令和7年1月に向けての学び
はじめに
責任者:
今年も残りわずかとなりました。今年を振り返ってみると、元日の午後に石川県能登地方で震度7の地震が発生し、2日には東京羽田空港の滑走路で、日本航空の旅客機と海上保安庁機が衝突、炎上するという、大災害と事故からのスタートとなりました。又、今年の夏は猛暑日が続き本当に暑かったですね。政治に於いては衆院選があったり、内部告発問題で失職の兵庫県知事が再選されたりと色々な意味合いを持った激動の一年だったように思います。皆様、お一人お一人にとって今年はどの様な1年になりましたか。
さてそれでは、今年の締め括りの学びを始めさせていただきたく思います。どうぞよろしくお願い致します。
「メシヤ講座no.127大阪(平成23年8月分)」より抜粋:
<今月の御教え>
『救い主と贖罪主』
「文明の創造、総篇」昭和27(1952)年
私は之迄悪に就(つい)ての根本理論として、悪が必要であった事、悪によって今日の如き文化の進歩発展を見た事をかいて来たが、茲(ここ)で今一つの重要な事をかかねばならない。それは有史以来今日迄幾多の宗教が生れ、其(その)説く処は例外なく善を勧(すす)め、悪を極力排斥したのであった。勿論(もちろん)之は悪其(その)ものを除くのが宗教の建前であるから勿論(もちろん)当然であるが、それに就(つい)て私はよく斯(こ)ういふ質問を受けたものである。
“一体神や仏は愛と慈悲の権化であり乍(なが)ら悪人を作ってをいて罪を犯させ、それを罰するといふのは大いに矛盾してゐるではないか。それならいっそ最初から悪など造ってをかなければ、罰を当てる必要もないから、それこそ真の神の愛ではないか”といふのである。成程此(この)質問は尤(もっと)も千万(せんばん)で一言もないが、実をいふと私にしても同様の考へ方であるから、其(その)都度私は斯(こ)う答へる。“成程それには違ひないが、元々私が悪を作ったのでないから、私には説明は出来ない。つまり神様が何か訳があって悪を作られたのであるから、何(いず)れ神様はそれに就(つい)ての、根本的理由をお示しになるに違いないから、それ迄待つより仕方がない”と曰(い)ったものである。
処が愈々(いよいよ)其(その)時が来たので神は其(その)事を詳しく啓示されたので、私は喜びに堪(た)へないのである。そうして右と同様の疑問を有(も)ってゐる人も多数あるであらうから、之を読んだなら、暗夜に燈火を得た如く豁然(かつぜん)と眼を開くのは勿論(もちろん)であらう。では何故今迄の宗教開祖の悉(ことごと)くが悪を非難したかといふと、曩(さき)にも詳しくかいた如く、或(ある)期間悪が必要であったから其(その)深い意味を主神は知らさなかったのである。従って仮令(たとえ)正神と雖(いえど)も知り得る由はなかったので、正神は何処(どこ)迄も正義のみによって天国世界を作らんとするに反し、邪神は何処(どこ)迄も目的の為手段を撰ばず式で、悪によって野望を遂げんとしたのである。
処が愈々(いよいよ)悪の期限が来たので、主神の直接的力の発揮となった事で、茲(ここ)に私といふ人間を選び、善と悪との根本義を開示されたのである。それといふのは今迄の各宗開祖は力が足りなかった。其(その)最もいい例としては彼(か)のキリストである。キリスト自身は贖罪主といったが、救ひ主とは曰(い)はなかった。贖罪主とは読んで字の如く、罪の贖(あがな)ひ主である。つまり万人(ばんにん)の罪を一身に引受け、主神に謝罪をし、赦(ゆる)しを乞ふ役目である。早くいえば万人(ばんにん)の代理者であり、赦(ゆる)される側の神で、赦(ゆる)す方の神ではなかった。其(その)為罪の代償として十字架に懸(かか)ったのである。
此(この)理は仏教に就(つい)てもいえる。彼(か)の釈尊が最初は仏教によって、極楽世界を造るべく数多くの経文を説き、専心教へを垂(た)れたのであるが、どうも予期の如く進展しなかった処へ仏典にもある通り“吾七十二歳にして見真実を得た”と曰(い)はれた通り、此(この)時自己の因縁と使命を本当に知ったのである。そこで之迄の誤りを覚り、極楽世界出現は遙かに先の未来である事が分ったので、之迄説いた処の経説には誤謬(ごびゅう)の点少なからずあり、之から説くものこそ真実でありと告白し、説いたのが彼(か)の法滅尽経であり、彌勒(みろく)出現成就経であり、法華経二十八品(ぼん)であったのである。一言にしていえば釈尊は仏滅即ち仏法は必ず滅するといふ事を知り、其(その)後に至って現世的極楽世界である彌勒(みろく)の世が来ると曰(い)はれたのは有名な話である。
只(ただ)茲(ここ)で時期に就(つい)て注意したい事は、釈尊は五十六億七千万年後ミロクの世が来ると曰(い)はれた。併(しか)しよく考えてみると、いくら釈尊でも其(その)様な途轍(とてつ)もない先の事を予言する筈(はず)はない。第一そんな先の事を予言したとて、何の意味もないではないか。何故ならばそんな遠い時代、地球も人類もどうなってゐるか、到底想像もつかないからである。之は神示によれば五六七の数字を現はす為で、此(この)数字こそ深い意味が秘めてあった。即ち五は日(火)、六は月(水)、七は地(土)であり、之が正しい順序であって、今日迄は六七五の不正な順序であった。之は後に詳しくかく事として、兎(と)に角(かく)キリスト、釈尊の二大聖者と雖(いえど)も、真理は説けなかったのである。何よりも経文やバイブルにしても明確を欠き、何人と雖(いえど)も到底真理の把握は不可能であったにみて明かである。勿論(もちろん)時期の関係上止むを得なかったのである。
処が茲(ここ)に主神は深奥なる真理を愈々(いよいよ)開示される事となった。此(この)著に説く処明快にして些かの疑点なく、何人も容易に真理を掴み得るのである。そうして今迄強大なる悪の力が一切を九分九厘迄掌握し、後一厘といふ間際(まぎわ)に来て、意外にも茲(ここ)に一厘の力が現はれ、邪神の謀略を一挙に覆(くつが)へすのである。つまり悪主善従であった世界が、善主悪従となるのである。そうして之を具体的にいえば斯(こ)うである。即ち九分九厘の悪とは現代医学であって、之も曩(さき)にかいた通り必要悪であるから、今迄はそれでよかったのである。然(しか)し其(その)結果として人間の最大貴重な生命を完全に握って了(しま)った。若(も)し医学が誤ってゐるとすれば、生命の危険は言語に絶するといってもいいであらう。之程世界人類から固く信じられてゐる医学を是正するのであるから、容易な業でない事は言う迄もない。
古代は精神文化主体
楳木先生:
それではよろしくお願いします。岡山支部へ御参拝された方はこれを読んでいるので、さらに深くいろいろと考えたと思いますが、さらに説明を聞いて気付いた事はありますか?今日の御論文の所を少し分解し、印をつけながら理解を深めていきたいと思います。
まず冒頭の『私は之迄悪に就(つい)ての根本理論として、悪が必要であった事、悪によって今日の如き文化の進歩発展を見た事をかいて来たが』とあります。
前回までの「文明の創造」は、この根本理論をメシヤ様は説明して下さっていたと、悪が何故必要だったのかと、あるいは、悪によって今日の如き文化の進歩発展を見たんだという事をメシヤ様は我々に教えて下さったという事ですね。
それについて、さらに5行下の方に行きますと 『私はよく斯(こ)ういふ質問を受けたものである。“一体神や仏は愛と慈悲の権化であり乍(なが)ら悪人を作ってをいて罪を犯させ、それを罰するといふのは大いに矛盾してゐるではないか。それならいっそ最初から悪など造ってをかなければ、罰を当てる必要もないから、それこそ真の神の愛ではないか”といふのである。成程此(この)質問は尤(もっと)も千万(せんばん)で』 と、実はメシヤ様も同様の考えであったということです、真実、真理を知る前はね。
私が中学2年の時からメシヤ様の御教え拝読を始めて、やはり一番感銘を受けたところが、ここです。やっぱり純粋に・・、中学生というのは純粋で正義感が一杯ある。それから世の中の仕組みが分からない。世の中の裏の構造も知らない。純粋一辺倒で拝読してた時に、“神様が悪を作らなければ、本来悪人はいないんだから、みんな幸せでいいんじゃないかなぁ”と思っていた。若い時、純粋な気持ちとしてはあるものですよね。皆さんも、若い時はそういう気持ちではなかったかなと思うんですけどね。
しかしメシヤ様はさらに後で、『つまり神様が何か訳があって悪を作られたのであるから、何(いず)れ神様はそれに就(つい)ての、根本的理由をお示しになるに違いないから、それ迄待つより仕方がない”と曰(い)ったものである。』 これが昭和元年までの、メシヤ様のお答えの仕方ですね。
しかしその下の段落で 『処が愈々(いよいよ)其(その)時が来たので神は其(その)事を詳しく啓示されたので、私は喜びに堪(た)へないのである。』 この御啓示が昭和元年です。
昭和元年ある日、爽快な気分に満たされて、そして何か言葉が出てきそうになるのを、押えても押えても出てきそうになるので、任せて口を開いた所、“紙と筆を用意せよ”というのが最初の言葉であったという下りがありますよね。
御啓示の内容は、便せんでおおよそ400枚。しかしこれは当時の社会情勢からすると問題になるから、焼いてしまった、と。最初は土に埋めていたけど、それでも不安なので焼いてしまったという内容です。
これが主神様からの御啓示ですが、昭和元年までは、何故神様は悪を作ったのか、という質問に対しては、私も悪を作った訳ではないから答えようがない、というお答えの仕方です。しかしこの元年に御啓示をいただいてからは、悪は何故必要だったか、悪が何故生まれたのかを、少しずつご解説を始められたという事ですね。
だから昭和元年の分岐点を明確にここで持っておいて頂きたいと思います。大本教ですら、(メシヤ様が入信されていたところの元年までの)大本教時代でも、この悪の発生理由を知らされてなかったということです。しかしこの御啓示によって知らされた、ということです。
そこで、文明の創造の前半の所を読んでいくと、では“何故悪がないと発展しないのか?”ということです。
それは縄文時代を見つめてみると少し解かりやすいと思いますね。縄文時代で一番有名で解りやすいのが、青森県の三内丸山遺跡ですね。三内丸山遺跡へ行くと、堆積している塚の一番下は6500年前から3500年前までで、これは、同じ所に、いわゆる生ゴミが捨てられた跡が残っている訳です。ということはそこに定住していたと。約3000年間も定住していたということが、あの遺跡を見るとそれが分かる訳ですね。
ところが、それを皆さん方に当てはめたら3000年間も同じ所に住んでますか?とんでもないよね。(皆さんの場合は、)成長して仕事に就いて、(家を出て)結婚して、それから最後までその人と一緒に住んだとしても途中で家を変わったりしていますね。
そして三内丸山遺跡を見つめていくと、まず中心になる所に祭祀場があります。神様をお祭りして、そして今年の一年の行事を、どういうふうな行事にしたらいいのか、ということをお祈りして、そしてこういうふうにしなさいと、指示がくる、そういう祭事があります。そして祭祀場の次の所に集会場があって、そこで、こういう御指示があったので今年一年間の動き方はこういう動き方で行きますので、という指示を伝える集会があります。してそのさらに離れた所に居住区が並んであります。
お墓は以前もご説明した通り、成人した人と、子供でお亡くなりになった人と、埋葬地を分けてあります。そういうことから考えて行くと、この縄文時代にはお亡くなりになった人を送る時に、そういう年齢に応じて送り方を変えていたということが分かります。
そうすると、世界救世(きゅうせい)教だった人達は祖霊台帳を持ってるでしょ。その祖霊台帳の後ろに何て書いてある?個人名、俗名の後に何か書いてあるでしょ。何て書いてある?男性だと○○毘古之神霊(びこのみたま)、女性は○○毘女之神霊(びめのみたま)、と書いてある。他にも何かあったでしょ。比古(ひこ)とか比女(ひめ)とか、あと、少女(いらつめ)とか、それから稚子(ちご)、その下に児(じ)と、こういうように分けて書いてある。
30歳以上でなくなった人を毘古(びこ)、毘女(びめ)と読んでいるんです。そして15歳から30歳の間に亡くなった人を比古(ひこ)、比女(ひめ)と。だから名前に彦とかをつけると、精神的にあまり成長しないというのは、そういうところにあるんです。15歳から30歳までに亡くなった人に彦とつける訳だから、現界でも彦というのをつけてたら、あまり成長できない。
だから私はもう一つの名前を孝彦という名前を持っているけど、この孝彦は、御教えに照らし合わせると、精神的成長がある所で止まってしまうので外したんですね。
これはまぁ・・、最初、病気になったんです。あまりにも病気が続くので、最初の名前の和敏では総画で四十一画になり、名前が良すぎるので、この名前ではずっと病気し続けるということで、そこで、夜の時代の考え方のいわゆる祈祷師に見てもらった為に、“これではいけないから孝彦とつけなさい”と言われてつけたんですね。
その後、世界救世(きゅうせい)教にご縁をいただき少しずつ健康になって来たんだけれども、孝彦というのは病気をしないような名前なんだけれども、15歳から30歳で亡くなった人に「ひこ」とつける訳だから、言霊からゆくと、この範囲内から抜けることが出来ないと言う危険性を感じて、自分で孝彦を外して、もう1回和敏に戻して家族親戚に周知したのです。そして、メシヤ教を発足させるまでは、ずっと和敏で来たんだけれども、つくる時にメシヤ様から“この名前じゃダメだ”ということで、そして今の名前をつけられた訳です。そして今使っているんです。ちょっと余談ですけどね。
そして十五歳、七歳、0歳というように、神道的な区別した名前の付け方があります。だいたい縄文時代に積み上げて行った葬儀のあり方の中から、そういう分類の仕方が出来たのです。そして秩序だった生活がずっと3000年間続いた訳です。同じ所に居住して、同じ生活をしているということは、ほとんど進歩がなかった、と言ってもいいくらいですね。だから“悪がないと進歩がなかった“ということを示す為に三内丸山遺跡を神様は残して下さっている、と。
まぁ他にも出ているんだけれども、とりわけ昭和30年代にほとんど出たのを、潰してしまってる。家とか工場地として建てられなくなるから“遺跡は一切出ません”ということで工事の人が全部隠してしまっているので、一応遺跡として分かっていてキチンと残っているのが、縄文時代の遺跡としては、三内丸山遺跡が一番だと思います。それから弥生時代では佐賀県の吉野ケ里遺跡が分かりやすいです。まぁ(各時代)一つずつ残っているので、それを参考にしながら、その当時の人の生活とか、それからどういう精神状態であったかが、だいたい分かるのではないかなと思います。
三内丸山遺跡の塚で、だいたい3キロくらいの鯛の骨が捨てられていたり、それから鹿のハンバーグが出てきたりしているのでね、その当時は結構豪華な食事をしてたんだなぁと思いますね。ただ、お米はまだないので、栗を中心として、栗を栽培しながら栗を中心に、そういう海の物、山に生息している鹿を中心に、食事をしてたということがだいたい分かる訳ですね。ただ発展していないということが、分かるわけです。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎冒頭に、『私は之迄悪に就(つい)ての根本理論として、悪が必要であった事、悪によって今日の如き文化の進歩発展を見た事をかいて来たが』とあるように、前回までの「文明の創造」は、私達に「悪が何故必要だったのか。」あるいは、「悪によって今日の如き文化の進歩発展を見たのだ。」というような根本理論をメシヤ様は教えて下さっていたのだということ。
◎メシヤ様は 『私はよく斯(こ)ういふ質問を受けたものである。“一体神や仏は愛と慈悲の権化であり乍(なが)ら悪人を作ってをいて罪を犯させ、それを罰するといふのは大いに矛盾してゐるではないか。それならいっそ最初から悪など造ってをかなければ、罰を当てる必要もないから、それこそ真の神の愛ではないか”といふのである。成程此(この)質問は尤(もっと)も千万(せんばん)で』 と仰っているので、「真理」を知る前(昭和元年以前)までは、実はメシヤ様もこれと同様の考えであったのだということ。
◎メシヤ様は 『つまり神様が何か訳があって悪を作られたのであるから、何(いず)れ神様はそれに就(つい)ての、根本的理由をお示しになるに違いないから、それ迄待つより仕方がない”と曰(い)ったものである。』 と仰っているのだということ。
>これが昭和元年までの、メシヤ様のお答えの仕方なのだということ。
◎『処が愈々(いよいよ)其(その)時が来たので神は其(その)事を詳しく啓示されたので、私は喜びに堪(た)へないのである。』 と仰っているが、この御啓示が昭和元年なのだということ。
>そして、この御啓示をいただいてからは、悪は何故必要だったか、悪が何故生まれたのかを、少しずつご解説を始められたという事なので、この昭和元年の分岐点を私達は明確に持っておくのだということ。
◎「何故悪がないと発展しないのか?」というと、
>三内丸山遺跡を(良い例なので)みてみると、そこでは同じ所に居住して同じ生活をするというような、秩序だった生活がずっと3000年間続いたのだということ。
≫同じ所に居住して、同じ生活をしているということは「3,000年間ほとんど進歩がなかった。」と言ってもいいくらいなので、「悪がないと発展(進歩)しないのだ。」ということ。
「メシヤ講座no.127大阪(平成23年8月分)」より抜粋つづき:
悪による物質文化 と 弊害の迷信文化
楳木先生:
そしてそのすぐ下の所に 『では何故今迄の宗教開祖の悉(ことごと)くが悪を非難したかといふと、曩(さき)にも詳しくかいた如く、或(ある)期間悪が必要であったから其(その)深い意味を主神は知らさなかったのである。』 ということですね。
『従って仮令(たとえ)正神と雖(いえど)も知り得る由はなかったので、正神は何処(どこ)迄も正義のみによって天国世界を作らんとする』 というようにお書きになっている。
これはどういう事を指すかというと、実はメシヤ様が「文明の創造」をお書きになった最大の理由がここにあるということなんです。他の宗教は悪の発生理由を説いてない、と。悪を攻撃し非難する、ということはやってきたけれども、悪が何故必要だったかということを説いてこなかった。
それは何故説けなかったかというと、今までの各宗開祖達は主神様の直接の啓示ではなかった。メシヤ様の御出現によって、メシヤ様がこの世に出てこられたので、主神様の御啓示が降ったということです。だからメシヤ様がこの世の中にお生まれになって下さったので、主神様がメシヤ様に啓示を下さった。この御啓示の中で、今までの宗教が説かなかったものが、この“(必要)悪の発生理由”だということです。
そしてこの悪があったからこそ、“文化が発展”してきたんだということを説明した唯一の方がメシヤ様だということを、この「文明の創造」では分かっておいていただきたいんです。
そして、もう一つメシヤ様が他の宗教の開祖と全く違うのは、その悪の発生理由を説いたことと、もう一つは“病気に対する判釈”を持っていたということです。
だからこの病気に対する判釈を持っていたという部分を、簡潔にまとめていただいているのが「文明の創造(二)」の上と下です。これらを拝読する時に、他の宗教の開祖とは全く違った一面がここにあるんだということです。だからこれをもう少し現代に当てはめて解説すると、皆さんにお渡しした「文明の創造(一)」は今拝読しているところですから、これは言わば“宗教改革”と言えると思うんですね。今までの宗教の教祖が説かなかったものなので、この「文明の創造(一)」の部分が最大に宗教改革の一番根幹にあたるところになってきます。それから「文明の創造(二)・上下」は“医学革命”の根幹にあたるところです。ですから「文明の創造」を拝読していった時に、この(一)で宗教改革を進めて行く、と。それから(二)・上下で医学改革を進めて行くんだというふうに、私達に、受け取る事が出来れば、大変ありがたいというふうに思います。今回こういうふうに拝読しながら、皆さんと勉強会をしながら、よりそういう事が強く思われるので、チェックして繰り返し繰り返し拝読していただきたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は、 『では何故今迄の宗教開祖の悉(ことごと)く悪を非難したかといふと、曩(さき)にも詳しくかいた如く、或(ある)期間悪が必要であったから其(その)深い意味を主神は知らさなかったのである。従って仮令(たとえ)正神と雖(いえど)も知り得る由はなかったので、正神は何処(どこ)迄も正義のみによって天国世界を作らんとする』と仰っています。これが、メシヤ様が「文明の創造」をお書きになった最大の理由なのだということ。
>先ず他の宗教は、「悪を攻撃し非難する」ということはやってきたけれども、「悪が何故必要だったのか」ということを説いてこなかったのだということ。
>それまでの各宗教開祖達は主神様の直接の啓示ではなかったので「何故、悪が必要だったのか。」ということを説けなかったのだということ。
>メシヤ様の御出現によって主神様直接の御啓示が降ったのだということ。その中で、今までの宗教が説かなかった「(必要)悪の発生理由」を御啓示いただかれたのだということ。
◎「文明の創造」を拝読する上で、この「悪」があったからこそ、「文化が発展してきたのだ。」ということを唯一説明された方がメシヤ様だったのだということを、私達は分かっておかなければならないのだということ。
◎メシヤ様が他の宗教の開祖と全く違うのは、
>「悪の発生理由を説かれた」ということと、「病気に対する判釈を持っておられた」のだということ。
≫この「病気に対する判釈を持っておられたと」いう部分を、簡潔にまとめているのが「文明の創造、科学篇」なのだということ。
>だから、私達が「文明の創造、科学篇」を拝読する時には、他の宗教の開祖とは全く違った一面がそこにはあるのだということを分かっておかなければならないのだということ。
◎今私達が拝読しているところ「文明の創造、総篇」は、言わば「宗教改革」の部分だと言えるのだということ。
>今までの宗教の教祖が説いてこなかったものなので、この「文明の創造、総篇」の部分が最大に「宗教改革」の一番根幹にあたるところになるのだということ。そして「文明の創造、科学篇」は「医学革命」の根幹にあたるところなのだということ。
>私達は、「文明の創造」を拝読していった時に、「文明の創造、総篇」で宗教改革を進めて行き「文明の創造、科学篇」で医学改革を進めて行くのだというふうに受け取るのだということ。
「メシヤ講座no.127大阪(平成23年8月分)」より抜粋つづき:
弊害の「迷信文化を改革」
楳木先生:
次2ページ目に来てですね、『処が愈々(いよいよ)悪の期限が来たので、主神の直接的力の発揮となった事で、茲(ここ)に私といふ人間を選び、善と悪との根本義を開示されたのである。』 という事ですね。
ここに「主神の直接的力の発揮」と書いてあるんです。この「主神の直接的力の発揮」というところを、もう見えないくらいに、塗りつぶしておいていただきたい。チェックしてね。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎『主神の直接的力の発揮』と書いてあるところに印を入れてチェックしておくのだということ。
「メシヤ講座no.127大阪(平成23年8月分)」より抜粋つづき:
「教祖になる必須条件」と「御神格」
楳木先生:
そこで、もう1度、先ほど拝読していただいた「祈りの栞に寄せて」という本にある、「教祖」という部分を見ていただきたいんですけど、帰ってから見ていただきたいんです。19ページに教祖というのがあります。教祖という、いわゆる教祖というのは、一般的にどうして教祖になれるかというと、皆さん方の少し過去を振り返っていただきたいんです。
ここで一番大病を患ったのは○○さんですね?」
支部長代理:
そうですね、このメンバーですと。
楳木先生:
そしたらね、大病患った時に、メシヤ様に救われたんだけども、その時にいろんな人が慰めてくれたり、お見舞いを言ってくれたりしたでしょ?そして言わば難病なので、医学的にはどうにもならないという、そういう病気を患った時に、いろんな人が慰めてくれたり、励ましてくれたりした時に、その中の一番しっくりした・・、“私にとって一番しっくりした言葉”ってあったでしょ?」
受講者:
はい。
楳木先生:
その言葉がそういう病気を患った人にとっては一番救いだという事ですね。だからメシヤ様が婦人病以外全ての病気を患ったという事は、その病気になった時に、一番いい言葉をかけてくれるのを・・、例えば10人声をかけてくれた中で、“この人の話しや声のかけ方がこの病気には一番しっくりくる”というのを、メシヤ様はひとつひとつ、病気になって大変な時に、これが一番だというのを病気ごとに掴んで行かれた。
そして、“あ~そういえば胆石の時に(しっくり来た言葉は)何だったかな”と、その時に忘れちゃった人は教組にはなれない。忘れる人は、教組には絶対なれない。これを全部を覚えている人が教祖になれる。教組という人はね。だから御守護報告を過去何回か皆さんされたと思うけど、この御守護報告でも全文覚えてる人じゃないと、教祖にはなれない。あの時何て言ったかなという人は全く教祖にはなれない(笑)。
それは何故かと言うと教祖になる人は、一つは“言葉で人を救っていく”という事です。言葉を1度“大事な言葉だと思ったら、絶対忘れない”人しか教組にはなれない訳です。すぐ忘れる人は教組にはなれないと、これに書いてあります。
そういうものと、それから一般的な教組でもいろんな位の神様から、啓示をいただいてる、その啓示をいただいた瞬間に、力が授かる訳です。その神格のレベルに応じて、力を授かる。それに応じて人を救う事が出来る。だから“一つは言葉で人を救う事が出来る”というのと、もう一つは“神様から授かった力で人を救う”という、この2面性があります。
それでメシヤ様の場合は「主神の直接的力の発揮」と書かれてるから、御啓示があった瞬間に、お腹の中に光の玉が宿ったということなんです。その光の玉が宿ったので、浄霊力をみんなに授けることが出来るようになったと。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎「教祖」になる人は、一つは「言葉で人を救う事が出来る人である」ということと、もう一つは「神様から授かった力で人を救うことの出来る人」という2面性があるのだということ。
>メシヤ様の場合は「主神の直接的力の発揮」と書かれているので、御啓示があった瞬間に、お腹の中に「光の玉」が宿ったのだということ。
≫その「光の玉」が宿ったので、メシヤ様は浄霊力をみんなに授けることが出来るようになったのだということ。
「メシヤ講座no.127大阪(平成23年8月分)」より抜粋つづき:
「浄霊力を強くいただく方法」
楳木先生:
そして浄霊力を授ける形式として、「光」とか「光明」とか書かれた文字を首から下げる形で浄霊力を授けたわけです。その前は「浄」とか授けたんです。「浄光」とか「浄力」とか、メシヤ様は御経綸に応じておひかりのお文字を変えられたりした。それが全部岡山支部にはあるんだけれども、何ともうらやましい限りなんです。ああいう風にして、メシヤ様が直にお書きになって皆さん方に授けることによって、この“「主神様の直接的力」がメシヤ様を通して、我々の魂に霊線を通して光を送っていただいて、そしてそれが掌から注がれる”ので、浄霊力が発揮されるということなんです。“この関係をより明確にいつも持つことによって、この浄霊力はさらに強まっていく”んです。だから日々自分の意識が高まる毎に浄霊力は強まる、ますます強まっていく。“この構図をいつも認識しながら浄霊を取り次ぐことによって、浄霊力はさらに強まっていく”んですね。それをチェックしておいていただきたいと思います。」
支部長代理:
△△さん、この間言ってたね。どうやったら浄霊力は上がるかな?と言ってたね。
楳木先生:
あ~そう。」
支部長代理:
だから勿論施術には、急所というのも大事ですけれども、具体的に浄霊力を上げるには、どういう精神面で、どうメシヤ様に対する想念の持ち方をすればいいのか、という事で、今日具体的にお話いただいたのでね。
楳木先生:
じゃあ今日ちょうどいい場所を拝読したのでね、良かったですね。ちょうどいい所でしたね。そういう構造を、何回も何回も自分に確認しながら、浄霊を取り次いでいただければいいと思います。」
支部長代理:
浄霊それ以外にも・・、普段の信仰においても“メシヤ様と常に共にある(魂で繋がっている)ように”ということで、その一つは御浄霊にもありますけれども、ところが、どういうものが信仰であって、信仰じゃないのかとよく聞かれます、△△さんからも聞かれましたね。で、そういう事が大事なんですよ、と。それからそれを突き詰めて考えていくところに、御神意をだんだんと覚らせていただく、(そこで御神意に沿う)言動が現わせていただける事が出来るんじゃないかなと、思うんですね。だから非常に厳しいですが、自分に(対して)メシヤ様を鏡として常に(修正したり高めたりする)生活をしていかなければいけませんので、その(御神意を覚させていただく)為には御教え等をやっぱりいただいていかないと、メシヤ様が普段どういう生活を・・、人との接し方、御心の持ち方だったのかを、忘れてしまいますのでね。
楳木先生:
そういう点では、この「文明の創造」の御著書を、こうして一項目ずつ丹念に読んでいくということが、素晴らしい事・・、まぁ当たり前なのは当たり前なんだけど素晴らしい御論文なんだということが、こう言う風にね、一項目ずつ確認しながら拝読していくと、より解るんではないかなと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様が御経綸に応じて直にお書きになった御文字(「浄光」「浄力」「光」「光明」等)を私達に授けることによって、この“「主神様の直接的力」がメシヤ様を通して、我々の魂に霊線を通して光を送っていただいて、そしてそれが掌から注がれる”ので、浄霊力が発揮されるのだということ。
>浄霊力は、「この(「主神様」と「メシヤ様」そして「私達」の)関係をより明確にいつも持つことによって更に強まっていく」のだということ。
≫だから、「日々自分の意識が高まる毎に浄霊力はますます強まっていくのだ。」という構図をいつも認識しながら浄霊を取り次ぐことによって、浄霊力は更に強まっていくのだということをチェックしておくのだということ。
「メシヤ講座no.127大阪(平成23年8月分)」より抜粋つづき:
悪の世=薬の夜から「昼の革命」を!
支部長代理:
話は戻りますが、代表先生が先ほどおっしゃった大本教は(教祖は)正神ですね。だから悪をしちゃいかんとか、もうすぐ戦争が来ますよとか・・、まぁ改めなさいよ、と。改めなさいよ、という宗教は一杯ありますよね。そうすればいい所にいけますよという。
しかし残念ながら夜の時代にあり、月の宗教でしたから、逆に悪が必要であって、(そうして物のために神も汚れやすく悪魔に利用され)悪を主体とした世界でしたので、そうした世界において悪の必要な原因というのは説く訳にはいかなった訳ですね。
楳木先生:
ちょっとお気の毒ではあるけどね。お気の毒ではあったけど知らなかった。しかし今はなんと素晴らしい時代に我々は生まれて来てるか、ということです。この「文明の創造」を世に出そうという時に生まれてきている。じゃあ「文明の創造」が世に出てないかというと、やっぱり出てないんですね。」
支部長代理:
・・ないですね。
楳木先生:
○○○○先生が英訳して「文明の創造」をバチカンまで届けて下さっているけれども、そのバチカンに届けた中には、前半部分の禁断の木の実は削除されています。禁断の木の実は薬だということを削除しています。これでは“「文明の創造」が出た意味“がない。」
支部長代理:
それはやはり、夜の時代の根幹をなしたもの(ユダヤの乱れ)、あるいは(それを突きつめて行くと)夜の時代に、神や人が落ちて行った原因は“薬”ですから、その部分を説いていかないと、必要悪といっても、何が必要悪なのか。これはこの御教えで現代医学だと、はっきりおっしゃってますのでね。
楳木先生:
そういうことです。だからここにイエスの愛をその後書いてますよね。
『つまり万人(ばんにん)の罪を一身に引受け、主神に謝罪をし、赦(ゆる)しを乞ふ役目である。早くいえば万人(ばんにん)の代理者であり、赦(ゆる)される側の神で、赦(ゆる)す方の神ではなかった。其(その)為罪の代償として十字架に懸(かか)ったのである。』 と。
(枚方支部)直会で(入会者の方が)テープ起しして下さって、それに沿って、十字架の懸かり方を載せているでしょ?」
支部長代理:
ええ。
楳木先生:
で、ここに「十字架に懸ったのである」と簡単に書いておられるけれども、イエスが十字架に懸けられた時の情景というのを映画で撮ったりしてるでしょ。思い出してみて下さい。こんな大きな角材の十字架を背負って、そして群衆の中を、ずっと丘まで自分で持ち上げていかないといけないでしょ。流刑された後に、そうした十字架を最後の処刑の場まで行かないといけないわけです。もう衰弱しきってる中で、それを持ってあがるって、どんなに大変だったかなぁと、想像出来るんですけどね。そしてやれやれ持って行ったら、十字架を横にして、掌に釘を打ち込むわけです。普通だったらギャーでしょ。」
受講者:
はい。
楳木先生:
ね。こんな鉄の棒を両手に打ち込むわけだから、普通だったら失神してしまう。次は足首です。足にも釘を打ち込むわけだからね。
そして今度は十字架を立てると、いくら痩せてても、体重によってビィビィビィと裂けていくわけだから。だから軽いから、かろうじて残ってるけど、だからこんな角度で下に下がってしまうわけなんだけど、それが何と、イエスはその痛みに耐えながら、天の父に向かって“ここにいる民衆を赦したまえ”というふうに祈るから、その祈りが偉大だから今もキリスト教がずっと出来あがってきてるわけですよね。我々だったら失神してしまう。
しかしキリストはなおかつ、私を刑に処した者たちをも赦し給えと、天の父にお祈りしている。天の父は主神様ですからね。まさに“贖い主”というのは、そういうところからも本当にヒシヒシと分かる。だからこそイエスは偉大だということで、私達はその事を知るがゆえに想っていけるというわけです。しかもキリスト教の信者以上に、こういう御教えを読むからイエスの偉大さが分かるわけです。
そうして”お詫びの根幹”は何かというと、いわゆる“禁断の木の実”に手を出したことを詫びているわけだから、その詫びの内容はキリスト教の信者さんは知らない。どんなにまじめに信仰していても、何故イエスが十字架に懸って天の父に詫びたのか、詫びの内容はキリスト教の信者さんは知らない。知らなくても世界中で信仰されてるが、そのことをメシヤ様は説いて下さっているわけだから、我々はキリスト教の信者さん以上に、イエスが十字架に懸った理由を知ってる。
知ったということは、使命を与えられているということですから、そういう事をもう一度しっかり受け止めておいていただきたいと思います。
そこで“詫び”たのは、一つは“禁断の木の実に手を出した事”と、もう一つは三千年前に“素盞嗚尊が武力を持って日本に押し寄せ”て来て、そして伊都能売神皇の“皇位を譲れ”と迫って、そして絶対平和主義の伊都能売神皇は、密かに日本を脱出してインドへお下りになって、布咀落迦山に立って、そしていろんな人に教えを説いてあげるという生活になります。それで日本は天照天皇に皇位を譲られたんだけれども、すぐに天皇は殺されてしまいます。ある理由で崩御されたというのは“殺された”という事になります。そして皇位は天照皇后に移ります。しかしこの皇后に対して、兄弟といえども素盞嗚尊は、どんどんどんどん押し込めて行って岩戸の中に押し込めてしまった為に、この世の中、まず日本が素盞嗚尊の性癖によって“乱れに乱されてしまった”わけなんです。
だから縄文時代の三内丸山遺跡にあるような秩序だった生活が一挙に乱れてしまった。
この日本というのは、メシヤ様は箱根の事について触れられた中に、箱根は日本の中心であると共に世界の中心だとおっしゃっている通りに、神山がいわゆる聖域なわけですよ。そうしてもう一方、富士山は日本の大黒柱のようなものである、地軸に立っている大黒柱という御表現をされているんです。至る所に日本というのは、世界の型であると書かれてあるという風に、いわゆる日本は聖域なわけなんです。日本が乱れると世界は乱れて行くわけだからね。それが素盞嗚尊の性癖によって乱れに乱されてしまった。この詫びがもう一つあるんです。
文化を発展させるという理由があったにしても、やはり乱してしまったということをイエス(素盞嗚尊)がお詫びしたということが、この二つの理由があるわけです。
御教えをずっと拝読していくと、そういうことがだいたい類推できるので、その事を自分達はもう一回受け止めて、我々はもの凄い偉大な御教えをいただいている訳なので、“大変な責任を負わされているんだという自覚”をですね、こういう御教えを拝読する毎に、より一層持っていただければありがたいと思います。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎バチカンに届けられた「文明の創造」は、『悪の発生と病』に書かれている「禁断の木の実は、薬だ。」ということを削除してあるので「文明の創造」は未だ世に出ていないのだということ。
◎キリストが天の父(主神様)」にお詫びしたことの一つは「禁断の木の実に手を出した事」であり、もう一つは、「三千年前に「素盞嗚尊(イエス)」が武力を持って(聖域であり「世界の型である」)日本に押し寄せ、「伊都能売神皇」に皇位を譲れと迫り、その日本を乱れに乱した事」へのお詫びなのだということ。
◎御教えを(深く)拝読していくと、上記のようなことが類推できるので、メシヤ様から御教えをいただいている私達としては「大変な責任を負わされているのだ。」という自覚を持って拝読していくのだということ。
「メシヤ講座no.127大阪(平成23年8月分)」より抜粋つづき:
伊都能売神皇が仏教を教え作らせる
楳木先生:
だから、次はお釈迦様のことがずっと出てきますね。
そうすると伊都能売神皇がインドへ下って行かれて、そして結跏趺坐して教えを説いている時に、お釈迦様が訪ねて来て学び、そしてお釈迦様は出家した形で世俗を捨てて、仏教を説き始めたんだけれども、72歳にして見真実を得たと。見真実を得たからこそ、今まで説いた事の多少なりも間違いがあったのでということで、お経を書き変えている訳ですね。」
日蓮の大役と功罪
楳木先生:
それが法滅尽経と、彌勒出現成就経と、法華経二十八品(ぼん)であったと。
このことを日本人で初めて知った人が日蓮上人ということになっているわけですね。日蓮上人だけが、日本人でいわゆる中国語でお釈迦様のお経を全部読んだ唯一の人だというふうになってます。
だから読んでみると最後に書かれた『法華経』が大事だと。そして今までの仏教はお釈迦様の説いた教えの一部分しか取り上げてないということを見抜いて、そして中国で意を決して、日本に帰って来て、そして伊勢神宮へ行ったんです。
日本の歴史と、それから伊都能売神皇がインドへ下って行ってお釈迦様に教えを説いたということを知ったので、もう1回この仏教界を改革しますという事を、伊勢神宮の天照皇后にお誓いを立てたということです。
伊勢神宮にお参りに行ったということは、その素盞嗚尊が押し寄せて来て日本の皇位がどのようになったか、ということを全部知ったという事です。知ったから(日の本でもあった)伊勢神宮に行ったという事です。知らなかったら伊勢神宮へ行く必要がないわけだからね。
知ったから伊勢神宮に行って決意を述べると共に、今日までの理不尽な行いに対して、「分かりました。やらせていただきます」といって千葉に帰って呱々の声をあげたわけですね。
だからそのことをやったから、メシヤ様が夜昼転換の黎明期は日蓮の出現によって、黎明期を迎えたということです。」
支部長代理:
(夜の霊界も)仏界でしたから、仏界の中の(日出づる)引き金になったということをおっしゃってますね。
楳木先生:
そう。だからこの説明が世界救世(きゅうせい)教も、あるいはそこから離脱した教団たちも教えてないので、本当の御神業が分からないわけです。浄霊の奇蹟が出来すぎるものなので、その為に教えの追及が弱くて、「救われて先生ありがとうございました」ということで、先生方がどんどんどんどん偉くなっていっちゃったので、道を踏み外しちゃったということです。こっちの御論文の追及がなかったのでね。こういうことを今回の御論文を拝読する中で理解しておいていただきたいと思います。
それで、日蓮は最後には迫害を受けてどうする事も出来なくなったので、『法華経』こそ大事だと言って”南無妙法蓮華経と説いた”のが、その部分だけが、今残ってしまったのが日蓮宗なんです。日蓮の“仏教改革の精神”が消えてしまったんです。
それを文化的にしてしまったのが、●●学会ですからね。だから●●学会は本来の目標を見失った日蓮宗から、何とかもう1回という努力から、文化的にして今やってます。
今回我々はこの御論文をすべて拝読して分かった上で、もう1回●●学会の人たちを見た時に、私は●●学会の会員ですと言ったら、“あっ御苦労さまです、我々の御神業の準備をしていただいていますので御苦労さまです”という想念で、「あ~尊い信仰をしてますね」と、こういう風に答えて、声をかけていかないといけない。心底そう思って声をかけないといけない。
そのことが分かったからね。言わば我々の御神業の露払いをしてくれてる訳なので、露払い御苦労さまと言うと、ケンカになっちゃうので、露払いというのはしゃべらないで、あ~尊い信仰を御苦労さまです、とこういう風にして、みんなに声をかけてあげて、労ってあげる。それがメシヤ様に繋がってる信者の発する言葉としては必要な事なのではないかなと。これが敵対してたら、学会はどうのこうのと言ってたら、もうどうしようもない訳です。分かった方が相手を労っていくという気持ちで声をかけていかないといけないという事です。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎日蓮上人は、お釈迦様の(中国語で書かれた)お経を全部読むことが出来たことで、そのお経の最後に書かれている『法華経』が大事なのだということに気がつかれ、今までの仏教はお釈迦様の説いた教えの一部分しか取り上げていないということを見抜かれたので、中国で意を決して、日本に帰って来られ、伊勢神宮に行き天照皇后に「もう一度この仏教界を改革します。」という誓いを立てられたのだということ。
>又、そのお経の中で(本当の)日本の歴史と、伊都能売神皇がインドへ下って行ってお釈迦様に教えを説いたとのだということを知ったのだということ(御教え『日本人種の霊的考察(上、中、下)』へ)。
≫上記のような説明が世界○○教も、あるいはそこから離脱した教団たちも教えてないので、本当の御神業が分からなかったのだということを、今回の御論文を拝読する中で理解しておくのだということ。
◎メシヤ様は、「日蓮上人が伊勢神宮で決意を述べ千葉に帰って呱々の声をあげた事によって、夜昼転換の黎明期を迎えた。」と仰っているのだということ。
編集後記
責任者:
今回は先ず、メシヤ様の御出現によって主神様直接の御啓示が降ったのだということ。そしてその御啓示が降ったことによって、今までの宗教が説けなかった「『悪』があったからこそ、『文化が発展してきたのだ。』」という「悪の発生理由」を唯一説いた方がメシヤ様なのだということを御教示いただきました。又、メシヤ様が他の宗教の開祖と全く違うのは、「悪の発生理由を説かれた」ことのほかに、「病気に対する判釈を持っておられた」のだという御教示は、「文明の創造」を拝読していく上に於いて忘れてはならないことだと思いました。更に、今回の学びの中にあるように、正しい日本の歴史観を持ってメシヤ様の御教えを拝読し、信仰を深めて行かなければならないのだということを再認識出来たように思います。
来年の令和7年は、(昭和に当てはめると)昭和百年になり、メシヤ様が主神様より御啓示をいただかれてから100年になります。今回の学びの中で「変化がないと発展しない。」と御教示いただきましたが、来年米国では再選したトランプ大統領が就任します。世界が良い意味で大きく変化していくことを期待したいと思います。今年も余日わずかとなりました。皆様お揃いでよい年をお迎えくださいますよう、心からお祈り申し上げます。有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。