研鑽資料no.95(2022年9月)

9月の学び

はじめに

責任者:

9月に入って猛暑もようやく過ぎ去り、夕方から朝にかけて大分過ごし易くなって参りました。皆様におかれましては、元気にお過ごしでしたでしょうか?世間(日本)では未だにワクチン接種が話題に上っていますが、コロナ禍が(を)これほど長期化する(させる)とは…、誰が予測できたでしょうか。1日でも早いコロナ禍の収束を願うばかりです!

それでは、引き続き「文明の創造」より学びを続けて参りたく思いまので、どうぞよろしくお願い致します。

 

「メシヤ講座no.131三重(平成23年12月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『医学の解剖』

「文明の創造、科学篇」 昭和27(1952)年

本文は『文明の創造』76ページに記載されています。

私は前項迄に、医学の誤謬(ごびゅう)を大体かいたつもりであるが、尚なお進んで之から鋭いメスを入れて、徹底的に解剖してみよう。と言っても別段医学を誹謗(ひぼう)する考へは毫末(ごうまつ)もない。只(ただ)誤りは誤りとして、ありのまま指摘するまでの事であるから、虚心担懐になって読まれたいのである。それには先まづ事実によって、説明してみる方が早かろう。先(まづ)何よりも医師が患者から、病気の説明を求められた場合、断定的な答へはしない。甚だ曖昧あいまい模糊(もこ)御座(おざなり)的である。例えば、患者に対する言葉であるが、何の病気に就ついても言ひ切る事が出来ない。貴方あなたの病気は治ると思ふ。治る訳である。医学上そういふ事になってゐる。此この療法が効果ありとされてゐる。此この療法以外方法はない。養生次第で治らない事はない。貴方(あなた)の病は万人に一人しかないなどといふかと思へば、貴方(あなた)は入院しなければいけない、と言はれるので患者は「入院すれば治りますか」と訊きくと、「それは請合へない」といふやうに、実に撞著的(どうちょてき)言葉である。又予想と実際と外(はず)れる事の、如何(いか)に多いかも医家は知ってゐるであらう。そうして、最初診察の場合、型の如く打診、聴診、呼吸計、体温計、レントゲン写真、血沈測定、注射反応、顕微鏡検査等々、機械的種々な方法を行うが、医学が真に科学的でありとすれば、それだけで病気は適確に判る筈はずである。処が両親や兄弟等の死因から、曽父母、曽々父母に迄及ぶのは勿論もちろん、本人に対しても、病歴、既応症等微に入り細に渉って質問するのである。之等も万全を期す上からに違ひないが、実をいふと余りにも科学性が乏しいと言へよう。処がそうまでしても予想通りに治らないのは、全く診断が適確でないか、又は治療法が間違ってゐるか、或いは両方かであらう。事実本当に治るものは恐らく百人中十人も難しいかも知れない。何となれば仮かりに治ったやうでも、それは一時的であって安心は出来ない。殆ほとんどは再発するか、又は他の病気となって現はれるかで、本当に根治するものは、果して幾人あるであらうか疑問と言えよう。此この事実は私が言う迄もない。医師諸君もよく知ってゐる筈はずである。此(こ)の例として主治医といふ言葉があるが、若もし本当に治るものなら、それで済んで了しまふから主治医などの必要はなくなる訳である。

右によっても判る如く、若もし病気が医学で本当に治るとしたら、段々病人は減り、医師の失業者が出来、病院は閑散となり、経営も困難となるので、売物が続出しなければならない筈はずであるのに、事実は凡(およ)そ反対である。何よりも結核だけにみても、療養所が足りない、ベットが足りないと言って、年々悲鳴を上げてゐる現状である。政府が発表した結核に関する費額は、官民合せてザット一ケ年一千億に上るといふのであるから、実に驚くべき数字ではないか。之等によってみても、現代医学の何処どこかに、一大欠陥がなくてはならない筈はずであるに拘(かか)はらず、それに気が付かないといふのは不思議である。といふのは全く唯物科学に捉はれ、他を顧みないからであらう。

そうして、診断に就ついて其その科学性の有無をかいてみるが、之にも大いに疑点がある。例へば一人の患者を、数人の医師が診断を下す場合殆ほとんど区々(まちまち)である。といふのは茲にも科学性が乏しいからだと言えよう。何となれば若もし一定の科学的規準がありとすれば、其その様な事はあり得る訳があるまい。若(も)し医学が果して効果あるものとすれば、何よりも医師の家族は一般人よりも病気が少なく、健康であり、医師自身も長寿を保たなければならない筈はずである。処が事実は一般人と同様処か、反って不健康者が多いといふ話で、これは大抵の人は知ってゐるであらう。而しかも医師の家族である以上、手遅れなどありやう訳がないのみか、治療法も最善を尽す事は勿論もちろんであるからどう考へても割り切れない話だ。そればかりではない、医師の家族が病気の場合、その父であり、夫である医師が、直接診療すべきが常識であるに拘かかはらず、友人とか又は他の医師に診せるのはどうした事か。之も不思議である。本当から言えば、自分の家族としたら心配で、他人に委(まか)せる事など出来ない訳である。それに就ついてよく斯こういふ事も聞く。自分の家族となると、どうも迷ひが出て診断がつけ難いといふのである。としたら全く診断に科学性がないからで、つまり推定臆測が多分に手伝ふからであらう。

私は以前、某博士の述懐談を聞いた事がある。それは仲々適確に病気は判るものではない。何よりも大病院で解剖の結果、診断と異ちがう数は、一寸(ちょっと)口へは出せない程多いといった事や、治ると思って施した治療が、予期通りにゆかない処か、反って悪化したり、果ては生命迄も危くなる事がよくあるので、斯(こ)ういふ場合どう説明したら、患者も其その家族も納得するかを考へ、夜も寝られない事さへ屡々(しばしば)あり、之が一番吾々の悩みであるといふので、私も成程と思った事がある。

此様に、医学が大いに進歩したと言ひ乍ながら診断と結果が、実際と余りに喰違くいちがふので、医師によっては、自分自身医療を余り信用せず精神的に治そうとする人もよくあり、老練の医師程そういう傾向がある。彼かの有名な故入沢達吉博士の辞世に『効かぬとは思へど之も義理なれば、人に服(の)ませし薬吾服(の)む』といふ歌は有名な話である。又私は時々昵懇(じっこん)の医博であるが、自身及び家族が罹病の場合、自分の手で治らないと私の処へよく来るが、直(じ)きに治してやるので喜んでゐる。以前有名な某大学教授の医博であったが、自身の痼疾(こしつ)である神経痛も令嬢の肺患も、私が短期間で治してやった処、其その夫人は大いに感激して、医師を廃(や)め、本療法に転向させるべく極力勧すすめたが地位や名誉、経済上などの関係から決心がつき兼ね、今以もって其その儘ままになってゐる人もある。今一つ斯こういう面白い事があった、十数年前或ある大実業家の夫人で、顔面神経麻痺まひの為ため、二目と見られない醜い顔となったのを頼まれて往いった事がある。其(そ)の時私は何にも手当をしてはいけないと注意した処、家族の者が余り五月蝿(うるさ)いので、某大病院へ診察だけに行ったが其(そ)の際懇意である其(そ)の病院の医長である有名な某博士に面会した処、その医博曰いわく“その病気は二年も放っておけば自然に治るよ。だから電気なんかかけてはいけないよ。此処(ここ)の病院でも奨めやしないか”と言はれたので『仰言る通り奨められましたが、私はお断りしました』と言うと、博士は『それはよかった』といふ話を聞いたので、私は世の中には偉い医師もあるものだと感心した事があった。その夫人は二ケ月程で全快したのである。

偖(さ)て、愈々(いよいよ)医学の誤謬(ごびゅう)に就ついて、解説に取りかからう。

 

医学を誹謗(ひぼう)する考へは毫末(ごうまつ)もない

楳木先生:

今日の御論文を拝読していただきました。それで最初の三行目の『と言っても別段医学を誹謗(ひぼう)する考へは毫末(ごうまつ)もない。』というところですね。メシヤ様の御心というのは医学を誹謗(ひぼう)するために、この御論文を書いているのではないのだ、ということがしっかりと腹に入っておかないと、いけないということですね。」

(後文割愛)

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様の「医学を誹謗(ひぼう)するために、この御論文を書いているのではないのだ」という御心をしっかりと肚に落としておかないといけないのだということ。

 

「メシヤ講座no.131三重(平成23年12月分)」より抜粋つづき:

メシヤ様を信仰する信者の方が今や時代遅れになっている

楳木先生:

そして、そういうどこまでも誹謗(ひぼう)することではないということを、まず腹に入れておいてそこから下の方へ拝読していきますと、医者の返事の仕方が『「入院すれば治りますか」と訊(き)くと、「それは請合へない」』とか『実に撞著的(どうちょてき)言葉である。』とありますね。

こういうふうに、昭和27年に医者の姿勢についてご指摘されておられます。

これが60年たって医者達がインフォームド・コンセントという概念にやっとたどりついたというわけです。

【Wikipedia最終更新 2011年11月29日 (火) 15:37より抜粋

インフォームド・コンセント:インフォームド・コンセント(英語:informed consent)は、「正しい情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念。以下、本項では「IC」と略称する。

特に、医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者(患者や被験者)が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解した上で(informed) 、対象者が自らの自由意思に基づいて医療従事者と方針において合意する (consent) ことである(単なる「同意」だけでなく、説明を受けた上で治療を拒否することもICに含まれる)。説明の内容としては、対象となる行為の名称・内容・期待されている結果のみではなく、代替治療、副作用や成功率、費用、予後までも含んだ正確な情報が与えられることが望まれている。また、患者・被験者側も納得するまで質問し、説明を求めなければならない。】

楳木先生:

ですから○○○○教ほど信者さん方にインフォームド・コンセントの概念を徹底的に教育しておかないといけないのです。

しかし、あまり布教所ではそんな話はでないでしょう。

まずは「医者にいって診てもらいなさい」というところまでは良いとして、「診てもらったらどうだったの」と聞いて「こういう薬を処方されたならばその薬はどのような効能とどのような問題点があるのかということは聞きましたか」と聞いて下さい。

そして今、浄霊という力を持っている人以外の常識としては、たとえば「癌になりましたと。あなた手術しましょう。」と言われたら必ず後二つの病院に診てもらう。これが社会の問題意識を持っている人達の常識なわけです。そして3つの病院に診てもらって3つとも「手術をしなさい」と言われた時には手術を受けるというのが今や常識になっているのです。

ですから1つの病院だけ聞いて手術するというのはあまりにも子供的な対応の仕方なのです。だから、社会の常識は3つの病院に診てもらう。それでもなおかつ「手術した方が良い」という時に手術を受けるというのが世間の常識になっています。

しかし、それでは○○○○教の信者さん方はどうかというと、すぐに手術する人が増えていっています。そうしますと世間の人達よりも○○○○教の人達の方がメシヤ様の御心から遠ざかっていっているのです。

『先(ま)づ何よりも医師が患者から、病気の説明を求められた場合、断定的な答へはしない。甚だ曖昧(あいまい)模糊(もこ)御座(おざ)なり的である。例えば、患者に対する言葉であるが、何の病気に就(つい)ても言ひ切る事が出来ない。貴方(あなた)の病気は治ると思ふ。治る訳である。医学上そういふ事になってゐる。此(この)療法が効果ありとされてゐる。此(この)療法以外方法はない。養生次第で治らない事はない。貴方(あなた)の病は万人に一人しかないなどといふかと思へば、貴方(あなた)は入院しなければいけない、と言はれるので患者は「入院すれば治りますか」と訊(き)くと、「それは請合へない」といふやうに、実に撞著的(どうちょてき)言葉である。』と曖昧な返事しかしないということを御指摘しておられるのですから。

その御指摘に対してやっと今世間の常識がインフォームド・コンセントとしてまとまってきたということです。

そこでメシヤ様を信仰する信者の方が今や時代遅れになっているということです。

メシヤ様がこのように御指摘されておられるに拘(かか)わらずその信者が一番時代遅れの対応の仕方をしているということです。

このことをぜひ気づいていただかないといけません。そのために『文明の創造』を世に出してしていこうとしている最大の理由があるのだというふうに受け止めておいていただきたいと思います。

○○さん今言ったことは納得していただけましたか。」

(中略)

楳木先生:

今の話は浄霊を抜きにしての話ですからね。

本当はそのような状態になった時には浄霊を中心にして、どこを浄霊すれば御守護いただけるかという話をしていかないといけないですね。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎昭和27年頃の医者の姿勢(医師が患者から、病気の説明を求められた場合の医者の返事の仕方)について『実に撞著的(矛盾している)言葉である。』と、メシヤ様はご指摘されておられたのだが、それから60年経ってやっと医者達はインフォームド・コンセントという(「正しい情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する)概念に辿り着いたのだということ。

○世間の(浄霊力を持っていない)人達が例えば癌になって手術が必要だと言われた場合、3つの病院に診てもらって3つとも「手術をしなさい」と言われた時には手術を受けるというのが常識になっているのだということ。

◎世間の人達よりも○○○○教の人達の方が(すぐに手術する人が増えているので)、メシヤ様の御心から遠ざかっていっているのだということ。

○メシヤ様の(上記の)ご指摘に対して、やっと今世間の常識がインフォームド・コンセントとして纏まってきたのだということ。

◎メシヤ様の信者は、メシヤ様が(上記のように)御指摘されておられるにも拘わらず、‶自分達が一番時代遅れの対応の仕方をしているのだ”ということに気づかなければならないのだということ。

◎手術をしなければはならないような状態になった時に、本当は浄霊を中心にして、どこを浄霊すれば御守護いただけるかという話をメシヤ様の信者はしていかなければならないのだということ。

 

「メシヤ講座no.131三重(平成23年12月分)」より抜粋つづき:

メシヤ様の御心に沿うには薬理学の研鑚が必要

楳木先生:

メシヤ様御降臨祭で紹介しようと思っているのですけども今わかりやすい本が出ていますのでね。

“薬が効く過程”ということを図解して解説しています。

例えば口から入った場合には小腸から吸収されて門脈に入って門脈から肝臓に入っていってそこから全身にわたるという薬のルートということをわかりやすく説明している書籍があります。12月23日には本の名前とか詳しくご紹介しようと思います。

信者さん方に読んでいただきたい薬理学の本とそれから皆さんをお世話する側の人に読んでいただきたい、たとえば看護師さんの試験とかに出てくるような内容の本とかね。皆に理解していただきたいと書かれた本が最近良くでているのでその中から皆に見ておいていただきたいという本がありますのでね。

そこまで世間の人達は薬なら薬の効き方と解毒していった時に解毒から排泄する過程まで薬理学では学ぶので、排泄する時にどのように排泄するかということを解説を加えています。ということはメシヤ様の御教えを読んで薬毒論を知っている人よりも、そのメカニズムをこのような本を読んだ人の方がよりわかりつつあるという時代を今迎えているのです。

そうすると、布教所の先生や責任者達がこのことを勉強していなければ略(ほぼ)信者さん方に曖昧(あいまい)な伝え方しかできない時代を迎えてしまっているということですね。

“メシヤ様の御心に基づいて日々研鑚を重ねている専従者でなければ、信仰していてもどうしてもメシヤ様の御心からずれていった方向へ行ってしまうのだ”ということがある、ということを知っておいていただきたいと思います。

(後略)

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

○‶メシヤ様の御心に基づいて日々研鑚を重ねている専従者(信者)でなければ、信仰していてもどうしてもメシヤ様の御心からずれた方向へ行ってしまうということがある”のだということ。

 

「メシヤ講座no.131三重(平成23年12月分)」より抜粋つづき:

浄霊に科学性を持って取り組む

楳木先生:

それで2ページ目の2行目に『余りにも科学性が乏しいと言へよう。』と御指摘になっておられます。

これはメシヤ様が“科学的にきちんと説明できないといけない”というお気持ちを持っておられるということです。それが浄霊と浄化論、薬毒論は『神科学だ』とおっしゃっておられる所以です。

『神様が示された科学である。それに基づいて病気を治していく。』というメシヤ様の御心を汲(く)んで、科学性ということを受けて、我々はいろんな情報を手にして進んでいかないといけないと思います。

さっきの本は癌のメカニズムまで図式で書いてくれていますから。癌のメカニズムというのは科学物質が加わった場合と、それからみなさん方に校正していただいた『文明の創造(三)』に真症癌の理由(御教え『癌病』へ)ということが書いてあったでしょう。」

受講者:

霊的な・・。

楳木先生:

そう。蛇が呑(の)み込んだり、殺されたその恨みが原因だと。

そうするといくら治療しても治らない痛みとか癌性のものとかあるでしょう。

それはもうそういうところまで診て、そして前々生のところまで解決する気持ちで取り組んでいかないと真症癌は治らないということです。

ですから二面性を持って“化学物質によって癌化した細胞を治す”場合とそれから“前々生から来ている病気を治す”という取組というのは基本的に浄霊というのは一緒なのですけども前生の認識、前々世の認識からきちんと人間のいわゆる霊性が高まっていく。本来の人間になっていくという取組をしていかないといけません。

そういう点でこの科学性というところは良くマークを入れておいていただきたいと思います。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は、病気についての診断は‶科学的にきちんと説明できないといけない”というお気持ちを持っておられるということ。

それが浄霊と浄化論、薬毒論は『神科学だ』とおっしゃっておられる所以であるということ。

◎私達は、メシヤ様の『神様が示された科学である。それに基づいて病気を治していく。』という御心を汲(く)み、科学性ということを受け、様々な情報を手にして進んでいかないといけないのだということ。

◎真症癌の場合は(基本的に)浄霊は同じだが、‶化学物質によって癌化した細胞を治す”場合と‶前々生から来ている病気を治す”という二面性のある取組みをしなければならないのだということ。

・真症癌は、前々生のところまで遡って(その時に起こした罪を)解決する気持ちで取り組んでいかなければ治らないのだということ。

 

「メシヤ講座no.131三重(平成23年12月分)」より抜粋つづき:

『捉われる』『他を顧みない』は自分に対する問いかけとして受け止める

楳木先生:

それから次の箇所ですが、『現代医学の何処(どこ)かに、一大欠陥がなくてはならない筈(はず)であるに拘(かか)はらず、それに気が付かないといふのは不思議である。といふのは全く唯物科学に捉はれ、他を顧みないからであらう。』と書かれていますね。この部分は医者に対する批判であるのですけども、同時に自分に対して問いかけてみるお言葉であるというふうに考えておいてください。要するに『捉われる』ということと『他を顧みない』、これは問題解決の上において問いかけるに不可欠な取組であるという事です。

要するに問題が起きるということは何かに捉(とら)われているから問題が起きるわけです。ですから常に捉(とら)われてはいないのかということを考えていかないといけません。

自分が小さいころから成長する過程において親から言われたこと。学校で言われたこと。それから友達から言われたこと。そういったことが自分の中に捉(とら)われとして残っている部分があります。この捉(とら)われとして残っている部分があると、一つの問題を形成していく可能性があるので“何とか問題を解決したいなあ”と思った時に“自分は捉(とら)われた考えを持っている部分はないだろうか”ということを自分に問いかけないといけない言葉であるということです。

これが一つとそれからもう一つの『他を顧みない』ということは、人から指摘や助言を受けた時に“素直に耳を貸す”という取組をしていかないと問題解決ができない部分があるので、この『捉われる』ということと『他を顧みない』ということは、ここではご批判に使っておられるのですけども、自分に対する問いかけとして受け止めておいていただきたいのです。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎私達は、「何とか(自分の)問題を解決したいなあ」と思った時に‶自分は何かに捉われた考えを持っていないだろうか”ということと‶他を顧みないところがあるのではないか”という問いかけの言葉を持っていなければならないのだということ。

 

「メシヤ講座no.131三重(平成23年12月分)」より抜粋つづき:

家族同士で浄霊できるというところを日々目指そう

楳木先生:

それから次ですね、3ページ目にいきますと 『医師の家族が病気の場合、その父であり、夫である医師が、直接診療すべきが常識であるに拘(かか)はらず、友人とか又は他の医師に診せるのはどうした事か。』とあります。

家族の事ですから、自分が一番心配だから自分が治してやらないといけないはずなのに、今は医者の世界としてはどうしても予断がはいるので他の医師に診てもらうという姿勢をとっています。

しかし、そこへいくと浄霊というのはね、家族で治していけるということがあります。一晩でも二晩でもズーッと浄霊してあげられる。この素晴らしさがあるということが一点と、もう一つは同時にですね、浄化をいただいた時にはやはり家族が浄霊をしてくれるというのが良いので、そういう点では家族同士で浄霊できるというところを日々目指していただきたいと思います。

それからその下の方に医者の悩みとかが出てきて、『医師によっては、自分自身医療を余り信用せず精神的に治そうとする人もよくあり』とあります。

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎私達は、家族同士で浄霊できるというところを日々目指すのだということ。

 

「メシヤ講座no.131三重(平成23年12月分)」より抜粋つづき:

メシヤ様は真理のわかった人は偉い人だと評価された

楳木先生:

それから最後にですね、『私は世の中には偉い医師もあるものだと感心した事があった。』と書かれています。ですからメシヤ様も医者であれ何であれ真理のわかった人は偉い人だと評価をされておられたということです。このことがわかっていませんとやはり医者の言うこととか薬理学をやっておられる方のお話から良いものを見つけ出すということが出来なくなってしまいます。

(後略)

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎私達は、‶真理のわかった人は偉い人だ(医者であれ何であれ)”とメシヤ様は、評価をされておられたのだということを分かっておかなければ、医者や薬理学をやっておられる方のお話から良いものを見つけ出すことができなくなってしまうのだということ。

 

編集後記

責任者:

今回の学びで私達は、‶メシヤ様の御心に基づいて日々研鑚を重ねていかなければ、信仰していてもどうしてもメシヤ様の御心からずれた方向へ行ってしまうということがある”のだということを御教示いただきました。そして又、私達は、問題を解決しょうと思った時に、‶自分は何かに捉われた考えを持っていないだろうか”ということと‶他を顧みないところがあるのではないか”という自分に対する問いかけの言葉を持っていなければならないのだということも御教示いただいております。

私達(メシヤ様の信仰者)は、メシヤ様の御心から外れないように日々コツコツと研鑽を積み重ね、伊都能売の姿勢で問題解決にあたらなければならないのだと、しっかりと思わせていただきました。

大型で強い台風11号(御教え『台風の霊的考察』へ)は、九州北部を暴風域に巻き込みながら対馬海峡を北上していました(6日午前7時頃)。台風はこの後、温帯低気圧に変わり、6日21時には日本海に達するだろうということです。影響が及ぶ地域にお住いの皆様には、十分気を付けてお過ごしください。有り難うございました。

 

追記:

天国の福音書(重要御論文の再録)」を少しずつアップさせていただいております。私達が必要とする重要な御教えばかりだと思いますので、拝読されて下さい。

 

※責任者より

 

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.131三重(平成23年12月分)

 

 

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