御蔭話 岐阜県K.N. (昭和二四年四月八日)
二月一二日の事でした。私の家へ二台のトラックが来ました。兄が薪運搬に頼まれて来たのです。その時兄は私に一人では手が廻らぬから奥へ行って薪を積んで来るように命じました。五寸程の降雪でうすら寒い朝でした。二〇町程の林道の急坂路をスリップしながら上って漸く目的地に到着し、汗みどろになって運転手達と自動車一ぱいの薪を積んでロープを締め「実に立派な荷物だね」などと笑話を言ったのでしたが、私は余り沢山積み過ぎたのではないかと心配しましたが、運転手達は一向平気ではや出発の準備を始めました。私は知らぬながらもトラックの各所を見廻しておりましたが、エンジンが唸り始めたので運転手と助手の間に腰をおろしました。行く手はゴーゴーと飛沫をあげて流れる谷川で右は山という急勾配の下り坂を物の二、三分も走って行った時の事でした。急に運転手がアッと叫びました途端に「駄目だブレーキが切れた」と言いました。次いで急ブレーキを引いて見たが駄目らしいのです。自動車は益々加速度がついて来るのです。
私は心の中で、アア光明如来様どうぞ私共を・・・・私は必死で手を合わせてしまいました。だが依然として自動車は物凄い勢いで走ってとまりません。運転手はもう駄目だ、ひっくり返して止めようと思つたのでしょう、急に右の山へぶっつけてしまいました。アッという間もあらばこそ自動車は谷川の中へひっくり返ってしまいました。途中の私達には後側のガラスが砕けてガチャガチャととび散るやらペンチ、プライャ、スパナ等道具類がとび出して来るやら、目もあげられない程でおまけに腰掛が外れて体の激しい動揺に目も眩む程でした。漸く身体が落着いてみると車の油や、コールタールがタラタラと頭上へ降ってくるので、アア仰向きになったのだなあと初めて意識したのが可笑しい位でした。途端に私は運転手達の身の上を心配し思わずドキッとして見廻すと、私の足下に運転手が腹這いになっているのです。「どうだね、大丈夫ですか」と言うと「うん大丈夫だ」私はホッとしましたが、アア自分達は光明如来様の御利益で助かった、有難いと思う心が一ぱいになって来て、思わず「運転手さん僕は光明如来様のお守を持っていたから大丈夫だったんだよ」と言うと運転手さんは暫く沈黙していたが「オヤ助手公は」と言うと突然「光明如来様どころじゃない、オーイオーイ」と言って呼びました。私もフト心配になってしまいました。すると助手は道路上に靴を片方持って立っているのでした。「何うだね、どうして出て来たんだ」と聞く二人の言葉の終らぬ間に彼は「僕はねえ、車体が横倒しになったトタンにドアーが開いて又一廻転する間にこぼれ落ちたんだ」と呼吸をはずませて言ったので皆一時にドッと笑ってしまいました。やはりそれは助かった喜びから漏れた言葉なのでした。私は昭和二一年の七月三〇日に揖斐郡T村のY先生のお家へお参りして、愛知県一宮市のW先生よりお光を拝受したのですが、それ以来Y先生および私の村(本巣郡S村)のH先生の御情深い御指導をうけておりまして、光明如来様の力徳と御慈悲のお話をお聞きしていたのですが、この度の様にハッキリと御利益を頂き御救いにあってはもう何も疑うことも出来なくなり、以来本当にありがたく感謝の気持一ぱいでお参りを続けて、先生から種々お話を伺うのが楽しみになり日々の家業も面白く送っております。私は何時も思うに自分はどうしてもっと早くこの道を求めなかったのか、又人間はどうしてこんな立派な御教えを御利益を御力徳を信じられないのかと他の皆様の事が思いやられます。謹んで御礼申し上げます。