「馬車との接触事故に御守護」

御蔭話 岐阜県I.M. (昭和二五年一一月一五日)

私達家族八人は、昭和二一年三月入信以来、数多くの御利益を頂き、家族一同、感謝の日々を過させていただいております。その喜びの一端を御報告させていただきます。

昭和二一年以前は、病人のたえまなく、お医者さんとも薬屋さんとも大の仲良しでした。村の人からも不思議に思われる程煩いました。子供も大へん体が弱く、滋養剤をのませているにもかかわらず、少しも丈夫になりませんでしたが、今では私の家には病神は去り、家中光明如来様のお光で明るい毎日を送らせて頂いて居ります。

私は特に次の如き尊い御利益をいただきました。

それは、今年の四月二一日、壁を修理するため、荷車に箱五箇をのせて、通称地獄谷と言われる狭隘(きょうあい)な坂道にさしかかった際、後より馬車がやってきましたので、少し広い所で、馬車を避けるため車を止めていました。馬車が私の車の横を通ろうとした時、荷車の後にひっかかったのでしょう。私はハッとして「光明如来様、光明如来様」と念じました、ガラン!ガラン!と音が聞こえるだけで、私はもうなにもわからなくなりました。私は車と一緒に一丈五尺余りもある石垣の下へ転落してしまったのです。

暫くして気が付いて見ると、私は一寸した木につかまっているではありませんか。私は我知らず「光明如来様」を唱えて居ります。車の梶棒に肩組をしていたのに、どうしてぬけ出ていたのでしょう。有難き光明如来様の御守護だったのです。有難くて有難くて涙が止めどなく流れます。馬車に乗っていた人や馬子は、石垣の下に落ちて、どうなったことかと思っていたのでしょう。「M、M」と私の名を呼んでおります。私は、その木のそばで「おーい」「おーい」と答えますと「おお」と、びっくりして「アッ、Mがよんどるぞ」と、叫びながら、下へ降りてきてくれました。そして、私の掠傷一つしてない元気な姿を見て「全く不思議や、こんな高い所より落ちて、よう助かったもんや」と、高い石垣の上を眺め茫然としていました。

車はひっくり返り、梶棒は折れて居りました。箱の一つは鉄道よりも下の川原まで、飛んでいるではありませんか。折れた梶棒を引き、壁の土を取りに行き、土を箱に入れながらも、余りのうれしさに目頭はあつくなり、家内と共に善言讃詞を唱えさせていただきました。妹は、早速家にかえり子供等と共に、光明如来様に御礼申し上げました。

G先生が大光明如来様のお祭にきていただく時、現場をみていただきました。「Iさん、尊い御守護をいただきましたね」と仰言っていただきました。私は、この偉大なる御利益をいただき、勿体なさ、有難さに、ただ黙ってはおられず、つたなき筆を顧みず、謹みて御報告させていただきました次第でございます。この尊い御聖業に一日も早く、一人でも多くの人がはいれますよう念願いたして止みません。明主様、有難うございました。(合掌)