御対談 明主(メシヤ)様、レモン・カルティエ氏夫妻と

「栄光」164号、昭和27(1952)年7月9日発行

 

昭和二十七年六月二十二日、この日御引見の間に用意された神山荘(神仙郷内)の応接間は、あたかも箱根大渓谷の樹海に乗り出した船橋のごとき雄大な感じのするお部屋であった。

午後二時、フランスで一番大きいパリ・マッチ誌の主筆、レモン・カルティエ氏夫妻、通訳の労を執られた外務省情報文化局局員、田付たつ子女史(信者)ほか随員一名、阿部執事、木原常任理事、長村長生中教会長、末席の記者など二名、一同静粛裡にお待ち申し上げること数分、明主様には御簡素な羽織を召されてお出ましになり、御挨拶を終えて一同着座する。和やかな光を含んだ空気が漂うような感じがする。以下御対談の模様を速記によって信徒のみなさまにお伝えするしだいであります。

 

私の目的は地上天国の建設

 

カルティエ氏「お忙しいところをわざわざおいでくださいまして非常に恐縮でございます。お会いしていろいろうけたまわって少しは自分たちも良くなるだろうと希望を持っております。それで殊に悲しいのは直接にお話できないことです」

 

明主(メシヤ)様『そうです――いつか新聞にフランスの方で、日本美術を非常に研究しているということが出てましたが、この方は……』

 

田付女史「この方はフランスで一番大きな雑誌の主筆で、東南アジアとか――世界中をまわって戦後の視察をしてまいり、日本を最後に終えて帰られることになっています。美術ということでは非常に興味を持っておられます」

 

カ氏「国際情勢とか、どういう国でどういうことが起ったかということを目で見てそれを紹介したい。殊に日本は変わっているので――特にインドで『日本は宗教的に変わった』ということを聞いております」

 

明主(メシヤ)様『私の目的を一応お話ししたいと思います。私は天然の美と人工の美をタイアップさせた、一つの理想的な芸術品を造る目的でやっているんです。美術ばかりでなく ――美術は人工の美です。人間がやるものですね。あとは天然の美ですね。で、箱根で一番景色の良い中央に、見られる通りの庭園を造ったんです。これが小規 模な地上天国です。地上天国とは芸術郷――そういったものです』

 

カ氏「美術館はまだ拝見しませんが、自然の美ということにおいては、私はこのような美しいものを見たことがありません」

 

明主(メシヤ)様『つまり、私は宗教家ですが、いままでの難行苦行や、苦しみによって救うのでなくて、反対に楽しみによって救おうという、そういう意味において、宗教に芸術はもっとも必要だという考え方です』

 

メシヤ教はどうして発展したか

 

カ氏「とにかく、一つの御教えを弘めていらっしゃって、それについてずいぶん信者さんも多いようですが、御自分のお考え通りに御教えが弘がって行くでしょうか。まだ思召しているように早くは――」

 

明主(メシヤ)様『いや、思ったより以上に発展しています』

 

カ氏「日本国中だけでしょうか。それとも、また日本外にも――」

 

明主(メシヤ)様『私の狙い所は世界なんです。それで、近ごろだんだんアメリカからハワイなんかに弘がっているが――ハワイはまだ日本人だけですが、私の狙う所は世界の各国の人ですね。世界でも、とにかく文化の高い国から先に解らせようと思う。そうすると、文化の低い国は自然に解りますからね。アメリカとかフランスとかイギリスとか、そういう文化の高い所にこれから宣伝に着手するわけです』

 

カ氏「その希望をお達しになるまでに、どういう方法をいまお取りになりますので――」

 

明主(メシヤ)様『いま、一番私の発展した動機は――なにしろ発展の早いのは、宗教史上例がないでしょう。というのは、二十二年八月から、ですから、三、四、五、六、七と、今年の八月で始めてから五年です。五年で三十万以上の信者があります。それで日に月にどんどん発展して行きます。なんだというと病気が治ることです』

 

カ氏「アメリカにも病気を癒すことができるお弟子さんがおありになりますので――」

 

明主(メシヤ)様『あります』

 

カ氏「アメリカ人で――」

 

明主(メシヤ)様『アメリカ人にもあります』

 

カ氏「やっぱり、そのアメリカ人はこちらで治していただいて――」

 

明主(メシヤ)様『そうです』

 

カ氏「病気を癒すということは、神様があなたに授けてくださった御力で――それとも――」

 

明主(メシヤ)様『神様です。神様がいて病気を治される。仮に頭が痛いという所を、私がこう(御浄霊)やると治っちゃう』

 

カ氏「みんなお弟子さんにも……」

 

明主(メシヤ)様『ですから、弟子に御守をあげます。御守を首にかけますと私の身体から御守に、霊線――光の繋がり――それは目に見えないがその人の身体から一種の光が出て、それで病気が治る。光を見る人はたくさんあります』

 

カ氏「その御守様を拝見することができるでしょうか」

 

明主(メシヤ)様『見せてあげます』

 

(阿部執事が御守様を開いてお見せになる)

 

カ氏「癒す御力というものがおありになると同時に、例えば頭を痛くすることもおできになりますので」

 

明主(メシヤ)様『できません。これはどこまでも善ですから――痛めるのは悪です。苦痛ですからね。ただし、痛みを取るために一時痛む場合もあります。それは浄化作用です』

 

カ氏「どういう修行をいたしましたら御守をいただいて人を治せるように――」

 

明主(メシヤ)様『修行はいらないです。ただ、三日とか五日――教修という、話を聞くだけで御守をかけたら治るんです』

 

カ氏「神様のお告げということに確信を持たなければならないので――」

 

明主(メシヤ)様『持たなくても良いです。最初から疑っても良いです。疑り抜いても良いんです。最初から疑わないということは、己を偽るんです。なんにも信じられないものを、信じろというのは自己欺瞞ですからね。自力はないんです。神様の御力を与えられるんです』

 

カ氏「それでは、あなたがこれならば大丈夫、こういうことができると御判断なされば御守をいただけるので――」

 

明主(メシヤ)様『ぜんぜんそんなことはないです』

 

カ氏「お告げをどういう形でお受けになられたのでしょうか」

 

明主(メシヤ)様『お告げなんて面倒なことはいらないです。神様がなにかやろうということは直接私に分かりますからね』

 

カ氏「形もなしで――」

 

明主(メシヤ)様「私が感じますね、それは病気のことですか」

 

カ氏「いいえ、神様がおうつりになったという、それがどういう形で――」

 

明主(メシヤ)様『一番最初は神様が私に憑ったんです。神憑りというんですね。そのうちに、私のここ(お腹)に神様が入っているんです。日本語で言うと神人合一というものですね。神と人と一致してしまうんです』

 

世界を天国に

 

カ氏「いまおられますときはよろしいですが、もしも後においでにならなくなりましたら、跡は――」

 

明主(メシヤ)様『私がいなくなれば必要がないんです。というのは、私が生きているうちに、世界をその必要がないくらいにしますからね』

 

カ氏「こういうことでございましょうか。キリスト教ならキリストが亡くなって、つまり教会はずっと残っていますが、そうでなく在世中に全部なさって、後はそれを司って行く教会とか教えは必要がないので――」

 

明主(メシヤ)様『必要ないです。それはどういうわけかというと、私は世界中の病人をなくするんです。世界から病気をなくするんです。病気をなくするということは、病気がなくなれば悪人がなくなるんです。悪人というのはみんな病人なんです。悪人がなくなるから宗教の必要がなくなるんです』

 

カ氏「だから、御在世中に世の中から病気をなくするというので――」

 

明主(メシヤ)様『そうです。というのは、病気は原因があるんです。それがいままでは人類は、病気の原因というものを間違っていた。ですから私が、その原因を明かしますからね。私はそこでいま本を書いてますが、これを世界中に配ります』

 

カ氏「病気というものがなくなります――ということになりますと、死というものが非常に遠いものになってしまいますので――」

 

明主(メシヤ)様『そうです。人間はみんな百歳以上生きるんです』

 

弟子でさえキリストの奇蹟を再現

 

カ氏「キリストとかマホメットとか釈迦だとか、ああいうような方々は、やっぱり一種の神の使命を受けてこの世に現われたので――」

 

明主(メシヤ)様『勿論そうですが、ああいう人たちは神様から与えられた力が少ないんです。弱かった。ですから私の弟子でキリストくらいの奇蹟を表わすのはたくさんあります。 ですから私のメシヤ教は宗教じゃないんです。宗教では人類を救えないんです。ただ、宗教は私が出るまで人類が救われる程度のつなぎであったんです』

 

カ氏「バイブルなんかにキリストが、死んで三日目に蘇生させたとあり、信者は固くこれを信じてますが、カトリック信者にそう言わせるようにするには、やっぱり信者の人を蘇生させるようなことを目に見せてやらないと信じないですが、そういうようなことができるので」

 

明主(メシヤ)様『私の弟子で立派にできます。弟子で、いったん死んだ人が生き返るようなことをやってます。ですから、あなた方でも私の弟子になれば、キリストくらいのことはできますよ』

 

カ氏「言い換えてみれば、とにかく死亡した者をふたたび生き返らす御力がおありになるということで――」

 

明主(メシヤ)様『そうです』

 

カ氏「お弟子さんでも――」

 

明主(メシヤ)様『できます』

 

カ氏「キリストのように、食物がなくなると食物を与えるとか、土地をもっと豊富にするという御力は――」

 

明主(メシヤ)様『できます。そういうことはたくさんあります』

 

カトリック信者にキリストの霊が働きかける

 

カ氏「私としてはぜひ全世界に弘まることを非常に希望しますが――」

 

明主(メシヤ)様『無論そうなります。それからカトリック信者がいまにメシヤ教信者になります。それはだれがそうするかというと、キリストがそうするんです。キリストの霊がみんなをメシヤ教の信者になるようにするんです』

 

カ氏「カトリック信者が必ずそういうふうになるということは、なにか――お告げかなにかでご存じなので――」

 

明主(メシヤ)様『そうではない。私がなにもそんなに働きかけなくても、先方でどうしても私に働きかけなければならないようにキリストが霊界から働きますからね。キリストでも釈迦でも、いままで私の生まれるのを待っていたんです。キリストも釈迦も預言者です。キリストは天国は近づけりと予言されたが、自分で天国を造るとは言わなかった。釈迦もミロクの世が来るとは言ったが、自分が実現させるとは言わなかった』

 

カ氏「キリスト教信者は、自分の神様以上のものはないと信仰しておりますが――」

 

明主(メシヤ)様『そんなことはありませんよ。天の父があります。天の父が私のやることです』

 

メシヤの降臨について

 

カ氏「キリストはメシヤであると――」

 

明主(メシヤ)様『メシヤではないです』

 

カ氏「ということになっておりますが、カトリック信者がどういうふうに入ってくるのでしょうか。二度目のメシヤ。ユダヤなんかはまだメシヤが来てないと思っているのですが、降臨ということについて――」

 

明主(メシヤ)様『それは私が精しくお話しすることができないです。私がメシヤの降臨とかキリストとすると、ワーッと来て仕事ができないです。いまいろいろ仕事があるし、書くのもたくさんある。私のバイブルですね。それができるまでは公然と言わないんです。だから、ぼかしてあります。そういう意味ですからね』

 

カ氏「恐れ入りますが、できれば御手の写真を撮りたいと思いますが――」

 

明主(メシヤ)様『良いですよ』

 

(明主(メシヤ)様がお手をかざしになるのを正面より写す)

 

カ氏夫人「世の苦しみを治す手、という題で出します」

 

カ氏「いつバイブルがおできになりますので」

 

明主様『そうですね。来年あたりできますがね。それは『文明の創造』という本です』

 

カ氏「できましたら、私たちのほうになるべく早く送っていただきたいと思います」

 

明主(メシヤ)様『それからいままでの出版物がいろいろありますが、それをみんなあげます。その中には私の弟子で、キリストと同じようなことをした人の手記とかいろいろ出てますから、それをお読みなさい』

 

カ氏「英語で――」

 

明主(メシヤ)様『いや、日本語です』

 

カ氏「非常に感謝しております。心から御礼を申し上げます」

 

明主(メシヤ)様『美術館をご覧になりますか。それから、これを言っておこう。ここに造ったのは、世界に天国を造るその世界の天国のごく小さい模型なんです。そういう意味ですからね』

 

御対談中終始和気藹々として、時折放たれる洒落にドッと笑う。特におもしろいと思ったのは、ロジ・カルティエ夫人が明主(メシヤ)様に「『世の苦しみを治す手』という題で出したいから御手を写真とらせていただきたい」ととっさに申し出たときである。まったく奇抜な題ではあるとその機智に感心した。これに対して明主(メシヤ)様は『ああ、いいよ』と心安く横向いて手を翳されるとピカッとフラッシュが光る。まことになんのこだわりもなき流水のごとき瞬間であった。御対談を終わらせられて御退座、一行は美術館へと急ぐ、そこにふたたび明主(メシヤ)様お出ましになり、御みずから御案内される。

目を瞠るような大きな部屋に、いささか所狭しと思えるほど並べられた古今の名画、名器の前に、驚嘆の声を挙げたのも無理はないが、彼らとしてどうしてこれほどのものが集まったのか、疑問の焦点であったでありましょう。とうとう「どのようにしてお集めになられたのですか」とお質ねした。明主(メシヤ)様はすかさず 『奇蹟ですよ』とお答えされる。「実に驚嘆すべきものです。本当に奇蹟です」とカルティエ氏はいたく感激する。明主(メシヤ)様はさらに言葉をついで、『私もそう 思っています。死ぬような人が治って、非常に感謝して金をあげる。それがこういうものになるんです。命が助かったんだからね』と。カルティエ氏はなるほど と肯く。そして、「私たちがこちらにまいりましたのも、小さい奇蹟の一つとして考えましても」と洒落っ気たっぷりに言えば、明主(メシヤ)様『勿論そうですよ』と大笑い。

カルティエ夫人が茶器の並べてある所を覗いて「これが一番良いようですね」と指差せば明主(メシヤ)様も『この中でこれが一番良いですよ。偉いものですね』と鑑識のほどをお褒めになる。夫人はこれらさまざまの名品に陶然として見入っていたが、あまりすばらしいので「盗難の心配はないか」とえらく心配してお伺いした。明主(メシヤ)様は気軽に『別になんの心配もしません』とお答えになる。夫人は茶目っ気たっぷりに「では心配がなければ、私が今晩入ってあの茶碗を取って行こうと思いますが」と言えば、明主(メシヤ)様はお笑いになりながら『試しに取ってご覧なさい。神様がギューッとやりますからね』と。まことに愉快な一時であった。