8月に向けての学び
はじめに
責任者:
7月も中旬を過ぎ、本格的な夏になりました。今年も昨年同様(あるいはそれ以上)の猛暑が予想されているようです。夏の高校野球や各種イベントも暑さ対策に努めているのだと聞き及んでいます。そのような中、「どのようにしたらこの夏を(夏バテ等せず)快適に過ごせるのだろうか。」と気に掛けながら過ごしております。
さて、それでは引き続き、「文明の創造」より学んで参りたく思います。よろしくお願いいたします。
「メシヤ講座no.164大阪(平成26年9月分)」より抜粋:
<今月の御教え>
『精神病と癲癇』
「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年
霊的病気のうち最も王座を占めているものとしては、精神病と癲癇(てんかん)であろう。
まず精神病から書いてみるが、これこそ全然霊的病気であって肉体に関係のない事は、健康者であっても、この病気にかかるに見て明らかである。この病気は誰も知るごとく、普通人間としての精神状態を失い、意識がめちゃくちゃになってしまうが、その状態も人によって千差万別であり、一人でも色々に変化するどころか、一日の中でも、いや一時間の間でも、その変化は目まぐるしいほどである。
この病気に対しては、医学でも相当以前から研究に研究を重ねているが、今もって分からないので、治療効果においても、何ら進歩は見られない。ただ施設や患者に対する諸種の対策が、相当進歩したに過ぎないのである。何しろ生命には別状ないとしても、家族的にはずいぶん人手が要るので、実に始末の悪い病気である以上、どうしても病院へ入れなければならない事になるが、現在公共的の方は収容力も足りないし、そうかといって私設病院では金がかかるという訳で、全く悲惨そのものである。近来精神病や癲癇を治すべく、頭脳の手術を行うが、これは全然無効果のようである。何しろ医学は唯物科学であるから、手術に目をつけるのも無理はないが、この病気は肉体との関係ははなはだ薄く、目に見えざる霊の作用が主であるから、霊的に治すより仕様がないのである。それをこれから 詳しく書いてみよう。
右のごとく霊的病気であり、これこそ憑霊が原因なのである。その場合憑霊の位置は前頭部に限られているもので、なぜ前頭部に霊が憑るかと言うと、その部の霊が希薄になるからで、つまり局部的脳貧血である。この脳貧血の原因といえばさきに述べたごとく、首の周りに毒素が集留し易く、それが両延髄及び淋巴腺付近に固結するので、その固結が血管を圧迫するため、頭脳へ送流される血液が減るからである。
ここで、なぜ霊が憑依するかの理由であるが、それを説く前に霊界なるものを充分知っておく必要がある。元来霊界とは現象界、空気界の外にある第三次元の世界であって、つまり空気よりも一層非物質的であるので、今日まで無とされていた世界である。従ってこの霊界は現在までは一部の人を除く外、一般人にはほとんど信じられていなかったのである。というのは唯物科学がそこまでを把握するほど、進歩していなかったからである。しかし事実は物象界空気界よりも、一層重要なる、いわば万有の根源的力の世界であって、地上一切はこの力によって生成化育されているのである。別言すればこの世界は表が物象界で、裏が霊界と言ってもいいので、人間で言えば肉体は物象界に属し、心は霊界に属しているのである。この理によって人間も動物も、死と共に肉体は現界に遺棄され、霊は霊界に帰属する。つまり人間の死は体は滅して、霊だけが永遠に残されるのである。そうして霊界の生存者となったあらゆる動物の内、狐、狸、龍神(蛇)等が生きてる人間の霊に憑依する。というのは前述のごとく人間の霊の頭脳の一部分が希薄になっているからで、もし充実していれば、決して憑り得ないのである。これを詳しく言えば、例えば霊が充実して十であるところへ、一だけ欠ければ九となるから一だけ憑れる。それが二となり三となり、半数の五以上となると、それだけ憑霊の方が勝って、人霊の方が負けるから憑霊の自由になる。これが精神病の真の原因である。
とすれば精神病の原因は、全く脳貧血であって、その因は固結の圧迫にあるのである。しかし単に貧血だけならまだいいが、延髄部の圧迫による貧血は睡眠不足の原因となるのでこれが恐ろしいのである。何となれば精神病になる初めは、例外なく睡眠不足が何日も続くからである。その理由は本来脳貧血とは体的の症状であるが、霊的に言えばその部の霊が希薄になる事であって、いわば貧霊である。ところがその貧霊部、すなわち霊の量の不足に乗じて、その量だけ彼ら邪霊共は憑依ができるのである。憑依するや人間と異なった彼らの性格は、動物的意欲のまま露骨に振舞う、これがすなわち精神病の症状であって、その動物の割合を言えば、狐霊が八十パーセント、狸霊が十パーセント、残り十パーセントは種々の霊であろう。
右は純精神病を書いたのであるが、ここに誰も気付かない驚くべき事がある。それは現代の人間ことごとくと言いたいほど、軽い精神病にかかっている。もちろんその原因は一般人ことごとくと言いたいほど、頭脳に多少の欠陥があるからで、ごく上等の者でも十パーセントないし二十パーセントは冒されており、普通人はまず三、四十パーセントくらいであろう。ところが四十パーセントまではまだいいが、五十パーセントを越えると大変である。真症の精神病者となるからである。だが憑霊というものは一定していないもので、絶えず動揺している。それは欠陥と相応するからで、その意味は霊の厚薄が絶えず増減しているからである。そうしてこの憑霊にも二種あって、生まれながらにその人に定住的に憑霊している動物霊と、後天的臨時に憑依する霊とがある。今これについて詳しく説明 してみるが、まず人間がこの世に生を受ける場合、さきに述べたごとく、初めポチすなわち魂が宿るが、この魂なるものは神の分霊であって、人間の中心であり、主人公である。これを本守護神といい、次は人間を一生涯不断に守護している霊がある。これを守護霊ともいい、正守護神とも言う。この霊は祖先の霊の中 で霊界においての修行が済み、資格を得た者であって、この中から選抜されて、その人の一生涯の守護の役目を命ぜられる。次が副守護神と言って、これが動物霊である。この霊は動物ではあるが、実は人間生存上必要欠くべからざる役目をしているものである。そこでまず右の三つの守護神について説明してみよう。
以上は、大体人間誰でもが持っている正規の守護神であるが、第一の本守護神なるものは神の分霊である以上、その本質は良心そのもので、昔からよく言われる人の性は善なりとはこれを指したものである。第二の正守護神は人間が危険に遭遇する場合、それが霊界に先に起こるので、それを知って危難をまぬがれしむるべく努力する。世間よく虫が知らせるとか、その時気が進まなかったなどというのは、正守護神の注意である。また人間が罪を犯そうとするのを犯させまいとする事や、常に悪に引込まれないよう警戒し、正しい人間にさせようとする。それには神仏を信仰させるのが最良の方法として導こうとする。ところが正守護神がどんなに頑張っても、邪神の強いのに遭うと負ける事があるので、そのため不幸を招く結果となるから仲々大変である。そこで正守護神は常に邪神に勝つ力を求めている。それには人間が立派な信仰に入らなければならないという訳で、本教へ導く事が日に月に増えつつあるのである。次の第三の副守護神は動物霊であるから、悪の本来として一刻の休みもなく人間に悪を考えさせ、悪をさせようとする。悪とは帰するところ体的欲望の本尊である。いかなる人間でも金が欲しい、女が欲しい、贅沢をしたい、名誉が欲しい、人に偉く見せたい、賭け事や競争に勝ちたい、出世をしたい、何事も思い通りになりたい、という限りない欲望 がそれからそれへと湧いてくる。そこで昔から信仰によって、この果てしない欲望すなわち煩悩を押えようとして修養する。それがともかく今日まで人類社会は破滅を免れ得て来たのであるから、大いに感謝すべきである。しかしながら実際上人間がこれらの物質欲がないとしたら、これまた大変である。何となれば肝腎な活動力がなくなってしまうからである。従って何としてもこの点が仲々難しいのである。ではどうすればいいかというと、これは別段困難な事はない。つまり人間は神から与えられた良心を発揮させ獣から受ける悪に勝てばいいのである。といってもそれには自ら限度がある。すなわち善も悪も決定的に勝負をつけてはいけない。この意味は人という文字を解釈すると実によく分る。それはノは天から降った形で、神の分霊であり、\は地上にいる獣の形である。としたらノが上の方から押えており、\はノを支えている形である。であるから人とはノと\との間になるから、人間の文字もよく当てはまっている。すなわち人間は善と悪とを両有している。天性で幾分でも善が勝っていれば間違いないのである。従って人間は向上すれば神となり、下落すれば獣となるので、この理によって人間の限りなき欲望も、ある程度で制御する事ができるので、これが真理であるとしたら、限度を越えれば人ではなくなり、Xの形となる。すなわちバッテンであるから抹消の意味であり、亡びるのである。右の理によってどうしても人間本来のあり方は、悪を制御するだけの力をもたねば安心ができないのであるが、それには力がいる。その力こそ神から与えられるべきものであるから、信仰が必要となる。さすればいかなる世にあっても、何ら不安なく、永遠の幸福者となり得るのである。
以上説いたごとき真理を、霊界の修行中知った正守護神は、極力子孫を正善に導こうとする。ところが副守護神の方はその反対であるから、極力妨害し、悪に導こうとして、心の中で常に争闘している。これは誰でも経験するところであろうが、そればかりではない。こういう事も知る必要がある。それは人間一人一人異った性格と技能をもっている。これは神が世界を構成する上においてそうされ給うのであって、これを補佐し、天性を充分発揮させるよう正守護神は、神の命を奉じて専心努力しているのである。この手段として正守護神は、まず第一にその人間の魂を磨くべく、非常な苦痛を与えるが、これは向上のための修行である。これもその人の使命によって、大中小それぞれちがう。例えば使命の大きい者ほど、苦難も大きいから、むしろ喜ぶべきで、私などもそうである。また運命の転換という事は、神から仕事を換える命が正守護神に下るからである。そうして神にも階級があり、人間界と同様御役の種別もあるので、人間に命ずる場合も、それ相応の神によるのである。この意味によって人間界の構成を書いてみるが、分り易くいえば人類を緯(よこ)にみれば千差万別、それぞれ能力が違うが、経(たて)にみれば上中下の差別だけである。その証拠には一民族を支配するとか、一国、一地方等の支配者は、それに相応する能力を与えられており、最高の地位に昇る人は、世界でも数人に過ぎないが、下に下るにしたがい段々数が多くなる。最下級になるほど多数である事実はそういう意味であって、神は経綸上一切過不足なく、適切巧妙に配置され按配される。その深遠微妙なる御神意は、到底人間の窺い知るを得ないのである。またこれを鉱物にたとえてみると一層よく判る。最高のダイヤモンドからプラチナ、金、銀、銅、鉛、鉄というように、最高ほど産額が少なく、最低の鉄に至っては、最も多産であるにみても明らかである。この現実が分っただけでも人類社会の真相は認識されるであろう。この理によって階級闘争が、いかに間違っているかが分るはずである。
ここで前に戻って、再び精神病の説明に移るが、これは別な面であるから、そのつもりで読まれたいが、世間非常に偉い人でも時により迷ったり、間違った考えや、道に外れた行為をする事がよくある。アレ程の人が、こんな事をするとは腑に落ちないとか、あんな失敗するなどは意外だなどという事がある。また歴史上からみても、大英雄がつまらない一婦人の色香に迷い、千仞(せんじん)の功を一気に欠くような事も往々あるが、これはどういう訳かというと、前に述べたごとく、平常十か二十パーセント以内の欠陥なら無事だが、成功して思い通りになると慢心と我欲のため、頭脳の欠陥が増えるので、それに乗じて力のある動物霊が憑依したり、副守護神が頭へ上って、ノサバリ始めるので、三十以上にまで押し拡がり、智慧も暗くなるので、良いと思ってした事が反対になり、大失敗するので、英雄などによくある例で、右のごとくどんなに偉い人でも信仰がない場合、動物霊すなわち悪霊が憑依するや、それが最善の手段のように思わせるが、 実に巧妙な邪智は、到底看破できないのである。それがため遂に大失敗をするのであるから、実に恐るべきものである。そうして特に心得べき事は、その手段方法が私利私欲が目的であればあるほど、失敗は大きくなるに反し、天下公共のためというような利他愛のためとすれば、失敗してもある程度で喰い止り、ふたた び立上る事ができるのである。何となれば前者は神の御守護がないが、後者は御守護があるからである。
そうして霊界においては、無数の悪霊が百鬼夜行的に横行しているので、隙さえあればたちまち憑依し、瞞し、迷わせ、悪を行わせ、不幸に陥し入れるので、これが彼らの本能であるから、少しの油断もできないのである。ところがこれに対抗して飽くまでそうさせまいとする擁護者が正守護神であるから、正守護神には大いに力を得させなければならないのであって、それには立派な信仰へ入り、神の力を恵まれるべきである。
次は癲癇(てんかん)であるが、これは精神病と似て非なるものであって、この病気はことごとく死霊の憑依である。何よりも癲癇の発作が起るや、人間死の刹那の状態を表わす。例えば水死した霊が憑かると泡を吹き、もがき苦しむし、また水癲癇といって、水を見ただけで発作が起るのは、あやまって水へ落ちた り、突落されたりした霊でその刹那の恐怖が残っているからである。また火癲癇というのもあるが、これも火に焼かれた霊であり、その他獣や蛇、種々の虫を見ただけで恐怖し、発作するのはその物のために死んだのである。またこういうのがある。人込みへゆくと発作が起るが、これは人込みで踏み潰されて死んだ霊であり、汽車電車に乗るのを恐れたり、誰かが背後に近寄ると恐れる人なども同様である。以前こういう変ったのがあった。それは一人での留守居は、恐ろしくて 我慢ができず、門の外へ出て人の帰るまでたたずんで待っているというので、これも前世一人で家にいた際、急病などで死んだその恐怖のためである。まだ色々あるが、以上によって考えればだいたい判るであろう。
ここでついでだから、真症小児麻痺について書いてみるが、これは脳溢血で死んだ祖父母の霊がほとんどである。この原因は脳溢血で急死した霊で、生前無信仰で霊界あるを信じていないため霊界へ往っても死を意識せず、生きていると思っているが、肝腎な肉体がないので、遮二無二に肉体を求めるが、その場合他人に憑く事はできない霊界の規則であるから、自分の霊統の者を求める。もちろん霊統は霊線で繋がれており、子供は憑依し易いので、多くは孫を目がけて憑依する。その場合数日間発熱があり、痴呆症や半身不随となる。ちょうど中風そのままであるのは、右の原因によるからである。
『文明の創造』英語版はこちらをクリックしてください。
Creation of Civilisation: Translated Edition
人間の仕組みに沿った救いを
楳木先生:
霊的病気のですね、最後の項目でこうして『精神病と癲癇』ということでメシヤ様がまとめて下さっておりますが、このタイトルとは別に、メシヤ様が人間の存在とは一体どういうものかという形で多くの分量をもって説いて下さっています。そして、その人間の存在が信仰を持つ意味というものをまたメシヤ様はここで説いて下さっていますので、私達のいわば人間観、あるいは信仰観というものをここでメシヤ様が凝縮して書かれている部分を受け止めてですね、ここは長いんですけれども、自分の腹にしっかり入るように繰り返し繰り返し拝読していただきたいと思います。それほど大切なところであると受け止めていただきたいと思います。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎この御論文は、『精神病と癲癇』ということでメシヤ様がまとめて下さっているのだが、このタイトルとは別に、「人間の存在とは一体どういうものなのか。」という形で多くの分量をもって説いて下さっているのだということ。
>そして、メシヤ様はその人間の存在が信仰を持つ意味というものもここで説いて下さっているので、私達のいわば人間観、あるいは信仰観というものをここでしっかりと受け止めて、自分の腹に入るように繰り返し拝読するのだということ。
>「ここでメシヤ様が仰っている事柄は、それだけ大切なのだ。」と私達は受け止めるのだということ。
「メシヤ講座no.164大阪(平成26年9月分)」より抜粋つづき:
信仰をする意味
楳木先生:
この『文明の創造』という本は、メシヤ様が地上天国を建設していく設計書として改めて書かれたものであります。しかも、信者さん向けというよりも外部に向けて、どなたが拝読しても分かるようにメシヤ様が何回も書き改めてこのように纏めて下さったものですので、私達は信仰して世の中を救っていこうという時には、この『文明の創造』をですね、丸暗記するぐらい拝読していけば、自ずと人を救っていけれるということです。そしてそれを習得した時に、自ずと救ってほしい先祖が働き始めて、大勢の人に出会うことができて、浄霊しつつ、御教えを話してあげればその人は救われていくわけです。そういう人がまだ出会わないという時には、自分自身がまだ『文明の創造』を習得してないというふうに受け止めるぐらいの気持ちで、生活をしていきながら拝読していただければいいと。
「みなさん方は出来てませんよ」ということではなく、「そういうことを目指して行きましょう」ということですね。」
支部長代理:
正確にいうと、それが本当の意味での(救いの)資格の一つ、ということですよね。
楳木先生:
そうだね、だから信者としてメシヤ教に入会して、「信者らしく」なるためには、これをすべて習得していくということが一つの手であるんだということですね。そういうことを目指していくためには、本日拝読をした『精神病と癲癇』というのは、非常に「人間とは何か?」ということが分からせていただけるし、その人間にとって「なぜ信仰が大事なのか?」ということが分からせていただけますので、非常にありがたいところであります。
細かくいろいろ見て行きますと、他の今まで拝読をしたこの『文明の創造』以外で、「天国の礎」とかですね、そういうものを拝読していく中で、メシヤ様が軽い精神病を指摘しておられますよね。例えば、入って来てメシヤ様に御挨拶をするんだけども、横を向いて御挨拶しているとか、これは我々の日常でも起きてくることであります。人と会った時「こんにちは、久しぶりです。」と言うんだけれども、よそを向いて言っているということがお互いにありますよね。その時には、自分の中には何十%とかはそういうものに邪魔されてるということですね。
上位人間として上の方に行くと10%~20%ぐらいなんだけど、少し下がってくると30%~40%。お互いに30%~40%ぐらいの時には変なことばっかりやってるということ。
だから、そういうことを「段々段々と高めていくのが、実は信仰を向上していく道なんだ」と。そして「信仰が向上していくと、やるべきことがきちんとやれるようになっていくんだ」ということを、また本日拝読させていただいたことに照らして考えていくと段々と深まりが出てくるんではないかなと、そういうふうに思います。
それからまた大切なことは、神様から人間の使命がある人ほど磨かないといけないので、非常に苦痛を与えて、その人の天性を磨かせるということがありますので、“私どうしてこんなに大変なのかしら?”と思えば思うほど、実は使命があるんだというふうにメシヤ様は先ほどのように書いて下さっていますので、その苦痛を通して自分を磨いて、そして天性あるいは特性を磨いて・・そうしたものをさらに磨かせていただければ大変有難いというふうに思います。
それからもう一つ大事なことは、人間には善・・絶対的な善と、それから悪というものを持っております。しかしこの善悪は決定づけてはいけないというふうに書かれております。決定づけてはいけないというのは、勝敗を・・勝負をつけてしまってはいけない。これが善が100%になって悪が0%になってしまうと、その人は物を食べなくなっていきます。要するに動物霊が活動しないので、物を食べなくなるし、「何かが欲しい」ということもなくなってしまうので、その人の活動力が鈍ってしまう。
これは昔の『天国の礎』の中では『解脱しすぎてはいけない』と書かれていることと同じことでありますので、『夜の時代』はそういうことが分からないために、決定づけないと収まらないような性分が・・“あの人はやっつけないといかん”というのが・・、この善悪を決定づけないといけないというような性分が、『夜の時代』の中に残っていますので、それは我々がそういうのに左右されていつも生きております。これが日常生活の中で起きている内容であります。しかし「人間とは一体何か?」そういうものが分かってくると、こういうふうに、善悪を最終的に決定づけるまでしてはいけないということが分かってきます。
そうやって分かっていくというのが、実は人間として人間というものが分かったということになっていくんだということを、本日拝読したところから見て、自分の中にしっかり取り入れていっていただきたいと思います。そうしたことをですね、・・本日は長い御論文ではありますけれども、確認しつつ拝読を重ねていただきたいというふうに思いますので、最初にそうしたことをお願いさせていただきたいと思います。そうしていつものように質疑応答に入りたいと思います。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎この「文明の創造」という本は、メシヤ様が地上天国を建設していく設計書として信者さん向けというよりも外部に向けて改めて書かれたものなのだということ。
>私達が信仰して世の中を救っていこうという時には、この「文明の創造」を丸暗記するぐらい拝読していけば、自ずと人を救っていけるのだということ。
>そして「文明の創造」を習得した時に、自ずと救ってほしい先祖が働き始めて、大勢の人に出会うことができ、浄霊しつつ御教えを話してあげればその人は救われていくのだということ。
>だから、未だそういう人と出会わないということは、自分自身が「文明の創造」を未だ習得してないというふうに受け止めるぐらいの気持ちで生活をし、拝読を積み重ねていくのだということ。
◎私達は、「人を救うことが出来るようになる。」ということを目指し、「文明の創造」を習得していくのだということ。
>メシヤ様の「信者らしく」なるためには、「文明の創造」をすべて習得していくということが一つの手であるのだということ。
◎メシヤ様は、この「文明の創造」以外の御教え(「天国の礎」とかの中)で、軽い精神病を指摘しておられるが、副霊等に邪魔をされないように「自分を少しずつ高めていくのが、信仰を向上していく道なのだ。」ということ。
>そして「信仰が向上していくと、やるべきことがきちんとやれるようになっていくのだ。」ということ。>以上のことを、この『精神病と癲癇』に照らして考えていくと私達の信仰に段々と深まりが出てくるのだということ。
◎大切なこととして、神様は人間としての使命がある人ほど磨かないといけないので、非常に苦痛を与えて天性あるいは特性を磨くということがあるのだということ。
>だから、その苦痛を通して更に自分が磨かれるということは、大変有難いことなのだということ。
◎もう一つ、大切なこととして人間は絶対的な「善」と、それから「悪」というものを持っているのだが、この「善悪は決定づけてはならない。」というふうにメシヤ様は仰っているのだということ。
>その「決定づけてはならない(勝負をつけてしまってはいけない)。」というのは、例えば「善」が100%になって「悪」が0%になってしまうと、動物霊(副霊)が活動しないので、食欲や物質欲がなくなりその人の活動力が鈍ってしまうからなのだということ。これは昔の「天国の礎」の中でメシヤ様が、「解脱しすぎてはいけない。」と仰っていることと同じことなのだということ。
>『夜の時代』は上記のようなことが分からなかったので、この善悪を決定づけないといけないというような性分があったのだが、(その性分は今も残っていて)私達はそういうものにいつも左右されて生きているのだということ。
>しかし、「人間とは一体何か?」ということが分かってくると、「善悪を最終的に決定づけるまでしてはいけないのだ。」ということが分かってくるのだということ。
>そして、そうやって分かっていくということが、「実は、人間として人間というものが分かったということになっていくのだ。」ということを、本日拝読したところから見て、自分の中にしっかり取り入れていくのだということ。
「メシヤ講座no.164大阪(平成26年9月分)」より抜粋つづき:
慢心と精神病、と自信
受講者:
一般の方は50%過ぎると精神病になるというふうに書いてありますね、最後の方に結構ちょっとした隙、慢心が出てきて10%とか20%でも憑られると書いてありますよね。やっぱり上の方になれば邪神もすごい強い邪神が憑るから、そういう10%~20%の欠陥でもやられてしまったりするということなんでしょうか?
楳木先生:
そこはね、パーセントを見るよりも、「成功した時」の隙の方を。」
受講者:
隙?慢心が?
楳木先生:
うまくいった時のね。英雄というのはすべてを支配したとかいうような時には、パーセントの問題ではなくて。」
受講者:
慢心が起こると、とにかく良くないということですね。
楳木先生:
そうそう、そういうことです。」
受講者:
そこに隙が生じるから隙入られるということですね。
支部長代理:
(心の)隙があるから、そういう思い(慢心)が湧くというのが・・、もうすでにそういう霊が影響しているわけですね。
受講者:
慢心があるから隙が起こるわけでしょ?
支部長代理:
いや、(譬えればあくびそのものが隙のように瞬時に)慢心が隙なんだよね。
(あくびが始まり、ある程度開くと口に何かが入ってくるようなもので、入るのを気付いてすぐ閉じれば入ってこない。上位ほど口が小さくても瞬時に入り、瞬時におかしいことを言う。武士で譬えれば、慢心という隙が起こると瞬時に斬られる。慢心が湧くと心の隙が起こっている。詳しくいうと、最初は心の注意の不足であり隙であり、この隙に我と慢心を起こさせる霊が影響して、慢心という隙を作り、邪霊が入り込もうとする)
受講者:
慢心をしないように気を付けないといけないということですよね。
支部長代理:
そうそう。
楳木先生:
「自信」はいいんですよ、「自信」を持つことはいいんだけど、慢心になるといかんということです。」
受講者:
そうすると少しのパーセンテージでもやられてしまうということになるんですね。
受講者:
今回の「メシヤ講座・特選集(no.163)」の沖縄でのお世話の話にそういった話が載ってましたね。
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎例えば英雄などがすべてを支配した時には、「心に隙が出来て慢心しているのではないか。」というところを見るのだということ。
>「自信を持つ」ということはいいことなのだが、「慢心する」のはいけないことなのだということ。
「メシヤ講座no.164大阪(平成26年9月分)」より抜粋つづき:
怒りと精神病
支部長代理:
・・あと、もう一つ「怒り」というのがあるね。だから、メシヤ様はよく怒らされたということですね。その「怒り」を抑えていればいいけれども、なかなか理不尽なことで抑えられないと、それが隙として邪霊が乗じてきそうになるので、その「怒り」を鎮めるために美味しいものを御召し上がりになられたということですね。
楳木先生:
美味しいもの、特にカニとエビだったらしい。コレステロール・・、コレステロールをもろに食べておられたと(笑)「バリッ!」と、食べておられたと(笑)。」
受講者:
コレステロールが怒りを抑えるんですか?
楳木先生:
抑える。コレステロールがストレスを抑えてくれるので・・。しかし「怒り」も常に溜まらなければ、ね。物質的にストレスが消えれば、「怒り」も抑えることができるので、だから腹立ってきたら是非エビを食べればいい(笑)。」
受講者:
「怒り」を抑えるのが修行なんですよね。
楳木先生:
うん、そうそう。」
受講者:
そのために「怒り」を下さると。
楳木先生:
神様の方がね。」
支部長代理:
一番いいのは怒らせた人がエビを持ってきて(笑)。
受講者:
(大爆笑)
受講者:
ごめんなさい(冗)。
受講者:
簡単に怒らせたらダメなんで、かえってここで向上をされると。
支部長代理:
怒らないとまたダメなんですよ、物事が分かるというのは、善し悪しというのが分かるから。それ(怒り)は、メシヤ様は出してはいけないということをおしゃっている。
楳木先生:
うん、怒らん人はまた役に立たないからね。役に立たんという言い方はちょっと語弊があるけど、やっぱり怒るような人じゃないと自分に筋が無いのでね。カニもね、今ワタリガニが非常に安いので、この前、千円で3杯、大分でね・・。」
(後文割愛)
責任者:
ここでは「怒り」の抑え方について御教示いただいております。要点だと思うところに下線を引きましたので、各自拝読をお願い致します。
「メシヤ講座no.164大阪(平成26年9月分)」より抜粋つづき:
真症の癲癇について
受講者:
あの~癲癇と小児麻痺のことについてお聞きしたいんですけれども、小児麻痺の方は祖父母が子供の霊に憑る場合が多いと書かれてますね、それで癲癇の場合はやはり同じですか?
楳木先生:
癲癇は自分だから。」
受講者:
自分って前世ということですか?
楳木先生:
自分の前世の死に方が癲癇に現れてくるので。」
受講者:
そういうことですか、じゃあ別に亡くなった祖父母の霊が自分に憑って癲癇になるということは・・。
楳木先生:
そういうことはない。ただしかし、霊界で十分浄化されないで産まれてきているわけなんでね。何故浄化されないで産まれてきたかというと、家族の執着とかがあるわけなんで、早めに引っ張り出してくるわけなんでね。家族の執着によって「早く子供が欲しい」とか、それから昔の封建的な家では「子供を産めないような女は帰れ」と言われたりして、今でも出産待ちの女性たちの苦労というのが物凄く多いんだけども、そういうことによって下手に執着を持つと、浄化不十分の子を引っ張り出してしまうので、だからそういう時には信仰というのがないと、そういう不幸な子供を産んでしまうということがある。だから癲癇の場合はほとんど自分の前世、その人の前世の問題だということです。(ただし霊憑りという面では、精神病は動物霊で、癲癇は人間ということになります。)」
支部長代理:
たまに他人とか、症状的には癲癇と同じような場合もあります(現在は癲癇は病名ではなく症状であり、セキは病名ではないのと同じ)。そういうのは(霊が)こっちに移って来てしゃべってくるとかですね。それから世間で多いのは熱性での癲癇症状(熱性けいれん)というのが一番多いですね、熱がずっとこもっていて癲癇症状になると。そういうのは画像検査をしても何もないですけれども、熱のために神経が痛むと。だいたいの方痛んでますけど余計に痛むんですね。癲癇症状になって・・ですから癲癇にも今様々な種類があるんですけどね。
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎「小児麻痺」の場合は祖父母が子供の霊に憑る場合が多いのだが、「癲癇」の場合はほとんど自分の前世の問題なのだということ。
編集後記
責任者:
今回の御論文でメシヤ様は、「人間の存在とは一体どういうものなのか。」そして、「その人間が信仰を持つ意味とは何なのか。」といということに付いて御教え下さっておりますので、私達は自分達の人間観、あるいは信仰観というものをここでしっかりと受け止めなければならないのだと思います。
又、私達が学び続けている「文明の創造」という本は、メシヤ様が地上天国を建設していく設計書として大衆に向けて改めて書かれたものであり、この「文明の創造」を丸暗記するぐらい拝読していけば、私達は自ずと人を救っていけるのだということ。そして「文明の創造」を習得出来た時に、自ずと救ってほしい先祖が働き始め大勢の人に出会い、その人達を救うことが出来るのだと御教示いただきました。「文明の創造」を習得し、多くの人達をお救い出来るように、日々コツコツと拝読を重ねて行かなければならないのだと改めて思いました。
日本各地で猛暑が続いております。熱中症などの心配がありますので、どうぞ十分な体調管理を心掛けてお過ごし下さい。有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。
「メシヤ講座no.164大阪(平成26年9月分)」
