令和7年1月の学び
はじめに
責任者:
松の内の賑わいも過ぎ、ようやく平生の暮らしが戻って来たように思います。又、一年で最も寒い時期となりました。皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。
それでは今年も引き続き、「文明の創造」より学びを始めさせていただきます。どうぞ宜しくお願い致します。
「メシヤ講座no.128大阪(平成23年9月分)」より抜粋:
<今月の御教え>
『地上天国』
「文明の創造、総篇」昭和27(1952)年
地上天国とはバイブルから出た言葉であり、仏教ではミロクの世といひ、西洋ではユートピヤなどといふが、勿論(もちろん)意味は同一であって、つまり理想世界である。之が曩(さき)にかいた如く神の目的であるから、現在迄の歴史は其(その)世界を造る過程であったので、幾変遷を経て漸(ようや)く天国の一歩手前に来たのが現在である。此(この)世界を一口にいえば、病貧争絶無の世界である。処が此(この)三大災厄の中の王座を占めてゐるのが病気であるから、病気さへ解決すれば、貧乏も争ひも自ら解消するのは、言を俟(ま)たない処である。
如上(じょじょう)の意味に於て、私は病気に就(つい)て根本原因を、凡(あら)ゆる面から徹底的に解剖し明かにするのである。而(しか)も之は医学と異って、人智によって生れた学問上の研究理論ではなく、神の啓示を土台とし、実験によって得たる真理であるから、毫末(ごうまつ)も誤りはないのである。そうして実験とは今日迄何万に上る私の弟子が、毎日何十万に上る患者の治療に当ってをり、其(その)治癒率の素晴しい事は、医学の一に対し百といっても、決して過言ではない程である。
右の如く驚くべき治病の実績が、此(この)地球上に出現したに拘(かか)はらず、全人類は治る力のない医学を無上のものと誤信し、病苦に悩み、長く生きられる生命を中途に挫折して了(しま)ふ其(その)無智悲惨なる現状は、到底黙視出来ないのである。此(この)様な末期的惨状を神として、そう長く放任して置けないのは当然である。といふ理由と来(きた)るべき理想世界の住民としての健康人を作らんが為との二つの理由によって、茲(ここ)に医学の迷盲を発表するのである。
天国づくりの目的
楳木世界
それではよろしくお願いします。今日拝読していただいた御教えの下から3行目4行目くらいを見て頂きたいんですが、
『此(この)様な末期的惨状を神として、そう長く放任して置けないのは当然である。』 これが一つと 『といふ理由と来(きた)るべき理想世界の住民としての健康人を作らんが為との二つの理由によって、茲(ここ)に医学の迷盲を発表するのである。』
この二つの理由というところをしっかり印をつけて、この二つの理由を元に、昨年の12月にお渡しした『文明の創造(二・上)』と今年6月にお渡しした『文明の創造(二・下)』を、メシヤ様は御執筆になられたんだということです。
つまり、いつまでも神様がこの末期的惨状を放任できないということと、もう一つは来るべき理想世界の住民としての健康人を作らんがための御心によって、この『文明の創造(二・上下)』の部分を御執筆になられたんだということです。
そういうことを何回も何回も確認しながら、あの『文明の創造(二・上下)』を拝読していただきたいと思います。
どうしても病気のこととかにずっーと入っていってしまうんです。しかしあそこに出てくる病気と現在の病気とは随分違ってきているし、呼び名も変わっている部分もあるので、メシヤ様の御心をしっかり腹に置いて拝読しておかないと、現代に生かすという事ができないということになりますので、ここの4、5行は何回も何回も腹に入れるように拝読していただきたいと思います。
それから次、上の方に遡りまして、最初から5行目くらいになりますが、『幾変遷を経て漸(ようや)く天国の一歩手前に来たのが現在である。』 とあります。
これは昭和27年にお書きになったので、メシヤ様は昭和27年の段階で天国の一歩手前に来たんだという御認識であられたわけです。
しかしメシヤ様が御法難時の後遺症によって命を縮められてしまったので、また、その後を継いだ者達が、御心を具現化していくことが充分出来なかったために、今日まで天国建設がずれ込んでいるということです。
今日までずれ込んでいるので、いつまでもずれ込ませておかないで、いよいよ我々の手で天国を建設していくんだという気持ちをですね、さらにここで固めていただきたいと思います。
その為にメシヤ様はこの文章を、非常に短い、『天国篇』という項目を我々に残して下さっている、というふうに受け止めていただいて、短いところですが、何度も何度も読み返していただきたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎神様は、「いつまでもこの末期的惨状を放任できないのだ。」ということと、「来るべき理想世界の住民としての健康人を作るのだ。」という2つの理由(御心)で「文明の創造、科学篇(「文明の創造 二・上下」)」を御執筆になられたのだということ。
◎「文明の創造、科学篇(「文明の創造 二・上下」)」では、病気について触れられているが、その中に出てくる病気と現在の病気とは随分違ってきているし、呼び名が変わっている部分もあるので、現代に生かす事ができるようにメシヤ様の御心をしっかり腹に置いて拝読していくのだということ。
◎最初から3行目に『幾変遷を経て漸(ようや)く天国の一歩手前に来たのが現在である。』 とありるが、「文明の創造」は昭和27年御執筆なので、メシヤ様は昭和27年の段階で「天国の一歩手前に来たのだ。」という御認識だったのだということ。
>しかし、メシヤ様が御法難時の後遺症によって命を縮められてしまった事と、その後を継いだ者達が、メシヤ様の御心を具現化していくことが充分出来なかったがために、今日まで「天国建設」がずれ込んでいるのだということ。
≫私達は、「天国建設」をいつまでもずれ込ませておかないで、「いよいよ私達の手で天国を建設していくのだ。」という気持ちを更にここで固めるのだということ。
◎私達の手で天国を建設していく為に、「メシヤ様は非常に短い、『天国篇』という項目を残して下さっているのだ。」というふうに受け止め、肚に落ちるまで繰り返し御教え『地上天国』を拝読するのだということ。
「メシヤ講座no.128大阪(平成23年9月分)」より抜粋つづき:
天国づくりの基礎
楳木先生:
そして 『此(この)世界を一口にいえば、病貧争絶無の世界である。』 とお書きになっていらっしゃいますので、建設する我々から病貧争を絶無にしていかないと、皆さんを導いていくことはできませんので、自分自身、そして我々の家庭を、まずは病貧争絶無の世界にしていっていただきたいと思います。病貧争絶無の世界にしていく上においてですね、今月は非常にいい事例がありましたので、それを紹介しておきます。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は 『此(この)世界を一口にいえば、病貧争絶無の世界である。』 とお書きになっているのだということ。
>皆さんを導いて行けるように、天国を建設していく私達自ら、そして私達各々の家庭を、まずは病貧争絶無の世界にしていくのだということ。
「メシヤ講座no.128大阪(平成23年9月分)」より抜粋つづき:
現代人感覚に合わせた、健康になる方法
楳木先生:
今月のメシヤ講座は、山口会場から始まりました。その山口会場に未信者さんがお出でになるんですが、その人は高齢者の施設にお勤めです。
それでその高齢者の施設の中に、96歳の、背筋もピシッとしてて、メガネなしで本も読めるし、縫物も出来て、いろんな物を作り出す事の出来る御婦人がいらっしゃるそうなんです。見た目はまだ70歳までいってないような感じのする方がいらっしゃると。
どうしたらこんな96歳になれるだろうかというふうに思ったので、その方が、「そんな96歳にもなってお元気なんですか?しっかりされているんですか?」と聞いたら、なんとその方は早くに御主人を亡くして3人のお子さんを育て上げたそうなんですね。
そしてお舅さんとお姑さんと子供3人と、そして自分と、6人家族で、ずっと生活をしてきたらしいんですけども、子供がやはり熱が出たりして、病気になった時に、病院へ連れて行こうとすると、お舅が 「絶対病院に連れて行くな、病院に連れて行くと人間は弱くなってしまう」と。それは「人間は動物なんだから動物と同じように病気を治さないといけない」 と。こうやって止められたと言うんです。
最初はね、子供が苦しくて泣いているので、かわいそうで、自分も見ていられないけど、お舅が絶対禁止だと止めているので、自分も泣く泣く思いとどまって、そして動物の持っている力を元に、病気が治るように世話をしていったというんですね。
子供も病院に連れて行かないので、「自分も病院に行かないと決めた」と。「病院に行かないおかげで、96歳まで元気に生活してきたんですよ」と答えたというんですね。
信者さんでも何でもないけど、ただそのお舅さんが“また立派なお考えを持っておられなるなぁ”と思ったんですがね。「そういうふうに答えたんですよ」と私に報告してくれたので、「それは素晴らしい人と出会えたので山口会場を提供してくれてる○○さんに、もう一度インタビューしにICレコーダーを持って行って、今の話をもう一度聞いて来てください」と。
そして「正確に聞きとって、こういうふうに文章化してメシヤ教の資料として提供してもらうように」ということで、今作業に取り組んで、インタビューに答えてくれるか分からないけど、一応そういう資料としてね。病院に行かないから96歳まで何不自由なく健康体を保っていることができているという資料をね、作業に入ってくれてるのか、まだなのか分かりませんけどね。一応やり始めているので、楽しみにしていただきたいと思います。」
自然治癒力の説き方
楳木先生:
それから本部の一日祭の時に、なんと私が小学校4年生の時の担任が参拝に来てくれたんです。85歳です。
私も小学校4年生から会ってないので、ほんとに久しぶり、小学校4年生の時140ちょっと身長があったと思いますけど、先生はその頃はもうちょっと大きかったけどね、もう今は小さくなってましたけど、懐かしかったです。来た時に、「まぁ大きくなったわね」と。(笑)
やっぱり先生からみると、いつまで経っても教え子は教え子なので、よくお出(い)でましたという事で、一緒に御参拝をして、足が悪いので椅子に座って私とちょうど目線が同じになるくらい小さくなってしまっていました。
20年前に調子が悪い時に一度我が家に来て御浄霊をいただいて、そして御守護いただいたことがあるんです。だけど、若い時からクリスチャンなので「(当時の)救世教に入信するということはできません」と。その代わり、当時のMOA商事の食品とか買っていて、しかしその後その場所は主の光教団になったので、東方之光教団のほうの自然食品をしょっちゅう買いに行っておられたんです。
このメシヤ教になってからは一度も顔を合わせてなかったんですけれども、母と行事で一緒になった時に、具合悪そうだったので、「また御浄霊いただかれたらどうですか?」ということで来るようになったんです。来た時に、“御浄霊の原理”というのは、何回も聞いて来たと思うんだけどね。
それで、「私が小学校4年生の時に、先生は、人間とは何、と教えましたか?」と聞いたんです。
「我々が4年生の時には、まだ38億年前に地球上に最初の生命が宿ったという事は解明されてなかったけれども、しかしはるか昔に生命が地球に宿って、それからずっーと進化を続けて人間ができて来たと教えられたでしょ?」
「うん、そういう風に話した」と言ったから、こう言ったんです。「そうであれば、人間は最後に出てきたものであれば、しかも進化して出てきたものであれば、途中の生き物の能力、それをすべて持ったのが人間ということになるでしょ?
植物にしろ動物にしても全ての能力の総合体が人間なんで、だから人間の中にはあらゆる事に対応できる、そういう能力が備わっている。
しかしその能力をほぼ押し込めてしまっているのが現代人です。それはどうしたところから言えるかというと、昨日もどこかの高校生が運動会の練習で、熱中症で10人くらい倒れて救急車で運ばれたでしょ?昔はそんなことはなかった。
それで、今は、天気予報の時に注意してるでしょ?水分補給、適度の塩分もお取り下さいと。そして体調管理に御注意下さい、というふうに言わないといけないように、現代人は弱まって来ているんです。
しかし栄養価から見たらどうだろうか。我々が子供の時の食生活と今の食生活では、栄養価でいくとどうだろうか?今の方が非常に栄養が高いということです。これだけ栄養が高いんだから、健康じゃないといけない、元気を維持してないといけない筈です。しかし現代人の方が弱いし、病気が多いのはどういうことですか?」と。相手も先生なので、そういう感じで語りかけて言ったんです。
そしてもっと具体的に言えば・・我々のような田舎ではね、夏になると夜明けと共に、こんな柄のついた、これぐらいの鎌を持ってね、こちらに砥石と水を下げて、こちらに弁当とお茶を下げて、ほとんどの農家の方は山へ、夜明けと共に山へ登って行きます。
山へ入って草を刈ってね。そして草をこれ位に丸めてね、ちょうど牛に積めるくらいの大きさにくくってね。そしてゴロゴロゴロゴロと、刈っては丸め、刈っては丸めてと、日暮れまでやって、そして帰って来ます。帰ってきてクタクタになっているんだけれども、また一晩寝ると次の朝また夜明けと共に山へ登っていくという生活です。
その人達の弁当を見るとどうかというと、いつも話すように、ほぼ梅干し入りの日の丸弁当で沢庵2,3切れしか入ってないんです。栄養的に見ると、現代人から見ると最悪な弁当なわけですね。しかしそれを食べて一日仕事して、一晩寝るとまた次の日山に登って仕事してくる。
これは何かというと、人間が持っている能力をフル活用出来てたわけです、昔の人はね。
しかし現代人は栄養を取り過ぎるために・・、栄養の取り過ぎだけじゃなくサプリメントまで飲んでしまっているために、人間の体のバランスが崩れちゃってるんです。サプリメントを飲むと小腸が弱ってくる。小腸というのは第2の脳と言われているので、体全体がもうガタガタになってしまってくるんです。
食べた時は栄養がスッーと入ってくるので、何か元気が出て来たように思うし、これで栄養が補充されたという気分になるかもしれないけど、ずっと常用していると体がもうガタガタになってしまうんです。そういうように話をしたら、先生は・・目のギョロッとした先生なんだけど、「言われる通りやね」と。
だからこの御浄霊というのは、人間が本来持ってる、粗食であろうが体の中でどんどん栄養分をどんどん作り出す、そういう能力や、病気になった時に、体を治していく、そういう自然治癒力を出す為に力として与えて下さったものなのですよ、と話をしたんです。
そして、「動物はどうやって病気を治していますか?」と聞くと、学校の先生だからね、「あっ、それはね、寝て治してる」と。
「そうでしょ、動物は寝て治しているでしょ。動物はどういう風に寝てますか?」「いやね、何も食べずに、こうして目をつぶって寝ている、そうすると治っていく」と。
「じゃあどうして、そうやって治って行くんですか?例えばね、野生の犬とかが、ここを怪我したり、あるいはここに何かが出来て病気になった時には、犬はひたすら目をつぶって寝てますね。
そうすると餌を食べると血液というのは胃に集中して行きます。だから悪い所を治す為の血液が希薄になります。だから治す力が弱まってくる、だから何も食べない。何も食べないと血液が全部ここに集中してくるんです。現代人は寝ているのは寝ているんだけど、みんなテレビつけてるでしょ。病院でも、それぞれにテレビがあるでしょ。カードがあってね。あれが一番病気を治さない。
何故かと言うと、子供生んだ時に、最初魚みたいな形でしょ、それが両性類のような、いわゆるトカゲみたいな形になって、それから5カ月目になって、ようやく人間の形になっていく。じゃあ後の5カ月は、胎児は何をしていくのかというと、神経が伸びているわけね、人間の形としてもっともっと整えながら、神経が伸びて行って、最後に視神経ができていきます。だから昔、保育器に入れると目が悪くなると言われてたのは、その視神経が伸びる時期に保育器に入れて、昔はキツイ光線を当ててたので、視神経が伸びないために目が悪くなっていたと。
ということは最後にできる神経ということは、一番栄養価の高いものを使うということと、酸素の一番いい、ピュアな酸素を使う所が、実は目なんだということが、だいたい類推できるわけですね。
そうすると目を開けていると、ただそれだけで栄養の一番いい所を頭に持っていかないといけない。それから酸素も頭に持って行かないといけないので、そのために動物は目をつむってひたすら寝ているということなんです。
それを今度は人間に当てはめていくと、同じようにして病気を治す、というのが一番治し良いわけなんです。ということはご理解いただけますか?」と言ったら、「あっそう言われてみるとそうだ、人間も」「それが分かっていただけるのであれば、また定期的に御浄霊をいただきに来て下さい」と。
「そして現在は大変ありがたいことに、クリスチャンでも浄霊が出来る時代になりましたので、ここで浄霊力拝受御願書を書いていただいて、神様に報告するだけで、浄霊が出来るようになりますので、そういうお気持ちになりましたら、申し込んで下さい」というふうに話したら、「はい分かりました」と言って、お祭りが終わったので帰っていただいたんですけれどもね。
帰って、うちの母親に電話があって、「教え子に教えられる年になってしまった」と言ってね(笑)ブツブツと言いながら電話かかってきたということでね、まっ非常に教えられたという感覚が持てたということは、良く理解できたということだと思います。
そしてこの先生に話をした動物的に治して行かないといけないという話と、山口で96歳の御婦人がお舅から言われた人間の体は動物なんだと、だから(自然治癒力を衰弱させない範囲で)動物的な治し方をしなければ、どんどん弱まっていく”、という話が今回非常に重なったので、支部の月次祭と勉強会場で、全部、この2つはずっーと話して回ってます。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎人間は動物なのだから、動物と同じようにして病気を治さないといけないのだということ。
◎昔の人は、人間が持っている能力をフル活用出来ていたのだということ。
>しかし現代人は栄養を取り過ぎるために(栄養の取り過ぎだけじゃなくサプリメントまで飲んでいるので)、体のバランスが崩れているのだということ。
≫サプリメントを飲むと小腸が弱ってくるのだということ。そして、小腸というのは第2の脳と言われているので、体全体のバランスが崩れてくるのだということ。
◎御浄霊は神様が、人間が本来持っている粗食から栄養分をどんどん作り出す等の能力や、病気になった時に体を治していくというような自然治癒力を引き出す為に与えて下さった力なのだということ。
◎動物は怪我や病気になった時には、目をつむってひたすら寝ているのだということ。
>人間も、動物と同じようにして病気を治すのが一番治し良いのだということ。
「メシヤ講座no.128大阪(平成23年9月分)」より抜粋つづき:
「宗教性のある医者」に浄霊を知らせるべき
楳木先生:
話して回っていた所の一つ、川崎の時に・・、鎌倉(支部)にお参り出来ない人は川崎にお参りに来たんですけれども、その中で、大腸がんの手術をしたけど、その後大腸が御浄霊をいただくことによって10センチくらい伸びてる、という○○さんというおじいちゃんがおります。
実は、あの人がまだ私に語ってない内容があったんです。それは何かというと、その病院では、その人は手術を終えてから、一度死にかけたらしいです。ひどい手術だったのでね。それで死にかけた時に、ものすごく唸り声をあげてた、と。見てる人達は、苦しいんだろうなと思ってたらしいんだけど、本人は、自分の兄が先立っているので、その兄が迎えに来たというんです。きれいな花畑のところで、それで道案内されて連れて行かれそうになった。
そしてそれについて行ってたんだけど、途中から道がファーと分かれて、兄はこっち行くけど、自分はそっちに行けないで、こう行きはじめて、しかし兄は全然振り向かないで行き始めたので、「兄さん」と叫ぶけど、ついに振り向かないで、パッと消えたと同時に、自分もパッと目が開いたというんです。
そして看護婦さんとか医者とかが、「随分苦しかったけど、蘇って来たね」という話をしてたんだけど、その後、別の医者が“インタビュー”に来たと。「苦しんでる時の状態を聞かせてくれ」と。「何か見てませんでしたか?」と。そしたら兄が迎えに来て、行きそうになったんだけれども、途中で道が分かれたために目が覚めたという話をした。
「それを臨死体験というんですよ」と、医者が説明した。「実は我々はこの臨死体験の記録を集めているんです」と。何故かというと、そこの医者達は非常に優秀でね。「我々は悪い所を切り取るんだけれども、ガンだから切り取るけど、でも治すのは本人だ」という考え方なんです。
「治すのは本人だし、そして死にかけて死んでしまう人も大勢いるけれども、死にかけても蘇ってくる人達もいる。この蘇って来た時の状況を、我々は今データとして残しているんです。だからインタビューさせてほしい」ということで、ノートにね、話した事を全部書いてデータとして残している。ということは、そういう真剣に考えている医者ほど、臨死体験というのを患者から一杯資料として持っているということと、どこまでも“謙虚”であること、“自分(医者)の力でなく、病人の体は本人にしか治せない”ということの自覚をもってる。
しかし医者としては、悪い所は切り取ってしまおうという、これはちょっと残念な対応しか出来ないんだけども、そういうことをやろうとしている。そういう医者もいるということですよね。
(後文割愛)
「△O△では治らない」理由
楳木先生:
だから○○さんが今報告してくれた、みんなで徹底的に取り組んで結果的に治らなかった、と。これは『治らなかった理由』があるんです。答えは、だいたい分かるでしょう。
受講者:
最初は何故なんだろうと思ってましたけど、メシヤ教のお話を聞いて、メシヤ様の御在世の最初から、世○○○教になっていったところから、それからすでに間違っていたから、ですか。
楳木先生:
うん、それも浄霊力がない理由の一つだけど、もう一つ、その人が救われない理由は、みんなに世話を掛け過ぎなんです。」
受講者:
ほんとにね、ほんとにそう思いますわ。
楳木先生:
みんなが交代で取り組んでいたら、その人はみんなに迷惑をかけてるんだよ。だからメシヤ教は、ほぼ自己浄霊と、時々支部へ来て御浄霊をいただくように、と。家族だけで取り組まないと御守護をいただけないよ。みんなに頼むとその分みんなが、本来、御神業に歩いていかないといけないのに、自分の為にみんなのを使っているんだからね。信者の人達を私用に使ってしまうわけだから、だから御守護いただかないような仕組みを△O△は作り上げてるのね。」
(後略)
楳木先生:
これはもう、とにかく「御守護頂かないような仕組み」を作ってる。霊主体従の考えに則っていけば、家族以外のものにやってもらうということは、その人に迷惑をかけている訳だから、曇りを発生させつつ浄霊いただいてる。だから浄霊頂いて浄まるんだけれども、その後曇りを発生させてるから、差し引き・・・、大勢の人から御浄霊いただくと、差し引き曇りの方が増えちゃって、御守護頂かない方向へとどんどんどんどん行ってしまっているんです。この法則を忘れているんです。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎浄霊で御守護をいただけない理由は、人の手を取り過ぎているからなのだということ。
>メシヤ教の場合は、(信者の人達を私用に使わない為にも)ほぼ自己浄霊をいただき、時々支部で御浄霊をいただくようにしているのだということ。
≫御浄霊は、家族で取り組むことによって御守護をいただけるようになるのだということ。
◎浄霊のいただき方を霊主体従に則って考えてみると、
>家族以外の人にやってもらうということは、その人に迷惑をかけている訳だから、曇りを発生させつつ浄霊いただいているのだということ。
>浄霊をいただくと浄まるのだけれども、大勢の人から御浄霊いただくと、差し引き曇りの方が増えて、御守護いただかない方向へ行ってしまうのだということ。
「メシヤ講座no.128大阪(平成23年9月分)」より抜粋つづき:
祝詞について
楳木先生:
まあ、そういう事もあるから、出雲支部の発会式と、岡山支部の発会式で、もう一度、神様に真向かう為の善言讃詞の意義とか御神名を唱えるという事を、そういう(基礎から外れた)事があるので、もう一度解説したんです。」
受講者:
じゃあすぐに分からなかったね。
楳木先生:
何が分からなかった?それがね、○○之光が、もっと前から行くと、救世(メシヤ)教時代からの善言讃詞を変えてしまっていたという事なんです。文化的意味も全く分からないで、変えてしまった。『多寶佛塔(たほうぶつたふ)』を外してしまった。この『多寶佛塔(たほうぶつたふ)』を外した連中が、京都に仏教美術館を建てようとか、という馬鹿な話しをしてるわけなんです。そうでしょ、『多寶佛塔(たほうぶつたふ)聳り建ち』というところを外した善言讃詞を上げながら、京都に何故仏教美術館を作れるか、という話です。意味が分からない人達がそんなのを作ると言ったって、(許されて)出来ないでしょうね。」
受講者:
それもそうやね。
受講者:
僕らもね、この善言讃詞が改ざんされた時に、神界になるんだからね、『神殿玉楼(しんでんぎょくろう)』となった神様スタイルの方が、仏界よりもかなり進んだように思い込んどったんです。しかし前回の先生の解説を読んでみて、なるほどなぁと思いました。仏界にせよ、やっぱりすべて必要があって、そしてメシヤ様の経綸の中でのことを感謝して、僕らの出来る次のステップへ進まないといけないんだ、と。
そういう(単に夜昼ステップだけの)意味では、『多寶佛塔』というと、えらい古めかしい形の昔の感じで、今の神殿玉楼の方がいいじゃないかと、ずっと思い込んできてたけど、先生がおっしゃっていた通り、メシヤ様が京都に仏教美術館を造るということをおっしゃっているんですからね。今仏教美術館を作ると、一生懸命献金を募ってますけどね、よく冷静に考えてみれば、善言讃詞の意味が、全然違った形に吸い込まれておったということですよね。
楳木先生:
そうですよ。もうね、善言讃詞を単なる祭典の形式みたいに取上げて、これを唱えることだけに、みんなを形だけにしてしまったので、祈りとして見てないわけです。」
受講者:
私も岡山支部の文を読んでね、唱えると全部備わってくるという・・、いやそれは、今まで、バァーと唱えてたのが、見ながら、意味を考えながら唱えさせてもらったら、それはもう全然違いますよね。これまでも、善言讃詞をお唱えして下さってる時に、私はすぐに違う事を考えてしまったりしてたけれども、言葉の内容をちゃんと考えないといけないんだなぁと思ってね。自分がそれを考えるのと考えないのと、もの凄い違うなぁと。字をただ見るんじゃなくて、中身を考えながら一つ一つ唱えさせていただくと全然違うんですよね。
楳木先生:
○○さんが一番古いのかな?この中では?生まれた時からでしょ。」
受講者:
そうですけど、小学校6年生の時にお光の頂きましたので、40年くらいです。
楳木先生:
お父さんは?」
受講者:
昭和24年です。
楳木先生:
24年ね、それだと一番古いでしょ。しかし、いわゆる古い人たちがああいった参拝の姿勢ではね、新しい人はどうなっちゃうのということですよね。」
受講者:
新しい人の方がまともかもしれないですよ(笑)
楳木先生:
例えば、天津祝詞の文言に疑問とか持たなかった?」
受講者:
それが、だから最近持つんですよ、これはどういう意味なのかな~と。
楳木先生:
例えばね、主神様、そして、○○之光の時はみろくおおみかみ様、○○○○教の時もみろくおおみかみ様でしょ。みろくおおみかみ様にお祈りしながら、『祓戸大神等諸々の枉事罪穢を祓い給へ淨め賜へと申す事の由を』と何で唱えるのか?」
受講者:
全然考えた事なかったです。そういう言葉を流れで、唱えるもんだと思っていました。
楳木先生:
こういうもんだと、御参拝の時に唱えるもんだと思っていたの」?
受講者:
全然考えてなかったです。
(後略)
受講者:
御参拝が形骸化したということですからね。私は小さい時から、朝拝夕拝してるから、もうずっと形骸化してますね(笑)
楳木先生:
それをね、メシヤ教の中で年々起きていることの中から、少し皆さん方にも組み立てて頂きたい事があるんです。
ここでも非常に霊視を、○○さんを中心に起きているでしょう?いろんな物が見えたりしてるでしょう、そういう見えたものが、メシヤ様の、そういう用意して下さった事と組み立てられて行かないといけない訳です。
天津祝詞の場合にはね、例えば、三重支部の○口さんの体験記では、支部を作る為に、今まで一間の神床だったけど、二間の神床に作り変えたのね。そして作り変えて御神体を申し込むと、御神体を申込んだ瞬間から、御神霊の御働きをいただくというように昔から言われて来たので、そのことを御夫婦にお伝えしてあったので、御奉斎する前から、あの御夫婦はお参りをし始めたんです。
ある時、他の信者さんと二人でお参りした時に、あるものが御神前に見えたというのが書いてあるでしょう?階段みたいのがあって、そして一番頂点に主神様の光の玉のような、『○』に『・(チョン)』の御神体のようなものが見えたので、御神霊の御働きがあるんだというふうに思いながらお参りをしました、という体験記ですね。
しかし、私はそれについて、まだ深く語らなかったんです。それは何故かというと、みんな参拝姿勢とか祝詞に対する考え方がもっともっと深い物にならないと、見えた現象を分からないうちに解説してしまうと、あ~そういうもんだと思って、深みのないまま受け取ってもらうと困ると思ってね。
それで、良く聞くと階段は3段見えてるわけです。3段階。そうすると天国界が見えたという訳です。霊界は天国と中有界と地獄と3つに分かれてる訳です。天国の部分がさらに第1天国、第2天国、第3天国に分かれている訳です。その天国の一番頂点に主神様がお鎮まりになっていて、すべてを主宰されている訳です。
この3段階の中に国常立尊様とか言う神様は、非常に高い所にいらっしゃるし、我々の日常を面倒見て下さっている氏神様とかいう神様は・・、大阪の第一の一宮はかなり上です。それから土地の、皆さんが住居を治めている○○市とか○○町の氏神様は、働きが小さくなるから、神格も下の方になっているんです。それから特別な役割を持ってる神社の神様だと、神格も高い所じゃないと役割が果たせないから、高いところというふうになってるんです。
こういう神格をお持ちになられる神々が整然とお並びになる段数だと解釈すると、ここの御神前は、主神様の御神体とメシヤ様の御尊影と、それから大黒様がお座りになっている。
大黒様というのは、元々人間だった人が、弟子になりたければもっと笑えと言うことから、福の神に上がられた。そうした神格を持たれたわけだから、元々は人格神。この大黒様も御床に座れるということは、我々の所属している氏神様方も、整然と、神格の高さに応じて並んでおられるということですね。
我々の先祖達は、我々の背中に乗って来るんだけど、我々の所属する氏神様は主神様のお祭りに来ない訳がないので、来て、ここに整然とお並びになっておられる、ということですね。その中に『祓戸大神』がいらっしゃるわけです。『祓戸大神等諸々の枉事罪穢を祓い給へ淨め賜へと申す事の由を 天津神国津神八百萬の神等共に天の斑駒の耳振り立てて』というふうに、これを繋げていくと、『祓戸大神』が主神様に一礼をして、そして前面に出て来て、まず、天津祝詞を唱えて、そして祓ってくださる。昔祭典の時に、修祓(しゅばつ)やってたでしょう?」
受講者:
やってました。
楳木先生:
あれと同じ意味で、『祓い給へ淨め賜へと申す事の由を』がこの修祓(しゅばつ)になっていく訳です。
そしてこの『天津神』というのはまだ地上に降りて来たことのない神様達を総称して『天津神』と神道では捉えているわけです。『国津神』は一度地上に降りて来られた神様です。
そしてその次に『八百萬の神等共に天の斑駒の耳振り立てて聞こし食せと』だから、どうか枉事罪穢を祓い給へ淨めということを耳振りたててお聞き下さいというのが、天津祝詞なんです。
その祝詞を唱えた瞬間に『祓戸大神』が主神様の了解を得て、みんなの想念に応じたように祓って下さるわけです。
これが天津祝詞を奏上する時の姿勢なわけです。そうすると祓っていただけるだけの姿勢でもって、天津祝詞を奏上しなければ、その程度の祓いしかできないというわけですね。
(急いで手をたたく)パンパンパン、(急いで唱えられ)高天原に神留り坐す神漏岐神漏美の命以ちて~~、とお参りしたことあるでしょう?」
受講者一同:
フッフッフッ(笑)
楳木先生:
ね、それはかつての話、昔話ですね(笑) そういうようなことでは、『祓い給へ淨め賜へと申す事の由を』ということにはならないの。そういう参拝ではね。」
受講者:
そういうことですよね。
楳木先生:
しかも、それを分かった先達が、そういう祝詞をあげていかないとね。そういう言霊どおりの祓い事というのは出来ないわけです。」
(後文割愛)
御写真の:位置について
受講者
メシヤ様は主神様のすぐ下くらいにいらっしゃるんですか。
楳木先生:
今いい質問が出たね。こういうふうにお飾りしているのは、実は重ねて本来は御奉斎したいんだけどね、主神様というのはこの宇宙一切を主宰されているから、半径150億光年の大きさだからね。今も、プラス、1秒×光の速度に広がる位の御存在だから、我々の概念では捉えられることのできない御存在なのです。
しかし地球を救う点においては、主神様の中から、ビュッーと前に出て来た御存在がメシヤ様だということです。
だからメシヤ様が前面に出て来て、後ろに主神様がいらっしゃるという形が一番いいんだけども、しかしどうしても肉体の形なので、それで横におかけしてね。そしてメシヤ様はこういうお方だったんだということを、拝してるんです。実質的には主神様の前にずっーと出て来て、人類を救われているんです。」
受講者:
どこかの支部の、やっぱり霊視でね、メシヤ様の御尊影が前に出て来ていたというのがありましたね。私は下にと思っていたけど、下じゃなくって前でしたか。重なっていたんですね。
楳木先生:
あれはね、札幌。メシヤ様がお写真から出て来て、そして一旦下に降りて、それから主神様の御神体の中に入って行かれたということです。」
受講者:
あ~入って行かれたんですか。
楳木先生:
そうそう、そういう意味です。だから一番頂点の181段階目に主神様がいらして、そこからメシヤ様が我々に、ずっーと表面に出て来られてるという事です。しかしメシヤ様ご自身は肉体を持って、人間とした部分があるので、その(人の)御姿をこうした御尊影として、ここへ掲げている。御本体は主神様と御一体の形。御神体は、メシヤ様の御神体でもあるし主神様の御神体として、拝していった方がいい。そういう風に捉えて下さい。
その下に、配下の神様達が整然とお並びになって、そして役割に応じて御経綸をあそばされている。そういう御存在に向かって我々はお祈りするわけなんです。」
受講者:
主神様の魂はメシヤ様とは、また違うんですか。あの~無茶苦茶なあれで、すみませんが、この間伊勢神宮にお参りに行って来たんですけれどもね、天照大御神様と、また荒御魂様がお祀りされてあって、そしてお参りの仕方として、世界の平和と人間の平和をお祈りし、そして、感謝を捧げるのは天照大御神様で、個人的なお願いは荒御魂様のところですることをお勧めします、と書いてあってね。全然違う事でしょうけれども、フッとそういうのも分けてお参りするのが似てるな、とちょっと思いました。神様事というのはそういうことがあるのかなと思いまして。
楳木先生:
だからメシヤ様のお言葉通りの解釈をしておいていただきたいんですけれども、主神様という御存在は表現し奉る言辞もないということ、だからこうやって話をしてても、話したからと言って主神様のことをお伝えしたということには届かないくらい、表現することができないくらいの御存在だということ。
しかし具体的に考える時にはメシヤ様として考えられるので、メシヤ様から御力をいただいて、そして進ませていただく。
だから、そういう頂点の神様に対して、「どうして下さい」という祈りはふさわしくない。メシヤ様は、御参拝に来たら、御力を下さいと祈りなさい、と。
願いは自分で叶えていくわけだから、神様が叶えてくれるわけではない。願い事は自分で叶えて行くものだから、「このようにして下さい」と言う祈りは、主神様、メシヤ様に対してしていくようなものではない。
「このようにするから、お力を下さい」と。そして実現する仕方も解説して下さっているんですよ。つまり、霊籍が上がれば実現するんだ、と。霊籍が下がれば実現しないんだ、と。
だから、この自分の願いを実現させる為には、霊籍を上げる(御力を許され、そこへ行く努力)しかない。これが“霊籍の向上”だということなんです。この辺が、全部自分の思想体験に組み込まれて、生活をしていくことが、メシヤ様の信仰だということです。」
責任者:
ここまでの御教示は、「祝詞」及び「神床の祀り方」そして「主神様への祈り方」という大変重要な内容です(重要だと思うところには下線を引きました)。各自、内容を確認した上で肚に落として下さいますようお願い致します。
「メシヤ講座no.128大阪(平成23年9月分)」より抜粋つづき:
△O△実権者「ユダヤ的手法」の結果と霊的波及
楳木先生:
この組み立て(メシヤ様から個々に方法手段を授けられ、個々がメシヤ様と直接繋がり、信仰努力によってさらに強く太く繋がり、御守護も厚く、自他とも幸福になるという原則)が出来ないような指導方針を、今までの教団はとって来た、ということです。何故かというと、そういうふうになると、うまく人を使えなくなるからです。それぞれがみんな独立した信仰心を有してしまうとね。」
受講者:
(笑)そういう事ですよね、お金も集まらないしね。
楳木先生:
そう、だから森喜朗さんと一緒。森さんが総理大臣の時何て言ったか?選挙の時に?
受講者:
選挙の時?
楳木先生:
若い人は選挙に行かないでほしい、と。
受講者:
あ~。
楳木先生:
それと一緒でしょ。本来は総理大臣になったら、みんな選挙に行ってくれと言うけど、若い人が選挙に行くと、自民党が負けるから行かないでくれというのと、同じ程度なんですね、教団の幹部の程度がね。
しかし、みんなが魂を上げるようになっていかないと、天国に住める人は、蓋を開けてみたら、メシヤ様に繋がっている人みんな天国に行けなかった、ということになっちゃうんです。
外部で、外で一生懸命魂を磨いた人の方が天国に行けて、メシヤ様とご縁があって、そして浄霊を一生懸命してたけど、魂が上がってなければ、天国建設出来た時に、天国に住せない訳です。」
受講者:
そういうことだよね。
(後文割愛)
受講者:
願いはあっても、願いはしてもいいんでしょうかね?
楳木先生:
願いは持つもの、持って実現するものです。」
受講者:
じゃあ具体的にやっぱり持っていていいんですよね。
楳木先生:
うん、持って、実現するものです。実現させる為にメシヤ様から御力をいただくんです。」
受講者:
こう持っていると、結構叶うじゃないですかぁ。まぁやっぱり、具体的にこう持っていった方がいいんですね。
楳木先生:
そうそう。
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎それぞれが独立した信仰心を持てないような指導方針(メシヤ様から個々に方法手段を授けられ、個々がメシヤ様と直接繋がり、信仰努力によってさらに強く太く繋がり、御守護も厚く、自他とも幸福になるという原則を組み立てることが出来ないようにすること)を、今までの教団はとって来たのだということ。
>それは何故かというと、独立した信仰心を持つようになると、(教団が)うまく人を使えなくなるからなのだということ。
◎願いは持つもの、持って実現するものなのだということ。
>そして、実現させる為にメシヤ様から御力をいただくのだということ。
編集後記
責任者:
今回の学びでは先ず神様は、「いつまでもこの末期的惨状を放任できないのだ。」ということと、「来るべき理想世界の住民としての健康人を作るのだ。」という2つの理由(御心)で「文明の創造、科学篇」を御執筆になられたのだということを御教えいただきました。そして、理想世界の住民となれるように皆さんを導いて行く為には、「天国を建設していく私達自身、そして各々の家庭を、まずは病貧争絶無の世界にしていくのだ。」ということと、そうする為に必要である「祝詞」及び「神床の祀り方」そして「主神様への祈り方」という大変重要な(深い意味を持った)内容を御教示いただきました。
メシヤ様と私達一人一人が直接繋がり、各々の信仰努力によってさらに強く太く繋がり、御守護も厚く、自他ともに幸福になれるように意識して日々を過ごして参りたいと、令和7年の年頭にあたり御祈願致しました。
寒さもこれからが本番です。体調を崩されませんようご自愛ください。皆さまにとりまして本年が幸多き年でありますよう、心からお祈り申し上げます。有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。
「メシヤ講座no.128大阪(平成23年9月分)」