左の一文は石井常三氏著『生気法綱要』中に掲載されたるものより参考となるべき点を抜萃要約編輯(さん)したもので、同著者に感謝するものである。
先ず、東洋哲学に於ては、五千年前支郡に於て発見された一種の精気説であって、その解釈によれば、 宇宙に遍満せる元気なるものあり、その功徳無辺無窮にして以て天地の大徳と謂い、無極又は太極とも称え、その本質は剛健・中性又は純粋性ともいうのである。又泰西の哲学に於ては宇宙の精霊又は、神と称し、万物を生成化育なさしむる宇宙力なるものがありといい日月星辰・地球も亦生気を有し、人体と雖も生気によって生動するというのである。そうして原始西洋哲学は医学に移行し、後十八世紀に至って動物電気説を生み、畢に現在の生理学となりそれ以上は未だ何等の発見もないのである。
又支郡の易経、繋辞(けいじ)篇に「生々、之を易という」とあり、之は、元気を表現したるものにして、次で 易経中にある――
「大なる哉、乾の元、万物資(より)て始む。乃ち天を統(ととの)う」
とある文字は、乾の元、即ち元気、生気、霊気にして「万物資て始む」とは、霊気によって万物が創造され「乃ち天を統う」とは、天下成るという意であろう。そうして易経の八卦の元は、日月星辰昼夜寒暑にして、悉く陰陽の対象である。即ち霊体の意味である。
右の如く古代支郡に於ても、霊体の根本義を解したに係わらず、その医術が霊を無視し薬剤等の物質にのみ依存したということは不可解とさえ思わるるのである。
又易の大伝に曰く「一陰一陽之を道と謂う之を継ぐものは善なり、之をなすものは性なり、仁者は之をみて仁となし、智者は之をみて智という。百姓日用して知らず」と、此意味は、一陰一陽とは即ち霊体にして、道を言霊にて解すれば、ミは体にしてチは霊なり、今日まで陰陽といい、ミチという如きは体を上にして霊を下にしたのである。之は全く夜の世界の体主霊従であったが為である。
そうして西洋哲学の神に対し、易経に於ては帝の字を用う。又易経に説く所の乾坤とは「乾は天にして陽、坤は地にして陰なり、陰陽の徳を合して剛柔体あり、天地の撰(かず)に体(のっと)り以て神明の徳に通ず」と、右の意味は、陰陽相合して諸力を発生し、それによって万物生成化育する。その根源は神明の徳にありとの意味ならんと惟う。
泰西に於ては、古代希臘(ギリシャ)時代当時自然哲学者等が、宇宙の構成、人間の生命、人体の生成化育、生活機能、健康・病気・気候・食物の関係等に亙って開明の緒に就くや、ヒッポクラテスは、医学を哲学より分離し、その基礎を樹立したのである。
ギリシア最古の哲学は、ミレートス学派にして、その主眼とする所は、宇宙形成の本源は、一にしてその変化によって、万物生成せりといい、タレスは、水を以て右の本源と考えたのである。そうして万物を活かす所の力は神にして、磁石の鉄を引くは神霊に基くともいったのである。然るにタレスの友人にして、火時計の発明者アナクマンドロスは、万物の根源はアペィロン(無限力)なるものが無遍に瀰漫(びまん)し、それが万物生成の根源と考えたのである。又ピタゴラスは、精霊の不死を信じて、霊魂輪廻の説を唱え、肉体を以て精神の牢獄となし、医学的に動物体の構成を研究した。次にエレア学派のパルメニデスは、万有即一之神なり、神は永久不変、不動なりと唱え、一切は無始無終、不朽不滅、平等普遍の実在であるといい、これがデカルト哲学の先駆となったのである。
ここに注目すべきは、ヘーラクライトスである。彼曰く「万物は一元にして、その化性は火の力にあり」と唱え、「生物の霊魂は、火気より成立して空間に瀰漫せる生気なるものによって体内に入りて成る。人死する時は、生気は体より四散して再び宇宙の生気と合一す。されば霊魂は火気多くして乾燥せる程いよいよ完備し、従而、叡智高し、之に反して水分多くして、火気少きほど益々遅鈍なり、又よく活動を保持する為には、断えず五感及び呼吸作用によりて外界の光線及び空気中より生気を体内に摂取せざるべからず」と唱えたのである。
次いで、エムベ・ド・クレース出でて多元論を唱う。彼曰く「一切は一元に非ず、多種多様にして、元素の離合集散によりて万物は形成されるのであって、換言すれば、その組合せ方の如何によるのである」といい、今日の原素の観念を初めて唱え出したのである。次いで、アナクサゴラスは更に一歩を進めて、「物質が離合集散の運動があるは、一種の規律の下に進行するのであり、故に、機械的作用のみではない」として種子説を樹てたが、其後アトム説出するに及んで、多元論はその頂点に達し、普遍不滅の微小体をアトムと名付けたのである。
次で、希臘の自然哲学者デーモクリトスは熱心に人体の研究をなし、自ら医術を施し、病理に関する多くの記録を残したのである。又アルクメオンはピタゴラス学徒にして、哲学者であり、又医学者であるが、眼の解剖に就て貢献する所あり、そうして脳を以て精神の中枢となし、管状の通路即ち神経により感覚を脳に伝達するものとなし、動脈管と静脈管との区別をたてたのである。次いでディオゲネスは 活動論を唱え、多元論を誤謬なりとし全智全能の力によって生物の生活現象が生れるというので、彼は肝臓及び脾臓に属する二大脈管と、大動脈大静脈頸動脈頸静脈に就ても述べたのである。
ヒッポクラテス(紀元前四六〇-三七七)以前の医術は専ら僧侶の営む所であったが、彼出でて初めて学術的に系統をたてた。勿論其当時天文・数学・生理・解剖等も漸く独立の機運に向い初めたのである。其他ソフィストの懐疑派の破壊的、反道徳的哲学を打破った彼のソクラテース(紀元前四六九-三九九) が出するに及んで、哲学的に論理、道徳の基礎を築き、「先ず汝自らを知れ」といって人々を戒めたのである。
ヒ氏学徒の唱えたプネウマ説は二千年の久しき間、医界に於て抜くべからざる根底を占めた事は人知る所である。それは精微にして宇宙に遍満するエーテルこれをプネウマと名付け、之が呼吸によって、空気中より摂取せられ、心臓を本拠としてここより脈管に入り、以て生活機能を支配し、就中(なかんずく)体液の分泌を営む器管の作用を調節するとなし四液説を生み、液体病理説を唱え、生理を云々し、神経と筋とを同一見做し、共にノイラと呼んだのである。又ソクラテスの哲学は三派に分れ・ プラトン及びアリストテレス起り、二大哲学系統を組織するに至り、ギリシアの思想界は隆盛の極に達したのである。そうして此二種の理想主義は、生命の根元は非物質的なる霊魂の営む所であり、プネウマは単に此霊魂と結びついて、その作用を媒介するに過ぎざるものといい、而も興味ある事は、生命の直接の根元は「温」 であるという考えは、太古以来此時まで変らなかったのである。又アリストテレスは、栄養、生殖、運動、感覚等の人間と動物との関係を明かにしたことである。
此時代に於ける希臘哲学は唯物論に傾き、感覚論、経験論の基礎を造り、それが医学に反映したが、又一方宗教時代に入り、その教義と神秘主義と連関し、迷信が盛となり、以て中世紀に於ける暗黒時代を胚胎する事となったのである。
次で、アレキサンドリャ時代に移り、自然科学即ち天文、数学、物理学等の進歩は、引いて医学にも及び、特に解剖学は進歩著しく其当時死体のみならず、犯罪者を捕えて生体解剖を試み、或は薬物試験に供したのである。かくしてヘロイス(ヘロフイロス)(紀元前三〇〇)は、人体解剖の鼻祖と称せられ、頭部静脈窩を発見し脳膜・延髄、殊に真の神経を発見し、又薬物療法に於ても功績を残したのである。
アレキサンドリャの栄華一朝にして消え、ローマ時代に入るに及んでギリシア医方を羅馬(ローマ)に伝えたアスクレピアデス(紀元前一二八―五六)は個体病理説を創立し、此学派より医学中興の祖たるガレーン(ガレノス)が出たのである。ガレーンは、頗る巧妙なる方法を以て医学と哲学とを結びつけ、打って一丸となし、それが千五百年の久しきに亙って医界を独専したのである。彼は観察と実験とが医学的知識の根源でありとなし、人体の構造、官能を知らんとして解剖及び生理の開発に意を注いだ。之等によって、当時造物主の全智全能により創造せられたる万物は、善美にして目的を有するというキリスト教及びアラビア人の教義と反する故を以て、終に転覆せられたのである。彼は又、プネウマ説を主張し、之を三つに区分し、霊魂のプネウマは脳髄中に位し、思考、感覚並びに随意運動を主宰し、生活のブネウマは心臓に位し、脈搏、血行、温の調和を司り、自然のプネウマは肝臓に位し、血液、栄養、成長、分泌、生殖等の機能を司る。そうして之等ブネウマはストア学派の所謂宇宙の生霊――即ちエーテル様の物質にして、空気中より肺により体内に摂取せられ、断えず補給せらるるものなり――というのである。
其後、ビザンチン帝国の建設と滅亡とを以て中世紀を画し、紀元後二、三世紀より六世紀頃に渉って ローマ帝国の衰運に代って北方ゲルマン人の南進となり、民族移動は十字軍の遠征となり、混乱の極、学術技芸の頓挫を来し、それが基督教の根底を固めしめ、新プラトン学派、スコラ哲学等も出でて、神秘主義と迷信は、その勢を逞しゅうしたのである。従而、学術研究は衰、占星、錬金、魔術等の迷信が盛んになった事である。
然るに、中世紀の迷信時代も漸く衰えるやローゼル・バコは眼の調節に初めて眼鏡を応用し、アーノルド・フォン・ウィラノバは、酒精及びテレビン油を精製し、ペトラルカ出で、医学革新の予言者的績を遺したのである。 次で、ルネサンス時代となり、文芸の復活・宗教改革・哲学発展となり、十八世紀に入るに及んで政治の革新となり、十九世紀より科学万能の時代となり、カントによりて再び哲学思想の勃興をみるに至ったのである。又、医学に於ては、十六世紀は解剖学の革新を生み、十七世紀に至って生理学の発達となり、十八世紀に於て病理学の開発をみ、十九世紀に入るに及んで、基礎医学の進歩と、細菌医学の発達をなすに至ったのである。
又、コペルニクスの地動説が発展して大宇宙の成立より、万有は何れも極微なるモナドと称する原子より成立し、このモナドは、神の力の個々に分表せるもの――という説を樹てヂオルダノ・ブルノー出で、バラツェルズスの大宇宙対小宇宙論となり、地理、植物、鉱物等の学問も発達したのである。
医学に於ても革新の機運起り、ガレーン(ガレノス)の旧説は打破され、ベザリウスは解剖学に於てガレーンの説の誤謬を指摘し、外科医術の進歩著しく、当時激烈なるペスト、梅毒等の流行病に対し、勇敢に戦ったのである。是に見逃す事の出来ない事は、医学の鬼才バラツェルズス出でて「自然界の現象を探求する唯一の道は哲学なり、故に医家にして哲学を知らざるものは、裏門より忍び入りて人を殺害する盗賊である」といい、又「余は、広大なる自然の門に入れり。而して、余の道を照すものは、灰暗き売薬舗の灯に非ずして、赫々たる自然界の光明なり」と。彼は又「万有は一の元素より成り、此元素は無形無色無声にして測るべからず、之を不可思議物という。此大不可思議物中には、凡ゆる力が包蔵され、一種の神秘力、即ち神の意志で、それによって万物は化生されるので、一切の根源は同一にして、ただその表わるる形状、様式に於て異るのみ」となし、彼はこの力をアルケウスと名付け、万物の生命の根源となし、人体は大宇宙の縮図にして小宇宙とみるべし――と言ったのである。又、彼は疾病の治療に於て、治病の神力をアルカナと名付け、何れかの薬物中に包有せられていると思い、これを発見するを医の急務なりとし、以て薬物精製の緒を拓き、又他方、自然を最良の医となし、大いに自然療法を鼓吹したのである。
近代医学の発祥と哲学と、科学が結合をなした十九世紀時代は、経験学派ベーコンに発して、ロック、ヒュームにより大成せられ、英国をその根拠地とし、推理学派はデカルトを祖とし、仏及び和蘭に勢力を扶植すると共にデカルトは、生気説を主張したのである。彼曰く「物心を比較するに、一は、運動、 大小形状等を表わすに反し、一は意志、感情、欲望等を示している。故に物と心とは全然相違せるものであるが故に、身体及び精神なる二元論が、古くより行われたのである。従って万物創造は、その源たる神に求め、数学や物理学による機械的には説明なし得ず」というのである。
そうして一切は永久不変にして、融通無碍なるも、運動や量の増減は一の法則によるとなし、宇宙を 一大機械とみなし、数学的、機械的にその現象の法則を探求しようとしたのである。又、彼は有機物も 無機物も、それを構成する物質の集合の差異に帰し、生体は一の機械にして、生命は一の転期なりと思い、動物生気説を樹てたのである。故に、動物生気は、体の栄養、生殖、成長等の物質的現象を司り、精神は非物質的にして思考を司るものなりといい、又、彼は動物体を一の自動機械となし、動物生気は 血液が心臓に於て温められ、脳に往って冷却され、次いで濾過せられて成る所のものにして、神経に入りて体内に流れ、神経に刺戟の来るや、生気の為に神経に震動を起して脳に伝達し、更に方向を変じて 筋肉に分布せる神経に伝わり、反射的、機械的に筋肉の運動を起さしむるものなりというのである。彼は又、松果腺を以て、精神の座位となし、脳の他の部分は皆総体的に二つあるも、ただ一つあるは松果腺なり、即ち統一的なる人間の精神は、二個の機関に宿ると考えられず、故に外界の刺戟に、神経の震動を起し、之を伝達して松果腺に至るや、精神は之を認識したる後、動物生気の媒介により、神経に於ける震動の方向を変じて筋肉に向わしめ、ここに意志的の運動を起さしむるとしたのである。
茲で面白いのは、十八世紀の第一期、医学系統学派時代に於てスタールは、生の研究に一歩を進めた。即ち死後忽ちにして腐敗すべき動物体が、生活せる間は断えず温熱、湿気等腐敗を促すべき原因があるに係わらず、毫も腐敗せざるは何故なりやの問題に逢着し、彼は物理も化学も之に解決を与うる能わざるものとし、終にこれを生活そのものに帰するに至った。即ち、外力によりて運動すべき機械と、内部の衝動よって運動すべき生体とは全く別物にして、後者には前者に見るべからざる一種の力、即ち、それを生気となし、之をアニマと名付けた。
彼曰く、アニマは生活の根源にして、身体各部門をして自体保続と調和の作用を営ましめ、すべてを主宰するのである。そうして此主たるアニマと従たる肉体との媒介を司るものは、即ち神経である。胎児はアニマによりて母体中に宿って各々目的に応じて機関を形成し、すでに生育すれば外界の破壊力及び腐敗力に対して肉体を保護す。故に破壊力にして一定の限度を超える時はアニマの力極って死を来すのである。又健康を保つ為アニマは神経の力を借り、生体の消費によりて作られる老廃物を排除し、食物の摂取によりてそれを補い、又神経によりて感覚及び随意運動を営む、特に重要なるものは心臓運動及び生体の緊張性なりとす。故に、緊張性の異常の如きは、その原因はアニマの萎縮にあり、従而、疾病を以て、アニマが体内に侵入せる害毒を排除消滅せんが為に行う種々なる運動現象というのである。従而彼は治療法に於ても自然良能に重きを置き、医は之を補助するに過ぎずとなし、プァラ・ツェルズス(パラツェルズス )と同じく、解剖学を以て無価値であるとしたのである。
当時ハーヴェイ以来の機械説に風靡されていた医界に於ては、右の説に対し多くの傾聴者を見出し得なかったが、遂に風潮は一新して十八世紀後半より十九世紀の初めに及んで、生気説を惹起するに至ったのである。
其後、ハルラー(ハラー)出でて刺戟説を唱え、実験生理学は更に進歩をなし、此刺戟説を実地に応用せんとした。ここに見逃すことの出来ないものは、此説から生れたものに、神経病理説及び生気説である。又、この生気説はボルドー及びバルテー(バルテス)に至って大成されたのである。
ボルドーはナチュラと唱える一種の神秘力を認め、此力によって、生体の秩序及び調和が保持せられ、 運動・感覚等、すべては此ナチュラが主宰する、其場合ナチュラは、脳及び太陽叢(そう)に座位を占め、神経の媒介によって生体の諸部を支配するのである。又各部に於ける相互の交感を司り、体の一部に変動があれば、他部も之に応じて変動を起すといい、ナチュラはスタール(シユタール)のアニマ説に、ハルラーの刺戟説を加味したともいえるのである。
ボルドーが研究の結果、腺の構造とその分泌作用は、物理及び科学的にこれを説明する能わず、全く腺に一種の不可思議力ありて、血液によって昂奮され、血液中より必要なる物質を索引し外へ出すのである。故に体の各部は各々の生気により起きる特殊の生活現象であるというので、之によって人体組織学の基を開き、又細胞学説の先駆となったのである。
一七八六年、伊太利人ガルバニ(ガルヴアーニ)が、動物電気説を唱え出した。それは蛙の座骨神経をとってその一端を切り、その断面を筋肉に触れると、その瞬間、筋肉の搐搦(ちくじゃく)を起すのを発見した。之が神経病理説及び生気説と相応じた動物電気説である。従而、彼は電気を以て、凡ゆる生活現象の根本となし、脳を電気の発電所となし、神経によって体の各部に伝播し、以て人体生活を営むものというのである。そうしてフワフは、動物電気を以て刺戟及び感覚性の原因となし、ブランディスは電気即ち生活力と唱え、フンボルトは、電気若しくは之に類似せる力が、神経作用の根源をなすというのである。
其後十九世紀に入って、動物磁気説が起った。彼のメスメルは、磁気を治療上に応用せんとする中、人間の掌より発生する事を知り、その原動力は、術者の意念を患者に集注する為である。然し此説は一時は誤解を受けたるも、遂に熱心なる学徒を得、漸く世人の注目する所となり、其結果、有力なる支援者も表れ、フランス全部にその勢力を扶植するに至った。又、スエーデンボルグの神秘主義等も現われ、 催眠術も盛んとなったのである。
普国政府は、医師ウェルファルトをメスメルの許に派遣して、此法を修得せしめ、一度独逸に輸入するや、哲学者セリング(シェリング)及びその学徒等之に賛同し、何れも術者の身体各部より一種のエーテル様の物質迸(ほう)出して治療するものとなし、知名の学者医家等之にサインするもの頗る多く、所謂メスメリズムは独逸を圧して、磁気治療所の設立が各所にみられたのである。
十九世紀中葉に至ってプレイドは一新説を開いた。之は現今の催眠術にして、ここに全く動物磁気説を脱却したのである。一八四一年彼は偶然、光輝ある物質を暫く凝視する事によって、催眠状態に入る事を発見し、之を応用して盛んに神経病の療法を行ったのである。
十九世紀に於ける自然科学の驚くべき進歩は近代医学の建設となり、実験生理学による医学の研究は、生活現象を理解せんとして物理科学の応用に専念したが、研究すればする程、無数の疑問を生ずるのである。是に於てか新生気説なるもの表わるるに至った。即ち物理科学の力を以てしては到底生活現象を説明する事が出来ない。従而、生物にのみ特有な或力の存在を認めざるべからずというのである。プンゲ・ノイマイスター・リンドフライシュ等の如きは、即ち新生気論者中の錚錚たるものである。そうして新生気説に於ては自然科学以外の或原則によって生活現象が支配せらるるという点は、旧来の生気説と同じであるが、後者が生活力なる不可思議の力を採用した事は一進歩といわなくてはならない。