3‐2、浄霊の形式と方法

1.浄霊医術習得の修行は力を抜くこと 

 

「御教え集」10号

昭和27(1952)年6月15日発行

このころ御守護電報などが日に何本となく来ますが、重態な場合もあるし、つまらない──こっちから見るとつまらないのだけれども、本人や浄霊している人は、重大だと思って電報打つのでしょうが、病状と苦痛によって分かります。大した事でなくて、じきに治るような事で御守護の電報が来ますが、あれはどうも治し方が違っているのです。浄霊が違っているのです。というのは、やはり力が入るのです。力を抜いてやれば何でもなく治るというのに治らないという事はそういった訳です。だから浄霊の一番の修行というのは、力を抜く修行です。そうして、力を抜いてその霊が向こうに通らなければならない。だから本当言うと難しいのです。併し、やり方は楽なのです。だから楽で難しいと、こう思わなければならない。それで、通そうとすると力が入るのです。そうでなく、力を抜いて霊を向こうに通すのです。これでやると非常に良く治る。とにかく力が入ってはいけない。もし治りが悪いと、力が入ったなと気付かなければならない。私が始終そうです。私が一寸、誰かを浄霊してやる場合に、力を抜くと非常に良く治る。可笑しいなと思うと、知らず識らず力が入っている。ですから力を抜く修行です。それが出来るに従って良く治る──とこういうふうにおもっていいです。

 

(イ)力を抜く事

「御教え集」2号

昭和26(1951)年10月25日発行

浄霊ですが、これは(手)今まで振ってましたが、これからはやめなくてはいけない。どうしても、こうする(振る)と力が入る。そこでどうしても、力が入らないようにするには、じっとしているのです。ですからそういうようにして貰いたい。だから、動かさないという事です。そうして、出来るだけ力を入れないで、ぼやっとしているぐらいがよいのです。ピンとしない事です。

 

(ロ)力を抜く事

「御教え集」2号

昭和26(1951)年10月25日発行

今までよりか何倍も良く治る。そうすると、今の御蔭話にあるが、一時間やったとか、二時間、三時間やったとかいう、あれは嘘です。あなた方がやっても、二十分か三十分位で治ります。

 

(ハ)力を抜く事

「御教え集」15号

昭和27(1952)年10月15日発行

こう(浄霊)やって、どうも治りが悪いなと思ったら、力が入っているのです。ますます霊界が変わって来て、火素が増えるに従って、余計そうなるのです。つまり人間の力というものが邪魔するのです。力を入れると、折角の霊を邪魔してしまうのです。それだけ治りが悪くなる。ですから私なんかでも、始終力を入れないようにしてます。そうすると、とても良く治る。今までの人間は大抵の事はあべこべをやっていたのですから、これ(浄霊)なども、理屈から言うとあべこべです。何でもなく治るような事が割合に治ってないが、それはみんな力が入るからです。今は非常に火素が増えていますから、病気は非常に簡単に治るのです。あなた方でも、大抵な病気は簡単に治ります。どうも治らないという事は、力が入っているのです。

 

(ニ)力を抜く事

「御教え集」27号

昭和28(1953)年11月15日発行

この力を抜くという事は、むしろ難しいです。しかもだんだん浄化が強くなるに従って、ますます光が強くなるから、そうすると光を出すには、力を抜くほど出るのです。少しでも力を入れると、光の出が悪くなるのです。防げるわけです。力を抜くという事は、これ以上は抜けないというところまで抜かなければならないのです。

 

(ホ)力を抜く事

「御垂示録」25号

昭和28(1953)年10月15日発行

浄霊しながら鼻歌でも歌いたいくらいの気持ちでやるのが一番よいのです。それで、神様に御願いするのはいくら一生懸命になってもよいのです。それは構いませんが、ただ浄霊の場合には、自分が治すのではないので、神様に治していただく、自分はその道具だから、そのつもりになって居ればよいわけです。私などもやっぱりそうです。少しでも力が入ると治りが悪いのです。勿論お腹の光が出る場合にも──力というのは腕力ですが──それが出るわけですから、それだけ光が薄くなるわけです。

 

2.早く治してやりたい時程(一生懸命)にならぬこと

 

「御教え集」18号

昭和28(1953)年2月15日発行

最初に一寸注意したいことは、浄霊のやり方にどうもまだ力が入るようなのです。その力が入るというのは、(一生懸命)にやるからです。この(一生懸命)がいけないのです。しかも急病とか患者が苦しんでいる場合には、早く治してやろうとして余計に一生懸命になるから、かえって効かなくなるのです。だから患者が苦しんでいる時や、早く治してやりたいという時ほど(一生懸命)になってはいけないのです。神様の事は反対が多いのですから、出来るだけ軽く、まるで他人事のような気持ちでやる事です。というのは、光がお守りから手を通って出る場合に、ここ(掌)で一生懸命になると、そこでつかえてしまうのです。掌は何でもなく、気がはいらないと、この光がずっと通るのです。私は浄霊する場合には(治して上げよう、曇りを取ってあげよう)という気持ちはありますが、手の方は(ええい、可哀想だからやってやろう)というような、至極不真面目と言えば言えますが、そういう気持ちでやってます。またその方がよく効くのです。ですから、それを忘れないようにしてやる事です。よく御守護の電報が来ますが、なんでもなく治るような事を電報で来るのです。というのは、浄霊の効きが悪いからなのです。悪いという事は力が入るのです。それは長くからやっている人と、最近の人との違いさはありますが、大体今言ったような点が一番ですから、一寸注意しておきます。

 

3.手の力の抜き方と患部に対する直射について

 

「地上天国」24号

昭和26(1951)年5月25日発行

「お浄霊の際は手の力を出来るだけ抜くように御教えを戴きましたが、同様に御光が目的箇所へ浸透するように念ずる人間念力も、出来るだけ放下すべきでございましょうか。その方便として、わき見をしたり、他の考え事をしてもよいという事になりますと思いますが、如何でございましょうか。また御光は直線に進むと致しましたら、掌の面を浄霊個所に対し、そのように合わせなければなりませんと思われますが、如何でございましょうか。御伺い申し上げます。」

 

『手の力を出来るだけ抜く事と、患部に奥深く浸透するようにする。この矛盾のような方法であるから、熟練が肝腎である。次に霊射は勿論直線である。アインシュタインの説のような光線屈曲はないのである。』

 

4.腕の曲げ方について

 

「御垂示録」3号

昭和26(1951)年11月15日発行

 

「浄霊の場合に腕を伸ばした方がよろしいでしょうか。」

 

『伸ばしたら力が入ります。少し曲げなければならないです。手も、あまり突っ張っては駄目です。軽くするのです。』

 

5.浄霊の距離について 

 

「地上天国」5号

昭和24(1949)年6月25日発行

「浄霊の時、手をどの位離したのが一番霊気がつよいでしょうか。」

 

『かなり遠くとも霊気はつよい。二、三間は離れてもよいが、あまり遠いと中心を外れるおそれがあるから、二、三尺くらいが一番いい所で、中心がよく合うのである。』

 

6.患部と掌の距離について 

 

「御垂示録」3号

昭和26(1951)年11月15日発行

 

「浄霊は、距離はどの程度が一番よろしいのでございましょうか。」

 

『 普通一、二尺です。場合によっては五尺でも良い。また場合によっては、力を入れない場合のは一寸でも良いです。それは自由自在です。』

 

7.如何なる場合でも、なるべく掌と患部とを離すのがよい

 

(御教え)

 

「手を離す距離は、それ程気にしなくてもよろしいでしょうか」

 

『 それは気にかけなくてよい。──仰向きに寝たままで動けない人の背中をする場合は、その患部に手を突っ込んでじかにあててやればよい。併しじかにつけてやるのは宗教的でないし、また効果も離してした方がいい。』

 

8.浄霊時は掌の指を開かない事、また場所によっては指による浄霊の方が効果がある

 

(イ)

「御教え集」4号

昭和26(1951)年12月15日発行

『 浄霊の時には指をつけた方が効果があります。というのは、こうすると(指をつける)霊がまとまってゆきます。開けると間が隙きますから、くっつけた方がいいのです。それから場所によっては、指だけで(掌でなく)浄霊する時に効果がありますから、指をあけないでつけるようにすると、ずっと効果があります。』

 

(ロ)

「御教え集」17号

昭和27(1952)年1月15日発行

『これからは、浄霊の時には指をくっつけるようにして下さい。そうすると非常にいいです。処が、指をくっつけるとどうしても力が入りますから、力が入らないようにしてくっつける事です。』

 

9.小さな固結の浄霊 

 

「御教え集」24号

昭和28(1953)年8月15日発行

『ごく小さい塊がある事がありますが、それを浄霊するには、指から霊を出すのです。これは何時もいうとおり、触ってはいけません。二本の指でこうやって中指から霊を出すようにするとよいです。この指から出る霊は強いですから、小さい固まりはよく溶けます。』

 

10.時と場合によっては寝かせて浄霊してもよい

 

(御教え)

「患者を寝かせて御浄霊してもよろしいでしょうか」

 

『 ええ構いません。病気によっては寝かせてやったらよい。寝かせてする場合でも、手は五寸から一尺位離したらよろしい。』

 

11.仰向けに寝たままの病人の浄霊について 

 

「御教え集」4号

昭和26(1951)年12月15日発行

「特に天底、肩部、頸部、鼠蹊部、横より腎臓部で、仰向けに寝たままであるため背部よりの御浄霊はできませんが。」

 

『 背部の浄霊は出来ます。手を入れて、離さなくてもぴったりくっついたままで力を入れないようにすれば結構出来るのです。そうしなければ駄目です。』

 

『(背部の浄霊は)手を突っ込んで、そうして力を入れないで霊気を入れるのですから、何でもないです。』

 

12.浄霊時放射能感があるのは本当ではない 

 

「地上天国」48号

昭和26(1951)年5月25日発行

「御浄霊の場合、主として使用する私の右の掌は、一昨年末ころからと思いますが、御神霊放射能の充満、流動、放出感があります。左の掌にはありません。御浄霊の霊力は、放射能感のあるなしによって差異があるのでございましょうか。御伺い申し上げます。」

 

『 放射能感がするのは本当ではない。右だけ出るものではない。左右同様に出るものである。私の言う通りに力を出来るだけ抜けば、そんな筈はない訳である。』

 

13.自分より上位の資格者に対する浄霊

 

「地上天国」3号

昭和24(1949)年4月20日発行

「弟子が先生を、または普通のお守の人が大光明のお守の人を浄霊しても差し支えないものでしょうか。」

 

『差し支えない。その人を浄霊する場合は、自ら位置が変わる。される方は先生でも、浄霊する場合は、神様がそのように守るのであるから、差し支えない。』

 

14.椅子を使う事について

 

「御垂示録」15号

昭和27(1952)年11月15日発行

「重病患者は疲れますので横にしますが、今の若い人達は座るという事が不自由でございますので、椅子を使うという事はよろしいでしょうか。」

 

『 構いません。それでなければ外国人は浄霊出来ません。』

 

15.一人対一人と決めなくてもよい

 

「御垂示録」3号

昭和26(1951)年11月15日発行

「浄霊の事に付きまして御伺い申し上げます。前には御垂示戴きまして一人対一人というのが原則でございましたが──。非常に激しい浄化を戴きました時分に、何人もでやって居りますのは如何なものでございましょうか──。」

 

『あの時はそうです。併し、時が進むので、年中一つではない。時が進むに従って違います。その時にあったやり方でやるとよい。そんなに窮屈に決めなくても、臨機応変でよい。』

 

16.集団浄霊について

 

「御垂示録」14号

昭和27(1952)年10月15日発行

「月並祭で多数集まりました場合に、会長には集団浄霊の御許しを戴けますでしょうか。」

 

『 そうですね。大教師ならよいです。大教師に限って………。これからはもうよいです。』

 

17.正しい浄霊の戴き方について

 

「地上天国」22号

昭和26(1951)年3月25日発行

「御浄霊は浄化したときだけやればよいという事を伺いましたが、積極的に御光を頂き、浄化を求めるため、御浄霊を受けるのは如何でございましょうか。」

 

『そんな必要はない。何故なれば、無浄化の際浄霊を戴くと、非常に骨が折れるからである。それよりも、浄化を起こしたいとしたら、信仰によって徳を積めば、魂が浄まるから、自然浄化が起こるので、それが本当の信仰である。』

 

18.重態の場合、体を診る時、先方の意志をつかんだ上臨機応変にやればよい

(御教え)

「服を脱がすのは如何でございましょうか」

 

『最初から肌を脱がせては変だが、馴染みになってからならいいでしょう。そこは臨機応変にやったらいいです。

それからもう一つ肝腎な事は、腎臓から背中にかけてで、肩甲骨の間から背骨の両側に土手のようになっている奴が曲者で、憂鬱症や、胃の悪い人は、そこに原因がある。勿論この源は腎臓であり、また腰や腹の痛い人は腎盂が原因であり、これは腎臓の少し下で、横から押すと大抵の人が痛むが、茲に熱が出やすいのです。腰、腹が痛んで、転がるように苦しんでいる人でも、ここをやればじきに治ります。』

 

19.急所の見当をつける方法 

(御教え)

 

「昨年宗教になりましてから、着物も脱がずまた手も触れませんので、急所の発見が難しく、ことに最近は以前のような講習も致しませんので、会員にも急所ということが徹底出来ないように存ずるのでございますが。」

 

『そう、そういう点は非常にあります。だから頸の廻りや肩などには触っても構いません。この触るということは、熱の有無を見るのであって、急所も大体上半身が主です。それで、第一の急所は耳下腺と頸部リンパ腺、第二は後頭部です。患者の額に触ってみて熱い時は、その原因は額の奥か、後頭部か、耳下腺にあるとみていい。だからまず額を御浄霊してみるのです。しばらくやって一寸でも軽くなり、熱が下がっていれば、額の奥に原因があるとみていい。それでも下熱しなければ耳下腺をやってみる。まだ駄目なら後頭部。それでも下がらないならば肩をやる。この順序でやってみれば、熱性病は十中八、九いいです。こういう個所に熱が出る為に咳や痰が出たり、頭がボーっとして、憂鬱になったりするのです。

また手の病気は肩が大切で、中風で手の利かないのも、しもやけも、肩をすることです。しもやけなどは手の局部だけやったのでは、一時は良くなってもまた始まります。』

 

20.急所が見つからぬ場合は一旦気を入れてすること

 

「御教え集」11号

昭和27(1952)年7月15日発行

これは何事でもそうですが、浄霊の場合も、つまり三十分なら三十分、一時間なら一時間やる場合にも、続けてやらないで一旦気を入れる………、そうしてやると効果があるのです。それで、急所を見つけようと思って一生懸命やるが、急所が見つからない。それで一旦気を抜くと、すぐ見つかる場合がある。

[浄霊法講座3]