研鑽資料no.140(2024年8月)

8月の学び

はじめに

責任者:

8月2日東北地方が昨年より11日遅く梅雨明けしました。これで日本全国が梅雨明けしたことになり各地で茹だるような暑さが続いておりますが、皆さまお障りなくお過ごしでしょうか。先日の8月4日、結ノ和五周年記念祭を「結ノ和」として学びをお許しいただいていることに対する大いなる感謝の気持ちを持って執り行わせていただきました。メシヤ講座の中で、楳木先生より学びに付いて「私達信仰者が判っておかなければならないことは、コツコツやる方が後で大きな成果を許されるのです。」ということと、「いくら派手にやったところで、実らないものは実らない。しかしコツコツ積み上げてゆくと、威力を発揮するものなのです。派手ではないけれども、地味に感じることでもコツコツ積み重ねてゆくと、最初は弱々しく映るのだけれども、結果的には勝負に勝ってしまうということです。」ということを御教示いただいておりました。この御教示を常に忘れずこれからも皆様と共にコツコツと研鑽を重ねて参ります。どうぞ引き続き宜しくお願い申し上げます。

それでは、「文明の創造」より学んで参りましょう。

 

メシヤ講座no. 176大阪(平成27年9月)

<今月の御教え>

『天国篇』

「文明の創造、天国篇」昭和27(1952)年

私は科学篇、宗教篇を次々かいて来たが、これから最後の天国篇をかくのである。

しかしこの所論は真の意味における前人未説のものであって、文明世界設計の根幹ともなるものであるから、そのつもりで読んで貰いたいのである。しかし初めてこれを読む人は、現実とあまりに懸け離れた理想論としか思われまいが、決してそうではない。立派な実現性のある事は、読むに従って分かるであろう。抑々(そもそも)、主神の御目的である地上天国を建設する基本条件としては、何よりも大自然の実相そのままを表わす事である。というのはいつも言うごとく、宇宙一切の構成は、日月地が根本となっており、この本質が火水土であるから、この三位一体の力によって、万物は生成され、化育され、世界は無限の発展を遂げつつあるのである。ところが今日までの霊界は、しばしば説くごとく夜であったがため、日は隠れていたのである。つまり月土日の順序となっていた。無論これは正しい順序ではないから、これまでの世界は一切に調和が欠け、紊(みだ)れに乱れて、現在見るがごとき地獄世界を現出したのである。これというのも善と悪についてさきに説いたごとく、善悪の軋轢(あつれき)が必要であったからで、全く深甚(しんじん)なる神意に外ならないのである。その期間中わずかに宗教によって緩和されて来た事もかいたが、全く釈尊の唱えた苦の娑婆と諦めの言葉も、キリストの贖罪と隣人愛もその意味に外ならなかった。

処(ところで)私の唱える夜の世界が、昼の世界に転換するという事であるが、本来宇宙の原則としては、日月地の三段階が正しい順序であるにかかわらず、そうでなかったのは前述のごとき意味であったからで、それが今度いよいよ完全の形となるのである。言わば世界は百八十度の転換であって、実に空前の一大異変である。従って現在の文化形体も一変するのはもちろん、その大綱としては、前述のごとき大自然の形となる以上、一切の機構も三段階になり、分かれて六となり、また分かれて九となる、つまり三六九で、これを縮めればミロクとなる。地上天国一名ミロクの世とはこの事である。ではミロクの世とは具体的にはどのような世界であるかを、順次説いてみよう。

 

『科学篇』の要点

楳木先生:

いよいよ天国篇に入って参りますけれども、(書籍「文明の創造」)358ページ1行目 『私は科学篇、宗教篇を次々書いてきたがこれから最後に天国篇を書くのである。』 というふうに1行目に『科学篇、宗教篇を次々書いてきたが・・・』というふうに、まず冒頭書かれておりますので、頭の中に科学篇とは一体何だったか、それがまとまっているかどうかということを振り返っていただきたいのです。○○さんが今考えていますね。(笑)

科学篇を思い出していただいた時に、メシヤ様が絶えず仰っていることは一体何かというと、『病気というのは放っとけば治る』ということが、一貫された考え方であります。『病気は放っとけば治る』と。これはどういうことかというと『浄化作用』なので、体の中にある悪いものを外に出すために浄化を許されていくわけです。そして起きてくる症状が病気なので、放っておけば治るということであります。そこへ浄霊を取り次ぐとですね、さらに一層良くなっていくわけですが、過去の世界救世(きゅうせい)教が大変残念だったのは、浄霊をいただいて良くなるのですけれども、良くなった後にまた同じような生活をしてしまうために、また体の中の毒素が溜まっていくということが起きてきます。

私も今日は髪型が変わっているのですけれども、髪質が非常に固いので、ドライヤーをかけて整えた後スプレーをかけないといけない。ガスとか一切入っていない、ポンプでスーと出る、そういうスプレーを使っていたのですが、スプレーの中に含まれている・・・やはり無添加ではないことが判明したために、これを代表が使うわけにはいかないということで使わなくなったので、一挙にこうして刈り上げてしまったのです。こうすると楽ではあるのですけれども・・・、結果的に毒を入れてしまうということを極力避けていかないと、メシヤ様からいただいた浄霊を取り次いで、浄霊をいただくことによって体の中から毒素を排泄されるのですけれども、また毒素を加えてしまうという、大変神様に対しては申し訳ない生活をしてしまうので、そういうことに踏み切ったわけであります。

まずは科学篇の中で私達がしっかり腹に入れておかないといけないことは、『放っとけば治る』という考え方であります。それは人体がそのようにできているわけなので、そういうことになっているのだ、と。そこへ浄霊をするとさらに毒素排泄が促進されるので、それで短期間で良くなっていくのだということです。だがしかし、その人その人の体調もありますし、それから体力というのも加わってくるので、それぞれその人その人によって変化の仕方が変わって来るので、一律ではないということであります。やはり自分の代だけ、自分が生まれてから今日までの毒素だけではなくて、然毒というのも加わって来るので、その人その人によっていろんな違いが出て来るということであります。(中略)」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は 『私は科学篇、宗教篇を次々書いてきたがこれから最後に天国篇を書くのである。』 というふうに先ず冒頭に書かれているので、私達は「科学篇とは一体何だったのか?」そして、それが頭の中で纏まっているかどうかということを振り返るのだということ。

◎メシヤ様が「科学篇」で絶えず仰っていること(メシヤ様の一貫された考え方)は、『病気というのは放っとけば治る』ということなのだということ。

>『病気は放っとけば治る』ということはどういうことかというと、

・病気は『浄化作用』なので、体の中にある悪いものを外に出すために浄化を許されていくのだということ。

・そして(「浄化作用」によって)起きてくる症状が「病気」なので、放っておけば治るのだということ。

・その「浄化作用」が起きているところへ浄霊を取り次ぐと、(病気は)一層良くなっていくのだということ。

◎病気は浄霊をいただくと良くなるのだけれども、良くなった後にまた同じような生活をすると再度体の中に毒素が溜まってくるので、毒素を溜めないような生活に改めていくのだということ。

◎「科学篇」の中で私達がしっかり腹に入れておかないといけないことは、『(病気は)放っとけば治る』という考え方なのだということ。

>『(病気は)放っとけば治る』ということは、人体がそのようにできているからなのだということ。

≫そこへ浄霊をすると、さらに毒素排泄が促進されるので、それで短期間で良くなっていくのだということ。

・毒素排泄は、

>人それぞれの体調や体力というのも加わり、その人その人によって変化の仕方が変わって来るので、(毒素排泄の期間は)一律ではないのだということ。

≫自分が生まれてから今日までの毒素だけではなくて、「然毒」というものも加わって来るので、その人その人によっていろんな違いが出て来るのだということ。

 

「メシヤ講座no. 176大阪(平成27年9月分)」より抜粋つづき:

『宗教篇』の要点

楳木先生

それから次に宗教篇というのをメシヤ様は書いて下さっておりますが、宗教篇というのは一体何かということであります。これもやはり自分の中で、ある程度メシヤ様が宗教篇で何を私達に教えて下さっているのかということを頭の中でまとめておいていただきたいというふうに思います。宗教篇で私達が学んだことというのは、3千年前に中国大陸と朝鮮半島から合流した素盞鳴尊と瓊瓊杵尊が山口県の萩市に上陸してですね、そして素盞鳴尊は伊都能売神皇様、当時日本を徳によって統治していた伊都能売神皇様の皇位を狙って圧力をかけて来た。そして瓊瓊杵尊は宮崎県の高千穂に潜んで日本の地で米栽培をどのように定着できるかということと、素盞鳴尊の統治が失敗した時に一挙に自分が統治しようということで待機していたということで、その3千年前の出来事から私達の魂に染み付いているのは、“武力によって圧力をかけていく”ということ、それから“人を脅迫していく”こと、そういうようなものが魂に染み付いていっております。

これがですね、信仰の話を仮に夫婦でしようとしてもですね、御教えに基づいて話すのですけれども、例えば浄化している時に「あなたが一生懸命やってくれないと私の体がどうなってもいいの?」とかいうような言い方をしてしまいます。こうした場合は脅迫しているので素盞鳴尊と同じやり方をしているということになってきます。こういうことが私達の癖として染み付いてきます。それから家の中がうまくいかなかったら、「あんたのせいだ」とか、そういうようなことで相手に責任をなすりつけていってしまう。これは職場でもそうですし、どのような場面でも、“相手を非難することによって事を収めていく”というような、そういう癖が素盞鳴尊からのですね、『夜の時代』になった中で私達の魂に染み付いてきているわけです。この染み付いたものを取っていくというのが、いわば“信仰生活”になってくるわけですね。

先程の毒素の話と一緒で、一番分かりやすいのは酒を飲み過ぎて肝臓を悪くして、こうやって支部に来てお参りに来て、浄霊をいただくと肝臓が良くなっていく。そうすると何故肝臓を悪くしたかと言うと、不純物が入った酒を飲み過ぎたために肝臓を悪くしてしまったので、まず酒の量を減らすということと、その酒の中に添加物が入っているかどうかというのをチェックして無添加のものを選んでいく。そして、しかも原料を作る時にも農薬や化学肥料が入ってないかどうかということをチェックしながら、そういう酒をもう一回たしなむ、しなおすというところまで生活を改めないで生活をしていると、また肝臓を悪くする。そして「また悪いんですよ、お願い致します。」と来てしまう。もうこれはですね、『夜の時代』の癖がそのまま残った状態を繰り返しているだけの話なので、“生活を改めていく”ということに取り組まないといけないわけです。

これが、世界救世(きゅうせい)教の指導体制の中で指導が徹底していなかった。メシヤ様御昇天後の指導が徹底してなかった内容であります。御浄霊によって一回良くなる、良くなるのは教修の時に教えていただいているわけですね。不幸の原因は霊の曇りによります。霊の曇りがあると霊層界が下がってくるので不幸になっていく。それで浄霊をいただくとその曇りがだんだん取り除かれて行くので霊層界が上がって幸せになって行くのですけども、浄霊をいただく前の生活を続けているとまた曇りが発生していきます。そして、また浄霊をいただかないといけない。“曇りを作っては曇りを浄化する浄霊をいただく”という、そういうような生活をずっと続けていると、これはもう“神様を利用しているだけの話”になってきますので、本来は浄霊をいただくことによって浄まっていくのですけれども、こうした場合は『霊が曇ると不幸になる』ということを知っておきながら霊を曇らせて行くという『罪』が発生していくので、こういう生活をしていると不幸になっていく。メシヤ様にせっかく繋がっていても不幸になっていくということが起きてきますので、要は、“霊が浄められたら、次は霊の曇りを発生させない”という生活をしていかないといけないわけなので、霊の曇りを発生させない生活とは一体何かというと、『景行』の中で、メシヤ様がずっと奉仕者とか布教師とかいろんな人と接する中で、その方々がメシヤ様の日常生活や感想とかいろんな思い出を書いておりますけれども、その中からメシヤ様の御日常を見つめて、そして私達の生活も曇らせない生活とは一体どういうことかということを心掛けていただきたいと思います。

せっかく浄霊をいただくことで霊の曇りが解消されても、さらにまた霊の曇りを発生させてしまうという生活を繰り返してしまっているので、そうしたことはこの“三千年来の罪穢れ”というところから私達は学んでいるわけです。それを改善していく生活に取り組まなければいけないということを教えられているわけです。

ですから、それでメシヤ様はまず“挨拶をしなさい、時間を守りなさい、掃除を心掛け整理整頓に取り組みなさい”とかいうことを日常的に教えられているわけですね。それなのに浄霊をいただきつつ、過去の布教所とか県本部の話ですよ、人の噂話をしたり、それからせっかく外で御用をしてきても、帰って来ると「あ~、もう疲れた」とか「今日は暑かったわねぇ」とか不平不満に近い言葉を吐いてしまうというようなことがあると、これは“曇りを発生させる”ということになってきます。実はお世話する側はその点をいつも見つめながらお世話をしていかないといけないのですけれども、お世話する人間もそういうところに気付いて行かないと、曇りを発生させつつ浄霊をいただくという生活になっていくわけですね。

実は今月末、一旦出張から戻ってから沖縄に行くんですけど、沖縄ではどういうことが起きているかと言うと・・・(内外共に厳しい現状がありますので割愛します。)

メシヤ様がこうした最終段階の時に21世紀に地上天国を建設すると、その設計図として書かれたものを十分研鑽してないために起きていることでありますので、なんとかそれを是正できるような方向に持って行きたいと思うのですが、その持って行きたいと思う気持ちが私の中に起きるのは、こうして皆さん方と『文明の創造』を細かく勉強してきたからであります。そういう“今までの御神業を改革していく”という意欲が燃えたぎるというのは、この御教えを拝読するからであります。こういうことをしなければそこまで強い「教団改革」という想いはずっと続いていてもですね、根底から地上天国を建設するあり方をどうしていくかというところまでは、こういう勉強会をしなければ想いが高まったかどうか分からないぐらいこの勉強会は非常に貴いものであったな、と・・・。まさにこの一行読んだだけでも感謝に気持が湧いてくるような、そんな状態です。ですから『文明の創造』を発刊できたことも良かったし、こうして皆さん方と月次祭の度にずっと勉強してきたことが本当に良かったなというふうに思わしていただいて、この一行目を拝読させていただきました。

これから天国篇に入って行くわけですけれども、やはり科学篇、宗教篇を自分の血肉にできるように繰り返し拝読し、“私が貴いと思うところはどこか”ということをまず整理して、それから、その整理したことが“メシヤ様の御心に叶うかどうか”というところに想いをもってやっていただきたいと思います。(中略)地上天国を建設するためには、しっかりとメシヤ様の御教えを拝読して、その御教えに基づいて世の中の動きを見ていって、そして「自分達はどうあるべきか?」ということを自分の中でしっかり整えて、事に処していかなければいけないなというふうに強く思わせていただいておりますので、今日の一行目からそうしたことを確認させていただいて参りたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は 『私は科学篇、宗教篇を次々書いてきたがこれから最後に天国篇を書くのである。』 というふうに先ず冒頭に書かれているので、私達は「宗教篇とは一体何だったのか?」そして、メシヤ様は「宗教篇で何を私達に教えて下さっているのか?」ということを頭の中で纏めておくのだということ。

◎3千年前に中国大陸と朝鮮半島から合流した素盞鳴尊と瓊瓊杵尊が山口県の萩市に上陸したという出来事から、“武力によって圧力をかけていく”ということ、それから“人を脅迫していく”というようなものが私達の魂に染み付いているのだということ。

◎『夜の時代』になった中で素盞鳴尊からの“相手を非難することによって事を収めていく”というような癖が私達の魂に染み付いてきているのだということ。

>この染み付いたものを取っていくというのが、いわば“信仰生活”になってくるのだということ。

≫『夜の時代』の癖がそのまま残った状態を繰り返すのではなく、“生活を改めていく”ということに取り組まないといけないのだということ(これが、メシヤ様御昇天後の徹底していなかった指導の内容なのだということ)。

◎浄霊によって“霊が浄められたら、次は霊の曇りを発生させない”という生活をしていくのだということ。

>霊の曇りを発生させない生活とは一体何か(どうすると良いのか)というと、

例えば 『景行』の中からメシヤ様の御日常を見つめて、そして私達の生活を曇らせない生活とはどうすればいいのかということを心掛けて拝読するのだということ。

≫「三千年来の罪穢れ」というところで、浄霊をいただくことで霊の曇りが解消されても、また霊の曇りを発生させてしまうという生活を繰り返してしまっているのだということを学んだので、霊の曇りを発生させない生活をしていくということに取り組まなければいけないのだということ。

・霊の曇りを発生させない生活態度として、メシヤ様は「挨拶をしなさい、時間を守りなさい、掃除を心掛け整理整頓に取り組みなさい」とかいうことを日常的に教えられているのだということ。

・お世話する側の人が例えば「あ~、もう疲れた」とか「今日は暑かったわねぇ」とか不平不満に近い言葉を吐いてしまうと「曇りを発生させる」ということになるのだということに気付き、曇りを発生させつつ浄霊をいただくという生活にならないように改善していくのだということ。

◎「科学篇」、「宗教篇」を自分の血肉にできるように繰り返し拝読し、“私が貴いと思うところはどこか”ということをまず整理し、その整理したことが“メシヤ様の御心に叶うかどうか”という思いを持って確認するのだということ。

◎地上天国を建設するためには、しっかりとメシヤ様の御教えを拝読し、その御教えに基づいて世の中の動きを見ていき、そして「自分達はどうあるべきか?」ということを自分の中でしっかり整えて、事に処していかなければならないのだということ。

 

「メシヤ講座no. 176大阪(平成27年9月分)」より抜粋つづき:

主神様の大経綸と天国建設

楳木先生:

「メシヤ講座・特選集」の今月号(「メシヤ講座・特選集no.175(平成27年8月分)」)は読んでいただきましたか?今月号でですね、先月大阪支部で一部触れたんですけど、中身についてはですね、主神様の御経綸ということを思った時に先月の一番最後に 『実に神様の御経綸こそ一糸紊れず洵に整然たるものである。』 ということの受け止め方については、もう一歩踏み込んで話をしてなかったのですけれども・・・、恐竜によって地固めをずっとさせ、そして恐竜を絶滅させるためにメキシコのユカタン半島に直径11キロぐらいの隕石をぶつけた。その隕石はどこから飛んできたか?ということを、三重支部の月次祭が終わったぐらいから、もう一度「どこから飛ばしたか?」ということをずっと見つめていっていると、彗星の中で一番近いところはですね、一周するのが3、3年というのがありますので、彗星のスピードで1年半時点ぐらいの向こうから隕石がきたという可能性もありますし、ハレー彗星の場合は周期76年ぐらいですので、彗星のスピードで37~8年時点の向こうから飛んできたという可能性もあるし、もっと言えば太陽系の外で新しい星が生まれた時のそのかけらが飛んできたということがありますけれども、地球上からすると6500万年前恐竜が絶滅するためにはメキシコのユカタン半島にそれぐらい大きい隕石がぶつからなければ恐竜は絶滅しないので、そこへぶつけないといけないのですけれども、地球はご存知のように時速約1700キロで回っておりますので、だいたい秒速400mぐらいで、私達は移動しております。この前、宇宙ステーションに「こうのとり」が荷物を運びましたよね。あの宇宙ステーションは、秒速どれくらいで動いている?」

受講者:

さぁー?

楳木先生:

秒速8キロで動いている。一秒間で8キロ。シューと動いているわけ。そこへ荷物を積んだ「こうのとり」が近づいていってアームで掴んだのです。この作業は凄い精度が必要なわけなのですよね。90分で地球を一周していますので、秒速8キロで動いている。物凄いスピードで動いているところにスーッと近づいて行って捕まえてもらうわけなので、物凄い数学の計算式で、それをやっていかないといけないのですけれど・・・、それを考えただけでも凄いのですけれども、主神様は遥か彼方から何百年か前に隕石を飛ばして時速1700キロで回っている地球のメキシコにぶつけなければいけないのです。そのためには、何百年間分の計算をされているわけですので、たとえばスピードや角度ですね。地球の大気圏に入ってくる時には真っ直ぐ入ってくると隕石は燃えて小さくなってしまって恐竜を絶滅させることはできないので、角度の計算が必要なので、しかもその角度は地軸、この地軸は23.4度傾いていますので、こうしながら回ってるわけなので、そういうものを総て計算して、メキシコのそこに当てないといけないわけですね。その角度と入ってくる時の速度の計算などは、大学の宇宙工学のコースにいって計算の仕方をずーっと勉強していくのですが、たとえば、隕石などが木星の側を通る時には、引力によって方向が曲がるので、木星と火星の位置を計算して引力で引っ張られた場合、方向が何度ずれるとか計算して100年前に発射させないといけない。などといったことを計算するわけですので、主神様が投げたということは、少なくとも現在の私達の学問に当てはめていくとそれだけの数学式を持って隕石を飛ばさないといけないということが分かることなのです。そうしたことが分かった上で『実に神様の御経綸こそ、一糸紊れず洵に整然たるものである』というところを拝読した時、私達は、今の時代にこれだけ科学が発展したからこそこの文章が実感として分かるようになったと言えるかと思います。

メシヤ様の時代はそこまで科学が発展してなかったので、これを実感するというのは中々難しかったと思うのですけれども、メシヤ様はすでに21世紀を見つめて書いておられますので、科学の発展が進んだところでこの一文を理解できるというふうにして書かれていると拝察できます。そのことを理解できる人間が揃わない限り地上天国は建設できないということですので、そうしたふうに受け止めていただきたいと思います。

それからネアンデルタール人の話をしましたけれども、ネアンデルタール人が70万年前にこの地球に誕生してですね、そして3万年前に絶滅しております。一方、ホモサピエンスの系統は、今日我々に受け継がれてずっと生きているわけなのですけども、70万年前はネアンデルタール人の方がホモサピエンス系よりも優秀だったようです。しかし言語を磨かなかったために、狩猟の技術とかを伝承することができなかったのですけれども、ホモサピエンスの方は言語を磨いてきたので伝承を上手くしてですね、そして文化の根っこを作ることができた。そして3万年前にですね、主神様はそれを見てホモサピエンス系とネアンデルタール人系をどっちを地球に残すかと判断された時に、ネアンデルタール人を絶滅させたということですので、そのことを考えた時に、先々月拝読をしたですね、352ページの5行目 『以上説いた如く、文化の進むに従って、必要であったものも不必要となり自然淘汰されるとしたら、最後に至って人間と雖も自然の法則から免れる事は出来ないのは勿論である。としたら人間に対するそれは何かといふと、勿論人間に内在する悪である。曩に述べた如く今後の時代は、悪は有害無益の存在となる以上、悪人は淘汰されて了ふのは当然の帰結である。』 と。この文章もネアンデルタール人が絶滅したということに照らして考えれば、この自然淘汰は必ずあるということですので、その事を知らせるために実は浄霊があるという、この浄霊観がそこまでいかない限り、当然浄霊も不必要なものになってきますので、そこまでやらなければ浄霊力は弱まってくるということになってきます。

ですから、達は、先月と先々月と拝読したですね、神の実在を認めさせるために浄霊力を授けられたのだということと、東西文化それぞれ偏った文化では、この地球上からですねこの不幸を消すことはできないので、東西をまとめていく、結んでいくために浄霊の行使があるのだという・・・御教えを拝読すると、私達が日々いただいている浄霊は、そういうところまで高まった浄霊をしていかなければ不必要に、浄霊力が不必要になるということであります。ですから浄霊をいただく時、先月学んだようにですね、自分が応変自在にどんな問題でも対応できるような人間になっているかどうか、心がいつも自由無碍であるか、そうしたことを考えた時に“いやいやまだ私はこだわりがあるなぁ~”とか、“どんなことでも対応できないなぁ~”と思った時は、そういうことができるために自己浄霊を実はいただくのだと、そういう浄霊をですね日々していく。自分達が高まっていかない限りメシヤ様から許されているこの『霊の行使』はですね、薄れていってしまうということを、この3ケ月の学びでしっかり肚に入れておいていただけると大変有り難いと思いますので、そうした事を確認させていただきながら、天国篇を読み進めてまいりたいと思いますのでよろしくお願いしたいと思います。

それではいつものように質疑応答に入りたいと思いますのでよろしくお願いしたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様はすでに21世紀を見つめて「文明の創造」を書いておられるので、科学の発展が進んだところでこの一文(『実に神様の御経綸こそ、一糸紊れず洵に整然たるものである』)を理解できるというふうにして書かれていると拝察できるので、『実に神様の御経綸こそ、一糸紊れず洵に整然たるものである』ということを理解できる人間が揃わない限り地上天国は建設できないのだというふうに受け止めるのだということ。

◎先々月拝読した御教え『善悪発生とキリスト教』の中の『以上説いた如く、文化の進むに従って、必要であったものも不必要となり自然淘汰されるとしたら、最後に至って人間と雖も自然の法則から免れる事は出来ないのは勿論である。としたら人間に対するそれは何かといふと、勿論人間に内在する悪である。曩に述べた如く今後の時代は、悪は有害無益の存在となる以上、悪人は淘汰されて了ふのは当然の帰結である。』 という文章も、ネアンデルタール人が絶滅したということに照らして考えれば、この自然淘汰は必ずあるのだということ。

>「自然淘汰は必ずあるのだということを知らせるために実は浄霊があるのだ」という浄霊観までいかない限り、当然浄霊も不必要なものになり、浄霊力も弱まってくるということになるのだということ。

◎御教え『善悪発生とキリスト教』と『経と緯』で学んだように、私達は神の実在を認めさせるために浄霊力を授けられたのであり、その浄霊の行使は東西文化それぞれ偏った文化では、この地球上から不幸を消すことはできないので東西をまとめ結んでいくためにあるのだということ。

>私達が日々いただいている浄霊は、前記にあるように高まった(想念で)浄霊をしていかなければ不必要になるのだということ。

≫自分を高めるためには、

・「自分は、応変自在にどんな問題でも対応できるような人間になっているのだろうか?」、「自分の心はいつも自由無碍であるかのか?」を確認するのだということ。

・確認した上で、「いやいやまだ私はこだわりがあり、どんな問題にも対応できないなぁ~。」と思った時には、そういうことができるようになるために自己浄霊いただく(このような自分を高める浄霊を日々していく)のだということ。

◎私達は、「自分が高まっていかない限り、メシヤ様から許されているこの『霊の行使(浄霊力)』は薄れていってしまうのだ。」ということをしっかり肚に入れておくのだということ。

 

「メシヤ講座no. 176大阪(平成27年9月分)」より抜粋つづき:

合理と浄化

楳木先生:

眉間にしわを寄せているね。」

受講者:

いやいや、ちょっとね、浄霊は神を知らせるためであると分かっていたつもりでしたが・・・。昨日も電話で話していたんですけどもね。「浄霊は神を知らせるためのものだけど、○○Aは病気直しになっているよ」と話してて、彼女は頭にいつも熱があるんですよね。「いや私たち神を信じているけどね」と言われて、うーんと思ってね。いつも頭が結構赤くて熱があるんですよね。「○○Aと今違うことと悩んでいるからじゃないのー」と前にも言ってた人で、彼女はすぐに浄霊をする人は御守護いただいて、新しい人はみんないただいているんですね。昨日そういう話をして、また、私はちゃんと答えれなかったんですけどね(笑)

楳木先生:

笑い事じゃない。」

受講者:

やっぱり分かってないんだなぁーと思って(笑)

楳木先生:

笑い事じゃない。」

受講者:

はい。

楳木先生:

初心者は御守護いただくわけ。だけど「熟練者が御守護いただきにくいということは、浄霊のレベルが上がらないと御守護いただけないからだ。」と。

受講者:

彼女は、新しい方に取り次いだ回数は御守護いただくじゃないですか、ですけど自分の浄化が良くなっていくためには。だから信仰しているものが・・。

楳木先生:

だから「私は神様を信じています」と浄霊をいただいた人が神様を信じるというところにお世話をしていかないといけないわけ。「良かったね~」で終わっているとダメなわけ。」

受講者:

今の○○A会員だと神様を出さないんでね。結局、病気治しの浄霊になってる。彼女も「そうだね」とそう思っている。

楳木先生:

「そうだね。」と言いながらやってないので、頭が浄化するわけなんで・・・。」

受講者:

そうなんかな~前から。

楳木先生:

前からでしょ、○○A活動しているんだから。ずーとそうなんだよ。○○A活動と言ってももう約30年前に教団が割れているわけなんで、その前に一元化があって、その後○○Aができてきているわけなんで、もうその辺から・・・。」

受講者:

もうずーと違うことしているから浄化しているわけなんですね。

楳木先生:

そうそう。」

(中文割愛)

支部長代理:

私が昔、○○之光にいた時に、浄霊した相手が奇蹟をただいて、それで神様の話とか・・具体的にはメシヤ様の願い、「なんで浄霊というのを創られたか?」とかいう話をしても、どこまでも病気治しというのがあるんで、最初そういう話を仕掛けると、「一体、どこを急所としてやったんですか?」という質問が多かったんですね。そのうちにその人もですね、「こういうふうな想念で浄霊してご覧」ということで他の人にしていた時に、そういう今までにない御守護を、奇蹟をいただいてですね、その他人の奇蹟を見て、やっぱり、当時は明主様でしたけど、「明主様は素晴らしいお方ですね」ということで、そこから、そういう奇蹟を通してもう一度、昔習ったことをですね、「メシヤ様の御意志はどういうものか?」ということで、御教えを紐解く・・興味を持ってですね、読まれるようになって、御守護いただく人は一層御守護をいただいていくというふうにはなりましたけどね。しかし・・。その点、□□さんは御教えをほっといても自分で読みたいということで(笑)、御教え全集を求められて、・・詳しくはよく知らないですけども、大変浄化をいただいたそうですね?

楳木先生:

ほー、直に聴きたいですね。」

受講者:

体調が逆に落ちてきて疲れやすい、尿が大量に出るんです。

楳木せ:

あーそうですか。」

受講者:

○○さんに言ったら、「浄化を許されている」っていうことを聞いて安心するんです。

楳木先生:

尿の量が増えたということですか?回数が?」

受講者:

回数と量もどっちもです。

楳木先生:

素晴らしいことですね。」

受講者:

そうですか。一般論で「糖尿かな?」とか心配したんですが、○○さんによく聞いていただいて、「いいことですよ」と教えていただいて。

楳木先生:

教えを読むようになってから変化してきたんでしょ?」

受講者:

そう、その頃からです。

楳木先生:

そうでしょう。」

受講者:

勉強会したんですよ。○○さん家で、○○さんと二人でしてたんですけども、今度○○さんと、○○さんが足が痛くて来れないというので、勉強会で仏壇の話をしていたんですよ。「やっぱりよく考えたら自分の家にも仏壇を祀りたいと思うんだけど、どうしたらいいかな?」って考え方が変わられて、その帰りからよく出るようになった気がするんですけどもね。世間からいうと、体調がちょっとあれなんですけどもね。浄化だったらね、いずれ治るんでしょうけども・・。

楳木先生:

うん。尿はいっぱい出た方がいいですので。」

受講者:

一時間ごとにね、夜中にも起きて行ってしまうので・・・。

楳木先生:

ですから、御教えを拝読しながら、腎臓の浄霊を一層して下さい。そうすると悪いものが全部出ていくのでね。

支部長代理:

世界のお医者さんで、「病気の原因」というのを病理学的に疫学的に勉強したり、そういう経験のあるお医者さんはたちはですね、「みんな結局は血の病気である」と。「血から全ての病気が作られている」と。体にすでに入っているウイルスもそうですけども(本当は良い働きであるが、免疫学上の話)、いろんな悪いものが血液の中に入っていって、そういうものがずっとあると免疫力をますます低下させていって、外に出すことができないと。その結果腎不全とかですね、肝臓の方がおかしくなっていくと。ですから薬なんか入れるとですね、原因そのものを入れているわけですので、当然免疫力が落ちるというのが、これが一般的な医学常識だったわけなんですけども、そういったことを、本当にものが解ったお医者さん達はですね、整理していって、「結局は血液を綺麗にすることである」と、「これしか方法がない」と。腎臓から悪いものを出していくということですね。運動したり、汗として出していったり、そういうことをやはり言っていますので、○○さんがジャージャー出るということは、ものの分かったお医者さんからすればですね、「大変結構な話ですね」ということになりますね。

楳木先生:

そうですね。昔O-157ってあったでしょ?」

受講者:

はい。

楳木先生:

O-157で死んだ人は、どうして死んだかって聞いたことあるでしょ?」

受講者:

それで薬のことが逆に飲んだらだめって。

楳木先生:

O-157は抗生物質を入れた人が死んだわけです、腎臓が動かなくなって。○○さんの場合は腎臓が活発に動いているわけなんで、それで尿を作って、外へ出していっているわけですのでね。こんな素晴らしいことはないと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎浄霊を受け始めたばかりの人は直ぐに御守護いただけるが、熟練者(が御守護いただきにくいということ)は、浄霊のレベルを上げていかないと御守護いただけないのだということ。

◎御教えを拝読すると浄化を許されていくのだということ。

 

「メシヤ講座no. 176大阪(平成27年9月分)」より抜粋つづき:

浄霊と生活改善

楳木先生:

後、○○さんは足が痛いのね?」

受講者:

ちょっと。

楳木先生:

ちっと細くなったね、顔が。」

受講者:

気のせい(笑)

一同:

(笑)

楳木先生:

私の目のせいかな?(笑)顔がね、少し締ってる。それ、もうちょっと締めて下さい。この辺りを。私も人の事言えんけど(笑)、私も締めているんだけども。」

受講者:

体重が落ちると、痰が少なくなって痛みも少なくなるのは分かってても、その痛みはすぐに取りたいけど、痩せるのはすぐに痩せれないから・・。食べることが好きっていうか・・・。

楳木先生:

その痛みが消えたら、痩せますか?」

受講者:

あー。

楳木先生:

痩せないでしょ?だから御守護いただいているわけ。この痛みが続いているということは、“自分はこのまま老後を迎えると大変なことになるので、この時期に痩せないといけない”というのを体の方が発信してくれているので、この痛みが消えたら実はもっと太ってしまう。

受講者:

○○さんにも言われましたけど、今だから、この先もっと酷くなったらもっとね、あれになるだろうし・・・。

楳木先生:

そうです。だから、痛みに感謝して、痩せていかないといけない。」

受講者:

感謝できないです。痛い時は、辛くて辛くて。外出が好きで、出れなくなったってことがすごく辛くって。皆さんの痛いのがすごく分かるようになって、自分が大変になって初めて本当のその人の気持ちが分かるっていうのは身をもって分かりました。で“自分がもし治ったら治るようにしてあげたいな”というのは自分ではあるんですけど。

楳木先生:

是非ですね。この“治る”とかいう考え方を少し・・・。」

受講者:

駄目なんですね。

楳木先生:

うん。治るんではなくて、“浄化が終了する”ということです。今は、浄化をしつつ自分の体を整えていかないといけないので、この痛みが出ている間に体を絞ってですね、そして老後に備える体型を作って・・・この時期に作っていくんだ、と。それができれば自然と痛みが取れていきますので、まぁ、浄霊と自分の体の改善に取り組んでいけば、そういうものは良くなっていくので、今はそういう時期だと。外に出たいのでしょうけど、その点は少し控えておいて、体が健全になればですね、大いに出ていけばいいので、今はそういう時期を迎えているのだということで、私と対抗して体重を下げるように(笑)。実は私も今ドンドン体重を下げておりますので、でもこれは、一か月、二か月で下げてしまうと体が壊れるので、一年計画ぐらいで下げていかないと。しかも、こうして毎月動かないといけないので、急激に10キロとか下げてしまうとですね、動けなくなるので。だから一年かけて10キロぐらい痩せるように計画を練って、・・いま四か月ぐらいになるんですけども、来年にはお互いに「良かったねー」と(笑)。」

(後文割愛)

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎例えば、ここでの足の痛みが続いている事等は、身体が痩せないといけないのだというサインをだしているのだということ。

>御守護をいただいているのだということ。

◎浄化は“治るのではなく終了する”のだということ。

 

編集後記

責任者:

今回は、今迄学んできた「文明の創造」科学篇と宗教篇の要点を復習しました。科学篇の要点としてメシヤ様は一貫して『病気は放っとけば治る』と仰っているということ。そしてその放っといているところに浄霊をすると、さらに毒素排泄が促進されるので、それで短期間で病気は良くなっていくのだということを再確認致しました。宗教篇の要点としては、3千年前に中国大陸と朝鮮半島から合流した素盞鳴尊と瓊瓊杵尊が山口県の萩市に上陸したという出来事から、“武力によって圧力をかけていく”ということ、それから“人を脅迫していく”というような魂の癖が私達に染み付いているので、『夜の時代』の癖がそのまま残った状態を繰り返すのではなく、“生活を改めていく”ということに取り組まないといけないのだということを御教示いただきました。自分の想念を高めていく為に、御教えに照らし合わせ「自分には何が欠けているのか?」を確認し、その欠けている部分に光をいただけるような浄霊をいただいきながら8月を過ごしたいと思います。

当分厳しい暑さが続きそうです。冷房に入ったり出たりで体調管理が難しいですが、くれぐれもご自愛くださいませ。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.176大阪(平成27年9月分)

 

 

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