霊界通信(二)

明輪中教会 ウルソー・照子
『地上天国』61号、昭和29(1954)年8月15日発行

 

その翌日、私は長崎港外高島に光明如来様御奉斎のため、花田先生にお供する事を思い立っており、早朝からその準備を急いでおりましたので、この子の夢のお話は帰宅後ゆっくり聞こうと思いつつも、やはり一刻も早く聞きたい思いにかられましたので、この子の目覚めを待ちました。「今日のはどんな夢?」とせきたてますと「高島の桟橋の近くでクレーンに巻き込まれて即死したという人がお願いに出て来たの」と申しました。この返事は私にはあまりにも思いもよらぬ事で御座いました。私はこの夢物語りを聞かずに家を出ようとしていた事に胸を突かれながら、「あなたも今日は先生にお供して高島にいらっしゃい」と急に子供を誘い出さなければいれない気持に追われたので御座います。さて船は私共にとっては初めての土地、高島に着きましたので、私共は桟橋に下り立って、霊が言ったという桟橋から三尺離れた先方の海上を物色しながら、御奉斎の帰りにここに立って善言讃詞を奉げてあげましょうと言いつつ、急いで先生のお後を追いかけました。その頃より子供の顔は青ずんで全身に悪感を覚えはじめました。目的地に着き御神体の御奉斎をすませる頃、子供の異状はもどり元気は快復したので御座います。帰途桟橋の上から善言讃詞をお唱え致したので御座いますが、その翌朝、霊はお蔭様で中有界に上る事が出来ましたとお礼を言いに参ったので御 座いました。

次の日多充哉の眠りは珍しくも、天国と地獄の遍歴から静かに目覚めました。

 

◎ 天国と地獄への遍歴

 

多「お 母さん、僕は今日天国と地獄を見物して来ましたよ。誰が僕をつれて行ったのでしょう。僕はいつも一人でいました。一番初めに僕は血の海地獄に行きました。 僕は血の海の中に胸まで浸りました。生臭くてなまぬるくて、どろどろとした血の感じはいやらしくいとわしく、その気味の悪さは何とも言えません。霊達はそれぞれ自分々々の屍骸を体にくっつけてひきずっております。それが重くてうるさくていやらしくて、どうにも仕方がないらしいのです。ころんだり立上ったり 歩こうとしたり、様々の苦しみで前に進もうとしているらしいのです。死骸は腰のあたりと腕のあたりのへんで繋がっていて、霊達はどうしてもそれを曳きずっていなければならないのです。僕は血の海の中に立って皆の苦しみをつくづく眺めていました。物凄く淋しく荒れすさんだ風景の中に、大きな石や岩がごろごろ しているのが目立っていて、洞窟の中のように薄明りがところどころどこからか幽かに射し込んでいました」

ここで子供の顔はだんだん輝き始めました。

多「次に僕はすーっと上って天国へ行きました。それはそれは明るく楽しく美しい花園のここかしこに、おご馳走の一杯のったテーブルが置かれてあって、椅子が五、 六脚、人待ち顕に並んでいます。僕がその一つに坐りますとい四、五人の親切そうな人々がやって来て僕にお辞儀をしましたので、僕もお辞儀を返しました。皆 が椅子にかけていると“どうぞお上り下さい”とどこからか声がして、僕はおご馳走をいただきました。美味しくて美味しくて僕の大好きなビフテキは、天国の はまだまだどんなに美味しかったでしょう。ああもう一度食べたいな。それからブドー酒も、僕がこの間飲んだのなんかは、あれに比べたら全然おいしくありま せん。天国では不自由というものはないのです。そしてねだるという事もありません。何でもが気持よく運んで行くのです」

私は思わずうっとりと子供の言う事に聞きほれていました。

 

◎ 餓飢道

 

多「それから僕は、今度はすーっとエレヴェーターのように下りました。あれが餓飢道というのでしょう。広い荒野に痩せた草木が生えていました。木の実も少しは なっていました。牛や羊がいて木の実を食べていました。人々はひもじがってこの木の実を食べようとしましたけれど、なぜかどうしても食べる事が出来ません。鎧を着た人がいらだって腰の剣を抜き放って一匹の牛を斬り殺しました。と、またたく間にこの人は深い地の下にストーンと落ちて行きました。きっと罪を また犯したからでしょう。すると大勢の人々は牛のところにかけ寄り、牛を食べようとしましたがどうしても食べる事が出来ません。人々はもがき騒いでいま す。この原っぱに家がただ一軒ありました。くもの巣だらけのこの家の中をのぞいてみると、ひもじがっている人達が男も女も何かわめき合い、ののしり合い掴 み合っております。一人だけ中老の男の人が壁に向って静かに坐っていました。外の人達と違って少しものを考えようとするかのようでした。それから僕はいつ の間にか目が覚めたのです。僕は今日地獄を通らなければ天国へ行けなかったし、地獄を通らなければ現界へもどれなかったので、現界の人は大方地獄を一度 通って天国へ行くのじゃないかと思います」

こう言ってから子供は、何から連想したのでしょうか。

多「僕はいつだったかこんな短い夢をみましたが、あまり印象深くて忘れる事が出来ないのです」と、前置きして次のような事を申しました。

多「アーッときぬを裂くような鋭い叫び声が長く尾を引いて一人の人間が真暗な奈落の底に果もなく落ちて行きました。その時の恐ろしい感じがいつまでも心に残っているのです」

この日はこれで終り、翌朝となりました。

多「今日は僕又天国の夢を見ました」と、子供は楽しそうに申しました。

 

◎ 乗晴しい建物

 

多「小さい綺麗なお部屋でした。彫刻の美しい本棚があって人々が五、六人一心に本を読んでいます。皆とてもお行儀よく、そして勉強欲に充ちている様子でした。不 思議な事に本棚には僕の家にあるお母さんのと同じ本が三冊はっきりと見えました。それは『岡本かの子全集』と『宮沢賢治名作選』と『母妻娘の本(谷口雅春 著)』の三冊です。それから学校の図書室にある僕の知った本がやはり三冊はっきり見えました。それから場面が変って、そこは工場です。大きな煙突が一杯立 並んでいました。その煙突の煙がお互いに合した時に、パッとサーチライトのような光が発光するのが時折見えて、そこには何となく機械化文化のすばらしさが 感じられ、僕はすっかりみとれていました。それから今度落成したあの大きな長崎の県庁とそっくりそのままの建物があらわれました。オヤと思っている内に今 度は青葉の岡が見え、その上にメシヤ会館の設計図と同じ建物が見えて来ました。こちらから眺めているとその窓から誰かが僕を手招きしております。急いで近 寄って中に入ってみると、誰もいませんでした。神様が僕をお招きになったのでしょう。きっと。僕は何よりも天井がすばらしく高いので、ワアー素敵だなと思 いました。内部の壁は白で天井は薄茶の様にその時見えました。何だか壁に地図のようなものが張ってありました。霊界の地図だなと思ってよく見ると、その真 中に大きな真黒いほら穴のようなものが書いてあります。これは地獄かしらと思って眺めました。それからお馬で小父さんと小母さんがやって来た天国の街道も 書いてありました。この丘には梅と桜とつつじが色とりどりに満開していてそれはそれは綺麗でした。蓮の花の浮かんだ大きな美しい池もありました。何だか天 国には蓮の池がどこにもあるようです。」

その翌朝、

多「今日も又天国の 夢を見ました。霊の天国です。雪の小山がなだらかに起伏していて、見渡す限り素精しい銀世界です。ボタン雪が静かに降っていましたが空は薄色の青空です。 太陽が雪に照り映えて、見渡す限り山一面キラキラキラキラ光っています。人々が面白そうにスキーをしています。僕の前を小父さんが上手に滑って行きましたが、大分先の方でストーンと尻餅をつきました。それが又とても面白そうでちっとも痛くなさそうです。小父さんは笑いながら僕に“滑らないか”と言いました。僕はスキーが出来ないので黙っていました。小父さんはこの間のお母さんのお兄さんのようでした。僕はその時しか会わないのに、霊界の人はいつも僕をみていていつも僕と会えるようです。それから今度は大きな池が現われました。その池、それは思い出しても美しい、何といっていいか分らない程美しい池なので す。蓮の花が表面に張った氷の下に大きくまぼろしのように開いていて、それはそれは絵にも描けない程美しいのです。人々はその池の上を楽しそうにスケートしておりました。(この日偶然か東京方面は大雪となりました)」

 

◎ 中有界

 

その翌日、霊界の遍歴はまだ続いております。

多「今 日僕は地獄と中有界と天国とを見学致しました。灰色の空に大きな道が一本向うに続いています。それが地獄へ行ってる道だという事が何となく分りますので、 行こうかどうしようかと考えました。その時地獄の見物もして悪くないなという気がしてその道を行く事にしました。するといつの間にか僕の目の前には荒れ果てた野原が突然開けました。枝ばかりのよれよれの枯木がまばらに立っていました。その原っぱでは人々が暑さのために身をのけぞらしてのたうちまわっていま す。焦熱地獄だなと思っているうちに、今度は人々のようすが変って、皆が急に寒さのためにからだをまんまるくしてガクガクとふるえ戦(おのの)きはじめま した。苦しそうで見ていて気持が変になる程です。その人々の間を絵本に出て来る赤鬼のような男が鉄棒を持って番兵のようにうろついておりました。次に場面 は変って、僕はある安食堂のようなところに腰かけておうどんをすすっておりました。そんなにおいしくもなく、丁度現界の普通のおうどんのような味でした。 幾人かの人々がやはりおうどんを食べておりましたが、四、五人だけ残ってあとは外に出て行きました。労働に出て行ったという事を僕は感じました。この食堂 にはラジオがあって、現界のニュースが放送されていました。明主様の御事が放送されているという事を僕は感じました。ここは中有界だったのでしょう。心の中が天国程楽しくなく、何となく中位の気持が致しましたから。次に今度はすーっと上って又天国へ参りました。新聞社のような大きなところで、その室には大 勢の人々がキチンとした服装をして大活動していました。そこにはタイプライターのようなものもあり、英語と日本語が同時に打たれるような仕組みになってい て、六人の男の人が明主様の御事を大速力で打っておりました。これでこの夢は終りです。けれどこの日僕はもう一つ夢をみました。それは僕の家の近くの山王 神社にある有名な楠の大木の頂上に、ものすごく大きな龍神が緑と金の鱗をキラキラ光らせて大きなとぐろを巻いているのです。雲天に首をもたげ舌が焔のように割れてチロチロ燃えているようでした。灰色の空からは雨がパラパラと落ちていました。物凄くて息のつまるような夢でした」

長崎には長い間雨が降らず水飢饉で皆大変困っておりましたが、この日久し振りに小雨を見ました。この日の午後、私は子供に向って明日は何の夢を見せて戴くのでしょうと申しますと、ボンヤリ考えておりましたが、「分った大浄化の夢です」とはっきり申しました。

 

◎ 右往左往する人々

 

翌朝、子供は来るべき大浄化時代のようすを夢に見させて戴きました

多「僕 はお友達と十人で山に登っておりました。突然三人のお友達がバタバタと倒れました。皆が驚いて三人をかつぎ上げようとすると又三人がバタバタと倒れまし た。残る四人は大急ぎでお母さん達に知らせに行きました。お母さん達はびっくりして息も絶え絶えに走って来ました。そしてその中には途中でバタバタと倒れるお母さんがおりました。一方精神病患者がふえて町をうろうろしています。崖から落ちたり人を傷害したりします。世の中の恐怖はつのって行きますけれど、 収容する病院は足りないのでどうしようもありません。狂暴性のものは殺すより外はない等と言い出す者もあります。又一方脳がぼんやりになってフラフラした運転手が沢山出て来て、衝突したり、人をひき殺したり崖から落ちたり、種々恐ろしい場面が展開されます。あるいはヘリコプターの墜落で機上の人と地上の 人の惨死体がみえて来ます。その時大学病院か何かの大きな室の中で人々を御浄霊しているお母さんの姿がみえて来ます。室には病人が一杯寝ていてお医者さん なんかどこへ姿を消したか、影も形もありません。五人の人が一緒にお母さんの御浄霊を受けております。外にメシヤ教の信者さんが四、五人御浄霊している姿 がみえて来ます。僕も子供のくせに大人の人を三人一緒に御浄霊しているところで目が覚めました」

翌朝の夢は昨日の引きつづきとも思えましたけれど、これは漁をする人々の社会に起きる大浄化のようで御座います。

多「暴 風雨のために海は始終荒れて、沖に出る人々は毎日のように遭難して大量に死んで行きます。生きて流れ着く人々もやがて天然痘のようなブツブツの出る熱病に かかって、それは大変な事になって行きます。でもこの人達は沖に出なければ食べられないので、毎日出て行っては次々に遭難するのです。そんな場面を見ている内に僕はいつの間にか明主様のお近くで御用をさせて戴く身となっております。僕があるお室に坐っていると先生のような方が僕をお呼びになりました。何の御用かと立って行くとそこには新しい金色の箱が沢山重ねてあります。この中に一つ一つ白と紫の布で包んだお守様が幾十も入っております。この箱を御門の外に運び出すのが僕達の仕事なのです。外には出来たばかりの新しいトラックが横づけに待っています。箱はトラック一杯ありました。やがてそのトラックは横浜の波止場へ疾走します。波止場には白と青の美しい船が静かに浮かんでいます。やがて箱が船に収められ船は港を出帆するのです。僕はある小高い丘の上に立ってお船を見送りました。この日風はピッタリと凪いで波一つありません。空は青く晴れ渡り海は鏡のように静かで清澄な空気はあたりに充ち充ちております。いつか僕の周囲には大勢の人々が立ってお見送りしておりました。皆粛として声もなく身動きする者もありません。お船は売り出しやがて小さくなり水平線の彼方に没して行きます。マストの尖端がいよいよ見えなくなろうとする瞬間、突然燦然たる光が水平線上を大きく染めました。その神々しい光!僕は大きく息をのんでみつめました。白光はキラキラと四海を照らし、宇宙を貫くようにいつまでも大空に照り映えて、たとえようもない荘厳さに神の栄光を世界の果てまでしめしているようでありました」

次の朝、

多「昔のお城の中のような古い立派 なお堂に、殿様のような高貴な姿の白髪のおじい様と僕は対座していました。“これまでの夢を大急ぎで書き上げなさい”と、その人は言いました。そのおじい様に僕は今までも時々会いました。いつも僕を守っていて下さる方なのです」と、子供はこのような不思議な事を申しました。

以上一言半句子供の表現を慎重に生かし、表現出来ない心を私の言葉で補い一歩々々ひまどりながら、二月五日を以て一応この御報告文をまとめさせて戴いた 次第で御座います。なお昨今子供の夢は、来るべきミロクの御世の素精しい文明と救世教信徒の華々しくも目覚しい活躍の中に微細に分け入ろうと致しております。幽明境を異にしつつ霊界を経回り、霊界人に会い霊界人に応答しそして現界に覚めてはこの母に伝える。朝毎に繰返すこの霊妙不可思議な夢の旅によって、私共母子ははからずも無限無窮の人生を尋ね、深奥不可解な人生の奥義を探しあて、あまつさえ明主様の御救世が百千万億一切衆生の大念願、幽明等しくひたすら待望し奉る大偉業であらせられる事を、来る朝毎にこの身に知らしめられ、賤の女の冥加は尽きて、ただただ随喜に戻するはかりで御座いましたが、もしもこの子の幼い双肩がこのようなことによって大いなる御神業の一端をおあずかり申しているのだと致しますならは、その母なる私の使命はこれを明主様に御報告申し上げ、これを世人にお伝えするにあると思い到り、御無礼をもかえりみず拙い筆をとらせて戴きました。ここに幼稚未熟の十二歳の子が霊界の人の念願に答え、おそれ多き事ながら明主様の御事をおぼつかながらも誤りなく彼等に伝え、天国地獄の真理を滞りなく現界に明しするこの歎ずべき妙智真覚こそ、神の御 守護のたまものと厚く御礼申し上げます。なお今後、人類待望のミロクの世界にこの子の足が踏み入ることになりますのならば、このいたいけな足どりを、何卒 明主様、夢まどらかに御加護あらせ給いますよう、ひたすら伏してお願い申し上げます。明主様この賤の女の言葉に尽くせぬ御礼の心を何卒お聞きとり下さいま せ。

明主様誠に誠に有難う御座いました。

 

後記

 

文中子供らしからぬ文体に疑問がありましたので、早速本人に問合わせましたところ、左のごとき返事がありましたから、読者の疑問を氷解する意味において掲載させて頂きました。

 

十二歳の子供の言葉として文章がむつかしいとのお言葉については文中の御報告書の後尾にはっきりおことわり申し上げております通りで御座いますから、 あの夢物語に関する限り、私の言葉は、後日、読者のいろいろな疑問を解くに足る、必要欠くべからざる資料として洩れなく御記載をねがいたいので御座います。

申し上げるまでもなく、夢の内容については、私が書き加えたところも、又はぶいたところも御座いません。勿論、口で話された事が一旦紙上にまみえる時 は、一つの調(ととの)った文体を以てなされなければならない事は当然の事で御座いますし、その折、子供らしい言葉のもどかしさを避けて、応所適切な大人の表現を以てこれに代らせたという一点をのぞけば、外は、内容から申して、叙景においても、抒情においても、又、霊界人の言動においても、殆んど全部子供 の口から吐かれたもので御座います。殊に、霊界人の言葉に到っては、殆んど書き改むるところはありませんでした。例えば、

「一刻もゆうよはならぬ」

という言葉なども、子供がこの通り申したので、そのまま書いたので御座います。

又、もし、私がその折々に書きおとした事など、後日清書する時になって、以前の夢をさかのぼって聞き正しますと、子供は実によく覚えていて、夢をみた直後と寸分変らぬ描写を以て答えてくれました。夢をみる時の気持は、色彩映画をみている感じと酷似していて、それよりももっと印象深く、又、霊界人の言葉は 直接魂に打込まれるように感じられ、肝に銘じて後々までも忘れ難いと申しました。とは言え、毎朝の、あのこみ入った夢を、よくも長々と覚えていて、ポツリ ポツリと語り進んでゆくその語調には、子供ながら一種言い表わし難い権威が感じられ、朝毎に心の底深くひとり感歎させられたので御座います。小さい時から 何となく変った子供だとは感じて参りましたけれど、自分の子供がいつの間にこれ程深い魂を持ち、そして又、このように宗教的な言葉を咀嚼していたのかと、その幼い口許を眺めつつ目を瞠る思いを味わったので御座います。この驚きについては、この御報告書の後尾に、神様のお与え下さった歎ずベき妙智真覚と呼んで、私の拙い感慨を述べさせていただいております。

以上のごとくで御座いますので、夢物語の随所に折込んでいる私の感懐を洩れなく御記載下さるならば、これに接する世人は割合に無理なく子供の夢を首肯することが出来、寧ろ、私と共に、真理の前に素直に叩頭しつつ子供の夢路の跡を自然の足どりで辿り進んで下さるのではないかと思い、又そうあれかしと祈るの で御座います。子供の夢をつぶさに見守り、そしてそれを無類の忠実さを以て書きしるしたその母親が、無用の感懐は何一つ書いていないという大きな自信を以ておねがい致すので御座います。

なお、多充哉が夢路を辿る時間は、目覚める直前の約四十分間でありました。それは慣れてみると一見してわかりました。顔色はボーッと桃色に上気し、眼球は軽く閉じられたまぶたの下でくるくると絶え間なく動き、まつ毛はぴんぴんとはね上りました。丁度生まれたての赤ん坊が、まだ混沌の眠りの中で、薄目をあけたり、笑ったり、泣き顔したり、おびえたりする、あの状態によく似たところがありました。そのようすによって、霊界に導き入れられる瞬間がわかりましたので、私は即座に皆の注意をうながし、静かな眠りを妨げないように極力つとめましたので、姉弟達は百日にわたる元気一杯の起床の瞬間を、足音さえしのばせて静寂を保つように協力致したので御座います。あらゆる悪条件を克服して、この静寂だけは保ってやらなければならないと私は専念したので御座いました。こ のようにして母と子は守り守られつつどうにか無事御使命を完了させていただいたので御座います。

思い出せばあまりにも尊く、あまりにも神秘な体験で御座いました。私自身未だに茫然たる気持で御座います。ましてやあれを読む世人がどのようなお気持に なられるかは想像にあまりあるので御座います。そのような方々のために、御参考の資料ともなれば幸いと存じ、思い出るままを書かせていただきました。

あの長きにわたる夢の数々が、いずこより来たのか、又あの大いなる御使命を無事果し得た、多充哉の妙智はどこからあたえられたのか、私にとりましては永 遠に解き難き謎で御座います。けれど、明主様には明鏡のごとく御明察遊ばしていることと信じ申し上げているので御座います。

以上、言葉足らぬ紙面を以て御返事に代え、所懐をのべさせていただきました。