11月に向けての学び
はじめに
責任者:
木々の色づきに秋の深まりを感じる頃となりましたが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。先週の10月18日、清々しく感じられる秋晴れの北海道定山渓で、「メシヤ様御描画伊都能売観音様入仏八十九周年記念大祭」を粛々と執り行わせていただきました。観音様の御前では、「私達がメシヤ様からいただいている、〝世界中の人々をメシヤ様の御教えに帰一させる為の結びの役割〟を継続し務めさせていただきます。」という強い想いのもと、主神様、メシヤ様へ祈りを捧げさせていただきました旨をご報告申し上げます。それでは、「文明の創造」を学んで参りましょう。
「メシヤ講座no.122大阪(平成23年3月分)」より抜粋:
<今月の御教え>
『既成文化の謬点』
「文明の創造、総篇」昭和27(1952)年
此(この)著は序文にもある通り、現代文明に対する原子爆弾といってもよからう。そうして既成文明の根幹となってゐる宗教も、思想も、哲学も、教育も、科学も、芸術も悉(ことごと)く包含されてをり、其(その)一々に就(つい)て鋭い眼を以て、徹底的に批判し究明し、赤裸々に露呈してあるから、之を読むとしたら何人と雖(いえど)も古い衣を脱ぎ棄(す)て、新しき衣と着更(きが)へざるを得ないであらう。
此(この)意味に於て本著が人々の眼を覚ますとしたら、茲(ここ)に既成文明は一大センセーションを捲(まき)起し、百八十度の転換となるのは必然であり、此(この)著完成の暁は全世界の宗教界、各大学、学界、言論界、著名人等に適当な方法を以て配布すると共に、ノーベル賞審査委員会にも出すつもりであるが、只(ただ)惜しむらくは同審査委員諸氏は、唯物科学の権威であるから、初めから理解する事は困難であらうが、此(この)著の説く処科学の根本をも明示してあり、悉(ことごと)くが不滅の真理である以上、充分検討されるとしたら、理解されない筈(はず)はないと思うのである。
之に就(つい)て重要な事は、今日迄の学者の頭脳である。それは彼等は宗教と科学とを別々のものとして扱って来た事で、此(この)考へ方こそ大きな誤りであったので、それを根本から解明するのが此(この)著の目的である。
そうして地球上に於ける森羅万象一切は、相反する二様のものから形成されてゐる。それは陰陽、明暗、表裏、霊体といふやうになってゐる。処が今日迄の学問は体の面のみを認めて、霊の面を全然無視してゐた事である。といふのは霊は目に見えず、機械でも測定出来なかったからでもあるが、其(その)為学問では今日迄地球の外部は、只(ただ)空気と電気だけの存在しか分ってゐなかったのである。
処が私はそれ以外確実に存在してゐる霊気なるものを発見したのである。之に就(つい)ては先づ地球上の空間の実態からかいてみるが、それは斯(こ)うである。即ち前記の如く霊気(火)空気(水)の二原素が密合し、一元化した気体のやうなものが、固体である地塊(土壌)を包んでをり、此(この)三原素が合体して、宇宙の中心に位置してゐるので、之が吾々の住んでゐる世界及び周囲の状態である。
処が科学は右の空気と土壌のみを認めて、霊を認めなかったが為、空気と土壌の二原素のみを対象として研究し進歩して来たのであるから、言はば三分の二だけの科学で全体ではなかったのである。此(この)根本的欠陥の為如何に進歩発達したといっても、三位一体的真理に外れてゐる以上、現在の如き学理と実際とが常に矛盾してゐたのであるから、此(この)欠陥を発見し是正しない限り、真の文明世界は生れる筈(はず)はないのである。
そうして右三者の関係を一層詳しくかいてみると、経(たて)には霊、空、地の順序となってをり、彼(か)の日月地の位置がよくそれを示してゐると共に、緯(よこ)即ち平面的には三者密合し重り合ひ、距離は絶対なく、渾然(こんぜん)と一丸になって中空に浮んでゐるのが地球である。
勿論三者夫々(それぞれ)の性能と運動状態は異ってゐる。即ち火は経(たて)に燃え、水は緯(よこ)に流れ地は不動体となってゐるが、之は絶対ではなく、呼吸運動による動体中の不動体である。
そうして経(たて)と緯(よこ)とは超微粒子の綾状的気流となって、地球を中心として貫流し、運動してゐるのである。そうして此(この)気流なるものは空(くう)の如く無の如くである為、現在の学問程度では到底把握出来ないのである。
然(しか)るに意外にも此(この)気体其(その)ものこそ、実は一切万有の力の根原であって、其(その)本質に至っては実に幽幻霊妙想像に絶するものである。仏者のいふ覚者とは此(この)一部を知り得た人間を言ったもので、それ以上になった者が大覚者であり、一層徹底した大覚者が見真実の境地に到達したのである。
釈迦、キリストは此(この)部類に属するのであるが、只併(ただしか)し此(この)二聖者は時期尚早の為、或(ある)程度以上の力を附与されなかった事である。それが為救世的力の不足はどうしやうもなかった。其(その)証拠として両聖者は固より、其(その)流れを汲んだ幾多覚者達の努力によっても、今以て人類の苦悩は解決されないに見て明かである。
処が愈々(いよいよ)天の時来って絶対力を与へられ、其(その)行使による人類救済の大使命を帯びて出顕したのが私である以上、私によって真理の深奥を説き、人類最後の救ひを実行すると共に、新文明世界設計に就(つい)ての指導的役割をも併せ行ふのであるから、実に全人類に対する空前絶後の一大福音(ふくいん)である。
茲(ここ)で話は戻るが、前記の如き物質偏重の文化を見真実の眼を以て、大局から検討してみる時、意外にもそれによって今日の如き絢爛(けんらん)たる文化が発生し、進歩しつつあったのであるから、此(この)矛盾こそ実に神秘極まるものであって、之こそ神の経綸に外ならないのである。之を一言にしていえば、現在迄の文明は前記の如く体的面は成功したが、霊的面は失敗した事である。では何が故(ゆえ)に神は最初から失敗のない完全な文明を創造されなかったかといふと、此(この)疑問こそ此著を順次精読するに従ひ、初めて判然と理解されるのである。
※責任者より:
「メシヤ講座no.122大阪(平成23年3月分)」には、御教え『既成文化の謬点』の解説がありません。そのため、今回の研鑽資料は、下記のように「メシヤ講座no.123大阪(平成23年4月分)」を続けさせていただきます。
「メシヤ講座no.123大阪(平成23年4月分)」より抜粋:
<今月の御教え>
『天国建設の順序と悪の追放』
「文明の創造、総篇」昭和27(1952)年
そもそもこの世界を天国化するについては、一つの根本条件がある。それは何かというと、現在大部分の人類が心中深く蔵(かく)されている悪の追放である。それについて不可解な事には、一般人の常識からいっても悪を不可とし、悪に触れる事を避けるのはもちろん、倫理、道徳等を作って悪を戒め、教育もこれ を主眼としており、宗教においても善を勧め、悪を排斥している。その他社会いずれの方面を見ても、親が子を、夫は妻を、妻は夫を、主人は部下の悪を咎(とが)め戒めている。法律もまた刑罰をもって悪を犯さぬようにしている等、これ程の努力を払っているにかかわらず、事実世界は善人より悪人の方が多く、厳密に言えば十人中九人までが、大なり小なりの悪人で、善人は一人あるかなしかというのが現実であろう。
しかしながら単に悪人といっても、それには大中小様々な種類がある。例えば一は心からの悪、すなわち意識的に行う悪、二は知らず識らず無意識に行う悪、 三は無智ゆえの悪、四は悪を善と信じて行う悪等である。これらについて簡単に説明してみるとこうであろう。一は論外で説明の要はないが、二は一番多い一般的のものであり、三は民族的には野蛮人、個人的には白痴、狂人、児童等であるから問題とはならないが、四に至っては悪を善と信じて行う以上正々堂々としてしかも熱烈であるから、その害毒も大きい訳である。これについては最後に詳しくかく事として、次に善から見た悪の世界観をかいてみよう。
前記のごとく現在の世界を大観すると、全く悪の世界といってもいい程で、何よりも昔から善人が悪人に苦しめられる例は幾らでも聞くが、悪人が善人に苦しめられる話は聞いた事がない。このように悪人には味方が多く、善人には味方が少ないので、悪人は法網を潜り、堂々世の中を横行濶歩するに反し、善人は小さくなって戦々兢々としているのが社会の姿である。このように弱者である善人は、強者である悪人から常に虐げられ、苦しめられるので、この不合理に反抗して生まれたのが彼の民主主義であるから、これも自然発生のものである。ところが日本においては長い間の封建思想のため、弱肉強食社会が続いて来たのであるが、幸いにも外国の力を借りて、今日のごとく民主主義となったので、自然発生と言うよりも、自然の結果といった方がよかろう。というようにこの一事だけ は、珍らしくも悪に対して善が勝利を得た例である。しかし外国と異って日本は今のところ生温い民主主義で、まだまだ色々な面に封建の滓(かす)が残っていると見るのは私ばかりではあるまい。
ここで悪と文化の関係について書いてみるが、そもそも文化なるものの発生原理はどこにあったかというと、根本は善悪の闘争である。それは古(いにし)え の野蛮未開時代からの歴史を見れば分る通り、最初強者が弱者を苦しめ、自由を奪い、掠奪殺人等ほしいままに振舞う結果、弱者にあってはそれを防止せんとして種々の防禦法を考えた。武器は固より垣を作り、備えをし、交通を便にする等、集団的にも個人的にも、あらゆる工夫を凝らしたのであって、この事がいかに文化を進めるに役立ったかは言うまでもない。それから漸次進んで人智は発達し、文字のごときものも生まれ、集団的契約を結ぶようになった。が、今日の国際条約の嚆矢(こうし)であろう。なお社会的には悪を制圧するに法や罰則を作り、これが条文化したものが今日の法律であろう。ところが現実はそんな生易しい事では、人間から悪を除く事は到底出来なかった。むしろ人智の進むにつれて悪の手段が益々巧妙になるばかりである。というように人類は原始時代から悪の横行とそれを防止する善との闘争は絶える事なく今日に至ったのである。しかしそれによっていかに人智が進み文化が発達したかは知る通りであってそのための犠牲もまた少なくなかったのはまた止むを得ないというべく、とにかく現在までは善悪闘争時代が続いて来たのである。ところがそれら善人の悩みを幾分でも緩和すべく、時々現れたのが彼の宗教的偉人で、その教えの建前としては物欲を制限し、諦観思想を本位とし、従順を諭(おし)えると共に、将来に希望をもたせるべく地上天国、ミロクの世等の理想世界実現を予言したのである。また一方悪に対しては極力因果の理を説き、速かに悔い改めるべく戒めたのはもちろんで、それがため幾多の苦難に遭い、血の滲むような暴圧に堪えつつ教えを弘通(ぐつう)した事蹟は、涙なくしては読まれないものがある。なるほどこれによって相当の効果は挙げたが、しかし大勢はどうする事も出来なかった。また反対側である無神主義者の方でも学問を作り、唯物的方法をもって悪による災害を防ごうとして努力した。その結果科学は益々進歩し、文化は予期以上の成果を挙げたのである。しかるに一方思わざる障碍が生まれたというのは、右のごとく進歩した科学を悪の方でも利用するようになった事である。
まず戦争を見ても判る通り、兵器は益々進歩すると共に、すべてが大規模になりつつある結果生まれたのが彼の原子爆弾である。これこそ全く夢想だもしなかった恐怖の結晶であるから、この発見を知った誰もは、いよいよ戦争終焉(しゅうえん)の時が来たと喜んだのも束の間、これを悪の方でも利用する危険が生じて来たので、不安はむしろ増大したといってもいい。とはいうものの結局戦争不可能の時代の接近した事も確かであろう。これらを深く考えてみる時結局悪が戦争を作り、悪が戦争を終結させるという奇妙な結果となったのである。こう見てくると、善も悪も全く深遠なる神の経綸に外ならなかった事はよく窺われる。 そうして精神文化の側にある人も、物質文化の側にある人も、心からの悪人は別とし、共に平和幸福なる理想世界を念願しているのは言うまでもないが、ただ問題は果してその実現の可能性がありやという事と、ありとすればその時期である。ところがそれらについての何らの見通しもつかないため、人類の悩みは深くなるばかりである。そこで心ある者は怪疑の雲に閉ざされつつ、突き当たった壁を見詰めているばかりであるし、中には宗教に求める者、哲学でこの謎を解こうとする者などもあるが、大部分は科学の進歩によってのみ達成するものと信じ努力しているが、これも確実な期待は得られそうもないので、行き詰り状態になっている。ところが現実を見れば人類は相変らず病貧争の三大災厄の中に喘ぎ苦しみながら日々を送っている。ところがこれら一切の根本を神示によって知り得た私は、あらゆる文化の誤謬を是正すべく解説するのである。
前記のごとく悪なるものが、人間の不幸を作るとしたら、神はなぜ悪を作られたかという疑問である。しかしこのような不可解極まる難問題は、到底人智では窺い知る由もないから、諦めるより致し方ないとして、宗教は固よりいかなる学問も、今日までこれに触れなかったのであろう。しかし何といってもこれが明らかにならない限り、真の文明は成立されるはずはないのである。そこでこれからその根本義を開示してみるが、実は現在までの世界においては悪の存在が必要であったので、この事こそ今日までの世界の謎でしかなかったのである。そうして悪の中で最も人間の脅威とされていたものは、何といっても生命の問題としての戦争と病気の二大災厄であろう。そこでまず戦争からかいてみるが、戦争が多数の人命を奪い、悲惨極まるものであるのは今更言うまでもないが、この災厄から免れようとして、人間はあらん限りの知能を絞り努力を払って来た事によって、思いもつかない文化の発達は促進されたのである。見よ勝った国でも負けた国でも、戦争後の目覚ましい発展振りはいかなる国でも例外はあるまい。仮にもし最初から戦争がないとしたら、文化は今もって未開のままか、さもなくば僅かの進歩しか見られなかったであろう。そのようにして戦争と平和は糾(あざな)える縄のごとくにして、一歩一歩進んで来たのが現在までの文化の推移である。これがまた社会事情にも人間の運命にも共通しているところに面白味がある。これによってこれをみれば善悪の摩擦相剋(そうこく)こそ、実は進歩の段階である。
こうみてくると、今日までは悪も大きな役割をして来た訳になる。といっても悪の期間は無限ではなく限度がある。それは世界の主宰者たる主神の意図であり、哲学的に言えば絶対者とそうして宇宙意思である。すなわちキリストが予言された世界の終末であり、そうして次に来るべき時代こそ、人類待望の天国世界であり、病貧争絶無の真善美の世界、ミロクの世等名は異なるが意味は一つで、帰するところ善の勝った世界である。このような素晴しい世界を造るとしたら、それ相応の準備が必要である。準備とは精神物質共に、右の世界を形成するに足るだけの条件の揃う事である。ところが神はその順序として物質面を先にされたのである。というのは精神面の方は時を要せず、一挙に引上げられるからで、それに反し物質面の方はそう容易ではない。非常に歳月を要すると共に、そのためには何よりも神の実在を無視させる事である。これによって人間の想念は自然物質面に向く。ここに無神論が生まれたのである。ゆえに無神論こそ実は悪を作るための必要な思想であったのである。かくして悪が生まれ、漸次勢力を得て善を苦しめ争闘を起し、人類をして苦悩のドン底に陥らしめたので、人間は這上ろうとして足掻(あが)くのはもちろん、発奮努力によって苦境から脱れようとした。それが文化発展に拍車を掛けたのであるから、悲惨ではあるが止むを得なかったのである。
以上によって善悪についての根本義は大体分ったであろうが、いよいよここに悪追放の時が来たので、それは善悪切替の境目であるから、悪にとっては容易ならぬ事態となったのである。右は臆測でも希望でも推理でもない。世界経綸の神のプログラムの現れであるから、信ずると信ぜざるとにかかわらず、右は人類の決定的運命であって、悪の輪止(りんどま)りであり、悪が自由にして来た文化は、一転して善の手に帰する事となり、ここに地上天国樹立の段階に入ったのである。
楳木先生:
皆さんよく咳が出ますね。」
受講者:
すごい・・頭を中心にお光が入っているんでしょうかね。すごく感じるんですね。結局頭から出てるんですかね。
楳木先生:
頭の解ける場所によって、頭から、肺、胃、腸へ下っていくのです。」
受講者:
そうですね。
楳木先生:
最近ちょっとおとなしかったですからね。一気に出していただいてね。」
受講者:
はい、ありがとうございます。
楳木先生:
浄霊いただく頻度はどう?先月と?」
受講者:
あまり変わらないですね。
楳木先生:
自己浄霊は?」
受講者:
自己浄霊はほぼ毎日いただいております。
楳木先生:
あっそうですか。さあ、じゃあ、この項目を拝読して何か強く感じたところとか・・、○○さん、風邪気味?」
受講者:
はい。ようやくご浄化いただいて。
受講者:
何年ぶりかの浄化で。
楳木先生:
あっそう、何年ぶり?」
受講者:
2、3年ぶりかな。前ひいたときは、結構長く半年くらいひいてまして。
受講者:
ずっとご浄化をいただきたいと言ってたんでね。
楳木先生:
それで、実現したわけ。」
受講者:
初日は喜んでメールしてくれましたけど。
受講者
御浄霊いただいたら、急に風邪になっちゃいまして、この次の週もひいてました。去年、一昨年ぐらいから自己浄霊させていただくようになってから、あまり風邪ひかないようになったんですよ。前は2、3日御浄霊が途切れると、風邪気味になっておりました。やっぱり自己浄霊いただくと違うなと感じております。年いったせいか、なかなか根本的には、なかなか毒素排泄がスムーズにされないですが。
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎頭にある毒素は、頭の解ける場所によって、頭から肺や胃や腸へ下っていくのだということ。
「メシヤ講座no.123大阪(平成23年4月分)」より抜粋つづき:
殿様宗教 「図が高いぞ!控よろ~、愚民よ」
楳木先生
『文明の創造』はどうですか。」
受講者:
すごい難しいですが、その将来の地上天国が出来ていく設計の書ということを教えていただいてから、そういう気持ちで読ませていただくと、すーと入ってくるようになりました。メシヤ講座にも昭和20年ころに文明の創造でましたよね。高校生の頃でしたけど、同じ知ってる内容があったけれども何かこう分かりにくいなと感じておりました。それが、設計の書であると、こういう気持ちで読ませていただくと、あ~そういうことなんだなと、こういうふうに設計してされていかれたいのだなと、思わせていただけるようになりました。
楳木先生:
今日拝読したところではどうですか?」
受講者:
私あまり分からないんだけど、変なこと聞いてもなんですし。
楳木先生:
いや大丈夫、変なこと聞いてほしいんですよ。」
受講者:
この前も縦と横が綾状になっているということで、よく分からないんですけれども、今日では善と悪ということで、善悪、善悪ということで、ずっと悪の時代が進んできた訳じゃないですか。御教えにも善悪善悪が続くわけですよね。こういう考え方おかしいかもしれないですけど、悪がね、だんだん天国が近くなって、だんだん善が強くなる訳じゃないですか。そうすると悪が少なくなる、ということですかね?
いままで善悪善悪の軋轢で進んできたのに、悪が少なくなるとどうなるのかなと。そうなってまた違う立体的になっていくのか?それともずっとこれからも善悪善悪という形で進んでいくのか?
楳木先生:
今回の項目の中で、非常に、メシヤ様が善が唯一悪に勝ったことは何かと書いてあるでしょ。
『此一時だけは、珍しくも悪に対して善が勝利を得た例である。』
・・・実は、○○之光教団の活動の中枢にいた人が、自覚してもらわないといけない。上から読みあげてごらん。」
読み上げの内容:『此様に弱者である善人は、強者である悪人に常に虐げられ、苦しめられるので、此不合理に反抗して生まれたのが彼の民主主義であるから、之も自然発生のものである。処が日本においては長い間の封建思想の為、弱肉強食的社会が続いてきたのであるが、幸いにも外国の力を借りて、今日の如く民主主義となったので、自然発生と言うよりも、自然の結果といった方がよかろう。といふやように此一時だけは、珍しくも悪に対して善が勝利を得た例である。併し外国と異なって日本は今の処生温い民主主義で、まだまだいろいろな面に封建の滓が残ってゐると見るのは私ばかりではあるまい。』
楳木先生:
ここが一番大事なところなんです。特に○○之光教団からのカスが残っている方は徹底的に、繰り返し繰り返し十分に読んでおいていただかないといけない。
メシヤ様が夜の時代になってから、唯一善が悪に勝った事というのは民主主義だと、民主主義が生まれたことが、善が悪に勝ったことだと、こういう風におっしゃっているわけですよ。しかし日本はまだいろいろな面に封建のカスが残っているんだと、ここの封建制度のカスが残っているのが、メシヤ様の御神業を邪魔した、ということを分かっておかないといけない。教団の中の封建主義のリーダーみたいな人は誰だか分りますか。直弟子の中で。
受講者:
△△先生。
楳木先生:
そう。だから世界救世(メシヤ)教の開教に反対したわけですよ。封建主義だから、封建だから邪魔をした。だから世界救世(メシヤ)教が、メシヤ様の御昇天と共に世界救世(きゅうせい)教になってしまったということは、この封建のカスが取れなかった。」
受講者:
△△先生と○井先生の関係でいうと師匠と弟子の関係にあると。そこに封建的・・・、弟子が師匠を超えていかんと、こういうこともですね。
楳木先生:
そう、それが一つ。それから、あの先生は非常に自分の言うことを聞かないと、どんどん切っていったんですよ。メシヤ様は自分の言う事をきかなくでも切っていってない訳ですよ。それは何故かというと民主主義が、善が勝った証だと・・・。そういうふうにメシヤ様が断定されているにもかかわらず、この「文明の創造」でこのことが分かってないと、「文明の創造」を拝読したことにはならない訳ですよ。そしてしかも、世界救世(きゅうせい)教は日本の民主主義をリードしていかないといけない。教祖という方が指摘していたわけだから、このカスをとっていかないといけないということが、御神業の一つになっていかなければいけない。しかしそんな考えのカケラもなかった。過去の教団は。だからAさん○○○○会をみてごらん。民主主義かい、あそこは?」
受講者:
全然違う、北朝鮮みたいなところです(笑)
楳木先生:
ね、だから戦前のような、戦前の日本よりもっとひどい。そうすると、文明の創造とか地上天国建設とか言ってもね、このことがわかってないで言ってるということなんだから・・・。だから「文明の創造」を世に出して行かなければいけないのだが、メシヤ様が最後まで書き上げることが出来なかった。これは井上茂吉先生のお宅で行ったところの、御経綸上、大事な御神事。・・本部の敷地から出て、個人宅でやらなければならないくらい、教団には邪魔する者が一杯いて出来なかった。・・・「文明の創造」を書き上げることが出来なかった。」
受講者:
これはもうずっと遡れば、神代の時代、神様を押し込めていったというところですね、いわゆる、力・・・、悪の見えざる力と、武力、見える力であったり、そういうものを過去からずっとやってくる中で、今もって下剋上的な神に逆らうというようなことが、現実に残っている。のみならず強まっている感もあるように見受けられますね。
楳木先生:
ただ三千年前は致し方がない。三千年前は物質的な文明を発展させるために、一応そういうふうになっているから。しかし地上天国を建設をするという要の時には、唯一善が悪に勝ったことが完璧な形になっていく訳です。・・・全然難しくない、そういうことだと思えばいい。」
受講者:
現状が全然難しい状態ですわ・・・、上だけじゃなく、下もみんな。・・・みんな育たなくなっています。
受講者:
宗教の世界で(もうそろそろ)少なくとも民主主義でなくてはいけない部分もあると思いますが、封建的(主体)では成っていかないと思いますが、御教えでは弟子に対して、封建的、強制的なことは一切やってはならないと、仰られたということは、こういうこと(封建思想の癖)があったということなのかなと、受け止められますね。
昭和24年の9月が7月か忘れましたが、世界救世(メシヤ)教を開教するという時に、(メシヤ様御下命の人事に)△△先生が反対され、その頃に信仰雑話をお説きになられ始めましたし、信仰雑話(「天国の福音書 (重要御論文の再録)」へ)を通して智慧証覚というものを磨いていかないといけないということを、切に訴えておられました。ですから信仰雑話の出された時期というものを考えてみますと、非常に封建主義的なこともそうですけれども、悪い心と言いますか、そういったものを改めることの必要性というものを切に訴えられておられたんだなと、うかがい知ることが出来ます。
楳木先生:
そして今岡田茂吉全集というのを拝読していった時に、大まかには、論文集、いわゆる全集で言えば著述編、それから御面会の時の質疑応答でなった講話編、そして詩歌編と大きく3つで構成されている訳ですけれども、著述編といういわゆる御論文というのは、メシヤ様は口述筆記して、こういうもんだと、神の言葉をドンと伝えている。しかし質疑応答、講話編は、一人の代表者に今のように拝読させて、その後はみんなからの質疑応答に変わった。この質疑応答の形式は、メシヤ様は他の宗教の教祖とは違って、質疑応答形式を何故とったか、というと、実はここにある訳です・・、(真の)民主主義。
そしてしかも、「そんなことメシヤ様に聞いてはいけないよ」とか言うような・・、普通ほら、前の会長さんにしろ、信者さんに向かって、「そんなこと(今の)会長に言っちゃだめよ」とか言うでしょ、その姿勢が封建主義になるんだから。だから民主主義は、誰もがメシヤ様に質問していい、という御姿勢をとられたこの講話編、なんです。」
受講者:
「質問してはダメです」とか、怪訝な顔をされてしまうとか、セーブされる、という事がありますね。
楳木先生:
だからもう、それが民主主義ではないということを、メシヤ様は身をもって御面会の時に示していった。だからメシヤ様は、そんなこと御教えに書いてあるような事、何故質問してくるのかということを、講話編を読んでいくと、信者さんが質問しているのが一杯ある。それに対してメシヤ様はあまりにも行き過ぎの時は、ちゃんと御論文に書いてあることを、読み方が足りない、とお叱りになることもあるけれども、だいだい丁寧に御答えになっている。
その姿勢をメシヤ様は身をもって示された、身をもって示しておられたにもかかわらず、その後の人間達が威張り腐っている。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は夜の時代になってから、「民主主義が生まれたことが、唯一善が悪に勝ったこと」なのだと仰られているのだということ。
>しかし日本はまだいろいろな面に封建の滓(カス)が残っているのだということ。
≫私達は、この「残っている封建制度の滓(カス)が、メシヤ様の御神業を邪魔したのだ。」ということを分かっておかないといけないのだということ。
・メシヤ様の直弟子は封建主義だったので、「世界救世(メシヤ)教」の開教に反対したのだということ。
・教団(弟子達)から封建の滓(カス)が取れていなかったので、「世界救世(メシヤ)教」が、メシヤ様の御昇天と共に「世界救世(きゅうせい)教」になってしまったのだということ。
◎この御論文を拝読して、メシヤ様は「民主主義が、善が勝った証だ。」と断定されていたのだということが分からないと、「文明の創造」を拝読したことにはならないのだということ。
>しかも、「世界救世(きゅうせい)教」は日本の民主主義をリードしていかないといけないのだということ。
・教祖という方が「日本はまだいろいろな面に封建の滓(カス)が残っているのだ。」と指摘されていたわけだから、この封建の滓(カス)を取り除いていくということが、御神業の一つになっていかなければいけないのだということ。
>しかし過去の教団はそんな(封建の滓(カス)を取り除いていくという)考えのカケラもなかったのだということ。
◎三千年前に神様を押し込めたことは、物質的な文明を発展させるためだったので致し方無かったのだということ。
>しかし、地上天国を建設するという要の時には、(難しく考えずに)「唯一善が悪に勝ったことが完璧な形になっていくのだ。」と思えば良いのだということ。
◎岡田茂吉全集の講話編は、御面会の時の質疑応答(一人の代表者に論文を拝読させた後、みんなからの質疑に応答されるという形式)でなっているのだということ。
>メシヤ様は他の宗教の教祖とは違い、質疑応答形式を何故とられたのかというと、実はここに(真の)民主主義があるからなのだということ。
≫だから、誰もがメシヤ様に質問していいという(民主主義)の御姿勢をとられたものを纏めてあるのが講話編なのだということ。
・御面会の時に「質問してはダメです。」とか、質問すると怪訝な顔をされてしまうとか、セーブされるとかいう事は民主主義ではないのだということを、メシヤ様は身をもって示して下さったのだということ。
「メシヤ講座no.123大阪(平成23年4月分)」より抜粋つづき:
現代に活きる智慧磨きとは? 「薬の作用〔薬の理〕」
楳木先生:
だから、「大錯覚」をしている。今回の東日本大震災を通して、とりわけ阪神淡路大震災の時よりももっと顕著に表れているのが、結局、日本人全体の思考が止まっている。
最初の頃、ACの同じコマーシャルしか流してないでしょ?子宮頚がん、それと「ありがとう、こんにちは、…」。あんなのばっかり流されて、みんな思考を止めさせられている状態なわけです。子宮頚がんの場合は、背景に、フリーセックスを進める○○○○が背後にいて、子宮頚がんの予防(ワクチンなど)をさせている、とも言われています(以下割愛)。
(「御教え」で言えば、)複数の人と関係をもち続けると子宮頚がんになるわけ。一人の人だけであれば、貞節を守っていれば子宮頚がんにはならない。だからあそこで、私は子宮頚がんになりました、と言わせたということは、私はその時複数の男性と付き合っていました、ということを公表しているようなものにです。出演者はそりゃ気の毒ですが、全日本人に、私はそういう不貞節でありました、と言ってるようなものです。ですからこれからの若い女性たちも、一人の人を相手にしておけば絶対に子宮頚がんにはならないわけです。〔以上、内容について「?」あれば、支部責任者へ直接問い合わせてください〕
(ところが真相は、)それを予防させるということは、〔肉体は医学に任せ、精神獣性は〕自由にしなさい、と言ってるようなものだから、「秩序を乱しなさい」と言ってるのと同じ事になるんです。だけど、ああいうふうにコマーシャルに流すと、それを予防していかないといけないのかな、と。“思い込まされて”、ますます「愚民」を増やしていっている・・・。」
受講者:
それはやっぱり“裏”には、外国の製薬会社がついているわけですか。
楳木先生:
そうそう。スイスを中心とした製薬会社が、売上を伸ばす為に、ワクチンを接種しなさい、ということを言っている訳です。“そういう仕組み”を、庶民が分かりなさい、とメシヤ様は仰っておられるんです。
それが、民主主義の”カス”〔“日本は今の処生温い民主主義で、まだまだいろいろな面に封建の滓(カス)が残ってゐる”〕、という表現でお使いになっているんです。“封建主義”というのは安定期にはいると、生活は庶民は楽な訳です。だって、いいお殿様だったら、みんなマァマァの生活ができるから、庶民はこれでいいんだ、という感じになってくる。
しかし「暴君」だと、あんなお殿様では困る、ということになる。あるいは、「悪い代官様」で、「そちも悪のよう」(笑)ってあるような悪い代官様だと、庶民も困る。でもいい代官様だと庶民は幸せな訳、それでいいと思いこんでしまう。
こういうものではメシヤ様はダメだから、庶民も賢くなりなさい、と。そして、賢くなりなさいという一番の根っこは、「薬毒論」だということ。そしてこの時代に、この次に出す「文明の創造」・・、三重支部の方で、次の「文明の創造」の編纂、編集は全部出来たので、今は校正作業をやってもらっていて、そして6月15日までに本を仕上げるように動いてますが、その次に「腎臓の働き」というのが出てきます。
そうするとメシヤ様が腎臓の働きについておっしゃったことを、その当時・・、「文明の創造」は昭和27年だから、昭和27年にメシヤ様が書かれた時には、医者も、いわゆる科学者、薬理学者、薬の専門家も、ほぼ理解できてない。最近やっと理解出来始めたものといえば、高血圧の薬。高血圧の薬の仕組み、というのは聞いたことがあるでしょ?どういうふうに聞いてる?高血圧は何故薬で血圧を下げることができるのか?薬の血圧降下剤というのがあるでしょ、何故血圧を下げることが出来るワケ?………○○之光!、薬飲めと言ってきたんだから、・・何か・・(笑)」
(後略)
受講者:
血管が広がって、血流がスムーズに流れるから、血圧を下げるんじゃないんですか。
楳木先生:
違います。要するに腎臓の中のろ過装置があるでしょ?その腎臓の中に血管が一杯張りめぐらされていて、その中に血を通して、ろ過して、尿を作る。ろ過という血液自体をきれいにして、静脈に通して、きれいな血液にして、全身に配っていく。
そのろ過装置が、年と共に、あるいは酒の飲み過ぎで、または薬を飲み過ぎたりすると、だんだん壊れていく。そのろ過装置が壊れていくと、一回壊れると再生能力がないわけ、人間の脳と一緒。人間の脳も15歳まで細胞分裂していくけど、15歳で細胞分裂は止まって後は壊れていくだけです。(普通には)再生しない。
だからメシヤ様も(肉体面でいえば)73歳で御昇天になってしまった。
それは脳貧血で、脳細胞が貧血で、意識はない間に脳細胞はスピードをもって壊れていく訳ね。だから、癲癇が怖い、というのは、意識がない間に脳細胞が壊れる、だから癲癇が怖いんです。癲癇やひきつけがいくらあってもいいんだけど、意識がない時に脳細胞が壊れていくと、怖い。
この腎臓の中のろ過装置が壊れると、ろ過能力が下がるので、血圧を上げて一杯ピューと通さないと、ろ過が出来なくなるから、腎臓から心臓に向かって“血圧を上げてくれ”という、酵素が出るんです。そうすると、心臓は“分かりました”、ということで、どんどん血圧を上げるんです。
この酵素の伝達というのは、実は腎臓から出てる訳ではなくて、血液がきれいかどうか、というのを感知する脳、ここ(中枢神経指令塔)から、“どうもろ過能力が弱ったようなので「血圧を上げなさい」”ということを、「心臓に指示」する。で、降下剤は、この「指示を出さないようにブロック」する。心臓に対して血圧を上げてくれという指示を出さないようにブロックする。これがまず第一の降下剤、そうすると今度は血圧が下がるので、みんな安心するんだけど、安心出来ないのは腎臓な訳です。ポンプが弱まったから、ろ過装置が、また鈍ってくる。このろ過装置が鈍ってくると、腎臓は今度どうすると思いますか?夜も働かないといけなくなる。若い時は、腎臓も休む訳です。しかしろ過出来なくなると、腎臓だけは、あ~眠たいな~、と思いつつ、一生懸命ろ過してるわけです。
でもこの時、まだ腎臓が丈夫な時はいいんだけれど、それ以上出来なくなったら、血液中の糖分の量とか塩分の量が非常に濃くなります。そうすると、腎臓から尿を膀胱にいく尿管にうつす時には、血液を薄めるために、腎臓から血管に水分だけを取り込む。血管はパンパンになる。しかし、医者から見るとこれだけ血管が腫れると危ない、また何とかしないといけないということで、今度はおしっこが出にくくなるから、利尿剤を投与する訳です。
この利尿剤というのは、一体何かというと、腎臓から尿道に行く、その尿の中から血管へ水分を吸い込むところをブロックする薬なわけです。腎臓が働いて尿が一杯出るようにみんな思い込んでいるけど、実はこうやって水分を取り込むことをブロックして一杯尿を出している訳です。
そしてこの降下剤を飲み続けるということは、腎臓に鞭を打っていることと同じになる、もうバチバチと。そしてその後腎臓はさらに悪くなって、透析というふうなことになっていく。しかし製薬会社からすると、こうして段階的に薬を飲ませていって最後には透析となる。透析を受けられると永遠に受けないとダメになってくるから、こういう構想が製薬会社としてはあるわけです。」
(後文割愛)
楳木先生:
だからメシヤ様は血圧は300までは大丈夫だとおっしゃっています。しかし今の優秀な医者は200まで大丈夫です、と。一方、製薬会社は140まで下げているワケね、降下剤を売る為に。
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎東日本大震災を通して「日本人全体の思考が止まっている。」ということが阪神淡路大震災の時よりももっと顕著に表れているのだということ。
>震災後の最初の頃、テレビではACの同じコマーシャル(「子宮頚がん」と「ありがとう、こんにちは、…」)ばかり流されて、みんな思考を止めさせられている状態なのだということ。
◎(「御教え」で解釈すると、)貞節を守っていれば子宮頚がんにはならないのだということ。
>それなのに(ワクチンによって)予防させるということは、〔肉体は医学に任せ、精神獣性は〕自由にしなさい、と言ってるようなものだから、「秩序を乱しなさい」と言ってるのと同じ事になるのだということ。
・子宮頸がんの事をコマーシャルに流すと、「それを予防していかないといけないのかな?」と思い込まされてますます「愚民」を増やしていっているのだということ。
>これは、スイスを中心とした製薬会社が、売上を伸ばす為に「ワクチンを接種しなさい。」ということを言っている(「そういう仕組みを、庶民は分かりなさい」とメシヤ様は仰っておられる)のだということ。です。
・前記のようなことをメシヤ様は、「日本は今の処生温い民主主義で、まだまだいろいろな面に封建の滓(カス)が残ってゐる。」と表現されているのだということ。
・しかし、メシヤ様は「封建の滓(カス)が残ってゐるような、生温い民主主義ではダメだから、庶民も賢くなりなさい。」と仰っているのだ(「賢くなりなさい。」という一番の根っこは、「薬毒論」についてなのだ)ということ。
◎メシヤ様が昭和27年に「文明の創造」の中で「腎臓の働き」について書かれた時に、医者や科学者、薬理学者、薬の専門家もその腎臓の働きについて、ほぼ理解できていなかった。
>最近やっと理解出来始めたものが、「高血圧の薬」についてなのだということ。
◎腎臓の中の濾過装置は、年と共に、あるいは酒の飲み過ぎで、または薬を飲み過ぎたりすると、だんだん壊れていく(そのろ過装置は人間の脳と同じで一回壊れると再生能力がない)のだということ。
>腎臓の中の濾過装置が壊れると、血圧を上げなければ濾過能力が下がるので、腎臓から心臓に向かって“血圧を上げてくれ”という酵素が出ることによって、心臓はどんどん血圧を上げるのだということ。
≫この酵素の伝達というのは、実は腎臓から出ている訳ではなくて、「血液がきれいかどうか」ということを感知する脳(中枢神経指令塔)から、血液がきれいではない場合、血圧を上げるように「心臓に指示」するのだということ。
◎「血圧降下剤」は、心臓に対して「血圧を上げてくれ」という指示を出さないようにブロックする(これが第一の降下剤)のだということ。
>「血圧降下剤」によって血圧が下がる(ポンプ作用が弱まる)ので、みんな安心するのだが、腎臓は(ろ過装置がまた鈍ってくるので)安心出来ないのだということ。
≫このろ過装置が鈍ってくると、腎臓は一日中働かなければならないようになるのだということ。
≫まだ腎臓が丈夫な時は良いのだが、もしそうではなくなったら、血液中の糖分の量とか塩分の量が非常に濃くなり、尿を腎臓から膀胱にいく尿管にうつす時には、血液を薄めるために、腎臓から血管に水分だけを取り込み、血管はパンパンに腫れるのだということ。
≫それは、医者から見ると「これだけ血管が腫れると危ない、また何とかしないといけない(おしっこを出さなければならない)」ということで利尿剤を投与するのだということ。
・「利尿剤」というのは、腎臓から尿道に行く、その尿の中から血管へ水分を吸い込むところをブロックする薬なのだということ。
・「血圧降下剤」を飲み続けるということは、腎臓に鞭を打っていることと同じであり、その後腎臓はさらに悪くなっていき透析というふうなことになっていくのだということ。
・上記のような理由でメシヤ様は、血圧は300までは大丈夫だと仰っているのだが、今の優秀な医者は200まで大丈夫ですといい、一方、製薬会社は降下剤を売る為に140まで下げているのだということ。
◎製薬会社からすると、段階的に薬を飲ませていって最後には透析となり、透析は永遠に受けないとダメになってくるで、製薬会社としてはそのような(例えば、永遠に薬を使わせるような)構想があるのだということ。
◎人間の脳も15歳まで細胞分裂していくけれど、15歳で細胞分裂は止まってしまい後は壊れていくだけで(普通には)再生しないのだということ。
>だから、メシヤ様も「脳貧血」により73歳で御昇天になってしまったのだということ。
・「脳貧血」とは、脳細胞が貧血で、意識がない間に脳細胞はスピードをもって壊れていく状態をいうのだということ。
・「癲癇が怖い」というのは、癲癇やひきつけはいくらあってもいいんだけれども、「意識がない時に脳細胞が壊れていくのが怖い」のだということ。
「メシヤ講座no.123大阪(平成23年4月分)」より抜粋つづき:
御教えでアドバイス
受講者:
ある人は、すごい左の腎臓が固いんです。そして血圧が上がると、フラッとするみたいなんですね、そこで近くに看護婦さんがいて、「飲まないとダメだ」と言われたりしてます。結構自然食はしてますし、浄霊もいただいてます。
楳木先生:
自然食を徹底しているというけど、ほんとにしてるの?」
受講者:
お米は実家で作ってくれてる米だから、完全に自然米とまでいかないけど、極力化学肥料とかは入れてないけど、全くの自然米ではないですね。
楳木先生:
米が主食だから、一番ダメですよ。だから200ぐらいまであった人は、食事を徹底して、血液を汚さない食事にしていかないとダメですよ。そうして、食材の問題として、取り入れていいものと、ちょっと控えないといけないもの、を考えないとね。これはメシヤ様が割合をおっしゃっているでしょ。朝(野菜と肉魚の割合)は、7:3、昼は5分5分。」
受講者:
・・・
楳木先生:
そうすると要するにメシヤ様の指導通りの食事をしていないわけでしょ。何の為にメシヤ様はそういう食事のことに関してまで、御論文をお書きになって下さったのかということを、よく分かった上でそれを取り入れて行かないといけない、そういう時には。」
受講者:
病気してる時はやっぱりタンパク質とらない方がいいんですよね。
楳木先生:
病気によってです。だけどメシヤ様のおっしゃる割合で食べて行くと、それ程に血液が汚れないわけです。7対3、野菜と肉魚の割合だから、朝は味噌汁とお香の物位にしておかないと、目刺しを食べると割合が多くなるでしょ。味噌汁を作る時に出しをとるでしょ。あれでどれだけカツオを使う?味噌汁を作るだけで、どれだけタンパク質を使うか分からない。」
受講者:
植物性のタンパク質をとっているのか、動物性のタンパク質か、ということですね。
楳木先生:
まぁその家の中まで入ってないからわからんけどね。そういう指導が○○之光の中には欠如している。一人一人に、細やかに、あなたはこういう食生活をしなさいというところまで指導しないとね。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎血圧が200位らいまであった人は、徹底して血液を汚さない食事にしていかないとダメなのだということ。
・食材は取り入れていいものと、ちょっと控えないといけないものを考えてとるのだということ。メシヤ様は、朝の野菜と肉魚の割合は、7:3、昼は5分5分と仰っているのだということ。
>何故メシヤ様がそういう食事のことに関してまで、御論文をお書きになって下さったのかということを、よく分かった上でそれを取り入れて行かないといけないのだということ。
・(タンパク質は)メシヤ様のおっしゃる割合で食べて行くと、それ程に血液が汚れないのだということ。
編集後記
責任者:
前回と同様、今回の研鑽資料も長文でしが沢山の学びをいただいたように感じております。メシヤ様は、夜の時代になってから「民主主義が生まれたことが、唯一善が悪に勝ったこと」なのだと仰っていますが、(例えば先頃のコロナワクチン接種の様に)今現在も日本は色々な面に於いて封建の滓(カス)が残っているのだと思います。この場で学んでいる私達はこれから、(本当の民主主義とは何かということを考えながら)日本の民主主義をリードしていけるように、ハードルを上げて研鑽に努めていかなければならないのだと思いました。時節柄、体調を崩される方が多いとお聞きします。朝晩は冷え込みますので、くれぐれもご自愛ください。有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。