御教え『浄霊と医学との比較』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

これに就いてはいつも言っている事で、今更かく必要はないが、左の御蔭話は余りにそれがハッキリしているので、この文をかかざるを得ないのである。ところが薮で考えなければならない事は、医学より浄霊の方が勝っているという事ょりも、医療が如何に恐ろしいものであるかを言いたいのである。ではこの様な飛んでもない医療を、誰も気付

かないどころか、反って信頼して命まで任せるというのであるから、不思議と思うより外はない。ではこの理由をかいてみよう。

それは浄霊という本当に病気の治る方法が発見された為、真実が分ったのであるが、若しそうでないとしたら、医療で悪化したとは思えず、遂にこれ程医師が一生懸命にやっても悪化するのは、病気が悪性だからと患者は思うし、医師もそう説明するのであろうから、何と恐ろしい世の中ではないかと思う。

 

御蔭話 静岡県S.F.(昭和二七年一〇月一六日)

明主様数知れぬ御守護有難うございます。この度私が御浄霊させて頂いたH(39)さんの御浄化と御守護の一端を御報告申し上げさして頂きます。

六月一○日頃でしたか、Hさんが休んでいると聞きました。日頃から丈夫そうに見えても時々頭が痛いとよく休まれ、その度毎にペニシリンをうっていた様です。それでお救いして上げたいと思って早速伺いました。

「Hさん、どんな?」と声をかけますと薄眼を開けて「同じ様で困ったよ」との事、長く眼を開けていると座敷がグルグル廻る様に見えるそうです。氷袋を取って額に手を当ててみますと永の様に冷たいのに、氷が利かなくて困るとこぼし藤蒲団は三枚もかけて寒い寒いと言って居りましたo その日は瓣御浄霊を致しても何の感じも持たな様でしたが・「氷を取艇る様にしないともっと眼が廻る様になり・ 起きられませんか撚ら」とお話しましたo「医者は最初肺炎といだそうだが今は胸だそうだ。こんなに衰弱したし、どうせ長い事はないよ」と元気な時には無鉄砲な人もうって変った言葉です。

「Hさんの病気は胸より頭が良くなれぱそれでいいのですよ。いつもの様に大きな気持で早く良くなる様お願いしましょう。私も出来る丈都合して毎日来ます」とお話して帰る途中、その人の奥さんに逢いました。「病人は私が家に居りますと、畑の仕事も間に会わないのに家に居ると言っては怒り、畑に出れば、見て呉れるのが嫌で山に行くと言っては困らせられるので帰るのが嫌だけれど、一人捨て置く事も出来ないし」と涙ぐんで話され、本当にお気の毒の有様でした。私も毎日山から帰ると飛ぶ様にして行きますが、農業は忙しい時で日暮でないと行かれません。一週間も経った頃にはあんなに焦がれて居た氷袋も高い所に吊し上げ、体も温かく顔の悪い色艶もどこやら元気に見えました。

今度は私が行くのを楽しみに待つ様になりました。医者はそれまでは「こんな病気はそう早くは良くならない」と言って居りましたが、大変元気になったのを見て驚いていたそうです。

雨の日に「今日は医者も来て「もうレントゲンを撮る必要もない」と言うので、この分では何でも出来る様な気がする。大好きな餅を一〇箇も食べた」と腕を撫ぜながら大喜びでした。急に無理をしない様にお話し、お別れして途すがら「明王様有難うございました」と何遍も口をついて出てはいい知れぬうれしさがこみ上げて参りました。

その翌日は遠山に行き、今日は遅いし休ませて頂こうと思いましたが、何となく気になりますので近所の人に聞きに行きますと、「午前中はとっても元気で大話をして居たが、昼過ぎ医者が廻って来、少し経つと気分が悪く頭が痛いと唸っている様でした」との事です。「注射をうった様ですか」と聞きますと「注射をして二時間程経って気分が悪くなったと言っていたよ」と聞いた時「そんな事をしたから悪くなったのさ」と思わず口に出てしまいました。昨日はあんなに大喜びで居たのに、それにしてもレントゲンを撮る必要もない、もう大丈夫と太鼓判を捺し乍らどうして注射をうったのか余りの事に掻きむしられる様な気持でした。そうだ。今夜は尊き神の御守護と医者とどちらが有難いか知らせて頂くのがよい、とそんな考えを起しましたが、やっぱり心の中では、「明主様どうかお赦し下さい」とお詫び申し上げて居りました。でも出掛ける気持にはなりません。夜の御挨拶をさせて頂きましても病人の顔ばかり映ります。夕食の膳に向いましても箸をとるのも重く、話もしたくありません。

ああ――この気持、私共では私一人入信して居るばかりで色々の都合でまだ御神体は御奉斎致して居りませんので、御神体代りに朝夕お参りさせて頂いて居ります「日光」の御文字の前で、乱れる心を独り鎮めて居りました。今夜は寝てから起されるかも知れない、と何時かうとうとした頃「今晩は今晩は」と戸を叩く音に眼を覚ますと、まぎれもないその家の奥さんの声でした。「済まないけれど起きて呉れょ、こんなに遅く本当に気の毒だけれどお願いしたい。頭が痛いと大騒ぎで、貴女の所に迎えに行ってくれなければ自分で行くと自転車に乗って出掛けたが転んでしまい、せつなさの余り当り散らして居る」との事です。早速お願い申し上げ来てみれば昨日に変る今日の姿、眼は血走って吊上り、寒い寒いとガタガタ震え、「湯タンポを入れて呉れ」と大騒ぎで手の付け様もございません。善言讃詞を奏げ、頭を御浄霊致しましたが、段々と御浄化は強くなって参ります。とりとめもない事を喋り続けたかと思うと正気に返ったり、そんな事を繰り返し、その内跳ね起きては「頭が空中分解してしまう。体は空に浮んでしまった。早くヨキを持って頭を割ってくれ」と叫びます。「三年前に亡くなった父親が今迎えに来てそこに居る」と指さしして「もう駄目だ」と言いますので、思わず瞳を見合しました。その時ふと『地上天国』の御本をお倍しした事に気がつき、早速表紙の御観音様を床の前にお立てして御守護をお願い申し上げました。仏様にもお参り致し祝詞を奏げさせて頂きますと、明主様のお姿がニコニコお笑い下さいます様に眼前に写ります。「明主様お助け下さい」とお纏り致しますと尚も「面白い」という御様子に見えます。

病人のそばに参りますと、「姉さん今度は身内にも及ばぬお世話になって申訳ない。だけど俺はもう眼がかすんで見えなくなって来た」と申し、そのまま段々呻きながらも眠って行きました。

やがて何時しか東の空も白んで参り、間もなく四時がうちました。奥さんは様子を気づかって私に色々相談致します。終に「医者を呼びに行ってもいいでしょうか」と言うので、私ならばお纏りし得ても致し方なく、「構いませんよ」と言って五時もうち近所の人も見舞に集まって来ますので帰って参りました。

朝のお参りをさせて頂き「このまま続けさせて頂いても宜しいものでしょうか、それとも止めたが良いものでしょうか、どうぞ御教え頂きとうございます」と御願い申し上げますと、又も明主様の御姿が「やって上げなさい」とお手を動かされる様に浮んで参ります。私は只有難くひれ伏して御礼申し上げ、直ぐにも行きたく思いましたが尊き御道の御使を、先方が分らないのにこちらが強いる様な態度があってはと考え昼過ぎ伺いますと、尚昏々と眠って居ります。奥さんは「今朝六時頃医者を迎えに行きましたが、今日は検死で行かれないからとの事、貴女には誠に申訳ないけれどどうかお願いしたい」と申されます。聞いた私は御守護の程に驚きました。

お蔭でそんな御浄化も三日程で、ひどい下痢や汗が沢山出て大変元気になり、そのまま医者は不思議にも来なくなってしまいました。今では軽い御浄化を時々頂きながら何処へでも行ける様になりました。

幸にも医者が来なかった為にお救い頂けた尊き御守護、そして現代医学との違いをはっきりと知らせて頂きました。

それまで分らなかった私の主人も今度はHさんと一緒にお光を頂く様になり、重ねての御守護を厚く御礼申し上げます。明主様誠に有難うございました。