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5.『毒素とは何か』

病気の原因は体内に溜った薬毒の固結が、溶解排除される苦痛である事と、医学はその苦痛を逆解し、溶けようとする毒素を固める事であるが、それには毒を体内に入れて弱らす事である。というのは毒素排除すなわち浄化作用なるものは、人間が健康であればある程旺盛なものであるからである。そこで浄化作用を停止する事で、それには健康を弱らす事である。その理を知らない人間は、昔からその毒を探し求め飲ませたところ、からだが弱り、浄化が弱り、苦痛が軽減したのでそれで治ると思い、有難いものとして薬と名付け、病気の場合これを唯一のものとして用いたのである。 続きを読む

6.『現代文化とは』

これまで説いた事によってほぼ分ったであろうが、要するに医学誤謬の根本は、自然を無視したところにある。というのは病気というものは、さきにかいたごとく体内機能の邪魔物である毒素を、病気という形によって排除する自然作用であって、そのように神が造られたものである以上、人間はそれに従うのが本当である。この例としては、彼(か)の風雨や雷火である。これは空気界及び霊気界に汚穢が溜り、これが濃厚となると、毒素が発生し、人畜その他に害を及ぼすので、浄化作用が発生する。すなわち風で吹き払い、雨水で洗い、天日で乾かし、特殊なものは雷火で焼尽する。これを小さくしたものが人間の病気であるから、この理を知ったなら病気を止める事が、いかに反自然であるかが分るであろう。 続きを読む

7.『手術に就て』

近来医学においては、手術の進歩を大いに誇称しているが、実はこれほど間違った話はない。むしろその反対で手術の進歩とは、医術の不進歩を表白する事は私は常に唱えている。従って真の医術とは、患部の機能はそのままにしておいて、ただ病気だけを除ってしまう事で、これが真の医術である。それはほとんどの病気は機能の近接部に毒素が集溜固結し、器〔機〕能の活動を圧迫阻害するからであって、機能自体には関係がないのである。従って治病とは右の毒素だけを除去してしまえば、それで完全に治るのである。ところが医学ではそのような巧妙な事が出来ないため、止むなく機能も共に除去してしまうので、全く無力の結果に外ならないのである。 続きを読む

8.『浄霊とは何か』

今まで病気の原因と、そのまた原因である薬毒について詳説して来たから、今度は治す方法とその原理を詳しくかく事にしよう。もちろんこれこそ我浄霊法であって、その素晴しい治病効果は言い尽したくらいだが、病原とは霊の曇りにあるので、曇りさえ払拭すれば病気は治るのは当然であって、この理は科学的にも説明出来る。しかし単に科学のように極限された小乗的のものではない。いってみればこの世界は大別して上中下三段階になっており、これが一切万有の実相である。ところが小乗科学においては、前記のごとく唯物的分野に限定されている以上、外形のみに捉われ、進めば進む程皮相的緻密(ちみつ)になるばかりで、その結果生れたのが黴菌医学である。従って病理の根本から益々遠去かり、逸脱してしまったのである。そうして大乗科学の三段階とは上段は神科学、中段は霊科学、下段が物科学となっており、この下段に生れたのが医学であるから、そのレベルが低く幼稚であるのも当然であってそのような程度の低い科学をもって、最高度の人間生命の解決などは思いもよらない話で、むしろ僭越(せんえつ)でさえあり、長竿をもって大空の星を落そうとするようなものである。 続きを読む

9.『科学で病気は治らない』

科学の進歩は、科学発見以前の世界と較べたなら、比較にならない程素晴しいのは今更言うまでもないが、さりとて向後(こうご)百年、千年後を想う時、それは想像も出来ない程の超驚異的文明世界である事ももちろんである。そこでよく考えてみると、今日までの科学の進歩は、端的にいえば光学の進歩でしかない事である。すなわち小さなものが拡大して見える硝子(ガラス)玉の進歩である。大は天体観測の望遠鏡から、小は微生物発見の顕微鏡に至るまで、つまり大と小の極端の進歩で、中間はほとんどないといっていい。そこで医学に関する面を主としてかいてみるが、現在のところ電子顕微鏡で見得る限度は二十万倍とされている。この限度内で把握された微生物すなわち黴菌、またはウイルスを病原としているのが医学の考え方である。そこで医学はこの菌を殺滅すれば、病は治るものと信じ、それを建前として研究を進めているのは言うまでもない。 続きを読む