研鑽資料no.74(2021年11月)

11月の学び

はじめに

責任者:

10月18日、北海道の定山渓にて「メシヤ様御描画観音様入仏86周年記念大祭」を粛々と執り行い、参列いただいた方々と共に「主神様、メシヤ様からいただいている、〝世界中の人々を主神様とメシヤ様の御教えに帰一させる為の結びの役割〟を必ず務めさせていただきます。」という祈りを捧げさせていただきました。コロナ禍の影響で2年振りの参拝となりましたが、観音堂から放たれる清々しい霊気に心が洗われるように感じました。この場をお借りして、御奉仕なさっている方々に心より感謝を申し上げたく思います。本当に有難うございます!

日増しに秋が深まり、朝晩は肌寒さを感じることも多くなりましたが、皆様にはお元気でお過ごしでしょうか。さて今回も引き続き「文明の創造」より学んでいきたく思いますので、よろしくお願い致します。

 

「メシヤ講座no.169三重(平成27年2月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『伊都能売神』

「文明の創造、宗教篇」 昭和27(1952)年

前項に述べたところは、大自在天なる言わば婆羅門(バラモン)宗盛んであった頃の、主宰者を表わしたのであるが、その当時先に述べたごとく、日本古来の神々は印度(インド)へ渡航し、化身仏となられたので、その化身仏の総領が伊都能売神(いづのめのかみ)であって、当時日本における最高の地位であられたのである。

ところがその頃素盞嗚尊(すさのをのみこと)を中心とする朝鮮の神々が渡来され、伊都能売神の地位を狙って犯そうとしたが、容易に応諾されないため威圧や迫害等から進んで、ついに生命にまでも及んで来たので、急遽御位(みくらい)を棄てられ、変身によって眼を外らし、ひそかに日本を脱出し、支那を通って印度へ落ち延び給うたのである。そうして観自在菩薩の御名によって、当時インドの南方海岸にある補陀洛(ふだらく)という名の、余り高からざる山の上に安住せらるべく、新たなる清き館を建てられた。この事は華厳経(発表時は悲華経)の中にある。いわく「観自在菩薩は補陀洛山上柔かき草地の上に金剛精座を出来(しゅつらい)、二十八部衆を随え結跏趺坐(けっかふざ)して説教をされた云々」とある。当時まだ善財童子という御名であった若き釈尊は、この説教を聴聞して、その卓抜せる教えに感激すると共に心機一転してそれまでの悉達(しった)太子という皇太子の御位を放棄し、一大決意の下に、当時紊(みだ)れていた俗界を離脱し、直ちに檀特(だんとく)の山深く別け入り、菩提樹(一名橄欖樹(かんらんじゅ))の下(もと)石上に安坐し一意専心悟道に入るべく、修行三昧に耽ったのである。この修行の期間について、諸説紛々としているが、私は七ケ年と示された。

そうして業成り出山するや、いよいよ釈迦牟尼如来として仏法開示に、取りかかられたのであるから、実際上仏法の本当の祖は、日本の伊都能売神であった事は確かである。そうして今一つ日本から仏法が出たという証拠として見逃し得ない一事がある。それは仏教でよく称える本地垂跡〔迹〕(ほんじすいじゃく)の言葉である。これは私の考察によれば、本地とは本元の国すなわち日本であり、垂跡とはもちろん巡跡教えを垂れる事である。すなわち最後に至って、故郷である日本全土に、一度仏の教えを垂れると共に、仏華を咲かせ、実を生らせなければならないという密意である。また今一つは観世音の御姿である。その最も特異の点は、漆黒の素直な頭髪で、これは日本人特有のものである。それに引換え釈迦、阿弥陀は全然異った赭色(しゃしょく)、縮毛であるにみても、両如来がインド人であった事は明らかである。また観世音の王冠や、首飾り等も、高貴な地位を物語っており、頭巾(ときん)を被られているのは御忍びの姿である。

そうしてまた釈尊の弟子に、法蔵菩薩という傑出した一人がいた。彼は一時釈尊から離れて他の方面で修行し、業成ってから一日釈尊を訪れていうには「私は今度インドの西方に一の聖地を選びて祗園精舎を作り、これを極楽浄土と名付けた。その目的は今後世尊の御教えによって、覚者すなわち仏の資格を得た者を寄こしてもらいたい。さすれば右の極楽浄土、別名寂光(じゃっこう)の浄土へ安住させ、一生歓喜法悦の境遇にあらしめるであろう」といって約束をされたのである。寂光とは寂しい光であるからもちろん月の光である。ところがこの法蔵菩薩が他界するや、阿弥陀如来の法名となって、霊界において一切衆生を救われたのである。つまり現界は釈迦、霊界は阿弥陀が救うという意味である。

そうして観自在菩薩は、終りには観世音菩薩と御名を変えられたのである。これは梵語(ぼんご)ではアバロキティシュバラの御名であったが、後支那における鳩摩羅什(くまらじゅう)なる学者が訳され、観世音と名付けられたという事になっている。ところがこの観世音の御名については、一つの深い神秘があるから、それを書いてみよう。

 

仏教が日本に定着した理由

楳木先生:

本日は伊都能売の神様ということで拝読をさせていただきました。

メシヤ様の御教えの・・・この世の中を最終的に救済する方法として、一つは『宗教改革』を行う、と。それからもう一つは『医学革命』を行う、ということで御神業を進めると御教えいただいておりますけども、我々がメシヤ様の御教えに触れるまでとても不思議だったのは、“仏教がインドで作られた教えであるのに、なぜ日本人にここまで取り入れられていったか”ということです。

本日の『伊都能売神』という御教えから、“日本の神様の教えがお釈迦様に伝わって、そして仏教ができた”という元々は日本の神様の教えなので、日本人が容易に受け入れることができたということが分かるのではないかと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎日本人が仏教を容易に受け入れることが出来た理由は、元々は日本の神様の教えだった(日本の神様の教えがお釈迦様に伝わって、仏教ができた)からなのだということ。

 

「メシヤ講座no.169三重(平成27年2月分)」より抜粋つづき:

三千年来の罪穢れのスタート

楳木先生:

それでお釈迦様に何を教えになったかということですが、3000年前に素戔嗚尊が朝鮮半島から武力を持って押し寄せてきた時に、当時日本を統治されておられた伊都能売神皇様は絶対平和主義を貫かれて、インドへ下っていかれました。通常いろんな宗教が「三千年来の罪穢れ」と言っておりますが、その本質は一体何かと言いますと、それまで徳によって治めていた日本の統治者が素戔嗚尊に変わる時に、素戔嗚尊は武力によって押し寄せてきたのでそれを日本人は受け入れましたが、伊都能売神皇様は受け入れなかったのです。日本人が受け入れてしまったということが三千年来の罪穢れのスタートであります。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎伊都能売神皇様(徳によって治めていた日本の統治者)が受け入れなかった素戔嗚尊の武力による統治を、日本人が受け入れてしまったことが「三千年来の罪穢れのスタート」なのだということ。

 

「メシヤ講座no.169三重(平成27年2月分)」より抜粋つづき:

紀元節の紀元

楳木先生:

もう一つは伊都能売神皇様はインドへ行かれて素戔嗚尊が日本を統治したのですが大方統治が行き渡った頃、300余年経った頃、治世が酒色によって乱れて行って、その時に中国から宮崎県の高千穂に移住して密かに潜んでいた瓊瓊杵尊の孫に当たる後に神武天皇になられた方が遠征にでております。乱れた治世を一気に征伐して統治を狙おうということで東征に向いました。そして、即位したのが一昨日の紀元節の紀元ということになっています。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎素戔嗚尊による日本統治が大方行き渡った頃(伊都能売神皇様がインドへ行かれて300余年経った頃)治世が酒色によって乱れて行って、その時に中国から宮崎県の高千穂に移住して密かに潜んでいた(瓊瓊杵尊の孫に当たる)後に神武天皇になられた方が、乱れた治世を一気に征伐して統治を狙われ東征に向い、その後即位されたのが紀元節の紀元なのだということ。

 

「メシヤ講座no.169三重(平成27年2月分)」より抜粋つづき:

神武天皇は稲作、治水工事、製鉄技術を教えたとする学説

楳木先生:

最近は学者たちも随分と神話の裏付けになる資料を集めてくれるようになりましたので、わかりやすくなってきましたが、神武天皇が宮崎の高千穂から東に向かってやってくる時に、武力だけではなくて3つのことを行いながら統治するよう働いていたというのは最近の研究で報告されています。

伊都能売神皇様が治めていた時は縄文時代ですが、弥生時代はなぜ弥生時代というのでしょうか。稲作をするようになりお米を食べるようになったからです。それではお米はどこから入ってきたのでしょうか。縄文時代の主食は栗だったのでそのあと里芋を食べるようになりました。それが弥生時代になるとお米を食べるようになりました。お米は誰が持ち込んだのでしょうか。こういうことは学校では教えてくれません。研究している人たちが段々わかってきたのですが、神武天皇の祖父が中国から持ち込んできて300余年高千穂に潜んで稲作を始めて東征に出て段々山陽道を通って関西に行くその道程(みちのり)の中で稲作を教えていったという説が発表されています。

見た目には米の作り方を教えたのと、灌漑工事の仕方とか治水工事を教えながら討伐していったということがわかってきています。それと鍬を使わないといけませんので製鉄技術を教えました。この3つを人民に教えながら行ったのでみんな神武天皇を受け入れたということです。」

受講者:

その頃から製鉄技術はあったのでしょうか。

楳木先生:

中国には青銅器とかの古いのがあるでしょう。3000年以上前にあの技術が中国にはあったのを持ち込んで来て日本人に教えていったのです。

宮崎駿の「もののけ姫」で製鉄工場が中心に描かれているでしょう。あの時代は製鉄技術が盛んだったのです。そういうことを日本人が受け入れたので神武天皇の治世になっていったのです。」

受講者:

高千穂という地名も稲作にピッタリですね。

楳木先生:

高いところに千の穂があると付けているところがね。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎学者の研究と発表によると、「〝神武天皇は、稲作と製鉄技術、灌漑、治水工事の仕方を教えながら討伐していった″ので、みんなが神武天皇を受け入れたのだということ」。

○討伐の頃(3000年前)の中国は、既に製鉄技術を持っていたのだということ。その技術を持ち込んで日本人に教えて行ったのだということ。

 

「メシヤ講座no.169三重(平成27年2月分)」より抜粋つづき:

日本には昔から文字があった

楳木先生:

それでこれが日本で起きたのですが、伊都能売神皇様はお釈迦様の皇太子時代に何を教えたかというと・・・今日初めて参加された方、日本には昔から文字があったということは聞かれましたか。」

支部長代理:

御神体の『○ヽ』「ア」のことはお話したと思います。

楳木先生:

ホツマツタエの話は聞いていないかな。例えば平仮名の「あ」という字は安心の「安」という字から「あ」を作りました。「い」は以上の「以」から作りました。「う」は宇宙の「宇」です。「え」は・・・

受講者:

江戸の「江」ですか。

楳木先生:「衣」から作ったと言われています。「お」は「於」からです。そうしますと、漢字を当て嵌める元々の文字がなければ平仮名は作れないのです。昔から「あいうえお かきくけこ さしすせそ・・」という一覧(五十音)に相当する文字が日本にはあったのです。

「い」洞窟の中は冬は暖かくて夏は涼しいでしょう。夏がわかりやすいのですが、中は涼しく外は暑いので寒暖によって風が生まれます。温度差によって風が吹いてくるのです。ですからこの温度差を表すので洞窟の形のが風を表す言葉になっています。

「う」三角は炎、火です。火の形が三角で「う」と言います。

「え」は川を表しています。水という意味です。

「お」は四角く囲って点を打ちます。ですから「お」は土とか土地の意味があるのです。「国」というのも同じ意味があります。

「あ」「い」「う」「え」「お」は仏教で言うと五輪塔になります。」

 

「ウツホ」「カセ」「ホ」「ミツ」「ハニ」が五輪塔の源になっています。ですから仏教の教えも元は日本の言葉の構成とかを伊都能売神皇様がお釈迦様に教えた内容だったのです。だからそれが日本に入ってきても精神が日本の内容だったのでスーっと受け入れることが出来たわけです。」

【ヲシテ文献から、ヲシテ時代の哲学が読み取れる。すなわち、5母音は、ウツホ、カセ、ホ、ミツ、ハニに分類され、それぞれ下図の意味を持つとされる。

意味に関してはヲシテ文献にその記述があり、解釈は研究者によって見解が異なる。以下は池田満による解釈。

「ウツホ」:気体、大空のように目に見えないもの、始まっていないこと

「カセ」:温度の低いエネルギー、風のように太陽の熱で空気が動くこと、始まったこと

「ホ」:熱いエネルギー、炎のようにエネルギーが生み出されていること、動いていること

「ミツ」:液体、水のように様々に変化すること、影響を及ぼすこと、変化したこと

「ハニ」:固体、大地のように安定した状態になったこと、成熟したこと

(Wikipedia:ウィキペディア 最終更新 2014年9月18日 (木) 14:59)】

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎日本には昔から文字があり、伊都能売神皇様がお釈迦様に教えた内容(仏教の教えも元)は、日本の言葉の構成とその意味などだったのだということ。

 

「メシヤ講座no.169三重(平成27年2月分)」より抜粋つづき:

仏壇の御位牌は仏教ではなく儒教

楳木先生:

受け入れるときに同時に仏教は中国大陸を渡ってきましたので、中国を通って来るときに儒教を拾って来ています。仏壇にある御位牌は仏教ではなく儒教なのです。

御位牌は黒塗りに金泥(きんでい)と言って金の泥で書いていますがこれが儒教の形式なのです。しかし仏教に含んで儒教が入ってきましたので御位牌が生まれました。それまでは日本の場合は神道でしたので木札に黒い墨で文字を書いた位牌だったわけです。

だけどその木札よりも御位牌の方が豪華に見えますので御先祖を祀るのは良いということで日本人がスーっと受け入れたわけです。ですから仏教が入ってきた時に御位牌は仏教の一つだと思って受け入れたのですが、実は儒教だったということです。

そういう入り方をしておりますので、本日の伊都能売の神様の御論文を読みますとインドで生まれた仏教がどうして日本に定着したのかということが良くわかるのではないかと思います。」

(後文割愛)

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎仏教は中国大陸を渡って来た。中国を通って日本に入る前に儒教を拾って来ているので、仏壇にある御位牌は仏教ではなく儒教の形式なのだということ。

◎『伊都能売神』の御論文を拝読することによって、インドで生まれた仏教がどうして日本に定着したのかということが良くわかるのだということ。

 

『道法禮節』の御教えを再確認しよう

楳木代表

そうしたことを教えていくということも『医学革命』の御神業の一つですので、今日は伊都能売神皇様のお話の中から『宗教改革』をしていくときにこのことが分かれば仏教のことが理解できると。そして御釈迦様に教えた内容は日本が元々積み上げてきた教えを御釈迦様に教えたのだと。それがメシヤ講座のプリントの後ろの方に書いてあります。

5ページ目の下の方に「御教え『観音講座 第二講座』内『道法禮節』 (昭和十年七月二十五日より)」というのが書いてあります。

これが日本の伊都能売の神様が御釈迦様に教えた基礎なのです。この『道法禮節(御教えへ)』というのはね。ですから後でまた読んでみていただきたいと思います。

最初に『伊都能売神(御教え『伊都能売の身魂』へ)』ということでそういうことを確認させていただいていつものように質疑応答に入りたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎『宗教改革』をしていくときに「御教え『伊都能売神』」の内容が分かれば、仏教のことは理解できるのだということ。

◎伊都能売の神様が御釈迦様に教えた内容(基礎)は、日本が元々積み上げてきた教え『道法禮節』なのだということ。

 

「メシヤ講座no.169三重(平成27年2月分)」より抜粋つづき:

質疑応答

受講者:

『此(この)修行の期間に就(つい)て、諸説紛々としてゐるが、私は七ケ年と示された。』と書かれています。『示された』というのは〝昭和元年の神罹りの時に観音様から教えられた″という意味でしょうか。

楳木先生:

観音様から教えられたというより主神様からですね。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は主神様から『此(この)修行の期間に就(つい)て、諸説紛々としてゐるが、私は七ケ年と示された。』のだということ。

 

「メシヤ講座no.169三重(平成27年2月分)」より抜粋つづき:

『アバロキティシュバラ』の御名について

受講者:

最後の箇所に『そうして観自在菩薩は、終りには観世音菩薩と御名を変へられたのである。之は梵語(ぼんご)ではアバロキティシュバラの御名であったが、後支那(シナ)に於ける鳩摩羅什(くまらじゅう)なる学者が訳され、観世音と名付けられたといふ事になってゐる。』と書かれています。このアバロキティシュバラの名について調べてみました。

「アバロキティシュバラ」は「アバロキタ」と「スヴァラ」という2つの語源があります。

「アバロキタ」は〝観察する″という意味があり、「スヴァラ」には〝音声″という意味があります。さらに「アバロキタ」は「ロカ」という語源も含んでおり、これは〝世間″という意味があるそうです。ですから全体で「世間の衆生が苦しむ全ての声を聞き取る」という意味になるそうです。「スヴァラ」には〝自在天″という意味もあるらしいです。

楳木先生:

それを元に来月の御論文を読むとよりわかりやすいですね。来月拝読する前にまた言ってください。そうするとより一層来月の御教えが理解できます。」

受講者:

はい。わかりました。

楳木先生:

結局自分が日本を出て行って〝出て行った日本を観ている″ということも観音の名の意味には入るのだと思います。梵語の方がわかりやすいね。観音と言ってしまうと意味がわかりにくくなりますからね。」

受講者:

〝世の中の音声を観察する″〝世間の人々が苦しんでいるそういう声を聞き取る″そう言う意味になるそうです。

楳木先生:

観音様というよりそちらの方がわかりやすいですね。」

受講者:

『観自在菩薩は補陀洛(ふだらく)山上柔かき草地の上に金剛精座を出来、二十八部衆を随(したが)へ結跏趺(けっかふ)坐(ざ)して説教をされた云々(うんぬん)』の『金剛精座を出来(しゅつらい)』の書き方ですが、御教えの出典によって異なります。

『観自在菩薩は補陀洛(ふだらく)山上柔かき草地の上に、二十八部衆を随(したが)へ、金剛宝座に結跏趺(けっかふ)坐(ざ)して説教をされた云々(うんぬん)』と地上天国二十九号 昭和二十六年十月廿五日には記載されています。

楳木代表

ここは私も引っ掛かりがありました。『二十八部衆を随(したが)へ、金剛宝座に結跏趺(けっかふ)坐(ざ)して説教をされた』と昔から読んでいたように思ったのですが・・

(支部長代理):

この件について後に先生に以下のようなメールで御指導賜っており、非常に学びになると思いますので掲載させていただきます。

善財童子と『伊都能売(いずのめ)の教え』

(支部長代理):

善財童子について図書館で華厳経関係の図書を調べたのですが華厳経の解説書ばかりで華厳経そのものはおいてありませんでしたので、「金剛精座を出来(しゅつらい)」について調べきれませんでした。

(楳木先生):

これも梵語を訳したものなので、と考えれば、それを更にメシヤ様が言い回しをこのようにしたとも思えるところがあります。

それを活字にした際に、担当者が判断したところがあり、言い回しを現代に併せた面もあるかも知れません。

(支部長代理):

しかし、調べていて面白いことに気づきました。

華厳経はズーッと難しいことが書かれているのですが、その最後に善財童子の物語が書かれているのです。善財童子が悟りを開くために様々な善知識と呼ばれる指導者を尋ね歩く物語です。そしてその指導者の数が53人なのです。53人のうち20人が女性で、菩薩以外にも長者・賢者・婆羅門・外道・夜神など、様々な存在者が交じっています。そして観音菩薩は28番目に、弥勒菩薩は53番目に登場します。世のすべての象徴的な人材との出会いを善財童子は次々に実現していくのです。

(楳木先生):

この数字は面白いところがあります。

(支部長代理):

これは正に伊都能売(いずのめ)の教えを求める人生の旅路をあらわしているのではないでしょうか。

後に東海道五十三次という数字にも引用されるように・・・

(支部長代理):

お釈迦様が567の数字を知らせたかったように(御教え『救ひ主と贖罪主』へ)この善財童子の53人の善知識に会う旅もまた『53』の数字すなわち『伊都能売(いずのめ)の教え』であるということを知らせたかったのではないでしょうか。

(楳木先生):

28も二十八部衆一人ひとりに伊都能売神皇様の教えを実際面と対比して確認したとも思えます。53は正にそのことだと受け止められます。

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎アバロキティシュバラ(観世音)は、「世間の衆生が苦しむ全ての声を聞き取る」という意味になるそうなのだということ。

◎〝出て行った日本を観ている″ということも観音の名の意味には入るのだと思われるのだということ。

 

「メシヤ講座no.169三重(平成27年2月分)」より抜粋つづき:

観音様が日本人である証(あかし)

受講者:

それから赭色(あかつちいろ)とルビを付けましたが、辞書によっては赭色(あかいろ)とも読めるようです。

楳木先生:

赭色(あかつちいろ)と読んだほうがわかり良いし感じが良いですね。

ここはね、阿弥陀様の仏像とか見ますと頭にポツポツポツとあるでしょう。あれが天然パーマなのです。観音様を見てください。直毛で結ってあるでしょう。これが日本人という証なのです。御釈迦様とか阿弥陀様はポツポツポツとコブみたいなのがついているのです。

髪の毛が天然パーマだと言う意味なのです。

受講者

日本人で天然パーマの人もいますね。

(以下割愛)

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎観音様の髪は直毛で結ってあるのだが、それが日本人である証なのだということ。

 

編集後記

責任者:

今回の資料は、定山渓での「伊都能売観音様」への参拝の直後だということと、現在衆議院選挙の真っただ中ということもあり、大変タイムリーな御教えをいただいているなぁと思いながら纏めさせていただきました。楳木先生より御教示いただいておりますが、「三千年来の罪穢れ」の出発点は私達日本人が武力による統治を受け入れてしまった時から始まっています。そして、その時から染み付いてしまった「魂の癖」というものが私達にはあるのだということを、以前楳木先生より御教示いただいております(「三千年来の罪穢れ」と「魂の特性」の御教示(「メシヤ講座no.192三重(平成29年2月分)」へ)。

『伊都能売神』という御教えは、そういうこと(〝夜に時代に染み付いてしまった魂の癖″の原点)を認識した上で拝読することにより、(この御教えの)重要性を感じ取ることが出来、〝より深く拝読することが出来るのだなぁ″と気付かせていただきました。又、日々の参拝(朝拝、夕拝)は、魂にこびり付いている「癖」と「曇」を祓い浄めるような参拝に繋げて行かなければと強く思わせていただきました。秋冷が日ごとに加わる時季です。どうぞご自愛くださいませ。

有難うございました。

 

※責任者より

 

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.169三重(平成27年2月分)

メシヤ講座no.192三重(平成29年2月分)

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