4月に向けての学び
はじめに
責任者:
昨日の「春分の日」を境に冬から春本番の気候になり、今年の桜の開花予想は24日(鹿児島から)だということです。世間では、東京ドームで行われている「MLB」の開幕戦(ドジャース対カーブス戦)が大きな話題を呼んでいました。そんな中ですが、皆様はお変わりなくお過ごしでしょうか?さてそれでは引き続き、「文明の創造」から学んで参りたく思います。よろしくお願い致します。
「メシヤ講座no.133大阪(平成24年2月分)」より抜粋:
<今月の御教え>
『肺炎と結核』
「文明の創造、科学篇」昭和27(1952)年
寒冒と最も密接な関係ある病気としては、言うまでもなく肺炎と結核であろう。特に現在日本において、最も悩みとされているものはこれであるから、充分解説する必要があろう。そもそも肺炎と結核という病気の初因は、もちろん寒冒からである。というのは前項に述べたごとく、せっかく寒冒という浄化作用が発生するや、医療は極力停止させようとして、種々の手段を行う。これも既に述べた通りであるが、その中の最も不可であるのは、薬剤と氷冷である。元来薬剤とはいかなるものであるかというとことごとく毒物である。にもかかわらずなぜ毒物を薬剤として用いるようになったかというと、今までに説いたごとく、浄化作用停止に最も効果があるからである。
ここで浄化作用なるものの本質を説いてみるが、さきに述べたごとく、体内の毒素を排除すべく、生まれながらに保有している自然良能力である。従ってこの力の強弱によって、浄化力にも強弱が出来る。何よりも結核が青少年に多いという事は、浄化力が旺盛であるからで、壮年から老年に及ぶにしたがい、減少するのもその理由であり、また各種の伝染病が、青少年や小児に多いのも同様の理である。そこで病気すなわち浄化発生の場合、医学は浄化を極力止めようとする、それには何よりも体力を弱らせる事である。その唯一の方法として考えられたのが、毒物を体内に入れる事で、それによって体力が弱るから、浄化も弱り病気症状も軽減するという訳である。
また氷冷はなぜ不可かというと、毒素を溶解すべき熱を冷すから浄化が弱り、元通り固まり、それだけ苦痛も減る事となる。もちろん、湿布も同様であって、ただいささか異(ちが)う点は、人体は不断に皮膚の毛細管からも呼吸しているのでそれを窒息させるから、その部の浄化は停止し、症状は緩和されるのである。特に近来注射が流行するが、これも毒分の強い薬は、服んでは中毒の危険があるから、皮膚から注入するのである。
寒冒に罹った場合、右のごとく薬毒やその他の方法で、浄化停止を行う以上、保有毒素の幾分は減るが、大部分は残存し、再び固まってしまうと共に、新しい薬毒も追加されるので、寒冒に罹る毎に毒素は累加し、ある程度に達するや、一時に浄化活動が起る。それが彼の肺炎で前項に説いた借金の理である。何よりも肺炎の特異性は喀痰が肺臓内に多量に溜る事で、そのため喘音(ぜんおん)がはなはだしいのである。喘音とは呼吸の度に肺胞が動くにつれての喀痰の響きである。また呼吸困難は喀痰多量のため、肺臓内の容積が縮小するから必要量の空気を吸うには、頻繁に呼吸しなければならないからである。この理によって肺炎の場合、何らの療法もせず、自然にしておけば痰は出るだけ出て順調に治るのである。ところが医療はあらゆる手段によって浄化を停止させようとする。何よりも肺炎に対しては医療は特に強い薬を用いる。それは毒が強いからで、浄化停止に強力だからである。そんな訳で強い浄化と強い浄化停止とで、猛烈な摩擦が生じ、非常な苦痛が伴う。そのため食欲減退、高熱による体力消耗と相まって、衰弱死に至るのであるから、医学の誤謬たるや言うべき言葉を知らないのである。
右のごとく肺炎は強烈な浄化である事は体力が旺盛であるからで、体力の弱っている人は浄化が緩慢(かんまん)に発(おこ)る。それが結核である。そうして医師が初めての患者を診断する場合、種々な方法の中、今日最も決定的とされているものはレントゲン写真である。これは肺臓内の雲翳(うんえい)または空洞が写るからで、これを見て結核と断定するが、医学はこれは何が原因であるかを知らない。そこでその原因を書いてみるが、寒冒の説明にもある通り、最初液体となった毒素が、一旦肺臓内侵入停滞した時、極力浄化停止を行う結果、喀痰は排泄されず、肺臓内に残存してしまい、日を経るに従って固結となる。それが雲翳であってみれば、これは全く人為的所産と言えよう。ゆえに最初の液体侵入の際は、肺臓は何ら異常はないのである。そうして固痰の位置が比較的上部の場合は、肺尖カタルまたは肺門淋巴腺と言うのである。それと似たものに肺浸潤がある。これは軽微な肋膜炎または肋骨付近に溜結せる毒素が浄化溶解し肺臓内に浸潤吐痰となろうとするので、この場合も医療は固めようとするから容易に治らないので、いずれも放任しておけば、順調に治癒するのである。
そうして一度結核と断定するや、寒冒と同様医療は極力浄化停止を行うが、それに最も効果ありとされているのが、近来熱心に推奨されている彼の安静法である。ところがこの安静法が曲者である。何となれば仮に健康者が一ケ月も安静にすれば、運動不足で食欲は減退し、体力は減り、外出しないため顔色は悪くなり、目に見えて衰弱し、ちょっと動いても息切れをするようになるので、言わんや病人においてをやである。なおその上薬毒を入れられ栄養と称して動物性蛋白を多く摂(と)らせるが、右はことごとく衰弱を増させる方法であるから、結核患者ならずとも衰弱するに決まっている。
このように衰弱法を行う結果、予期通り浄化力は極度に減退し、症状は減りついに無熱となり咳も吐痰も無くなるので、これで恢復したと思って喜ぶが、何ぞ知らん実は浄化以前の状態に還元させたまでで、しかも反って薬毒は増し、体力は弱り、消極的小康を得たまでで、真に治ったのではないから、何かの機会に触れるや、俄然悪化し重態に陥り、ついに死に至る事が往々ある。こういう経路は医家もよく経験するところであろう。ゆえに医学では決して治るとは言わない。固めるというにみても明らかである。また経過中に患者がたまたま少し運動でもすると直に発熱する。すると医師はあわてて戒めるが、これは運動によって鎮静していた浄化が頭をもたげるからで、本当はいいのである。よく長い間掛って漸く治ったといわれ、ヤレ安心と普通の生活を始めるや、間もなく再発元の木阿弥(もくあみ)となる事もよくあるが、これらも何年掛りで漸く固めた毒素が、俄(にわ)かに溶け始めたためである。以上によって明らかなごとく、今日の医療がいかに誤っているかで、忌憚なく言えば医療が結核を増やしていると言っても過言ではなかろう。
ここで、結核菌について大いに注意したい事がある。医学では結核菌は、伝染するとして恐れるが、それもない事はないが、大部分は自然発生である。前述のごとく最初喀痰が肺臓内に侵入するや、医療は固めて出なくするので時日の経過につれて腐敗し、微生物が発生する、これが結核菌である。そうなった痰は悪臭があり、粘着力が強いものである。考えてみるがいい。いかなる物質でも古くなれば腐敗する、腐敗すれば微生物が湧くのは物質の原則である。ましてや体温という好条件も手伝うからである。これによってみても最初の寒冒時、肺臓内に喀痰が滞溜した時、極力出してしまえばそれで済んでしまう。それを一生懸命出さないようにして腐敗させ、菌まで湧かせ、菌の蚕食(さんしょく)によって空洞さえ作るのであるから、結果からいえば善意の加害的行為とも言えるであろう。この理に目醒めない限り今後いかに多くの犠牲者が出るか測り知れないものがあろう。
主神様の摂理(御恵み)… 「自然」浄化作用
楳木先生:
はじめに今日拝読させていただいたところから確認をさせていただきながら、学びを進めていきたいと思います。
まず最初の2行目『現在日本に於て、最も悩みとされてゐるものは之であるから、』とメシヤ様はおっしゃっています。最も悩みさとされているものは、この場合メシヤ様は肺炎と結核とおっしゃっているわけですね。現代は何ですか、皆さんの最も悩みとするところは?」
受講者:
一番罹りたくない病気はアルツハイマーですね。
楳木先生:
アルツハイマー、認知症ね。その他罹りたくない病気は?」
受講者:
癌です。
支部長代理:
脳卒中。
受講者:
膠原病。:
受講者:
糖尿。
支部長代理:
精神病。
楳木代表:
特に若い人達はね、今うつ病患者がものすごく急増してるからね。だいだいこういう病気に罹りたくないですよね。
今日拝読した御論文は今言ったような病気に当てはめて考えていった方がいいと思うんですね。だから『肺炎と結核』と書かれてありますけれども、今皆さんがおっしゃった、癌とか認知症とか、精神病、糖尿病、それから膠原病・・、そうしたものについて、メシヤ様は御指摘をして下さっているので、それを応用して我々は考えておかないと、△O△のように医者に丸投げしてしまいます。我々が考えておかないといけない、ということですね。
それをまず認識しておいていただきたいと思います。だから、今回は『肺炎と結核』についてお説き下さっているんですけれども、自分達が今一番罹りたくない病気として、最も悩みとされている病気について、具体的に考えていただきたいと思います。
その具体的に考えていった時に、今のところから3行目くらいいくと、『折角寒冒といふ浄化作用が発生するや、医療は極力停止させやうとして、種々の手段を行ふ』というように、結果排泄を止めてしまうので、中に残留してそれが固結を生んでいくんだということを、メシヤ様は繰り返し繰り返し説いていただいているので、そこのところを我々のですね、人生観の中に明確に入れておいていただきたいと思います。
明確に入れておかないと、精神病に罹った△O△の指導者達がいろいろ説いてくると、それを鵜呑みしてしまいますね。人生観をキチッと持っておかないと、間違った指導者の話を鵜呑みにしてしまって、方針だとか、御経綸だとかという言葉に惑わされて、そして鵜呑みしてしまうということになっていきますので、ここのところをしっかり我々の腹に入れておいていただきたいと思います。
それから薬剤とか氷冷とかいうところからさらに下のところへいくと、『茲で、浄化作用なるものの本質を説いてみるが、』ということで書かれてありますから、『浄化作用なるものの本質』というところを、充分認識しておいていただきたいと思います。『浄化作用なるものの本質』という言葉をメシヤ様はここでお使いになっていらっしゃるので、浄化作用の本質ということで、しっかり認識しておいていただきたいのは、『曩に述べた如く、体内の毒素を排除すべく、生れながらに保有してゐる自然良能力である。従って此力の強弱によって、浄化力にも強弱が出来る。』ということですね。ここのところは非常に大事なところです。生まれながらに保有している『自然良能力』なんだと。
そうすると『浄化』という言葉はですね、おおよそ、メシヤ様が御昇天されてから56年の間にですね、負の部分を強調して説いてきました。
例えば、世界救世(きゅうせい)教の場合はですね、「あなたね、参拝してなかったら浄化するよ~」と「浄化するよ~」という言い方をしてます。浄化というのは、光をいただいて浄化を許されるわけなんで、参拝した方が浄化をするわけです。
しかし「参拝しないと浄化するよ」「御用しないと浄化するよ」「もうちょっとあんたね、献金しないと浄化するよ」とかいうような言い方で、脅かしの言葉で浄化という言葉を使ってきております。そのために長い信仰歴のある人ほど、浄化というのは怖いとか、そんなふうに受け止めさせられているところがあります。
これを今回の御論文、まぁ今ずっと拝読させていただく中から、根底から塗り替えておいていただきたいと思います。そのために『自然良能力』というところをですね、『浄化』というのと同じ意味合いの言葉なので、『自然良能力』ということをいつも前面に出していただいて・・・
まぁ私もですね、節分祭、立春祭という素晴らしい祭典をさせていただいたお蔭で、その夜から浄化を許されまして、ずっと下げております。今日はもう大分落ち着いておりますけれども、昨日までですね、ものを食べるとずっと下げて、随分と腹の中の掃除をしていただいております。それほどに、光をいただくことによって浄化作用を許される、大変ありがたいことなので、是非このありがたいことを、我々の中に定着していくと共に、知り合いの人達、同じメシヤ様を教組として仰いでいる人達に、徹底して教えて、・・まぁ言葉としては知っているんですけれども、腹にずっと入っているかというと、そういうことではないので・・、我々の啓蒙活動というのは、同じ信仰者に対しては、このことを知らしめることが啓蒙活動の一つなんだというふうに考えていただいて、『自然良能力』ということをいつも発信しておいていただきたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は、『現在(昭和27年当時)日本に於て、最も悩みとされているものは肺炎と結核である。』と仰っているのだということ。
>私達はメシヤ様が、『最も悩みとされているものは「肺炎と結核」である』 と仰っている部分を現代の病(癌、認知症、精神病、糖尿病、膠原病等)に応用し具体的に考えていくのだということを、認識しなければならないのだということ。
◎メシヤ様は、『折角寒冒といふ浄化作用が発生するや、医療は極力停止させやうとして、種々の手段を行ふ』と仰っているのだということ。
>メシヤ様は繰り返し“「浄化を停止させる結果、体内にある毒素の排泄を止めてしまうので、それが体内に残留し固結を生んでいくのだ。」と説いて下さっているのだ”ということを私達の人生観の中に明確に入れておくのだということ。
◎メシヤ様は、『浄化作用なるものの本質』は、生まれながらに保有している『自然良能力』なんだと仰っているのだということ。
>それなのに、『浄化』という言葉は、メシヤ様が御昇天されてから約56年の間(平成24年当時)負の部分を強調して説いて(「浄化」という言葉を脅しの言葉で使って)来ているので、長い信仰歴のある人ほど、浄化というのは怖いといふうに受け止めさせられているところがあるのだということ。
≫今回の御論文を拝読させていただく中で、その(前記の)部分を根底から塗り替えておく(そのためにも「浄化」は『自然良能力』なのだということを、いつも前面に出していく)のだということ。
◎参拝し(神様の)光をいただくことによって浄化作用を許されるということは、「大変有難いことなのだ。」ということを私達の中に定着していくのだということ。
>又、私達の啓蒙活動の一つとして、知り合いの人達やメシヤ様を教組として仰いでいる人達に、「浄化作用を許されるということは、大変有難いことなのだ。」ということを徹底して知らしめ、「浄化は『自然良能力』なのだ。」ということを常に発信していくのだということ。
「メシヤ講座no.133大阪(平成24年2月分)」より抜粋つづき:
主神様の摂理に外れる・・・自然浄化作用を人為停止
楳木先生:
それからですね、今の自然良能力というところから5、6行目ぐらいいきますと『其唯一の方法として考へられたのが、』・・これは医療の話ですね、『毒物を体内に入れる事で、それによって体力が弱るから、浄化も弱り、病気症状も軽減するといふ訳である』。この部分をですね、我々には図解したようにメシヤ様はお説き下さっていますので、これはいつも・・、特に△O△の人達には徹底的に言っておいて下さい。『体力が弱るから、浄化も弱り、病気症状も軽減する』んだという、この図式がキチンと分かっておかないと、医療を受けながら浄霊をするということが、まかり通ってきます。この『体力が弱るから、浄化も弱り、病気症状も軽減する』と、これが医学がやっていることなんだと、このことをですね、この御文章は非常に分かりやすいので、この分かりやすいところを懸命にみんなに教えてあげていただきたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は『そこで病気すなわち浄化発生の場合、医学は浄化を極力止めようとする、それには何よりも体力を弱らせる事である。その唯一の方法として考えられたのが、毒物を体内に入れる事で、それによって体力が弱るから、浄化も弱り病気症状も軽減するという訳である。』とお説き下さっているのだということ。
>医療を受けながら浄霊をするということがまかり通らないように、『体力が弱るから、浄化も弱り、病気症状も軽減する』のだということを医学はやっているのだということを、私達はキチンと理解し、みんなに知らせていくのだということ。
「メシヤ講座no.133大阪(平成24年2月分)」より抜粋つづき:
薬理を知って、薬毒の蓄積が具体的にわかる
楳木先生:
それでは次の段落の一番最後にですね、『特に近来注射が流行するが、之も毒分の強い薬は、服んでは中毒の危険があるから、皮膚から注入するのである』。この説明を読んだ時に、12月23日に紹介した薬理学の本の図解を見ると、非常に解りやすいですので、あの図解を広げてですね、・・ちょうど小腸の中とかに(毒の成分が)浸透していくという図解がありますね、これは、薬を飲んだ場合は浸透していくんだけれども・・、しかし注射の場合は、直接入れていく。(胃・小腸の)消化器官を通して入れると中毒症状が起きるので、直接注射で入れるんだと。こういうふうにメシヤ様は簡潔に書かれているんだけれども、あの本の図解を見ながら拝読していくと非常に解りやすいと思いますので、専門書をいつもテーブルに置いてですね、図解を見ながらこの御論文を拝読していただくとですね、分かりやすいと思いますので、参考にしておいていただきたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎『特に近来注射が流行するが、これも毒分の強い薬は、服んでは中毒の危険があるから、皮膚から注入するのである。』という部分などは、薬理学の本の図解を見ると非常に解りやすいのだということ。
「メシヤ講座no.133大阪(平成24年2月分)」より抜粋つづき:いう
主神様の摂理を忘れ、メシヤ様の浄霊をも錯覚させ、神に反則
楳木先生:
それからずっと見ていくと、『此理によって肺炎の場合、何等の療法もせず、自然にしておけば痰は出るだけ出て順調に治るのである。』ということでありますので、おおよそですね、まぁ今日MOAのことを徹底的に批判しておく理由の中にこのことがあります。メシヤ様は、肺炎になっても『何等の療法もせず、自然にしておけば痰は出るだけ出て順調に治るのである。』ということですから、“浄霊すれば治る”とは書かれてないんですね。浄霊すれば治るんじゃない、自然に放置しておけば浄化作用だから治っていくと。
しかし浄霊をすることで、その浄化期間が短縮されるということです。
いいですか、『自然良能力』なので、こういう症状になっても自然に放任しておけば、人間の体というのは治るんです。それで浄霊するとその浄化作用が促進するので短期間で浄化作用が終わるということです。
これを“浄霊をすると治る”ということを前面に出して行くと、これが“病気治し”になっていきます。そうすると病気治しになってくると、これをですね、“統合医療の中に組み込んだらどうか”という馬鹿な考え方が生じてくるということです。浄霊によって治そうとするので、統合医療の中に組み込んで行く、ということの考え方が生まれてきます。
そういう次元ではないんだということです。
ですから医療と手を組んでいくと、非常にその・・発展しているというか進歩したようなイメージを、新年1月1日の理事長の挨拶でも、また2月4日の理事長の挨拶でも、そういう話し方をしています。如何にも進んだように・・、しかし、そんなことではないんだと。『自然良能力』があるわけなので、放任しておけば治るんだということ(医学ではなく自然良能力よる浄化の理)が徹底されない限り、(浄化促進をさせる浄霊普及は)進んでは行かないんだと。ここを勘違いするので理事長がああいう挨拶をしてしまう、ということをよく認識しておいていただきたいと思います。
“メシヤ様の根本的な考え方が分かってないために、浄霊観すらも変わってきてしまっている”ということです。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は、肺炎になっても『何等の療法もせず、自然にしておけば痰は出るだけ出て順調に治るのである。』と仰っているのだということ。
>「浄霊すれば治る」とは書かれてないのだということ。
>「浄霊すれば治る」のではなく、自然に放置しておけば浄化作用だから治っていく(しかし浄霊をすることで、その浄化期間が短縮される)のだということ。
≫「浄霊をすると治る」ということを前面に出して行くと、これは「病気治し」になってくるのだということ。
≫「病気治し」になってくると、浄霊によって治そうとするので、統合医療の中に組み込んで行く、というような馬鹿な考え方が生まれてくる(「浄霊」は、そういう次元のものではない)のだということ。
「メシヤ講座no.133大阪(平成24年2月分)」より抜粋つづき:
「偽の上塗り」の応用と行き詰まり
楳木先生:
これに対して、今のところから3行下を読むと、『そんな訳で強い浄化と強い浄化停止とで、猛烈な摩擦が生じ、非常な苦痛が伴ふ。』とあります。だから「浄化をすると非常に苦しい」ということを皆さん錯覚しているんだけれども、浄化が苦しいのは薬が入ってくるから苦しいわけで、あるいは、中に薬が残存している量によって、苦しいということが起きてくるわけなので、その点をですね、しっかり拝読しながら、認識を明確にしておいていただきたいと思います。
これを『医学の誤謬』だとおっしゃっているわけですので、この医学の誤謬に上塗りしているのが△O△だということです。(後文割愛)」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は、『そんな訳で強い浄化と強い浄化停止とで、猛烈な摩擦が生じ、非常な苦痛が伴ふ。』と仰っているのだということ。
>私達は、「浄化をすると非常に苦しい。」というふうに錯覚しているが、「浄化が苦しいのは薬が入ってくるから苦しいわけであり、あるいは体内に残存している薬の量によって苦しいということが起きてくるのだ。」という認識を明確にしておくのだということ。
>このこと(前記)に対しメシヤ様は、『医学の誤謬』だと仰っているのだということ。
「メシヤ講座no.133大阪(平成24年2月分)」より抜粋つづき:
「浄霊の意味」 と 「本来の浄霊」
楳木先生:
それでレントゲン写真のところがありますよね、これは『医学は之は何が原因であるかを知らない』というふうに御指摘されております。確かにレントゲンを撮ると、翳(かげ)が映ったりして、穴が開いてそうだとか、そういうことが分かるんだけれども、その原因は分かってない。現象的(病態生化学的)には分かるんだけれども、原因は分かっていないというところをメシヤ様は御指摘になって、・・そして続けてずっと説明をして下っています。
だから翳(かげ)というのは、今のところから3,4行目まで・・、ん?ため息出るね、○○さん。(笑)今まで何やってきたんだろう、とため息出ちゃうね、やっぱり。」
受講者:
浄霊し過ぎてもまずい、とおっしゃいましたよね。あの・・、浄霊し過ぎて治らなかったんです、友達が。
楳木先生:
今いい話が出た。「浄霊し過ぎて」と・・・。メシヤ様は、浄霊というのは具合悪くなった時に、(浄化が厳しくなってきて辛いので暇さえあれば等で)浄霊しなさいとおっしゃっているんですね。健康な時にいつも浄霊いただきなさいとは御論文に書かれてない。じゃあそうなってくると、皆さんが健康な時にいただく浄霊のいただき方が間違っているということ、ね。△O△は(辛いほどでもないのに)熱のあるところとか、探査しながら浄霊してるでしょ。そして、そこを溶かそうとして(懸命に)浄霊してる。“浄化してないのに浄化させようとする浄霊”、を浄化療法という名のもとにしている。(御論文の理に沿わずに引用して)いい名前つけてるよ、浄化療法とね。それから腎臓も横からしなさい(△O△で通称、横腎臓)というグループもでてきたりしてる。これは健康な場合にはそういうことはしなくていいわけで、これは何故かというと、自分の体の中には『自然良能力』があるので、その自然良能力によって浄化が起きてくるので、浄化が起きた時にその浄化を促進させるために浄霊をしていけばいい。
「じゃあ何もない時に浄霊いただかなくていいんですか?」と。そういうことではなくて、何もない時にいただく浄霊というのは一体何かというと、これは『霊性の向上』のためにいただくわけです。
三千年来の罪穢れがあるために、自分の精神構造が『夜の時代』の精神構造になってるために、いらんことに腹立てたり、ぐずぐずと考えたり、取り違いをしていきます。
それを取るために、“御光によって『夜の時代』の精神の癖を浄めていただく”、ということ。そして、“御教え拝読をすることによって魂に直に光をいただいて、『夜の時代』の精神構造を変えていく”と。この取り組みが信仰生活になってくるわけです。
いつまで経っても“溶かそう”とかいう浄霊をしていってると、初歩の浄霊から一歩も進んでいかない、ということになります。霊性(魂)が高まっていく浄霊というのは、『夜の時代』の精神構造を『昼の時代』の精神構造にみんな変えていくために、我々は信仰生活をしているので、そっちへ繋がる取り組みをしていかないといけない。だから、御教え拝読と、自分の霊性が高まっていくそういう浄霊のいただき方をしていかないといけない。
そういう浄霊のいただき方というのは、瞬間に高まるような浄霊のいただき方をしておかないと、なかなかですね・・・、例えば、30分間“魂が浄まりますように”という想いで浄霊をいただき続けるのは、なかなか難しいです。そこまで精神がね、集中力が続かない。そういう時は短時間でいいわけです。短時間にいただいて、そして、“よしっ”ということで、“これで光をいただいたからまた一歩『昼の時代』になっていくんだ”という、精神をそちらに向けていくような生活にしていくということが大事なので、そういう日々の生活を送っていただきたいというふうに思います。
○○さんは考えないで言う言葉は、非常にいい言葉が出ますからね、非常にいい言葉が出てきます(笑)。」
受講者:
いや~、私の言った質問とちょっと違ってたから、また質問します。
楳木先生:
いや、だから違った質問が一番いい(笑)。」
受講者:
いやいや、え~(笑)。
楳木先生:
いや一番長い信仰者だからね、メシヤ様がお使いになっている。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎医学では、レントゲン等によって現象的(病態生化学的)には分かるんだけれども、その(現象の)原因は分かっていないのだということを、メシヤ様は『医学は之は何が原因であるかを知らない』と御指摘になっているのだということ。
◎メシヤ様は、浄霊というのは具合悪くなった時に、(浄化が厳しくなってきて辛いので暇さえあれば等で)浄霊しなさいと仰っているが、健康な時にいつも浄霊いただきなさいとは仰ってはいないのだということ。
◎健康な時にいただく浄霊は、『霊性の向上』のためにいただくのだということ。
>私達には三千年来の罪穢れがあるので、それを取るために「御光によって『夜の時代』の精神の癖を浄めていただくのだ。」ということ。
>そして、「御教え拝読をすることによって魂に直に光をいただき、『夜の時代』の精神構造を変えていく(この取り組みが信仰生活になってくる)。」のだということ。
≫「溶かそう」とかいう浄霊をしていると、初歩の浄霊から一歩も進んでいかないということになるのだということ。
≫私達は、『夜の時代』の精神構造を『昼の時代』の精神構造に変えていくために信仰生活をしているので、其方へ繋がるような御教え拝読と、自分の霊性が高まっていく浄霊のいただき方をしていかないといけないのだということ。
「メシヤ講座no.133大阪(平成24年2月分)」より抜粋つづき:
療院参画が「宝」ではなく、本当の「宝」はこうだ
楳木先生:
それでまたこの御論文に戻りますが、ここに今のレントゲンのところからずっと拝読していきますが、『それが雲翳であってみれば、之は全く人為的所産と言えよう。』ということですので、この症状は『人為的所産』なんだと、おおよそ医学者の人為的所産なのだというとこです。
その下にいろんな症状が出ております。肺炎カタル又は肺門淋巴腺、それから肺浸潤、それから肋膜炎とかいうような言葉が出てきますけれども、今あまりカタルとかいう言葉は耳に馴染みがないですね。しかし肺浸潤というのは分かりやすいと思います。肺浸潤はその下に書かれてありますように、肋骨付近にずっと残留した毒素が肺の中に溶けて流れ込むと肺浸潤とかが起きるというふうに書かれておりますから、こういうふうな症状になったら、医者から肺浸潤だと言われた場合には、この肋骨の隙間を浄霊していけば、溶け出した元がそこなので、そこを浄霊すればいいということになってきます。
いろいろ病名とこうした浄化症状というのをくっつけて、そして、浄霊の仕方というのを自分の中で構築していっていただきたいと思います。そのためには肺浸潤の人を見つけて浄霊しないことには、これは習得することができないので、これは見つけて浄霊をするというよりも、必要な時に必要な人が与えられますので、その症状が出たらすぐに木原さんに電話して、「こういう人に今出会ったんだけれども、どこを浄霊させてもらえばいいですか?」というふうに聞いて、この浄化作用の原理に当てはめて、「こことここを浄霊してあげて下さい」というふうにして積み上げていっていただきたいと思います。それで、御守護いただいたら、それを自分の宝にしていって下さい。一つ一つの、一生の自分の人生・・・80年とか90年、100年の中の宝というのは、そういうことを御教えに沿って人を御救いさせていただいたことが自分の宝となっていきますので、その宝を自分の中に蓄えていくという生活を営んでいっていただきたいというふうに思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎『最初液体となった毒素が、一旦肺臓内侵入停滞した時、極力浄化停止を行う結果、喀痰は排泄されず、肺臓内に残存してしまい、日を経るに従って固結となる。“それが雲翳であってみれば、之は全く人為的所産と言えよう”。』ということなので、この(液体となった毒素が排泄されずに固結となる)症状は医学者の人為的所産なのだということ。
◎「肺浸潤」は、肋骨付近にずっと残留した毒素が肺の中に溶けて流れ込むと、肺浸潤とかが起きるというふうに書かれているので、もし医者から肺浸潤だと言われた場合には、この肋骨の隙間が毒素溶解した元なので、そこを浄霊すれば良いのだということ。
>例えば「肺浸潤」の浄霊の様に、病名と浄化症状というのを合わせて考え、様々な(病名や症状に合わせた)浄霊の仕方というものを自分の中で構築していくのだということ。
◎御教えに沿って人を御救いさせていただくことが、自分の人生の宝となるので、その宝を自分の中に蓄えていくという生活を私達は営んでいくのだということ。
「メシヤ講座no.133大阪(平成24年2月分)」より抜粋つづき:
三界に、物質世界に貫く「真理」の具現
楳木先生:
それで次にずっと下の方に養生法が書かれております。『尚其上薬毒を入れられ栄養と称して動物性蛋白を多く摂らせるが、右は悉く衰弱を増させる方法であるから、結核患者ならずとも衰弱するに決ってゐる。』ということですから、(重症や重篤ではない)大きい病気になった場合には、栄養と称して動物性蛋白質を摂らせ過ぎないようにしていくことが肝心だということです。だから今までの御論文をずっと拝読してきたところには、具合の悪い時には野菜を中心にして生活をするようにと。野菜を中心にした食生活をするようにというふうに教えられていますね。そして、仕事に出たり、あるいは学校に行くようになった時に動物性蛋白が必要なんだということですので、そういう動きをする前は、養生する時には、野菜中心の食生活をしていくように。まぁ養生する時にはそういうふうにした方がいいということを、前の項までずっと書かれておりますので、それをここでまとめて書いて下さっているんだというふうにして、読んでいただきたいと思います。
それでは最後のページの方になりますが、一番最後の段落のところにですね、『茲で、結核菌に就て大いに注意したい事がある。』という書き出しですが、その下の方に『如何なる物質でも古くなれば腐敗する、腐敗すれば微生物が湧くのは物質の原則である。』ということですね。だからこの浄化の考え方というのは、メシヤ様は物質の原則に沿って説かれているということです。この物質の原則という、メシヤ様がこういう御言葉遣いをしているところをあまり自分の中に認識させてないで、御教え拝読している場合が多いですので、メシヤ様の考え方は、いつもこういう科学的な説明をされているんだということです。
これが神科学、神様の科学ということに最終的に集約されていることになってきます。この物質の原則とかいうことをいつも頭の中に繰り返しておいていただきたいと思います。そうしないと、今までの世界救世(きゅうせい)教型の信仰をしていると、メシヤ様の御意図、御心というのを分からないで一生を終ってしまいますので、どうかこうしたことを繰り返し繰り返し自分の中に反復しておいていただきたいと思います。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は(医学による結核の)養生法として、『尚其上薬毒を入れられ栄養と称して動物性蛋白を多く摂らせるが、右は悉く衰弱を増させる方法であるから、結核患者ならずとも衰弱するに決ってゐる。』と仰っているので、患者が(重症や重篤ではない)大きい病気になった場合には、栄養と称して動物性蛋白質を摂らせ過ぎないようにしていくことが肝心なのだということ。
>メシヤ様は、具合の悪い時(養生する時)には、野菜中心の食生活をしていくようにと御教え下さっているので、私達はそのようにしていくのだということ。
◎メシヤ様は、『如何なる物質でも古くなれば腐敗する、腐敗すれば微生物が湧くのは物質の原則である。』と仰っているのだということ。
>ということは、メシヤ様は物質の原則に沿って「浄化」の考え方を説かれているのだということ。
>私達は、メシヤ様が「物質の原則」という言葉をお使いになっているところを認識せず、御教えを拝読している場合が多いのだが、メシヤ様の考え方は、いつもこういう科学的な説明をされているのだということ(この部分は、メシヤ様の御意図、御心を理解することが出来るように、繰り返し自分の中で反復しておくのだということ)。
≫これが最終的には「神科学(神様の科学)」ということに集約されていることになってくるのだということ。
「メシヤ講座no.133大阪(平成24年2月分)」より抜粋つづき:
「浄霊の意味」から「浄霊のあり方」を熟考
受講者:
浄化が起こってきてから浄霊をした方がいいというふうに、勿論そういうふうにおっしゃっている方大勢いらっしゃいます。それでさっきのね、この前のメシヤ講座でもお聞きしたんですけれども、結核の人は放っておけばいいと書いてあるからと。それで御夫婦ですごく熱心で療院の委員長もされていたんですけれども、信仰三世の娘さんが結核になって一生懸命浄霊して、どうしてもこうしても良くならなくて、それで食欲がないもんやから聖地に行って御参拝して、そしたらそれから少しずつ食べるようになったとか言ってはったんですけど、そういうのってやっぱり浄霊のし過ぎなんでしょうね。
楳木先生:
うん、だいたい結核の場合は毎日しない方がいいとおっしゃっている。」
受講者:
毎日どころじゃない、必死に御夫婦ですごいしてたと思いますね。やっぱりし過ぎたということですよね。
楳木先生:
うん、それと結核の人は他にも原因があるからね。」
受講者:
霊的な原因。
楳木先生:
うん。それと結核の人は指先を使ってはいけない。指先を使う仕事とか…。」
受講者:
高校生なんですよ。
楳木先生:
うん、高校生は勉強する時に鉛筆使い過ぎたり、パソコンを使い過ぎたりということをやるとかで、指先を使ってはいけない。指先に力を入れてはいけない。」
受講者:
いけないんですか?
楳木先生:
いけない、治るまでね。それは指先を使うと肩凝るから、せっかく浄化をしているのに、指先を使うと肩凝らせて、そして浄化促進させないので長引いてしまう。」
受講者:
今の○○さんの話で思い出したんですけれども、肺の病気の場合は、やはり御浄霊をむやみやたらに(長く続けて)してはいけない箇所があるというふうにお聞きした覚えがあるんですけど、もう一つ代表先生がおっしゃった(短時間の)霊性の向上のための御浄霊というお話がありましたよね。そうすると、受ける方の想念の問題もあるとは思うんですが、(長くはない、良い想いをもっての)同じお光で、(また、)言葉が変ですけれども、霊性の向上用の御光と、固結をとるための御光と、(良くなる)区別がそんな極端についてしまうものなのかどうなのかなと。
楳木先生:
極端についてしまうものなんです。だって(真因を考えず)急所の浄霊をするでしょ、(その固結をとって)よくしようと思ってね。そこを溶かしているところを余計溶かしてしまうというのがある。」
受講者:
それ(想念の方)は、させていただく側の想念の問題ですか?いただく方の問題ですか?
楳木先生:
いただく方もする方も、それは両方です。」
受講者:
そうすると、例えば肺の病気の方に御浄霊させていただくとしたら、そういうふうな『霊性の向上』を願いながらさせていただいたら、別にその~ずっとさせていただいたとしても、それは大丈夫なわけですか?
楳木先生:
いや、だからそれは、(『夜の時代』の癖をとる短時間の)霊性の向上の御浄霊というのも、(毒素をとり)よくする浄霊と、だいたい似たり寄ったりになってしまうから。
だから、結核の場合にいえば、一つは色情の因縁が加わってくるので、前世にそうしたものの問題がある。(こっちが霊性を願っているだけではなく)それを改めるアドバイスをして(その上で浄霊を調整して)いかないといけないわけです。これは『霊性の向上』に繋がることです。
これは『夜の時代』に良かれと思って、あるいはそんなことを考えないで突っ走ってしまったために起きてきてることだから、・・アトピー性皮膚炎もそうですね。同じような因縁のあることなので、これを止めてしまうと、次にぜんそく症状が起きてしまう、アトピーの場合はね。そのぜんそくというのは肺に関係あるから、結核と同じところに因縁があるということ。だからそうした根本的なところを改めるようにアドバイスをしながら進んで行かないといけない、ということですね。
それができないので、まずは浄霊によって奇蹟を現わしてメシヤ様が説かれた御教えは絶対だというのを、先に認識させて、その御教え通りに生活をするように導いてあげるのが指導者の役割なわけです。だから浄霊しつづけるのが指導者の役割ではない。浄霊というのは神様の力を見せて、「その力をもった神様が説いたものなので絶対性があるんだ」という御教えを認識させるために、浄霊の奇蹟があるわけだから、いつまでも浄霊に頼っているような信仰生活では実はダメなの。しかし、こういう言い方をすると、“浄霊を軽んじている”というふうにまた受け取られがちなんだけど、実はメシヤ様の御教えを実践するために奇蹟を見せてきているわけなんです。
そうすると、過去奇蹟をいただいても、“今も奇蹟をいただき続けたい”という奇蹟に対する願望を持ち過ぎている。実はみんなはね。こんなのは1回見ればいいわけなので、1回見ればいいことなので、その奇蹟というのは神様がお見せになったわけなんで、その神様が説かれた教えこそ絶対のもんだと、この絶対なものに沿って生活をさせていただくということが、実は一番大事なことになるんです。浄霊の奇蹟は大事ではあるけれども、それよりも御教え通りに生活すること自体が大事なことなんです。」
(後文割愛)
責任者:
ここでは、「霊性の向上」を図る浄霊のいただき方を御教示いただいております。各自で要点の確認をお願い致します。
編集後記
責任者:
今回は、参拝し御光をいただくことによって浄化作用を許されるということは、「大変有難いことなのだ。」ということ。そして、「浄化」は恐ろしいものではなく、私達人間が持つ素晴らしい『自然良能力』なのだ。」ということを御教示いただきました。また、私達は、『夜の時代』の精神構造を『昼の時代』の精神構造に変えていくために信仰生活をしているのだから、其方へ繋がるような御教えの拝読と、霊性が高まっていくような浄霊の御取次をしていかないといけないのだということを御教示いただき再確認することが出来ました。御光を魂に直にいただき、『夜の時代』の精神構造を変えていけるようにこれからもコツコツと努めて参りたく思います。
季節の変わり目です。体調を崩されませんよう、どうぞご自愛ください。有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。