「進駐軍車に轢かれるも無傷の御守護」

御蔭話 福岡県Y.A. (昭和二七年三月一日)

明主様、入信以来限りなき絶大なる御守護を戴きました事を謹みて御礼を申し上げますと共に、数々の御守護の中より拙文乍ら御報告さして戴きます。

昭和二五年八月優しき叔母と母の導きにて入信さして戴きました私は、元来唯物思想にこり固つた愚者でございました。神様の身近に輝き給う事も知らず一年近くを盲の姿で過しました。

その間、母が二階の欄干にて洗濯物を、物千に掛けている最中、腐れた欄干は母の重みで根こそぎくずれ落ちたのにもかかわらず母の身体は宙に浮いて、当然欄干と共に転落せねばならぬ身を神の御守護で教われたり、或る時はお隣の奥さんが蒲団の綿入れの最中針を失くして困っている時、母が二、三回手を翳すと、二人がかりで一時間以上も探して見あたらなかった針が不思議にも現われ出たという奇蹟、又或る時は一人息子のS(二歳)が、中毒に罹り、大変苦しそうにしていましたが、母の御浄霊でその翌日から平常と変りなく遊べる様になりました事等、その他数限りなき御守護の偉大なる様を眼前に見るも、頑迷なる私はそれが偶然の現象と自分一人の解釈をなし、母の再三再四の注意も馬耳東風、御守様は柱に掛けたままの日が多く、まったく、もったいない日を過して居りました。

処が昭和二六年五月三日、棚の書物を整理中、身体の中心を失って踏台より畳の上に落ちました。丁度その下に熱した薬缶のかかった火鉢がありましたので、首の辺をかなり激しく打ちましたが、御守護を戴きまして湯もかぶらず後頭部も打たず、又打った首の辺も別に痛む事なく済みましたのでその時は御守護の程も思い出せず、せめて怪我のなかった事を何よりと思い、その日を過しましたが、それから一〇日目の五月一三日私の身体に大きな奇蹟が生じたのでごさいます。

その日は丁度、T遊園地前に住む叔父の誕生日で、お祝に行く途中の出来事でございます。○町からバスに乗った処、車中偶然戦友に遇いまして久方振りの懐しさに夢中で話をしている間にT町に着きました。大あわてで下車し、平常なればバスの後から道を横断するのですが、魔がさしたと言うのでしょうか、その時に限って前後の注意もなく、私はいきなりバスの前から一三間道路に飛出したのです。その瞬間、私の身体は超スピードで驀進して来た進駐軍専用車に真正面にぶっつかり毬の如く五、六間撥飛ばされました。以下夢中。

バスの中からも歩道の人達もこの光景を見て異様な声を発して、私に視線を向けた事でしょう。近くの人がよって来ました。進駐軍の人達も車を止めるとすぐ近づいて来ました。それが一瞬の出来事でした。

そしてここに大奇蹟が生じたのでございます。アッという間に毬の如く撥飛ばされた私は、五、六間先にかすり傷一つ無く立っていたのです。見物人も進駐軍もあまりの離れ技に驚いて首を振り振り何か割切れない様な顔、顔、顔ばかりでした。

だが一番驚いたのは当の本人の私です。当然車の下敷か大怪我をしていなければならないのに何という奇蹟でしょう。私はあまりの不思議さに身体全体をさわてみました。すると指先に何かさわった様な気が致しました。心を落着け良く触って見ると、今まで脳裏になかった御守様に気が付きました。そしてその時初めて神様の存在を知る事が出来ました私は、本当に心から有難いと思いました。これが長い間気の付かなかった神の御守護であったと思うと、只もう有難くて有難くて今日まで知らぬとは言え数々の御無礼がもったいなく、叔父の誕生祝もそこそこに急ぎ我が家に帰りました。母にその由を話すとあまりの御守護の偉大さに感涙、二人して御神体に御礼を申しましたその時の気持は何とも言葉で言い表わす術も知りません。明主様有難うございました。