研鑽資料no.146(2024年11月)

11月の学び

はじめに

責任者:

11月に入りやっと寒気が加わり、あちらこちらで鮮やかな紅葉を目にすることができる季節となりました。皆様お変わりなくお過ごしですか。先日の11月5日、「アメリカ大統領選挙 2024」の投票が開始され、翌6日「共和党、トランプ前大統領」が当選しました。各国に多大なる影響を及ぼす国の大統領選です。アメリカ国民だけではなく世界中で多くの人々が大いなる関心を持ってその結果を見守っていた事だと思います。大統領が共和党のトランプ氏に代わることによって、より良い世界になっていくことを衷心より願っております。さてそれでは引き続き、「文明の創造」を学んで参りたく思います。どうぞよろしくお願い致します。

 

「メシヤ講座no.124大阪(平成23年5月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『悪と守護霊』

「文明の創造、総篇」昭和27(1952)年

前項の如く、現在迄必要であった悪が、不必要になったとしても、そう容易(たやす)く追放される訳にはゆかないが、それに就(つい)ての神の経綸は寔(まこと)に幽玄微妙なるものがある。之は追々説いてゆくが、茲(ここ)で前以て知らねばならない事は、抑々(そもそも)宇宙の構成である。言う迄もなく宇宙の中心には太陽、月球、地球の三塊が浮在してゐる。そこで此(この)三塊の元素を説明してみると、太陽は火素、月球は水素、地球は窒素といふやうになってをり、此(この)三元素は勿論各々の特質を有ち、夫々の本能を発揮してゐるが、右(上記)の中の火素、水素の二精気が密合して大気となり、地球を囲繞(いじょう)しつつ、一切万有の生成化育を営んでゐるのである。

そうして地球上のあり方であるが、之は陰と陽に別けられてゐる。即ち陽は火の精、陰は水の精であって、火は経に燃え、水は緯に流れてをり、此(この)経緯が綾状になって運動してゐる。此(この)状態こそ想像もつかない程の超微粒線の交錯であって地上或程度の高さに迄達してをり、之が空気の層であり、大気でもある。右(上記)の如く陽と陰との本質が具体化して、火水、熱冷、昼夜、明暗、霊体、男女等々に表はれてゐるのである。又之を善悪に分ければ陽は霊であり善であり、陰は体で悪である。此(この)意味に於て善も悪も対照的のものであって、之が大自然の基本的様相である。

此(この)理は人間を見ても分る如く、人体は見ゆる肉体と、見へざる霊の二元素から成立ってをり、体と霊とは密接不離の関係にあって、人間が生命を保持してゐるのも此(この)両者の結合から生れた生命力によるのである。処が茲(ここ)に一つの法則がある。それは霊が主で体が従であって、之は事実がよく示してゐる。即ち人間霊の中心である心に意欲が起るや、体に命令し行為に移るのであるから、霊こそ人間の本体であり、支配者であるのは明かである。そこで霊は何が故に悪心を起すかといふと、之が最も重要なる焦点であるから詳しくかいてみるが、それにはどうしても宗教的に説かねばならないから、其(その)つもりで読まれたい。といふのは善悪は心の問題であるからである。

偖(さて)愈々本論に移るが、右(上記)の如く人間は霊と体との両者で成立ってゐる以上、肉体のみを対象として出来た科学では、如何に進歩したといっても畢竟一方的跛行的であってみれば、真の科学は生れる筈(はず)はないのは分り切った話である。之に反し吾々の方は霊体両者の関係を基本として成立ったものである以上、之こそ真の科学でなくて何であらう。

以上の如く善悪なるものは心即ち霊が元であり、而も霊主体従の法則を真理として、之から解き進める説を充分吟味するに於ては、根本から分る筈である。処で先づ人間といふものの発生であるが、言う迄もなく妊娠である。之を唯物的にいへば男性の精虫一個が、女性の卵巣に飛込んで胚胎する。之を霊的に言へば神の分霊が一個の魂となって宿るのである。そうして月満ちてオギャーと生れるや右(上記)の魂以外別に二つの魂が接近し、(ここ)に三つの魂の関係が結ばれる。右(上記)の二つの魂とは一は副守護霊といって動物霊であり、多くは二、三才の頃に憑依する。今一つは正守護霊といって直接憑依はしないが、絶へず身辺に着き添い守護の役をする。勿論右(上記)の二霊共一生を通じて離れる事はないから、言はば人間は三者共同体といってもいい。其(その)様な訳で第一に宿った魂こそ本守護霊と言ひ、神性そのものであり、之こそ良心でもある。昔から人の性は善なりといふのは之を指すのである。第二の副守護霊とは右(上記)とは反対で悪そのものであるから、常に本守護霊の善と闘ってゐるのは誰も自分の肚の中を思へば分る筈である。第三の正守護霊とは祖霊中から選抜されたものであって、不断に其(その)人の身辺に附添ひ、守護の役目をしてゐる。例へば災害、危難、病気、悪行、怠慢、堕落等々、凡て其(その)人を不幸に導く原因を防止する。よく虫が知らせる、夢知らせ、邪魔が入る、食違ひ、間が悪いなどといふのがそれである。又何かの事情で汽車に乗遅れた為、危難を免れる事などもそれである、悪に接近しやうとすると故障が起き、不可能になったりするのもそれである。そうして本霊と副霊とは常に闘ってをり、本霊が勝てば善を行ふが、副霊が勝てば悪を行ふ事になるから、人間は神と動物との中間性であって、向上すれば神の如く、堕落すれば獣の如くになるのは世間を見てもよく分るであらう。では一体副霊とは何の霊かといふと、日本人は男性であっては天狗、蛇、狸、馬、犬、鳥類等の死霊が主で、其(その)他種々の霊もあり、女性にあっては狐、蛇、猫、鳥類等の死霊が主で、外にも色々な霊があり、又此(この)副守護霊以外臨時に憑く霊もある。斯んな事をいふと現代人は馬鹿々々しくて到底信じられまいが、之は一点の誤りなき真実であって、之が信じられないのは其(その)人は唯物迷信の為であるから此(この)迷信を一擲(いってき)すれば直に判るのである。何よりも人間は其(その)憑いてゐる動物霊の性質がよく表はれてゐるもので、注意すれば何人にも分る筈(はず)である。

右(上記)の如く臨時に憑く霊も、殆んどは動物霊であって、偶(たま)には人間の死霊もあり、極く稀には生霊もある。では臨時霊が憑く理由は何かといふと、言う迄もなく其(その)人の霊の清濁によるので、曇りの多い程悪霊が憑き易く、又元からの副霊の力も増すから、どうしても悪い事をするやうになる。此(この)理によって現代人の大部分は霊が曇り切ってゐるから、悪霊が憑き易く活動し易い為、犯罪が増へるのである。処がそれとは反対に神仏の信仰者は曇りが少なく、善行を好むのは魂が清まってをり、悪霊を制圧する力が強いからで、茲(ここ)に信仰の価値があるのである。従って無信仰者は平常善人らしく見へても、何時悪霊が憑依するか分らない状態にあるので、一種の危険人物といってもいい訳である。此(この)理によってより良き社会を実現するには、清い魂の持主を増やすより外に道はないのである。そうして本来魂なるものは一種の発光体であって、動物霊は此(この)光を最も怖れるのである。処が現代人の殆んどは魂が曇ってをり、動物霊といふ御客様は洵に入りいいやうになってゐるから、忽ち人間は躍らせられるので、百鬼夜行の社会状態になってゐるのも当然である。而も其(その)様な事に盲目である為政者は、只法と刑罰のみによって悪を防止しやうとしてゐるのであるから、全然的を外した膏薬張で効果の挙がる筈(はず)がないのである。何よりも国会を見ても分る如く、殆んどの議案は法律改正と追加といふ膏薬製造法であるから、之を常に見せつけられる吾々は、其(その)無知に長大息を禁じ得ないのである。

以上の如く悪なるものは大体判ったであらうが、此(この)根本解決こそ信仰以外にない事は言うまでもない。併し単に信仰といっても其(その)拝む的である神にも上中下の階級があり、それが百八十一級にも及んでゐると共に、正神と邪神との差別もあるから、之を見別けるには相当困難が伴ふのである。世間よく熱烈な信仰を捧げても思うやうな御利益がなく、病気も治らず、行ひも面白くない人があるが、それは其(その)的である神の力が弱く、邪神の活動を阻止する事が出来ないからである。而も困る事には此(この)状態を見る世人は、之こそ低級な迷信と思ひ、偶々本教の如き正しい宗教を見てもそれと同一視するのであるから実に遺憾に堪へないのである。そうして昔から一般人は神とさへ言へば、只尊いもの有難いものと決めて了ひ、差別のあるなど知らない為、甚だ危険でもあった。尤も今日迄最高神の宗教は全然現はれなかったからでもあるが、喜ぶべし茲(ここ)に最高神は顕現され給ふたのである。

それが為今日迄の神は仮へ正しく共次位の階級であるから、其(その)力が弱く正邪相争ふ場合一時的ではあるが悪の方が勝つので、之を見る人々はそれに憧れ、真似しやうとする。特に野心あり力量ある者程そうであるのは、歴史を見ても分る通り、幾多英雄豪傑の足跡である。成程一時は成功しても最後は必ず失敗するのは例外がないのである。之を霊的にみると其(その)悉くは邪神界の大物の憑依であって面白い事には最初はトントン拍子にゆくので有頂天になるが、それも或程度迄で必ず挫折する。そうなると憑依霊は忽ち脱却して了ふ。吾々の知る範囲内でもカイゼル、ムッソリーニ、ヒットラーの如きがそうで、失敗後は人が違ふかと思ふ程痴呆暗愚的に気の抜けたやうになったが、之は大きな邪霊が抜けた後は誰でもそうなるものである。そうして驚くべき事は邪神界の総頭領は、今から二千数百年前、世界の覇権を握るべく、周到綿密にして永遠な計画を立て、現在迄暗躍を続けつつあるが、正神界の方でも之に対立し戦ってゐるのである。其(その)神としてはキリスト、釈迦、マホメット、国常立尊の系統の神である。

以上の如く主神は正神と邪神とを対立させ闘争させつつ文化を進めて来たのであるが、其(その)結果遂に邪神の方が九分九厘迄勝ったのが現在であって茲(ここ)に主神は愈々一厘の力を顕現され、彼等の大計画を一挙に転覆させ給ふ、之が九分九厘と一厘の闘ひであって、今や其(その)一歩手前に迄来たのである。従って此(この)真相を把握されたとしたら、何人と雖も翻然と目覚めない訳にはゆかないであらう。

 

「邪」の虜になっている気の毒な信者を「救う」想念

楳木先生:

(「本部でのメシヤ講座」のあり方についての御説明 割愛)

本部で説明したように、「魂」と言うのは「発光体」なので、皆さんひとりひとりが、より一層「発光体」になっていただきたい。

そういうわけで、皆さんお顔もよくなってきたので、そういう事も一緒に言わせていただきたいと思います。それから、『喜ぶべし、ここに最高神は顕現され給うたのである』 ということを強調されていますが、自分達はここに繋がらせて頂くことが許された、と捉える事が出来たんである、と。そういうことを一層感謝していただきたいと思います。

で、それに引換え、「信仰の的」が低いと御守護をそれだけしか頂けないし、「熱烈」にやったとしても幸せになっていかない、と。その実態が、○○教団だと、いうように見ていかないと、ね。せっかく「メシヤ様」が、こうして「顕現」されたのに、そういうことを「認識」しないで、お祈りをしていると、やはり、他の代理の神様が御神前に出てくる、ということになりますね。

以前私が教団に所属していた頃、布教所を転勤して回っていた時に、そこで信者さん方に必ず言ってきたことがありますが、

我々は『浄霊』力を授けられたということは、メシヤ様はこれは『霊』の行使だと仰っておられるから、(浄霊をさせていただいていると、)そこら辺りの霊能者同等あるいはそれ以上の力を発揮するわけだから、いわば、我々の(生活上の)『心言行』は、『祈祷師のよう』になっていくわけですね。

まあ、世間では”飯縄使い”とかあるでしょ?また、相手を呪い殺すような魔界の”呪術の使い手”というのがあるでしょ?

それと同じように、(メシヤ様の御浄霊を、人が直接的に手をかざして、祈り放射するということは)「霊的な力を行使」出来るようになっているんだ、ということですね。

これは「御浄霊」だけれども、また、御神前で『祝詞奏上』するときに、 “不平不満”や、“あいつコン畜生”とか、“あいつ許せんな“と思っていると、呪術的に相手を苦しめる祈りをしているようなものなんですよね。

で、最高神に天降っていただけるので、「最高神に合わせた想念で祝詞を奏上しなくてはいけない」、と思ってしてきた人達は、最高神が御降りいただいているんだけれども、

”不平不満”な気持ちとか、”敵対心”とかで、奏上していると、“許せん”“敵を討ちたい”という役を担った神霊が(周辺や自分に)降りてきて、守護していくことになっていくということになるので、どうしても、ここにメシヤ様が御解説して下さっているように、「いくら熱心でも良からぬことが起きていく」という方向になっていくというのは、そういう『仕組み』がある、ということを、この文明の創造を拝読しながら、より一層わかって頂きたいと思います。

で、そういう点からすると、今日の「善言讃詞」をあげた時にですね、『無量無邊の大慈悲に 天魔羅刹も服ひて諸悪邪法は改り 夜叉龍神も解脱為し諸善佛神咸く 其志を遂ぐるなり』 という言葉が実現化していくように、われわれは信仰していかないといけない。

ですから、○○教団の人をお導きする、改心して頂く時には、『諸善佛神咸く 其志を遂ぐるなり』という想念で行かないと・・。

“みんな、良かれ、と御神業に臨んでいる”んだけれども、結局、「薬を併用するという、邪神界の代理」をしているわけで、そうすると本来の志を、「死ぬまで、永遠に、遂げることが出来ない」ような状態にあるので、それで「お気の毒」ということで、「手を差し伸べていくんだ」、という想念で、働きかけてください。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎「魂」と言うのは「発光体」なのだということ。

>私達ひとりひとりの魂が、より一層「発光体」になるように努めるのだということ。

◎メシヤ様は、この御論文で『喜ぶべし、ここに最高神は顕現され給うたのである』 ということを強調されている。

>私達は、「“ここ(最高神が顕現されているところ)に繋がらることをお許しいただいたのだ”と捉える事が出来たのだ。」ということに対し一層感謝しなければならないのだということ。

≫上記に引換え、「信仰の的(信仰している神様の位)」が低いとそれ相応の御守護しか頂けないし、「熱烈」に信仰しても幸せになれないのだということ。

・「メシヤ様が、顕現」されたのだ。」ということを「認識」しないでお祈りをしていると、やはり、他の代理の神様が御神前に出てこられるということになるのだということ。

◎「浄霊力」を授けられたということは、メシヤ様の御浄霊を直接的に手をかざして祈り放射することが出来るということなので、(授けていただいた)私達は「霊的な力を行使出来るようになっているのだ。」ということ。

>又、御神前で「祝詞」を奏上するときに、例えば他人に対する不平不満を思っていると、呪術的に相手を苦しめる祈りをしているようなものになるのだということ。

◎御神前で「最高神に合わせた想念で祝詞を奏上しなくてはいけないのだ。」と思って奏上してきた人達には、最高神に御降りいただいているのだが、「不平不満な気持ち」や「敵対心」を持って奏上していると、「許せん。」「敵を討ちたい。」という役を担った神霊が(周辺や自分に)降りてきて、守護していくことになっていくということになるのだということ。

>この御論文でメシヤ様が御解説して下さっているように、「いくら熱心でも良からぬことが起きていく」という方向になっていくというのは、前文で御教示いただいたような「仕組み」があるのだということを、この文明の創造を拝読しながら理解しなければならないのだということ。

≫そういう(上記の)点から、私達は「善言讃詞」を奏上する時に『無量無邊の大慈悲に 天魔羅刹も服ひて諸悪邪法は改り 夜叉龍神も解脱為し諸善佛神咸く 其志を遂ぐるなり』 という言葉が実現化していくような信仰をしていかないといけないのだということ。

◎薬を併用して御神業に臨んでいる人をお導きし改心して頂く時には、『諸善佛神咸く 其志を遂ぐるなり』という想念で行くのだということ。

>「薬を併用する」ということは、「邪神界の代理」をしているわけなので、本来の志を「死ぬまで、永遠に、遂げることが出来ない」ような状態にあるのだということ。

≫それで薬を併用して御神業に臨んでいる人は、お気の毒だから「手を差し伸べていくんだ。」という想念で、働きかけていくのだということ。

 

「メシヤ講座no.124大阪(平成23年5月分)」より抜粋つづき:

「邪」の虜になっている気の毒な信者に「負けない」想念

受講者:

ん~・・・

受講者:

ということは「単に、薬を飲んでいることは悪い」という想念ではなく、背後にある諸善佛神という事にまで想念をもっていって、私達は「メシヤ様の代理として」・・・。以前代表先生が仰ったように、あまり向こうが悪い霊がかかった人だったら、(神の合理を真反対に捉えるほど理屈が通用する相手ではない人と対面した場合は)あまり喋らずに、「霊(代理としての正しい霊の力)で、相手(の悪霊)を押さえ込む(萎縮させる、悪に負けない)んだ」という想念・・、メシヤ様に祈りながら、相手の霊に問いかけるように、自分自身がメシヤ様の代理として使われていって「悪を追放するんだ」というような想念でいったほうが、宜しいんですね?

楳木代表

ぅん、そうだね。だから、我々も若い時に、たとえば、布教研修とかに行くと、「酒乱の専従者」もいましたね・・、ある一定の量を超えると暴れだすようなのがね。その時、どうやって対応したらいいのかわからない状態だったので・・。

で、私がその(酒乱の)人と布教現場に三ヶ月行った事があるんだけれども、「ちょっと油断するとオカシクなって暴言吐いたり、酒が入りすぎると良からぬこと」をやりだしたり、」

受講者:

普通の副霊の働きを超えて・・、しょっちゅうというなら、普段から、邪が強過ぎてるんでは・・。

楳木先生:

それでそういう時には、その人を押さえ込むんじゃなくて、それに憑いている霊を押さえ込まないといけないので、(怪我させぬように)布団を二人で被せて、そしてその霊を押さえ込むような事(メシヤ様に通じての強い想念や言霊など)を、何回か遣ったことがあるんですけどね。」

(後略)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎薬を併用して御神業に臨んでいる人に働きかける時は、「単に、薬を飲んでいることは悪い」という想念ではなく、背後にある『諸善佛神』という事にまで想念をもっていって、メシヤ様に祈りながら自分自身がメシヤ様の代理として使われていって、(その人の)「悪を追放するんだ」というような想念でいくのだということ。

 

「メシヤ講座no.124大阪(平成23年5月分)」より抜粋つづき:

「邪」の虜になっている気の毒な信者と「精神戦争の実際」

受講者:

薬も・・

楳木先生:

それ(副霊や邪による酒乱悪態)と同じことです。薬に憑り付かれた人間というのは・・、薬を使い始めた人間というのは。

受講者:

なるほどですね。

楳木先生:

で、もう手先になってるわけですのでね・・。」

受講者:

じゃあ、覚せい剤とか薬中がそういうことになる・。

楳木先生:

それはもっと激しいものになるんで、「思考能力が更に無くなってくる」・・、消えてくると、「欲しい、欲しい、だけ」になってくる・・、「単に薬が欲しいだけ」になってくるから。

受講者:

あ~、ええ。

楳木先生:

普通の病気の薬は、そこまで思考能力を奪われれることは無いんだけれども、しかし、「苦痛を取るためには仕方ない」という、ちょっとレベルが違うわけなんです。で、しかも、その教団の人達が、悪い、とは思っていない・・・。「メシヤ様も許可している部分もあるんだ」と。

「世の中に広げて行くためには、一段階そういう事も必要なんだ」というような理屈をもって、良し、と思って(一生懸命に)やっている部分があるから。これが、「最も恐ろしい事」なんですね。」

受講者:

ちょっと、目覚めかけているところ(人)も、(少しは)あるんですけどね。センターで御教えをもとに専従者による「勉強会」っていうのがあるでしょう?そうすると、すぐに、こう、(薬併用肯定派に)戻って行ってしまうんです・・、

楳木先生:

「その状況」を何と見るか、という時に、○○さん(質問者)の想念界を確立しておかないといけないんです。で、これはね、『精神戦争』。精神の戦争です、これは。要は、「正邪の戦い」と言っても、よくわからないかもしれないけど、精神の戦争とはどういうことかというと、上塗った方が勝っていくわけです。よく、「嘘の上塗り」っていうでしょ?」

受講者:

はい・・。

楳木先生:

ちゃんと御教え読んでる人に、“嘘の上塗りよね?”っていうと、“ホントそうだわね~”ってなるんだけど、センターに行って、その「勉強会」に参加すると、嘘の上塗りをされるわけですよね。すると、塗った方、が勝って行く・・、で、今度はまたそれを、塗られたのを『洗い落としてやらないといけない』のです。これが、戦争です・・、精神戦争ですね。」

受講者:

ああ・・。この「文明の創造」を読んでると、曇りの無いようにしないといけない、ということだけど、自分に曇りがあったら、どうしょぅ(笑) って、この前言ってたんですけど。いやね、この間、分院会議で私の話が出たよ、で、専従者が、 “正邪の戦いで、○○さんが出ていったよ”“しかし、後は引き継ぎなど心配なく全然大丈夫”とか言ってたとのことですが、全く「邪神」って決定づけられているみたいで(笑)で、「正邪の戦い」ってハッキリ言われたみたいですわ(笑)

楳木先生:

それでね、メシヤ様はココのね・・、『そうして驚くべき事は邪神界の総頭領は、今から二千数百年前、世界の覇権を握るべく、周到綿密にして永遠な計画を立て、現在迄暗躍を続けつつあるが、』 だと。邪神というは暗躍してるんです。公然としないんですよ。だから、正邪の戦いとして邪神と位置づけた、というんだけど、暗躍しているわけじゃないわけです。暗躍というのは、「如何にも正しい振る舞いをしながら、みんなを不幸に陥れていく」ということなんです。

楳木先生:

メシヤ様は、昭和27年に「文明の創造」をなぜ書かれたのか、ということを、こういうように考えていくとより明確になってきます。それを自分の腹に入れて、『(善悪の)精神戦争』、だと。だから、根気負けした方が負けるんだと。」

(後略)

楳木先生:

メシヤ様は、良いことは諦めないが肝腎、悪い事は諦めることが肝腎と仰っているところの、一番の『根幹』、がコレ(精神戦争、善悪の戦い)なんです。

受講者:

そういうふうに御教えやっていくとハッキリしてきます。

楳木先生:

(精神戦争ですから、)そうです。」

(後略)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎薬を使い始めた(薬に憑り付かれた)人間というのは、副霊や邪による酒乱悪態と同じことなのだということ。

>普通の病気の薬は、覚せい剤のように思考能力を奪われれることは無いのだが、「苦痛を取るためには仕方ない」という、覚せい剤とはちょっと違うレベルで使用している(取り憑かれている)のだということ。

≫薬を併用している他教団の人達は、「メシヤ様も許可している部分もあるんだ。」ということで悪いことをしているとは思っていないのだということ。

・「(この教えを)世の中に広げて行くためには、そういう(薬を併用する)事も必要なんだ。」というような理屈をもって良しとし一生懸命にやっている部分があるので、これが、「最も恐ろしい事」なんだということ。

◎『そうして驚くべき事は邪神界の総頭領は、今から二千数百年前、世界の覇権を握るべく、周到綿密にして永遠な計画を立て、現在迄暗躍を続けつつあるが』とメシヤ様が仰っているように、邪神というは暗躍してる(公然としていない)のだということ。

>「暗躍」というのは、「如何にも正しい振る舞いをしながら、みんなを不幸に陥れていく。」ということなのだということ。

◎メシヤ様が「良いことは諦めないが肝腎、悪い事は諦めることが肝腎だ。」と仰っているところの、一番の『根幹』が「精神戦争であり善悪の戦い」なのだということ。

 

「メシヤ講座no.124大阪(平成23年5月分)」より抜粋つづき:

「大学生レベルで医学を観る」ように

受講者:

・・・。なんか、メシヤ教、難しいと思うんですよ、どうやって(笑)

楳木先生:

難しいですよ。だって、「今までの文化とか信仰とか、小学生レベル」だと仰ってるわけだからね。そうして、世界救世(メシヤ)教こそ、ね、『大学とか大学院の話』なんだからね。」

受講者:

そうですよね。自分が・・

楳木先生:

だから、メシヤ様は「一番最高位の御教え」を、みなさんに取り次いでおられるんだからね、それを、「スーっとわかったような顔をするのはオカシイ」わけですね。「自分達の魂を高めつつ、御教えをわかっていくように」しないと、わかるわけがないんですね。」

受講者

う・・ん・・。そうですよね・・

楳木先生:

まあ、今回の御教え拝読をしながら、そういうことを腹に入れておいていただきたい、と思いますね。」

受講者:

このメシヤ講座特選集(「メシヤ講座・特選集no.123(平成23年4月分)」へ)の解説タイトルが、「魂の覚醒を促し、思考を拡げる」となっておりますね。

楳木先生:

うん。この御論文を拝読するとね、「拝読するごとに」、「魂が覚醒」していく、そうして「発見」がある。メシヤ様はこういう御意図があるのか、と。そして、それを発見すると、自分の「思考がドンドン拡がっていく」わけですね。何歳になっても、思考というものは拡がっていく。で、○○教団は、「思考がほとんど停止」しているということになるんですね。

(後略)

楳木先生:

うん。で、今、「文明の創造」の次の分・・6月15日に発行する分をね、今日、(支部に)ちょっと早く着いて、校正してたんですけどね。この中はね、ほぼ全部、腎臓のことばかりで、薬が病気を作り出す、というシステムをね、メシヤ様は細かく読みやすく御説き下さっているけれども、改めてこれは一番理解しやすい。やっぱり、「文明の創造」は、練りに練り上げて、集大成したものだなあという感じがしますからね。だから、病気のメカニズム、も全部解って行く、という感じですね。ですから、校正してても発刊するのが楽しみだ、っていうくらいですね。」

受講者:

ですね。

楳木先生:

うん。読み返せば読み返すだけ、身体の事が解って来る、という感じになってくる・・、だから、勿体無いですよ、○○教団は(笑)。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は、「今までの文化とか信仰とか、小学生レベル」だと仰っている。「世界救世(メシヤ)教」こそが『大学とか大学院の話』なのだということ。

>メシヤ様は私達に「一番最高位の御教え」を取り次いでおられるのだから、私達は自分達の魂を高めつつ御教えを分かっていくようにしていくのだということ。

◎「メシヤ講座・特選集no.123(平成23年4月分)」の解説タイトルが、「魂の覚醒を促し、思考を拡げる」となっているのだが、

>それは、この御論文を拝読するごとに(メシヤ様の御意図によって)「魂が覚醒」していく、そうして「発見」があるからなのだということ。

≫そして、そのことを発見すると、「私達の思考は、ドンドン拡がっていく(何歳になっても、思考というものは拡がっていく)」のだということ。

 

「メシヤ講座no.124大阪(平成23年5月分)」より抜粋つづき:

「治らない」というより「救い方を知らないだけ」

楳木先生:

御教えで、驚くことは何か、というと、(本来人間は、毒の質量の程度によるが、体力が無くなり衰弱の一途にならない限り、大抵の病気は自然治癒力により)「ほっとけば、治る」、と書いてますね。浄霊すれば治る、ということではなくてね。○○教団は、「ほっとかないで、治さない」ということなんです。ほっとかないように医者に見せたりして、結果、治らないように、治らないように、しているということです。」

受講者:

以前は、「予防医学」ということはあまり言わなかったんですけど、近年は、早期発見をして、ほっとけば治るような病気を医者にやってですね、定期的には定期健診というのを、専従者自らが行ってますね。そうして、療院の指示に従って、薬を飲んでいる、ということで、みなさんも「定期健診」に行きましょう、ということにしていますね。

受講者:

なんでそういうふうになったかと言うと、療院は最初ほとんど全然薬を使わず、それで一生懸命、何時間も施術(浄霊)したけど、しかし結局、治らなくって、それで(療院が紹介するアチコチの大学病院などの)お医者さんにかからなくてはならないようになって、そこで問題になりそうなことになったりして、そこで、もう・・(専従者や教団本部の)挫折感とかそういうものがあったと思うんですね。

で、根本は、病気治し、っていうことで、メシヤ様っていうところに想念が行っていないという、治す浄霊、になっていっちゃったからだと思うんですけど、そこがメシヤ教との違いで、それで、いくらなーんぼ一生懸命、浄霊していっても、治らへん。昔みたいに、治らへん、っていうことになると、急に病院に運ばれたりとか、問題が起こってきたりして、それでもう・・御手上げになって、それで、今ある体制に移っていっちゃったということなんですね。

だから、最初は、薬を使わずに、頑張っていたんですよ。で、とうとう、(本部見解としては)全然治らないって感じになったんだろうなぁ、って。(浄霊だけで問題なく治るという)事例が少ない・・。そういうのは、事例に出さないようにしてる。で、結局、亡くなったりなんかして・・。

楳木先生:

だから、結核なんか浄霊しすぎると駄目なわけです。浄化しすぎる、からです。浄化ということは体力を使うから、体力が無くなっていって身体は浄化して良くなっていくんだけども、また体力が無くなっていくので、亡くなっていくということにもなりますが、そういう場合は、どのような間隔で御浄霊をするか、とか逐一見ながらやっていかないといけないんです。

受講者:

はあ、そういう御教えがあるんですか。歳いった人は、何ですけど、

受講者:

何回も話してるよ、その話。

受講者:

い人でも結核?

受講者:

違う、肺病に関するものは、呼吸困難とか体力消耗で衰弱して亡くなるっていう、

楳木先生:

あっ、そ、体力で亡くなるっていうことでねえ。」

受講者:

(笑) あと熱のために食欲が落ちて、体力が落ちて、とかね。

楳木先生:

だから、癌でも擬似癌と真症癌の場合は、対処の仕方が全く違うわけです。真症癌の場合は、霊的な部分が関わってくるので、霊的な面の指導をしないと、癌は絶対治らないです。

受講者:

あッ、真症癌は治るんですか?

楳木先生:

(ジーーと見られる)真症癌は、」

受講者:

あ、(笑)すみません。

楳木先生:

真症癌は、良くすれば、治っていくわけです。」

受講者:

あ、りゅうじん・・

楳木先生:

龍神だけじゃないです。」

受講者:

あ、そうなんですか。

楳木先生:

(笑) 真症癌はね、癌が出来るシステムが、想念界にあるんです。だからね、「霊の働き」と「想念界」が作り出した真症癌が出来るから、この想念面を直さないと、浄霊しただけでは治っていかないんです。

受講者:

あ、そうなんですかあ。

楳木先生:

何故かっていうと、浄霊して浄まっても、同じ曇りを・・毎日発生させているわけだから、その人は。女性の場合は、乳癌とか子宮癌とか、そっち側の問題が一杯あるわけです。そういう指導を、」

(後略)」

楳木先生:

みんなね、「救い方を知らないだけ」なんです。だから、「医者の言う事を聞いてしまう」んです。

メシヤ様は、「まだ(医学が)腎臓の仕組みとかまだわかっていないので」、「私がこう(神の医学で)説明しても、(まだまだ医学は)解らないだろう」というように仰っている。

しかし、最近、「医者がコレコレこういうことを気付き出したので、まあまあ良かったと思う」というような書き方をされておられる。ね、その「本体の人達(メシヤ様の機関であるべきところの信者達)が、医者の言う事を聞いていてどうするんだ」ということです。

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎御教えを拝読して驚くことは何かというと、メシヤ様は(本来人間は、毒の質量の程度によるが、体力が無くなり衰弱の一途にならない限り)「大抵の病気は(自然治癒力により)ほっとけば治る。」と仰っているということなのだということ。

◎結核なんかは浄霊をしすぎるのは(浄化が厳しくなるので)、良くないのだということ。

>身体は浄化して良くなっていくんだけれども、浄化には体力を使うから衰弱して(体力が無くなっていき)亡くなってしまうということにもなるのだということ。

≫そういう場合は、どのような間隔で御浄霊をするかとかを逐一見ながらやっていかないといけないのだということ。

◎癌は、擬似癌と真症癌で対処の仕方が全く違うのだということ。

>真症癌の場合は、霊的な部分が関わってくるので、霊的な面の指導をしないと癌は絶対治らないのだということ。

・真症癌は、癌が出来るシステムが想念界にあるので、この想念面を直さないと、浄霊しただけでは治っていかないのだということ。

◎みんな「救い方を知らない」から、「医者の言う事を聞いてしまう」のだということ。しかしメシヤ様の機関であるべきところの信者達は(御教えに答えを求め)、医者の言う事を聞いていてはならないのだということ。

 

編集後記

責任者:

今回の学びでは、先ず私達ひとりひとりの魂が、より一層「発光体」になるように努めていかなければならないのだということを再認識できました。又、最高神が顕現されているところに繋がらせていただいているのだということに対する感謝の気持ちを一層強く持つことが出来ました。更に、メシヤ様から「浄霊力」を授けられているということに対し、高い想念を持って丁寧にお取次ぎさせていただかなくてはならないのだと再確認致しました。今月は、今回御教示いただいた事柄を振り返りながら、朝拝と夕拝に努めて参りたいと思います。あざやかな紅葉の季節、どうぞお健やかにお過ごしください。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.124大阪(平成23年5月分)

 

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