『東洋と西洋』

「信仰雑話」昭和23(1948)年9月5日発行

天地間あらゆるものに、陰と陽のある事は誰知らぬ者もない。そうして私はこの陰陽を経緯(たてよこ)に別けてみるが、陽は経であり、陰は緯である。この経緯を左に分類してみよう。

経――日、火、東洋、霊、男、仏教、      赤、山、昼

緯――月、水、西洋、体、女、基(キリスト)教、白、海、夜

以上は概略で、これを解説してみるが、右のごとくあらゆるものに経緯がある。例えば東洋は経であるから祖先崇拝であり、忠孝を貴び、子孫に美田を買い、厳然たる階級制度であるに反し、緯の西洋は夫婦愛が基調で隣人愛となり、ついには人類愛にまで発展するというように、緯への無限の広がりである。又東洋では男子の絶対権を認め、女性は男子に追随するものとされているが、西洋は女子の権利を認め、男女同権が当然とされている。

右のごとく、今日までは東洋は経の線を固持し、西洋は緯の線に満足していた。しかしながら、いずれの日かこの経緯の線が結んで、十字の形にならなければならない。というのは、東洋の精神文明と西洋の物質文明との結合である。この結ぶ事によって、世界人類は初めて理想の文化時代に入るのである。キリスト教の十字架はそれの暗示であり、仏教の卍も同様の意味であろう。

そうして、経は霊で緯は体であるから、これが結んで力の発生となる。チカラのチは血で、霊であり、血は人体を経に昇降しているが、カラは殻で体であり、霊の容れ物である。故に血である霊が脱出すれば、体は空となるからナキガラといい、肉体をカラダという。また人(ヒト)とは言霊学上ヒは霊であり、トは止であるから、霊が止まってヒトとなり、人というのである。人間が生きている間は立体であるのは、経である霊の物質化である血が通っているからで、死と共に横体になるのは霊が脱出して、緯である体のみになるからである。又人間立体の時は温かく、横臥すれば寒く、夜着を着なければならないのは、霊界においては火素が経に昇降し、水素が緯に流れているからである。

ここで、十字形について述べたい事がある。それは終戦前までの日本は、封建制によってあまりに経(たて)となり、階級制が甚だしかった結果、戦争の原因ともなり、人民大衆の苦悩の原因ともなっていた。そこで神様は、日本人を民主主義という、緯(よこ)の力によって救うべくなされたのであるが、これを分かりやすくいえば、経の棒である日本へ、緯の棒である米国式を採り入れ給うた。すなわち経と緯が結んで、ここに十字形の文化が呱々の声を挙げたのである。この事が分かれば、今度の敗戦は喜ぶべき事であって、実に有難い国になったのであるから、日本人もそのつもりで、将来を楽しみに、世界から仰がれるような立派な国にならなければならない、と私は思うのである。