7月の学び
はじめに
責任者:
今年の七夕は、色とりどりの飾りを目にすることもなくあっという間に終わりを迎えてしまいました。暑い日が続いていますが、皆様におかれましては、その後お変わりなくお過ごしでしょうか。4日に出た日本気象協会の梅雨明け予想では、今月中旬にかけて九州から東北にかけては梅雨空が続き、今月20日ごろから順次梅雨明けを迎えそうだということです。この間大きな災害もなく過ごせたら良いなぁと思っております。
さてそれでは、「文明の創造」の学びを始めたく思います。どうぞよろしくお願い致します。
「メシヤ講座no.174大阪(平成27年7月分)」より抜粋:
<今月の御教え>
『善悪発生とキリスト教』
「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年
この標題の意味を説くに当って、予(あらかじ)め知っておかねばならない事は、再三言っているごとく、仏教の真髄は霊が主であり、キリスト教のそれは体が主である事である。とすれば今これを仮に善と悪とに別けてみると、霊は善に属し体は悪に属するといってもいいが、しかしこの場合の善悪は決定的のものではなく、ただ強いて別けるとすればそうなるのである。
換言すれば霊を主とすれば霊主体従となり、体を主とすれば体主霊従となるからである。今それらについて順次解説してみるが、善と悪とについて、徹底的解釈をするとなると、これは仲々難しい問題であって、今日までこの問題を真に説き得た者は、ほとんどないといってもいいくらいである。何となればこの事は大宇宙の主宰者である主の神の権限に属するからで、すなわち哲学的に言えば宇宙意志である。従って主の神以外のあらゆる神でも分り得ないのは当然で、いわんや人間においてをやである。もしこの問題を説く人があるとすれば、それは人智から生まれた想像の範囲内であって、それ以外一歩も出ないのである。ところがそれを私はここに解説しようとするのであるから仲々大変ではあるが、といって私の想像的所産ではなく、神示によるものであるから別段難くはないのである。というのは時期来たって地上天国建設の大任を負わされた私としては、ある程度主神の真意が感得されるからで、読者はこの点よく心に止めて読んで貰いたいのである。
そうして今ここに説明するところの理論は、私が常に説くところの大乗よりも、一層大乗ともいうべきもので、もちろん前人未踏の説であって、文字や言葉での表現はまことに困難である。従ってともかく現代人の頭脳で解し得る程度と共に、神から許されたる枠内だけの事を説くのである。
そもそも、主神の御目的なるものは、これも私が常にいうごとく、真善美完(まった)き理想世界を造るにあるのであるから、その御目的に必要な程度にまで物質文化を進歩発達させればいいのであって、それが今日までの世界の歴史であると思えばいい。その意味をもって現在の文化形態をつぶさに検討する時、最早時期の来ている事に気付くであろう。
以上のごとく、物質文化がこの程度にまで進歩発達したについての、古代からの過程を凝視する時、そこに何を見出すであろう。といっても人間の頭脳での発見は困難であるが、私は今それを解説しようと思うのである。それは世界の一切は神意による経綸である事を充分知らせたいからである。そこでまず人類の最大苦悩であるところの善と悪との摩擦すなわち闘争であるが、この闘争なるものの原因は、言うまでもなく悪であるから愛の権化ともいうべき神は、なぜ悪を造られたかという事である。この事は昔から何人も知ろうとして知り得なかった謎であったが、それを今私は解こうとするのである。それについてはまず心を潜めて歴史とそうして文化の進歩の跡を顧り視る事である。としたらそこに何を発見するであろうか。ところがそれは意外にも人類の闘争によって、いかに文化の進歩を促進したかという事である。もしも人類が最初から闘争を好まず、平和を愛していたとしたら、物質文化がたとえ生れたとしても、その発達は遅々たるもので、到底今日見るがごとき目覚しい発達は遂げ得られなかったに違いない。この事をよく考えてみたら、悪なるものがいかに必要であったかが分るであろう。
ところでここに問題がある。それはこの善悪の摩擦が文化の進歩に必要であったとしても、悪は無限に許されたものではない。いつかは停止される運命が来るに決っている事であって、今日その時が来たのである。何となれば現在の文化形態をみればよく肯ける。すなわち戦争手段としての驚くべき武器の進歩である。言うまでもなく彼の原子破壊の発見であって、この発見こそ人類の破局的運命を示唆しているもので、最早戦争不可能の時期の来た事の表われでなくて何であろう。これによってみても闘争の根本である悪なるものの終焉(しゅうえん)が、最早寸前に迫っている事に気付かなければならない。もちろん常に私の唱える昼夜の転換の如実の現れでもある。これを歴史的に見てもよく分る、もし悪を無制限に許されたとしたら、社会はどうなったであろう。人間は安心して業務に従事し、平和な生活を営む事は出来ないで、遂には魔の世界となってしまい、一切は崩壊するに決まっている。としたらある時期までの統制も調節も必要となるので、その役目として生れたものが宗教であり、その主役を荷った者が彼のキリストである。同教の教義の根本が人類愛であるのもよくそれを物語っている。それによってともかく白色民族の社会が、魔の世界とならずに、今日見るごとき素晴しい発展を遂げたのも、全くキリスト的愛の賜(たまもの)でなくて何であろう。以上によってキリスト教発生の根本義が分ったであろう。
そうして今一つ忘れてならない事は、無神論と有神論である。これも実をいえば経綸上の深い意味のある事であって、それはもしも人類が最初から有神論のみであったとしたら、悪は発生せず闘争も起らないから、それに満足し立派な平和郷となり、よしんば唯物科学が生れたとしても、発展性はないから、到底地上天国の要素たる文化的準備は出来なかったに違いない。ところが無神的思想がはびこった結果、形のみを主とする以上、今日見るがごとき、絢爛たる物質文化が完成したのであるから、全く深遠微妙なる神の意図でなくて何であろう。しかし表面だけしか見えない唯物主義者などは、それらの真意を汲みとる事は出来まいが、右のごとくいよいよ悪の発生源である無神論は、最早有害無用の存在となったのである。としたら世の多くの無神論者よ、一日も早く覚醒されるべきで、もし相変らず今まで通りの謬論を棄て切れないとすれば、気の毒ながら滅亡の運命は、君らを待ち構えているのである。何となれば善悪切替えの時機は決定的に接近しており、その場合神業の妨害者は絶対的力によって生存を拒否されるからである。そうして神は無神論者を救う手段として採られたのが、神の実在を認識させる事であって、その方法こそ本教浄霊である。見よ本教に救いを求めに来る数多(あまた)の重難病患者等がたちまち全快の恩恵に浴して、この世に神は確かに存在する事を知って、飜然と目醒め、今までの無神論の誤りを悔い、たちまちにして有神論に転向するのは、百人が百人皆そうである。何よりもこの実例は、お蔭話として数え切れない程本教刊行の新聞雑誌に掲載されてあるにみて一点の疑いを差挿み得ないであろう。
以上のごとく今日までは、悪なるものも大いに必要であった事と、今日以後は二義的存在として、制約される事が分ったであろうが、これについて別の例を挙げてみようと思う。それは原始時代における彼のマンモスや恐竜のごとき巨大動物である。それは今世界の各地に時折発見される骨であるが、これによってみても実在したものであったに違いない。その他にも大蜥蜴(おおとかげ)やそれに類した奇怪な動物が、さかんに横行していた事は想像に難からないが、今は影も見えないという事は、全く自然淘汰によるためであろう。その理由は不必要となったからであるのは言うまでもない。必要というのは何しろ地球が形成され、相当期間地殻が脆弱であったがため、それを踏み固めしむるべく多くの巨大動物を作り、その役に当らせたのであって、大方固まったので淘汰された事と、自然硬化作用と相まって、ようやく立派な土壌となったので、神は植物の種子を造り蒔いたところ、漸次植物は地上に繁茂し、生物の生活条件が完備したので、ここに人間初めあらゆる生物を造られたのである。しかしながら最初の内は至るところ、猛獣毒蛇等々が棲息し人間を悩ました事であろう。そこでその時の原始人は、これら動物との戦闘こそ生活の大部分であったであろう。これら動物の幾種かは時々発見される骨や、その他部分品等によっても大体は想像がつくのである。もちろんこれら大部分の動物も自然淘汰されたものであろう。それらについて想われる事は、日本においてさえ彼の日本武尊(やまとたけるのみこと)が、その毒気にあてられ生命を失ったという説にみても、それ程獰猛(どうもう)な奴が到るところに棲んでおり、人畜に被害を与えたに違いあるまい。ところがそのような有害無益の生物も、歳を経るに従い消滅または減少しつつあるのである。従って、最早今日では人畜に危険を及ぼすような動物も、種類によってはほとんど死滅したものもすくなくないようである。このような訳で遂には動物といえば、家畜動物のみとなろう事も想像されるのである。
以上説いたごとく、文化の進むに従って、必要であったものも不必要となり自然淘汰されるとしたら、最後に至って人間といえども自然の法則から免れる事は出来ないのはもちろんである。としたら人間に対するそれは何かというと、もちろん人間に内在する悪である。さきに述べたごとく今後の時代は、悪は有害無益の存在となる以上、悪人は淘汰されてしまうのは当然な帰結である。これを一言にしていえば、進化の道程として動物と同様の人類が進化し、半人半獣であった人間が、すなわち外表は人間、内容は獣であった、その獣性を除去して全人間にするのが今や来らんとする神意の発動であって、それに服従出来ない者が、自然淘汰によって滅亡の運命となるのである。
以上のごとく善悪の人間が清算され、善の人間が大多数となった世界こそ、本教で言うところの地上天国の実相である。右によっても分るごとく、滅亡の一歩手前にまで来ている悪人を悔改めしめ、犠牲者を少なくするその救いこそ、神の大愛である事を知らせるのが本教の大神命である。
自然宗教による文化形態
楳木先生:
いよいよキリスト教の項目に入ってきまして、本日は『善悪発生とキリスト教』という項目の御論文を拝読させていただきました。この御論文を拝読した時に、仏教で学んだ内容というのは三千年の歴史をだいたい把握したところなのですけれども、本日拝読したところは、数十万年あるいはもっと言えば恐竜が生息していたところまで触れているわけですから、何千万年前の歴史にメシヤ様は触れられて、そして、ここではですね、とりわけメシヤ様は『文化形態』ということを2回ほど取り上げております。
この『文化形態』ということはですね、『「祈りの栞」に寄せて(「入門と奥座敷」)』の「宗教について」というところで、『文化形態』に触れたわけであります。日本の場合は教育課程において宗教の果たしてきた役割というのは・・・。十分日本人が理解していないために、宗教というと宗教団体として捉えてしまい、非常に嫌悪感を持ってしまう方々が、とりわけ戦争を経験した方々には非常に大きいものがあります。この宗教観というのをもう一度持ち直さないといけないために、メシヤ様は『文化形態』ということをここで取り上げて下さっているわけであります。この『文化形態』ということを『「祈りの栞」に寄せて』に基づいて少し整理しておいていただけると、メシヤ様の御論文がいかに高く深く、しかも広いですね、そういう視野にお立ちになられて私達に教えを説いて下さっているということが、より一層分かるのではないかなと思います。
元々宗教とは一体何かというと、古代では、宗教というのは・・・人間生活そのものが宗教であったわけですね。とりわけ縄文時代ぐらいまでは・・・江戸時代までもそうなのですけれども、この辺りで一番分かりやすいのは平城京をみていくと分かり易いのですけれども、平城京はその出仕する人達が、日の出と共に出仕して、それから日が落ちると同時に家に帰っておかないといけないので、その当時街灯とかそういうものがないために日の出から日没まで、いわば仕事のできる時間でありました。それで、出仕者達はその範囲内でその周辺に住んでいたという、そういう町全体の姿をみると、遡って行けば太古の昔は集落があった場合は、集落から海に漁に出るにしても山に猟に行くにしても、明るい内に帰って来なければ、もうこれは死を意味するわけです。どうしても明るい内に帰って来られない場合は火を燃やして目印を灯して、それに向かって漁を終えた人達が帰って来る、と。そういうことを中心に集落を作っておりましたけれど、その中にはたまにはそういう時間的なことを守らない人達がいた場合には猛獣毒蛇にやられてしまう、そして死人が出たりする。その死人が出そうな時には・・・、例えば猛獣毒蛇にやられている時には早急に治療しないといけないのですけれども、毒にやられている一人を救うよりも、集落300人住んでいるとすれば299人を守っていかないといけないので、一人を救う前に299人を集めて、「この者は決められた時刻に帰ってこなかったので猛獣毒蛇にやられたのだ」と、「だからみんなはそのことをこれから一層守っていかなければ命の危機に遭遇する、だから守るように」ということを懇々と教えて、全員が「分かりました、これからより一層その時間を守っていきます」と約束した時に、初めてその一人の毒蛇にやられた人間の救いにかかっていくわけです。これがその集落の中心者と、そのことを教え伝える教えの中心者が一体となって、その集落を守っていった訳ですね。
このことが、メシヤ様が『文化形態』とおっしゃったところから現代まで進んで来ると、中心者が政治家、政治ということになってきますね。それから絶対時間を守るようにとか、あるいはこの土地のここから奥に行ってはいけないということを守らせるのが、現在ではいわば警察の役割になってきているわけですね。しかし、その運営自体は政治ということで、現在の文化の中では発展してきているのです。そういう繋がりをメシヤ様はしっかり見つめておくようにということで今回の御論文の中では『文化形態』ということをここに示されているわけですので、メシヤ様の教えられている内容というのは実はもの凄い歴史の長さと、それから人類全体が培ってきた『文化形態』というのを見据えた上で、私達に教えを説いて下さっている、ということを、この機会にしっかり理解しておいていただきたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎『善悪発生とキリスト教』の中でメシヤ様は『文化形態』ということに付いて2回程取り上げておられるのだということ。
◎『文化形態』ということについて、日本の教育課程において、宗教の果たしてきた役割というものを日本人が十分に理解していないために、宗教というと宗教団体として捉えてしまい、非常に嫌悪感を持ってしまう方々が多い(とりわけ戦争を経験した方々には非常に大きな嫌悪感がある)のだということ。
>この(間違った)宗教観というのを私達日本人が持ち直さないといけないので、メシヤ様は『文化形態』ということをここで取り上げて下さっているのだということ。
・『「祈りの栞」に寄せて(「入門と奥座敷」)』に基づいてこの『文化形態』ということを整理して考えてみると、メシヤ様の御論文は高く深く、しかも広い視野にお立ちになられて私達に教えを説いて下さっているということが、より一層分かるのだということ。
◎元々の宗教とは一体何かというと、(古代では)人間生活そのものが宗教であったのだということ。
◎メシヤ様が私達に御教えくださっている内容というのは、実はもの凄い歴史の長さと、人類全体が培ってきた『文化形態』というのを見据えた上で、私達に説いて下さっているということをしっかり理解しておくのだということ。
「メシヤ講座no.174大阪(平成27年7月分)」より抜粋つづき:
ヨコのキリスト教文化と思想
楳木先生:
さて、その上で今回は様々な言葉をメシヤ様は述べられておりますけれども、まず『霊主体従の法則』も、通常私達が日常考えている『霊主体従の法則』と共に、いわば経の仏教が霊の世界を担って、キリスト教が体の世界を担ってきたので、これが霊主体従の法則ということに当てはめていくことができるし・・・、霊が善であり、体が悪であるというふうに書かれてありますので、悪の部分を担う役割という点では、キリスト教の学習形態がそういうものを作り上げた、と。しかし、一方では悪に全部なっていくと白人が『魔の世界』に陥るので、キリスト教を創唱して愛というものを中心に・・・隣人愛とか人類愛というものを中心にして白人を滅びないような、そういう布石も打ってきた、と。そういった非常に広い見地からの宗教の見方で見ていって、それがですね、メシヤ様は一言で『キリスト教の発生の根本義が分かったであろう』という御言葉でまとめられております。そうしたふうにみておいていただきたいと思います。
しかし、大阪府の場合、今朝のニュースでは何か画期的なことを取り組もうとしているでしょ? あまり朝からニュースを見る時間なかったかな、早い時間に出て来たからね。じゃあ一昨日ぐらいから、ひまわり8号のニュースが流れていますね、ひまわり8号はどういうふうにいいか?見たでしょ?」
受講者:
天気予報が鮮明になったと。
楳木先生:
どういうふうに鮮明になったの?」
受講者:
なんか何回も言っていましたね~。
楳木先生:
解析度が4倍になったというのと、それから撮影の間隔がこれまで30分に一回だったのが2分半に一回ずつ写真を撮っていけるので、雲の流れ方が非常にスムーズに見えるようになったというのと、それからもう一つはカラーで映るようになったと。」
受講者:
今日ね、見ていて“綺麗になったなぁ”と思って見ていました。
楳木せ:
だから、「なんで綺麗か?」というところをもうちょっとね・・・。」
受講者:
あっそうですね、本当に綺麗に見えていました。
楳木先生
そう、ひまわりが変わったのでね、もう次にひまわり9号が打ち上がって、またさらに精度が上がってくるのですけれど、今回カラーで撮影するようになったので、雲の流れと黄砂の流れを分けて見ることができるので、黄砂の流れ方をより的確に皆さん方に伝えることができる、と。黄砂の流れ方が的確に伝えられると、PM2.5もさらに的確に・・PM2.5は見えませんので黄砂の流れが分かると、だいたいそれに沿ってPM2.5が流れ出てくるので、より一層ですね、日本人が気を付けていける、そういうシステムがおかげさまでできたのですけれど、このシステムはどうしてここまで精度が上がって来たかというと、今日メシヤ様が教えて下さっているように、戦争のおかげです。
イラン・イラク戦争辺りからですね、米軍が関与してピンポイントで爆撃をするようになりましたね。ミサイルなどを衛星からピンポイントで、あそこに軍隊何名ぐらいがいるとか、あるいは軍事施設をピンポイント爆撃するという、我々はテレビでその場面だけ、バンと消える映像だけ見てきました。しかし、あの映像の中では何十人か死んでいっているわけですけれども、これは非常に冷酷なことです。敵国の人間を死んでいる姿を私達はテレビで見ているわけですから・・・。それを「凄いなぁ~」と言った瞬間に、人を殺したことを評価しているわけですから、我々の中にも悪が物凄くまだ蔓延っているということではあるのです。
しかし、戦争による衛星からピンポイントで爆撃していく、その技術がその後、「3.11」以後日本では、大津波が来る、広島では大変な土砂崩れが起きる・・・、大変な豪雨があったために土砂崩れが起きる、という予測をつつけたいわけなのですけれども、この善の方から見ていくと、気象の変化を的確に捉えるためにはどうしたらいいかということで、ひまわり8号を上げて打ち上げて、その精度の高い衛星で雲の流れを監視していこう、と。
そうした場合ですね、精度が上がったということは500m間隔で雲の発生を感知できる、知ることができる、ということです。そうすると今八尾では雨は降ってないけれども、「○○さんの家の辺りでは雲が発生したから、それプラス風の流れでいくと、相当な豪雨がある」ということが実は分かるということです。しかし、大阪はそれほど高いビル群がないので、そこまで精度を上げなくても、街中で雲が発生するということは非常に少ないですけれども、東京に行くと高層ビルが一杯あるので高層ビルの間で積乱雲が発生しますので、ですから一番多いのは新宿辺りに行くと突然土砂降りになる時があります。今まで星が見えていたのに突然土砂降りになったりするのです。それはビルとビルの間を空気がスーと吹き抜ける間に積乱雲がグーンとできて雨を降らせるということが起きているわけですね。
そういう変化を今回のひまわり8号では的確に捉えられるようになるので、まぁそれを監視する人達も大変なのですけれど、被害に合う人達がこれでさらに少なくなっていくのではないかな、というふうに今言われております。
この技術が高まったのは戦争のおかげだということです。そして、その戦争によって大勢の方々がお亡くなりになっているのですけれども、その犠牲の上において私達は天災から守られる技術をさらに高めていくことができる、と。
これが本日拝読させていただいた『善悪発生とキリスト教』という御論文の中から、「自分達が今享受しているこの便利さとか、そういうものをどのように捉えていくべきか?」ということをメシヤ様は教えて下さっている、というふうに考えていただきたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎この御教えでメシヤ様は、私達が日常考えている『霊主体従の法則』と共に、いわば経の仏教が霊の世界を担い、緯のキリスト教が体の世界を担ってきたので、これも『霊主体従の法則』ということに当てはめることができると仰っているのだということ。
>又、「霊が善であり、体が悪である」というふうにもメシヤ様は書かれているので、
・悪の部分を担う役割という点では、キリスト教の学習形態がそういうものを作り上げてきたのだということ。
・しかし、その一方では悪に全部なっていくと白人が『魔の世界』に陥るので、キリスト教を創唱し(隣人愛とか人類愛というものをその中心において)白人を滅びないような布石も打ってきたのだということ。
≫メシヤ様は上記のような内容を総じて、一言『キリスト教の発生の根本義が分かったであろう』という御言葉でまとめられているのだと捉えておくのだということ。
◎『善悪発生とキリスト教』という御論文は、「(例えば)衛星「ひまわり8号」などの精度が上がったことなどによって享受できる便利さを私達はどのように捉えていくべきなのか?」ということを教えて下さっているのだというふうに考えるのだということ。
「メシヤ講座no.174大阪(平成27年7月分)」より抜粋つづき:
無神論者を救う業
楳木先生:
そう考えた上で浄霊を見ていくと、今の○○Aが施術ということに逆戻りしてやっているということは、“メシヤ様が浄霊を説かれたのは無神論者に対して神の実在を知らせるために浄霊というものを我々に下さった”ということが根本にあります。その根本を忘れた上での浄霊というものを取り次いでいっていると、神威の発動というものを真に許されるということには繋がっていかないので、ですから今回の御教えというのは、世界救世(きゅうせい)教の大改革をする上では無くてならない御論文であるというふうに受け止めていただいて、一層学びを深めておいていただきたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は、“無神論者に対して神の実在を知らせるために浄霊というものを私達に残して下さったのだ”ということが根本にあるのだということ。
>この根本を忘れた上での浄霊を取り次いでいると、神威の発動というものを真に許されるということには繋がっていかないのだということ。
≫私達は、今回の御教えは世界救世(きゅうせい)教の大改革をする上では無くてならない御論文であるというふうに受け止め学びを一層深めておくのだということ。
「メシヤ講座no.174大阪(平成27年7月分)」より抜粋つづき:
無神論者の業
楳木先生:
そして、この御論文の最後のところに『本教の大神命』と書かれてあります。この『本教の大神命』というのはこういうものであるということですので、この4行というのは 『以上の如く善悪の人間が清算され、善の人間が大多数になった世界こそ、本教で謂う処の地上天国の実相である。右によって分る如く、滅亡の一歩手前に迄来てゐる悪人を悔改めしめ、犠牲者を少なくする其救ひこそ、神の大愛である事を知らせるのが本教の大神命である』 ということですので、このことが本来の私達の御神業であるということを重々分かっておかないと、時代に流されて変貌を遂げて行ってしまうということになります。特に○○さんの親戚関係の人達にこのことを明確に伝えて行くように切にお願いします。
それで、今回の「メシヤ講座・特選集(「メシヤ講座・特選集no.173(平成27年6月分)」へ)の中に宗教評論家がもう名指しをしてます(【宗教評論家からの資料】)。私はあえて○○としなかった。」
受講者:
あれは全部宗教評論家の話なのですか?
楳木先生:
そうです。」
受講者:
代表の話は入ってないのですか?
楳木先生:
入っていないです。私は一切入っていないです。」
受講者:
じゃあ、全部宗教評論家の言葉なのかなぁ?と。
楳木先生:
そうです、あれは全部そうです。○○Aを研究して私に伝えて来た内容なのでね。」
受講者:
昨日来ていた方も、ご主人に話あまりしてないけれど、「また来て」と言われたから、あれを持って行こうかなと思います。すごくそういう論理的なことが好きな方なので、あれを持って話すのが一番分かりやすいかな、と思いまして。
楳木先生:
あれを持って行くのと、今日拝読させていただいた『善悪発生とキリスト教』というのをじっくり読んでもらわないと・・・。」
受講者:
じっくり読んでもらわないと・・・。
楳木先生:
ね、無神論者がやっと有神論者に変わったにもかかわらず、また薬を飲み始めて無神論者に引き返していっているわけなのでね。あれは無神論者のやっていることなのです。表では「明主様」とか「浄霊を」「施術を」とか言って、御神業をやっているように口には出しているけれども、根本から言うと、活動は無神論者がやっていることなのでね。そのことが分からないようになってしまっている人達を救ってあげないといけないわけです。その救う手立ては○○さんにかかっているから、一番繋がりがあるからね。そういうことを最初に確認させていただいていつものように質疑応答に入りたいと思います。よろしくお願いします。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は、この御論文の最後の4行で 『以上の如く善悪の人間が清算され、善の人間が大多数になった世界こそ、本教で謂う処の地上天国の実相である。右によって分る如く、滅亡の一歩手前に迄来てゐる悪人を悔改めしめ、犠牲者を少なくする其救ひこそ、神の大愛である事を知らせるのが本教の大神命である』 と仰っているのだということ。
>この仰っていることが本来の御神業であるのだということを(時代に流されて変貌を遂げて行ってしまわないようにする為にも)私達は重々分かっておかなければならないのだということ。
編集後記
責任者:
今回は、元々は「人間生活そのものが宗教であったのだ」ということを再確認致しました。又、“無神論者に対して神の実在を知らせるために浄霊というものを、メシヤ様は私達に残して下さった”のであり、そのことを忘れて浄霊を取り次いでいると、神威の発動を真に許されるということには繋がっていかないのだ“ということ。更に、現在の状況に見られるような、『滅亡の一歩手前に迄来てゐる悪人を悔改めしめ、犠牲者を少なくする其救ひこそ、神の大愛である事を知らせるのが本教の大神命』なのだということを御教示いただき、それが本来の私達の御神業なのだということを深く認識させていただきました。
この学びを通して私達は、「時代に流されて変貌を遂げてしまわないように」コツコツと御教えを学び、「神の大愛のある事」を知らせ続けて行かなければならないのだと強く思わせていただきました。
蒸し暑い日が続いております。熱中症に気をつけ又、梅雨末期の大雨にも注意してお過ごし下さい。有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。