『慢性気管支炎』

「アメリカを救う」昭和28(1953)年1月1日発行

これは体内のどこかに、薬毒の固結があって、それが少しずつ溶けて出ようとする場合、割合固いため、頻繁(ひんぱん)に強い咳をしなければならないのが原因である。何よりも痰さえ出れば楽になるのはそういう訳である。ところが医療は咳を停めようとするから逆になり、ついに慢性となってしまい、長い間苦しむのであるから、この病気も自然にしていれば必ず治るものである。

御蔭話(慢性気管支炎)

(1)大分県T・T

奈良の片田舎に生まれ真宗の流れに育くまれし私は、世の中に神仏は在すもの、又その御恵によりて人間は生きて居る事を知らされて居りました処、偶々見えられて居たA先生がお越しになり、「Tさん光明如来様を信仰なさいませんか。世の中の総ての事が手を翳す事によって解決するんですよ」と言われましたが、当時健康にて経済的にも恵まれて居りました私は、その御力を判らして戴く機会も無く、只何となく狐につままれたような感じで一笑に付した始末でした。その後約三ヵ月過ぎた昭和二二年三月頃より、何か身体に倦怠を覚え、何をなすにも気乗りがせず、それが機会となって手をかざす事の如何に有難い事か判らせて戴く日が参りました。
忘れる事の出来ない昭和二三年一月二日夕刻より悪寒戦慄四〇度の高熱となり、早速医師を迎え診断の結果悪性気管支炎と名付けられ、注射を、薬を、湿布をとあらゆる手当を致しましたが依然として解熱せず、睡眠不足食欲減退し、身体は衰弱し、如何ともなり難く、又他より医師を迎え二人立会診療となりましたが全然効果なく唯解熱剤服用後は一時解熱するも時が経てば又元の状態にかえります。お二人共「これは不思議な」と言い乍ら最後に血液検査を行いました結果、肺結核と診断されました。「レントゲンに掛けると良いのだが」と言われましたが、高熱と衰弱の甚だしき為どうする事も出来ません。お医者さんは「解熱剤を余りいただくと益々体は弱るばかりですから安静にして栄養剤、補血剤を沢山とって気長に養生するんだね」と言われて帰って行きました。お医者は責任のがれのような簡単な言葉だったかもしれませんが、医者を何よりの頼りにしていた私にとっては全く死の宣告を下されたように問えました。絶望のドン底に突き落され、只悲しみに泣くより外はありませんでした。
弱い女の手で幼児を抱え、病める身でこの先はどんなにして生きてゆけばよいかと考え、兄妹とても何時までも世話になることも出来ず、税務署からは昨年の収入をたてに容赦なく取り立てられ、自分一人ならば死んでしまいたいような状態でした。その死の宣告を受けたのが忘れもしない三月二二日午前一〇時、泣けるだけ泣いた後で思い出したのは、母が在りし日の頃、私達子供が病気して苦しんでいる時、又色々心配事の時等、屋外に出て何か一心に拝んでいる姿でした。あの時母は「和歌山の観音様にお願いすれば何でも聞いて戴けます」と申しておりました。母はお正月三日間のお祝膳は全部観音様にお供えしていた事を思い出し、そうだ私もお願いしようと元気を出して苦しい右胸を撫で乍ら、一心にお願いしました。
すると不思議と言いますか、何と申しましょうか。翌二三日の午前中、A先生が突然お見えになり、「何か貴女にお逢いしたくなったから参りましたら、貴女は矢張り病気だったのね」と言われるのです。その時の私は嬉しくて嬉しくて「鳴呼教われた!」と思わず言葉を発しました。それから先生の御浄霊をいただき、早速お願いして御光の御守様をいただきました。
昨日に変る今日の嬉しさ、A先生と共に嬉し泣きに泣きまうした。それから日々の御浄霊で御不浄にも一人で行けるよう数になり、六日目の二八日にはS町のM先生宅の例祭にお参りさせて頂くようになりました。まるで夢の様な有難い御守護を頂きました。雨の降る中を青白く疲れた姿で出て行く私をながめた家の者、近所の人達は「それは余り冒険だ、きっと悪くなるからやめなさい」と止めて下さいましたが私は心の中で「大丈夫です、屹度光明如来様の御守護があります」とかたく信じて、左手でお守様を抱きしめながら出てゆきました。皆様本当でした。その日限り私は床につきません。毎日E町のK先生の御宅にお参りさせて頂き、光明如来様の御前で御浄霊を頂く内、日々ぬれ紙をはぐ様に曇りを取って頂き、四月中頃から軽い仕事も出来るようになりました。私は教われました。本当に偉大なる御神力の前には何物もありません。

大慈悲の御恵を頂きました私は、私と同じ苦しみに喘ぐ多くの人を一人でも多く御導きさせて頂き、この有難い御恵をお分ち致さねば申し訳ないと思い、O先生、M先生始め上の先生方の御指導に感謝致しつつ、不幸な人達の浄霊に幸福な日々を送らせて頂いて居ります。(昭和二五年四月八日)

(2)大阪府S・A

慢性胃病、肝臓病、気管支加答児、関節リウマチ、神経痛等々治り、家畜にまで戴く御神徳の数々にたいして明主様、日々の御守護有難うございます。誠に恐縮でございますが、私の戴きました御守護の一端を御報告させて戴きます。
私は昭和一七年頃、胸が焼けるようになりまして、医師の診断で胃酸過多症と申され、薬を頂いて服用しますとすぐ治りましたがそれも束の間でした。半年後又焼けるようになりましたから前と同様に服薬しましたが、今度は中々思う様にならず、段々と悪い時が多くなりました。その内体が衰弱しましたから、彼方の医者此方の医者と転々と診察を受けますと、胃酸過多症とか慢性胃カタルとか胃拡張、胃下垂云々とまちまちの診断で、毎日服薬しましても効果はなく、胃は段々と張る一方でした。それから或市民病院にて「レントゲンを撮って下さい」と申しますと、院長が「これ程の食糧難で誰もが食べても食べても腹が減るのに君のは国策腹だね。しかしレントゲンは今毀れて居る。修理ができ次第撮ってあげるから暫く待って呉れ給え」と言われましたが、時日が過ぎる許りで病気は一寸も楽になりません。胃は年中張り詰めてせつない上に、夏は気管支カタル、冬は関節リウマチや神経痛で苦しむので心身共に疲れ、世の中には神も仏もないものかと嘆き乍ら泥沼生活を続ける中、愈々体が衰弱しすぎて働けなくなりました。二六年三月三一日胃腸専門医院で診察を受けますと「長年の胃病から心臓が弱り肝臓が腫れている。これは胃癌か肝臓癌又は腸満の一歩手前迄きているから気長に静養しないと生命が危ない」との診断でした。過去多くの診断の内右の診断が一番確かと信じ、熱心に服薬しますと気のせいか少しずつ楽になる様に思いましたが、全快の見通もつかず苦しい泥沼生活を続ける中、救世教で手を翳して貰えばどんな病気でも簡単に癒ると聞きまして「溺るるものは藁をも掴む」のたとえ、早速T様に浄霊を戴き乍ら、『地上天国』『信仰雜話』『栄光』新聞等を拝読致しますと不思議に気分が楽になりました。私の生きて行く道はこの神様にお縋りするより外にないと信じまして、一切の薬や医師には縁切りして、二六年八月一六日入信致し御守様を戴きました。
それから又気管支カタルの浄化をいただきまして有難うございました。毎日痰咳で苦しんで居りましたが、八月二五日の晩はいつもと違って、痰が咽喉へとこみあげて息も出来ない様に苦しいので、T様に一生懸命に御浄霊を戴きますと、昼も晩も痰が出どうしに出ました。痰が湧いては咳く、咳いては痰を吐くという始末で、一晩僅か二、三時間眠る位で痰を吐くのに懸命でした。これが一〇日間も続きましたが、別段睡眠不足の疲労も感ぜずに昼は楽に仕事ができ、長年の気管支カタルも以上一〇日間の大浄化で楽になり、九月六日は御屏風観音様を御奉斎致しました。一〇月一一日岐阜のS中教会の御例祭にお参りして、先生より御神力の尊さを御指導戴き、尚一層力を得ました。
人様に浄霊を致し、「楽になった」「治った」等と言われる度毎に有難く、明主様に感謝し乍ら日々のすべてをお縋りする次第でございます。
一〇月三〇日明主様が京都劇場へお出でになられました時御面会に参じ、その日から毎日胃がムカムカし食事もすすまず、丁度御面会の日から一週間目の三月五日は朝から非常に気分が悪く、御飯は全然受付けず涎がたれ時々胃液迄吐きました。一一時頃には丁度生卵の黄味様のものを二つ吐きまして、後は飴汁様のものをザーッと吐きました。この時「アーこれが良く聞く薬毒の浄化なんだな」とつくづく薬毒の恐しさを知りました。時々下痢の浄化を戴きました上薬毒の浄化迄戴き、それから追々気分も楽になり食事も美味しくなりました。胃が健康になると肝臓の腫脹も引き、関節リウマチや神経痛も起らぬようになりました。又本年二月二人日に五、六回下痢をしまして再び腹の浄化だと思いましたが、二九日は午前四時より七時までに八回も用便に立ちまして、本格的赤痢と気付き、専らT様に御浄霊を戴きますれば一昼夜に二十五、六回も下り、三月一日にも約二〇回ありました。二日は午前二時頃目を覚すと、盜汗をビッショリかきました。同四時頃目を覚すと又もビッショリと寝巻がぬれておりますので不思議に思って居りますと、それ迄しぶり通した便通が初めてザーザーと下りました。誠に有難い御浄化を戴きまして、その日は四回用便をいたし、三日より平常通りになりました。
医学では赤痢は腹の病だと言われ頭痛の種になっておりますが御浄霊では僅か二、三日でケロリと治ります。私も頭の大浄化迄戴きまして心身共に晴々となりました。これ皆、明主様の有難き御慈悲によりまして数々の御守護、御浄化を戴きまして、この頃では家内中が無医薬の家庭天国を営み、一人でも多くの人に御神徳の有難さをお伝えしようと念じて居ります。
明主様有難うございました。謹んで御礼申し上げます。(昭和二七年五月一日)

(3)宮崎県I・S

明主様へ真心にて左記の御守護を戴きました事の御礼を申し上げます。本年二月、私の孫T(二歳)が、気管支炎症状の浄化を起しました。幼児の事ではあり死の一歩手前の様になり、信念が無いと動揺するのが常であります。しかし乍ら私は唯死ぬるも生きるも神様任せと何時もの御指導を胸に浮べ、固い信念にて浄霊を続けて居りました。家族全員共私の気持にはなっていなかったのは事実でありました。しかし強い反対もないので幸でした。親族達も大分判って来まして会員も出来つつあります。周囲も強い反対は無く、半信半疑の現況であります。こんな事情にあります関係で一応医師の診断も必要と思いまして、又万一の場合御道の為に悪評が伝わり、発展に支障を来たす事にでもなれば明主様へ申訳ないと思い種々念じつつ医師の来診を求めました処、重態にも拘らず幸に注射もせず服薬も強要せず帰りましたから、これ幸いと浄霊一本で御縋り出来る喜びに変りました。

御浄化後三日目と思います。早速自分の所属のN支部へ電話して、K支部長先生の御足労を御願いしました。私の所は延岡市より海上五里の不便な処で、漁村です。戸数三〇〇戸、人口二〇○○人位在住の地でございます。海上が荒れると欠航する事がある所であります。当日は先生も在宅で幸いに来て戴き、御浄霊願いましたのが峠だったと思います。高熱の為意識も不明にて、御浄霊中時々呼吸停止の状態も、居並ぶ者皆顔を見合す様な不安な場面もありました。しかし先生は普通と変らぬ平然とした態度で御浄霊をしておられ神様任せです。いくら人間が慌てても無駄、日頃の熱心が第一だと言う御態度です。御浄霊を戴く内に呼吸も普通となり、顔色も良くなりましたのでみな安心いたしました。その晩にK先生より中教会長先生を通じて、明主様へ御守護電報をお願い致しました。その晩から翌朝にかけて御浄霊を戴きましたらずっと良くなり、明主様の御守護が戴けたと喜び合いました。

その後日を追って快方に向い、現在では以前に増して強い身体にして戴き、家族一同御守護の偉大さに感謝の日々を過さして戴いて居ります。私の家は大光明如来様の御神体、御屏風観音様、大黒天神様も拝受致し、毎月支部長先生を御迎えして御祭りをし、信徒も集まり御指導を受けて居ります。何事も 救世の大建設達成へ全信徒挙って御奉仕する事が、最大の目標であり、信ずる者の責務であり、義務であると痛感いたす次第でございます。未だ充分なる御奉仕も出来ず、生意気なる言分でありますが、こんな事を思う様になった事だけ申し述べさして戴きます。凡夫の身でありますが御教通り進まさして戴きます。明主様有難うございました。(昭和二七年八月一日)