御教え『本教信者とキリスト』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

キリストは足□で歩行不能な病人を、目の前で立たしたのは有名な話で、この奇蹟が如何にキリスト教発展の一要素となっていたかは計り知れないものがあろう。ところが本教信者の一人が左の御蔭話の如く、キリストと同様の奇蹟を顕わした事である。これによってみても本教の偉大なる事は、多言の要はあるまい。従って目下日本に於て、数十万のキリストと同様の治病力を有する者が出来ているのであるから、何と心強い話ではないか。若しこの事が全世界へ知れ渡ったとしたら、世界各国は日本人を神の如く敬うであろう事は、満更夢とは言えまい。

 

御蔭話 北海道Y.M. (昭和二七年八月一日)

拙文をも顧みませず謹んで、日々絶大なる御守護の数々を頂き、御礼の御報告を申し上げさせて頂きます。

昭和二四年五月三〇日B町の教会でこの身の幸福の綱である御守様を京都のS先生より有難く頂きまして以来、毎日元気にT先生始めN先生並びにA先生方の御指導の下に御布教に専念させて頂くこの身の幸福は何物にも代えられぬ有難さにて感謝感激に堪えぬ次第でございます。

顧みますれば母K(五八歳)は二四年一月転んで打ったのが原因で右膝が痛み出し、病院は申すに及ばず指圧、鍼、灸と人の良いと言われる事をやってみましたが、治るどころか関節が曲らなくなって来ました。ある時はあの神様この神様と一心に祈祷して頂きましたが矢張り治らず、毎日暗い顔をして足を伸して御飯を食べて居りました。四月一五日私が会社栄養素製造より帰るとちゃんと坐って御飯を食べて居るではありませんか。私は母を見るなり「足はどうしたの、治ったのか」と聞くと母は只にやにや笑って居るので私も驚きから喜びに変り、又も「どうしたの、どうしたの」と聞きますと漸く母がぽつぽつと次の様な事を話し出しました。

その日も相変らず汽車にて函館の指圧院に通って居りました。その帰り車中にてA様とお逢いしました。A様と私方は親戚の間柄であり、色々な話から有難いお道のお話となり、その間曲らぬ右膝に只手を翳して下され、もうO町の駅ですから、どうだか腰掛に坐ってみたらと言われて坐ってみたら難なくすわれたそうでした。その時不知不識大きな声で「坐れる坐れる、治った、治った」と言ったので車中の人が一斉に母の方を見たので思わず赤面し、A様と共々に「良かったねー良かったねー」と只々有難涙に咽んだそうでした。母の話を只静かに聞いて居た家族の内私だけがふんふんと感激に打たれて聞いて居た内にああ本当に申訳ないと心の中にお詫びしたのでございました。それもその筈です。Aの母さんがお光様を信仰して居ると聞き「只手を翳し病気を治して居るって、そんな事で病気が簡単に治る物であったら何も心配は無いよ」とか、又「この科学万能の世にそんな事で」と悪く言って笑ったカチカチの無神論者の一人でした。いかに分らぬとは言え、本当に何たる事を言ったのかと今は自分で自分を叱って居ります。よくもあの時にこの口が腐らなかったと不思議に思って居る次第でございます。明主様誠に申訳もございませんでした。重ねてお詫び申し上げます。

有難い御道の事を知らして下さったA様が四月二七日、滋賀県から神様の御用でS町に来て居られる)N先生ですと言われる若い男の方と共に家に来て頂き、尚も私に有難いお話を二時間にわたって聞かせて下さいました。その上『栄光』新聞と『地上天国』をお貸しして下され拝読さして頂く内に一日も早く有難い御守様を頂きたくなり、何とかしてと毎日残業致して献金をつくり、漸く五月三〇日曇り多い私ではありますけれども御守様を頂く事が出来ました。只々有難く感謝の気持で一ぱいでございます。御守様を頂いたその日から早速腹痛の病人を先生方のおっしゃる通り只手を翳して約一〇分も御浄霊をやらせて頂いて居る内にその腹痛がぴたりと治った時の有難さ嬉しさ、只々有難うございましたと目を閉じて手を合わせ、心から「明主様本当に有難うございました」と幾度も頭を下げました。それから毎日こうしては居られぬ、何とかして一人でも多く知らしてあげよう。一人でも多く救われる様にと走り廻り、先生方の御指導の下に只一心に自分を忘れて御布教とは名ばかりではありますけれどもやらさして頂いて居ります。特に本年は四月五日より一カ月強羅の神仙郷に尊い御奉仕させて頂き、地上天国建設の一員に加えて頂きました。

今日では夫婦共に入信させて頂き、その上有難い光明如来様、御屏風観音様までも御奉斎させて頂き、厚く御守護を賜わり毎日元気な一家となり何と御礼申し上げてよいやら御礼申し上げる適当な言葉もなく只々御恩の万分の一でも御用が出来ます様にと今後共努力致す覚悟でございます。明主様有難うございました。拙文ではございますけれども厚く御礼申し上げます。