「事業の金銭問題にご守護」

御蔭話 宮崎県M.N. (昭和二七年二月五日)

私は、或火災保険会社の地方営業所長として働いて居り、昭和二一年九月、入信させて戴きました。

当時と致しましては、入信という一事が自分の将来の運命に、これ程の一大転換が約束されている事等、少しも予想して居りませんでしたが、悪魔の巣の様な暗澹たる病弱の一家は、これを契機と致しまして徐々に、春風漂う一家と変らして戴いたのでございます。その後、大光明如来様、御屏風観音様の御奉斎、家族四人共教修を戴き、家族揃って一意信仰の生活に没入させて頂きました。昭和二三年半頃から、会社の業績は段々調子よくなるし、物質の面に面白い程の御恵を受ける様にならして頂きました。私は何事も徹底する方で、御神業の御用も、当時はこんなにも教会の御用ばかりに没頭して居ていいんだろうかと、自分ながら聊か不安に思う位の私でありましたが、今ではハッキリ御神業の御用を一生懸命やらして頂いて居る時は、社業の方も調子よく進むし、何かの関係で御用が面白くない時は、覿面(てきめん)に、社業の成績が狂うという事を体験させて頂きました。

私は、仕事の特殊性から、毎月の給料以外に、相当の予期しない収入がありますので、その場合その額の一割以上を、必ず御神前に奉謝金として御礼さして頂く事にして居りますが、そうするとその翌日は、又予期しない金が這入って来ると言う工合に、つぎつぎと御恵を授かるのであります。何か大きな交渉事に打ち当った場合は、先ず、最初に或額を御用さして頂き、光明如来様に只管御守護の御願いをして、後は一切お任せ申し上げていると、問題はスラスラと予想通りに行く場合と、半頃までは順調に進み、思い掛けない難関が現われて、二進も三進も行かない様になる事がありますが、それでも、これは何か神様の御都合だろうと何事も御任せしていると、最後の五分間で有利に展開して、問題が解決する場合と、色々過程は違いますが、一番良い様にして下さると覚らして戴き、本当に何の憂いも不安もない、神様の御守護の中の生活に、毎日感謝さして戴いて居ります。この様な調子で、社の成績は昨年同期の一カ月分の成績は、大概半月で挙げて仕舞い、毎月昨年同期の二倍以上の成績を示す様になりました。この事実が他の信者の信仰上に大きな影響を与えるのでございましょう。一例を挙げますと、去る一一月一九日、入信後、日なお浅いが、熱心に信仰して居られるKさんを、教会の用件で訪問致しましたところ、Kさんは、沈痛な面で、「実は私は、一〇万円の銀行の手形期日が、明日に追って各方面を極力集金してるけれど、どうしても見込が立たないのです。若しそれが旨く行かぬと銀行の信用を失い、致命的打撃を受けるので」と、苦悶の事情を披瀝され、「どうしたらいいでしょう」との相談なのです。そこで、私は「それなら、先ず御守護御願いの御玉串料を御神前に御上げし、一心に光明如来様に御守護御願いをしなさい。その場合、金が出来ぬと俺が困るからという想念でなく、商売が旨く行かぬと、御神業の御用が出来なくなるとの想念が必要です」と、私自身の信念と体験を話さして頂きますと、Kさんは、早速教会に御参りし御願いされました。とどうでしょう。その翌日、Kさんは、息もせきせき、挨拶も抜きにして、「Mさん、出来ました。一七万円出来ました」と言って、私の所に飛び込んで来ました。余り唐突なので、私も面喰いましたが、銀行の金は一〇万円のところが一七万円出来たと、声を震わしての感激の報告なのです。偉大とも厳粛とも形容の出来ないこの報告に、一瞬私は胸を打たれました。その後、Kさんは、銀行の信用も倍加し、四〇万円の金を無担保で引出す事にも成功さして頂く等、事業は益々堅実に上昇の一途を辿らして頂いて居るとの事でございます。事業面に於ける御守護の一例を、簡単ではございますが、茲に謹んで御報告さして頂きます。明王様有難うございました。