研鑽資料no.105(2023年2月)

2月の学び

はじめに

責任者:

先月末、10年に一度と言われる強烈な寒波が日本列島に南下してきました。その寒波により大雪の被害や、水道管の破裂、断水などが起こりました。本当に寒い日が続いておりますが、皆様におかれましては、何事もなく穏やかにお過ごしでしたでしょうか。

さて、結ノ和では先日の節分で、心を新たにして、三千年前に厳正なる神様、国常立尊様を押し込めた罪を、主神様、メシヤ様に心よりお詫び申し上げました。又、立春祭では、「世界中の人々がメシヤ様へ直に繋がり、その偉大で深淵なる御力を賜ることが出来るように」念じ奉らせていただきました。

立春祭を期して神威弥増すと御教えいただいております。私達と共に学んでおられる皆様がその御力をいただかれますようお祈りいたしております。

それでは、「文明の創造」より学びを始めたいと思います。よろしくお願い致します。

 

「メシヤ講座no.141浜松(平成24年10月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『霊主体従』

「文明の創造、科学篇」 昭和27(1952)年

前項に説いたごとき、無機質界と人間の病気との関係であるが、無機質界とは吾々の唱へる霊界であって、此(この)霊界と人間との関係はどういう事になってゐるかといふと、抑々(そもそも)人間とは体と霊との二原素の密接合致によって成立ってゐるものであって、もちろん体とは眼に見ゆる物質で誰にも判るが、霊とは眼に映らないものである以上、長い間分らなかったのである。

処(ところ)が確実に存在している一種のエーテルの如(ごと)きものである。としたら方法によっては、把握出来ない筈(はず)はないのである。といふのは人間の肉体が空気中にあると同様の意味で、人間の霊と謂(いえど)も霊界にあるからである。霊界とは曩(さき)にも書いた如く、空気とは比較にならない程の稀薄な透明体であって、今日迄無とされてゐたのも無理はなかったのである。然(しか)し此世界こそ無処(どころ)ではなく、寧(むし)ろ万有の本源であって、絶対無限の力を蔵(かく)してをるもので、一切は此力によって生成し化育されてゐるのである。そうして霊界の本質は太陽の精と月の精と土の精との融合一致、想像を絶する程の、霊妙不可思議な世界である。処が茲(ここ)で問題であるのは、人間が各々其(その)役目を果たす上には肉体に垢が溜る如く、霊には曇りが溜積するのである。従って之(これ)に対し自然浄化作用なるものが発生し浄められる。之も恰度(ちょうど)人体に溜った垢が、入浴によって清められるやうなものである。処が右は独り人間ばかりではなく、天地間一切の物がそうである。例えば此地上霊界に汚穢が溜るや、自然作用によって一定の個所に集中され、低気圧といふ浄化活動が発って清掃される。暴風も出水も洪水も又雷火も人的火災もそれである。と同様人間にも浄化作用が発生する。今其(その)理由を詳しく書いてみよう。

右の如く、人霊に溜った汚穢は一種の曇りであって、この曇りとは本来透明体であるべき人霊に、不透明体の部分が出来るそれである。然し乍(なが)ら此曇りの原因には二種類ある。一は霊自体に発生するものと、二は逆に体から霊に移写されるものとである。先づ前者から説いてみるが、元来人霊の内容は経(たて)に言えば求心的三段階に、緯(よこ)に言えば求心的三重層になってゐる。つまり【三重丸】の形と思えばいい。もちろん丸の中心が魂であって、魂とは人間が此世に生まれる場合、自然法則によって、男性から女性の腹へ宿らせる。本来魂なるものは極微のポチであって、勿論(もちろん)各々の個性を有(も)っており生命のある限り人間に対して絶対支配権を有ってゐる事は、誰でも知ってゐる通りであるが、其魂を擁護的に包んでゐるものが心であり、心を包んでゐるものが霊であって、霊は全身的に充実してゐるから、人体と同様の形である。此様に霊体は一致している以上、魂の如何(いかん)は其侭(そのまま)心を通じて霊へ反映すると共に、霊のそれも心を通じて魂に反映するのである。斯くの如く魂と心と霊とは大中小、小中大の相互関係で、言はば三位一体である。ところが如何(いか)なる人間と雖(いえど)も、生きてゐる間善も行へば悪も行ふので、その際善よりも悪が多ければ多いだけが罪穢となって魂を曇らすので、その曇りが心を曇らせ、次で霊を曇らすのである。そうして、其曇りが溜って一定量を越ゆるや自然に浄化作用が発生し、曇りの溶解排除が行われる。然しそうなる迄の過程として曇りは漸次一個所又は数個所に分散し、濃度化すと共に容積も縮小され固結される。面白い事には其罪によって固結場所が異ふ。例へば目の罪は目に、頭の罪は頭に、胸の罪は胸にといふやうに相応するものである。

次に後者を解いてみるが、之は前者と反対で、体から霊に映るのであるが、其場合最初血液の方に濁りが生ずる。即ち濁血である。すると霊にも其通りに映って曇りとなるが、之も前者と同様局所的に分散濃度化するのである。元来人体なるものは霊の物質化したものが血液であり反対に血液の霊化が霊であるから、つまり霊と体は同様といってもよいが、只(ただ)霊体の法則上霊の方が主になってをり、体の方が従となってゐるのである。処が何(いず)れにせよ右の原因によって、毒素は絶えず人体に溜り固結となるので、其固結が浄化作用によって溶解され、液体となって身体各所から排除されやうとする。其為の苦痛が病気なのである。

右に述べた如く、体に発生する濁血とは何であるかといふに、之こそ実に意外千万にも医療の王座を占めてゐるところの彼の薬剤であるのである。といふのは本来薬といふものはこの世の中には一つもない。現在薬とされてゐるものは悉(ことごと)く毒であって、其毒を体内に入れるとしたら、それによって濁血が作られるのは当然である。何よりも事実がよく証明してゐる。それは病気が医療を受け乍ら長引いたり悪化したり、余病が発るという事は、薬毒によって病気が作られるからである。

従って薬毒で出来た濁血が、霊へ映って曇りとなり、之が病原となるとしたら、現代医学の治病方法自体が病気を作る意味でしかない事になろう、右の如く万有の法則は霊が主で体が従である。としたら病気は霊の曇りさへ解消すれば濁血は浄血と化し、全治するのは言うまでもない。それで我治病法はこの原理の応用であるから、浄霊と曰(い)って霊を浄める事を目的とするものである以上、病気は根本的に治る訳である。処が医学に於ては霊を無視し体のみを対象として進歩して来たのであるから、結局一時的治病法でしかない訳である。事実医療が根治的でない事は、偶々(たまたま)手術等によって全治したやうにみへるが、成程元の病気は発らないとしても、他の病気が起るか又は再発するのは必ずと言いたい程である。例えば盲腸炎の如きも患部を剔出(てきしゅつ)するので、盲腸炎は起り得ないが、盲腸に近接してゐる腹膜炎や腎臓病が起り易くなる。之は全く霊の方の曇りは依然として残ってゐるからで、而(しか)も薬毒も加はる為濁血は増へて、新たな曇りと合併し位置を変へて病原となるのである。

そうして濁血の変化であるが、濁血が不断の浄化によって一層濃度化するや、血粒に変化が起り、漸次白色化する。これが膿である。よく血膿と言って膿と血液が混合してゐるのは、之は変化の中途であって、尚(なお)進むと全部膿化する。よく結核患者の喀痰が血液の混じってゐるものと、そうでないものとがあるのは右によるのである。又医学に於ける赤血球に対する白血球の食菌作用といふのもそれである。

 

『文明の創造』と世の中の動き

楳木先生:

今月、拝読した『霊主体従』という御論文を読ませていただきますと、『文明の創造』の本が出てこの本を直に手に携えて拝読するようになってから、世の中の動きというのは、私たちの学びを、より理解度を深まらせるようなことがその時節に応じて起きてきているようにつくづくと考えさせられます。

例えば先月の『無機質界』の中では、素粒子というのが出てきて、世の中ではヒッグス粒子が確認できたという報道がなされました。今月は『霊主体従』を学び始める前日に、京都大学の山中教授がiPS細胞を作りだすことに成功して、将来の医療界に大きな光明を与えたということで、ノーベル賞を受賞するという報道がされました。」

ノーベル賞受賞した山中教授から学ぶこと

楳木先生:

このことを通して、私たちが『文明の創造』を学びつつ、世の中で起きていることを見つめてみると、今日はiPS細胞について考えたときに、ひとつこういう若い人、中学生や小学生の人たちにわかってもらいたいことがあるのですが・・・。

山中教授という人は、スポーツの整形外科医になろうとして、大学を出て、そういう方向に進もうと思ったのですが、研修期間中になんて呼ばれていたか、みなさんご存知でしょう。手先が不器用なので、なかなか手術が進まないので、「じゃまなか」と呼ばれて、本当に挫折感を味わって、臨床医を諦めてしまって、それから研究の道に入ったということですね。

ですから、人生には挫折することが必ずいくつかあるのですが、そこを乗り越えて自分の居場所を見つけて一生懸命にやることによって道が開ける、ということ・・・人生論を見たときには一つはそういう世界が広がるんだということを、若い人たちには人生観としては、一つはみておかないといけないと思います。

それから次に山中教授がノーベル賞を受賞したときに、開口一番何と言ったか覚えていますか?記者会見で。

開口一番「もう感謝しかない」と。それはなぜかというと、あの研究は二百数十名の方が研究に没頭してくれているのだけれども、いわゆる正社員というか正式採用の人は一割しかいず、あとはみなパートの人たちで、明日どうなるかわからないという、予算がなくなると、その人たちの仕事はなくなってしまうので、そういった中でも二百数十名の者たちが一生懸命研究をしてくれる。しかも、その研究内容というものは真っ暗闇で素振りをするようなものだと。ボールが飛んでくるけれど、真っ暗闇でバットを振るので当然当たらないですよね。そういう研究を彼らがやってくれたので、こういうノーベル賞というところまで来られたのだという、もうそのことを考えただけでも感謝しかないと彼は述べていて、人間としては非常に立派な人だなと感じました。

それから資金集めのために京都マラソンに参加し、完走し、1000万の寄付を集めています。そして、今回ノーベル賞を受賞して、9千何百万かの半分をもらって、それをすべて人件費に当てると。それから寄付がいくらか集りつつあるので、それを全部人件費にあてていくということで、研究に没頭できる体制を作りたいということでやっているので、おおよそ私欲よりも、あの人の立場として、医療の世界に貢献したいということで、一生懸命動いているという、その人間の生き方としては大いに評価するところがあるということが言えます。

それで、医学界にとっては、今まであの人がヒントを得た人は過去クローンを作った人の研究をさらに進化させた研究ですよね。そうすると万能細胞というのは今まで受精卵を使ってやるということで、非常にキリスト教世界をはじめとして、倫理上非常に問題があることから研究が滞っていた面があっったのですが、今度は皮膚の細胞とか、そういう細胞から万能細胞を作ることができるようになったので、医療界としては非常に将来性があるというように見ております。ここまでは一般的な見方です。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎iPS細胞の研究でノーベル賞を受賞した山中教授の人生を見た時に、

>人生には必ず(山中教授が経験されたような)挫折をすることがいくつかあるのだということ。

>そういう挫折を乗り越えて自分の居場所を見つけ、一生懸命にやることによって道が開けるのだということ。

>人生観として、例え挫折したとしても山中教授が経験されたように(その挫折によって)世界が広がることもあるのだということを、若い人達には知っていて貰いたいのだということ。

○iPS細胞の研究に対する、医療界での一般的な見方は、

>それ迄の万能細胞の研究は、受精卵を使って研究するということで、キリスト教世界をはじめとして、倫理上非常に問題があることから研究が滞っていた面があったのだということ。

>しかし、今度のiPS細胞の研究は、皮膚の細胞等から万能細胞を作ることができるようになったので、非常に将来性があるというように見ているのだということ。

 

「メシヤ講座no.141浜松(平成24年10月分)」より抜粋:

子宮筋腫ができる過程

楳木先生:

で、我々からみると、山中教授が最終的に到達したところは何かというと、細胞の中の4つ遺伝子を入れ換えることによって万能細胞ができたということですね。

この遺伝子を4つ入れ換えるというのはどういうことかというと、先月のこのメシヤ講座を何回か読んでくれたでしょう。その中に、岡山支部の報告の中に妊娠して子宮筋腫が見つかり、医者から帝王切開でしか出産はできないと言われていたけれど、その妊娠した人のお母さんが浄霊をすることによって、どんどん小さくなったので、御守護をいただいて、普通分娩で、安産で出産することができたと書かれていました。

そしたら、それは、子宮筋腫は、どうして御守護をいただいたのでしょうか?それも、こういう質問をすると、もちろん浄霊をいただいたからなのですが、浄霊をいただくと、子宮筋腫に何が起きたかということですね。

ここには女性の人が8割がた女性なので、皆さん方、生理がありますね。これ、生理という出血は何ですか?なんで出血しているの?」

参加者:

子宮の壁がはがれるから。

楳木先生:

壁ね、内膜と呼ばれる膜がはがれるから、出血を伴って、外へ排泄されます。そして膜がはがれたらどうなるの?」

参加者:

きれいになる。

楳木先生:

きれいになってそのあとまた・・・。」

参加者:

また、膜ができる。

楳木先生:

膜ができないといけないね。では子宮筋腫は何故できる?

はがれ落ちたあと、子宮内膜になる細胞が突然変異を起こして、肉腫に変わって、子宮筋腫になるのです。ということは、これは内膜になる細胞が、薬を中心に、化学物質も加えてそれが細胞の分裂を異常な状態にするために肉腫になると。で、今度肉腫になってしまうと、月に1回はがれなくなる。そのために太っていくのです。太っていくと女性に対してどういう障害があるのかというと、太るということは栄養がないといけないので、そこが栄養を摂ってしまう。そのために貧血とかが起きてくると。それともう一つは、それがたまごの大きさを超えていくと、他の臓器を圧迫していくので、非常に体調に不良を起こしていく。

この作用によって、子宮筋腫というのは危険なものだというふうに認識しますね。それがさらに進んでいくと、ガン化する可能性があるので、「もっと恐くなりますよ」、ということで「早くきりましょう」というのが、医者がすることです。」

浄霊によって子宮筋腫が縮んでいくしくみ

楳木先生:

さて、その子宮筋腫に浄霊をすると何故縮むか?もうこれ、答えが出ているでしょう。何故縮むか?

だから今の逆が起きてくるのです。

細胞分裂のときに異常な細胞ができずに、もとの細胞に戻っていくので取れていってしまうということです。だからそれを浄霊の光を当てたときに、細胞分裂するときに、薬剤がかかって、遺伝子が変異して、肉腫になった細胞が、浄霊をすることによって、元の内膜の細胞に戻るので、外へ出ていくということになるのです。

これをiPS細胞の研究があったために、浄霊をすればどうして筋腫が小さくなるのかという意味が理解できるということです。遺伝子が元へ戻っていくというね、これが浄霊をすることの有難さ、元のバランスがとれてくるということ。

(代表註・現代医療では、大半が子宮筋腫は筋肉が肉腫になるとされていますが、産婦人科医師の中では内膜の突然変異を指摘する医師もいます。また、筋肉は妊娠しなければ成長しないところがあるために、ホルモンのバランスの異変などで肉腫の芽が膨らんでいくように捉えられているようです。しかし、肉腫の芽がなぜ出来るのかは判明されていません。肉腫の芽が膨らんでいたとするならば、芽は突然変異で出来るのでしょうし、バランスが異変を起こしたのであれば、浄霊によりバランスが整えられ、芽は元の筋肉に戻るので、改善されることが考えられます。)

だから先月の御守護報告を基に、今月は『霊主体従』の御教えを拝読することによって・・・、そういう意味では、iPS細胞の万能細胞を・・・そういうことが、理解できるように、あの研究によって、理解できるようになったという点があります。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎山中教授は最終的な研究で、細胞の中の4つ遺伝子を入れ換えることによって万能細胞ができるということに到達したのだということ。その研究結果を私達から見た時に、

>私達(メシヤ様の信徒は)その研究の御蔭で、(例えば子宮筋腫の場合)浄霊をすること(光をあてること)によって、細胞分裂のときに異常な細胞ができず、元の(以前の)内膜の細胞に戻るので筋腫が小さくなっていくのだということを理解することができるようになったのだということ。

◎iPS細胞の研究があったために、浄霊をすればどうして筋腫が小さくなるのかという意味が理解できるようになったのだということ。

>浄霊をすることによって、遺伝子が元へ戻っていきホルモンのバランスが整えられるのだということ。

 

「メシヤ講座no.141浜松(平成24年10月分)」より抜粋:

iPS細胞の問題点

楳木先生:

それから次には、このiPS細胞ができたことによって、一つは心配なことがあります。例えばアメリカのカリフォルニアに行くとどういう異常現象があるか、聞いたことがありますか?カリフォルニアの街を歩いたときに・・・。聞いたことありませんか?

いい大人の男同士が手を繋いで・・・。カップルの1割以上が同性愛者。

普通の男女のカップルが9割で、女性同士、まあ男性同士が多いのですが、女性同士、男性同士が手をつないで、仲良く歩いているというのが、カリフォルニアのちょっとした話題性です。

そうすると、実は、この細胞がさらに研究されていくと、男同士でも子供が生まれるということになっていきます。女性同士でも子供が生まれる、作れるということになってしまうわけです。それは何故かというと、一つの細胞からとった万能細胞から卵子ができる、精子ができる、それを受精させると子供ができるというところまで行ってしまうということです。

ね、それが非常に実は恐ろしいということで、それをメシヤ様が60年前に、『文明の創造』 の366ページの次のところに、人工授精で生まれれば、魂のない、魂の宿ってない人類を製造することになる、ということをメシヤ様が御指摘しているのは、実はこのことの延長線上にあることなのだということです。そうすると、人工的に作っていく細胞同士で肉体ができた場合、そこには自然の摂理ではないことで子供が生まれてくるので、実は魂が宿らないということが起きてくるのです。

これが、実はメシヤ様の御指摘していることの研究のひとつがこういうことなのだということです。

だから難病の方々にとっては、光明な部分があるけれども、実はそれを悪用した場合には大変なことが起きてしまうのです。研究者の人格が問われるのもそこに理由があります。

難病の方々の事例として挙げていたのは、例えば首の皮が骨になる人たちが200万人に1人いらっしゃるという報道がありましたね。この骨になるところ、骨になってしまうので首が回らなくなって、そして運動機能が落ちてしまう方々がやはりいらっしゃるので、その人たちに万能細胞を移植して、元通りにしようという試みもできるという可能性が出てくるので大変有難いという話がでたり、それから自分の細胞から作った臓器を自分に移植するために免疫抑制剤を使わなくてすむので、非常に術後が楽になったり、医療界では非常に素晴らしいものだというふうにいわれているんだけれども、実はそういう危険性もある、そういうことをこの一つの報道から大きく見る目で見ながら、もう一度『文明の創造』の中の御論文、一つ一つを拝読しなおしながら、進んでいっていただけると大変有難いと思います。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様が、60年前に「文明の創造」本文の中で『人工授精で生まれれば、魂のない、魂の宿ってない人類を製造することになる』ということを御指摘なさっているのは、実はiPS細胞研究の延長線上にあるのだということ。

>人工的に作っていく細胞同士で肉体ができた場合、そこには自然の摂理ではないことで子供が生まれてくるので、実は魂が宿らないということが起きてくるのだということ。

>この研究は、難病の方々には光明をもたらすが、この研究を悪用した場合には大変なことが起きて来るので、この研究に携わる人は、人格が問われるのだということ。

◎医療界ではiPS細胞の研究は非常に素晴らしいものだというふうにいわれているが、私達(メシヤ様信徒)は、上記のような危険性があるのだということを捉えながら、再度「文明の創造」の中の一つ一つの御論文を拝読し直しながら、進んでいくのだということ。

 

「メシヤ講座no.141浜松(平成24年10月分)」より抜粋:

魂の大きさ

楳木先生:

そういう考え方にのっとって、さらに今日の『霊主体従』というところを見つめていきますと、この『霊主体従』のところで私たちが今日、拝読する中で教えられることは、まず魂の大きさということが具体的にわかりますね。『極微のポチ』だと。極微のポチが魂と言われても、そんな小さな存在が魂と言われても意味がわからないというときに、先ほどのiPS細胞を作りだすときの遺伝子の4つを入れ換えることによって万能細胞ができるということと、比較してみると、遺伝子の一つ一つの役割で我々の体全体ができあがっているということがわかっているし、顔かたちもみんな十人十色ということは遺伝子がその形を形成していくということでそうなってくるわけなので、いくら小さい存在だからといって影響がないということでは全くないのだということが、現代人にとって初めてわかり始めたということです。だから『極微のポチ』であろうとも、絶対的な存在であるのだと、我々の魂は。他の御論文の中には『霊の100分の1が心で、心の100分の1が魂だ』というふうにおっしゃって、『全体からすれば1千分の1だ』と、これは数学上おかしいので本当は1万分の1でないとおかしいのですが、これは筆記者が多分書き取りを間違って、それがそのまま文章になっているので100分の1の100分の1は1千分の1というのは、1万分の1でないとおかしいので、私と○○さんでは体自体がずいぶん違うので、1万分の1といっても魂の大きさが多少違うかもしれないということなので(笑い)。まあ平均的にそれくらいの割合で魂というのは小さいのだということがいわれています。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は、私達人間の魂の大きさは、『極微のポチ』であり『霊の100分の1が心で、心の100分の1が魂だ』(「全体からすれば1万分の1だ」)と仰られているのだということ。

>『極微のポチ』であろうとも絶対的な存在なのだということ。

 

「メシヤ講座no.141浜松(平成24年10月分)」より抜粋:

魂の曇り

楳木先生:

この魂は本来透明体だけれども、曇りが発生するということは、これは不透明体になっていくのだというふうに教えていただいております。この不透明体になる原因が一つは体のほうからくることと、霊そのものからくることとの2種類があると。そうすると、薬が入ってくると、その薬毒によって数ヶ所に固結して曇りとなってくるということと、もう一つは罪によってそれが曇りを発生してきて、この両側の出方によって、霊の曇りが発生してきて、これが外に出る、綺麗にするときに浄化作用として起きてくるのだということです。ですからこの浄化作用を早く御守護いただくというときには、この両面を考えないといけないということですね。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎魂は本来透明体だけれども、曇りが発生することによって、不透明体になっていくのだということ。>この不透明体になる原因は、一つは体のほうからくることと、もう一つは霊そのものからくることの2種類があるのだということ。

>(体のほうから発生してくる曇りとしては)身体に薬が入ってくると、その薬毒によって数ヶ所に固結して曇りとなっていくのだということ。

>(霊そのものからくることの曇りとしては)罪によって曇りを発生してくるのだということ。

>この(上記の)両方の出方によって、霊の曇りが発生し、これが外に出る(綺麗にする)ときに浄化作用として起きてくるのだということ。

◎早く浄化作用(御守護)をいただく(いただきたい)というときには、体からくる曇りと霊からくる曇りの両面を考えないといけないのだということ。

 

「メシヤ講座no.141浜松(平成24年10月分)」より抜粋:

霊的な曇りについて

楳木先生:

で、この両面を考えていくときに、よく霊的といった場合には、どうしても先祖からくるとか何か恨まれたりするとかいうことを我々はすぐに考えがちだけども、それは霊の自分自身の罪によって曇りが発生するということですね。

これを〇〇教団ではわかりやすく、天気の悪口、空の悪口、天気の悪い日が続いたり、晴れの日が続いたりしたときに悪口を言うと頭が悪くなると、それから夫婦で言うと夫の悪口を言ったり妻の悪口ばかり言っていると肩が痛くなると、子供の悪口を言うと足が痛くなるというふうに、〇〇教団では教えるのです。だから〇〇の信者さん方は自分を見つめるという習慣をつけていけるわけですね。

ただ〇〇教の場合は、メシヤ様はそういう心のことをずいぶん御説きになっているのですけれども、〇〇教はずっと浄霊をすればいいということだけできたので、内面を見つめさせるということをしていないために、霊的と言った場合には、おおよそ霊がかかっているとか、何々の霊が悪さをしているという方向に、いわゆる唯物主観で霊的を見てしまうということです。

それが、メシヤ様が今回御指摘になっている、どこの罪がどこの罪にという具合に曇りがどこそこに集中してくるということだから、その内面を見つめていかなければいけないということがあるわけなので、その霊的と言った場合には、自分の今までの過去何年か生きてきた、それを振り返ってみないといけないというところが、これが真の霊的ということです。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎霊と体の曇りの両面を考えていくときに、霊的(霊からくる曇り)といった場合には、どうしても先祖からくるとか何かに恨まれたりしたとかいうことを私達は考えがちだけども(そうではなくて)、それは霊の自分自身の罪によって曇りが発生するということなのだということ。

◎メシヤ様が今回の御論文で御指摘になさっているように、どこの罪がどこの罪にという具合に曇りがどこそこに集中してくるということだから、その(曇りの)内面を見つめていかなければいけないのだということ。

>霊的(曇り)と言った場合には、今までの過去何年か生きてきた、自分自身の生き様を振り返ってみないといけないのだということ。そして、そういうことが「真の霊的」ということなのだということ。

 

「メシヤ講座no.141浜松(平成24年10月分)」より抜粋:

薬剤による曇り

楳木先生:

それからもう一つは自分の中に薬剤とかが知らない時期に入ってきたことがあります。それから生活環境の中で化学物質がずいぶん入ってきたところがあります。車とか、やはり新車が一番いいということで、「新車の香りね」と言いながら喜んで乗っていた分、化学物質を吸い込んでいるわけなので、ずいぶんと自分の中に化学物質が入ってきているのです。それから昔ながらの建て方の家に住んでいれば心配ないのですが、化学物質を使ったクロスを貼ったり、木材も本木なくて合成のいわゆる建材を使ってみたりすると、化学物質がずっと出ているので、それを吸い込んでしまっている。

その両面が、どの場合がどのようにして自分の中に罪がずっと堆積されてきたのか、あるいは薬毒や化学物質がどのように堆積してきたかということを振り返りながら、浄霊をいただいていかないといかないことには御守護に繋がっていかない場合があるのだということを今回の『霊主体従』の御論文の中で具体的に細かく書いてくださっているので、ここのところは人をお世話したり、あるいは自分が何かにぶつかったりしたときには、充分吟味させていただける例題が載っているところだというふうに考えていただいて、そして繰り返し繰り返し拝読しながら、自分の中に定着するように日を送っていただければ大変有難いと思います。

最初にそういうことをお願いさせていただいて、いつものように質疑応答に入りたいと思います。今月載せたメシヤ講座の中からでも結構ですので、ちょっとわかりづらいところがあれば聞いていただきたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎罪((霊そのものからくることの曇り)や薬毒や化学物質が、どのようにして自分の中に堆積してきたかということを振り返りながら、浄霊をいただいていかないといかないことには、御守護に繋がっていかない場合があるのだということ。

◎メシヤ様は今回の『霊主体従』の御論文の中で、罪の種類(どのように霊に曇りが堆積するのか

)を具体的に細かく書いてくださっているのだということ。

>この御論文は、人をお世話したり、自分に問題が生じたりした時に、充分吟味させていただける例題が載っている御論文なのだということ。

>私達は、この御論文の内容を自分の中に定着させることが出来るように、繰り返し拝読しながら日を送るように努めるのだということ。

 

「メシヤ講座no.141浜松(平成24年10月分)」より抜粋:

自分の曇りを考えるときには

参加者:

今、おっしゃっていた中で、頭の罪は頭に、目の罪は目に、胸の罪は胸にとあったのですが、自分で考えるときにはどういうことを参考にして浄化をいただいているのかを考えれば良いですか?

例えば私はよく頭痛が起きるのですが、肩が凝っているのもそうですが、自分の生活を振り返るとき、どのようにしていけば良いですか?

楳木先生:

例えば自分が成長する過程において、親の頭を痛めたと。悩ませたり、痛ませたり。そういうところからスタートする。若いときから。」

参加者:

自分の記憶がある頃からですか?

楳木先生:

そうそう。それを振り返ってみないことには、そのくせが出てくる。それを直していかないといけないなと思わないと、いつもそういう曇りを発生させている。

参加者:

反省していないからですか?

楳木先生:

そうそう。反省していないからくせが残っているわけだね。だからそういうことを自分の一生をずーっと見つめてみると良いと思うね。で、今、肩が凝るというのは、自分の旦那に対する不満とか悪口とかがついつい口をついて出たりするというのは、そういうこともあるわけです。」

参加者:

そこで罪を作って曇りを作ってしまうから、肩が凝ってしまうのですね。

楳木先生:

で、その場合旦那が明らかに悪い場合もあるね。明らかに悪い場合については、それを批判しない。批判すると悪口になるから。だから悪いことがあるので、それが改善するように、御神前でお祈りするということです。そうすると、罪が発生しない。しかし、「うちの旦那はこうなのよ」とどっかで言った場合には、曇りが発生しているということです。

ただ、それくらいの罪は朝晩の天津祝詞と善言讃詞でだいたい消えるとおっしゃってくださっているので、そういう些細な曇りはだいたい朝晩のお祈りで消えていくのだと。

だけど、それがしつこくなる場合、しつこく言う場合、「それでも結婚したんだから仕方がないじゃない」と言っても、「それでも私は・・・」とか言う場合があるでしょう。「それでも!」とか、それから口癖で「だって!」と言う人がいます。「そんなこと言ったって」と言うと、こちらがいくら説明しても、相談しているから答えてあげるけれども、「それでも」とか「だって」とか言うような人がいます。そういうしつこいのは罪を形成していきます。

人に相談しておいて、その答えを打ち消して、なおかつ自分のことを主張するというのは、もう罪をものすごく発生していくのです。直す気はないし、人に聞いておいて、相談しておいて、人の話を聞く気がないから、そこで聞く気がないので、耳の浄化になってくるわけですね。聞いておいて聞かないのだから、耳を無視するということになるから、耳の罪になるのです。

今、日本人の一番悪いのは、例えば高校生が悪さをしているときに、全然文句言わないでしょ。見て見ぬ振りをする。見ないという曇りが発生してくるのです。そして言うべきことを言わないから、口の曇りが発生してくる。

細かく分析してくると、本来の役目を果さないということは、人間として曇りを発生していく。だから曇りを発生させない生活をしていくというのは、なかなか難しいのです。こういう御教えがわかればわかるほど。知らなければ罪は小さいのです。知っているが故に、罪が大きくなっていく。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎自分の曇りを考えるときには、自分が成長する過程に於いて(例えばよく頭痛が起きる場合)親の頭を痛めさせたり、悩ませたりした時点からスタートし振り返ってみるのだということ。

>自分の過去を振り返ってみて、‶親を悩ませたりしたその言動を直さないといけないのだ”と心の底から思わないことには、その(親を悩ませるような)癖が繰り返し出てくるのだということ。

>‶親を悩ませたりした言動を直していかないといけない”のだと思わないと(気が付き反省しないので)、常に(同じような)曇りを発生させているのだということ。

>‶親を悩ませたりした言動”を反省していないので、その言動が癖として残っているのだということ。

◎明らかに相手が悪い(間違っている)場合については、そのことを(批判すると悪口になるから)批判しないのだということ。

>相手に悪い(間違っている)ところがある場合は、それが改善するように、御神前で相手のことをお祈りするのだということ。

>そうすると(御神前でお祈りすると)罪は発生しないのだということ。

◎メシヤ様は、朝晩の天津祝詞と善言讃詞をお唱えすることによって一寸した愚痴のような些細な曇りは消えていくのだと御教え下さっているのだということ。

>一寸した愚痴がしつこくなった場合は、罪(曇り)を発生させるのだということ。

◎人に相談しておいて、その人の話を聞く気がないので、耳の浄化になってくるのだということ。

>人に聞いておいて人の話を聞かないのだから、(耳を無視するということになるので)耳の罪になるのだということ。

◎今の日本人の一番悪いところは、例えば高校生が悪さをしているときに全く文句を言わない(注意しない)で、見て見ぬ振りをするところなのだということ。

>これは、見ないという曇りが発生してくるし、言うべきことを言わないから、口の曇りが発生してくるのだということ。

◎上記のように(曇の原因を)細かく分析すると、人間が本来の役目を果さないということによって曇りを発生していくのだということ。

>だから曇りを発生させない生活をしていくというのは、なかなか難しいのだということ。

>私達は、この(『霊主体従』)のような御教えを(知らなければ罪は小さいが)知っているが故に、罪は大きくなっていくのだということ。

 

「メシヤ講座no.141浜松(平成24年10月分)」より抜粋:

子供には誠のある言葉を

参加者:

子供に対しても言わなくてはいけないことも、子供が怒るという理由で言わないのは罪を作るということですか?

楳木先生:

蓄積していくと曇りが発生していきます。子供にとっては、いやな人生になっていくでしょう、将来。今は嫌だなと思っても、将来には立派な大人になっていくために必要なことなのでね。親子はそれくらいの気力で子供を育てていかないと。少々腕力が強くなっても、やはり引っ叩いたり、どうしてもダメな場合には首根っこ捕まえて押さえつけて「絶対ダメだ」と、親として。

しかし、その言ったときにしつこく言ってはいけない。一回言っておけばいいわけで、それはまた何かの時に「あんたはこうだからね」とか言うと・・・。」

参加者:

そのときに返事をしなくて、わかっているのかわかっていないのかわからなくて、何度も言ってしまうのですが、そのときにも1回言えばいいのですか?

楳木先生:

そうそう。聞いていないことはないでしょう。聞こえるから。」

参加者:

聞いてないように見えるので、「聞いている?」と言って何度も言ってしまうのですが・・・。

楳木先生:

「聞いている?」って言うほうがおかしいので。だから自分が伝える気持ちで伝えれば良いのです。それが今日の『誠(御教えへ)』という御教えです。『誠』がないと聞こえないのです。」

参加者:

誠があれば伝わるのですね。

楳木先生:

そう。誠があれば聞こえるのです。だから御歌にも、昔御讃歌をあげていたときに『拙(つた)なくも誠に出づる言の葉は人を動かすちからありけり』という御歌があったでしょう。

つたない言葉であっても誠があれば人を動かしていくのだということだから、まあそういう意味では『誠』ということを思い出しながらね。」

参加者:

自分が気持ちを込めて言っていれば伝わるのでしたら・・・。

楳木先生:

もうしつこく言わない。しつこく言うのが一番嫌なのです。子供にとっては。一回言ったらもう良いのです。」

参加者:

毎日言うのはどうですか?毎日言っても直さないようなときには…。

楳木先生:

繰り返したら言わないといけないけれど、しつこく言わない。」

(後略)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎子供に対して言わなくてはならないことを、(子供が怒るという理由で)言わないでおくことを繰り返すと、曇りが発生してくるのだということ。

>親が子供に「ダメな事は、絶対ダメ」なのだと教えることは、子供が立派な大人になっていくために必要なことなのだということ。

>子供が聞えないふりをしていても、親に「誠」を持って伝える気持ちがあれば子供には伝わるものなのだということ。

>子供は親にしつこく言われることが、嫌いなのだということ。

 

「メシヤ講座no.141浜松(平成24年10月分)」より抜粋:

時期を考える

楳木先生:

まあ、それとあと、さっき○○さんと話していたんだけど、例えば「家の塀を耐震構造が心配なのでやりかえた方がいいですよ」という指摘を受け、いま役場の方から補助金制度もあるということがあって、それを「じゃあやろうか」と言った時に、「今は家のことを触らない方がいい」とかいう例えば見る人がいたりしたら、それはあんまり当たってないということをお互いに我々は確認しとかないといけません。

「今はよくない」というふうに言われて地震がすぐきた時に通行人にその壁が倒れたら、災害上倒れた時には保障の義務は無いだけれども、しかし、その方に大変な多大な、辛い思いをさせてしまうので、「今は触らない方がいい」というそういう霊的見方というのは無視しておかないと、“やるべき”と思ったらすぐやれというのがメシヤ様の考え方だし、時期がいま来てなければ補助金が出る時期がどうしても遅れてくるので申請書を出してもなかなか通らなかったり、あるいは仮にまあ○○家はそうじゃないだろうけど、うちみたいにここに書いているようにエコローンを組んだけど何ヶ月も通らなかったりすると、何で通らないのかなーと思っているとこれは時期が満たされてないので通らなかった、というのは後で考えて分かるので、時期の問題はさっき○○さんが読んだ本の最後に『人事を尽くして後は神仏にお任せするという心境にならなければならないのである』というところを目指す、と・・・。

人事を尽くしておけば、そういう時期は決まってくるというこういう姿勢を持っておかないとね。お伺いを立てたりすると、いや今は触らない方がいいよとか言われると人事は尽くせないので。だからメシヤ様の教えはどこまでも『人事を尽くして後は神仏にお任せする』という姿勢を持つようにということなので、皆さん方の勉強にもなるのでいま取り上げたんですけど、やっぱりすぐ申請とかそれから見積もりとかを取って着手していっていただきたいと思います。」

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は、どこまでも『人事を尽くして後は神仏にお任せする』という姿勢を持つのだと私達に御教え下さっているのだということ。

 

編集後記

責任者:

今回の御論文『霊主体従』は、「文明の創造」の根幹となる御教えです。私達は、このようなメシヤ様の御教えを知っているが故に‶人間としての本来の役目を果たさなければ”、罪は大きくなっていくのだと楳木先生より御教示いただいております。私達メシヤ様の信徒は、‶自分の言動を振り返り、「曇り」を蓄積させない(罪を形成しない)ように心掛けて日々を送らなければならないのだ”と、資料を纏めていく中で改めて強く思わせていただきました。

春とはいえ、まだまだ寒い日が続きます。どうぞ温かくしてお過ごしください。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.141浜松(平成24年10月分)

 

 

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