『或記事』

次に今一つ付録として桜沢如一氏者、成史書院昭和十六年十月五日発行の、題名『日本を亡ぼすものはたれだ』の中に「西洋医学の現状」という項目があり、なかなか面白いと思うから、爰に抜載する事にした。

十八世紀に旭日昇天の勢を以て発達し、十九世紀末葉にその全盛を極めた西洋医学は、その切支丹伴天連的テクニックー即ち顕微鏡とメスと、麻酔剤と血清や光線の如き薬物、物理療法――を以てすっかり欧米全体の大衆を籠絡し瞞着した。開国と同時にこの西洋医学に馳せつけた日本人は、その生来の徹底的没頭を好む精神からこの眩惑すべき医術に深入りする事に人後に落ちなかった。それが為には、

数千年来の伝統を直ちに放棄し、之を再吟味さえ惜んだものである。

然るに西洋では二十世紀に入るや、すでにこの分析的な西洋医学の功過漸く明かとなり殊に欧州大戦に於て西洋科学文明理想幻滅の悲痛を味い、不安の深淵に沈んだ人々は更に不治病の増加と死亡平均年齢低下の脅威の為に、科学の仮面をつけた医学に対しても信頼を失って了つた。実際の処私の寡聞の範囲ではあるが、欧州知識階級で、今日尚所謂西洋医学を信頼する人々を私は殆んど知らないのである。それを裏書する事実を例示する事は最も容易な事である。――これはドクトル・アランジー氏の明言せる如く、西洋文明国に於ける今日の医師は患者の御用聞きであって或は繃帯をしたり、手術をしたりする一種の労働者であるか、或は精神病院という実は牢獄兼下宿の番人であるか、或は色々な証明書例えば労働不能、糞 便検査、死亡証明等――の署名を専門とする一種の代書業者として漸く生活の保証を得ているのである。医術を職業にまで低下せしめた医師は一種の社会的寄生虫であるが、その病人への寄生生活も、もう行き詰ってしまった。又一九二九年以来毎年、私は仏国医師会会長が全国中等学校卒業生に一々通信を以って医者となる事を断念する様に諌告しているのを知っている。それによれば、仏国はも早医者で充ちている。 即ち人口千五百人に対し一人の医者がいる。此統計的数字的事実は、医者の生活安定を、その恒産によって保証され、医術を以って世に貢献奉仕し、何等報酬給付を目的としない者でない限り、医家志望は断然中止して欲しい、というのである。アランジー氏の言う如く、実際西洋医学及び医者は名誉を失い其上信 用をも失い、遂にパンをさえも失って了っているのである。非医学、非医者の流行は日を追って進み綜合医学はその先頭に立っているのである。これがフランス人のみでなく、欧米全体である事は「西洋医学の新傾向」で了解されょう。かくの如き実際を日本人が、まだ知らないのは一見、甚だ可笑しく信じ難い様であるが、それには訳がある。即ち日本人はまだ西洋を知らない。まだ切支丹伴天連奇術に眩惑されているのである。そして明治開国以来七十年一日の如く、その眩惑的奇術的方法――メス、光線、顕微鏡、麻酔剤、電気、磁気、或は新しい薬物等の無限の新手法をのみ求める為にこそ、年々莫大な費用をかけている。彼等は一度西洋に渡るや、追々影のうすれて行く西洋医学の研究に没頭して、広々とした西洋の天地を眺める様なことはしない。大家になった教授達が派遣される時は、勿論、昔馴じみの畑ばかり見て来る。 然し断っておきたい事は私が西洋医学や医者を非難しようとは夢にも思っていない事である。彼らはそれを、よし教授にもせよ開業医にもせよ、職業――パンの為に――しているのであるから、余剰価値を搾取する人々や、他人のXを盗む人々が許されている様に、この寛大な娑婆世界では更に非難すべきでない。 たゞ同じパンを求めるにも、他人の罪悪や病気のおかげでパンを得たり、人類全体を病弱と享楽によって(医薬により自然淘汰機構を害し)破滅の淵に陥入れる様な罪業を積まねばならない人々は、パンの為に海を漁り、山に鳥獣を狩り、生類の生命を断つ様な生業をせねばならない人々よりも、もっと気の毒な籤を引いたものだと思うだけである。他人の財を盜んで自分を直ぐ罪に晒さねばならな様な境遇の人々の方がよほど罪は軽小である。と思っだけである。と云っても、医者に苦しめられる人々を気の毒だなどと云う様な事も夢にも思うべきでない。彼らが医者に搾取されるのは(財にもせよ、生命にもせよ)丁度ベラ棒が泥棒に於ける如き関係を持っている。彼らが医者を作るのであるという点から云えば、彼らの罪が重い。然し、彼らが苦しめられるのであるから、その罪はいくらか、償われているとも云えよう。