5月に向けての学び
はじめに
責任者:
万物の息吹を感じたのも束の間で、過ぎ行く春が惜しまれる頃となりましたが、お元気でお過ごしでしょうか。世界を見てみると中東情勢は以前と変わらず、ホルムズ海峡封鎖の影響によって起こってくる様々な事柄が懸念されます。一日も早い解決と戦争の終息を願っております。
さてそれでは引き続き、「文明の創造」より学んで参りたく思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。
「メシヤ講座no.158大阪(平成26年3月分)』より抜粋:
<今月の御教え>
『人形医学』
「文明の創造、科学篇」昭和27(1952)年
私は、今迄現代医学に於ける、凡ゆる誤謬の点を指摘して来たが、茲で最も重要なる点は、人間をして人形扱いにしている事である。
というのは医学には種々の科目がある。内科、外科、脳神経科、泌尿器科、皮膚科、婦人科、小児科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科というように、それぞれ専門部門に分れている。又右の科目中、内科にしても結核、胃腸病、心臓病等、夫々専門的に分れている。
そうかと思うと、基礎医学と称し、学問的研究にのみ一生涯没頭している人もある。彼のモルモットや二十日鼠を相手に、毎日顕微鏡と首ッ引きで余念がない。世間よくモルモット博士などと言われているのは誰も知る処で、其他臨床専門で、読んで字の如く、直接病人の脈を年中とっている人もある。又予防医学といって主に伝染病予防をはじめ、社会衛生、個人衛生等に専念している人もある。
次に療法に於ても色々の種類がある。薬剤の服用注射は固より、手術、電気、マッサージの外、光線療法、物理療法、精神療法等々があるかと思えば、皇漢医術あり、各種の民間療法あり、禁厭(まじない)、祈祷宗教による事もある。ザット数えただけでも右の通りであるから、実に複雑多岐種類の多い事驚く程である。此様になった原因は、全く本当に治るものがなかったからで、若し真に治る療法があったとしたら、それ一つで解決がついている筈である。
そうして医学の最も間違っている点は、人体を人形と同様に見る事である。というのは抑々人体なるものは、一個の綜合体であって四肢五体バラバラのものを、繋ぎ合せて作られたものではない。従って一部分に病気が発るという事は、其部分だけではなく、各部分に関連があるのである。例えば手足が悪いという事は、手足だけが悪いのではなく、手足以外の他の部分即ち甲の部分に原因があり、それが乙に移り、又丙に表われるというように何処迄も連繋している。
仮に歯が弱いという事は、全身が弱いからで、全身が弱いまま歯だけ丈夫にする事は絶対不可能である。女性の結核患者が病気が進むと、必ず無月経となるが、之も結核による貧血の為であり、腸が弱い人は必ず胃が弱く、胃の弱い人は肺が弱く、肺の弱い人は心臓が弱いというようにどこ迄も相互関係である。
一番判り易い例は仮に人間を一国家としてみても判る。其国家の政府の政策が悪ければ、国民全般が悪影響を受けると同様、人体の中央政府である心臓が悪いとしたら、身体全部が悪くなる。国家が不景気、金詰り、物資不足などというのは人体なれば栄養不足で貧血状態という訳である。そうして単なる痛みと難も、それが頭脳を刺戟し、心臓に影響するから、胃にも影響し、食欲不振となり、腸が弱り、便秘、疲労等、全身的に影響を及ぼすのである。又肺炎に罹るや、若し肺のみの病気とすれば、肺だけの熱で、他に影響はない筈だが、実際は其熱の為全身的に苦痛が及ぶにみても明かである。
次に数種の実例をかいてみよう。
(一)二十歳位の女性右の歯が非常に痛むので浄霊した処、間もなく痛みは止まったが、翌日又痛いと言って来た。普通の歯の痛みなら一回で治る筈だが、まだ治らないのは他に原因があると思って、歯のすぐ下部から順次下方へ向って押してみると、胸部に固結があり痛いというので、其固結を溶かすと直に治ったが、翌日又来てまだ痛いという。私は不思議に思って、尚下部へ向って段々押してゆくと、盲腸部が非常に痛いというので、そこを浄霊した処、それですっかり治ったので、訊いてみると、以前盲腸を手術したという。それで判った事は、其時の消毒薬が固結し、浄化が起ってそれが胸部を通って歯茎から排泄しようとした其痛みであった。之にみても歯痛の原因が盲腸部であったという事は、実に想像もつかないのである。
(二)二十幾歳の男子結核三期で咳と痰が非常に出るので、いつもの通り頭、首、肩等を浄霊したが、余り効果がないのでよく査べた処、意外にも両股、鼠蹊部にグリグリがあって、そこが可成の発熱があり、押すと非常に痛いという、ハハアー之だなと思って、其処を浄霊した処、一ケ月位で全治したのである。その時私は「君の肺は股に付いていたんだね」と言って笑ったのである。
処がそれに就て面白い事があった。有名な某医学博士に此話をした処、首を傾げているので「じゃー試しに貴方の股を診てあげましょう」と言って仰臥させ、押した処小さいグリグリがあり、微熱もあるので浄霊するや忽ち咳と痰が出たので、唖然として不思議の一語より出なかった。其医博は今でも某大学の教授をしている。
(三)中年の男子胆石病で苦しんでいたので右背面腎臓を見ると、大きな固結があるので之だなと思って、数回に亘って溶した処、それで治って了った。
(四)脱肛や痔核で苦しんでいる人の股をみると、必ずグリグリがある、それを溶かすと治るので、原因は股にある事を知ったのである。処が痔出血や赤痢の原因は、頭部の毒血が溶解下降する為であるから、何よりも頭部を浄霊すれば治ると共に、出血後は頭部が軽快になるのでよく判る。
(五)頭痛、頭重や精神集注力が乏しい人は、左右何れかの頚部淋巴腺又は延髄部に必ずグリグリがあって、そこに発熱がある。それを溶かすと直に治る。
(六)眼の悪い人は、延髄部を主に頚部から肩にかけて固結があり、又前頭部に必ず発熱がある。そこを浄霊すると軽い眼ならそれで治る。私は手術をしない眼ならば、大抵は治るというが、今日迄盲目を幾人となく全治さしたからである。近眼及び乱視など延髄部の固結を溶かせば、百発百中治る。
(七)盲腸炎は、右側腎臓部に必ず固結がありそこを浄霊すれば治る。又胃でも腸でも、原因は背部にあるから、そこを浄霊するだけでよく治る。胃痙攣など激痛の際、前方から浄霊しても痛みは全部取れないが、背部を浄霊すれば全治するのである。
(八)最も面白いのは瘭疸である。患部だけ浄霊しても全部痛みは除れないが、頚部をみると必ず固結があるから、そこを浄霊すると実によく治る。
以上によってみても判る如く、病なるものは表面に表われた症状であって、其因が意外な処にあるものである。それを知らない医学は、症状さえ治せば病気は治るものと解釈しているので、真の医術ではないのである。それは全く人間は綜合体であるという事の認識がないからである。何よりも病気によって療法が異い、薬の種類も数多いという事は、よくそれを物語っている。本当に治る医学とすれば、一つの方法で万病を治し得る筈である。
元来病気とは曩に説いた如く一種類となった毒素が各局部に固結するので、言わば病気の種類とは固結場所の種類である。それが分るとしたら療法も一つとなり、進歩の必要もない事になる。何故なれば進歩とは不完全なものを完全にしようとする過程であるからである。此一事だけにみても、現代医学は如何に根本に未知であるかが判るであろう。此意味に於て、今迄進歩と思って来たのは、実は外面だけのそれであって、肝腎な病気は治らず、一つ所を往ったり来たりしていたに過ぎないのである。
※『文明の創造』英語版はこちらをクリックしてください。
Creation of Civilisation: Translated Edition
各種病気と真因
楳木先生:
本日拝読していただいた『人形医学』という御論文の後ろから4行目 『此一事だけにみても、現代医学は如何に根本に未知であるかが判るであろう。此意味に於て、今迄進歩と思って来たのは、実は外面だけのそれであって、肝腎な病気は治らず、一つ所を往ったり来たりしてゐたに過ぎないのである。』 とメシヤ様は現代医学について御指摘されておられますけれども、それが現代までずっと続いた状態にあります。ですから現代も病気というのが一向に減らないで、それぞれ専門の研究が増える度に、病気の種類が増えていっているというのが現状であろうかと思いますので、人類は本当にまだまだ救われていないところか非常に多いということを思わせられます。
次に最初に戻っていきますけれども、『人間をして人形扱ひにしてゐる事である。』というところからは最大の内容であろうかと思います。
そして(書籍の)252ページ前から6行目にメシヤ様が嘆いておられるのは、『此様になった原因は、全く本当に治るものがなかったからで、若し真に治る療法があったとしたら、それ一つで解決がついてゐる筈である。』 ということです。ですからメシヤ様はそういった人類が抱えている問題を解決するために、この浄霊法によって救済活動をされようとされたということでありますので、この浄霊こそ唯一の解決法であるということであります。そうしたことをまず心においていただきたいと思います。
そうしてメシヤ様が254ページから順次実例を挙げて書いて下さっております。
例えば歯の痛みの主原因は実は盲腸の消毒薬であったというように、私たちが学びを積み重ねる中でこうした関連がだんだん分かっていきますので、その関連が分からない間は絶えず支部に相談して、そして「こうした症状はどの所が原因として推測できるでしょうか?」と尋ねて、すぐに解決ができない時には「ココに問題があるんではないか?」と絶えず尋ねて、そして早い段階で結果が出るように連絡を取り合って進めていただきたいと思います。
それから次にですね、結核患者ですけど咳と痰が止まらない場合、頭首肩を浄霊しても治まらないので足の付け根、股を触ったところグリグリに原因があったということですので、こうしていくつもの原因があるということですので、絶えず全身を見ながら、“ここから来ているのではないか?”と浄霊をしていく必要があろうかと思います。
それから胆石ですが、これは以前にも勉強しましたが、右背面腎臓を見ると大きな固結があると。それをメシヤ様の場合は数回浄霊したところ良くなったということですから、胆石という時には必ず右の背面腎臓部辺りをよく浄霊していけば結果が早いというふうに頭にいれておいていただきたいと思います。
それから脱肛や痔核、この場合にも股にグリグリが必ずあるということと、それから元々痔などは頭部の毒血が溶解下降するためであるので、頭部の浄霊を必ずする必要があるということです。こうしたことは繰り返し拝読をして頭の中に入れておいて下さい。日本人は割と痔が多いので痔の人を浄霊する場合には、“ここをよく浄霊すればいいんだなぁ”と、そういうふうに頭に入れておいていただきたいと思います。
それから頭痛、頭重や精神集中力が乏しいということがあります。そうすると例えば自分の子供が集中力があまり続かないという時には、浄霊する場所はこういう所なんだということです。自分自身を見つめていただいてもですね、集中力が続かない時にはこうした所(左右何れかの頸部淋巴腺又は延髄部)に必ずグリグリや発熱があるということですので、仕事の作業を進める上においても、家事がはかどらないという上にも、そうしたところに原因があるということをよく認識しながら、日々浄霊を心掛けていただきたいと思います。
それから『眼の悪い人は、延髄部を主に頸部から肩にかけて固結があり、又前頭部に必ず発熱がある。そこを浄霊すると軽い眼ならそれで治る。』ということです。それから眼の症状で悩んでいる方は手術をしたかどうかというのが一つの分かれ目になってきますので、手術してない人であれば、メシヤ様は必ず治っていくと仰っていますので、こういうことも心に留めておいていただきたいと思います。それから近眼及び乱視なども延髄部の固結を溶かせば百発百中であるということですね。
それから盲腸がありますけれど、盲腸は右側腎臓部に必ず固結があるので、そこを浄霊すればよいということです。それから胃や腸、胃が非常に痛むとか、そういう場合には、どうしても私たちはその痛いところを浄霊しがちなんですけども、メシヤ様はここでは背面部をよく浄霊しなさいということですので、浄霊を取り次ぐ場合にはそうしたことも念頭においていただきたいと思います。
それから瘭疽というのが出ておりますけれども、これは私が以前にもお話しましたように、右手親指がこのようにちょっと短いんです。これは瘭疽で骨と爪が一部取れてしまったためにこのように短いんですが、この時にだいたいこれぐらい親指が腫れ上がりましたけども、最後の時にはこの表面、ちょうど先が薄い皮がパンパンに腫れて血膿が出始めてきました。洗面器を置いて浄霊してたんですけど、ここを浄霊してても大して血膿が出ないんですが、ここにも書かれている通りに、『頸部をみると必ず固結があるから、そこを浄霊すると実によく治る。』というふうに書いてありますので、ここの所を浄霊すると血膿がどくっどくっと出ました。ですから高校3年生の時なんですけど、この自分の体を通して、メシヤ様の書かれていることは間違いないというふうに確信が持てたのがこの瘭疽の浄化でした。ここがこんなに腫れているので一生懸命親指ばっかり浄霊してたんだけども全然膿が出ないんですけども、この頸筋を浄霊すると洗面器半分以上の血膿が出てですね、それからここが元のようになりました。
ただ、その当時の布教所長が後の処置の仕方を知らなかったために、包帯でグルグルに巻いて1ヶ月以上置いたために指が変形してしまいました。後々こういうことの詳しい元支部長に聞いたところ、「これは包帯など巻かないで、絶えず清潔にして洗っては浄霊し、洗っては浄霊しておけばいいんだ」と。それを包帯してしまったために、親指が変形してしまいました。これはやはり指導者の経験不足や、知識不足というのが人々に大きな影響を与えるということを、その時に同時に感じたことでありました。そういうことがありましたので、今回メシヤ様が8項目挙げて事例を示して下さいましたので、そのことはよくよく頭に入れておいていただきたいと思います。
それから先月拝読を致しました『薬毒の種々相』もですね、私たちが浄化として病気症状的なことが出て来る時に、必ずこの薬毒との関係がありますので、この『薬毒の種々相』というのもしっかり頭に入れておいていただきたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は(この『人形医学』という御論文の最後から4行目で)現代医学について『此一事だけにみても、現代医学は如何に根本に未知であるかが判るであろう。此意味に於て、今迄進歩と思って来たのは、実は外面だけのそれであって、肝腎な病気は治らず、一つ所を往ったり来たりしてゐたに過ぎないのである。』と御指摘されているが、その御指摘されている状態が現代までずっと続いているのだということ。
>現代も病気というのが一向に減らないで、それぞれ専門の研究が増える度に、病気の種類が増えていっているというのが現状なので、人類はまだまだ救われていないところが大変多いのだということ。
◎メシヤ様がこの御論文の冒頭部分で『人間をして人形扱ひにしてゐる事である。』と仰っているところからが重要な内容になっているのだということ。
>そして、メシヤ様は『此様になった原因は、全く本当に治るものがなかったからで、若し真に治る療法があったとしたら、それ一つで解決がついてゐる筈である。』と嘆いておられるのだということ。>メシヤ様はそういった上記のような人類が抱えている問題を解決するために、「浄霊法」によって救済活動をされようとなさったので、私達は「浄霊」が唯一の解決法なのだということをまず心においておくのだということ。
◎メシヤ様は、(書籍)254ページから以下の内容を順次実例を挙げて説明して下さっているのだということ。
(1)例えば、「歯の痛みの主原因は実は盲腸の消毒薬であったのだ。」とメシヤ様が仰っているように、私達が学びを積み重ねる中でこのような関連がだんだん分かってくるので、その関連が分からない間は絶えず(支部等に)相談して、早い段階で結果が出るように連絡を取り合っていくのだということ。
(2)「結核患者で咳と痰が止まらない場合、頭首肩を浄霊しても治まらないので足の付け根、股を触ったところグリグリに原因があった。」とメシヤ様は仰っているので、私達は絶えず全身を見ながら、「ここから来ているのではないか?」と浄霊をしていく必要があるのだということ。
(3)「胆石」は、右背面腎臓を見ると大きな固結があるのだということ。メシヤ様の場合は、固結のある右背面腎臓部辺りを数回浄霊したところ良くなったということなので、「胆石という時には必ず右の背面腎臓部辺りをよく浄霊していけば結果が早いのだ。」というふうに頭にいれておくのだということ。
(4)「脱肛」や「痔核」等の場合にも股にグリグリが必ずあるのだということ。また、痔出血や赤痢の原因は頭部の毒血が溶解下降するためであるので、頭部の浄霊を必ずする必要がある(こうしたことは繰り返し拝読をして頭の中に入れておく)のだということ。
(5)それから「頭痛」、「頭重」や「精神集中力が乏しい人」は、左右何れかの頸部淋巴腺又は延髄部に必ずグリグリや発熱があるということなので、そうしたところに原因があるということをよく認識しながら、日々浄霊を心掛けるのだということ。
(6)『眼の悪い人は、延髄部を主に頸部から肩にかけて固結があり、又前頭部に必ず発熱がある。そこを浄霊すると軽い眼ならそれで治る。』とメシヤ様は仰っているのだということ。
>又、眼の症状で悩んでいる方は手術をしたかどうかというのが一つの分かれ目になり手術してない人であれば、メシヤ様は必ず治っていくと仰っているので、こういうことも心に留めておくのだということ。
>それから、近眼及び乱視なども延髄部の固結を溶かせば百発百中治るのだということ。
(7)「盲腸」は右側腎臓部に必ず固結があるので、そこを浄霊すればよいのだということ。
>それから胃や腸、胃が非常に痛むとか、そういう場合には、どうしても私たちはその痛いところを浄霊しがちだけれども、メシヤ様はここでは背面部をよく浄霊しなさいと仰っているので、浄霊を取り次ぐ場合にはそうしたことを念頭においておくのだということ。。
(8)「瘭疽」は、『頸部をみると必ず固結があるから、そこを浄霊すると実によく治る。』というふうに仰っているので、頸部固結のある所を浄霊すると血膿が出るのだということ。
>その場合、患部に包帯など巻かないで(包帯をまいたりすると指が変形したりするので)、絶えず清潔にして洗っては浄霊し、洗っては浄霊しておけばいいのだということ。
◎今回の御論文でメシヤ様は、8項目を挙げて事例を示して下さいましたので、上記の8項目はしっかりと頭に入れておくのだということ。
>それから先月拝読をした『薬毒の種々相』も、私達が浄化として病気症状的なことが出て来る時に、必ずこの薬毒との関係があるので、この『薬毒の種々相』というのもしっかり頭に入れておいておくのだということ。
「メシヤ講座no.158大阪(平成26年3月分)』より抜粋つづき:
根本経綸
楳木先生:
そして「メシヤ講座・特選集」の立春祭の挨拶(「メシヤ講座・特選集no.157(平成26年2月分)」へ)の一番最後に付け足しで書いている内容の中に、この先月の250ページ一番最後(御教え『薬毒の種々相』へ)に 『私は何よりも先づ薬毒の恐るべき事を、専門家に自覚させたいので、之だけでも人類に与へる福祉は、蓋し計り知れないものがあらう。』 というふうに書かれております。この福祉という言葉をメシヤ様は薬毒の恐ろしさを専門家にまず自覚させて、それをみんなに普及するということが福祉なんだというふうに、ここで書かれております。しかし過去の世界救世(きゅうせい)教はこの福祉というのを取り違えてしまいまして、私も若い時、布教所長時代に随分街頭に立って交通遺児の募金活動をしたことがあります。駅の玄関入り口に信者さん方みんな並んでもらって、みんな募金箱を持ってですね、「交通遺児を救済するための募金をお願いします」というのを随分とやったことがあります。これは社会福祉活動として○○さんも一番先頭に立ってやったでしょ。」
受講者:
(苦笑)いや、積極的にしましたけれどもね。
楳木先生:
だから福祉といった時に、どうしても既成概念で、そういう社会福祉活動をした時に「福祉」というふうな概念を持ってしまうんですけれども、メシヤ様が福祉と仰っているのは、「薬毒の恐ろしさを知らせること」が最大の福祉なんだということですので、こうしたことを△OAの人たちには目覚めていただきたいと思います。未だにやはり福祉活動ということで、いろんなことに取り組んでいますけれども、根本的な薬毒の恐ろしさを全く引っ込めてしまっているので、その点が大変な問題だと思います。それだからこそ、メシヤ様が『本筋の御神業』として進めようとされたことが頓挫してしまっている部分がありますので、こうしたことを覚醒していかなければいけないなぁ、と思います。
覚醒する上においてですね、たとえば薬剤師の立場から書いてくれている非常に分かりやすい「薬剤師は薬を飲まない」という本が出ています。廣済堂という出版社で、宇多川久美子さんという方が書いた本です。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎先月の御教え『薬毒の種々相』の最後で、「薬毒の恐ろしさを専門家にまず自覚させて、それをみんなに普及するということが福祉なんだ。」というふうに、メシヤ様は書かれているのだということ。
>「福祉」といった時に、どうしても既成概念で、社会福祉活動をした時に「福祉」というふうな概念を持ってしまうのだが、メシヤ様が仰っている「福祉」とは、「薬毒の恐ろしさを知らせることそれが最大の福祉なのだ。」ということ。
◎「福祉活動」という名目で、「根本的な薬毒の恐ろしさを全く引っ込めてしまっている。」ことによって、メシヤ様が『本筋の御神業』として進めようとされたことが頓挫してしまっている部分があるので、私達は、「根本的な薬毒の恐ろしさ」というものに付いて覚醒していかなければならないのだということ。
「メシヤ講座no.158大阪(平成26年3月分)』より抜粋つづき:
幾多の医学誤謬の警鐘本
楳木先生:
一番分かりやすいのは、ここに付箋を挟んでいるんですけど、高血圧は薬では治らないと。まぁ生活習慣病はみんな薬では治らないのですが、“どうしてこの人はそういうことに気付いたのかぁ”と思って後ろを見たら、デューク更家氏の弟子入りをしてたみたいで・・こうやって歩く人ね。結果的にあれで薬を使わない生活になったみたいでね、まぁちょっと面白い動機なんですけどもね。
本来血管が動きながら血液を全身に送っていくんですけど、しかし高血圧の場合は高齢になってくると血管が固くなるので、固くなると送る力が弱くなってくるので、逆に心臓の方から圧力を上げて、そして血液を全身に行き渡らせる、これが高血圧の症状なんですね。それなのに血圧降下剤を飲むと、例えば180とかあった血圧をいきなり130に下げてしまうと血液が全身に行き渡らなくなると。だからかえってダルさを感じたりして、今薬剤師に相談に来る人が非常に増えているということは、本来自分の体のために血圧を上げているにもかかわらず、その血圧を薬で下げてしまうので、新たな症状が出てくるというのが、高血圧の関連症状として起きてくるわけなのです。大変これは危険なことだということを薬剤師が説明しておりますので、こういう本を持って、高血圧の人にはこう開けて「ここを読んでみて」というふうにしていった方が、より分かりやすいんではないかなぁ、と思います。
それからもう一つはですね、今新聞なんかでも、食物酵素とかいうのがよく出てるでしょ?、「酵素をとりましょう」とか言ってね。それで酵素というのは、私たちの体の中に元々ある酵素と、それから食物で取らないといけない酵素があるんですけれども、薬を飲んでしまうと、薬というのは毒物なので、解毒作用をしないといけないので、この解毒作用する時に酵素が必要なわけですね。そうすると薬を飲むと、その薬を解毒するために酵素がその薬のところに集中していく、その集中していくために、他の所で働かないといけない酵素が不足してしまうということが起きるそうです。
ですから、私たちが薬を飲んだ時に眠くなるというのと、それから逆に夜なかなか眠れなくなったりすることがあります。この眠れない時に眠り酵素がなくなっているということですね。ですから薬の副作用ということが、この本を読むとより分かりやすくなります。
しかも副作用というのは、この薬が悪さをしているように私たちは概念的に捉えているんですけれども、実は薬が入ってくることによって、全身の酵素がその薬を解毒するために集中してくるので、よそで働く酵素が非常に少なくなってくるために全身的にダルさとか、それから夜眠れないとか、それからいつも不安になるとか、そういう症状が起きて来るんだということを分かりやすく説明してくれています。
それからもう一つは、その薬自体がだいたい石油が原料でできているので、プラスチックと同じものを飲んでいるようなものなので、薬をこうやって飲んでいる人を見ると“あ~プラスチックバリバリと食べているわ~”というぐらいに見ていった方がいいですよ、という説明もしてくれていますので参考にしていただきたいと思います。
これは800円プラス消費税ですので今月一杯は840円です、来月からはもうちょっと高くなりますので、参考にしていただきたいと思います。最初にそうしたことを説明させていただいて、いつものように質疑応答に入りたいと思いますので、よろしくお願いします。」
責任者:
ここでは、「血圧降下剤」が及ぼす高血圧の関連症状と、「酵素の働き」を例にして「薬の副作用」について御教示いただいております。要点だと思うところに下線を引きましたので、各自拝読をお願い致します。
「メシヤ講座no.158大阪(平成26年3月分)』より抜粋つづき:
時所位を得てこそ合理
受講者:
以前の教団時代に家庭の問題で浄化している家に訪問しましたが、解決できないままで教団スタッフに聞いてもよく分からないことがありました。
メシヤ教に来て、代表先生に質問させていただきましたら、「祈りの栞に寄せて」にある通り、「本来の人間生活を取り戻す」ことで、そういうことも一つ一つ解決されていくんですよ、と教えていただきましたが、「すでに本来の人間生活を送られている人は、幸いですので、未だそうした生活をされていない人を教え導いて差し上げることが大切です。」と書いてあるんですけれども、先祖供養は分かるんですけど、さて具体的には?「本来の人間生活」とはどういうことなのかと、簡単に具体的に教えていただけると、これからありがたいなぁ、と思います。導いていく者が、ちょっとどうしたらいいか分からないので。
楳木先生:
簡単に言うと、なかなか難しいね。というのは一番簡単なことを世界救世(きゅうせい)教時代に皆さん方が教えてもらってないことがあるんですね。もう一番単純で簡単なことがあるんですね。それはメシヤ様の御言葉の中に『神様というのは、筋が通れば愛ですが、筋が通らなければどうにもなりませんよ。』と仰っているんです。ここに全部照らしていけばいいんです。だから筋が通るか?神様というのは筋が通れば愛なわけで、しかし筋が通らなければ愛にならない、人間の立場から見るとね。ということは場合によっては非常に厳しいということになってくるわけです。
「筋が通っているかどうか」ということが、いつも我々の着眼点にしておかなければならない。」
受講者:
やっぱりこう見てて、すごく筋が通っていると、ものすごく御守護が何倍にもなってくるんだけど、筋が通っていない場合かな?と思う時には、メシヤ様は最低限のマイナスはされるなとずっと感じてきましたけれども。
楳木先生:
だから家庭の問題は筋が通るか通らないか、理屈が通るか通らないかを見ていけばいいんです。例えばね、外で浄霊して御守護がどんどん出て来る、人がどんどん救われてくる。しかし、家はゴタゴタしている家庭があるでしょ。これは家では理屈が通ってない。家の中で筋が通ってないからなんです。よそでは、メシヤ様の代理として浄霊をするから御守護が多いわけです。家の中で筋が通った生活をしているかどうかということが、ここが問題なんです。」
受講者:
道を外れてないかということですか?
楳木先生:
道ということではなくて、理屈が通っているかということ。例えば子供が「お母さん今日ね、こんなことがあったの。」というと「お母さんは忙しいから、御神業があるから忙しいのよ。」と言ってしまうと、自分の中では筋が通っているけど、子供の中にとっては筋が通ってない。“ぼくのことよりも、私のことよりも御神業の方が大事なの?”ということになってくるので、その子にとって筋が通るためには、瞬間にその子の目を見て、「どうしたの?」と聞いてやればいいわけ。これは何分もかからない、聞いてあげるだけ。「あっそう、それは大変だったね、でもお母さん、あなたのことが一番大事だし、一番守っているからね。」と言ってあげる。これは5分か10分で終わるわけです。ところが心に余裕がないと5分か10分で終わることを「今お母さん忙しいから待って。」と言ってしまう。そうするとその歪みが、ずっと成長した時に、心の中に大きな歪みがどんどん成長していって、そして子供としてはその歪みが膨らんで来ると、引きこもってしまうというところまで行ってしまう。
そういうことが起きて来るので、どうしても組織中心に御神業を進めていくと、家庭のことよりも教団のためにということで、みんなを動かしていくので、そういうことが起きて来るということです。浄霊をして人を救うということ、これは当然大切なことなんだけれども、家に帰れば母であり妻であり、その時所位に応じて最善を尽くしていかないとね。
例えば代表世話人なり、布教員というところの時所位については最善を尽くすけど、家庭の妻のところに最善を尽くしているか?夫が会社で疲れて帰ってきて、「今日会社で嫌なことがあったんだよ~」というと「あんた、家にそんなこと持ち込まないでよ!」と仮に言った場合に、その夫の救いはもうないわけです。家に帰って愚痴ってそして女房に聞いてもらって、そして酒でも飲んで寝ればスカッとするんだけれども、「家で仕事の話しないでよ!」とか言ってしまったら、そこで夫のストレスは中に入り込んでしまう。これが大きな病気を生んだりとか、よそに女を作ってしまったりとかいうことが起きて来るのでね。だから妻としての時所位で最善を尽くしてやっているか?ということが、そこに加わってくるし、子供ができたら、母親として最善を尽くしてやっているか?というのが、御神業と同じぐらい、最善を尽くしておかないといけないということですね。
昔私が若い時に、愛媛県で瀬戸内海側にずっと造船所があるんですね。造船所の専務が旦那で、奥さんが布教所長の人がいたんですが、その布教所長の奥さんが大変立派だったのは、旦那さんが帰ってくる時刻になると、布教所の留守番を頼んで、家に走って帰って食事を準備して、そして風呂を入れて、それで一緒に寝てあげて、寝息をたて始めたら、また着替えて布教所に行って信者さんの御世話をしているという布教所長がいたけど、そこは非常に大勢の人達を救うことができたので、やはり妻としての務めとか、様々な務めを精一杯果たしながら、御用をしている人がいたのでね、“素晴らしい人だなぁ”と思って、時々しか四国の会合で会うことができなかったんだけど、まあそういう話を聞かせていただいたことがあるんです。どの時所位ということを考えた時には、我々にはいくつもの時所位というのがあるので、その一つ一つの時所位で最善を尽くすという取り組みをしていけば、そうすれば問題というのは起こりにくいし、問題があっても解決していくんではないかな、と思います。」
受講者:
はい、分かりました。そうですね。
責任者:
ここでは、家庭での問題を解決する際には、各々の「時所位」に於いて最善を尽くさなくてはならないのだということを大変分かりやすく御説明いただいております。家庭だけではなく、社会での問題解決にも繋がるように思いました。各自拝読をお願い致します。
「メシヤ講座no.158大阪(平成26年3月分)』より抜粋つづき:
天国的な本来の人間生活
受講者
それから「本来の人間生活」ということで、三内丸山遺跡の話とか出ていますように、例えば、年々歳々自然の恵みに感謝しとか、そういうようなことも整えていくことが大事ですね。「本来の人間生活」ということは、そういうことも知った上で、道理に合うことをしていくということかなと思いまして。
楳木先生:
今度は、「本来の人間生活」というのを見た時に、いろいろ現代において考えていくと、例えば家庭での会話がないとかいう場合、“会話とは一体何か?”ということを突き詰めていった時に、“会話の原点は何か?”と言うと、これは挨拶になってくるんです。ですから家庭で挨拶ができてればいいわけです。そうすれば会話が成り立っているということです。
自分が一生懸命に炊事をしている時に、旦那が「おはよう」と言っても、「・・・」。これじゃあ本来の生活にはならないから、ちゃんと手を止めて、「おはようございます」というふうにね、そういう明るい挨拶をかえしていく。こういうことが会話ができているということになってくるので、“一つ一つ日常生活の中で起きている家族として当然やるべきことが果たしてできているか?”ということを、一回見つめて行くことが大事です。
それから今度は子供に大事な話をする時に、どうしても信仰者は御神前に連れて行って話をするよね、それか仏壇の前で話をする。しかし、大事な話をする時というのは、例えばきれいな夕日を見ながら、「今日も夕日がきれいだね」と、「人生というのはこういうきれいな生き方をしていかないといけないね」と。あるいは「こういうのが残るような人生を歩んでいかないといけないね」と、「ところであなた、この間こんなことがあったでしょ」というような話をしていくと、見方がね、ただただ説教ではなくて人生というのを見つめながら話をしていくことができるので、そういうことでこの「祈りの栞に寄せて」の中には朝日に思わず手を合わせたりするような、人間本来の美しいところというのをもう一度思い出してもらいたいということを書いてるわけです。」
受講者:
筋の通った生活をしていればいいということですね。
楳木先生:
いいという言い方じゃなくて、それを心掛けることが大切だということです。」
受講者:
それも御神業であるという解釈をさせていただくということですか。
楳木先生:
そう、御神業というより、信仰生活とはそういうものであると。」
受講者:
「すでに本来の人間生活を送られている人は、幸いですので、未だそうした生活をされていない人を教え導いて差し上げることが大切です。」と書かれてありますが、そこには神を祈るとか、先祖を敬うとかいうことは含まれているんでしょうか?
楳木先生:
それは当然含まれるね。三内丸山遺跡を見れば当然含まれているでしょ?」
受講者:
そうですね。
楳木先生:
およそ電気のない、電灯のない時代というのは、夜明けから人間の生活が始まって、日没で人間の社会活動というのは終わるわけなんで、この近くから言うと奈良の平城京へ行けば一番分かるでしょ?平城京に出仕した人たちは周辺に住んでいるでしょ?周辺に住んでいないと出仕できないのでね。歩いて2時間以内の人じゃないと、みんな車で行くわけじゃないから仕事できないからね。歩いて2時間というと、だいたい平城京から8キロ以内の人しかあそこには出仕できないです。しかも例えば8時から出仕時間というと、6時に家を出ないといけない。夏の場合はいいけど、冬の場合は6時に家出ると言っても暗いからできない。それは出仕できないので、時間をずらして出仕時間が9時とかになるわけです。そうすると家を7時に出ればいい。しかし7時に家を出ると言っても、ご飯を炊くのに明りがないといけないから、およそそれは無理なわけです。なかなかろうそくの火ではお米砥げるかどうかというと、難しい所があるね。
だから昔の生活というのは、夜明けとともにスタートして日没とともに終わるわけですね。だから太陽というのは生活の中で唯一の明りなのでね。だから思わず朝日には手を合わせるという感謝の生活が起きて来るんだ、と。そして自然に対する感謝の思いがあるという、これが敬神崇祖の敬神がそこから始まっているわけです。」
責任者:
ここでは、「私達の信仰生活とは、筋の通った生活を心掛けていくことなのだ。」ということを御教示いただきました。要点だと思うところに下線を引きましたので、各自拝読をお願い致します。
「メシヤ講座no.158大阪(平成26年3月分)』より抜粋つづき:
当然あるべき「敬神崇祖」
楳木先生:
そして生かされた者が死んでいった時に、30歳に満たないで死んだ人と30歳を過ぎて死んだ人とあって、30歳ぐらいになると様々な役割を担えるぐらいの人間になって、一応一人前として扱われる生活までいって亡くなったので、人間として幸せな部類になってくるわけです。しかしまだまだ一人前にならないで死んだ人たちは、30歳前で死んだらそうなるので、これを毘古(びこ)と比古(ひこ)に分けるというように、神道形式の呼び名を変えていったんです。それが産まれてすぐ亡くなっていった場合は、児(じ)と、児之神霊(じのみたま)とつけたり、それから稚女(わかつめ)とか比女(ひめ)とか途中の段階で亡くなった場合には、それまでしか人生を歩めなかった無念さを思ってそういう呼び名をつけて埋葬してあげた。
これがやはり日本人の場合、人類の歴史の原点にあるわけなので、「本来の人間性」というのは、この生まれてきた子供が、人生を味わうだけの年数を生きてきたか生きてこなかったかによって、埋葬方式が変わってくる。それはどこまでも、その生まれてきた人に対する想いというのが強いためにそういう呼び名まで変わってくるわけなんで、そうした想いを持つということ自体が、祖霊祭祀、先祖供養の原点にあるわけなんです。
そういうことが分かれば、当然仏壇を設えるとか、そういうことがしたくなるというのが「本来の人間生活」なんだということです。
だから今はメシヤ様のおかげで「主神様」という概念を持てることになり、『主神様直接の御啓示』ということを教えていただいたので、過去の歴史の中では人類がまだここまで文明が発展して来ない時には主神様という御存在というのは認識できない部分が日本人の場合はあったので、だからいろいろ役割を持った神様だけを認識することにしか術がなかったんだけれども、今は宇宙の構成とか、それから中心は太陽系の運行のあり方とかいうことがだいぶん分かってきたので、このようにキチンと運行されるものを御造りになられた御存在に対する感謝を持つことが人間としては最高の生き方だと、それが認識できるから主神様の御神体を申し込むということになってくるわけです。」
(後文割愛)
責任者:
ここでは、「本来の人間性」と「本来の人間生活」についての概念と、メシヤ様のおかげで「主神様」という概念を持てるようになったことに付いて御教示いただいております。私達信仰者にとって大変重要な内容だと思います。要点だと思うところに下線を引きましたので、各自拝読をお願い致します。
「メシヤ講座no.158大阪(平成26年3月分)』より抜粋つづき:
増す浄霊力について
受講者:
すみません、7番の『胃痙攣などの前方から浄霊しても痛みはとれないが背部をすれば全治するのである』ということですが、これは前と後ろと、何が違うのか?前から御浄霊しても痛みがとれないというのは?
楳木先生:
背部に原因があるということです。」
受講者:
背部に原因がある・・、例えば自己浄霊する場合、前から背部に集中して御浄霊をさせていただくことと同じことではないでしょうか?
楳木先生:
うん、メシヤ様が背部から浄霊をした方がいいと仰っているんだからね。」
受講者:
その理由は背部に原因があるからということですか。
楳木先生:
『背部をすれば全治するのである』ということは、背部をした方が、背部に溜まっている毒素がとれるからね。だいたい胃が痛い時こうやって(前から)浄霊してもよくならんでしょ。
受講者:
そうですね。
楳木先生:
こうして(後ろから)浄霊しないと、だいたい胃の痛みはなかなかとれない。」
受講者:
確かに何回か経験があります。
楳木先生:
腎臓が悪い時でも、前からしてもなかなか腎臓はよくならない。酒飲みすぎた時だって、やっぱり後ろから浄霊していった方がだいぶん胃腸も楽になるね。」
支部長代理:
・・まぁ、毒が腎臓から背部に行くというのは、人間寝ると、だいたい背中を下にするので背部に溜まりやすいということですね、起きると動くから前にもくると。
受講者:
それは分かるんですけど、想念で、前から後ろに向かってさせていただくと・・。
楳木先生:
光を後ろに通すという想念を持ったつもりでも、なかなか持てない、持てていない。というのは昨日もね、「浄霊力がもうちょっと強くなりたいんですけど、どうしたらいいでしょうか?」というから、「じゃあとっておきの浄霊力のつく方法を教えよう」ということで教えたんだけど、だいたい一人、○○さんが前にいるけど、○○さんという人が何代生まれ変わってきた魂か分からんけど、例えば仮に人類の歴史上最初から魂があったとすると、おおよそ2億人先祖がいるということになってくる、計算するとね。そうすると、○○さんを浄霊する時その霊線に繋がる2億人に光が届くような想念を持てるかということが実は大事なわけで、それが集中力ということになるんです。
そうすると、背面だということで浄霊してても、背面から光を届けて光を入れることができる、そういう想念力は自分があるかというと、なかなかない。どうしても後ろまで届かしても前側しか溶けてない。固結がこうあった場合、固結の前側しか浄霊できてない。こっち側を浄霊する想念というのはなかなか持てないので、そういう場合は後ろからしていった方が、断然簡単だということです。
それと寝てる時に下に溜まるということで、脊髄からこうやって神経が出ているので、神経を使うところに毒素というのは溜まりやすいので、この神経を使う周辺にものすごく溜まりやすいので、この毒素だけを浄霊するんではなくて、背面から神経まで浄霊した場合は光が十分行き渡るので、毒素の溜まりやすい体ではない状態になっていくことができるので、だから背面というのは後ろから浄霊した方が、前からじゃなかなか難しいところがあるんです。」
受講者:
たまには人から御浄霊をいただいくのも大事ですね。
楳木先生:
浄化をいただいた時はね。浄化を許された時は、自分の中を光が通る時、自分の中も浄化しているわけだから、光自体がいつもの健康体の時に出る光にはならないから、だからそういう時には人にお願いをして、お願いするだけの御玉串を包んで、そして浄霊をいただくといいんです。こういう時には御玉串がついてくるんです。人に頼む時にはね。これだけ押さえといてね。」
受講者:
じゃあ家族に御浄霊する時には、家族に御玉串をいただくんですか。
楳木先生:
(信仰心が無い)家族からとるというのは、それはちょっとおかしいやろ。」
受講者:
(笑)
楳木先生:
信仰心の無い人から「玉串出しなさいよ」、あるいは収入の無い人に「玉串出しなさいよ」、ということはおかしいので、母である自分が具合の悪い時には、その子供の名前を書いてそして報告をして浄霊するとかいうふうに、そういうところは弾力的に頼んでいったらいいんではないかと思います。
「全部お金ですね」という話になるかもしれませんが、やはりメシヤ様に御願いするわけなので、とりわけ具合の悪い時にはとりわけ頼んで、メシヤ様から御力をいただいて浄霊をしてあげるということです。」
(後文割愛)
責任者:
ここでは、胃痙攣等の時に「何故背部から浄霊した方が良いのか。」ということに付いてと、浄化中に人から浄霊をいただく際の御玉串について御説明いただいております。要点だと思うところに下線を引きましたので、各自拝読をお願い致します。
「メシヤ講座no.158大阪(平成26年3月分)』より抜粋つづき:
留意「祈願をしたあと」
受講者:
・・質問が今の話とズレますが、昨日、私の父のちょうど一周忌だったんですね。実家の方で日曜日にお寺さんで親戚が集まって、御膳をお上げして、お経を唱えていただいたんですけども、昨日は、私は実家に行けなかったので、支部の方で御玉串をお上げして自分で御神前で済ませた後、木原さんに一周忌のお話をしましたら、「じゃあ、特別に先達をしてあげましょう」ということで、もう一回一緒に御神前で一周忌のお勤めをさせていただいたんですけども、その時に私一人だと父のことばかり考えてしまって参拝していたんですけども、一緒にしていただくと、・・あとから木原さんが仰って下さったのが、「お父さんが霊界で向上されるのと、また○○さん自身が向上して、一緒に向上して御役を許されていくように」ということでしたが、長く、お祈りして下さったんですね。
支部長代理:
まぁ、目的は、地上天国建設に一緒に向上されて御使い許されるように・・。
受講者:
“あ~そうだった”と思ってホッとして、実家の方のお仏壇にも行けなかったんですけれども、“それで良かったぁ~”と、“本当に有難いなぁ~”と安心したんですけれども・・・。
楳木先生:
しかし、体調のいい時は、実家に行って一周忌のお参りをして来た方がいいね。」
受講者:
ちゃんとその日に行かないと行けないんですね・・。
楳木先生:
その日に行けない時の話だから、行けない場合は、まぁ、前もって「行けないのでご挨拶に参りました」というふうに言って、」
受講者:
それは、(正しい一周忌の)日曜日には行きましたので、お参りさせていただきました。
楳木先生:
なるほど。そういう時に今度は御神前でお参りするのは、お父さんの名前を書いて「一周忌 御守護願い」というのが本当は一番いいわけ。“一周忌経ったので、霊界で向上お許しいただけますように”とメシヤ様にお願いする。そういう御玉串を包むのが大事。
そして、今度、仏壇でお父さんにお参りする時には、何が大事かって言うと、“霊界での御修行に一層お励み下さい”というふうにお祈りをして、“その修行及び役割が果たして行けれるように私は徳を積みますので、今度は、お導き下さい”と。」
受講者:
父にですか?
楳木先生:
うん。徳を積むのでお導き下さい。この時、お導きを頼む時にお父さんだけではなくて。だから、一周忌の時のお祈りの仕方って幾つもお祈りしないといけない。
まず、幽世大神様に“〇〇毘古之神霊が一周忌を迎えたので霊界でお救いいただけますように、向上許されますように御守護お願いします”と頼むでしょ?
次に先祖代々に頼まないといけない。先祖代々に“昨年亡くなった〇〇が一周忌を迎えましたので、霊界で向上が許さるように見守って下さい、お導き下さい”というふうに頼まないといけない。
その次に一周忌を迎えた人に挨拶をするわけ。それで、そういう今の話をして、それから“私は地上天国建設の御神業に臨ませていただいて、徳を積みますので、先祖の皆様方及びお父さんお導き下さい”と、そういうふうにお祈りをして、“そして霊界現界共々に繁栄を許されるようにお祈り申し上げます”と。
こうすると、一周忌のお祈りが完璧になってくる。そうすると今度は、お導き下さいと頼んだんで、周辺にお導きする内容がドンドン起きてくるので、それに向かってドンドン取り組んで行かないと、先祖に対して嘘をついたことになるので、だから良いお祈りは後が大変なの。(笑)」
一同:
(笑)
楳木先生:
お祈りの通りやって行かないといけないの。だから、やった後が大事。どうしてもみんな準備などお金がかかったりするので一周忌に向かうために物凄く大変なんだけれども、終わった後はフッと忘れてしまう。
しかし、終わった後、実は、メシヤ教の信者は“お導き下さい”と頼んでいるわけなんで、お導きの材料がいっぱい出てくるから、それにドンドン取り組んで行かないといけない。間髪入れずにね。だから忙しい。そういう意味でメシヤ教の信者さんは忙しい訳、先祖がお導きの形をドンドン出してくるからそれに沿って絶えず反応していかないといけない。ボーっとしていると反応が次々流れていってしまって、“あー行っちゃった、また行っちゃった”って(笑)。」
一同:
(笑)
楳木先生:
メシヤ様も『前髪を掴むようなものだ』と仰ってるでしょ?そういうことが起きるのでね。だから、緊張して生活をしていかないと先祖のメッセージを幾つも飛ばしていってしまうことになるのでね。まぁ、一つよろしくお願いします。
支部長代理:
“どうかなぁ”と思ったんですけども、もう御玉串した後でしたのでね。一応始める前に「御祈願」という形になるから御守護のお願いをさせていただくということでさせていただいたんですけどもね。
今、仏壇での参拝についてのお話いただいたのは、前回のメシヤ講座とかで結構、御先祖様に対する参拝の想念の在り方ということでですね、ずっと仰っていただいていますので、そのように是非ね。
楳木先生:
一層、こういう話を聞いた時にね、それぞれのご家庭でも年忌を迎える時にはそういう想念で迎えていただきたいと思います。それでは、これで終わります。ありがとうございました。」
(後文割愛)
責任者:
ここでは「御祈願」をしたあとの留意点に付いて御教示いただいております。私達にとって(承知しておかなければならない)大切な内容だと思いました。要点だと思うところに下線を引きましたので、各自拝読をお願い致します。
編集後記
責任者:
今回の御論文でメシヤ様は冒頭から『私は、今迄現代医学に於ける、凡ゆる誤謬の点を指摘して来たが、茲で最も重要なる点は、人間をして人形扱いにしている事である。』と仰っているように、「医学は人間をして人形扱いにしている。」のだということ。そして、現代に於いても病気は一向に減らず、それぞれ専門の研究が増える度に、病気の種類が増えていっているというのが現状なので、人類は医学によって救われていないところが大変多いのだということ。又、そういった人類が抱えている問題を解決するためにメシヤ様は「浄霊法」によっての救済活動をされようとなさったので、私達は「浄霊が人類が抱えている問題を解決するための唯一の方法なのだ。」ということを心に留めておかなければならないのだということを再認識致しました。
それから、私達がメシヤ様の御教えを毎日実践していく上での留意点や、理解しておかなければならない「医学の誤謬」に付いて御教示いただきました。
今回も前回と同様、学んだ内容や御教示いただいた事柄を頭に置いて5月を迎えたく思います。時節柄、体調を崩されませんようご自愛ください。有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらから覧いただけます。
