「米軍トラックに追突されるも無傷」

御蔭話 東京都S.T. (昭和二人年四月一七日)

明主様、日々の御守護の御礼と御報告を申し上げさせて頂きます。

私は昭和二七年一月一三日栄ある御守様を拝受させて頂き、今日まで絶大なる御守護を頂き、特に貧の方の御守護は毎日の如く、感謝感激に堪えず日々を送らせて頂き、この度は又身に余る御守護を賜わり、ここに御報告を申し上げさせて頂きます。

私は土木建築請負をさせて頂いている者でございます。二八年三月一三日、一つの現場を見終り次の現場に行かんとオート三輪車にて京浜国道を走っておりました処、後方より突如自動車の音がし、バックミラーを見た途端、米軍特大トラックが疾走して来たのでございます。「アッ」と思うまもなく爆弾でも落ちた如き物凄い音と共に私は乗ったまま、前に飛ばされました。無我夢中で「明主様」とありったけの大声で叫んだと思う途端、三輪車はころがり私は外に投げ出され、米軍トラックの前を最後まで逃げきることが出来たのでございます。立上って体をたたいて見たのですが、痛い所も何もございません。思わず全身火の様な感激の涙と共に、熱海の方角に心から合掌御礼申し上げたのでございます。

直ちにMP、MPIS(憲兵隊調査課)日本巡査等が見えた甥ですが、余りに大きな事故、余りのオート三輪車の壊れに驚き、「死体はどこだ、怪我人はどこだ、運転手はどこだ」と探し廻り、私だと言っても本当にしない様な有様でございます。やがてMPが三人の目撃者を連れて参りましたがその話によりますと、私の後方より来た弾薬満載の米軍トラックは物凄いスピードで私の三輪車に追突し、その瞬間、私が乗ったまま地上一米も飛び上り、そして下に叩きつけられ、それでも 米軍トラックは止らず三輪車をごろごろ転がして進み、その時たまたま物凄い突風が起り、私がその風に捲込まれて、ふーっと横に出されたそうでございます。そして三輪車はそれより左の方に行き、電柱を折って塀に突き当り、止ったのでございます。米軍のトラックはその先に止り、私は又その前方に止つたのでございます。追突された地点より私の止つた所まで七○米ありました。MPも色々調査するのでございますが、追突された地点より七○米も前方に止り、然も人間は何事もなく立って居りますのでこんな大きな自動車事故も珍らしいが、こんな不思議な事も珍らしいことだと只々驚くばかりでございます。

四時間半の長い調査が終り、私はすぐに中教会へ御守護の御礼参りに行きました。玄関を入った途端、感激の涙に口をきく事も出来ず、御神前の会長先生の膝に取りすがり、何事も言う事が出来ず、只心の中で御礼を申し上げる事しか出来ませんでした。

明主様、御忙しい御日常にもかかわらず、穢れ多き私如き者の為に御心を汚し、身に余る御守護を頂き誠に有難うございました。そんなにひどく破損した三輪車も肝腎なエンジンは何事もなく、板金部分だけなのでございます。又事故の原因は米兵のスピード違反、追越不注意との事でございました。

世の如何なる不祥事の場合にも御守護はかくして頂けると現実を御示し頂き、確信を新に致し感激の余り拙文をも顧みず謹んで御礼と御報告を申し上げさせて頂きます。明主様、有難うございました。