「溺れた子供が救われる」

御陰話 佐賀県Y.M. (昭和二七年八月二〇日)

謹んで御守護の御礼を申し上げさせて戴きます。去る六月三〇日午前一一時過ぎの事でございます。甲高い悲痛な声で近所の人達が私の名を呼びますので縁側へ出て見ますと、子供が、水死したとの事、素足の儘飛下りて行って見ますと、近所のSさんの三歳になる娘Fさんが流れ川に落込んで参っているのを祖母さんが引上げ、道辺で一生懸命蘇生させ様と打振ってみたが駄目ですと、近隣の人達数名に取囲まれ乍ら心配していられます。私の娘Aも殆んど私と同時に現場に駆付けて参りました。皆「もう駄目です。死んでしまっている。可哀相な事をした」と口々に言って居りました。余り強く振った為か肛門から排便して居り、体温は全くなく、唇は紫色に変じ、脈も無論ありません。これはもういけないと思いましたが、娘のAは兎も角早く御願いする事です、と、合掌して直ちに御浄霊させて戴きました。御浄霊は一人でさせて戴くものと常々御導き頂いて居ましたが、無意識の内に私も御浄霊させて戴いて居りました。凡そ一〇分も経った頃でございましょうか、かすかに一回心臓の鼓動が打った様でございました。暫くすると三回続いて鼓動致します。また暫くして今度はワーンと泣き出し、心臓は確実に動き続ける様になりました。そして次第に血色を取戻して参りました。その時の嬉しさ、有難さは何と申し上げてよいやら、筆にも言葉にも申し述べられません。眼頭がジーンと熱くなって参りました。「よかったよかった」と皆が自分の子が教われたかの様に喜び「貴方々が来て下さらなかったら恐らくFちゃんは甦って居ませんよ」と口々に感謝していられました。野良に仕事に出て留守だった両親は急報に接し「とうとう殺してしまった」と取りみだし、涙乍らに息もせき切って帰って来られましたが、この様子を見て二度吃驚でございました。尚、祖母さんは「孫を自分の監督不行届きの為殺したのだから、蘇生しなかったら嫁に申訳ないから自決を覚悟していた」と語られました。この奇蹟で貴い二人の命を救っていただきました。

常々私達一家が御道に入らして戴いているのを「真宗の家に生まれ乍ら外道に迷う」と笑っていられるのですが、この度だけは流石に涙を流して感謝して下さいました。

この奇蹟は、Fちゃんに対する御守護に止まるものではなく、ややもすれば薄れ勝な私達の信仰をより深くして下さる為の神様の大慈悲であり、奇蹟だったと一家御神前に額ずき御礼を申し上げさせて戴きました。只今ではこの奇蹟が村の話題として賑っている様でございます。明主様御守護誠に有難うございました。重ねて厚く御礼申し上げます。