7月に向けての学び
はじめに
責任者:
今週に入り平年より約2週間遅れて、九州北部そして近畿や東海、関東などが続々と梅雨入りしました。今年の梅雨は、メリハリ型で降る時にはザッと降り、晴れると危険な暑さが隣り合わせとなるのだそうです。
さて、先日の15日、「地上天国祭」を粛々と執り行わせていただきました。太陽の活動も活発になり火素が増量している現在、様々な浄化が世界中の人々の上に起きて来ております。その渦中にいる私達の祈りとして祭典では、「私達にいただいている夫々の役割を、メシヤ様の御手足となり務めさせていただきます」という強い想いのもと、主神様、メシヤ様へ地上天国建設の御力を賜ることを念じ奉る祈りを捧げさせていただきました。今起きてきている浄化を難なく乗り越えていきたいものだと願ってやみません。
それでは、引き続き「文明の創造」を学んで参りましょう。よろしくお願いいたします。
「メシヤ講座no.173大阪(平成27年6月分)」より抜粋:
<今月の御教え>
『キリスト教』
「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年
キリスト教は、キリスト生誕の時から在世中は固より、十字架に懸られる迄の凡ての事は、微に入り細に渉ってかきつくされているので、今改めてかく必要はないから、私としての今迄何人もかかなかった事柄に就てのみかくに止どめておくので、読者は諒せられたいのである。
私が常にいう如く、神は何千年に渉って、天国的文化を形成する目的の下に経と緯の経綸をされて来たのであるが、其経の経綸の代表的宗教としては仏教であり、緯の代表的宗教としてはキリスト教であった。そこで仏教に就ては既に解説して来たから、今キリスト教に移るが、緯の経綸こそ物質文化の進歩発展の基本であって、即ち科学である。今日驚くべき文化の発展は、全くキリスト教以来の世界的経綸である事は言う迄もないが、茲に於てキリストは何故生れたかという事や、其他の点に就て次に詳しくかいてみよう。
二大宗教と二大文化
楳木先生:
先月まで仏教の学びをずっと積み上げさせていただいて、今月からキリスト教に入っていきます。メシヤ様は最初にですね 『キリスト教は、イエス・キリスト生誕の時から在世中は固より、十字架に懸けられる迄の凡ての事は、微に入り細に渉ってかきつくされてゐるので、今改めてかく必要はないから、私としての今迄何人もかかなかった事柄に就いてのみかく』 というふうに書かれておりますので、これから学ぶことは、今までキリスト教について書かれたことにはない、メシヤ様が独自に書くものである、ということを心得て勉強に入っていきたいと思います。
そして、このページ最後の行に 『私が常にいふ如く、神は何千年に渉って、天国的文化を形成する目的の下に経と緯の経綸をされて来たのであるが、其経の経綸の代表的宗教としては仏教であり、緯の代表的宗教としてはキリスト教であった。そこで仏教に就ては既に解説して来たから、今キリスト教に移るが、緯の経綸こそ物質文化の進歩発展の基本であって、即ち科学である。今日驚くべき文化の発展は、全くキリスト教以来の世界的経綸である事は言う迄もないが』 というふうに書かれておりますので、ここで『キリスト教以来の世界的経綸』ということと、それから経緯の経綸をメシヤ様は、経の経綸は仏教というのが代表されているのだ、と。緯のキリスト教というのが代表してあるという・・、そういうところから考えていきますと、物質文明が発展していくと、我々は一方で何に襲われていくかというとですね、現代においては、どっぷりと浸かっている謂わば経済至上主義であります。
経済至上主義というのはどういう方向に持っていこうとするかというと、欲望を膨らませて、その欲望を満たせようという方向へ動いていきます。その動いていく時に、欲望が満たされない時には、我々の心の中に、“満たされない”という想いと、“なんで自分だけが・・”という気持ちが起きてくるので、そういう時に、仏教の機能として言われている「鎮めのエートス」というのが働いてきます。それが働いてくるから、“いや、よそさまはあれだけのものを満たしているけれども、自分の現状ではこういうところだ”というふうに諦める気持ちに導くわけです。仏教というのは「鎮めのエートス」が根幹ですので、その心を鎮めていく方向に働いていくわけです。
これが経と緯の働きで、私達をですね、欲望だけに走らせない方向へ神様が導いて下さっているというのが、この働きとしてはよく見ておかないといけないと思うのですね。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎これから学ぶ「キリスト教」については、メシヤ様が独自に書かれた(今迄書かれてこなかった)ものであるということを私達は心得て学んでいくのだということ。
◎メシヤ様は経緯の経綸に付いて、経の経綸の代表的宗教としては仏教であり、緯の代表的宗教としてはキリスト教なのだと仰っているのだということ。
>また、緯の経綸こそ物質文化の進歩発展の基本(即ち科学)であって、今日の驚くべき文化の発展は、全く『キリスト教以来の世界的経綸』なのだと仰っているのだということ。
≫上記の観点から現代に於いて、物質文化(緯の経綸)が発展していくとどうなるのかを考えていくと、経済至上主義にどっぷり浸かってしまうということになるのだということ。
◎経済至上主義というのは人々の欲望を膨らませ、その欲望を満たそうという方向へ動いていくのだということ。
>その欲望を満たそうという方向へ動いていく時に、欲望が満たされない場合、我々の心の中に、「満たされない」という想いと、「なんで自分だけが・・」という気持ちが起きてくるのだということ。
≫そういう時に、仏教の機能として言われている「鎮めのエートス」というのが働くのだということ。
・「鎮めのエートス」が働くことによって、(「いや、よそさまはあれだけのものを満たしているけれども、自分の現状ではこういうところだ」というふうに)諦める気持ちに導くのだということ。
・仏教というのは「鎮めのエートス」が根幹なので、欲望が満たされない場合は心を鎮めていく方向に働いていくのだということ。
◎「神様が私達を、欲望だけに走らせない方向へ導いて下さっている」という経の働きを、私達はしっかりと見ておくのだということ。
「メシヤ講座no.173大阪(平成27年6月分)」より抜粋つづき:
真に導くために「学ぶ」ということは?
楳木先生:
そして、今ですね、文化がずっと発展してきた上において、メシヤ様は最終的にこの「祈りの栞に寄せて」のですね、「まとめ」のところにメシヤ様が仰って下さっていることをまとめて書いております。
『いよいよの時、初めて諸々、浄まった者それぞれに因縁通りに諸々の御用を申しつける。神格をいただける者もいる。その人によって御用は変わる。』 というふうに仰っておられます。いよいよの時は、こういう形で神界から私達に使命が下ってくるわけなのですけれども、その使命が下ってくる時に、その使命が下ってきたことを自覚させてあげたりするのが、これからの我々の役割になっていきます。その役割を果たす時にはですね、メシヤ様は誠だけではその役割を果たすことができないので、叡智が必要だということで、今『文明の創造』を学んでいるわけです。
そこでですね、若いお子さんやお孫さんがですね、ある程度世の中の動きに疑問をもったり、あるいは更に探求心が生まれてきた時に、「どうして日本という国はインドで生まれた仏教がここまで定着したのだろうか?」という質問がきた時に、さっと答えられないといけないので、その答えるために、必要なためにですね、先月まで学んできた305ページの『霊界における昼夜の転換』から先月までの『仏教に於ける大乗小乗』をですね、これぐらいの厚さを頭の中に整理して記憶して置いていただきたいのです、そして、その記憶したことを絶えずですね、話す練習をしておかないと、いよいよの時に使命をいただくという人の、その使命を自覚させてあげるというところに導けませんので、本来の御神業を担うことができないということになってしまいます。ですから、「どうして日本はインドでできた宗教をこれだけしているの?」と聞かれたらどう答えたらいい?」
*責任者:
以下の質疑応答は、使命をいただかれる人のその使命を自覚していただく上に於いて、私達(お導きする者)にとって重要な御教示をいただいております。各自拝読して要点を掴んで下さい。
受講者:
伊都能売神皇様が、素戔嗚尊が攻めてきて、インドの方に二十八部衆と行かれて、そこで善財童子でいらした釈尊の子どもの頃に、補侘洛山で教えを説かれて善財童子が目覚めて仏教を作られていった、インドはそれまでバラモン教がずっと主流だったのだけれど、それはすごく大変なので、御釈迦様が仏教というのを始められたということで、結局その仏教の元は、日本から行った観音様が教えをお説きになられて発展してきたので、もともと日本から行ったものだから、日本人は受け入れ易かったということです。違うかな?
楳木先生:
大まかにそれ。じゃあその次に「それは岡田茂吉教祖が言ったことなのでしょ?」と。「世界の歴史がそんなことを認めてないでしょ」と。あるいは「日本の仏教がそういうことを認めてないでしょ?」と言われた時に、次はどう答えるの?」
受講者:
いや~たまたま最近話しているのですけどね。やっぱり、『夜昼転換』を話していかないといけない。『三千年来の罪穢れ』とか・・・話していくんですけどね。
楳木先生:
だから、そういう今の若い人達は、唯物的な学問、これはキリスト教の文化圏で作り上げた学問体系のもとに教育を受けて、価値観を身につけているので、「そういう話は認められませんよ」と言った時にどうやって説得するかということ。」
受講者:
若い人にですよね~そうなんですよね~。
楳木先生:
その時に過去の「メシヤ講座」を思い出していただいて、一つは形で残っているのは何かというと、「観音様の髪の毛と御釈迦様や阿弥陀様の髪の毛の違いが形としては残されているのだ」と。だから「御釈迦様とか阿弥陀様は仏像の頭にてんてんてんが付いているのは、これは天然パーマでインド人だという証が後々分かるためにそういう仏像を作っているのだ」と。「観音様というのは直毛で結い上げているので、この直毛が日本人だ、日本人だというのが後々分かるために、そういう仏像を作っているのだ」という説明をまたしてみる。「それはそうだけど、直毛は中国人にもいるよ」というようなことをしつこく言うので、そういう場合どうするのだ、と。
そうした時は、次は五輪塔の説明してあげていただきたい。やっぱり武士なので位の高い人のお墓っていうのは五輪塔で作っているお墓が多いし、それからいろんな家系の中で、昔は土葬だったので、土葬であちこちに墓がチリチリになって管理ができなくなっているので、集合墓を作ろうとした時には五輪塔を建てるというのが最近の流行ではあるので、「五輪塔の意味は一体何か?」と言った時に「一番上から空(くう)、風(ふう)、火(ひ)、水(すい)、地(ち)なのだ」と。この「空風火水地の元は何かというと、日本語の母音なのだ」と、「母音の“あ”は“空”、“い”は“風”、“う”は“火”、“え”は“水”、“お”は“土地”なのだ」と。「だから五輪塔は、日本の母音を御釈迦様に教えたところから、最終的に日本の仏教の中に五輪塔というが一緒に形として作られて今日まで残っている。そういう史実をきちんと見つめて、岡田茂吉教祖が説いたことが本当か嘘かというのを見極めなければ、真に追及するということにはなりませんよ」というふうに若い人に言って貰いたい。
だから、その事をですね、今「メシヤ講座」で勉強しているということです。それぞれの使命を神様から与えられるのに、折角使命が下りてきたのにそれを果たせない人達がいるので、その果たせるためにそういう話をしてあげないといけない、ということ。
じゃあ「日本の教えの一番根幹的な教えは一体何だったのか?」という質問が次に来るので、それは『観音講座』の中にある『道法礼節』が一番分かりやすいので、『道法礼節』を説明してもらいたいわけですね。『道法礼節』というのを説明する時には、「日本は素戔嗚尊が押し寄せて来るまでは徳によって日本は治められていたので、だから縄文時代より前の遺跡には武器が一切ない。海外の方では古い遺跡を掘って行くと武器が出てくるけれども、日本の縄文時代の遺跡からは、武器が出てこない。だから武力によって世の中を治めていたのではなくて、徳によって治めていたのだ」と。
「じゃあどうやって徳によって治めることができるか?」と言うと、「その一つの事例が道法礼節なのだ」と。ドウというのは道なので、例えば今日は百合が綺麗に活けてありますけれども、その生け花教室というのに行くのと、華道教室に行くのと違いは何かというと、例えば生け花教室というのは、花の生け方の技法だけを学んでくるけれども、華道教室というと、その勉強する場所の入り方とか、それから「この花はこういう季節に咲いて、しかも昔からはこういう時に使われたのだ」というような、そういう歴史も説明してくるし、花を活けた後は片付けの仕方まで教えてくれる。華道山月では昔から、天地人とか色々教えたようにですね、この世の中の様々の決まりごととかをその中に盛り込んで教えてくるので、「人としての道」を学ぶことができる。ということで、その道法礼節の道という、「どんなところにも踏むべき道というものがあるのだ、ということを日本人は昔から大切にしてきたのだ」ということを御釈迦様が皇太子の頃にですね、神皇様が教えてお話をしてあげたわけですね。
それから道法礼節の法は、「言霊上は、炎から来ている。炎というのは触れると熱いので、この世の中は触れてはいけないものがある、あるいは、犯してはいけないものがある、ということで炎から“ほう”という言葉が生まれたのだ。だから人間生きていく上においては、どうしても犯してはいけないものがこの世の中にはあるのだ、触れていけないものがあるのだ。そういうことを分かりながら、日本人というのはそれぞれ成長してきたのだ」ということを次に教えます。
それから礼節の礼というのは、掌にですね、あるいはペンを持っている人は、メモに書いて貰いたいのですけども、「旧字体の“礼”というは、示偏に豊と書いて“ 禮”と書くので、これは、豊かさを示すと礼を尽くすことになるのだ」と。この豊かさとは物質的な豊かさだけではなくて、精神的な豊かさがあるので、今日○○さんの機嫌が悪ければ、私が「答えて」と指さしたら、“まあ!また私に言って”というような(笑)、機嫌悪いとそうなるけれども、今日は機嫌が良さそうなので、つらつらと何も言わないのに喋り始めてですね、答えてくれたので、これは今日心が豊かだったということです。心が豊かなので礼を尽くすことができるわけなのですけれども、豊かでない時にはカァー!と来たり、「なんで私ばっかり言うのですか!」とか、・・そんなことは○○さんに今まで言ったことはないのだけれども、そういうことを言いかねないので、やはり「豊かさを示すということが日本の中ではずーと重んじてきたのだ」と。」
楳木先生:
それで、礼節の“節”は、これはメシヤ様が竹を例題にお話されていますように、「竹の中は空っぽなのだけれども、非常に強くしなやかであるのは、節があるので中が空洞でも非常に竹は強いわけなので、この“節”があるように、人間というのも節目、節目を大事にしていかないと、人間として立派に育つことができないですよ」と。だから日本は今、七五三という節目はあるのですけれども、七五三の時にみんな写真ばっかり撮るでしょ。これはその親とか祖父母がですね、きちんと七五三のことを教えていないために、写真にみんな走っているわけですね。
それから、昔から論語とかを年輩者の人達がみんな学んでいるにも拘わらずですね、それを自分の子供とかに教えてないために、節目、節目で何をすべきか、ということを忘れてしまっているところがあります。三千年前は節目、節目というのを大切にして生きておりますので、しっかりした精神力が身についているわけですね。」
楳木先生:
先祖を祀る時にもですね、この世の中に生まれないでお腹の中で死んだお子さんはですね、○○児之神霊、というふうに呼び名を付けております。それから年齢がですね、三十歳に満たないで亡くなっている人には、○○比古之神霊、あるいは○○比女之神霊、というふうに呼んで、三十歳以上を毘古之神霊、毘女之神霊というふうにして、その年齢に応じて、亡くなった時の送り名というのが変わってきている。それが根幹にあるようにですね、日本人というのは節目、節目に、「その訓示を受けて育つ」ということを、昔から慣わしとしてきておりました。しかし、現代は写真を中心にやっているので、もう京都なんかにいくと自撮りの棒ばっかりもった人達が観光しているという話になっているのは、その見える世界ばっかり追っかけているために、そういうことになっているわけですね。
伊都能売神皇様が、御釈迦様がまだ皇太子の時に教えたことは、そうした日本人が昔から大切にしてきたことや、徳によって世の中を治めていくという在り方を教えてあげたためにですね、御釈迦様は皇太子の座を棄てて、そして家族も捨てて、一心にですね、悟道に入っていくわけですね。そして悟りを開いて御釈迦様になっていくわけなので、その御釈迦様の教えの根本は・・・、日本のそうしたことを伊都能売神皇様から教えられたので、今までのバラモン教という難行苦行によって悟りを開いていく、そういうことではインド人全体を救うことはできないので、日本の教えを基にした教えで救っていこうとして、結果お経ができあがったわけです。ですから、そのお経が中国を通って入ってきた時にですね、日本人はその日本の教えの精神がそのお経の中に入っているので、すーっと受け入れたわけです。
しかし、同時に、日本人にですね、その時から一つの大変な精神の癖が生まれてきております。それは、たばこ持っている人いない?たばこがなければ、この本をですね、こうして読むと・・「祈りの栞に寄せて」という本になりますけれども、こうするとお経になります。以前にもお経のあげ方を話したことがあると思いますが、これを逆さまに読んでいくとお経になっていきます。「に~つん、よんつん~いんとん~びんわんしゅ~ん・・・・」というふうに読んでいくとお経のように聞こえてきて・・(笑)
これは何故かというと、日本人はですね、インド語は分からないのですが、そのインド語のお経を理解していく時、中国を通っていった時に漢字で入ってきているのですが、その漢字をインド語風に読んでも分からないので、それに節を付けて、ずーとお経という形で挙げるようになりました。そうするとその節回しが心地よいように聞こえてくるようになったので、それ以来ですね、「意味が分からないものは、有り難い」という精神構造ができあがってきております。お経というのは「有り難い」と言った時には、それはインド語の意味が分からないままに・・私の祖母などもですね、朝起きた時から「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と言っておりました。この「南無」というのはインド語で「帰依する」ということなのだけれども、「生涯、阿弥陀仏に帰依する」という意味であるということを知らないまま、「なみあみだぶつ」と言って、そして生涯を終えております。
昔の方々はそういうことで、仏教というものを捉えているがために、物事がはっきりしない方が有り難いという精神構造ができあがってきている部分がありますので、鎮めるという時には物事を決めない方が心を鎮めることができるので、そうしたことでですね、物質偏重の世の中になって欲望をずっと追及する日本を鎮めるために、この仏教が果たしてきた役割というのは、そういう意味では大きかったわけです。
それと同時に中国を通って入ってくる時にですね、儒教を拾ってきたために、儒教の形式である黒塗りに金泥で文字を書くという形が今の位牌になっております。仏教が入ってきた時ですね、それまで日本は白木を位牌にしていたのが、それよりも黒塗りの金文字で書いたものの方が、先祖を祀る上においては、非常にいいということで、それにスッとみんな切り替えていったわけであります。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は『いよいよの時、初めて諸々、浄まった者それぞれに因縁通りに諸々の御用を申しつける。神格をいただける者もいる。その人によって御用は変わる(「入門と奥座敷」p.104)。』 というふうに仰っておられるのだということ。
>現在、文化がずっと発展してきた上に於いて、いよいよの時には、『初めて諸々、浄まった者それぞれに因縁通りに諸々の御用を申しつける。』という形で神界から私達に使命が下ってくるのだということ。
≫その使命が下ってきた人にそのことを自覚させてあげたりするのが私達の役割になってくるのだということ。
・「自覚をさせて上げたりする役割」を果たす時には「叡智」が必要なので、私達は今『文明の創造』を学んでいるのだということ。
◎いよいよの時に使命をいただくという人の、その使命を自覚させてあげ、その人が本来の御神業を担うことが出来るようにする為に、(書籍「文明の創造」のp.305~P.342)『霊界における昼夜の転換』から『仏教に於ける大乗小乗』までの内容を私達は頭の中で整理し記憶しておくのだということ。
「メシヤ講座no.173大阪(平成27年6月分)」より抜粋つづき:
具体的な御教えゆえに、具現化できる
楳木代表:
こういう歴史をしっかり見つめておかないとですね、メシヤ様は、訳の分からない話を一切されておりませんので、具体的に人々の問題を解決するということを念頭に置いて、私達に御教えを説かれております。ですから具体論ばっかりですので、岡田茂吉全集にしてもですね、三十三冊という形になっていっているわけですね。ですから具体的であるが故に御教えの数が多いということですね。ですから私達の信仰生活も「具体論」がなければメシヤ様の信仰ということには行けないわけですね。
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は具体的に人々の問題を解決するということを念頭に置いて、私達に御教えを説かれているのだということ(それ故に御教えの数が多いのだということ)。
>前項で楳木先生より御教示いただいたようにしっかりと歴史を見つめて、その説明ができるようにしておくのだということ。
◎私達の信仰生活は「具体論(御教え)」がなければ、メシヤ様の信仰ということにはならないのだということ。
「メシヤ講座no.173大阪(平成27年6月分)」より抜粋つづき:
メシヤ様の御経綸と異なる仕業
楳木先生:
○方○光教団はですね、「今は薬を飲んでもいい」ということで、それが「今の経綸だ」という言い方をしております。これは「経綸」の意味がさっぱり分からないで、本日拝読した経の経綸と緯の経綸という、この経綸の意味が分からないためにそういう表現に使っていると同時にですね、こういう使い方はメシヤ様の教えの中にですね、『プラグマチズム(御教え『宗教プラグマチズム』へ)』という教えがありますが・・。『私は宗教プラグマチズムという』という御教えを拝読したことがあると思います。このプラグマチズムを最初にですね、日本に紹介した哲学者がですね、取り分け日本が軍国主義の中で、日本人を軍にずーと心を集結させるために用いた言葉があります。八紘一宇だとか、それから鬼畜米英とかというキャッチフレーズのようなものを作り上げて国民を短い言葉で集結するような方法を取りました。これがですね、実は学者からすると「御守り言葉」と言われております。その言葉を唱えてれば安心できる、だから自分達も第一次世界大戦、第二次世界大戦に協力していくのだという・・。そういうふうに使った言葉の使い方があります。
今○方○光教団が陥っているのは、そういう軍部が使った言葉遣いを今、信者に使ってですね、少しでも「今の方針はおかしいのじゃないですか?」と言った時には、「今の経綸はこれなのだ」ということで、みんなを納得させるような方向に導いております。実は「メシヤ様がなぜ宗教プラグマチズムというのを御教えで説いたか?」ということすら分からない指導者達がですね、教団を引っ張って行ってしまっているということになっています。そういうことをメシヤ様が指摘するためにプラグマチズムというのを引用されてですね、御教えに説いたにも拘わらず、その弟子達がその教えを・・なぜメシヤ様がこういうものを書いたのかということが分からないためにおかしな方向にみんなを導いてしまっているということですので、六月十五日の地上天国祭の時には、今までは○○教団というふうに起用してきましたけれども、もうそんな悠長なことを言っておれないので、地上天国祭の挨拶だけは、○方○光教団の間違いとい○○め教団の間違いと、それから主○光教団の間違いを、名指しで今回は批判を加えて、そしてみんながメシヤ様の下にですね、直結して、そして御守護に溢れる生活を営むことができるような方向に進んでいただきたい、ということで、挨拶をしていこうと考えております。あまりにもですね、信者さん方が、メシヤ様の信仰をしているはずなのに、教団の方針とか間違った指導の仕方のために御守護をいただききれていない方々があまりにも増えていますので、そうしたことを是正していく方向に進めていきたいな、と思います。
というのは主○光教団が今度『大光明』という御神体に変えることに・・・(深刻な内容ですが割愛します。)
そういう意味ではですね、ここで学んでいる仏教のこととキリスト教のこと経と緯の経綸というのが、しっかり入っておかないと地上天国建設という御用には進むことはできないので、もうあともう少しですので、これだけのところをしっかり勉強させていただいて、メシヤ様が21世紀に地上天国を建設するための設計書として書かれたものがこの『文明の創造』ですから、この設計書を私達の頭の中にしっかり入れていくように、そういうふうにしていただきたいと思います。」
責任者:
ここではメシヤ様を教祖とする他の教団の『経綸』というものに対する間違った捉え方に付いて御説明いただいております。参考になるお話だと思いますので各自拝読していただきたく思います。
「メシヤ講座no.173大阪(平成27年6月分)」より抜粋つづき:
科学技術の進歩と功績
楳木先生:
そしてですね、そういうことでキリスト教が物質文化の発展をずっと担って来て、最終的に今何が分かって来ているかというと、女性の方々はみんな、一人を除いて子供を産んでいるのでおっぱいが出てきましたよね?みんな。おっぱいで育てた人?おっぱいは元々何からできたかというのは、生命の進化の過程をみると、最初からおっぱいが出ていたわけじゃないので・・。子供がおっぱいを飲み始める出発のところで何を飲んでいたか?
受講者:
血液?
楳木先生:
血液が乳房を通って乳首から出て来る時におっぱいになるのだけれども、その前。そういうおっぱいができる前。
受講者:
オキシトシンでしたっけ?
楳木先生:
オキシトシンが(笑)それはホルモンやろ。
それがですね、科学が非常に進んできて、そして遺跡とか、それから様々な生物の骨とかを見ている中で、だんだん究明されてきたことはですね。最初、鶏の卵を見ると硬いですよね、あれはなぜですか?」
受講者
外部から守るため。
楳木先生:
守るため・・、何から守るの?外部の何から守るの?」
受講者:
空気。
楳木先生:
空気の何?」
受講者:
酸素。
楳木先生:
酸素、これ違うね。酸素から守らんでいい。言わば病原菌。科学的に言えば、ウィルスや病原菌から守るために殻は硬いわけです。これは生命が進化していくとだんだん薄くなってくるわけなのです。薄くなって来ると細菌が入ってくるので、その時に生物はその当時どうしてか?というと、自分の汗を垂らして卵を守っていたのです。汗というのは殺菌作用があるので、守っていた、と。その内にこの汗になるDNAが変化して栄養分が加わるようになっていったので、最初は全身からお乳が出ていた、ということが最近の研究では分かって来ております。だから産まれて来て殻を破って出てきた子供達は、お母さんの身体全体を舐めていたと、それがだんだんとおっぱいという形に集約されてくるように進化してきた、というふうになっております。しかし、それは卵を産む時代の話です。皆さん方がお腹の中で10ヶ月間子供育てたでしょ。どうやって育てたの?」
受講者:
勝手に・・・。
楳木先生:
違うのですよ、勝手にじゃない。(笑)命を削って育てているのですよ。命を削って。そうでしょ、自分の栄養を送り込んで、そして排泄物を自分が腎臓でろ過してやって、そしてきれいにしながら育てているから、自分の命を削っているのです。じゃあ、自分の命を削る器官は何だったのか?なんで子供に栄養をやったり排泄物をきれいにしてやったり、どこでしてやったのですか?」
受講者:
子宮。
楳木先生:
子宮は袋でしょ。」
受講者:
へその緒。
楳木先生:
へその緒からどこでやっていたのですか?自分の腹の中を1回見てご覧なさい。胎盤があったでしょ。この胎盤からやり取りしたわけです。ではこの胎盤はどこから進化したのか?というと?・・自分の身体のことなのに、何も知らないことがあるね~。」
一同:
(笑)
楳木先生:
これですね、卵の中に雛がだんだん成長して行く時に、栄養はまわりからとるでしょ?排泄物はどうするのですか?卵の中でひなの排泄物はどうなるのですか?排泄したら卵の中、汚れてしまうでしょ。だから排泄物したものを入れる袋がちゃんとついているのです。これが胎盤になったと、この袋がね。というところまで科学は究明できている。しかし、どうして尿とかを溜める袋が胎盤になったかというと、これは実は病気でなっているのです。その途中の生き物達がレトロウィルスに感染し病気でほとんど死滅した時に、生き残った母胎の中にウィルスが侵入して卵まで行ってDNAを切断して侵入し突然変異を起して、それによってその排泄物の袋が胎盤に突然変異しているのです。そして、皆さん方の身体に胎盤が生まれるようにずっと進化してきたのです。そういうことが今のところ分かって来ているわけです。
これはキリスト教文化圏の研究のおかげで分かってきている。この分かって来たことをメシヤ様の経綸というものに当てはめていくと、この45億年前に地球を創って、そして、その中で生命をずっと進化させて最後にこの地球上に地上天国を建設していく人間というものを産まれさせるために、その過程はすべてそういうウィルスによる病気で突然変異を起こして、最後に完成品である人間を創り上げたということが、だんだん生命誌の中では研究で分かって来ているわけですね。これはキリスト教文化圏が構築した学問体系のおかげです。そうしたものをメシヤ様の教えの裏付けになる、今時代を迎えてきております。そういう点では縦の経綸と緯の経綸の構造というものをしっかり自分達の頭の中に入れて、“なるほど”と思って受け止めて下さい。
そうしないと、我々はこれだけ幅広い勉強をしているという意味がないし、人々を地上天国建設に導くという、その導き方が確立されてきませんので、そういうことを今日の『キリスト教』という教えを通して確認をさせていただいて、いつものように質疑応答に入りたいと思います。よろしくお願いしたいと思います。」(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎生命の進化の過程は、キリスト教文化圏が構築した学問体系のおかげで分かってきているので、この分かって来たことをメシヤ様の経綸というものに当てはめて考えていく(メシヤ様の御教えの裏付けになる時代を迎えている)のだということ。
>上記の点に於いて、「縦の経綸」と「緯の経綸」の構造というものをしっかり自分達の頭の中に入れて、“なるほど”と思って受け止めることが出来ないと、私達が幅広く学んでいることの意味がないし、人々を地上天国建設に導くという、その導き方を確立することが出来ないのだということ。
編集後記
責任者:
今回は、メシヤ様より 『現在の文化の発展は、全てキリスト教以来の世界的経綸なのだ。』ということと『経の経綸の代表的宗教としては仏教であり、緯の代表的宗教としてはキリスト教』なのだということを御教えいただきました。そして楳木先生より「経と緯の経綸」について幅広く御教示いただいております。これまで私達が「文明の創造」で学んできた仏教と、これから学ぶキリスト教が「経と緯の経綸」なのだということを、地上天国建設の御用に使っていただけるようにしっかりと整理し頭に入れておかなければならないのだと思いました。
ところで、久し振りに『宗教プラグマチズム』を拝読いたしました。そして、メシヤ様の仰っている『宗教行為主義』に近づいて行けるように、私達は日々努力しなければならないのだと思わせていただきました。これから蒸し暑い日が続くと思いますが、大雨や熱中症に気をつけてお過ごし下さい。有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。