『恐るべき医学迷信』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

本教は常に結核療法に対する医学の無効果否逆効果を唱えているが、左記の御蔭話はそれを最も明白に示したもので、これを見れば如何に疑い深い者でも、信ぜざるを得ないであろう。従って今日最も難問題とされている結核が、浄霊によってこの様に正確に、短期間に完全に治るとしたら、実に驚異的大問題である。にも拘らず文中にもある通り、この実際を見た医師は、只首を傾げるばかりで、進んで研究をしょうともしない態度は、寔に不可解千万である。そうして若しも斯んな素晴しい効果が医学上での発見であるとしたら、ヒドラジドどころの騒ぎではない。世界的一大センセーションを捲き起さない筈はないであろう。ところが全然そのような事などありそうもないとしたら、全く根強い医学迷信に陥っているからで、恐るべきは現在の医学迷信である。この事実にみて忌憚なく言えば、今日の時代は外容は文化的であっても、結果から言えば野蛮蒙昧時代といっても過言ではあるまい。従ってこの迷信の為に現在は固より、今後も如何に多くの病人が犠牲にされるかは到底計り知れないものがあろう。鳴呼この世紀の一大悲劇を日々目の前に見ている吾等は如何にすべきや只長大息あるのみである。

 

御蔭話 東京都N.T. (昭和二七年四月二五日)

肺結核の苦悩のどん底より歓喜に満ちた生活に転換さして戴いた私の喜びを、嬉しさの余り結核に苦しむ人の為に乱文ではございますが御報告させて戴きます。

私は血気盛んな折、風邪気味ながら東京貯金支局に勤務致しておりました。昭和二一年一一月の事、年一回の集団検診がありましてレントゲン検査で曇りがあると申し渡されました。小さい時より病気一つしなかったもので、その時の落胆は言い様がありませんでした。役所の医師に休む様に言い渡され、仕方なしに休む様になりその後宮内省病院へ行き再診して左肺浸潤との事、三カ月天井ばかり見ている安静生活が始りました。昔から不治と言われる病気乍ら、医者の言う通り安静栄養を忠実に守り、結果は一進一退、早く治そうと焦りました。

三カ月経ちレントゲンの検査の結果「空洞が出来ている」との事で、気胸をするよう勧められ、私は反対でしたのですが、親も勧めますので仕方なしにやりました。その気胸をやるのが痛いので、その日が来るのがいやでした。空気三〇〇cc位入れ空洞をつぶすとの事です。胸は苦しく困りましたが、それでも根気よく続けました。その結果空洞はつぶれましたが、今度はあまり空気を入れすぎ、副作用により水が溜り、遂に肋膜炎を起してしまいました。その後も水を取り乍ら気胸を続けました。気胸は根気よく二年間、約七〇回続けました。

その内「心臓は右に移動し、溜った水は化膿した」との事で、一週間ばかり入院を致しまして調べましたが、外科では「化膿していない」と申されましたので、一時退院を致しましたら、気胸のあとが腫れて化膿しはじめ、オデキの様になり、腫れては膿が出、又腫れるという風に幾ヵ所も化膿して参りました。その内皮は取れて胸一杯潰瘍になってしまい、実に困りまして病院へ行きましたところ、外科へ廻され治療を受ける事になりました。併し余りひどく治りませんので終には面倒になり、手術をした方がよいと申されました。

その時の外科医との対談中、私が「手術をすれば治りますか」と訊けば「それは分らん。君道路を歩いていて自動車に轢かれるという事もある。それは突発事故だ。手術も同じである」と言われます。人間の生命を扱うのにあまりあっさりした解答で、只茫然となりました。内科医は「反って手術しない方が良い結果になる時もある」と言われますし私自身も気が進まぬまま手術を中止して家庭療法に入る事にしました。その時は私はもう医学にも見放された者と悲観し、殆んど自暴自棄的な気持で運を天に任せていたのです。

丁度その頃、昭和二四年一月一六日、ふとした動機で隣のEさんという信者さんの家に行くようになり、そこで神の大愛の御手は差伸べられたのであります。色々とお道の話をお聞き致し、私も驚いて浄霊を受けてみる気になり、それよりB町のAさんと言う信者さんの家へ通い浄霊をして戴きました。

色々有難い奇蹟の話もきかされますし、浄霊の原理も話して貰いましたが、その当時は勿論半信半疑で唯無我夢中でした。初めの内は別に変化もありませんでしたが、五月には御浄化を戴き、血便の下痢がはじまり一週間ばかり続きました。それからは身は軽くなり、肋膜の水が出たのではないかと思いました。

その後日増しに良くなり、潰瘍もすっかり乾いて来たのです。お蔭様で二年目には気胸の跡も傷口もくっつき、外科医師の絶対にくっつかないといった傷も口が塞がり、大変嬉しく感激致しました。

医療を止めてから二年目の二六年六月二人日に久し振りでレントゲンで見てみたく思い、宮内省の病院に行きますと両側の椅子には病人が一ぱい居りました。その中には二年前に知っている患者さんも居り、まだ身体が悪くて青い顔をして続けて通っているのには驚きました。前にお世話になったS医師に会いましたところ、先生は私があまり変りましたので、暫くは私と分らない様子でした。それもその筈です、二年前には死の一歩手前、実に見るも憐れな状態で病院を去ったのですから。

やがて診察室に入り診察を受けました時S医師は「君幽霊かと思ったよ」とか、「もう三回忌の筈じゃないか」等と言って、しきりに驚かれます。私は「幽霊が話をしますか」と言って冗談を申しましたが、本当に自分は大きなお救いにあずかったのだ、という事を改めて深く心に感じ感謝の思いに満たされました。診察の結果兎に角余り良好なので驚き「一体どうしてこの様に丈夫になったのか」と聞かれましたので、救世教に入信御浄霊を受けて治して戴いた一切を話しました。医師は「水もないらしい。ラッセルの範囲も小さくなった」と診察しつつ、唯々ウーンと唸った切りで首を傾げて居ります。

更にレントゲンの透視で調べて「水もなく大変肺もきれいだ」との事で、又々驚いておられるではありませんか。この時程医学の力と浄霊の御神力の違いさの大きい事を感じた事はなく、鳴呼斯うして自分は教われたのだ。これも皆明主様のお蔭と深く感謝申し上げました。早く御礼申し上ぐべきところ、延引致しました事をお詫び申し上げます。明主様本当に有難うございました。