3‐3、浄霊の順序を正しくする事について

1.浄霊の合理性について

 

「御教え集」29号

昭和29(1953)年1月15日発行

分かりやすい話が、浄霊してどうもうまく治らない、おかしいなと思うと、見当が違うとか順序が違うとか、いろいろあります。それで順序というのは理屈に合う事です。合理的なものです。だからその病人なら病人が、未だ種々反対者があったり、その人の想念が恐ろしく食い違ったりする時には、うまくゆかないのです。そのうまくゆかないというところに、また一つの理由があるのです。それは、その病人が何も分からないうちは疑いもし、反対もし、物は試しだぐらいにやるのですが、それはそれで神様から許されます。それは当たり前です。処で、相当に話を聞いたり、御神書を読んだり、中には信仰に入ったりする人がありますが、入っていながらそれに合ってゆかない想念でやってもらうと、そのときは治りが悪いのです。うまくゆかないのです。そういう事に対してちゃんと合理的の理屈があるのです。だからかえって疑っていた人が馬鹿に治り、それから相当に信じている人で治りが悪いという事がありますが、それはそういう訳です。全然知らない人はいくら疑っても、それは当たり前の事で許されるのです。理屈に合っているのです。処が相当事実を見せられながら、なお疑っている人は思うようにゆかないのです。そういう事をよく考えて見ると、ちゃんと理屈に合っているわけです。その合っている理屈を早く発見し、早く知るという事が知恵証覚です。

 

2.浄霊する時は順序を正しくすること

 

「御教え集」20号

昭和28(1953)年4月15日発行

浄霊の場合に、あらかじめその順序を知っておいた方がいいのです。気が付いた事は、二、三日前に女中を浄霊してしまってから、ああそうだ、と思って、それから奥さんを呼んだのです。その時にこれはちょっと順序が違ったな、女中の方を先にやるという事は間違っているなと思ったが、時間も夕方だからいいだろうと思ってやったのですが、浄霊中に奥さんが変な事を言うのです。普通言う事でなく、私に対する非常な侮辱の様な事をいうので、注意しましたが、ちょっと考えてみたら、順序が違っている為という事が分かったのです。だからうっかり順序を外すと、やはり何かあるのです。それで、あらかじめ知っておくべき順序は、つまり理屈に合えば良いのです。

例えば患者が浄霊に来ますが、その時に一番先にやるのは、一番重い病気の人、つまり苦痛の大きな人を一番先にやれば良いのです。それから、さのみ苦痛のない人が幾人もいる場合には、年齢順にやれば良いです。そうすれば理屈に合ってます。併し年齢順だからと言っても、赤ん坊はまた別です。ギャーギャー泣いて、いろんな事をすると他に障りますから、煩くないように早く済ますという事は理屈に合ってます。そういう事が何もない時には、まず年齢順にやるというのが理屈にあっているわけです。それから常識的に考えると、非常に身分のある人や何かで、非常に用事が多い人などは先にやる、という事も、また理屈が立ちます。それから、来た順も必要です。どっちにしてよいか分からない場合には来た順です。それから、来た順でも、苦痛のある人とか重い病気の時は、待っている人に一応断るのです。(この人は重いから先にやりますから)という事を一言断ればよいです。順序から言うと、第一は病気の重いのからやり、その次が来た順、その次が年齢順で、後は常識的に考えれば良いのです。そういう順序を乱さなければ、治りも良いし、よく効く訳です。

何故、今話した女中と奥さんとの順序が違うと何かあるのかという事は、女中を先にやって奥さんを後にすると、女中の方が上になるのです。その時の奥さんの言葉がやはりそういう様な事で、劣等と言いますか、そういうような意味の事を二度か三度言ったのですが、やはり一時的に女中より下というような地位になるわけです。

それは、霊界がそういうようになっているのです。こういう事を知って見ると、よくそういう事があります。おかしいなと思う事は、何か順序が狂うという理由があるのです。それで、こういう事は大変面倒臭い事のようですが、これが分かると面倒臭いどころではなくて、自然に気が付くのです。無意識に順序を正しくするようになります。そうならなければならないのです。

 

3.親切に公平であるべきこと 

 

「地上天国」7号

昭和24(1951)年8月30日発行

「御浄霊の際、患者に対しどの程度まで親切にすべきでしょうか。」

 

『 親切にすればする程いい。程度はないが順序は大事で、神様第一でなくてはならない。併し、人によって区別するのはいけない。どこまでも公平であるべきだ。』

[浄霊法講座3]