御教え『薬毒の体験』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

薬剤迷信の為、人類が如何に苦悩の窮地に陥っているかは、この事が分って世の中の病人を見れば、思い半ばにすぎるであろう。昔から惚れりゃアバタも笑窪に見えるとの諺の通り、現代人は薬に惚れぬいて有難がっていながら、事実は薬の為恐るべき被害を蒙っていても、柳かも気が付かないのであるから大問題である。然もこの災いに苦しみ乍ら、文明国の有識者はこれを謳歌し、奨励しているのであるから、その無智蒙昧たるや考えれば考える程、不思議である。

左の御蔭話は、薬毒迷信の体験記ともいうべきもので、若しこれを読んでも分らない人があるとすれば、その頭脳こそ形は文化人でも、内容は未開人と少しも変らないと思うのである。

 

御蔭話 香川県S.S.(昭和二七年一二月二三日)

思い起せば昭和二二年九月、この世に生を享けてより二〇年余、身体には絶対的自信を持ち、自他共に健康第一人者と して許して来た私にも、突如病魔がおそって来たのです。病気の苦しみを知らなかった私には、言葉には表わし切れない無限の悲しみを感じたのでしたが、でも医者にさえ診て貰えば病名も分るし又薬さえのめば病気は治るものだと信じ切っていた私は、早速最寄りの病院に行き診察を受けましたが、どこが悪いとも分らぬまま薬だけを貰って帰りましたが、これからが私の医療生活の始まりで、今日まで満五ヵ年間殆んど一日として薬を離す事の出来ない人間となったのです。その間一日も早く元気な身体になりたい一心から、あちこちの病院を走り廻り、苦い薬も痛い注射も何のその医師の言われる通りにして参りましたが、よくなって行くどころか反って年一年と調子は悪くなり、身体はやせる一方で、Aの病院では肝臓病だ、Bの病院では慢性胃病だと申される始末に、果してどこが悪いのか見当がつかず、その上医者が治してくれるものと信じて来たものの悪くなる一方なので、頼りなく思い乍らも薬さえのんでいれば又何時かは良くなるだろうと自分で自分を慰め乍ら服薬を続けたものでした。併し他にもよい治療法はと、人に勧められるままに鍼灸療法を始めましたが、最初の内は非常に効果的で気分も或る程度良くなっておりましたが、段々長く続けているうちに効果も薄らぎ、初めの状態に復してしまいました。もうこれまで八万手を尽くして来て良くならないのでは自分は到底助からないのではなかろうかと激しい死の恐怖におそわれ、この世に生きる希望さえも失いかけました。勿論他人の楽しそうな姿を見ては一層の悲しみを感じ、他人と口をきくのさえおっくうで、一寸した事にも腹が立ち易く、唯思うは身体の事ばかりで毎日悩み続けました。

処が昭和二七年六月職場にて救世教の御話をY様より御伺い致しまして、何か胸を打つものを感じましたので、兎に角溺れるものは藁をも掴む気持で教会へ参りまして、T先生より「病気は浄化作用であり、薬は毒で、現代医学は浄化停止療法即ち固め療法である。神の医学は浄霊によりて霊の曇りを取り、体内の毒素を溶かし、体外に排泄させて病気を根本的に治す方法である」等詳しく御話を承りましたが、実は余りにも言われる事が現代医学と反対なので吃驚したのでした。

果してこのまま今直に薬を止められるだろうか、薬を止めれば病気は益々悪くなるに決っている。唯手をあんなに翳しただけで本当に病気が治るものだろうか、あんな事をして病気が治る位なら何も病院も薬もいらないであろうに等と、今思えば甚だ申訳なく勿体ない次第でございましたが、次から次へと疑惑の念が湧いて来ましたが、でも今日まで五ヵ年も医師に付き服薬を続けて少しも良くならず反って悪化する一方なのだから一応薬を止めてみょうと一大決意の下に遂に五ヵ年間の服薬生活から別れを告げたのでございます。

それからというものは食前、食後に何か物足りなさを感じながらも、教会に御参りして毎日御浄霊をお受けする様になりました。処がどうでしょう、薬を止めれば段々と悪くなって行くに決っていると思っていたのに、不思議に日が経つに従って段々と初めの調子より良くなって行くではありませんか。何となく有難さを感じ、一カ月後の七月入信させて頂きましたが、それでも未だ半信半疑で時々心の動揺を生じ、大変苦しんだ事もございましたが、御神書や『地上天国』、『栄光』新聞を読ませて戴いている内に段々お道の真意を科学的に解らせて頂き、今日では非常に安心立命の有難い境地に立たせて頂き、日々の生活にも生甲斐を感じさせられ、全く暗黒の世界より光明の世界へと導かれて参りまして、この讐ぇようもない喜びに明主様に感謝しつつ、この世に私等と同じく現代の医学を絶対的病気治療法と信じ、恐るべき薬毒を体内に注入しつつも一向に良くなるどころか悪化の一路を辿って日夜苦しんでいる多くの人々に一日も早く、一人でも多く、この超科学的神の医学を解って頂きたい気持で一杯です。

若し明主様のこの偉大なる薬毒の御発見がなかったならば、救世教にて今日まで救われた多くの人々も今頃は薬毒の犠牲者となっていたであろうと思う時、薬毒の真理は絶対的なもので、必ずや現代医学を駆逐するだろう事は明らかであり、又そうでなければ地球上の全人類は必ず薬毒の為に全滅をまぬがれぬでありましょう。何と恐ろしい事ではありませんか。この恐るべき現代医学に於ては薬が病気を治すもの也と信じ、私達人間の身体を一種の機械あつかいとなし、油を注ぐ如く薬を与えて平然としているのを思う時、明主様の御神業の偉大さに今更乍ら唯々頭の下るのみでございます。

甚だ拙文で申訳ないのですが、過去の過ちを思い出すままに書き綴りました事を御許し願うと共に、明主様の有難い御教えに心より敬服するものでございます。

明主様御救い下さいまして有難うございました。

 

病きの因は薬にあるを知らす救ひの業の難しきかも

人の作りし医術は科学にあらで神霊の医しの業は科学なりけり(御讃歌)