4月に向けての学び
はじめに
責任者:
コロナウイルスの流行が終息する気配は未だ見えず、世間の人達はそれに対する情報(正誤は別として)があり過ぎて不安を煽られ、混乱しているように見受けられます。
さて今回は、この事象に対する対処の取り組みとして、メシヤ様が進められようとされた御神業(『宗教改革』と『医学革命』)を正しく理解し、本来の宗教の使命を果たす為の学びを、御教えは勿論のこと、楳木先生のメシヤ講座を基に進めさせていただくと同時に、この(コロナウイルスの流行という)事象が起こっているその原因を、探究させていただきたく思います。
「メシヤ講座・特選集no.81(平成19年10月分)」より抜粋:
<御教え>
『病気と医学』
「文明の創造、科学篇」 昭和27年
前述の如く、私は反文明の原因としての、戦争(『天国建設の順序と悪の追放』へ)と病気(『悪の発生と病』へ)の二大苦を挙げたが、其(その)外に今一つの貧困がある。然し之は戦争と病気とが解決出来れば、自然に解決さるるものであるからかかないが、先づ戦争の原因から説いてみると、之は勿論精神的欠陥即ち心の病気にあるので、之も肉体の病気さへ解決出来れば、共に解決さるべきものである。
右(上記)の如く病気も、戦争も、貧困も同一原因であるとしたら、真の健康人即ち霊肉共に完全な人間を作ればいいのである。然し斯う言えば至極簡単のやうであるが、実は之が容易ではない事は誰も想像されるであらう。然し私から言えば、決して不可能ではない。何となれば必ず解決出来得るだけの方法を、神から啓示されてゐるからで、之が私の使命でもあり、其(その)一段階としての此(この)著である。
従って先づ病気なるものからかいてみるが、病と言っても前述の通り、肉体と精神との両方であるが、現代人は普通病とさへ言えば、肉体のみのものと思ってゐる処に誤りがあるので、此(この)精神の不健康者こそ、戦争の原因となるのである(『悪と守護霊』へ)。其(その)様な訳でどうしても人間が肉体と精神と共に本当にならない限り、真の文明世界は生れないのは言う迄もない。ではどうすればそれが実現され得るかといふと、それには勿論其(その)根本が解ると共に、可能の方法も発見せられなければならない。処が私はそれに関する根本義を発見し、而(しか)も絶対解決の方法迄も把握し得たので、茲(ここ)に詳細徹底的にかくのである。それに就(つい)ては先づ我々が住んでゐる此(この)地上の実相から解いてみるが、元来此(この)地上の一辺、今日迄の学問では物質のみの存在とされてをり、それ以外は無とされて来たのである。然し此(この)考え方たるや非常な誤りであって、無処ではない。人間にとって之程重要なるものはない程のものが、確実に存在してゐる事である。にも拘はらずそれが何故今日迄分ってゐなかったかといふと、全く唯物科学にのみ依存して来た結果であるからで、即ち唯物科学に於ての理論は、見へざるものは無と決めてゐた以上、之程進歩したと思はれる唯物科学でも把握出来得なかったのである。右(上記)の如く唯物科学で知り得ないものは、悉く否定の闇に葬って了った其(その)独断的観念こそ、学者の頭脳なるもののいとも頑(かたく)な偏見さである。之に就(つい)ては多くをいふ必要はあるまい程、人類の幸福が文化の進歩に伴はない事実である。それを之から漸次説き進めてみよう。
以上説いた如く精神と肉体共に完全なる人間を作るのが真の医学であるとしたら、現代医学は果して其(その)目的通り進んでゐるであらうかを茲(ここ)で検討する時、それは余りにも背反してゐる事実である。それ処ではない。寧(むし)ろ病気を作り、病人を増やしてゐると言っても過言ではない程の誤りを犯してゐる事で、それを之から詳しくかいてみるが、先づ医学なるものの今日迄の根本的考へ方である。といふのは医学は病気の原因が全然分ってゐないから、凡べて反対に解釈してゐる。勿論唯物科学本位で進んで来たものとすれば致し方ないであらう。
右(上記)の結果医学は病気の場合外部に表はれたる苦痛を緩和するのみに専念してゐる。従って医学の進歩とは一時的苦痛緩和法の進歩したものであって、其(その)方法として採られてゐるものが彼の薬剤、機械、放射能等の物質の応用である。成程之によって病気の苦痛は緩和されるので、之で病が治るものと誤認し、緩和法を続行するのであるが、事実は苦痛緩和と病気の治る事とは、根本的に異ふのである。即ち前者は一時的で、後者は永久的であるからである。而(しか)も其(その)苦痛緩和の方法自体が病を作り、病を悪化させる結果なのであるから問題は大きいのである。
何しろ唯物的医学であるから、人体も単なる物質と見るのみか、人間と人間以外の動物をも同一視するのである。それによって動物を研究資料として、病理の発見に努め、偶々(たまたま)何等かの成果を得るや、直ちに人間に応用するのであるが、之が非常な誤りである。何となれば人間と動物とは形も本質も内容も全く異つてゐる事で、之に気が付かないのである。此(この)理によって人間の病気は、人間を対象として研究されなければならない事は余りにも明かであって、之以外人間を治す医学は確立される筈(はず)はないのである。そうして今一つ斯ういふ点も知らなければならない事は、動物には人間のやうな神経作用がないが、人間には大いにある。人間が神経作用の為に、どのくらい病気に影響するか分らない。例えば、一度結核と宣告されるや、此(この)一言で患者の神経は大打撃を受け、目に見えて憔悴する事実は、医家も一般人もよく知る処であらう。処が動物にはそういふ事が全然ないにみても肯れるであらう。
以上によって見る時、現代医学の欠陥は、霊と体で構成されてゐる人間を、霊を無視して体のみを対象とする事と、人間と動物を同一に視てゐる点で、之が主なるものである事を知らねばならないのである。
(前文割愛)
<付記>
楳木先生:
創唱宗教は、教祖の精神に基づいて形成され、展開されてきました。ところが精神が歪められたり、為政者に利用されるなどにより、変貌を遂げてきたことも事実としてあります。そうしたことに対する理解がなされていませんと、私達が宗教を正しく理解してゆくことは出来難くなります(「メシヤ講座・特選集no.80(平成19年9月分)」へ)。
と言いますのは、宗教というのは“やろうと思えば、すぐに出来る”という性質を持っているからです。そして、すぐ出来るということが必ずしも宗教を正しく理解するということにはならないのです。そのため宗教を極め、普遍化してゆくということに繋がり難い側面を持っています。
そこで、もう一度“現代社会の諸問題は文化の根底にある宗教を忘れたところから発生する”という点について考えてみていただきたいのです。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎宗教というのは“やろうと思えば、すぐに出来る”という性質を持っていますが、それ(すぐに出来るということ)は必ずしも宗教(教祖の精神を)を正しく理解するということにはならず、そのため宗教を極め、普遍化してゆくということに繋がり難い側面を持っているのだということ。
◎“社会の諸問題は文化の根底にある宗教を忘れたところから発生する”のだということ。
「メシヤ講座・特選集no.81(平成19年10月分)」より抜粋つづき:
宗教を忘れると何故諸問題を発生させるのか
楳木先生:
人は宗教行為を執り行ったが故に人になりました。ですから“宗教が嫌いと言う人は人間ではない”と言えるのです。
では、現代人の中で「宗教が嫌いだ」と言う人が多いのですが、現代人は本当に宗教が嫌いなのか、ということを考えますと、「NO!」であります。大概の人は正月に自然な形で初詣に行きます。神道を大切に思っているからかどうかは別ですが。また、クリスマスをほとんどの日本人が祝います。無意識ながらキリスト教徒となっているのです。結婚式も教会で挙げる人は大勢います。
また、仏教形式のお葬式には必ずお数珠を持参します。お数珠を手にすることにも余り違和感を感じないようです。ですから、宗教を嫌いな人は余りいないと判断しても良いのです。
「宗教が嫌い」と言う人は多いのですが、そのほとんどの場合「宗教団体」のことを指し、それを嫌うのです。また、その意味するところは、おおよその人が嫌う宗教は、創唱宗教ということにもなり、複雑な思いにもさせられます。
これは、各教祖が苦悩したこととも通じます。真理が全て明らかにされていないために、布教の本来のあり方を見失い、教団執行部は視野狭窄状態となってしまうのです。その指導の下に教化されるので、違和感が生じるのです。
そこで生命誌をもう一度思い出していただきたいのです。38億年前に地球上に生命が宿ってから進化を遂げて、猿と人間が枝分かれをしました。その時に決定的だったのが宗教行為を行った、ということでした。動物は、死を迎えると姿を隠します。自らの死体を自ら埋葬する、という表現を用いました。
事故死、並びに人間に拘束された場合を除いて、私達は動物の死骸を目にすることはありません。人間は他の人に埋葬してもらいます。これが決定的に人と動物の違うところです。
故に、人間が人間であり続けるためには、宗教行為が伴うのです。この場合、死を悼むということがあります。死を悼むという精神性が欠如してくると、悲惨な事件が起きます。その根本義からずれると、人間生活ではなり難くなるのです。
私達が宗教観の整理を試みている理由は、人類の歴史を的確に把握し、メシヤ様が進められようとされた御神業を正しく理解するためです。そして、本来の宗教の使命を果たすためなのです。
使命を果たす主眼は、本来の宗教のあり方を示す『宗教改革』と『医学革命』です。そして、これが『主神様のご意図』というものです。何故なら、すでに『最後の審判』は始まっているからです。始まっているばかりではなく、様々な学説を考察すると5年後の12月23日にピークを迎えるのではないか、と思えるのです。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
〇人は宗教行為を執り行ったが故に人になった(猿と人間が枝分かれをした)のだということ。
〇現代人に「宗教が嫌い」と言う人が多いのだが、そのほとんどの場合「宗教団体」のことを指し、それを嫌うのだということ。
〇本来の布教のあり方を見失った、その指導の下に教化されるので、「宗教団体」に対して違和感が生じるのだということ。
〇人間が人間であり続けるためには、宗教行為(死を悼むということなど)が伴い、そのような精神性が欠如してくる(その根本義からずれる)と、悲惨な事件が起き人間生活ではなり難くなるのだということ。
◎メシヤ様が進められようとされた御神業を正しく理解し、本来の宗教の使命を果たすために宗教観の整理を試みているのだということ。
◎本来の宗教の使命を果たす主眼は、本来の宗教のあり方を示す『宗教改革』と『医学革命』であり、これが『主神様のご意図』だということ。
「メシヤ講座・特選集no.81(平成19年10月分)」より抜粋つづき:
『最後の審判(御教えへ)』の型と『薬毒(『薬毒の種々相』へ)』
楳木先生:
最後の審判の型ということで考えてゆけば、『何が正しくて何が間違っているのかが判らないような時代となる』というお言葉をしっかりと受け止めねばならないと思います。
今、様々な事象を見つめてまいりますと、絶えず最低“二面性”を考慮して判断してゆかねばなりません。今回取り上げた北極海の氷が大幅に溶けている問題にしても、環境問題としては深刻さを増す現象です。しかし北回りの航路が可能になる、という話だけを捉えれば、夢のある現象のようにも聞こえます。
しかし、現実的には、温暖化が進めば地球環境は激変し、様々な生物の生息地が北上しますし、植物の繁茂地も北上します。そして“種”の絶滅が進んでしまいます。人類にとっても深刻な事態を招くのです。今こそ叡智を持って対処してゆかねばならないのです。
確かに叡智が必要なのです。叡智を人類が取り戻すためには『薬毒』を消滅させなければなりません。
今回神代文字について触れましたが、当時は現在使用されている平仮名程度の数しか文字はありませんでした。それは、ほとんどの人が記憶力抜群でメモを取らなくても良かったからです。当時の文字は、集落全体の記録や祭事に用いられ、皇室が主として用いていました。
この記憶力が弱まった理由が薬毒なのです。因みに、薬は人類の頭脳や体力を弱わらせ、人類を支配するためのある陰謀のためであることは言うまでもありません。その陰謀に、見事に嵌(はま)っているに過ぎないのです。
そして、『薬毒』という場合には、所謂身体に入れる薬剤や食物に残留する農薬や化学肥料、食品添加物に加え、日常生活に入り込んだ化学物質があります。メシヤ様によって知らされた『薬毒』は、『世界に知らせよ薬禍薬害』ということで運動方針はご在世中から明確です。
しかし、この運動の母体と自負している「○○○○教団」や「●●●●教団」が、『薬毒』論を否定する行為を重ねているのです。実はこれが最後の審判の型なのです。明確に御教えを示されているにもかかわらず、様々な理由をつけて巧妙に否定しているのです。
そうした姿勢は、私達の日常にもジワリジワリと忍び込んでいるのです。例えば、パーマや毛染めは身体に良くないことは承知しつつも、「老け込むよりずっと良いのでは・・・」等という理由を並べます。“これ位は・・・”と思った瞬間に油断が生じ隙ができてしまいます。その隙が狙われるのです。
こういう場合、メシヤ様は『(真理を伝えるが)そのことを採用するかしないかは本人のご随意である』というご姿勢です。ですから私も、精一杯お伝えしますが、強要はいたしません。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎最後の審判の型ということで考えてゆくと、メシヤ様の『何が正しくて何が間違っているのかが判らないような時代となる』というお言葉を、私達はしっかりと受け止めねばならないのだということ。
〇私達が様々な事象を見つめるとき、絶えず最低“二面性”を考慮して判断してゆかねばならず、叡智を持って対処してゆかねばならないのだということ。
◎叡智を人類が取り戻すためには『薬毒』を消滅させなければならないのだということ。
〇ほとんどの古代人は記憶力抜群だったが、現代人の記憶力は薬毒(身体に入れる薬剤や食物に残留する農薬や化学肥料、食品添加物に加え、日常生活に入り込んだ化学物質)のため弱まったのだということ。
◎メシヤ様によって知らされた『薬毒』は、『世界に知らせよ薬禍薬害』ということで、その運動方針はご在世中から明確であり継続しているのだということ。
◎メシヤ様が明確に御教えを示されているにもかかわらず、様々な理由をつけて巧妙に否定することが最後の審判の型なのだということ。
「メシヤ講座・特選集no.81(平成19年10月分)」より抜粋つづき:
正確に見つめてゆかねばならない
楳木先生:
先月は、メシヤ講座・特選集で感冒について詳述されている部分のご論文(『病気とは何ぞや』へ)を掲載していますが、皆さんで正確に把握していただきたいことがあります。
先程の事例に出たパーマを初めて経験した時はどうだったでしょうか。恐らくほとんどの方が大変な痛さを体験されたのではないでしょうか。これは地肌に薬品が沁み込んでいるということです。
しかも2回薬品を用います。その理由は何かということをご存知ない方が意外と多いようです。初めに使用する薬品は髪の毛を拡げる働きで、拡がったところへ形を維持する薬品を2回目に入れるのです。当然、地肌にも同様の作用がある訳です。
また、咳止めも大変恐ろしいものなのです。“咳とはいったい何”か(『病気とは何ぞや、感冒』へ)ということを考えれば、大変な錯覚をさせられていることに気付きます。咳は気管に痰が出来て発症することが多いのですが、痰を気管に貼り付けてしまえば楽になったように感じるのです。謂わばそのためのノリなのです。
解熱剤にしても、発熱の原因を治すことではないことはご承知の通りです。発熱を促そうとする中枢を、謂わば麻痺させてしまうのです。身体は発熱を促そうとしているにもかかわらず、薬剤でそれを抑えようとするのですから、身体特に中枢に対する負担は大変なものです。
こうしたものが長年身体に蓄積された場合、どのようになるかは容易に考えられると思います。新陳代謝が鈍る年齢に達した時に発症する症例はこうしたものの複合が原因なのです。(『御講話、昭和27年8月6日』へ)
判った時から始めるしかありません。『今日ただ今、成すべきことをすぐ実行する』ということを生涯貫かれたメシヤ様のご姿勢を鑑として、私達も実践させていただきたいものです。」
御神業というもの
楳木先生:
御神業というものは、特別のことのように捉えがちです。何か神秘的な、不思議世界を探求するように捉えてしまいますが、メシヤ様は『当たり前のことをする人間を造ること』と教えられております。
三千年間の『夜の時代』に薬毒の影響で、体力と思考力を弱められたために『当たり前』のことができなくなった現代人についてご指摘されている数々の御教えを自らに受け止め、自らが実践に努めて、その感化によって御教えを宣べ伝えてゆくことが御神業なのです。」
編集後記
責任者:
今回の学びを通して、宗教(教祖の精神を)を正しく理解して信仰を続けてゆくということが大事だということと、コロナウイルスの流行(事象)の原因を、理解させていただきました。
メシヤ様の『何が正しくて何が間違っているのかが判らないような時代となる』というお言葉(最後の審判の型としてのお言葉)をしっかりと受け止め、さらに気を引き締めてこれからの日々を過ごしてゆかなければならないなあと思っております。又、昭和27年8月6日の御講話の中でメシヤ様は、『私の言った通りにやる人が少ないのです。私はいつも言うのですが、私が思う通り言った通りにする人は英雄と言うのです。偉いです。』と仰っております。“「叡智をいただき、当たり前のことができる人間になれるように」御教えを拝読し、それを実践できるように努めさせていただきたい”と再度思わせていただきました。
なお、今回の研鑽資料は、多くの御教えを(各々が今起きている事象に対してのお答えをメシヤ様からいただくには、御教えを直接拝読させていただくことが大切です。)リンクしております。どうぞ、繰り返しの拝読をお願いいたします。
有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。
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