研鑽資料no.5(2018年9月)

10月に向けての学び その2-3 

はじめに

責任者:

10月に向けての学びは、「『世界救世(メシヤ)教』復興事業推進について」という、とても重要なテーマです。前回の学びでは、課題として私達が「メシヤ様の御神格をしっかりと認識する」ことが極めて重要であるということ、そして「宗教の原則」への理解を求められていたように感じております。

 

私達それぞれの信仰は“この「『世界救世(メシヤ)教』復興事業推進について」というテーマを土台にして進んで行くのではないのだろうか。”ということに遅ればせながら気が付くことが出来ました。皆さんはどのように受け止めていらっしゃいますでしょうか。

 

今回の学びも前回(研鑽資料no.4)と同じように大切です。それでは、楳木代表から頂いた御教示を一つ一つ丁寧に学ばせて頂きたいと思います。

 

「メシヤ講座・特選集no.79(平成19年8月分)」より抜粋:

「世界救世(メシヤ)教」復興事業推進について(2)   

メシヤ教 代表  楳木和麿

宗教が辿る宿命的な現象

楳木代表

この度の政局に対する論評において大変興味深いものがありましたので、それに基づいて宗教の辿る宿命的な現象について考察し私達が陥ってはならない事柄を明記しておきます。

メシヤ講座参加者の中には、東方之光教団やいづのめ教団に所属の方々が混在し、それぞれの教団関係の選挙結果が話題にも上りました。そうした時に鑑とする御教えは、前回もご紹介した『私の信仰の経路』です。

 

御講話『私の信仰の経路』:

『・・・何といっても宗教は人の心をよくするもので、それ以外には宗教としての使命はない。然(しか)るに何ぞや、政治運動だの、国防運動だの、社会運動をするから全然宗教の埒外(らちがい)に出ているから、当然大鉄槌を食ふに決まってゐる。当然の事とは、宗教は宗教としての使命がある。商人は商人として、軍人は軍人としての各々(おのおの)するべき事、すべからざる事と判然と自ら決まってゐる。之以外の事をやれば滅びるに決まってゐる。今日の宗教は社会事業をやってゐますが、之が間違ってゐる。そういふ社会事業の背景となる事はいいが、それを直接するといふ事は全然間違ってゐる・・・』

 

という一節です。

また、自民党が大敗し民主党が議席を大幅に伸ばしたことは周知の通りです。それに伴い、公明党までもが所謂逆風の影響を受けてしまいました。票数の固い公明党は、投票率が上がると選挙結果は苦しいものになる、と言われておりましたが、今回の公明党の苦戦は支持基盤に異変が起きている、と専門家から見られています。

この現象について、小林節慶応大教授は次のように解説しています。

「宗教家には『殉教』という言葉があります。公明党は日本の政党のなかで唯一、己が正しいと信じる主義のために『殉教』できる政党です。それが福祉予算という利権を与えられてか、自民党という巨大な権力の前に、いやにおとなしいのはどうしたことか。

キリスト教だって最初は異端派とされていたように、世界中のすべての宗教が、はじめは世間の少数派です。少数派は理不尽に対して怒っているから理論も研ぎ澄まされ、思いも強まっていく。正義の言葉は常に少数派から生まれます。

その意味で創価学会も、少数派の時代は日蓮のように健気だった。けれども権力に近づき、社会で普通に扱われるようになると守りに入っていく。自民党と組んだことで権力を握った。大きな財布を握って失いたくなくなるのは悲しいかな、人間の本質です。」

小林教授は「安倍自民党の極端な『全体主義』と『軍国主義』を、本来ならば『人権』と『平和』を掲げる公明党が止めなければいけないのに、止めようとしない。なぜなのか。」という切り口を持っています。自民批判をしつつそこに加担する公明党を批判しているのですが、宗教組織に起こる宿命的な現象を指摘しているのです。このことについては後述しますが、まず「日蓮の健気さ」について着目しておきたいので採り上げました。」

 

宗教の辿る宿命的な現象についての考察(要点)

責任者:

御講話『私の信仰の経路』より。

○宗教の使命は人の心をよくすること意外にはない。

○人の心をよくすること以外の事をすれば大鉄槌を食らい滅びるに決まっている。

○宗教が社会事業をすることは全くの間違いである。

 

「メシヤ講座・特選集no.79(平成19年8月分)」より抜粋、つづき:

「日蓮上人が目指したものと継承宗団との違い

楳木代表

何故に「日蓮の健気さ」について着目するのかと言いますと、これまでの(メシヤ様を教祖と仰ぐ)教団では御教えの一つひとつに対する考察が浅いことと関係します。

例えば『日蓮上人の出現によって夜昼転換の黎明期を迎えた』と御教えにあるにもかかわらず、そのことに対して解説をする先達に出会ったことがありませんでした。御教えに対する解釈が(メシヤ様を教祖と仰ぐ)各教団で不十分だからなのです。そのために、人類史におけるメシヤ様ご出現の意義付けが弱いのです。これはご神格の確定にまで及びます。

8月のメシヤ講座で『救い主と贖罪主』を拝読し、種々な質疑応答を重ね、日蓮上人の立ち上がった仏教改革に話が及びました。その折に最近まで葬儀社に所属してお寺の斎場に勤めていた方から興味深い話が出ました。

それはある高名な僧侶の講話のテープ起こしを依頼された時に、「法滅尽経」の部分が聞き取りにくく経営に携わる僧侶に確認したところ、解らなかったそうです。しかし幾度となく聞き返してみると、「法滅尽経」のように受け取れたそうです。御教えで拝読したことがあるので、思い当たったのです。

そこで、また僧侶に確認したところ、「そうだろう」ということになったそうです。ところが、「法滅尽経」を聞き取ることができた手柄を自分のものとしたそうで、呆れた話になったそうです。

話してくださった方は御教えを拝読していたから解ったのですが、僧侶は勉強不足のために解らなかったのです日蓮上人が叫んだ仏教改革は、実は僧侶の勉強不足を指摘することが第一にありました。

ご承知のように、お釈迦様の説かれたお経の数は膨大です。それを全て読破することは至難な業だ、と受け止められていましたが、日蓮上人は全て原書(中国語)で読んだとされています。そして、読んだ上で各宗の説くところは部分的で神髄ではない、と看破したのです。

全論を読んだ者と部分しか読んでいない者とでは、話にはなりません。不利になった僧侶達が日蓮上人を排撃したのです。

そして、次に指摘したことが僧侶達と為政者との癒着です。これは、歴史に見ることができますので多くの言を必要とはしませんが、当然ながら権力者から迫害を受けました

それでも尚且つ、日蓮上人は仏教改革を叫んでいったのです。そこに日蓮上人が目指したものとその継承宗団である創価学会の違いを見ることができ、『散花結実』の散花は現状を指していると強く思わされます。

また、日蓮上人の取り組みを通して言えることは、組織ではなく個人の取り組み、その一点において歴史の転換期を迎えたということです。そのことを道にある者は強く受け止めておかなければなりません。

 

夜昼転換の黎明期の意味と地獄から救ったという意味

楳木代表

それと共に、以上のように『日蓮上人の出現によって夜昼転換の黎明期を迎えた』とある反面、『地獄にいる日蓮を救った』というお言葉もあります。

このことに対する解釈がまた不十分のために、御教えを正しく理解できないことになるのです。夜昼転換の黎明期を切り開いた人物が何故地獄に在籍しなければならなかったか、ということです

これは異質な場面ではありますが、私の体験から“返り血”のようなものを浴びたということだろう、と推察できます。

かつて教団改革で奔走した折に、「権威の崩壊」が進んでいたにもかかわらず、教団内では多くの年輩者が権威にしがみついていました。そこへ二十代の若造が全く耳にしたことのない情報を手にして動く訳ですから、それが真実といえども逆恨みの対象となりました

また、せっかく築き上げたと思っている組織を解体する方向へ突き動かす取り組みでもありました。その渦中では、組織の中で生きてきた人々の信念体系が崩落して、真実を知らされたとしても、逆恨みの対象となりました

その想念は正しくはなくとも、恨みでありますので、返り血の如くこちらの霊体に覆いかぶさってくるのです。そのために、改革を進めつつも個人的な問題も発生しました。それは法則的に起こってくるものですし、神律の下に生じることで、どうしようもならないものなのです。

正しいことを進めるにしても、改革には伴う厳しい現実もある、ということです。それだけに、指導者は信仰をする人々を身を挺して正しく導かねばならないのです。メシヤ様が布教師に対してお説きになったことの中から出来上がった「布教三訓」と「るナ三訓」は、そのためにあると痛切に感じます。」

 

何故に「日蓮の健気さ」について着目するのか

『日蓮上人の出現によって夜昼転換の黎明期を迎えた(『霊界に於ける昼夜の転換』文明の創造)』

責任者:

〇日蓮上人の「仏教改革」は、

・僧侶の勉強不足の指摘(不利になった僧侶達が日蓮上人を排撃した)

・僧侶達と為政者との癒着を指摘(権力者から迫害を受けた)

○組織ではなく個人の取り組み、その一点において歴史の転換期(霊界2次元に於ける昼の世界の出発点)を迎えたということ

そのことを私達は強く受け止めておかなければならない

○夜昼転換の黎明期を切り開いた人物であっても逆恨み(僧侶の勉強不足と僧侶達と為政者との癒着を指摘したことなどによって)の対象になり地獄に在籍しなければならなかった。

 

「メシヤ講座・特選集no.79(平成19年8月分)」より抜粋つづき:

他山の石として考えるべきこと

楳木代表

他山の石として考えておかなければならないことは、かつて世界救世教が公称80万人となった時点で、冒頭のような宿命的な現象が生じているということです。小規模ながらも同じような変遷を辿ってしまった、ということです。メシヤ様を教祖として仰ぐ教団の信者総数は500万人に達しようとしていますが、どの教団も、ともすると同じような道を歩んでしまいます。

また、一元化は内向きの理論になってしまった点が残念な結果を生んでしまいました。本来外向きであらねばならなかったのです。全御教えを公開することで世に問い、真の意味で布教=社会改革を進める体制づくりであるべきなのでした。

ところが、布教=社会改革という取り組みは言葉のみが先行し、具体的な救済のあり方の指導が存在しなかったのです。布教力は個から個への伝承で、組織的な教育システムは生れませんでした。

その原因は、先程も触れたように御教えの解釈が浅いこととが先ず挙げられます。人類史全体を見渡した上で、宗教と科学の変遷に主神様の御意図を求め、メシヤ様の御教えはどのような時代背景の下に出されたのか、という探求です。

「宗教とは何か」ということを解らぬ者が運営し、また、「宗教の時代的諸相」を知らぬ者が宗教を批判して自己満足に浸って、人々はそれに縋り付いてしまいます。悲しい現実です。

次に、解釈が浅いために「教条主義」に走ることで、それが信仰であると錯覚してしまうことです。『宗教と科学の一致』という御教えに照らして考える時に、科学が進歩すればするほど主神様の御意図をより明確に拝察することができるようになる、という解釈の欠如です。(御教え『宗教と科学』全文

メシヤ様の発せられたお言葉の随所に、科学の進歩に対する解説に合わせて、問い掛けがあります。また、ラジオのニュースや新聞に隈なく耳目を注がれていたご様子からも、御意図を拝察できます。

そのように考えてゆきますと、指導者側は全ご論文、全問答形式御教え、全詩歌集に目を通した上で「教・論・律」を確立しなくてはなりません。重複しますが、そのためには全ご論文、全問答形式御教え、全詩歌集を公開せねばなりません。

 

メシヤ様の御力の恩恵に浴する取り組み―宗教宗派を超えて授けられる浄霊力

楳木代表

そして、メシヤ様の恩恵に真に浴するように運営してこなかったことがあります浄霊力の普遍的な強化と問題解決力の強化がなされなかったのです。

メシヤ様は、ご昇天後について『(光を)霊界から出しますから同じ事です。反ってよく出ます。体があると邪魔になりますから』と述べられていますが、このお言葉に対する探求が弱かったことは周知の通りです。

私が賜わった『メシヤ様の御名を唱えれば宗教宗派を超えて浄霊力が授かる』というご啓示は、他の人にもっと早い時期にあっても良かったとさえ思われます。人類にとってこの上ない福音だからです。しかし、浄霊観が確立されなかったために遅れを見たと拝察されます。

今は大変な恩恵を賜わった訳ですので感謝すると共に、広く宣べ伝えてまいりたいという決意でおります。この秋に欧州へ御神体ご奉斎のために渡航しますが、それを契機に、海外で『宗教宗派を超えた浄霊力伝授』の取り組みが緒に就きます。

また、問題解決における、『霊主体従の法則』、『浄化作用の原理』の関連性を整理できて来ませんでした即時性、合理性に基づく対応策も明示されませんでしたそのために、問題解決力を普遍的に指導することができなかったのです。

問題を抱えた人は、とかくその問題で身も心もいっぱいになってしまい、前に出ることも、また退くこともできなくなりがちです。そして、“右手と左手と、どちらが大事か”というように決めることができないことを決めようとして悩み、唯物的な即効的解決を図るものです。

勿論、金銭問題など素早く現実的な手を打たねばならないこともありますが、即効的に対応しつつ、因縁を解消すること、曇りを浄めること、本人の我執が取れることを同時に進めねばなりません。

その上で、二度と同じ問題が起きないために、霊の曇りが発生しないような生活指導が必要です。「景仰」に記述された内容に対する解釈の仕方が重要になる所以です。また、生活指導のポイントは、悩みを打ち明ける時やご祈願する時よりも、ごく普通の極めて日常的な営みの中に、また無意識の内に言うことや仕種の中に潜在し、時折見え隠れするものです。

問題解決には、指導者側の訓練が必要なのです。その上で大切なことが更にあります。

 

布教の原則―何故私にご啓示が下ったのか

楳木代表

先程触れたような教団改革やお世話において公私に渉る問題が生じた時に心掛けなければならないことは、“泥を被る”ということです。責任を回避しないということです。泥を被らない者は詭弁を弄します。どこまでも自らが率先して汗を流し、泥を被リ責任を回避しないということ、それが布教の原則とも言えます。

私は、少なくともそれを貫いたからこそ、役職を解かれ一兵卒になった時期もあります。それでも尚且つ、下積みから御神業を勤め直し、やり遂げようと積み上げてまいりました。

一心に人間の問題解決に努めて、また解決のための学びを深めてゆきました。それが「メシヤ様のご精神を現代に求める」という取り組みで、それを重ねたので、救済のための幅広い人脈を得ることができました。

また、権威の崩壊を、活動の中で嫌というほどに目の当たりにして参りましたので、「るナ三訓」にある「威張るナ」ということが身に沁みており、どのように高位に付いたとしても心掛け続けたのです。

その姿勢の延長線上に『宗教宗派を超えて浄霊力を伝授する』というご啓示を賜わったのです。そして、その恩恵に浴する人々は、更に拡がりを見ております。

また、私が賜わったご啓示は、一端宣布すると、私の“専売特許”ではなくなる性質を持っています。何故なら、メシヤ様から賜わる御力であるからです。そのため、他教団で「当方もご啓示をいただいていた」として幅広く浄霊力を伝授していただいても、異論を差し挟むことはないのです。

そうした姿勢が、メシヤ様の恩恵に一人でも多くの方々が浴することになるからです。これが「世界救世(メシヤ)教」復興事業の眼目中の眼目でもあるのです。(以下割愛)」

 

まとめ:楳木代表から御教示いただいた私達が陥ってはならない事柄

責任者:

このメシヤ講座の中では指導者と私達に対して数々の御教示を賜っております。受け取り方は時所位(霊籍)によって様々だと思いますが、今回は僭越ながら要点を纏め(整理)させていただきました。

 

○指導者は、正しいことを進めるにしても、改革には伴う厳しい現実もあるが、信仰をする人々を身を挺して正しく導かねばならない。

○指導者は、逆恨みは、法則的に起こってくるものであり、神律の下に生じることで、どうすることもできないと心得ること。

○指導者は、教団改革やお世話をするにおいて、公私に渉る問題が生じた時には“泥を被り責任を回避しない”ということを心得ておかねばばならない。

 

○私達は、宗教の使命を認識し、先達と同じような変遷を辿らないようにすること。

○私達は、「メシヤ様のご精神を現代に求める」という取り組みとして、人間の問題解決に努め、また問題解決のための学びを深めていくこと。

○私達は、「御教え」と「メシヤ講座」に具体的な救済のありか方を学び「教・論・律」を確立できるように努力し、浄霊力の普遍的な強化と問題解決力の強化を心がけること。

○私達は、「るナ三訓」にある「威張るナ」ということを心がけること。

○私達は信仰する上に於いて、どういう経過を辿られて「メシヤ教代表が、『宗教宗派を超えて浄霊力を伝授する』という御掲示を賜ったのか」を胆に落し、一人でも多くの方々がメシヤ様の恩恵に浴していただけるように働きかけをすること。

 

御教示賜ったことは、以上のような内容になるのではないかなと思いますが…。如何でしょうか。この内容を他人事と捉えず“先ず自分に返してみて頂きたいなぁ”と思います。そうすると私がそうであったように“理解していたようで、そうではなかった。”ということに気が付かれるのではないでしょうか。

 

追記

責任者:

この研鑽資料を資料として纏めさせて頂く過程において様々な気付きをいただきました。先ず最初にハッ!と思ったことは、メシヤ様が成されようとしていた「宗教改革と医学革命」そしてメシヤ教が進めようとしている「世界救世(メシヤ)教」復興事業、それから時代は全く違えども日蓮上人の「宗教改革」への思い(精神)は相通ずるものだということでした。

 

そしてその後に気が付いたことは、メシヤ降誕本祝典に於いて「昭和のやりなおし」を御許しいただきましたが、その「やりなおし」ということの根底にある重要なことは、神様を私達人間がお迎えさせて頂だくということだけではなくて、昭和の時代に欠けていたこの精神や姿勢を取り戻すという自覚が必要だったのではないだろうかということです。今回は、この最も大切な部分を覚れずに半年も過ごした上に、図々しくも前進しようとしていた自分の愚かさを反省し、気付かせて頂けたことに感謝しながら続いての「世界救世(メシヤ)教」復興事業推進について(3)の資料作成に入らせていただきたく思います。

 

*責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座・特選集no.79(平成19年8月分)

 

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