3‐4、その他

 

1.浄霊前に天津祝詞を奏上すべきか

 

「御垂示録」2号

昭和26(1951)年10月10日発行

「浄霊の前に天津祝詞を奏上すべきでしょうか」

 

『 それは臨機応変です。かりに大勢が浄霊受けに来ているという時は、時間がかかるから、そんなに丁寧にしなくてもよい。そういう時は(惟神霊幸倍坐せ)か、ただ黙ってお願いしても良い。インテリとか──そういうのが来た時は、一々神様にしなくてもよい。そうかと言って、あんまり区別をつけてはいけない。』

 

 2.浄霊と、祝詞、善言讃詞について

 

「御垂示録」6号

昭和27(1953)年1月25日発行

「霊の御浄霊に就きまして、お伺い申し上げます。」

 

『狐の場合は天津祝詞。善言讃詞は柔らかいから祖霊の場合です。動物霊と、はっきり判らないが──感じで、龍神とか狐と思ったら、天津祝詞です。御神前の場合はお願いしてやる。霊の手榴弾投げつけるようなものです。』

 

「祝詞を奏上しながら浄霊をしている人がありますが。)

 

『 それは嘘です。それでは自分が神様になっている。』

 

3.動物霊の時は幽世大神様にお願いの必要はない

 

「御垂示録」2号

昭和26(1951)年9月15日発行

「動物霊等は、幽世大神様にお願いすればよいのでしょうか。」

 

『そういうわけにはゆきません。動物霊は的外れです。死霊(人間の場合)に対するそれは意味があります。併しこの場合、決して悪いという事はないが、必要ないのです。』

 

4.祝詞、善言讃詞を奏げることについて

 

「御垂示録」30号

昭和29(1954)年4月15日発行

「婦人の信徒(四十八歳)二十三日より心臓の浄化、動悸激しく、圧迫感、悪寒があり、それが終わると、高熱があり、一週間続き、次に就寝中に圧迫され呼吸困難が一週間、次に胃の浄化が一週間続き、入信前飲んでいた胃散を吐き、次に頭部の浄化が一週間、次に腹膜と月経痛が一週間と、計五週間の浄化続き、また心臓の浄化となっておりますが、生卵、水を欲しがり、舌を出しており、龍神のような格好でございます。」

 

『そうです。蛇です。』

 

「以前は祝詞を奏げると楽になりましたが、近頃は善言讃詞に変わっておりますが、どういう訳でございましょうか。」

 

『それは霊の方の気持ちで、霊が好むのですから仕方がないです。客観的にどうとは言えないです。』

 

5.浄霊をする場合の信仰的想念について 

 

(御教え)

「明主様におすがりするという事は如何考えさせて頂けばよろしゅうございましょうか」

 

『急所に当てる方が治りやすいのであって、明主様に縋るという事は悪くはないが、それが余りしつこくなると自力になってしまう。要は、自分は明主様の道具だという想念で御浄霊をすればよいのです。霊にも体にも余り偏らない事が大切であり、治病の一般原則は、霊を患者の体に深く入れてやることです。例えば胸をやる場合は背中を狙ってやる気持ちで御浄霊をすればよい。病人自身に治病力があるのだから、それを利用したらよいのです。』

 

6.場合によっては浄霊前の病歴をよく聞くべきである

 

「御教え集」31号

昭和29(1953)年3月15日発行

これからは、浄霊の場合に漢方薬に注目して、どういう薬をどのくらい飲んだかという事を、時によっては聞く必要があります。けれども、ただ漢方薬の方が、毒が緩慢な性質であり、鋭くないです。併し神経痛などは西洋の薬です。だから近来神経痛が非常に多いという事は、西洋の薬の関係です。注射などは最も神経痛の原因にもなるし、それから何時も言うとおり、消毒薬というのは必ず痛みに成ります。痛みの病気はまず殆ど消毒薬と思っていれば間違いないです。処が消毒薬でもここならここが痛むから茲に消毒薬を入れたかと思うと、そうでもないのです。例えば頭が痛い人が、手足を手術した時の消毒薬が頭に上がって行って、そこに固まるのですから、とにかく痛みの時一通り手術を聞いて見るのです。そうすると一番分かります。このころ大分聞きますが、歯の痛い人は必ずと言いたいほど盲腸を取ってます。盲腸の手術が歯痛に一番現れるのです。これは思いもつかない事です。ですから歯が痛くて浄霊して、一回か二回で治るのなら、そこだけのものです。大体歯の痛みの原因というのは、歯を抜く時やあるいは歯にセメンや何かをつめる場合に、その前に消毒薬を塗りますが、それが原因です。これは前に何かに書いたことがありましたが、歯医者に行って歯につめる場合、必ず前に消毒をしますが、そうすると必ず痛みます。その消毒薬が腐って出ようとするからです。それが痛みになるのです。だから何も消毒をしないですれば、決して痛みはありません。これも実に馬鹿なものです。処が一回や二回で治らない場合には、盲腸の手術を聞いて見るのです。この盲腸を手術した時の消毒薬がだんだん上がって行って、胸を通じて歯から出ようとするのです。この、歯の痛みの原因が盲腸の手術という事は、世界的の大発見です。ノーベル賞以上です。

 

7.浄霊の際、掌の熱くなる事について

 

「御教え」

「御浄霊の際、時々掌が熱くなりますが、何故でしょうか。また、悪い所が判る人がありますが、これはどういうわけでしょうか。」

 

『この掌に火素がズンズン集まって出て行くんですから、そうなるのが当たり前なのです。温かくなるほどいいのです。私などはとても熱くなります。ですから、よく浄霊を受ける人が(熱い)という事があります。 特に悪い所の判る人は神経の鋭い人なのです。六感の感じが敏感なのです。これはある程度は修行しても判ります。併し、ゆっくり御浄霊する場合はいいけれど、幾人も次々と来る場合は、そんな事言っておられません。私はそんな事しません。ですから判らないのが普通なのです。』

 

8.浄霊を頂く人の曇りが体に感ずる事について 

 

(イ)

「地上天国」3号

昭和24(1949)年4月20日発行

「教導師中に、浄霊を受ける患者の悪い部分と同じ場所に痛み等を感ずる人がありますのはどんな訳でしょうか」

 

『人間には日の系統と月の系統の人がある。月の系統の人の場合、先方の悪い所が映るのである。月の系統の人は汚れを水で洗うからで、水が濁るのである。それと反対に日は焼く働きであるから、焼けば焼くほど火力は強くなる。以前あった人の道の教祖などもこの贖罪療法をやり、信者の病気を引き受けては、神様にお振替を願うのである。処が、願者が、段々増えて来たので、準教祖と言って、身代わりを約十人程作ったのである。』

 

(ロ)

(御教え)

「御浄霊を受ける時は欠伸、ゲップ等出ませんが、御浄霊させて頂くと出る人があります。これは如何なる訳でしょうか。」

 

『 全くおかしいな。普通受ける人が出るのですが……。これは、アベコベに書いているのではないですか。』

 

「いいえ、その通りなのでございます。」

 

『 ほほう。では引き受けるのです。こっちへ移るのです。相手の病気を引き受ける人と引き受けない人とありますが、これは月の系統の人と日の系統の人との相違なのです。』

 

「その場合、引き受けてはその人の体に悪いという事はないでしょうか。」

 

『まあ、欠伸位ならいいけど、引き受け方が重いと悪くなります。あの(人の道)の三木徳一の方がそうなんです。あれは人の病気を引き受けるのですから。』

 

「その引き受けるという事を科学的に説明致しますと、どういうことになりましょうか」

 

『月の系統だから水素で洗うのです。相手の病人に徳一の霊が行って、その穢れを洗うから、こっちも穢れるのです。丁度、洗濯するのと同じです。』

 

9.人間の体質と浄霊について 

 

「御垂示録」28号

昭和29(1954)年2月15日発行

『体質はみんな同じなのです。何故同じかというと、浄霊で治す方法は同じです。そうすると浄霊で効く人と効かない人があるわけですが、そうではない、皆同じように浄霊が効くのです。ただ薬毒の多い少ないによって長短はありますが、浄霊で治るという現れ方は誰でも同じです。こっちの痛みは浄霊で治らない、こっちの人は治るという事はありません。そうしてみると体質というのは同じなのです。人間の体は、みんな首があって手があって足があるのと同じで、みんな同じです。』

 

「体質の遺伝ですが、弱い体質とか、強い体質という事はありませんでしょうか」

 

『あります。薬の多いものは弱いし、薬が少ないと強いのです。』

 

10.憑霊も薬毒除去によって解決する 

 

「御教え集」29号

昭和28(1953)年1月15日発行

よく御蔭話とか質問に、霊的の病気のように思っている人がありますが、霊的の病気もありますけれども、ごく僅かなもので、大体は薬毒なのです。よく病気が思うように治らないというような時、質問があり〝何の霊でしょうか〟というのがありますが、そうではないので、みんな薬毒です。それから霊的の病気があるとしても、やはり薬毒です。つまり霊が薬毒で曇っていると、悪霊が憑きやすいのです。

 

11.動物の浄霊について 

 

「地上天国」3号

昭和24(1949)年4月20日発行

「動物の浄霊を頼まれますが、もったいないような気が致しますが、如何でしょうか」

 

『 観音様は虫けらまでもお慈悲を垂れ恵んで下さるから、救いの意味から言うと、動物でも人間でも同じように思っていいのである。また浄霊は下等動物程効果がある。』

 

12.病院における浄霊について

 

「地上天国」13号

昭和25(1950)年2月20日発行

「最近病院より出張浄霊の依頼を受けましたが、病院では効果が薄いと思いますが、如何でしょうか」

 

『全く効果が薄い。なるべく避けた方が良い。万やむを得ない時はやっても良いが、まあ、臨機応変にする事だ。』

 

13.死体に触れぬ事 

 

(御教え)

「感じる人が、死んだ人に手を当てたところ、それから暫くの間感じがなくて、その後またポツポツと感じるようになりましたが、これはどういう訳でしょうか。」

 

『併し、それは又どうした訳です。何も死んだ人に手を当てなくてもいいでしょう。死体にじかに触れるのはいけません。それを神様が戒められたのでしょう。やはり(死穢れ)と言って、一つの霊的の穢れです。霊が抜けて肉体ばかりになると、人間とは違う一つの物質です。昔はやかましく言ったものです。(死穢れ)と言って……。それに対して、浄霊というのは神聖な事なので、浄霊する時は神様の代理をしているのですから、死穢れがとれない間に手を当てるというのはいけません。』

 

14.浄霊とは人間を美しくする根本的方法である

 

「御教え集」29号

昭和29(1953)年1月15日発行

人間の腹の中が汚いというその事を、よく知っておくとよいです。それがために婦人などは顔色がわるいとか、顔が荒れるとか、唇の色が悪いとか言って、いろんな化粧品を使って、そうしていわゆる誤魔化しているわけです。それがために、まず美人というのは無いです。(中略)

殆ど血膿を皮膚で包んでいるのだから、奇麗な筈がないのです。私はよく言いますが〝人間は気が付かないが、人間の皮膚ぐらい有り難い物はない。もしこの皮膚が無かったら、汚くて到底人前には出られない〟と。(中略)

真善美の美という事の一番の根本は、人間の体の中を美しくするという事で、その方法は、つまり、直接には浄霊、間接には教えを耳に聞き、それから美を目から入れるという事です。

 

15.浄霊とは人類を救う神と人との共同作業である

 

「御教え集」29号

昭和29(1953)年1月15日発行

浄霊というものは、つまり美にする働きです。汚いものをきれいにするというわけです。今の世で心のきれいな人間が非常に少ないという事は、心でなく肉体が汚いのだから、どうしても浄霊ということによって、一番根本的に本当に結果を得られるというわけです。浄霊は人間を使って個人々々に掃除をしてくれる仕事です。神様はそういう方法をとられたわけです。処が霊界がだんだん明るくなる、昼間になるという事は、人間の霊体の霊身の方が全体的に浄化されるわけです。その為に、つまりいろいろ病気が起こる。だから神様の方で全体的に病気が起こるようにすると、人間の方で──救世教信者がそれを治し、汚いものを除る、出してしまうという事で、神と人との共同作業です。(中略)

薬毒が自然に除れるという事はまずないです。時々風邪引きとか下痢するとか熱が出るという事は、勿論それだけ毒が減りますが、それは僅かなものです。それで浄霊を何十回、何百回やるという事は、かなり除れます。