『この神力』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

私は常にキリストは、私の弟子に当るという事を唱えているので、信者以外の人としたら恐ろしい大法螺吹きと思うかも知れないが、何しろ神にある私として寸毫の嘘偽りは言えない筈である。何よりも日々各地に於て事実が示しているからである。それに就いて最近キリストと同様な奇蹟が左記の如く起ったので、これを読めば何等疑う事は出来まい。然もこの奇蹟の御当人は智識人であって、長い間本教を勧められても、頑として応じなかったに拘らず、文中にある如く何物かに導かれるような経路で、浄霊を受ける気になった事で、明日から一年間眼科の博士と治療の約束までしたその日の朝であるから、全く祖霊の導いた事が分る。尚事実を早速博士一二名にみせた処、一同驚嘆したという事だが、この事も医師の頭脳に対し原爆的刺戟となったであろうから、喜びに堪えない次第である。

 

御陰話 東京都Y.K. (昭和二七年一〇月二六日)

私の眼疾は昭和二四年に始りました。医学に頼る事満三ヵ年、少しも治らぬ医学というものに疑問を抱き、これを捨てた空白が一ヵ年、再び悪化失明の本年八月末まで、満四ヵ年にわたる暗く長い生活でした。

四年前、失明状態に陥り、尊き方面より博士を差向けられたのが、私がS博士に治療を受ける様になった最初でした。病名は「脳神経より来る角膜実質炎」で、相当に重い方との診断でした。S博士が世界的眼科の権威であられる事は世人の認むる処で、私も博士に開眼までの医療を安心して御任せした次第でした。勿論、博士に治療を受ける以前にあらゆる手段を尽くした事は申すに及びません。一年、二年、三年

――実に私は根気良く病院に通いました。博士も献身的に良くやって下さいましたが、その結果は?失明からはどうやら教われましたが、視力は現形は見るあたわず、只ボンヤリと色彩の区別が付く程度でありました。然も如何に治療を致しましても最早それ以上前進致しませんでした。

ここに於て、私は医学というものに疑問を抱く様になったのであります。と申すより、少々腹立たしさを感ずる様になったと申す方が強いかも知れません。「三年にしてこの程度」と思うと、情ない気持にさえなるのでした。

丁度、外遊の事情が生じた折からでしたので、S博士には角の立たぬ様に外遊にかこつけて、満一ヵ年治療を断ってしまいました。丁度本年八月二人日の夜でした。平常痛みを知らぬ目が急激に痛み出し、眼球が飛出るかと思われる程の激痛が二昼夜続き、遂に私の目は完全に失明してしまいました。何を見ても白一色、黒い瞳は白色と化し、今までに嘗てない最悪の状態におかれてしまいました。家人の心配は勿論、私の苦悩こそ言語に絶するものがありました。致し方なく再びS博士を訪れました。一ヵ年の御無沙汰を詫びて・・・・。S博士の曰く

「治療を一ヵ年も受けませんでしたので、全くの悪化、完全なる失明です。なんとか手段は尽くしてみましょうが色彩の判別が付く様になるまでには早くとも一ヵ年の治療をしなければなりません。兎に角、明日から朝夕三回御来院下さい」これが博士の御言葉でした。この日が丁度九月一日、病院通いは翌日の二日から始める訳です。

さて、お話はここで一寸中絶させて頂きまして、本文の「救世教の御蔭で開眼に至るまで」の順序に入って参りたいと存じます。

元来私は、何宗に依らず、宗教と名付くるものには非常に興味を持って居りました。それ故、あらゆる宗教に首を突込み、トコトンまでその宗教に就いての疑問に就いては正そう498世界救世教奇蹟集と努力したものです。インドのガンジーをして「こざかしい理屈小僧よ」と呼ばしめたのが私が未だ三一歳の頃でした。インドくんだりまで出かけて行って一論戦やる処まではやるといった人間でしたから、宗教に就いては相当のコリ性であったという事は御分りの事と存じます。併しこの研究の結果は、どの宗教も信ずるに足るもの無しという結論で、以来如何なる宗教のお話にも一切耳を倍さない人間と化してしまいました。

従って本「救世教」に就いても十数年前から相当のおすすめを戴いたのですが、信ずるに足らずと、振り向きもしなかったのが、偽らざる私の告白です。

処が私の友人で熱心なる信者にA画伯夫妻が居られます。顔を合わす度に御勧めを戴きますが、どうも私はその気になれずに居りました。ところが、ここに人間の不思議な運命があったのでしょう・・・・

話は元に戻りまして・・・・二日から病院通いをするという、その二日の朝です。病院に行くべく家を出た筈の私の足は、何の考えもなく自然とA氏の御宅へ向いて居りました。バスと電車を利用すべき同氏の御宅へ、然も徒歩で足が向いてしまいました(一言申し後れて居りましたが、私の失明は左眼で、右眼も視力は完全ではありませんでした)。眼帯を掛けた私を見るなりA夫人は「それは御困りでしょう。早速御浄霊をして差上げましょう」と申されます。平素の私ですと「止しましょう。そんな非科学的な御浄霊とやらでこの目が見える様になる位なら四年の苦労は致しませんよ」とばかり、一言のもとに撥ねつけてしまったでしょうが、その日はどうしたものか、私の心は非常に素直でした。

「御願いします」この私の言葉こそ、真に自己の信ずるに足る「宗教」を発見した幸福の言葉であり、「救世教」に総てを教われた喜びの源言であったと信じます。

床の間にさげられた「大光明如来」の掛軸と、その上にかかげられた「明王様の御写真」に両手を合わせた時も、私の心は、何の反抗もなく、何の疑いもなく、総てが「信じて疑わぬ!御纏り申し上げる!」という只それだけの、自然の心であり、自然の姿でありました。浄霊の位置に坐りました私は、合掌のまま目を閉じました。――時間にして約五分!「目を御開き下さい」と言うA夫人の御言葉に、静かに開いたその瞬間!万物がハッキリ明るく見える不思議さ!ハッと思って見える右眼をつぶり、失明の左眼で見た時、思わず私は「奥さん、見えます、見えます・・・・」の狂喜乱舞の叫びでした。御覧下さい、浄霊五分前の白色一面の瞳は、黒々とした見事な瞳と変り、一ヵ年にして色彩がボンヤリ見え出そうとS博士の断言した視力は僅か五分間の御浄霊によって見え出すという、世にも不思議な現実が、ここにハッキリと現われました。A夫人も涙!私も嬉し涙がとめどなく流れ落ちました。この神秘の開眼という「事実」の前に、何を疑い、何を言いはさむ余地がありましょう?

私はここに初めて、偉大なる明主様の心にふれ、偉大なる宗教にふれた思いが致します。人間は常に迷い、常に何物かを求めて居ります。併し、信ずべき何物もない現世であってみれば、どこまでもこの迷いから抜け出る事は出来ぬものです。幸いに私は「開眼」という事によって、信ず可き「救世教」という拠を得た事を限りなく喜びます。

医学は一五五万六八〇〇分の長年時を費し、十万余円の治療費を消耗しても、尚かつ私の目を開く事が叶いませんでした。然るに御浄霊は僅かに五分、然も無料でこの白目を黒目に変えて下さいました。この事実の前には非科学云々の理屈も要りません。只無条件――信じて疑わぬ――の六字あるのみです。それが信仰への道であり、信仰であります。

敗戦日本ばかりでなく、恐らく地上の人類総ては、今地球の黄昏を感じて居ることでしょう。強いて申せば今日人間は、あくまで人間たらんと欲するか否かを決定すべき所を求めて、その根源の最も狭い場所に逆もどりし様として居ります。その狭い場所、即ち信仰の場所に於て、自己の信じ得る宗教を掴み得て、初めて広い場所に出られ、人間たらんと欲する意欲に満足するのではないでしょうか。

そうした意味に於て、私は私の体験を通して、大方の未信の皆様に対し、明主様の御心にふれられん事をおすすめ致します。人間の基源が想像の域を一歩も出ぬと同様、大自然の中には医学や科学で割り切れぬ、不思議な事実のある事を信じて頂ければ、信仰へ一歩近づいた幸福の人と言うべきでしょう。

私も「救世教」に対する信仰は未だ日浅く皆様に対して云々する資格もありませんが、本数の「治病」は、本教精神の枝葉、言い替えれば副産物でありまして、本流は人間の幸福と善導が主の様な気が致します。従って治病はその根源であるという処から、この御浄霊なるものが生まれ出たものと拝察します。

何れにせよ、結構な事であり、有難い事であります。「喜びを分ち合う」意味で、感謝に満ち乍ら、開眼の次第を申し上げましたが、尚後日物語りを最後に付記してこの稿を終る事と致します。

この日はS博士を始め学界の権威者が集う研究会の日でした。集る博士一二名。その席上へ、未だ一滴も使わぬ目薬を持って入って行ったのが私です。

「S先生、この目を見て下さい」

S博士は私の目を見てビックリされました。

「おや?一昨日の白目が・・・・黒く?見えますか」

「ハイ、良く見えます。先生は一年後と仰せられましたが、昨日五分で開眼です」

並居る諸博士は一様に皆驚かれた様子でした。私の目は一時、『朝日』、『毎日』、『読売』等に騒ぎ書き立てられた問題の失明だっただけに、諸先生方は皆御存じであったのです。

「これは不思議だ、なんとも不思議だ!」

S博士始め諸先生方の口からは、只不思議だ不思議だの連発でした。私は事の次第を話し、「決して開眼を、皮肉の意味で御目にかけに来た訳ではありません。長年御心配して下さったこの目の開眼を、喜んで頂きたいためと、今一つは、宇宙には目に見えぬ一つの力、何物にも支配されぬ不思議な神の力というものが厳然として存在するという、この事実を見て頂きたい為です」と申し上げました。「全くです。Yさんのその目が一日にして開くという事は、医学的には不可能な事ですからな」と、S博士の不思議は又繰返されました。他に三博士の口からこんな言葉が出ました。

「薬もメスも捨てて、信者になるか――」と、ユーモアとも受け取れぬ、悲痛なお声であったかも知れません。