月間の休暇を許され二ヵ年ぶりにて内地に帰って参りましたところ幸い当県へS先生がおいで下され、尊い御守様を戴いて入信させて頂き再び渡満致しました。

S先生より直々有難い御話を承り、又御浄霊を戴き、天にも登る心地致し、子供の時より何時も思い浮べた空想が実現したるごとく喜びました。

在満中、月の三分の二は夜間勤務の鉄道作業に従事し疲れて帰って見ますと部屋に五、六人から多い時には一〇人位は私の帰りを待って居りました。耳の悪い人、目の悪い者、体毒で顔一面お化けの様な幼児、寝小便する子供等々種々様々な病人を片っぱしから驚くべき早さで治させて頂き、又ある時は生命危険の婦人病をたった四日間の御浄霊にて治させて頂き、また嬉しかった事は近所に住んで居た憲兵軍曹がアミーバ赤痢で六年間苦しんで居りましたのをわずか六日間にて治させて頂き、本人は言うに及ばず家族の方から大変喜ばれました。

その様に奇蹟が次々と起りますので、この話が非常に拡がり、益々忙しくなりましたが、昭和二〇年現地召集となり、皆様から惜しまれながら入隊しましたが三ヵ月後終戦、それよりシベリアに入り、幾度と無く所を変り、重労働に服し、ソ連最後の地「ナホトカ」の海岸地帯にて土木作業を続けて居りました。

丁度復員する昭和二一年の秋、何時もの様に二里の山道をアメリカ製十輪トラックにて、つかれた体をやっと車上の人となり、同胞ら三十数名乗込み、ソ連人の運転にてトラックは動き出しました。

ある急な山道にさしかかった時運転をあやまり、何丈余もあろう崖を人諸共コロコロと海中まで落ち、乗組員は全部立って居りましたので、御重箱を伏せた様な形になり、私も一瞬大きな鉄鎚でなぐられた感じがして首が胴の中へめり込んだ思いがした事だけ記憶して居ります。

それから暫くしてやっと吾に返りあたりを見廻して驚きました。

彼方にも此方にも血まみれになって死んで居るもの、唸ってたおれて居る者、さながら 地獄そのままでした。

私は早速その場にて首を動かして見ました。首も動きます。今度は両手を動かして見ましたがこれも自由に動きます。「助かった自分は助かった鳴呼有難い」と心の中で喜びながら、がまがえるの様に顔中土だらけになって、やっと道端まで這い上って来る事が出来ました。

そして体中を見ましたが少しも怪我らしい怪我はありませんでした。何という不思議な事実もあるものぞと、今さらながら光明如来様の絶大なる御守護に感涙致した次第でございます。

今日まで御礼御報告がおくれました事を衷心より伏して御詫び申し上げます。何とぞ御許し下さいます様御願い致します。

今後尚一層御聖業に働かせて頂きます事を御誓い申し、末長く御使い下さいます様御願い致し筆を止めさせて頂きます。