6月の学び
はじめに
責任者:
今、大変な話題になっている備蓄米の販売やその値段についてNHK NEWS WEBによりますと「随意契約で売り渡された備蓄米の店頭での販売が大手スーパーなどで始まり、今週以降、さらに販売する店舗が増えていく見通しです。一方、農林水産省は5月30日に始まったコメの販売店からの申し込みについて予定の数量を超えた可能性があるとしていて、備蓄米の販売に向けた動きが加速する中、コメ全体の値下がりにつながっていくかが焦点です。(6月2日時点)」とのことです。今回の米の問題は、どこに原因があったのか(あるのか)を政府には深く掘り下げて考え反省していただき、日本国民が主食である米を安心して食べられるようにしていただきたいと思います。今回取られた措置が、現代医療のように対処療法で終わらないように願うばかりです。
さてそれでは引き続き「文明の創造」から学んで参りたく思います。よろしくお願いいたします。
「メシヤ講座no.138大阪(平成24年7月分)」より抜粋:
<今月の御教え>
『栄養』
「文明の創造、科学篇」昭和27(1952)年
私は前項までに、薬剤の恐るべきものである事を詳説したから、最早判ったであろうが、ここに見逃す事の出来ないのは、栄養に関する一大誤謬である。まず結核の項に動物性蛋白の不可である事を述べたが、こればかりではない、全般にわたってはなはだしい錯誤に陥っているのが、近代栄養学である。
その最もはなはだしい点は、栄養学は食物のみを対象としていて、肝腎な人体の機能の方を閑却されている事である。例えばビタミンにしろ、ABCなどと種類まで分けて、栄養の不足を補おうとしているが、これこそ実に馬鹿馬鹿しい話である。それは前述のごとく体内機能が有している本然の性能を無視しているからである。というのはその機能なるものを全然認めていないのである。すなわち機能の働きとは人体を養うに足るだけのビタミンでも、含水炭素でも、蛋白でも、アミノ酸でも、グリコーゲンでも、脂肪でも、いかなる栄養でも、その活動によって充分生産されるのである。もちろん全然ビタミンのない食物からでも、栄養機能という魔法使いの活力によって、必要なだけは必ず造り出されるのである。
この理によって、人体は栄養を摂る程衰弱するという逆結果となる。すなわちビタミンを摂る程ビタミンは不足する事になる。これは不思議でも何でもない。それは栄養を体内に入れるほど栄養生産機能は活動の余地がなくなるから自然退化する。これは言うまでもなく栄養の大部分は完成したものであるからで、本来人間の生活力とは、機能の活動によって生まれるその過程なのであって、特に消化機能の活動こそ生活力の主体であると言ってもいい。言わば生活力即機能の活動である。この理によって未完成な食物を完成にすべき機能の労作過程こそ生活力の発生源である。何よりも空腹になると弱るというのは、食物を処理すべき労作が終ったからであり、早速食物を摂るや、身体が確(しっ)かりするのにみて明らかである。しかも人体すべての機能は、相互関係にある以上、根本の消化機能が弱れば他の機能も弱るのは当然である。
そうして人間に運動が健康上必要である事は言うまでもないが、それは外部的に新陳代謝を旺盛にするのが主で、内部的には相当好影響はあるが、それは補助的である。どうしても消化機能自体の活動を強化する事こそ、健康増進の根本条件である。ゆえに消化のいいもの程機能が弱るから、普通一般の食物がちょうどいいのである。ところが医学は消化の良いものを可とするが、これはいかに間違っているかが分るであろう。しかもその上よく噛む事を奨励するが、これも右と同様胃を弱らせるからもちろん不可である。この例として彼の胃下垂であるが、これは胃が弛緩する病気で、全く人間が造ったものである。というのは消化のいい物をよく噛んで食い、消化薬を常用するとすれば、胃は益々弱り、弛緩するに決まっている。何と愚かな話ではないか。これについて私の経験をかいてみるが、今から三十数年前、アメリカで当時流行したフレッチャー〔リ〕ズム喫食法というのがあった。これは出来るだけよく噛めという健康法で、私は実行してみたところ、初めはちょっとよかったが、約一ケ月くらい続けると段々弱り、力がなくなって来たので、これはいかんと普通の食べ方に還元したところ、元通りに快復したのである。
以上によってみても判るごとく、栄養学はほとんど逆であるから、健康に好いはずがないのである。また他の例としてこういう事もある。乳の足りない母親に向かって牛乳を奨めるが、これもおかしな話である。人間は子を産めば育つだけの乳は必ず出るに決まっている。足りないという事はどこかに間違った点があるからで、その点を発見し是正すればいいのである。ところが医学ではそれに気が付かないか、気が付いてもどうする事も出来ないのか、右のようにする。これでは呑んだ牛乳は口から乳首まで筒抜けになるように思っているとしか思えない。実に馬鹿馬鹿しいにも程がある。従って牛乳を呑むと反って乳の出が悪くなる。何となれば外部から乳を供給する以上、乳生産の機能は退化するからである。そればかりではない、病人が栄養として動物の生血を呑む事があるが、これも呆れたものである。なるほど一時は多少の効果はあるかも知れないが、実は体内の血液生産機能を弱らせ、却って貧血する事になる。考えても見るがいい、人間は白い米やパンを食い、青い菜や黄色い豆を食って赤い血が出来るのである。としたら何と素晴らしい生産技術者ではなかろうか。血液の一耗だもない物を食っても、血液が出来るとしたら、血液を呑んだら一体どういう事になろうか。言うまでもなく逆に血液は出来ない事になろう。そこに気が付かない栄養学の蒙昧(もうまい)は、何と評していいか言葉はあるまい。彼の牛という獣でさえ、藁を食って結構な牛乳が出来るではないか。いわんや人間においてをやである。これらによってみても、栄養学の誤謬発生の原因は、全く自然を無視し、学理のみに偏したところに原因があるのである。
そうして人間になくてはならない栄養は、植物に多く含まれている。何よりも菜食者は例外なく健康で長生きである。彼の粗食主義の禅僧などには長寿者が最も多い事実や、先頃九十四才で物故した、英国のバーナードショウ翁のごときは有名な菜食主義者であった。以前こういう事があった。ある時私は東北線の汽車に乗ったところ、隣にいた五十才くらいの、顔色のいい健康そうな田舎紳士風の人がいた。彼は時々洋服のポケットから青松葉を出しては、美味(うま)そうにムシャムシャ食っている。私は変った人だと思い訊ねたところ、彼は誇らし気に、自分は十数年前から青松葉を常食にしていて、外には何も食わない。以前は弱かったが、松葉がいい事を知り、それを食い始めたところ、最初は随分不味(まず)かったが、段々美味(おい)しくなるにつれて、素晴しい健康となったと言い、この通りだと釦(ボタン)を外し、腕を捲って見せた事があった。また最近の新聞に、茶殼ばかり食って健康である一青年の事が出ていた。これは本人の直話であるから間違いはない。以前私は日本アルプスの槍ヶ嶽へ登山した折の事、案内人の弁当を見て驚いた。それは飯ばかりで菜がない。訊いてみると非常に美味いという。私が缶詰めをやろうとしたら、彼は断ってどうしても受けなかった。それでいて十貫以上の荷物を背負っては、十里くらいの山道を毎日登り下りするのであるから驚くべきである。これは古い話だが、彼の幕末(中期)の有名な儒者、荻生徂徠(おぎゅうそらい)は豆腐屋の二階に厄介になり、二年間豆腐殼ばかり食って、勉強したという事がある本に出ていた。また私はさきに述べたごとく、結核を治すべく、三ケ月間絶対菜食で、鰹節さえ使わず、薬も廃めてしまったところ、それで完全に治ったのである。このような訳で私は九十才過ぎたら、大いに若返り法を行おうと思っている。それはどうするのかというと菜食を主とした出来るだけの粗食にする事である。粗食はなぜいいかというと、栄養が乏しいため、消化機能は栄養を造るべく大いに活動しなければならないから、それがため消化機能は活溌となり、若返る訳である。とすれば健康で長生きするのは当然であろう。また満州の苦力(クーリー)の健康は世界一とされて西洋の学者で研究している人もあると聞いている。ところが苦力の食物と来たら大変だ。何しろ大型な高梁(こうりゃん)パンを一食に一個、一日三個というのであるから、栄養学から見たら何と言うであろうか。これらの例によっても判るごとく、今日の栄養学で唱える色々混ぜるのをよいとするのは、大いに間違っており、出来るだけ単食がいいのである。なぜなれば栄養生産機能の活動は、同一の物を持続すればする程、その力が強化されるからで、ちょうど人間が一つ仕事をすれば、熟練するのと同様の理である。それから誰しも意外に思う事がある。それは菜食をすると実に温かい。なるほど肉食は一時は暖かいが、ある時間を過ぎると、反って寒くなるものである。これで判った事だが、欧米にストーブが発達したのは、全く肉食のため寒気に耐えないからであろう。これに反し日本人は肉食でないため、寒気に耐え易かったので、住居等も余り防寒に意を用いていなかったのである。また服装にしても足軽や下郎が、寒中でも毛脛(けずね)を出して平気でいたり、女でも晒(さらし)の腰巻一、二枚くらいで、足袋(たび)もあまり履かなかったようだ。それに引換え今の女のように毛糸の腰巻き何枚も重ねて、なお冷えると言うような事など考え合わすと、なるほどと思われるであろう。
今一つここに注意しなければならない重要事は、近来農村人に栄養が足りないとして、魚鳥獣肉を奨励しているが、これも間違っているというのは前述のごとく菜食による栄養は根本的に耐久力が増すから、労働の場合持続性があって疲れない。だから昔から日本の農民は男女共朝早くから暗くなるまで労働する。もし農民が動物性のものを多く食ったら、労働は減殺されるのである。何よりも米国の農業は機械化が発達したというのは、体力が続かないから頭脳で補おうとしたのが原因であろう。ゆえに日本の農民も動物性食餌を多く摂るとすれば、機械力が伴わなければならない理屈で、この点深く考究の要があろう。
右によってみても判るごとく、身体のみを養うとしたら菜食に限るが、そうもゆかない事情がある。というのはなるほど農村人ならそれでいいが、都会人は肉体よりも頭脳労働の方が勝っているから、それに相応する栄養が必要となる。すなわち日本人としては魚鳥を第一とし、獣肉を第二にする事である。その訳は日本は周囲海というにみてもそれが自然である。元来魚鳥肉は頭脳の栄養をよくし、元気と智慧が出る効果がある。また獣肉は競争意欲をさかんにし、果ては闘争意識にまで発展するのは、白人文明がよく物語っている。白色民族が競争意識のため今日のごとく文化の発達を見たが、闘争意識のため戦争が絶えないに見て、文明国と言われながら、東洋とは比較にならない程、戦争が多いにみても明らかである。
以上、長々と述べて来たが、要約すればこういう事になる。人間は食物に関しては栄養などを余り考えないで、ただ食いたい物を食うという自然がいいのである。その場合植物性と動物性を都会人は半々くらいがよく、農村人と病人は植物性七、八割、動物性二、三割が最も適している。食餌を右のようにし、薬を服まないとしたら、人間は決して病気などに罹るはずはないのである。ゆえに衛生や、健康法が実際と喰違っている以上、反って余計な手数をかけて悪い結果を生んでいるのであるから、哀れなるものよ汝の名は文化人といいたいくらいである。
今一つ栄養学中最も間違っている一事は彼の栄養注射である。元来人間は口から食物を嚥下(えんか)し、それぞれの消化器〔機〕能によって栄養素が作られるように出来ているのに、これをどう間違えたものか、皮膚から注射によって、体内へ入れようとする。恐らくこれ程馬鹿馬鹿しい話はあるまい。何となればそのような間違った事をすると、消化器能は不要物となるから、退化するに決まっている。すなわち栄養吸収機能が転移する事になるからである。まず一、二回くらいなら大した影響はないが、これを続けるにおいては非常な悪影響を及ぼすのは事実がよく証明している。
経済中心の「生活力」
楳木先生:
それではよろしくお願いします。
今日の『栄養』という御教えは皆さん一度は読んだことありますかね。まぁ、この内容は一度は読んでますね。小冊子がすでに出てますのでね。
メシヤ様がこの『文明の創造』をお書きになって・・・、いろんなところでですね、栄養についてはお述べになっております。(そして、吟味しつつ『文明の創造』用に書き直されています。)
そのことから、我々に大変な示唆を与えて下さっているんですけれども、これを現代に当てはめて、私達はいつも考えていくという、そういう癖をつけておいていただきたいと思います。
それで現代人はですね、生活力といった場合には、すぐ頭に何が浮かびますか?この子は生活力があるんですよと言った場合?」
受講者:
物質的なことが・・・。
楳木先生:
まぁ、生活力があるというと、たいていよく稼いでいるということですね。しかし、メシヤ様は、生活力の主体は消化能力だというふうに、今回お示しくださっております。
私達はどうしてもですね、戦後、日本が高度成長期に入ってきたことによって、経済至上主義という社会にどっぷり漬かっております。そしてだんだんとアメリカによって拝金主義という方向にもっていかれておりますので、どうしても経済が中心になった生活ということになっております。
しかし、今メシヤ様がここにお示しくださっているのは、生活力というのは食べた物を消化して栄養を作り出すというのが、本来の生活力なんだと、我々に教えていただいているので、現代社会において我々が思い込まされているものを、こういう御教え拝読をすることによって“本来のあり方は何か?”というふうにいつも考えておいていただきたいと思います。
そういうことを絶えず整理しながらテレビを見たり、新聞を読んだり、それからさまざまな雑誌を読む時に、その向こう側の踊らせようとしていることに、自分自身が静かに相対していける自分づくりをしていただきたいと思います。そのために、メシヤ様が現代にこの『文明の創造』をお残し下さっているんだというふうに受け止めてですね、繰り返し、繰り返し拝読させていただきたいと思います。
そして、この『栄養』という御論文はですね、まぁとにかく現代人にとっては思ってもみないような内容です。私も学生時代から御教えを拝読して、この栄養に対する考え方を、本当に素晴らしい御論文だなというふうに思いました。それは人間の肉体そのものの持っている機能に基づいて我々に御示し下さっているからであります。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は、「栄養」について色々なところでお述べになっており、我々に大変な示唆を与えて下さっているのだということ。
>私達はメシヤ様が示唆された「栄養」について、現代に当てはめて考えていく癖をつけていくのだということ。
◎現代人が、「生活力がある。」というのは、大抵はよく稼いでいることをいうのだが、今回の御論文でメシヤ様は、「生活力の主体は、消化能力だ。」というふうにお示し下さっているのだということ。
>「食べた物を消化して栄養を作り出すというのが、本来の生活力なのだ。」と御教えいただいているので、現代社会において私達が思い込まされているものを、こういう御教え拝読をすることによって「本来のあり方は何か?」というふうにいつも考えるようにするのだということ。
そういうことを絶えず整理しながら
>テレビを見たり、新聞を読んだり、それからさまざまな雑誌を読む時に、それらの向こう側にある私達を踊らせようとしていることに、相対していける自分作りをするのだということ。
≫私達が間違った考えに躍らせられないように、この『文明の創造』をメシヤ様は、お残し下さったのだと受け止め繰り返し拝読させていただくのだということ。
◎この『栄養』という御論文は(現代人にとっては思ってもみないような内容なのだが)、「栄養」に対する考え方を、人間の肉体そのものの持っている機能に基づいてメシヤ様が私達に御示し下さっている本当に素晴らしい御論文なのだということ。
「メシヤ講座no.138大阪(平成24年7月分)」より抜粋つづき:
本来の「生活力」を失い逆結果・・心身不健全
楳木先生:
どうしても疲れてた時に○○Cとか○○ケルとかいうのを(笑)、こう、飲むと元気が出るようなイメージ映像が流れてきますね。それから何か冠をかぶったのが、こうやって動いたりしてくると、“あれだけ疲れがとれていくのか~”というのがイメージで入ってきます。飲むものに力があるというふうに思い込まされる、というのが世の中の動きになっていますので、どうしてもそちらに引きずられていくようになってしまうので、その点を、メシヤ様の御論文を拝読しつつ、絶えず修正しておいていただきたいと思います。
世の中の人達がどっぷりとそういう風潮の中につかり、結果的に体が弱くなってきている、あるいは非常にミスを犯すようになってきている。(後文割愛)
そういうことをこういう御論文を拝読しながらですね、世の中の流れを的確に見ていくという、そういう自分達の訓練をさせていただくという、これが本来の『世界救世(メシヤ)教』の信者さんが目指していくもので、本来の賢者になっていく。これが信仰なんだというふうに受け止めておいていただきたいと思います。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎「疲れている時に飲む疲労回復ドリンク等に力があるというふうに思い込まされる。」、というのが世の中の動きになっているのだということ。
>現代人は、どうしてもそちらに引きずられてしまうので、その(間違った)点を、メシヤ様の御論文を拝読しつつ、絶えず修正しておくのだということ。
>世の中の人達は、そういう(上記のような)風潮の中にどっぷりと浸かり、結果的に体が弱くなりあるいは、非常にミスを犯すようになってきているのだということ。
◎「御論文を拝読しながら、世の中の流れを的確に見ていく。」という、そういう訓練をさせていただくというのが本来の『世界救世(メシヤ)教』の信者さんが目指していくものなのだということ。
>そうすることによって、「本来の賢者になっていくことが、信仰なのだ。」というふうに私達は受け止めるのだということ。
「メシヤ講座no.138大阪(平成24年7月分)」より抜粋つづき:
「肉」と「食べる割合」
受講者:
いいですか?
楳木先生:
どうぞどうぞ。」
受講者:
一般社会では、だいたい魚と肉とかで分けますけど、メシヤ様の御論文だったら、(日本は)魚鳥で一区切りで、(外国は)牛や豚というふうに分かれてますよね。鶏肉はどちらかというと肉というよりも、魚と一緒な(魚鳥区切りの)感覚で考えさせてもらったらよろしいんでしょうかね。
楳木先生:
そうですね。」
受講者::
そうなんですか!(嬉)
楳木先生:
うん、特に日本ほど、鳥の種類が多いのと、渡り鳥がこれだけ来るという国というのは、日本固有・・・、日本の特徴としては、そういうものがあるのでね。古来から魚と鶏肉は食べて来たのでね。」
受講者:
鶏肉としてウサギも食べて来たんですよね。
楳木先生:
そうです。だからウサギも食べる時に、羽をつけて、1羽2羽というふうにして、ウサギは食べるために呼び方を変えたわけです。あれは1匹とか1頭とか数えないでしょ。」
(後文割愛)
受講者:
その・・・、頭脳労働のためには、魚や鶏肉で充分ということですか?
楳木先生:
うん、充分。」
受講者:
豚肉とか牛肉とかは、あんまり必要ない?
楳木先生:
あんまり食べないね。あれ、食べ過ぎると、日本人の小腸は西洋人より長いので、だから途中でもう消化が済んでしまうので、カスがずっと溜まっていってしまうわけね。牛肉とかの方が消化が早いので、早くカスになってしまうので、それが小腸にずっと残っていってしまうので、それを押し出すのに、みんな便秘になってしまっているわけです。」
受講者:
若い人のスタイルが良くて、西洋風になってきているのは、肉食を少しずつ日本人が食べるようになってきたから、体型が変わって来ているということですか?
楳木先生:
そうですね。向こうの人の体形にね。」
(後文割愛)
受講者:
あの~鯖なら鯖で、鯖が一番よく獲れますので、毎日食べても、あんまり影響はないんですかね?
楳木先生:
それはここに、割合が書いてあるでしょ、一番最後に。それは毎日食べてもいいんだけど、割合を考えていくということです。だから、農業の人は8(野菜):2(肉)とか7(野菜):3(肉)の割合で食べて、そして頭をよく使う人は割合をもうちょっと(肉を)増やしてもいいということ。」
受講者:
鯖なら鯖一種類というか、毎日、毎日というか、そればっかり食べてもいいんでしょうかね、魚ならいろいろ種類がありますけれども。
楳木先生:
それは構わないと思いますよ。」
受講者:
別にそれはありですか。その・・鯖が一番添加物無いのが多いので、塩鯖とかは塩と鯖だけなんで、よく食べてるんですが、安いし(笑)。
受講者:
青魚はいいってね、メシヤ様もね。
楳木先生:
ええ、昔はこんな鍋にね、鯖を、トロ箱に買ってきて、ぶつ切りにして、味噌煮込みとか、それから醤油で煮たりして、それ何日間も食べた。我々、田舎の方だったからね。だから魚屋が活きのいい魚をトロ箱で2つぐらい持ってきて、それをその場でぶつぶつ切って、こんな大きな鍋で煮込んでね。だから料亭で煮こごりって結構高いけど、家の方は、煮こごりを最後に食べてね、贅沢な煮こごりが出来あがっていた。」
受講者
白いごはんに乗せて。
楳木先生:
ええ、乗せて食べてたね。だから(肉の)割合は、頭の使い方と肉体の使い方で、決めてやっていただきたいと思いますね。」
支部長代理:
そのなかで朝昼晩というふうに分けていって、そしてトータルしての割合ですから、(○○さん)今だったら(トータル)5:5ぐらいの割合でいいんでしょうかね。
受講者:
夜は7:3になってしまいます。
楳木先生:
トータルで、だからね。トータルで考えていくんです。夜は夜でね、朝と昼を考えればいいということですね。
受講者:
そんな朝昼に、お肉なんて食べてないですけどね。
楳木先生:
だから食べてなければ、食べてないでいいんです。無理して食べる必要はないからね。まぁその(自然な食べ方の説明の)ためにこのクーリーの話とかそういうことをしているわけだからね。本当は(自分に相応しければ)ご飯だけでもいいんです、もっと言えば松葉だけでもいいんです(笑)。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎一般社会では、だいたい魚と肉で分けているが、メシヤ様の御論文では、(日本は)魚鳥で一区切りなのだということ。
>鶏肉はどちらかというと肉というよりも、魚と一緒(魚鳥区切り)の感覚で考えるのだということ。
>日本は、鳥の種類が多い(色々な渡り鳥がやって来る)という特徴があり、古くから魚と鶏肉は食べて来たのだということ。又、ウサギは食べる為に1羽2羽と数え方を変えて、鶏肉として食べて来たのだということ。
◎頭脳労働のためには、魚や鶏肉で充分であり、豚肉や牛肉は、あまり必要ないのだということ。
◎豚肉や牛肉を食べ過ぎると、便秘になりやすいのだということ。
>日本人の小腸は、西洋人の小腸より長いので、豚肉や牛肉は消化が早いため早くカスになってしまいそれが小腸にずっと残るので、そのカスを押し出すのに、みんな便秘になってしまっているのだということ。
≫肉食を少しずつ日本人が食べるようになってきたから、若い人の体型が西洋風に変わって来ているのだということ。
◎食事は、例えば農業の人は、野菜が8割で肉が2割とか、野菜が7割で肉が3割という割合で食べて、そして頭をよく使う人の場合は肉の割合をもうちょっと増やしても良いのだというように割合を考えながら取るのだということ。
「メシヤ講座no.138大阪(平成24年7月分)」より抜粋つづき:
「食と健康」をいろいろ語る②
楳木先生:
私より年上の人達は、冬でも靴下履かなかったでしょ、子供の頃。」
受講者:
履いてました。
楳木先生:
履いてた?お嬢様だったんだね(笑)。」
受講者:
いえいえ(笑)。
楳木先生:
まだ私が小学校に入るまでは着物を着てました。」
受講者:
あ~そうそう、着物来て足袋履いてましたね。
楳木先生:
着物着て、すねが、これくらいまでの着物しかなかったので、下着の上に、その着物を着て、そして、真冬は袖なしというのを上に着たけど、後は雪が降ろうと、何しようが、下駄を裸足で履いていましたね。手がかじかんでても、ずっと外で遊び続けていました。それぐらい寒さに強かった。昔、粗食の時は・・・。今はもう、真冬は靴下も2枚履こうかというぐらい寒がりになってきています。これはやっぱり食事、菜食と肉食との違い。そういうことからきているのではないかなと思います。」
支部長代理:
結局、結構菜食すると、暑さにも強くなりますよね。
楳木先生:
両方どっちにもね。」
支部長代理:
どっちにも強いです。
(後文割愛)
受講者:
体温がですね、昔の方は戦前なんか女性で37°が平均だったらしいですね。だから赤ちゃんもボンボン産んでたという、健康だったということですね。今の女の子というと34°代でね、ようこんなんでおるわという感じでね。1°下がったら免疫力がガァーと落ちるでしょ、もう体温の低い人はガンになるというね。もう今は、体温というのをホントに冷やす生活ですからね。
楳木先生:
だから現代において、メシヤ様にこうして御縁をいただいているということは、この上なく幸せだということですよね。こういう真実を知ることができるわけなので、それを知らない人達は本当にお気の毒で、朝でも近所の人に会ったら、「おはようございます。お気の毒様な生活ですね。」と(笑)。
受講者一同:
(笑)
楳木先生:
いや、それぐらい言わないといけないぐらい、メシヤ様の御教えを知らないで、「本当にお気の毒な生活をされていますね」と声をかけたくなるような、そんな世の中ですね。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎菜食にすると、暑さにも寒さにも強くなるのだということ。
◎現代において、メシヤ様に御縁をいただいているということは、この上なく幸せなことなのだということ。
>メシヤ様の御教えを知らない人達は(真実を知ることができないので)、「本当にお気の毒な生活をされていますね。」と声をかけたくなるような、そんな世の中なのだということ。
編集後記
責任者:
現代人にとって「生活力がある。」ということは、大抵はよくお金を稼いでいるということをいいますが、「生活力」について今回の御論文では、『本来人間の生活力とは、機能の活動によって生まれるその過程なのであって、特に消化機能の活動こそ生活力の主体であると言ってもいい。言わば生活力即機能の活動である。』と御教えいただいております。この御論文を拝読したことにより、「現代社会において私達が思い込まされている事の“本来のあり方は何か?”といつも考えるようにする癖をつけなければならないのは何故なのか。」ということへの認識を深めることができました。私達が間違った考えに躍らせられないように、メシヤ様はこの「文明の創造」を残して下さったのだと受け止め、繰り返し拝読させていただき、御教えを基として世の中の動きを見つめていこうと思います。
さて、来る6月15日は「地上天国祭」です。その「地上天国祭」を迎えるにあたり拝読して臨んでいただきたいと思い、資料(「地上天国祭」について)を纏めてみました。一読いただけたら幸いです。時節柄、体調を崩しませんよう気を付けてお過ごし下さい。有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらから覧いただけます。