御蔭話 大分県T.I. (昭和二五年一一月六日)
私は昭和二四年一二月一一日入信を許されしよりこの方数々の御利益を頂きましたがその内で特に驚異に値いするものをここに御礼と共に御報告さして頂きます。
私は理髪の傍ら副業として銭湯業を経営しているものでございますが、農村の関係上料金安にて水道は引けず、これが為二カ所に井戸を持ち、モーターにて水揚げをして居ります。処が大量に水を使用致しますと次第に水質は悪化致し、パイプの内経は小さくなり、遂に浴槽のウメ水のパイプは多年の水苔硬着し、一滴の水も出なくなり、お湯の熱くなるに従って顧客から頻りと騒がれ、遂に贓声さえ上げる様になりました。サービスをモットーとする我々業者としては大なる黒星にて、頭は早鐘を乱打するが如き焦燥にかられ、急拠して家族を叱咤し馬穴注水に大童です。今思い出しても苦笑せざるを得ません。されどこのパイプはタンク(水槽)より隔る事約二間、それを片仮名のコの字を上に向けたuの様に地下に埋め、コンクリートにて塗装してある関係上、そう軽々と掘り上げて清掃の出来るものではありません。随分と思案を廻らし、地面に露出せるパイプを金鎚にて叩く等致しましたが、よく熟考してみると、水のつまるという事は地下に埋めてある屈曲パイプの障害であるべき事に思いを致し、遂に掘り下げを決意致しました処、去る二月項『救世』新聞四九号にて「四十数日も開かぬ金庫がたった二分の浄霊で開いた」おかげ話を読み「そうだ」と我を覚えず膝を叩きました。「そうだ」自分は久しく新聞等の御利益集を手にする事を等閑に付していたが、何か心の赴く侭に読まして頂く内フト眼にとまりましたのがこの記事でした。この記事も神よりの御神示であると解し、拝む気持にて夫婦して一心にお願いする事に致しました。先ずパイプを又金鎚にて叩き「天津祝詞」と「善言讃詞」を奉唱する事数回、その間地下のパイプに御浄霊を入念に致しましたが、若しもこのパイプの貫通を見ない時には、結局自分等に対する御加護の導きものか、又我々の信仰の至らざるものかと、何か恐ろしいものに触れる様な気持で震え乍ら、最後の手段としてパイプに口を当てがい、ブーッと吹き出したらこは如何に、出るは出るは、長い三〇日間に固着せし水垢が、続々と吹き出て後より続いて清水の流出せるを見た時は、夫婦共に目頭が熱くなり上気の余り顔は紅潮し、手足の水浸りも拭いもやらず、光明如来様に御礼をと階上に駈け上りし程の嬉しさでございました。光明如来様の御前に額ずき身心を改め、礼拝せし時は只々心の底より感謝の気持一杯にて、頭を上げ得ざる思いでございました。
お縋りする気持に於て、救われる人の病気の形以外に、斯かる物体にまで御浄霊の力の有難さを見せつけられ、ここに万物の霊長としての人間たる者が真剣にこの神様に御縋りせば、如何なる難病も即座に平癒する事疑いなき事を深く強く知らされました。拙筆をもって御礼と共に御報告させて頂きます。