研鑽資料no.11(2018年12月)

12月の学び 3  

はじめに

責任者:

今月の学びは、今年1年の自分達の信仰を振り返り、“来る「御降臨祭」をどのような想いや祈りを持ってお迎えさせていただけばいいのか”ということと、“これからの御神業はどのような姿勢で臨ませていただけばいいのだろうか”ということを故楳木代表のからいただいた御教示を基に進めさせていただいております。

 

「12月の学び1と2」は、私達が主神様メシヤ様に真向う上で大変重要な基礎の部分だと気付かされる内容でしたが、皆さんはどのように受け止められましたか。

 

今回で「素晴らしい御神業とは」というタイトルでの御教示は終わりになりますが、楳木代表は前回までの内容をしっかりと認識した上で日々の実践に結び付けて貰いたいという思いで御教示下さったのではないでしょうか。

 

さて今回は「12月の学び1と2」で受け取らせていただいた事柄を振り返り考えながら、皆さんと共に学ばせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 

「メシヤ講座・特選集no.52(平成17年5月分)」より抜粋:

素晴らしい御神業とは(Ⅲ)

メシヤ教  楳木和麿

 

追体験によって深まる信仰

楳木代表

私達の信仰生活や御神業への奉仕生活というものは、教祖の追体験を通して深まりを見ると共に視座の高まりを得ることができます。また、味や不思議さ、素晴らしさに触れることができます。そして、真の意味での生き甲斐ある人生を歩むことができます。

 

来月には「地上天国祭」を迎えますので、「地上天国祭」の意義についてお話致します。3月にお話した内容と合わせてお考えください。そして、追体験の縁(よすが)とさせていただきたい、と願っております。

 

『夜昼転換』の神事が地上天国祭の原点

楳木代表

 

メシヤ様は、昭和元年天啓を受けられ、昭和6年まで天啓内容に関する検証を重ねられ、ご決意を固められます。そして、同年6月15日に千葉県鋸山へ赴かれ『夜昼転換』の神事に臨まれました。昇り来る日輪に向かって天津祝詞を奏上し、天照皇大御神様をお迎えになられ、後日、日枝神社にご鎮座申し上げております。

 

かつての教団(現・世界救世教)では、この日に『夜昼転換』の天啓がなされたように教えて来たために、かえって信仰を深めにくくしております。天啓は昭和元年からあったのですから、当日に天啓があったとするのでは意味合いが異なってまいります。また、主神様は、その年(昭和元年)から『夜昼転換』をなさる御意図で、メシヤ様に留まらず様々な分野の偉人にご啓示をされております。相対性理論しかり、合気道精神なども同様です。

 

もちろん、その中心的御神業の大任を受けられた岡田茂吉教祖へ、宇宙草創期から今日までの歴史の真相が啓示されました。御教え拝読により、その深奥さ、崇高さに触れることができます。

 

ところが、教祖は極めて慎重で、啓示内容を確かめずには任を受けられませんでした。ご性格がそうさせた、と拝察できます。また、新聞事業に手を染めようとされたご経験も関係していると思われます。様々な角度から検証する素養がおありになったのです。

 

これは、会社組織などで頂点に立つ人は様々な部署を転勤し、組織全体を見渡せるようになることと似たところがあります。政治家も二世は何かと批判を受けますが、親を通して政治の裏表や外交の駆け引き等を見て育つということは、検証しつつ成長するということになります。もちろんボ-ッとしていてはダメですが、強い意志で模索したならば、国を背負う素晴らしい政治家になります。

 

検証を重ねられ確信を持たれご決意されたことになりますが、それ故に、『夜昼転換』の時期は昭和6年までずれ込んだことになります。これは、どういう意味を有しているのでしょうか。

 

天啓なのに検証が何故6年にも及んだのだろう、という疑問が湧きますが、単なる霊憑りかもしれないし、確実性のないものでしたら、内容が大きいだけに深刻なことになります。曖昧なままでしたら、自己満足、自慰行為になってしまいかねません。それだけに、確認を積み重ねられたのだと拝察させていただいております。

 

私が「神界通信(1~4全文へ)」を独自の活動開始後6年余を経て発信し始めたことも、レベルの差はあっても同様の意味合いを有しております。

 

それ位慎重でなければ、また「自分はその任は重すぎる」という謙虚さがなければ、「メシヤ」という大任は主神様から下されなかったことでしょう。しかし、一方で慎重なるが故に時期はずれます。二面性があるということです。

 

神様の方針は『自由』であるということ

楳木代表:

二面性が何事にもあり、答えは必ずしも一つではないということを私達に教えております

 

それらのことから解釈できることは『神様という御方は、提示はするが強要はしない』ということです。また『選任はするが、選択は人間側の自由である』ということです。このことが、常々教えられている、本当の意味での『人間に与えられている自由』なのです。

 

私達にとっては、真理の教えは提示されていても、それを選択し実行するかしないかは、各人の自由であるということです。よく‘罰(ばち)が当る’ということが言われますが、それは低い神格のなすことで、そうしたところに神頼みをして御礼を怠るととんでもないことになる場合があります。

 

ただ、正しい道や救われる道を提示されたにもかかわらず、実行しない場合に『祖霊の警告』を受けることがあります。これは、子孫のことを思う余りに行うことですから、むしろ感謝して、道を改めるべきですね。

 

やはり実行力が大切です。教祖におかれても、検証期間は長かったが、一旦ご決意されたら『実行の人』と成り切られました。『誠が一等』と述べられております。誠とは『言ったことを成す』と書きます。メシヤ様は揺るぎない行動力を発揮されたということを、私達は学んでおかねばなりません。そして、何事も決意とそれに伴う実行力が大切なのです。」

 

責任者:

ここでは以下のように御教示を賜っています。(重要だと思いますので要点だけを繰り返させていただきます。)

 

○何事にも二面性があり答えは一つではない。

 

○神様という御方は、提示はするが強要はされないし、選任はなさるが、選択は人間側の自由であるということ。

 

○以上2つのことをもって「本当の意味での『人間に与えられている自由』」なのだということ。

 

○私達にとってみれば、真理の教えは提示されていても、それを選択し実行するかしないかは、各人の自由であるということ。

 

○真理の教えを実行する事がやはり私達にとってみれば大切であるということ。

 

○何事も決意とそれに伴う実行力が大切なのだということ。

 

「メシヤ講座・特選集no.52(平成17年5月分)」より抜粋よりつづき:

御教え『宿命と運命』にも繋がる意味合い

楳木代表:

近年科学の目覚しい進歩により、私達は遺伝子の構造を知ることができております。ご周知のように二重螺旋(らせん)の構造です。科学の進歩による恩恵で、私達は構造を認識できました。しかし、‘何故二重螺旋になっているのか?’という問いには科学は答えることはできません。この問いに答えるのは宗教の役割です。日本には、有り難いことに「古事記」というものがあります。

 

「古事記」の中で、結婚式の故実にもなっている国生みの場面を見てみますと、伊弉諾尊、伊弉册尊の両神様が『なりなりてなりあまれるところ・・・』、『なりなりてなりたらざるところ・・・』というように述べられ、天の御柱を左廻り・右廻りと夫々廻られます。この時、初めに女神様が廻ったために巧くいきませんでした。それで、男神様が先に廻り次いで女神様が廻ったので巧くいった、ということになっております。つまり二重に廻っておられるのです。これが二重螺旋の示唆だと受け止めております

 

もっとも、以前にも採り上げましたが、銀河系の中で地球の動きが螺旋形の動きをしておりますので、その中に宿る生命の遺伝子が螺旋形になっているのは当然とも言えます。この二重螺旋も、二面性に関連しているということを私達に教えているように感じます

 

また、先月掲載の御教えの中で『人は生まれながら其(その)各々天職使命があり、階級も儼(げん)として定まってゐるのであって』というところに質問が集中しておりましたが、そのことと深く関わっておりますので、その点にも触れておきます。

 

『宿命と運命』(御教え『霊層界』全文へ)という御教えがあります。定まっているのは宿命であり、上限と下限があり、それは動かすことのできない定められたものです。各自に定められたものが宿命です。これに対して、その範囲内で本人の努力の度合いにより上昇したり下降したりするのが運命です。これも二面性です。できるだけ上に行くために、躾を受けたり、教育を受けたりするのですね。そして、親は子供の運命を切り拓くために徳を積むのですね

 

特性を見出す努力をするのは、天職使命を自覚できるようにするためです。NHKの「ファイト」で「とりあえず、では嫌なの・・・」という台詞は、これに通ずるところですね。」

 

責任者:

 

ここでは二面性について、古事記の国生みの場面と遺伝子の二重螺旋からご説明いただいています。そしてそのことは私達の「宿命と運命」を考える上でも関わりがあるということです。(重要だと思いますので要点だけを繰り返させていただきます。)

 

○定まっている(動かす事ができない)のが「宿命」であり、その宿命の範囲内で本人の努力の度合いにより上昇したり下降したりするのが「運命」だということです。

 

○できるだけ(宿命の枠内の)上へ行く為に、子供は躾や教育を受け、親はこどもの運命を切り開く為に徳を積むということです。

 

○天職使命を自覚できるようになる為に、特性を見出す努力をするということ。

 

「メシヤ講座・特選集no.52(平成17年5月分)」より抜粋つづき:

天職使命を果たすことの重要性

楳木代表

私が天職使命を果たすことの重要性について強く学んだのは、札幌在任中でした。

 

当時、心臓に人工弁を入れている四十代男性がご神縁をいただいてきました。定職には就かず奥さんの収入で生活をしていました。前の帰属していた教団でも浄霊をいただいており、教団施設への参拝や奉仕をされていたようです。奥さんは少しでも働いてくれることを望んでおりました。

 

私は、勉強会や面談を通して、専従奉仕として使命を果たすか、何らかの仕事に就いて使命を果たすか、ということを提示して働きかけました。彼は暫らくして仕事を見つけ、体に無理にならない程度に働き始めました。奥さんの喜びようは大変なものでした。

 

そして、それから何年かが過ぎ、人工弁交換の手術(10年毎に取り換えなければ機能しなくなる)の時が巡ってきました。御守護お願いがありまして、私もご祈願をさせていただきました。すると、「取り出した人工弁がとても綺麗だ」と医者が驚いていたと言うのです。普通はドロドロしたものが付着しているそうなのですが、新品に近い状態だったそうです。

 

私は、御教え『人間とは』で述べられている『本来、人間というものは、神様の御目的たる理想世界を造る役目で生まれたものである以上、その御目的に叶うようにすれば、いつも無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である。』が閃(ひらめ)きました。彼は天職使命を果たすことで大変な御守護をいただいたのです。

 

また、同時期に、生活保護を受けていた五十代のご夫婦がご神縁をいただきました。ご主人は脳梗塞の後遺症で半身が不自由でした。そのお世話もあるので、奥さんは働けないということでした。

 

私は、ご主人の状態をつぶさに観察し、奥さんの働ける時間帯を提案しました。お二人とも協力し合って、奥さんが働くようになり、ついに生活保護を打ち切りました。そしてとても明るく生活できるようになりました。このご夫婦も前の帰属教団で浄霊をいただいていましたが、本当の意味で御教えを実践できていなかったのですね。いや、そうしたお世話を受けていなかったのですね。

 

ところが、ご夫婦が働き始めてから、不幸続きの娘達の上に変化が起り始めたのです。抱えていた問題が次々と解決し、運命が好転したのです。やがて娘達もご神縁をいただきました。私は、働くことの大切さをこの時ほど感得したことはありません。日本人の古来からの労働観は、占領政策及び戦後教育によって変質してしまっていますから、なおさら感慨深いものがありました。」

 

責任者:

「天職使命」を果たす…、皆さんは天職使命を果たせていますか。私は近頃やっとそれが何なのか分り始めました…。

 

「メシヤ講座・特選集no.52(平成17年5月分)」より抜粋つづき:

ご祈願と浄霊と自己教育で魂の輝きを

楳木代表

何のために浄霊があるかということです。

 

浄霊は救いの業でありますが、前回触れたように天職使命、因縁使命を自覚し、それを果たして行くためにも浄霊はあるのです。胡坐(あぐら)をかくためにあるのではないのです。

 

よく引き合いに出すことですが、酒好きが酒を飲み過ぎ肝臓を悪くし、浄霊をいただくと良くなり、また大酒に浸るという、胡坐(あぐら)のかき方です。これでは、浄霊が便利屋になり、神様を道具に使っているようなものです。やはり、「浄霊で救われたが、これからは注意して生活をしよう」という自己変革に繋げて行かねばいけません

 

それが『運命の転換』へということに繋がって行くのです。ここが信仰の神髄です。自己変革を発心することが、3月に触れた私達の『夜昼転換』なのです。

 

自己変革は、問題解決と同様で、最初のボタンの掛け違いを改めるようなところがありますが、習性化したものを変革して行かねばなりません。習性化したものはシミみたいなもので、中々取りにくいものです。掛け違いを発見したら、それを改めるように課題を設定し、行動を積み重ねなければなりません。これが自己教育に取り組むということです。

 

課題は自分の最も苦手なところですし、無意識の内に出る立ち居振る舞いですから、弱点がすぐに顔を覗かします。‘安き’に流れたくなります。そこにおいて力を下さるのが神様なのです。正しい願いは必ず叶えられる、とはそういうことです

 

今月からお願いしております「祈願参拝」や「浄霊観のステップアップ」は、そうした本来の取り組みに向けて力強く歩を進めていただきたいために掲げたものです。地道に着実に取り組み、一層魂を輝かせていただきたい、と願っております。」

 

責任者:

ここでは以下のように御教示を賜っています。(重要だと思いますので要点だけを繰り返させていただきます。)

 

○浄霊は「天職使命」と「因縁使命」を自覚し、それを果たして行くためにあるということ。

 

○浄霊で救われたら“これからは注意して生活をして行こう”という自己変革に繋げて行かなければならない。そしてそれが「運命の転換」に繋がるのであり、「12月の学び1」で学んだように私達の『夜昼転換』になるのだということ。

 

○自己変革は、問題解決(ボタンの掛け違いを改めるような)と同様であり、掛け違いを発見したら、それを改めるように課題を設定し行動を積み重ねなければならない(自己教育に取り組む)ということ。

 

○自己教育において力を下さるのが神様であり、「正しい願いは必ず叶えられる」とはそういうことだということ。

 

○「12月の学び2」で学んだ「祈願参拝」や「浄霊観のステップアップ」は、私達が本来の取り組みに向けて力強く歩を進めていけるように掲げられたものなので、魂をより一層輝かせる為にも、学んだ事柄に対し地道に着実に取り組ませていただくということ。

 

「メシヤ講座・特選集no.52(平成17年5月分)」より抜粋つづき:

『一切の革新』『一切の統合』を担うために

楳木代表

今月の御教え(『宗教は一つもない』二、偉大なる目標とは)では『自力』について言及されていますので、‘自己教育も自力ではないか’と感ずるかもしれませんが、違います。日本の現代社会は、権威の崩壊を受けて、生活上の種々の規範を失い、基本的な道徳心まで失いかけております。また、人々は履き違えた民主主義や経済至上主義、マスメディアの影響により、視野狭窄状態に陥っております。

 

いただいたご神徳を心の拠り所として、自己教育に取り組まねば、真の幸福者にはなれません。2月にお話致しましたように、真文明創造のために『一切の革新』『一切の統合』を進めることが素晴らしい御神業です。その担い手である皆様が率先して取り組んでいただきたい、と願っております。

 

今回は、「地上天国祭」を迎えるにあたり、考えておきたいことを加味してお話致しました。少しクドクドしい位に疑問を投げかけたのは、御経綸や御意図をご自分の処まで取り入れて考えていただきたいからです。最高位から庶民生活の話まで触れましたので、概略ご理解いただけたと思います。

 

祭事というものは意志の表明を形にするものです。よく「宇宙意志」という表現をしますが、意志があったので形としての宇宙や生命体が誕生したのです。また、「祭り」とは神の御意図と人間の意志が真に釣り合うところから「真釣(まつり)」が生まれ、「祭り」となったのです

 

そうしたことをご確認しながら「地上天国祭」をお迎えいただきたい旨をお願い致します。」

 

責任者:

ここでは以下のように御教示を賜っています。(重要だと思いますので要点だけを繰り返させていただきます。)

 

○自己教育は自力ではない。日本の現代社会ではいただいたご神徳を心の拠り所として、自己教育に取り組まねば、真の幸福者にはなれないということ。

 

○御経綸や御意図を自分の処まで取り入れて考えていくということ。

 

○真文明創造のために『一切の革新』『一切の統合』を進めることが素晴らしい御神業であり、その担い手である私達が率先して自己教育に取り組んでいくということ。

 

まとめ

責任者:

「12月の学び1~3」で学んだ内容は、私達が本来の取り組みに向けて力強く歩を進めていけるように掲げられたものでした。魂をより一層を輝かせる為にも、学んだ事柄に対し地道に着実に取り組ませていただこうと思いました。

 

そして、祭典に於いて神様の御意図と自分の意思が真に釣り合えるように、御教えを拝読し御経綸や御意図を自分の処まで取り入れて考えさせて頂こうと思います。

 

今年の学びは今回で終了いたしますが、ここで学ばれたことを取り入れられて「御降臨祭」での「祈り」と、新しい年の取り組みに繋げていただきたく思います。

 

それでは皆さん、よい年をお迎えください。ありがとうございました。

 

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座・特選集no.52(平成17年5月分)

 

印刷はこちらからどうぞ