研鑽資料no.148(2024年12月)

12月の学び

はじめに

責任者:

今年は、例年にない暖かい師走となっておりますが、皆様 お変わりございませんか。毎年の事ですが、何かと気忙しい時期だなあと感じながら過ごしております。こんな時期ではありますが、気を改めて「文明の創造」を学んで参りたく思います。どうぞよろしくお願い致します。

 

「メシヤ講座no.126大阪(平成23年7月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『健康と寿命』

「文明の創造、総篇」昭和27(1952)年

私はこれから医学を全面的に批判解剖してみるが、その前に健康と寿命についてかかねばならないが、現代医学が真の医術であるとすれば、病人は年々減ってゆかなければならないはずであり、それと共に寿命も漸次伸びてゆかなければならない道理であるばかりか、そうなるまでに数百年で充分であるのはもちろん、現在最も難問題とされている結核も伝染病も全滅するし、病気の苦しみなどは昔の夢物語になってしまうであろう。ところが事実は全然その反対ではないか。としたら真の医学でない事は余りにも明らかである。

そうして次の人間の寿命であるが、これも造物主が人間を造った時は、寿命もハッキリ決めた事である。もっともこれについても私は神様から示されているが、最低百二十歳から、最高は六百歳は可能という事である。従って人間が間違った事さえしなければ、百二十歳は普通であるから、そうなったとしたら実に希望多い人生ではないか。しかもただ長命だけではなく一生の間溌剌たる健康で、病気の不安などは消滅するのであるから、全くこの世の天国である。では右のごとき間違った点は何かというとこれこそ驚くべし医学のためである。といったら何人も愕然(がくぜん)とするであろうが、この百二十歳説について、最も分り易いたとえでかいてみるが、まず人間の寿命を春夏秋冬の四季に分けてみるのである。すると春は一、二、三月の三月(みつき)として、一月の元旦が誕生日となり、一月は幼児から児童までで、二月が少年期で、梅の咲く頃が青年期であって、今や桜が咲かんとする頃が青年期で、それが済んでいよいよ一人前となり、社会へ乗り出す。これが花咲く頃であろう。次で四月桜の真盛りとなって、人々の浮き浮きする頃が、四十歳頃の活動の最盛期であろう。よく四十二の厄年というのは花に嵐のたとえ通り、花が散るのである。次で五、六、七月は新緑から青葉の茂る夏の季節で、木の実はたわわに枝に実るが、それを過ぎて気候も下り坂になって、いよいよ稔りの秋となり、これから収穫が始まる。人間もそれと同じように、この頃は長い間の労苦が実を結び、仕事も一段落となり、社会的信用も出来ると共に、子や孫なども増え、人生最後の楽しい時期となる。そうして種々の経験や信用もあり、それを生かして世のため人のため出来るだけ徳を施す事になるのである。それが十年として九十歳になるから、それ以後は冬の季節となるから、静かに風月などを楽しみ、余生を送ればいいのである。しかし人によっては活動を好み死ぬまで働くのも、これまた結構である。

以上によってみても、四季と寿齢とはよく合っている。この見方が最も百二十歳説の裏付けとしては好適であろう。この理によって医療が無くなるとすれば、右のごとく百二十歳まで生きるのは何ら不思議はないのである。ところが単に医療といっても種々の方法があるが、二十世紀以前まではほとんど薬剤が主となっていたので、長い間に薬剤で沢山の病気を作って来たのである。何しろ薬で病気を作り、薬で治そうとするのだから、病気の増えるのも当然であると共に、寿齢の低下も同様である。この何よりの証左として、医学が進歩するとすれば病気の種類が少なくなりそうなものだが、反対に増えるのは、薬の種類が増えるのと正比例しているのである。今一つ人々の気の付かない重要事がある。それは医学で病気が治るものなら、医師もその家族の健康も、一般人より優良でなければならないはずであるのに、事実はむしろ一般人より低下している。何よりも種々の博士中医学博士が一番短命だそうだし、また医師の家族の弱い事と、結核の多い事も世間衆知の通りである。そうして現在の死亡の原因は突発事故を除いてことごとくは病気である。しかも病死の場合の苦しみは大変なもので、これは今更言う必要もないが、よく余り苦しいので、一思いに殺してくれなどの悲鳴の話をよく聞くが、ではこのような苦しみは何がためかというと、全く寿命が来ない内死ぬからで、中途から無理に枝を折るようなものであるからで、ちょうど木の葉が枯れて落ち、青葉が枯れて萎(しお)れる。稲が稔って穫入れるのが自然であるのに青い内に葉をむしり、青い草を引抜き、稲の稔らないのに刈り込むと同様で、不自然極まるからである。というようにどうしても自然死でなくてはならない。しかし近代人は弱くなっているから、自然死といっても九十歳から百歳くらいが止まりであろう。

以上説いたごとく、神は人間に百二十歳以上の寿命を与え、病気の苦しみなどはなく、無病息災で活動するように作ってあるのを、愚かなる人間はそれを間違え、反って病苦と短命を作ったのであるから、その無智なる、哀れと言っても云い足らないくらいである。

 

「宗教科学者たれ」Ⅰ

楳木先生:

月次祭おめでとうございます。それでは、よろしくお願いします。

今日の御教え、冒頭1行目に、『私は之から医学を全面的に批判解剖してみるが』と書かれてあります。医学を全面的に批判解剖してみるが、という御教えを拝読した時に、レベルが低く読んでいくと、医学を全面的に否定していくという風に読んでしまいます。対立的に読んでいくと、「あっ批判しているんだ」というところから、否定していってしまう。こういう捉え方をしていくと、我々の考え方が少し変わって行ってしまいます。ですから、これはどういう事かというと、先月皆さんにお配りした『文明の創造(二・下)』のところで、種痘を評価していらっしゃいます(御教え『種痘』へ)。それはその時代の中で、人類が不幸になるところを、止めた部分を評価しているんです。

しかし、その種痘も間違いであるという風に、その後に論説を加えてあるんです。ですから種痘を評価したというのは、その時代に人類の不幸を一時的に止めたという事を評価している。しかしそれも本当ではないので、本来抵抗力というのは、抵抗力がつけばつく程、病気(浄化)になっていくんだと、メシヤ様は論理立てていますね。

メシヤ様の御教えを全体的に拝読していかないと、批判解剖というのはただ単に対立的な考え方で、 『夜の時代』の癖を以って読んでしまうと対立的に読んでしまいます。メシヤ様の御心は全人類が幸福になるということが目標なので、全人類を救っていくというのが目標なので、その為に批判解剖していくということです。

医学の面でも「解剖学」はある程度評価されておられます。そして、私は「病理学」と「生理学」それから「薬理学」の人体の仕組みを解明した部分を評価しています。

例えば今○○之光の方では、高血圧の方はすぐに薬に飲みながら浄霊をしていますが、何処へ行ってもそう。血圧が高いと皆薬飲んでる。そして浄霊をいただいている。○○之光の信者さん方はね。しかしそれは真実を知らないから薬を飲んでしまっている。

今の「病理学」と「薬理学」は合体して、そして血圧降下剤が出来ているんですが、血圧降下剤はどこに働くかというと、これは以前にも何回もお話しましたが、血圧が上がる仕組みを見ていくと・・・、腎臓は血液をろ過して、排泄物を尿に変えて外に出していく。また、ある程度の年数が経ってくると、この腎臓が非常に疲れてくる、腎臓が疲れてくると、通常の血圧ではろ過しきれなくなる、その為に今度は腎臓から心臓に向かって血圧を上げてくれというホルモンが出ます。分泌されます。これが心臓に伝達されたら、よし分かったということで、血圧を上げて行きます。

ですから、血圧降下剤の薬をよく読んでみると、そこにリネンという薬があります。このリネンというのは腎臓から分泌されるものの名称の一つです。だからその辺まで解ってる訳です。腎臓が元で血圧が上がるんだと言うことが、解ってるんです。だから製薬会社は腎臓からホルモンが出て、心臓にメッセージを送って、血圧を上げさせているから、その腎臓のホルモン分泌を出ないようにブロックさせれば、血圧は上がらないということに、製薬会社が気付く訳です。

だから血圧降下剤というのは、腎臓から出る血圧を上げてくれというホルモンをブロックするのが降下剤という事なんです。だからこれは、対症療法だからブロックするという結論を出している。

しかしメシヤ様は、腎臓が疲れるから腎臓を良くしなければいけないというお考えなので、血圧降下剤を入れることで、さらに腎臓が疲れてしまうということです。ですから「腎臓が心臓に対して血圧を上げてほしいというメッセージが出ている」という事まで、いわゆる「病理学、生理学、薬理学が気付いた」という事に対して評価をしている訳です。それで○○之光が一番間違っているのが、ここを解説していない、ということなんです。」

(後文割愛)

受講者:

・・・薬理学のその説は最近ですか?

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様はこの御論文の冒頭で 『私は之から医学を全面的に批判解剖してみるが』と書かれていますが、この部分を低いレベルで読んでいくと、「医学を全面的に否定していく」という風に間違った捉え方をしてしまい、(メシヤ様が伝えようとされていることと)我々の考え方が少し変わってしまうのだということ。

◎メシヤ様が仰っている「医学の批判解剖」は、御教えを全体的に拝読していかないと、ただ単に対立的な考え方で読んでしまう(『夜の時代』の癖を以って読むと、対立的に読んでしまう)のだということ。

>メシヤ様の御心は、全人類が幸福になるということと、全人類を救っていくということが目標なので、その為に医学を批判解剖していくということなのだということ。

・メシヤ様は、医学の面でも「解剖学」はある程度評価されているのだということ。

◎腎臓から出る血圧を上げてくれというホルモンをブロックするのが血圧降下剤なのだということ。

>医学は血圧が高い場合、対症療法として(そのホルモンを)ブロックするという結論を出しているのだということ。

≫それに対してメシヤ様は、血圧降下剤を入れることで、さらに腎臓が疲れるので腎臓を良くしなければいけないというお考えなのだということ。

 

「メシヤ講座no.126大阪(平成23年7月分)」より抜粋つづき:

「宗教科学者たれ」Ⅱ

楳木先生:

いやいや、もう血圧降下剤が初めて出た頃から気付いていたんです。だからもう何十年も前ですよ。 だからここを解説して、だから「血圧が上がった時には腎臓を浄霊しなければいけませんよ」という指導をすれば良かった。そうであれば、○○之光教団はOKだったんですよ。

そこを、「血圧が上がると脳の病気もいろいろ誘発してしまうから、大変だから血圧の薬を飲みなさい」とこういう指導をしてしまったら、もう全くものが判ってないという事なんです。「血圧の原因である腎臓を、 しっかり浄霊しなさい」という指導をしていけば、血圧はだんだんおさまって行く。

それから血圧に対して、メシヤ様は300までは大丈夫とおっしゃっています。最新医療では200までは大丈夫と言われている訳だから、例えば150前後で右往左往している方に対して、あなた最新医療の見解でも、まだまだ大丈夫なので、というような指導をしていけばいい訳です。

しかし元々低ければ、上がり幅がどれくらいか逆算していくと、150でもちょっと危ないという人もいるので、その時にはその人その人に、日常の血圧、今までの血圧を、日常生活というのを面談して、「あなたはこういう事を気付いて行かなければいけませんよ」という事と、セットで浄霊をしていかないといけません。こういう細かいお世話をするのが、実はメシヤ様の弟子なんだよという事が分かってないといけないのです。

また元に戻りますが、批判解剖していくということは、メシヤ様は「どこまでも人類を救うため、人類を幸福にするため」に医学を批判解剖するんだというように、メシヤ様の御心をしっかり求めていくことが大事です。

受講者:

血圧の「薬害」のところを、もう少し・・

楳木先生:

血圧については、以前にもお話したように血圧降下剤を服用することで、腎臓に圧力がかからないから、ろ過機能が非常に弱まってきます。そうすると我々が眠っている時にも腎臓はろ過し続けないといけない。そうすると腎臓がクタクタになります。 そしてもうこれ以上できないということになってくると、今度は血液の中に老廃物が溜り始めます。それと糖とか塩分も溜りだします。

これでは体全体に悪影響を及ぼすことになるので、今度はこの血液を薄めるということが必要になってくる、この血液を薄める作用が、以前もお話したように腎臓から尿道にいく一番出口の所の血管から、もう一度血管に水分だけ取り込まれます。だからもう尿を取り込むような感じ、水分を取り込んでそして血液を薄めていきます。そうすると、血中濃度が以前のように戻るので、何とか体全体が動くようになってくる。

ところが症状としては(腎臓の水分が放出されたので一時、)おしっこが出なくなります。(なお、薬を止めてしばらくすると自然治癒力が復活し、出るようになる)そうすると、医者はおしっこが出なくなると大変だからということで、今度は利尿剤を出します。利尿剤を飲んで、おしっこが出るようになると、身体はおしっこが出てくる力が出てきたと錯覚してしまします。しかしこれは尿道に出る所の血管と、水分を取りこむ作用をブロックしているに過ぎないのです。

だから薬というのは全部、どれも(分子レベルで受容体を)ブロックする、機能を止めるという働きをするものなんです。 そこで血液を薄めることが出来ないと、要するに合併症が出てくる。そうすると脳にくる。だから皆は血圧が高くて脳梗塞を起こすというように思っているけれども、実は血圧の薬を飲むから脳梗塞を起こしているんです。血中の濃度が濃くなってくるから、それ(不純物)が(血圧が低くて押し流せず)毛細血管で詰まってきてしまう、ということです。

一番分かりやすいのが、O―157で感染して亡くなった人達は、O―157で死んだんではなくて、O―157の菌を殺す薬、これが腎臓の働きを止めて、腎不全でみんな亡くなっているんです。

O―157で死んだという報道なので、みんなO―157を怖いと思うけど、O―157は下痢をして2、3日苦しい思いをすればみんな治ってくるところを、早くこの症状を治めようと、抗生物質を入れて、これが腎臓に行って腎不全を起こしてみんな死んで行くんです。

だからO―157は一番分かりやすい事例なんですが、これも薬が人の命を奪って行ったということなんです。血圧も薬を飲む事によって体調不良を起こして、そして二重に利尿剤を入れると、脳梗塞を起こすということです。

だから血圧が脳梗塞を起こす訳ではなくで、血圧を下げる為に入れる薬がそういう症状(脳梗塞など)を起こしてしまうと言う事を分かっておかないといけない。 そういう意味で、大きく捉えると、そういう生理作用とか、酵素の動き方とか、ホルモンの動き方とかを解明している。

いわゆる病理学とか生理学、薬理学は評価をするということです。「しかし薬は人体に毒にはなるから、これは使わない」と。 こういう考え方でいかないと、どうしても対立的にものを考えてしまうということになると、いけないという事です。

この1行目に、医学を批判解剖するという点においては、メシヤ様の御心というものをどこまでも求めて拝読していくということが必要であるということを、まず1行目に、充分にチェックしておいていただきたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎「血圧が上がる原因である腎臓を、 しっかり浄霊しなさい」という指導をしていけば、高血圧はだんだんおさまって行くのだということ。

>メシヤ様は、血圧の数値に対して、300までは大丈夫だとおっしゃっているのだということ。

≫血圧が高くなっている人で元々の血圧が低ければ、(上がり幅を計算してみて150でもちょっと危ないという人もいるので)丁寧な面談をしてその人に合ったアドバイスとセットで浄霊をしていかないといけないのだということ(丁寧なお世話をするのが、実はメシヤ様の弟子なのだということ)。

◎メシヤ様が「医学の批判解剖をされる」ということについて、「メシヤ様はどこまでも人類を救うため、人類を幸福にするためにされているのだ」という御心をしっかり求めていくことが大事であり、その上で拝読していくということが必要なのだということ。

 

「メシヤ講座no.126大阪(平成23年7月分)」より抜粋つづき:

「宗教科学者」が目指す「幸福」のバロメーター

楳木先生:

それから次の段落の2行目から読みますね。

『尤(もっと)も之に就(つい)ても私は神様から示されてゐるが、最低百二十歳から、最高は六百歳は可能といふ事である。従って人間が間違った事さへしなければ、百二十歳は普通である』 と、こういう風に書かれてある。ですからみんなまだ半分も生きてない人ばかりなんです。後ろにお座りの方々は大体半分くらい(笑)。

だからこの120歳というところは、「1つのテーマ」でありますね。 だから・・、早稲田大学の創設者、御存じだろうと思いますけれど・・。」

支部長代理:

大隈重信さん・・

楳木先生:

大隈重信の「定説」は、誰か聞いた事ない?」

受講者:

………

楳木先生:

大隈重信さんはね、人間は気をつけて生活して生きていれば125歳までは生きられるというのを信念として持っている。その信念の下に、早稲田大学を作って皆に勉強してもらいたい、ということをテーマにしている。だから125周年記念式典を早稲田大学上げて盛り上げている。だからその125周年の根底には人間は125歳まで生きれるということが根底にあるわけです。それでこの「間違った事さえしなければ」ということを、この時に皆さん考えていただかないといけない訳ですね。」

〔大隈重信: 天保9年(1838年3月11日)- 大正11年(1922年)1月10日没〕

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は、『(寿命は)人間が間違った事さへしなければ、百二十歳は普通である。』と仰っているのだということ。

>私達が120歳まで生きるには、メシヤ様が仰っているこの「間違った事さえしなければ」というところを考えていかないといけないのだということ。

 

「メシヤ講座no.126大阪(平成23年7月分)」より抜粋つづき:

間違った「衣」を『改める』 

楳木先生:

メシヤ様は「文明の創造」で昭和27年に間違った事というのは、一番は病気に対する考え方だと、薬をもって病気を治そうとすることが一番間違っていることだと、メシヤ様はここで集中しておっしゃっている。

それでは、平成23年で間違った事とは一体何か、と。これは「信仰生活」になってくる訳ですね、ここからね。 平成23年における間違った事は一体何か、という事に気付いていくということが実は「信仰生活」ということになってくる。

間違った事というと皆さん方の頭にピンピンピンと思い浮かぶでしょ。一杯浮かんでくるでしょ。言えないことも、間違った事が。その間違った事を大まかに「衣食住」に分けて整理していく。

まず我々が着ているもの、身につけているものに間違ったものはないか。まず「衣」ということについては「身につけるもの」ですから、風呂入った時に使う石鹸は何を使っているか、シャンプーは何を使っているか、化粧品は何を使っているか、それからトイレ入った時のトイレットペーパーは何を使っているか、ウォシュレット使いすぎてないかとか、そういうことが、ずぅーと上げられます。

ウォシュレットも使いすぎるといけないのね。というのは、善玉菌までも洗い流してしまうから、ウォシュレットが出始めてから日本人に痔が一挙に増えています。清潔にし過ぎると痔になるということです。これもあるので、この辺も程ほどにしておかないといけない。

それから皆さん方下着はどうですか?安全な下着を身につけていますか?綿100%、ね。これはナイロン製のものを使っていると、女性の方は婦人病を起こしていっています。いや私はちゃんとした綿100%のものを身につけていますと、言っても今度は洗剤はどうかと。そこで、合成洗剤は何故汚れを良く落とすかという論理を聞いた事ありますか?」

支部長代理:

界面活性剤ですね。

楳木先生:

そうそう。さすが支部長代理。界面活性剤でいわゆる服地の織り目を広げます、繊維を広げて、そこに洗剤が入っていくので、よく汚れを落とすということになっています。ここまでは(洗濯ということだけみると)理想的な洗剤なんだけど、この界面活性剤が残った服を着ると、皮膚につくとどうなるかというと、皮膚を広げるんです。皮膚もツルツルだけど、実は網目のようになっていて、汗腺、汗を出す穴とか、毛穴もあります。これを広げてしまうんです。そこでたまたま、ここは土壁だからいいけど、例えば、化学物質で充満した部屋に入ると、皮膚から化学物質が入っていってしまうんです。合成洗剤と同一に柔軟剤なんかを入れていると、もう皮膚から柔軟剤も入る。体が変わって行ってしまう、ふにゃふにゃになっていってしまうんです。

これだからこそ、界面活性剤の入った合成洗剤は良くないということなんですね。ですからこれからは、洗剤も石鹸も充分吟味して使うということです。この「衣食住」の「衣」の部分はずいぶん守られている、しかし○○之光はそこまで徹底しているか?おそらく全然徹底していってない。」

支部長代理:

○○之光では、どんな洗剤が置いてありますか?信者は、界面活性剤いっぱいのモアは使ってなかったですか?

受講者一同:

(笑)

楳木先生:

「自然の洗剤」は汚れが落ちないです。落ちないからいいんです。」

受講者:

家族から言われるんですよ。

楳木先生:

だから家族にそういう説明をしていないからです。白いシャツなんかは、だんだん黄色くなってくる。黄色くなって、それがいやなら買い換えればいいんです。この私が着ている麻のYシャツはユニクロで定価1990円です。しかし、私はいつも500円になった時に買います。大黒様と相談しながら、いつ安くなりますかと、尋ねておくと、(笑)ちょうどいい時に500円になるから、500円になったら買います。大黒様に、そうやって働いて頂いてね(笑)。まだ3年目ですけどね、まだ大丈夫です。洗濯は大変だけど、それはアイロンさえかければいいんです。」

支部長代理:

酸素系の汚れ落としは売ってたよね?、○○さん。しゃぼん玉石鹸㈱の、黄ばみが落ちるのね。

〔やさしい「酸素系漂白剤」・・・原料:過炭酸ナトリウム〕

〔当支部では当初より、全員自然の石鹸を使用していますが、食器用もシャンプーも成分同じなので、自然の石鹸で頭を洗うとフワフワでよく洗えて髪がゴワつかない、という女性もいます〕

受講者:

P&Gとかの洗剤、信者さんもよう使ってますね、「よう落ちる!」って言ってね。

受講者:

やっぱりへんな洗剤使うと、体が痒くなりますよね。

楳木先生:

そう、この間群馬でね、アトピー性皮膚炎の子供がいて、洗剤に気をつけて使っていて、大分治まってきてたのを、おばあちゃんが自分のいつも使っている化学洗剤で孫の服を洗ってしまった。その子は、その服を来た瞬間にバァーと痒いのが出ちゃってね。だからね、いかに化学物質が恐ろしいかということですね。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は「文明の創造」の中で、昭和27年当時に間違っている事の一番は病気に対する考え方(薬をもって病気を治そうとすること)だと、集中して仰っているのだということ。

>そうであれば、私達の「信仰生活」としては、平成23年(令和6年現在)に於いて「間違っている事は一体何なのか、という事に気付いていくこと」なのだということ。

≫気付いた沢山の「間違っている事」を、大まかに「衣食住」に分けて整理していくのだということ。

・まず「衣」=「身に付ける物」として間違ったものはないかをチエックする。例えばお風呂入った時に使う石鹸やシャンプーは何を使っているか、化粧品は何を使っているか、それからトイレットペーパーは何を使っているか、ウォシュレット使いすぎてないか等。又、綿100%の安全な下着を身につけているか、そして下着などを洗う洗剤は何を使っているのか等。

 

「メシヤ講座no.126大阪(平成23年7月分)」より抜粋つづき:

間違った「食・住」を「改める」 

楳木先生:

次の「食」は、もう枚方支部はお手の物だからね。この食が間違っている人は、徹底的に改善しているから、これは話さなくていいですね。「住」は枚方支部自体は築何年ですか?」

支部長代理:

昭和55年ですから、30数年です。

楳木先生:

30数年ですから、ほぼ化学物質は使ってない。入ってないので、だからここの住まいはほとんど心配ないです。しかし、マンション住まいの人とかは、結構化学物質が使われてます。外出の際、家に誰もいない時は、締め切って行きますか?」

受講者:

窓は開けていきます。

楳木先生:

そうですか。マンション住まいで、仮に締め切っている場合はね、玄関の鍵をあけて、中に入る前に思いっきり息を吸い込んで、それから中に息を止めて入る、そして窓を全部開けて、途中で息が続かなくなったら、窓の外の空気を吸って、また息を止めて、換気をして、それから部屋の中で呼吸をする位の気をつけ方をしないと、幾分かは化学物質を吸い込んでしまっていると思います。マンションの新築の部屋は臭いでしょ、化学物質でね。」

受講者:

だんだん建築に使うものとかも、厳しくなったでしょ。家はうるさく言われるようになってから建てたので、ベニヤ板も3つ星以上じゃないとダメとかいう所で建てたんですよ。だから、大丈夫だったんですけど、新車とかもすごく臭いですよね。

楳木先生:

そうです。新車もすごいです。糊に化学物質を使ってますから。だから車も中古車を買わないとね。だから中古車ばっかり乗ってる人は、完全に大丈夫とは言えないけど、まぁまぁ大丈夫です。

それからですね。今「耐震基準」が厳しくなったので、この(支部の)柱よりも、中を空洞にして張り合わせた柱の方が耐震性が高い、ということで、もう使われ始めています。しかし張り合わせたということは、ここにまた強力な糊を使うということですから、また怖いですね。

こういう塗ってる柱(ピカピカの床の脇柱)は左程水を吸わないけど、そこの塗ってない柱は大体コップ1杯水を吸ってくれるそうです。梅雨時期にコップ1杯分の水を吸ってくれて、夏乾燥してくるとその水を出してくれる。そういう作用をやってくれるけど、しかし空洞の角材であれば、耐震強度は高まるけど、そういうことを全然やってくれない、その上に強力な化学物質の糊が出てくるということですね。だからそういうものを使わない建築を心がけた家を建てる。少し予算がオーバーしてもそういう努力をして新築をするということですね。家を建てる場合はですね。あるいは「中古物件」を買って、「耐震補強」をするということですね。これが一番理想的な買い方ですね。今中古物件がもの凄く安くなってます。(割愛)

話がいい方向にずれましたけれども、「衣食住」をそういう風に、間違った所を順次正して行く事に、これから日々取り組んでいくと、寿命が1歳でも延びて行くということです。そういうことに心がけて行きたいと思います。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎「衣食住」の間違った所を順次正して行く事に日々取り組んでいくと、私達の寿命は少しずつ長くなるので、そういうことを心掛けるのだということ。

 

「メシヤ講座no.126大阪(平成23年7月分)」より抜粋つづき:

間違った「心言行」を「改め合う」

楳木先生:

それから「衣食住」に注意するようになったら、次は自分の「心言行」ですね。「 『夜の時代』 の癖」が残ってますので、それを「 『昼の時代』 の心言行」に切り替える努力を日々していただいて、この枚方支部の中で、この月次祭を中心に皆さんが集まった時に、「『夜の時代』の言動」が出た時にはお互いに注意し合ってね。

「今のは『夜の時代』の考え方ですよ」とか、「『夜の時代』の話し方ですよ」とか、そういうふうに言って、みんなが昼の時代に切り替えていくように。支部長代理を中心に。そして皆さんは支部長代理からその事を指摘されたら、素直に聞くように(笑)、「そんな事分かってるんやけどねぇ~」とか言わないように。「はい」と言ってやっていただきたいと思います。だいだいやらない人は分かっているんだけど、「なかなか難しいですからね」という・・。話は分かってるんだけど、もう難しい時はね、「やりません」と言って下さい。説明が難しい時でも必ず、「やりません」と一言でいいので言って下さい。それで、お互いに注意し合いながら、お互いで「真言行」を正していっていただくようにして下さい。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎「衣食住」に対して注意するようになったら、次は自分の「心言行」を振り返ってみるのだということ。>私達には「 『夜の時代の(心言行の)癖」が残っているので、それを「 『昼の時代』 の心言行」に切り替える努力をしていくのだということ(自分の間違っている心言行を正していくのだということ)。

 

「メシヤ講座no.126大阪(平成23年7月分)」より抜粋つづき:

「寿命」 に応じた 「魂の成長目標」

楳木先生:

それから次の御教えをずぅーと下の方まで読んでいきますと、皆さん方の印刷だと、どの辺になりますか?一番下の行辺りに、『次で五、六、七月は新緑から青葉の繁るの季節で、木の実はたわわに枝に実るが、それを過ぎて気候も下り坂になって、愈々(いよいよ)稔りの秋となり、之から収穫が始まる。と。そしてこのまま読んでいきますと、『人間もそれと同じやうに、此(この)頃は長い間の労苦が実を結び、仕事も一段落となり、社会的信用も出来ると共に、子や孫なども増へ、人生最後の楽しい時期となる。そうして種々の経験や信用もあり、それを生かして世の為人の為出来るだけ徳を施す事になるのである。それが十年として九十歳になるから、それ以後は冬の季節となるから、静かに風月などを楽しみ、余生を送ればいいのである。然(しか)し人によっては活動を好み、死ぬ迄働くのも之亦(また)結構である。』

だいたい人間も、50、60,70歳位になると、それと同じように、「経験や信用」も出来るので、「それを生かして世の為人の為出来るだけ徳を施すことになるのである」と書かれてありますから、50代の方からは「信用と経験」が自分自身蓄積されているか、ということを、チェックしていただいて、そして徳を施すということを課題にしていただきたいと思います。まぁ言い換えるならば、50、60、70になって、初めて「メシヤ様の御神業」を担えるんだということになるんです。 だから2列目に並んでいる方々はとりわけそういうチェックをしていただきたいと(笑)。今日は不思議なことに40代の方々が前に、50代以降の方々が後ろに座ってらっしゃるんです。」

支部長代理:

話しやすいようになってますね。

楳木先生:

今日は皆さん方の正守護神が、こういうように座るように導いて下さったんですね。」

受講者一同:

(大笑)

楳木先生:

そして40代の方々は、これから50代60代と突入するので、今自分が積み重ねるべきは、「経験と社会的信用」なんだとふうに、自分に課して生活をする、そういう積み重ねをやっていただきたいと思います。今回の御論文を拝読する中で、そういうことを自分にチェックを入れていただきたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎だいたい人間は、50、60,70歳位になると、「経験や信用」が出来るので『それを生かして世の為人の為出来るだけ徳を施すことになるのである。』とメシヤ様は仰っているのだということ。

>50代からは、「経験と信用が自分自身蓄積されているかどうか。」ということを確認し、そして「徳を施す」ということを課題にするのだということ。

≫(言い換えるならば)50、60、70になって、初めて「メシヤ様の御神業」を担えるんだということになるのだということ。

◎40代の方々は(これから50代60代と突入するので)、今自分は「経験と社会的信用を積み重ねていくのだ。」というような課題を持って生活をしていくのだということ。

>今回の御論文は、上記のようなことを確認しながら拝読するのだということ。

 

「メシヤ講座no.126大阪(平成23年7月分)」より抜粋つづき:

「思い込みの無智」 は 「大きな不幸世界を作ってきた」

楳木先生:

そして一番最後の行に 『其(その)無智なる、哀れと言っても云(い)ひ足りない位である。』 とメシヤ様はこの無智とおっしゃっている。○○之光教団の方々にもう何回も言わないといけない、無智過ぎるんです。

これは二千数百年前にお釈迦様も、人間の不幸は無智ということなんだとおっしゃってます。ニ千年以上も前から、人間は無智であることが不幸なんだとお釈迦様もご指摘された。

メシヤ様も昭和27年の時に、無智は、「哀れと言っても云(い)ひ足りない。」と。それ位ですね、さっきの血圧の話しからすると、無智なるがゆえに血圧降下剤を飲んで、そしてさらに症状を悪化させている。いいと思って飲んでいるものが実は自分の命を縮めていると。これは無智なるがゆえですよ。この無智ということを何度も何度も自分にも言い聞かせて、知り合いの人達にも、「無智というのが、一番自分を不幸にしているんだと、不健康にしているんだ」という事を、よ~くお伝えしておいていただきたいと思います。

今月の御論文の中からはその事を特に確認をさせていただいておいて、いつものように質疑応答に移りたいと思います。」

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は昭和27年の時に、『其(その)無智なる、哀れと言っても云(い)ひ足りない位である。』と仰っているのだということ。

>私達は、この「無智(である事は不幸なのだ)」ということを繰り返し自分に言い聞かせ、知り合いの人達にも「無智というのが、自分を一番不幸にし、不健康にしているんだ。」という事を伝えていかなければならないのだということ。

≫お釈迦様も二千数百年前に、人間の不幸は無智ということなのだと仰っているのだということ。

・ニ千年以上も前から、人間は無智であることが不幸なのだとお釈迦様もご指摘されているのだということ。

 

編集後記

責任者:

今回の学びでは先ず、メシヤ様が「医学の批判解剖をされる」ということについて「医学を全面的に否定していく」ということではなく、「メシヤ様はどこまでも人類を救うため、人類を幸福にするために医学の批判解剖をされているのだ。」というその御心を御教示いただきました。又、メシヤ様が仰っている「私達が間違った事さえしなければ、120歳まで生きることが出来る」という人間の寿命について、間違っている「衣食住」と「心言行」を自分自身が振り返りながら正していくことが私達の信仰生活に繋がっていくのだということを御教示いただきました。今回は時期的に令和6年度を総括する上での重要な学びになったのではないでしょうか。メシヤ様の御心に感謝し、又120歳という寿命を全う出来るように、間違っている部分を見つけ修正しながら今月は日々の生活を送っていかなければと思っております。時節柄、御多忙だと存じます。どうぞご自愛ください。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.126大阪(平成23年7月分)

 

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