資料「位牌の祀り方について」

「御光話録10号」昭和24年7月10日

「幼いとき母が離婚いたし、母に育てられましたので、現在仏壇に母方の先祖の位牌のみお祀りしてありますが、父の位牌もしたほうがよろしいでしょうか。」

『やっぱり父も祀らねばいけませんね。しかし、これもどっちって決めることはできませんよ。離婚の場合、善意で離婚したんなら祀ったほうがいいし、道楽してお母さんを捨ててしまったって言うんだったらお祀りしなくていいですよ。そういう事情によって決めればいい。』

 

「地上天国3号」昭和24年4月20日

「夫婦の霊を同じ仏壇にお祀りしてもよいでしょうか。また離婚せられた親の位牌の位置はどういう順に入れたらよいのでしょうか。」

『同じ仏壇でよろしい。妻の霊は夫の霊より次の位に祭る。一方だけ祭るのはまずい。すべて左が上座である。夫婦の位牌は並べたほうがなおよい。離婚された親の霊は次位に祭ればよい。』

 

「地上天国4号」昭和24年5月25日

「連れ子をして再婚した者ですが、夫に愛情がなく観音様の道も理解してくれません。離婚したほうがよいか迷っております。御指導願います。」

『お指図はできない。これは観音様にお任せしておくのが一番いい。決して無理をしたり、荒立てたりしてはいけない。観音様にお任せし時を待っていれば必ずうまく解決する。罪穢相応に苦しむのである。人間は霊層界に籍があるが、夫婦のうちいっぽうが磨けて向上し、あまり両者の位置が離れると、どうしても生き別れ死に別れすることになる。右の理によってどちらかが磨けたほうへ接近しなければ、共白髪まで添い遂げることはできない。』

 

「御光話」昭和23年6月28日

「夫婦の先祖の霊を同じ仏壇にお祀りしてもよいでしょうか。」

『いいです。そこの実の先祖の次の位に祀ったらよい。夫婦の霊は片方だけでなく必ず一緒にして祀らなければいけない。妻は妻の先祖を祀ればよいが、主人は先祖のほか、亡くなった兄弟なども祀る。位置は左が上座です。』

『養子は女の家が主体になる。養子を迎えるのは養子が女になるのです。名前で「三」の字がついたのはたいてい養子になる。「三」とは女の働きなのです。』

 

「御光話」昭和23年7月8日

「血統は混っても霊は混らないとのお言葉でございましたが、父母のうちいずれが主となるのでございましょうか。」

『ふつうは父のほうの霊統が主です。養子もその系統が主となる。養子なんかは祖霊が結びつけるんです。先祖も一夫一婦ならよいが、たいていあちこちに種まきしている。その子孫が結びつくのです。また子供のうち、男は育たず女の子のみ育つ家があるが、これは母系であり、女が全権を握っているのです。龍宮系または龍女系と言って特殊なものです。』

 

「御垂示録1号」昭和26年9月15日

「最近入信した人の主人は養子であり、子供が白痴のようで入信しましたが、二年前より商売不振で、祖先を祭っておりません。親と祖父は天理教で、その前は禅宗でございました。」

『天理教でお祭りしなさい。死んでも、霊界ではその宗教の団体にいるんです。それ以前の禅宗の先祖は仏教で祭るんです。ある時期になると、霊界も全てメシヤ教になる。』

 

「地上天国8号」昭和24年9月25日

お位碑を祀らずに過去帳だけ、または繰位牌で祀っている家庭がありますが、差し支えないでしょうか。」

『位牌が本当だ。そうでないのは嫌がる霊もある。過去帳は祖先の帰幽を忘れぬために、年、月、日、を書くのである。毎日の礼拝、法事や供養するとき霊がうつるための位牌である。過去帳は、位牌の用途とおのずから違う。過去帳を拝むのは間違いである。繰位牌も感心しない。』

 

「御教え」昭和24年4月10日

「位牌に何々家先祖代々とか代々霊、代々之霊位、代々之精霊とかいろいろありますが、いずれが一番正しいのでございましょうか。また過去帳だけで位牌がない家、または繰位牌の家がありますが、いかがでございましょうか。」

『いずれもたいして問題はないが、常識的に言えば代々之霊位がよい。過去帳は元来祖先の戒名や命日を忘れぬために記録してあるもので、供養の対象ではない。供養するために位牌があるので、それに祖霊がお憑りになるのである。繰位牌も感心しない。』

 

「御教え」昭和23年12月10日

「轢死溺死者などの変死者の霊は地縛の霊と言って、相当の期間その死の場所から遠くはなれることができず淋しがって、ほかの霊を招く。これが魔の踏切とか魔の渕とか言われるゆえんであることはご存じのことと思います。そして、お仏壇にその人の位牌に祀り供養する場合は霊はその位牌に来れるでしょうか。」

『来れません。しかしお祀りする人々の想念によってその霊に伝達し、その功徳で霊は浄まり地縛の期間が短縮されます。よく供養をなすべきです。』

 

「御教え」昭和24年3月23日

「変死をした人の霊は死に場所から数間ないし数十間以内しか動けないことになっておりますが、その霊を供養する場合、仏壇に祀ってある位牌に霊が来られるのでございましょうか。もし来られない場合はいかなる方法でお祀りすればよろしいのでございましょうか、お伺い申し上げます。」

『位牌には霊は来られませんが、たびたび御仏壇で供養することによって御仏壇に来られるようになりますから、そこで供養すればよろしい。』

 

「御教え」昭和23年12月10日

「祖霊様を供養する場合、墓標と位牌のいずれを重視すべきものでしょうか。」

『位牌を重視すべきです。位牌には祖霊が毎日お出になっています。墓標にはこちらがお参りのときだけ祖霊がお越しになります。』

 

「御教え」昭和24年4月21日

「位牌が「先祖代々之霊位」以外に四つ以上あります場合のお祀りの仕方を御教えお願い申し上げます。」

『答』:

1

2

先祖代々之霊位

4

 

「御教え」昭和24年7月10日

「お盆の意味についてお伺いいたします。」

『釈尊の大慈悲から盂蘭盆会というものを作り、毎年一回日を決めて地獄にいる霊を子孫の家へ還らしてくださるのである。その日は地獄の釜の蓋が開くと言うが、とにかく地獄の祖霊も仏壇へ招かれ子孫に供養される。地獄の霊もそれを知っていて待っているのである。

元来祖霊は全部仏壇にいるわけでなく、平常は選ばれた留守番の霊がいるだけで子孫が拝むときだけ仏壇に集まるものである。その際仏壇にはある程度救われた霊だけしか来られない。つまり八衢(やちまた)以上のものが来られるので、地獄にいる霊はお盆のとき以外は来られないのである。

お盆には種々の儀式を行なって霊を迎えるのであるが、「おがら」を焚くのはここからお入りくださいという目印である。これはいままで夜の世界だったため霊界も暗いので灯りを見せないと霊がまごつくからである。

ここで注意したいことがある。それは仏事はどんな古い先祖でもするほどよい。また長男だけが祖霊を祭り、次男以下は祭らないのがあるがこれはよくない。霊界人となってもやはり現界と同様親子兄弟の情は同じことで、自分の子供のどの家へでも行けるようにありたいわけだ。従って、次男も三男も全部祭るべきである。

位牌が多くて始末に困るときは面識ある祖霊はそれぞれに位碑を作り、面識のない祖霊は先祖代々にまとめてよいのである。』

 

「御教え」昭和24年9月10日

「人の死後四十九日間は位牌を仏壇の中にお祀りせず、別にお祀りする習慣ですが、都合で三十五日とか七日ですませる人もありますが、それでもよろしいものでしょうか。また拍手は新仏には一拍手が正しいのでございますか。」

『四十九日しなければいけない。五十日間は霊は霊界には行けない規則になっている。拍手は一週間は一拍手、一週間後は二拍手で、五十日間は拍手の音をさせない。苦しんで死んだ霊は一週間くらいはボンヤリしています。また体がバラバラになって死んだような場合、霊がもとの形になるのに一週間くらいかかります。』

 

「御垂示録1号」昭和26年9月15日

「別家になったために、先の仏壇と二つありますが、二つでもよろしいでしょうか」

『一つのほうが本当です。仏壇を一つにして、中に戒名――位牌を両方を入れておけば良い。』

「二つあるということはいけないのでございましょうか」

『そうです嘘です。それで、両方の階級がありますからね。実家のほうを脇にして、向かって右のほうに戒名を小さくしておく。』

「前の仏壇は処分してもよろしいでしょうか」

『そうです。』

「宗旨の違った場合はどういうふうに――」

『違いさがあります。真宗と日蓮宗とではいけないですね。だいたい養家を主にして、実家のほうはお客様扱いくらいで良いです。祭らないよりは良い、祭ったほうが功徳になるという程度です。実家のほうはそういう程度にすればいいですね。ずっと低いほうでいいです。長男であっても養子に出たら――養子になれば実家のほうはごく縁が薄くなるから祭らなくてもいいですよ。祭らなければいかんということじゃないが、実家を忘れないように気持ちだけを祭るという程度でしなければならない。仏壇は道具屋に売っても良いです。』