10-2、耳科

(1)耳鳴及び耳の聞えの悪い原因

「御教え集」21号、昭和28(1953)年5月15日発行

それから耳鳴はみんな知っているでしょうが、延髄をやればきっと良くなります。耳の方は目とは違って、右の方なら右の方で良いのです。耳鳴の人は随分ありますが、耳鳴を治すのは訳ありません。延髄の固まりさえ取れば必ず治ります。

「御教え集」24号、昭和28(1953)年8月15日発行

耳では、耳鳴というのは多いですが、耳鳴はここ(延髄、頸部)に必ず固まりがあります。それから中耳炎をやった人で聞えが悪いというのは耳下腺です。これが中耳炎の筋ですから、こういう所に固まりが残ってますから、それを溶かせばよいのです。

(御教え)

「老人になるに従って耳が遠くなるのはやはり毒素のためでしょうか。」

『薬毒の固結ですよ。毒素はいつも言うように使う所に寄るんです。耳を余計に使う人、声を発する人なんかはどうしても耳に毒素が固まるんですよ。ベートーベンが耳が聞こえなくなったっていうのはそういう訳なんですね。丁度そういう職業の人が、そういう所が悪くなるっていうのは皮肉のようですが、仕方がないですね。』

 

(2)中耳炎後、両耳聞えなくなった娘

(御教え)

「二十八歳の娘。十年程前に中耳炎と眼を患い、その頃より両耳共聞えなくなりましたが、鼓膜さえ異状なければ聞えるようになりましょうか。」

『治りますね。中耳炎の時に中耳に膿が固ったんですよ。耳が聞えるっていうのは、鼓膜からの振動が中にある水に響いて、それが聴神経に感じるんで聞えるんですが、その水の所に膿が固ってるんですからね。浄霊すればそれが溶けますから、それで聞えるようになるんです。』

 

(3)耳鳴の為、O氏管通風及び鼻茸の手術をし、その後しばしば脳貧血の発作で倒れ、日々頭重、眩暈で苦しんでいる人

「御教え集」4号、昭和26(1951)年12月15日発行

「昭和十九年何となく講習(教修)を受けましたものの、生来の無信仰者で、御守様をおかけ致さずおりますうち、昭和二十四年二月風邪に罹り、咳が一週間程続き、突然左の耳がジーンと鳴り出し、耳鼻科医師の言によれば、O氏管の入口並びに深部に、数箇の鼻茸が出来ているのが原因と診断され、病名は「急性中耳加答児」とつけられました。早速鼻茸は手術により除去し、O氏管通風を行いましたものの耳鳴は一向止まず、次第に耳が塞がった感が強くなり頭が重くなり始めましたので、各所の専門医の治療を受けましたが効果なく、病名もマチマチにて、最近での専門医の意見によれば「内耳の一部が硬化症ならん」とて、治療法は適当な方法なしとのことで、耳は過去三年間鳴り続け、塞がった感じと頭重が続いており、二十五年暮より二十六年春にかけて頭重も激しくなり、心臓部に刺戟性の痛みを感じ、時としては歩行も困難になるようになりました。内科医の言によれば「内耳硬化が脳神経を刺戟して生じた一種の神経性の心臓疾患で、一時的のもので時期が来れば治るだろう」とて、二十六年初夏頃までに葡萄糖、ビタミンの注射を約三十本位致しましたところ、耳鳴、頭重は治りませんが、胸部の痛みは治りました。折から熱心な本教信者の奨めで、御浄霊を戴く気持ちになり、七月上旬より教会に通い始めましたが、耳鳴は大した変化も見られぬうちに、八月上旬自宅において、脳貧血症状を起し倒れましたので、爾後出張浄霊を戴くことになり約一カ月、九月中旬まで戴きましたが、その間三度大きな脳貧血発作で倒れ、苦しみました。(気分が悪くなり頭重と共に頭がクラクラとし目が廻り倒れてしまいます。)日々頭重と眩暈が絶えず起りそうな不安に迫られながら、九月中旬まで続きました。一時御浄霊を休んでおりましたところ、十月上旬またまた大きな発作で倒れ、医者の診断によれば「原因は耳であるから、耳が治れば頭重及び眩暈も治るが、耳は治るかどうか判らぬ。神経衰弱を治すために転地でもしたら良くなるだろう」とまことに心細い答にて、転地をするにも日々の頭重と眩暈の発作に、身体を動かすことも恐ろしくて、それも出来ず、再度御浄霊を戴くことになりましたが、その後は倒れるような大きな発作は起りませんが、それでも始終頭重と耳鳴とがあり、眩暈が起るのではないかと言う恐怖感があり、胸も時々痛み、足もズキズキ痛み、時折り背中数個所に痛みを感じ、気分の良い時は、一日僅かの時間です。併し御浄霊を戴きますと楽にして戴けます。耳は聞えなくなっても、頭重と眩暈さえ取れてくれたらと願っております。原因は単なる薬毒の浄化作用で御座いましょうか。なお、概往症と致しましては、約二十五年前胃痙攣で苦しみ、モルヒネ注射十本程いたしました。また約二十年前脳溢血症状で倒れ、氷冷二カ月後、軽度の中風症状のため、指圧、鍼灸、電気、光線等あらゆる民間療法をやり、大した効果なきまま仕事を休み、いつの間にか良くなりました。右延髄部に二回腫物が出来ましたが、切開手術で治しました。慢性胃腸病のため、消化剤は沢山服用致しました。」

『耳鳴は一向に止まらず――ああ、見当が違っているからですね。これは医者の手術が拵えたものですね。時期が来ると治るだろう――というのは、お医者のない国みたいだね。お医者は何のためにあるのかね。これは、何でもない病気なんですがね。O氏管通風――これは悪いんですよ。O氏管通風というのは、鼻の穴に管を入れるがね。耳鳴は見当違いです。延髄です。態々病気をつくっちゃった。鼻茸を手術で除去――除去したのは差支えないが、その時消毒薬を使うから、これが原因となる。その時打擲らかして置けば治ったが、態々一層輪をかけて作ったんですね。もっと作ったら命が無くなってます。オデキが二度出来たと言うのは、ここ(延髄)に固っている。頭重と言うのは、消毒薬中毒が頭に滲みて重くなったんだからね。内耳硬化――こんなものは出鱈目だね。胸が痛いのは、肋間神経が少しある。今まで飲んだ薬がすっかり固っているんです。これは浄霊をやれば治ります。鼻茸――O氏管――これは大したことはない。脳貧血――こういう人は、後頭部にあって、咽喉にあります。毒の固まりがね。併し、普通の脳貧血でなく、咽喉の浄化熱が起ると、この熱が前頭部に来て眩暈が起ります。咽喉と延髄、だからこれをすっかり浄霊すれば治りますよ。何でもない。転地をしたら――よく転地と言うことを言いますが、あれは滑稽なんです。転地とか空気の良い所とか、色んな所に行きますが、そういう所は病気はないようだが、やっぱりそういう所にも、病気がありますよ。まあ、一生懸命に神様にお縋りして浄霊して貰うんです。それから、御神書――神様の本を、出来るだけ読みなさい。そうすると請合ってすっかり治ります。延髄部に二回――切開手術――この時の消毒薬が滲みてますからね。これが大変な原因になっています。それから、霊的関係は全然ありませんからね。その懸念は要りません。』

 

(4)生後間もなく多量の血が下り、その後中耳炎となり、なお、火傷、アデノイド手術等を行った智能の低い少年

「御教え集」8号、昭和27(1952)年4月20日発行

「十一歳の男児。智能低く小学一年程度で御座いますが、運動方面は同年齢の子供と変った処は御座いません。生後三日目頃より多量の血が下り、止血注射五、六本うち三日程で治りました。三歳頃中耳炎となり、高熱は出ませんが耳垂れが出、耳鼻科にかかりました。それより毎年風邪を引く度に耳が痛み、その都度耳鼻科にかかり手当を続けて参りました。咳が激しく六神丸を服用致しました。入学前に転倒し、後頭部、右延髄部に火傷を受け、塗薬で治癒致しました。二十五年九月アデノイド手術を受け、現在蓄膿症の気味で御座います。」

『馬鹿なものですよ――血止めと言って、少し位――多少だって出るのは結構ですがね。古血だからね。それを止めるなんて間違っているね。耳が痛く――これも耳鼻科で中耳炎を止めて膿を固まらせちゃったから―― 残しちゃったから、それで耳が痛くなるんですね。これは中耳炎にチョイチョイかかり、この薬毒が頭に行って、それで頭の働きが悪いんですね。六神丸なんて毒が強いですからね。火傷の塗薬――これも悪いな。そう言った薬毒ですね。それが頭に行ってますから、気長にやれば普通になりますよ。これは耳と頭ですね。これを主にして浄霊する。』

 

(5)生後一年半位より耳垂れが出続きで、智能的にも遅れている女児

「御教え集」2号、昭和26(1951)年10月25日発行

「八歳の女子。母体不健全なために医師より妊娠中絶をするように言われましたが、御浄霊を戴き無事安産致しました。生後一年半程致しました時、種痘を受け、翌日より両耳に御浄化戴き、耳だれが出、その後出なくなった時もありますが、今日まで殆んど出続きの状態です。現在左の耳は全く聞えません。また智能的にも二年位遅れているように思いますが、体育(鉄棒等)は他の同年生徒よりずば抜けて勝れ、大人を吃驚させる程で御座います。右浄化は全く体的のもので御座いましょうか。」

『膿が出ると言うのは非常に結構です。何年間出ても非常に結構です。それだけあるんだからね。やはり薬毒ですからね。薬毒の他に――種痘もですね。何しろ出続きと言うのは結構ですね。左の耳は以前からですか。種痘を打ってからですか。』

「段々聞えなくなりました。」

『種痘前は。』

「両親も良く分らなかったそうです」

『併し、種痘で耳がこうなるということはないね。やはり、前から相当聞えなかったんですね。聞えないと言うのは、膿が固っているんです。集って固まるんです。だから、聞えない方を浄霊するんです。淋巴腺の方からやった方がいいですね。淋巴腺には肩の方から来て、それは腎臓の方から来ている。とにかく、淋巴腺が一番肝腎だね。それから肩ですね。耳ばかりやっていても効果はない。淋巴腺から肩へとやる。人によっては腎臓から来るものあるし、中途から来るのもある。そうして気長にやれば治ります。膿が出ることを恐れてはいけない。喜ばなければね。』

 

(6)中耳炎を患い、現在両耳が聞えない様子の女の子

「御教え集」3号、昭和26(1951)年11月25日発行

「昭和二十三年十月七日、長女出生後間もなく母親は乳脚気との診断を受け、母子共に約一カ月位ビタミン注射をやり、その時子供は音声の出ぬ程の重態になりましたが、注射後十日位で平常の状態になりました。その後中耳炎、等を患いました。二十六年三月頃、子供の両耳が聞えないことを知りましたので、医診を受けましたところ、親族結婚だからと言うことで、聾唖学校へ行きなさいと言われましたが、その後も近所の医者に行き、五日位ビタミン注射をうちましたが、何の変化もなく現在に至っておりましたところ、七月より御道へ入らせて戴き、御浄霊を戴き、現在は私と妻とで御浄霊を致し、時々先生よりも戴いております。ただ今も「ウマウマ」とだけはハッキリ申せますが、他のことは言いたそうに致しますが、じれてしまいます。常に風邪気味にて発熱、喀痰があり、耳下腺顎下に固結があります。右は先天的あるいは、後天的なもので御座いましょうか。」

『固まりがあるんですね。それから、耳の病気は延髄が多いですよ。耳だから、耳筋が原因だろうと思うが、そうでなく延髄です。延髄をやると、良く治りますよ。親の毒素が茲に固っている。ビタミンも幾らか扶助している。咽喉に毒が来た。大したことはないですね。これは治りますよ。三つだから、三つで「ウマウマ」言えば大丈夫です。ですから、今言う延髄と、淋巴腺の所に固まりがある。それですね。こういう時に少しも力を入れてはいけませんよ。全然力を抜くと、こういう所は良くなります。』