御教え『原爆恐るるに足らず』

「栄光」153号、昭和27(1952)年4月23日発行

現在の世界で最も怖るべきものとされているものは、何といっても彼の原子爆弾であろう事は今更言うまでもないが、それというのはその驚くべき破壊力に対して、防止する方法が全然ないからである。しかし止まるところを知らない科学の進歩は、いずれは防止手段の発明も考えられるがそれはいつの頃か見当がつかないとしたら、それまでの人類の不安は大変なもので、これ以上の悩みはあるまい。ところが私は原爆を免れ得る力を、神から与えられているのであるが、これを聞いただけでは到底信ずる事はできまいから、事実をもって解説してみるのである。

元来、原子爆弾の原理というのは何万度か分からないほどの灼熱である。この灼熱によってあらゆる物質が、一瞬にして焼尽されるのであるから、これを防ぐとしたらその熱以上の力でなくてはならないのはもちろんである。だがそれほどの力なるものが現在地球上にありやという事であるが、実は立派に存在しているのである。今それを説明するに当って、まず知っておかねばならない事は、私がいつも唱えるところの霊体の真理である。言うまでもなく万有一切は霊と体との二原素から形成されているのが実相であるが、それについて特に知っておくべき重要事は、霊と物質との力の強弱である。それは体すなわち物質の力よりも霊の力の方が、何倍あるいは何百倍勝っているか判らない事実である。しかるにこれがなにゆえ今日まで分からなかったかというと、近代文明の基本が唯物科学から出発している以上、不可視の霊の存在は到底信じ得られなかったからである。

これを最も卑近な例で説明してみるが、まず人間である。すなわち科学は人間の肉体だけを対象とし、見えざる心すなわち意志、想念を無視している事である。ところが実際は肉体を自由自在に駆使している力は意志、想念である。言わば無形の力が有形の力を左右している訳であって、この無形の力こそ絶対支配者である以上、この理を原爆に当はめればよくわかるのである。すなわち原爆といえども根本は物質であり、ただ極致的偉力なのである。従ってこれを防ぐとしたら、それ以上の力すなわち霊的原爆ともいうべき力の発揮によればいい訳である。といっても霊的原爆などというそんな素晴しいものは、今日あるはずはないと思うであろうが、それが確実にあるのだから大問題である。すなわちその力というのは原爆を受け付けないほどの超科学力であって、この力こそ神霊から発揮される絶対力である。ところがこの力は何によって発現されるかというと、これこそ私の身体を通じて発揮される神力である。それは今日まで小規模ながら実験によって確実にされている。彼の広島、長崎における原爆を被った際、私が作ったお守を掛けている人達は、ことごとく助かった事実である。今その中の数種を本人手記による報告を掲載(紙面の都合で分割)したので、読めばいかなる疑い深い人でも、信じない訳にはゆかないであろう。

本教は常に言うごとく、病貧争絶無の世界を造るにあるので、病貧の方は眼に耳に絶えずその解決法を教え、実行もしているから信じられるであろうが、争の方は今まで充分解いていなかった。もちろん争の大なるものが戦争であるから、結局戦争が解決出来なければ、真の平和は実現しない訳で、これこそ原爆を無力ならしむる方法である。従ってこの力が地上に顕現(けんげん)されたとしたら、他のいかなる武器といえども知れたものであるから、この世から戦争を絶滅する事は、あえて不可能でない事を私は断乎として言い得るのである。